Books-Culture: 2008年8月アーカイブ
日本史学に衝撃を与えた岡田史観の文庫化。
「一口に言えば、われわれ日本人は、紀元前二世紀の終わりに中国の支配下に入り、それから四百年以上もの間、シナ語を公用語とし、中国の皇帝の保護下に平和に暮らしていた。それが、紀元四世紀のはじめ、中国で大変動があって皇帝の権力が失われたために、やむをえず政治的に独り歩きをはじめて統一国家を作り、それから独自(?)の日本文化が生まれてきたのである。」
中国史が専門の著者は日本史をアジアの歴史の一部としてとらえなおす。
「大和朝廷は存在しなかった。」
「日本の建国は紀元六六八年であり、創業の君主は天智天皇である。」
「古事記は偽書」
「邪馬台国は存在しない」
などと、これまでの日本史観を覆す大胆な論考の数々が展開されている。
古代日本の状況は国内に文献資料がなく中国の史書の一部に「魏志倭人伝」として軽く触れられているに過ぎない。魏志倭人伝というと立派な書物かと勘違いするが、実際は中国からみると野蛮な境の歴史をまとめた三国志魏書東夷伝の「倭人条」という一記事であり、文字量にしてたった2000字である。
そんな小さなコラムみたいな魏志倭人伝が、本当に信頼できるものなのか。中国の史書の成立を調べていくと大きな疑問符が付くと著者はいう。そして、日本側の主な文献資料である古事記や日本書紀の記述も信頼性が疑わしいといい根拠をとともに「大和朝廷は存在しなかった。少なくとも『日本書紀』にあるような天皇たちはいなかった」と言い切る。
強く印象に残ったのは、「歴史というものは、何か一つの時代が終わったという実感があり、新しい時代が始まったという主張があって、はじめて書かれるものだ。」という洞察である。歴史書が編まれるときというのは、一区切りついて視座が固まった特殊な状況なのだ。編纂コストもかかるから為政者の意図も色濃く反映される。わずかな文献資料に基づいた日本の古代史学の足場は、科学的に見てかなり危ういものなのだ。
著者はそうした古代史研究の状況に一石を投じた。極めて大胆で独特だが説得力のある分析に基づいていて、トンデモの類とは明らかに一線を画す研究である。この歴史観が発展していくと、未来の教科書はずいぶん違ったものになるのだろうなあ。
(ちなみに本書の表紙の人物は今では聖徳太子ではない説が有力らしい。歴史学は数十年で大きく変化する。)
記録に残る江戸時代の敵討ちを、作法と法制度の観点からふりかえる。
江戸時代の敵討は制度化されていた。敵を討とうとする者はまず主君の許可を得て免状を受ける。主君は幕府の三奉行書に届けを提出する。そして奉行書は所定の帳簿にその旨を記載して討手は謄本を受け取る。この書類を持っていれば藩領を越えて全国どこでも敵討ちをすることができた。
「本来、敵討は権利でも義務でもなく、ましてや見世物でもなかった。作法がないのが復讐の作法。だからこそ、何らかの枠を設けないかぎり憎しみは増殖し、復讐はさらなる復讐を生み、憎悪は世代を超えて深化せざるをえないだろう。」
」
だからこそ、喧嘩の活着を最小限の犠牲にとどめる方法として敵討は制度化されていったのだという。もちろん激しい憎悪が敵討ちの動機だから、この手続きをきちんと踏んだ事例は多くなかったようだが。
敵討ちにはいろいろな形式、流儀作法があった。実例を多数交えた敵討ちの解説が興味深い。現代とは違う感情や社会の論理が見つかる。
敵を名指しして自ら切腹すると名指しされた相手も切腹しなければならない「さし腹」。
敵の処刑の際に遺族が申し出て死刑執行人を引き受ける「太刀取り」。
離婚後すぐに再婚した家を前妻らが集団で襲う「うわなり打」。
男色の絆で結ばれた者の敵を討つ「衆道敵討」。
名誉を人間の生死よりも重んじる武士たちの復讐が長い江戸時代に次第に文化に飼い慣らされていったのが、敵討なのであった。実は息子の敵や弟の敵を討つことは公式には認められなかった。討つべきは目上の親族の敵、つまり父の敵であり兄の敵なのであった。目下の敵を討つのは仇討、縁者、親類の敵を討つ意趣討と区別されている。ただの殺人にならぬためにタテマエ、名誉が大切なのだ。
「復讐を抑制(違法化)するのは、幕府にとって、中国の歴代王朝以上に困難だった。復讐は儒教の「礼」にもまして、武士の倫理において不可欠な行為だったからである。」
現代では法律で敵討ちは禁止され、殺人事件の遺族たちの復讐感情に直接的なはけ口はなくなってしまった。しかし、復讐感情は自然のものだから無念の想いだけが残されるようになった。犠牲を最小にする復讐法が存在していた江戸時代の話を読んで、いっそ現代でも死刑を廃止して敵討ちを復活したら?などと考えてしまった。
江戸の歴史や文学理解に役立つ一冊だ。面白かった。
「滑らかで淀みがなく、抵抗を排してムダがなく、モダンで先進的であり、趣味が良くて優雅である。そして、なにより美しい。流線形イメージとは、そうした言葉たちを集約したところに成立してくるなにものかである。」
1930年代の自動車、飛行機にはじまり日用品や家電、衣服や建築、女性のボディラインなどあらゆる分野で理想的なデザインとしての流線形が急速に浸透していった。自然界の無謬性は説得力があった。当初は物理学の専門用語だった流線形は、人工物の規範として世界中に感染して20世紀前半の時代精神となる。本書には無数の流線形デザインの採用例が時代別、国別(米国、ドイツ、日本)に解説されている。
「簡単にいえば流線形の正しさは自然が証明しているというメッセージだ。じつは、流線形がたんなる専門用語から、時代のキーワードになっていく変容の過程にとって、自然による流線形の根拠付けというこの系譜こそ、重要な意味をもつことになるのである。」
流線形シンドロームは、最初は自動車や飛行機の設計者が自然界の魚や鳥の流線形のシルエットを高速化に有利な構造として取り入れることに始まった。だが実際に空気力学的な効果が得られるものはわずかだったようだ。曲線的な先端や円い窓といったデザインの多くは効率的、合理的、都会的、未来的にみえるからという理由で採用されていった。
やがてその言葉の指す対象は拡大していき、人工物のみならずサービスにも適用された。たとえばカフェの看板に「流線形サービス」、ハイセンスな「流線型アベック」、昭和10年の流行歌「流線型ぶし」など、流線形という最強ミームの増殖はとどまることをしらなかった。
流線形シンドロームは危険な優生学的メッセージを内包していたと著者は指摘する。たとえばミスコンテストは、理想的なボディラインに適合する女性を選び出すプロセスだし、流線形の最新の車は富裕層の乗る高級車であった。流線形に対応しないものを時代の効率化プロセスから落ちこぼれたものとして排除する構造がうまれていく。何かを優れたかっこいいと決めつけると一方で劣ったかっこわるいものが生まれる。それはまさにナチスドイツ台頭と同時代に起きていたのだった。
表象文化論の専門家である著者は20世紀前半の流線形シンドロームを分析することで「科学イメージの神話作用」のメカニズムを説き明かそうとする。膨大な量のデータで時代の推移を検証していく緻密な分析に圧倒される。
この流線形シンドロームは21世紀まで続いていると考えて良いのではないだろうか。エヴァンゲリオンでもスターウォーズでも、未来の都市イメージはいまだに流線形の建築や乗り物、人で構成されている。その方が無骨な四角いデザイン世界よりもなんだか納得できるからだ。逆に言えば、私たちは無意識のうちに流線形以外の未来の可能性を排除してしまっているということでもある。
古いイスラーム世界には「名誉の殺人」と呼ばれる風習がある。婚前交渉を行った女を家族の名誉のために父親や兄弟が殺す行為だ。処女を奪った男ではなくて、奪われた女を殺す。21世紀の現在でも一部の地域で行われている。こうした社会では日本や西洋とは処女の価値がまったく違うものなのだ。
「純血の証」「身体への害毒」「富の象徴」...
西洋社会の中でも中世から現代までの間、処女の意味と価値は大きく変化してきた。中世文学・文化・ジェンダー論を専門とする著者が、処女の変遷を、医学的視点、キリスト教的視点、文学的視点、政治的視点に俯瞰する。
中世ヨーロッパ世界の王族達の間では処女の娘の身体は、国家間の同盟関係を維持するための有効な手段であった。
「処女の娘は父親が家族を取り仕切る能力の鏡と見なされただけでなく、父親の経済的・政治的な取引上の価値ある財産だった。また長男がすべてを相続するという長子相続権の結果、花嫁を捜す男性とその家族は、処女の花嫁を選ぶことで、生まれてくる長男が嫡出子であることを確実にしようとした。」
一方、中世の教会においては処女とは聖母マリアであり、神への汚れのない捧げものであった。同時に処女はエデンの園で永遠に失われてしまった人間の無垢さの象徴でもあった。
「教会が処女を「守り抜かれた宝」と(理想的には)見なしたのに対して、世俗の世界では流通させるべき価値ある商品だった。神への捧げ物と、リアルポリティークのための授かり物との違いだ」。
処女の価値が大きい社会では医学的に処女の判定法が盛んに議論された。処女膜神話が浸透した。「処女の尿は透き通っている」「胸が下を向いている」「伏し目がち」など俗説も広がった。長く処女でいることが身体に悪いだとか、ヒステリーの原因だともいわれた。
結局、処女とは何なのか。
学者である著者は「初体験」がアナルセックスの場合、それを「処女喪失」と言えるのかと真面目に考察したりもするのだが、処女と非処女を医学的に判別することが難しいし、処女膜なら修復も可能だ。身体的には初めての行為前後で何かが変化してしまうわけではない。不可逆的に変わってしまうのは本人や周囲の見方であり、女性の社会的価値である。
処女とは普遍的であると同時に多様性のある文化なのだということを探究する内容。