Books-Culture: 2008年5月アーカイブ
「なんと、二千年前からインターネットがあった!?」
この本には、このたび発見された弥生時代から江戸時代までの、200ページ以上のホームページが掲載されている。邪馬台国や鎌倉幕府のオフィシャルサイトや、縄文時代の個人サイト「私の土器コレクション」、清少納言のブログ、関ヶ原の戦いのスレ、武将の人気状況がグラフででる「戦国検索くん」、パスワード保護された「大奥」サイトなど、いかにもネットにありそうなデザイン。
重大事件ではいくつものページが掲載されていて流れがわかる。たとえば明智光秀の「十兵衛日記」は信長に対する不満たらたらのブログが、本能寺の変の当日には「接続が集中し、大変つながりにくい」状態になる。そしてその11日後には「管理者により削除」されている一方で、「秀吉のさるさる日記」には殿の仇を討ちとってやったりの報告が出ている。
予備校講師らが制作しているので、ジョークとはいえ細部も真面目に作り込まれている
。著名人のブログの外部リンク先だとか、バナー広告の中身、コメント書き込みなど、初見では見落としてしまうところで芸があって楽しい。2時間くらいで読んで読めたと思うなと著者が書いているように、こだわって作られている。
・「ちょwww豊臣」「義経サマ萌え」――ネットの住人目線で「歴史を身近に」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/15/news092.html
この本についての著者インタビュー記事。画面紹介もある。
大人が楽しく日本史のおさらいになる。受験生の息抜きにもよさそう。細かいツッコミに笑いながら、まじめな学習効果が期待できる本のように思う。
パロディとしての歴史サイトの書籍というコンセプトが愉快だ。本当にここに出ているようなWebを実際のインターネットに作っても、意外にはずしていた気がする。書籍でやるからユーモアが生きているんじゃないかな、これは。
こんなに凄いことになっていたのか、KARAOKEって。ロンドン大学の歴史科研究員が現代の世界各国のカラオケフィーバーぶりを、情熱的にフィールドワークしてまとめた比較文化論。日本ではすこし冷めた感じがあるカラオケだが、その熱狂は世界に確実に波及していた。
「歌に対する人類の夢を具現化した機械・カラオケは、その誕生から三十年を経ずして全世界に普及した。世の様々な文化流行を見ても、これほどの短期間に、これほど広範囲の普及を見たものは他に類を見ない」
韓国では「国技」と呼ばれるくらい国民の娯楽として浸透している。ビジネスコミュニケーションに必須の潤滑剤にもなっているらしい。タイやインドネシアではセックスを提供する「アダルトカラオケ」も繁盛している。シンガポールや台北、上海にはカラオケタクシーまで登場した。
アメリカではカントリーと融合して「カラオケカウボーイ」いるし、イギリスではパブ文化と融合してストレス発散の場として人気がある。ユニークな発達を遂げてしまった例もあって、スコットランドでは無音のポルノ映画にみんなで勝手に喘ぎ声や効果音をつける「ポルナオケ」だとか、ニューヨークのアングラ「全裸カラオケ」はびっくりだ。
英語教育にカラオケを取り入れた国も多い。五感身体をフルに使うから学習効果はありそうだ。仏教カラオケ「悟りの旅」「俗世の旅」「解脱」、キリスト教の「教会カラオケ」など宗教でもカラオケは積極的に使われている。
写真もたくさん使って各国カラオケ事情が語られている。発見再発見の連続だった。「カラオケは日本に発祥するものであるが、既に完全にグローバルなものとなっている。各国は今や既存の文化の中にカラオケを取り込んでいる。」と著者は結論している。
日本人はもっとカラオケの生みの親であることを誇りにしてよさそうだ。カラオケの発明は1970年代。日本人の井上大佑氏が発明者と言われている。特許をとっていれば毎年百億円以上の収入が見込めたという。特許がなかったから広まったのかもしれないが。
1960年代に音楽で世界を変えようとしたボブ・ディランより、本当に世界を大きく変えてしまった井上氏の方が音楽の世界において、すごいひとなのではないかと思った。ちゃんと歴史に残すべきである。
最終章ではインターネットや最新テクノロジーと融合したカラオケ革命がレポートされている。インターネットやケータイと連動するサービスが紹介されている。今後の展開として個人的に注目しているのはWiiカラオケだ。商用配信レベルの内容がWiiで可能になるとするとカラオケブーム再燃もあったりして。
・Wiiがカラオケに 「JOYSOUND Wii」来春登場
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/10/news068.html
江戸時代の画家 伊藤若沖(1716-1800)畢生の大作「動植綵絵」全30作品をカラー印刷で収録。全体図だけでなく、主要部分の拡大図も用意されているので、細部をじっくりと鑑賞できるのが素晴らしい。美術館でもこれだけ精細に間近では見られないだろう。
有名な「南天雄鶏図」に代表される鳥の絵が鬼気せまっている。ニワトリやオウムのくせに威厳にみちていて神々しい。かっと見開く鳥の目に見る者は威嚇される。まさに目をみはる絵だ。
若沖は自分の絵について「いまのいわゆる画というものは、すべて画を画いているだけであって、物を画いているものはどこにもない。しかも画くといっても、それは売るために画いているのであって、画いて画いて技を進歩させようと日々研鑽するひとに会ったためしがない。ここが私のひととちがっているところである。」と述べている。自分の目でみたものしか描かない。徹底的なリアリズムで対象に迫る。物と若冲が対峙するところに「神気」が生じると若冲のパトロン大典和尚は評している。
裕福な商家に生まれた若沖は、幼少のころから学ぶことが嫌いで、趣味もなく、およそ才能というものと無縁な子供と周囲には思われていた。ひとづきあいが下手で家業をまともに継ぐことができず、丹波の山奥に二年隠れていたという説もある。変人として生涯独身を通した。
絵は二十代後半に始め、狩野派に学ぶが中国絵画の模写や流派の真似ごとが嫌になる。自分の目で見たものを見たままに描くスタイルを確立するのは40を過ぎてからであった。屈折した性的願望を妖艶な美に昇華させたと多くの研究者が指摘しているように、内に貯め込んだ情念が噴き出しているように感じる。これは一種のアウトサイダーアートであるといえるのかもしれない。
この本は全作収録しているので発見もあった。動植綵絵30作には昆虫や魚介を描いた作品も含まれているのだが、若冲の描く昆虫や魚介は図鑑の挿絵風で標本みたいで覇気がない。今にも絵を抜け出て暴れまわらんとする迫力の鳥獣の作品に比べると格段に精彩を欠くのである。さらにいえば植物も太い線でワンパターンな印象がある。若冲は鳥にしか萌えなかったトリオタだったことがよくわかる。
動植綵絵は現在は宮内庁が所蔵している。昭和45年に京都御所で全30幅が風通しされ、それを見た外国人の若沖収集家プライスは男泣きに泣いたという話が紹介されていた。縮小印刷でも相当の迫力がある。実物大の動植綵絵に囲まれたら、普通の人間でも絶句して泣いてしまうかもしれないなと思う。
・綺想迷画大全
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005221.html
・怖い絵
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005184.html
・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html
モデルは若沖のような気がする小説
・アウトサイダー・アート
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-739.html