Books-Culture: 2008年1月アーカイブ
代表作「太陽の塔」を発表した大阪万博の開催直前の時期に、雑誌「芸術新潮」に連載された岡本太郎の芸術論。「私は幼い時から「赤」が好きだった。血を思わせる激しい赤が...」。「聖なるもの」、「石」、「血」、「怒り」、「挑戦」、「仮面」、「聖火」、「夜」という、一連のキーワードの関係を構築しながら、古い芸術観を解体していく。
岡本太郎というと「芸術は爆発だ」というフレーズが有名だが、彼がこの本で語っているのはまさに、なぜ芸術は爆発なのか、爆発とはなんなのか、の話である。爆発とは原初的な生命エネルギーが人間の内側からふきだすことであるが、無論ふきだすだけでは芸術表現ではない。
岡本太郎はピカソの「ゲルニカ」を例に出してこういう。「いずれにしてもピカソの作品はあくまでも激しいと同時に冷たく、微妙な計算の上で炸裂している。そこに同時に遊びがあるのだ。怒りながら、瞬間に自分を見返している。常に見返していなければ本当の芸術家ではない。自分を見失い、我を忘れた狂奔は怒りではない。芸術ではない。」
「私は言いたい。全体をもって爆発し、己を捨てることだ。捨てるということは一番自分をつかまえることなのである。ああオレは怒ってるな、と腹の底でこっそり笑いながら、真剣に憤っている。それが人間的なのである。表現の側から言えば、目をつりあげて怒りながら、同時にそれが笑いである。またその逆であるというような表現こそ、人生そのものの表情であり、芸術である。」
真髄はメタなのだ。冷めていながら、ぶち切れることを遊ぶのが芸術なわけだ。これまで何冊か読んだが、岡本太郎の芸術論は常に人間の精神や文化の豊饒賛歌になっている。何かに還元できるような、つくりものじゃないのである。
この連載は太陽の塔の制作と重なる。こんな記述もあった。
「70年万博のテーマ館のために、私は世界の神像・仮面・生活用具などを集める計画をたてた。進歩を競い、未来を目ざすつくりもの、見世物ばかりで何か全体が浮き上がってしまいそうな会場の気配に対して、ぐんと重い、人間文化の深みをつきつけたかったのだ。」
日本中が注目した進歩史観の祝祭に対して、それとは反対の、ドロドロした人間のエネルギーを演出してみせた。当時、そのコンセプトやイメージが万博に合わないという意見もあったらしいが、岡本太郎は、実は確信犯的に遊んでいたのだということがわかる。体制に慣らされては芸術はできない。体制と戦うことを真剣に遊ぶことが真の芸術なのだなあと、その生き方をみて思った。
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・今日の芸術―時代を創造するものは誰か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005051.html
・岡本太郎の遊ぶ心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005077.html
・岡本太郎の東北
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005167.html
これは傑作。美術館めぐり10館分くらいの価値があった。
古今東西の絵の中から「ヴィジュアル的に面白いもの」を選りすぐってカラーで収録し、その時代背景や技法を解説する。美術的な価値や知名度だけで選ばず、視覚的な面白さに徹底的にこだわって、知る人ぞ知る名画迷画を多く発掘している。印刷も高精細で大きく美しい。ページをめくるたびに目が釘付けになった。見る快楽がたっぷり味わえる。
不思議な構図の絵、視覚的にどきっとする絵、信じられないくらい精密な絵、特異な技法で描かれた絵、不気味な想像の絵など、いろいろなヴィジュアル的面白さがあるのだが、共通するのはどの絵も圧倒的に美しいということ。フルカラーの絵にしばし見惚れてから、著者の博覧強記の解説文を読むのだが、絵のインパクトが大きすぎて解説が頭に入ってこないこともあった。
神々や悪魔、仙人や伝説の怪獣など想像上の世界を描いた絵にユニークな絵が多い。特にキリスト教の宗教画の悪魔は強烈である。「そもそも悪魔とは、絶対神に対立sする観念でありますから、絶対神をいただくキリスト教やイスラム教の文化圏においてこそ、その絵画的表現は多様化したといえるでしょう」と著者はその理由を考察する。たとえばミヒャエル・パッハーの聖ヴォルフガングと悪魔は、典型的な悪魔の絵だ。聖者を誘惑する悪魔の姿がリアルで、夢に出てきそうである。
・ミヒャエル・パッハー 聖ヴォルフガングと悪魔
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5c/Michael_Pacher_004.jpg
西洋画だけでなく、東洋の絵も多数紹介されている。定規で細かな直線を何万本も引いて建築物を描く中国の「界画」はこの本で初めて知った。美術というより設計図に近いらしいが、機会があったら実物をじっくり見て見たいと思った。
歴代の中国皇帝が保有していた名画は、絵の上にベタベタとたくさんの朱色のハンコがおされている。皇帝が鑑賞するたびに「乾隆御覧之宝」などと印を残したからだそうだ。これは画家にとっても名誉なことで作品の価値を高めたのだろうが、西洋美術では考えられない。「後世の人がいかに皇帝とはいえ、勝手に字を書いたりハンコを捺したりすることのできる文化とは、いったいなんであろうか」、東西には「作品空間という観念のちがいがあるように思われるのです」といった著者の考察がある。
日本の絵は少ないが伊藤若冲の南天雄鶏図が選ばれていて納得。
・怖い絵
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005184.html
・美について
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005145.html
・形の美とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005144.html