Books-Culture: 2006年9月アーカイブ
・なぜ偉人たちは教科書から消えたのか 【肖像画】が語る通説破りの日本史
「みなさんは、日本史の教科書から偉人たちの肖像画が消えつつあることをご存知ですしょうか。たとえば1980年の教科書(『日本史』三省堂)には、36点の肖像画が掲載されていましたが、現在の教科書(『日本史B』三省堂 2006年)はわずか20点。およそ半分に減ってしまっているのです。」
私達が昔教科書で見た源頼朝の顔や、お札にまでなった聖徳太子の肖像画は、本人を描いたものではなかった疑惑が持ち上がっているらしい。武田信玄は実は細面で華奢な外形であったという説。銅像にもなった西郷隆盛の今に伝わる顔は実物とはまったく似ていない説。足利尊氏の騎馬武者像は別人説。
こうした疑惑もあって、教科書では肖像画を使わないか、「伝○○像」という表記に止める例が続出しているそうである。いまさらそんなことを言われても困るのだが、違うかもしれないものをそのままにもしておけない。
そういえば何年か前に、明治神宮を散歩していて宝物殿に入ってみたことがある。
・宝物殿・宝物展示室
http://www.meijijingu.or.jp/japanese/homotsu/index.htm
ここには初代の神武天皇から第124代昭和天皇までの歴代天皇の肖像画が並んでいる部屋があって壮観である。世界広しといえど2600年前からの先祖の肖像画があるのは、天皇家くらいだろうと感心していたが、ふと、思った。神武天皇の顔って何を見て描いたのだろう、そもそも神武天皇を含めて最初の8代は実在も疑われてさえいるわけで、御顔などわかるわけがないのである。
それでも顔は重要で、この本の偉人たちが偉人として語り継がれた理由の一つは、やはり有名な肖像画で、人々に親しまれてきたからだろう。似ている似ていないは主観の問題もあるし、時代の作風にも影響されるから、大事な条件ではないとする学者もいるらしい。いまさら、本当の顔がわからないのだから、本人と伝わる肖像画はそのまま使い続ける手もあるのかもしれない。
肖像画の顔問題とは別に、通俗的な評価とはまったく違う人生を送っていた偉人たちも数十人取り上げられている。ワイロ政治で悪名高かった田沼意次は、最新の研究では、積極的な重商主義の進歩的政治家だったと名誉回復の動きがある。生類憐みの令で印象が悪かった徳川綱吉も画期的社会福祉政策だったと再評価する傾向もある。遠山の金さんの刺青は桜吹雪ではなく女の生首だったという説もある。うーん、歴史って数十年でかなり変わってしまうものなのですね。