Books-Culture: 2004年7月アーカイブ
・日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334031544/daiya0b-22/
苗字研究の第一人者が語る苗字学。大抵の苗字の由来に触れられているし、珍しい苗字の人にも参考になる情報が多い。
日本人の苗字は30万姓。姓の数は、同じアジアの中国では350、韓国では250と少なく、ヨーロッパは全土合わせて5万程度で、日本は世界一、姓のバリエーションが多い国なのだそうだ。
日本の苗字の多い順ランキングはこの本によると以下の通り。
1位 佐藤 1914300人
2位 鈴木 1692300人
3位 高橋 1406000人
4位 田中 1324200人
5位 渡辺 1090400人
6位 伊藤 1072400人
7位 山本 1068200人
8位 中村 1041200人
9位 小林 1011900人
10位 加藤 853300人
橋本は24位(444700)だった。
最も多いのは地名型で、居住地や先祖の出身地を苗字にしたもので全体の8割を占めるという。次に多いのが職業・屋号型で、その次が職掌(官職)型だそうだ。この傾向は使われる文字にも現れている。田、藤、山、野、川、木、井、村、本、中などが名前によく使われる漢字ベスト10であるが、土地の名前と関係の深い文字が多いことが分かる。
よく知られるように、苗字を持つことは長い間庶民に許されておらず、特権階級のものだった。江戸末期の人口は3000万人。苗字持ちは4%程度の120万人で、約1万姓だったそうだ。明治初期の苗字の義務化により、29万の姓が増えていっきに30万になったという。それ以前より非公式に使っていた例も多かったようだが、大半の苗字はまだ100年ちょっとの比較的新しいものなのである。
明治8年の平民苗字必称義務令が出たときには、あわてて作られた苗字も結構あって、職業をそのまま苗字にしてしまった例もかなりあったようだ。
仮に今、平民苗字”改称”義務例などが出たら、
今猿(コンサル)
弁茶(ベンチャー)
風呂我(ブロッガー)
などつけたりする人もいるのだろうな。
ところでこども時代より気になっていたことはこの本には出ていなかった。それは苗字は結婚によって減る。増えることはないから、いつか大半の苗字は消滅してしまうのではないか?という疑問。
調べてみたら、
・ませ(間瀬・馬瀬・真瀬等)苗字、地名メモ
http://www.is.titech.ac.jp/~mase/masename/masename.html
このページで紹介されている
「姓の継承と絶滅の数理生態学」佐藤葉子・瀬野裕美著、京都大学出版会刊(2003)
という本がその問題に真正面から取り組んでいるようだ。今度、大きな図書館で探してみよう。
また上記のページには、数学的計算から「日本人が27人以上いれば同姓者がいる可能性の方が高い」という事実も紹介されていた。
参考サイト:
・日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/
この苗字はどの都道府県に多いか?
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/bunpu.htm
・ドイツの上位200姓やアメリカの上位200姓
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~jjksiro/dtsjin.html
・Dorayaki「稀苗字」スクリーンセーバー - ベクターソフトニュース - おすすめアミューズメント通信 -
http://www.vector.co.jp/magazine/softnews/040207/n040207com1.html
めずらしい苗字548種類を表示する、ユニークでタメになるスクリーンセーバ
#ところで私は姓と名をごっちゃにされて”大橋”さんと呼ばれることが年に何度かある。橋本ですのでよろしくお願いします。
・住んでみたサウジアラビア アラビア人との愉快なふれ合い
アイデアマラソンの著者で、三井物産カトマンズ支店長の樋口さんが定年を前に帰国された。表参道でついにお会いした。発想術について一通りのお話をして帰り際、樋口さん(ご夫妻)が一昔前に書かれたこの本「住んでみたサウジアラビア」を頂いた。約20年前の8年半に渡るサウジアラビア滞在時の生活と思いを綴った本である。
お会いする前にメールで個人的なことが話題になっていたからだ。
ナイルの川辺 朝霧晴れて
今日も見上げる ピラミッド
手を取り合って たゆまぬ努力
さあ頑張ろう 君と僕
みんなのカイロ 日本人学校
私は父の仕事の関係で小学校低学年をエジプト国カイロで過ごした。エジプトとサウジは地理的にも近く、どうやら樋口さんと私の父は面識があるようだ。私が暮らしていたのはナイルの川辺のザマレク地区マンション。隣はモスク。毎日、何度もコーランの大音響を聞きながら育った。遠足先はピラミッド。砂まみれになったおにぎりを砂漠で食べた。10数人しかいない同級生たちとは、なるべくケンカをしないように仲良く遊んだ。
テレビは家になかった。暑い国だがクーラーもなかった。炊飯器がなぜかなくて鍋でお米を炊いていた。母は豆腐も作っていた。他の日本人家庭と同じようにアラブ人の運転手とメイドさんがいる。マンションだが家は広くて室内で自転車を乗り回していた。日本文化との接点は、年に何度かあったビデオ上映会で、紅白歌合戦を見ること。お誕生日会にはクラス全員がその子の家に集まりケーキを食べた。お別れ会は寂しかった。
応接には頻繁に、父の仲間の新聞記者やカメラマン、商社の社員らしき人たちが出入りする。徹夜マージャンをしながら、英語放送のラジオを聞いていた。皆で聞いていれば事件発生の聴き逃しがないだろうということらしい。遊んでいるだけにも見えたけれど、異国の地での必死の共同戦線だったのだろうなと、当時の父の年齢に近づいて気がつく。
日本に帰国して驚いたこと。日本の家が狭いこと、自動販売機が数百メートルおきにあること、外で歩いている人と日本語で話せること、水道の水は飲めること。物心つくころを異文化のイスラムの世界で過ごせたことは大変大きな価値があったと今になって思う。アプリオリに多様性を知るっていうことができたような気がする。
ところで、樋口さんは文章がとてもうまい。アイデアマラソン関連の著作を読んだときには気がつかなかった発見。商社マンとは思えない、叙情あふれる名文で、アラブでの冒険譚が語られる。
信義を重んじるアラビア人とのビジネス上の駆け引き、砂に埋まった車から脱出してサソリの這う砂漠を家まで決死の覚悟で帰る夜の話。写真を撮影しただけでスパイ容疑の逮捕劇。サウジにサクラ植えた話。共同執筆者の奥様の書いた女性しか入り込めないアラビア女性の黒いベールの向こう側の話。
大手のエリート商社マンも、当時単独でサウジに放り込まれてしまうと、何の助けもないから、危険と隣り合わせのサバイバルなのだ。この本を読む限り、当時のエジプトと状況はそっくりだ。樋口さんが生来の冒険家気質であるのも確かなのだけれど、同じように私の父母も子供3人を連れてのエジプト生活は、きっと大冒険だったのだろうなあと思った。
もしかすると、この本の書評を書くのは私が最後になるかもしれない。出版は1986年。この本に描かれた場所も様変わりしているだろう。出版社のサイマル出版会は既に倒産している。樋口さんのちょうど子供の年代に当たる私が、出版から20年後に書評を書いているのはなんだか不思議な気持ちになる。
樋口さんは商社マン人生をこの他、ナイジェリア、ベトナム、ネパールなど、日本の対極みたいなところを回る何十年として過ごしたらしい。モノが当たり前にあり、常識で人が動く日本ではない場所だったから、アイデアを何十万件も捻り出すマラソンシステムを思いついたのだなと、この本で納得がいった。
貴重なご本であると思うのに樋口さんからは「会社の皆さんにも」と3冊もご提供いただいてしまった。が、ご好意はともかく(笑)、さすがに「会社の皆さん」には内容的に厳しそうなので、自分に一冊、私の父に一冊、誰か本当に読みたい人が現れたときのために一冊、頂いておくことにした。