Books-Creativity: 2010年9月アーカイブ
2004年にサントリー学芸賞を受賞した武蔵野美術大学 原研哉教授のデザイン論。
デザインとは何かという問いに対して、著者は単一の答えを出すのではなく、戦後の世界や日本のデザインの歴史を振り返って、産業革命からバウハウス運動を経てポストモダンまでのデザインのさまざまな考え方を示す。それは「不器用な機械生産に対するアンチテーゼ」であったり、生活という「生きた時間の堆積」が磨きあげるカタチであったり、独創的な省略であったり、情報の建築であったりする。
デザインを考える中で「欲望のエデュケーション」というキーワードがでてくる。これはデザインにおいて、悪化が良貨を駆逐する現象のことだ。発展途上国からデザイナーズブランドが生まれない理由でもあるなあ。
「センスの悪い国で精密なマーケティングをやればセンスの悪い商品がつくられ、その国ではよく売れる。センスのいい国でマーケティングを行えば、センスのいい商品がつくられ、その国ではよく売れる。商品の流通がグローバルにならなければこれで問題はないが、センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆はない。ここで言う「センスのよさ」とは、それを持たない商品と比較した場合に、一方が啓発性を持ち他を駆逐していく力のことである。」
米国アップルやグーグルが、モバイル端末や情報サービスのデザイン力で日本メーカーを押しのけて、世界市場を席巻しているのは、日米のデザイナーの能力差ではなくて、情報サービスに対する両国の消費者の情報リテラシーが違うということなのかもしれない。個人が情報を積極的に求めて自分なりに活用したいと思っている度合いが、米国の方が強い気がする。それがセンスの良さにつながるのではないだろうか。
デザインのもたらす「情報の美」へのアクセスルートとしては「分かりやすさ」「独創性」「笑い」の3つが挙げられている。笑いは精度の高い理解が成立していることを示すバロメーターだという。ニヤリとさせるデザインは、かなりの上級者によるデザインなのだな。