Books-Creativity: 2009年10月アーカイブ

・十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。
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遠藤周作が昭和35年に書いた原稿が、46年後に発見されてこの本(元は単行本)になった。手紙や文章の書き方をやさしく教える内容。病人への見舞いの手紙、彼女を上手くデートに誘うラブレター、告白されて断るときの心得(女性編)、お悔やみ、など、

軽い読み物なのだが、遠藤周作がいかに人と違う文章、凡庸でない文体を確立することを大切にしていたかがよくわかる。文章力を鍛えるための「ようなゲーム」を日常的にバスに乗りながら行っていたそうだ。これは誰でも簡単に取り組めるが、うまくやるのは難しいゲームだ。

「ようなゲーム」とは、眼に見えたもの、耳に聞こえたものを形容する言葉を、

(1)普通、誰にも使われている慣用句は使用せず
(2)しかもその名詞にピタリとくるような言葉を

見つけるというゲームである。

夕日のことを

「燃える火の玉のように」

というのは慣用句的で避けなければならない。代わりに、

「大きな熟れた杏のように」
「赤くうるんだ硝子球のように」

などという有名作家達の名文が挙げられる。

文章の極意(文脈的にはラブレターの極意なのだが)は抑制法(当たり前のことをぜんぶ書くな)と転移法(ナマではなく別の言葉で)だと看破する。実体でなく影の方を描くと、効果的に情景が立ち上がるという話、わかりやすいが実践は結構難しい話だ。

「つまり夏の暑さを描写するのに「太陽がギラギラ」とか「樹木はまぶしく」とかいう表現は誰もが使う手アカによごれた形容です。だからそれを読む人も、こういう形容には食傷しています。むしろ、そういう場合は太陽の光には触れず、白い路に鮮やかにおちた家影、暑さの中で微動だにしない真黒な影を書いた方がはるかに効果的なのです。」

慣用句的なもの、形式的なものをいかに脱して、個性的で心のこもった文章に仕上げるか。大作家の鍛錬法や心構えが垣間見える読み物。

ところで本書、「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」というタイトルだが、文庫本だと本文は11ページ目から始まる。なんかちょっと可笑しい。

・あなたも詩人 だれでも詩人になれる本
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漫画『アンパンマン』作者で童話作家で詩人のやなせたかしによる詩の表現論。

詩人と名乗ることは誰にでもできる。でも、他人から「あの人は詩人だ」と言われるから本当なのであって、詩人を目指してしまうと妙なことになるぞ、と、まず読者のアタマに水をかける。詩人の作為性や職業性を真っ向から否定する。

「だから詩人なんてあんまりならないほうがいいので、お医者さんとか学校の先生とか、パン屋さんとか、そういうほうがいいのです。そして、仕事に疲れて、その時何かが頭脳のひだひだの中に浮かんできたなら、それをノートにかきとめればいいので、もしかしたら、それを第三者が読んで「これはいい詩ですね」というものがかけているのかもしれない。」

大変に共感する。小学校の国語の時間に詩や俳句を書かされた記憶があるが、詩なんて思い浮かぶのを書き留めるからいいのであって、作為が入り込んだ途端、偽物だよなあと当時のませた私は考えていた。

そして表現論、「いい詩」「完成された詩」を書こうとすると陥る2つの罪

1 自分だけ感動する罪
2 他人に媚びる罪

を犯すことなく、「他人がまだうたったことのないところを、ごくさりげなく自分の言葉で話さねばならない」。そしてそれは「真に最高の作品は通俗とスレスレの境地にあるとぼくには思えます」とくる。詩だけでなく、あらゆる表現の極意のように思える。

本書には有名詩人の作品と、同人系無名の詩人の作品がいっぱい散りばめられている。著者が選んだ素人の詩が、しばしば著名な詩人の作品以上に生き生きとしていて、感動的に感じられる。要するにリアリティが大切ということみたいだ。職業詩人より天然詩人の方が、オーガニックな思いから言葉を発しているからリアルなのだろう。

さりげない言葉というのもリアリティである。当事者の視点のユニークさが、技巧や経験を上回ることを著者はこう説明している。

「たとえば百メートル競走のレースを見るとします。そこを映画に撮る場合、普通にうつせばニュース映画になる。一着何某君、何秒、それでおしまいですが、一番ビリのひとをうつせば、悲しみになり、二番をうつせば悔しさになる。あるいはコーチ、応援団、補欠選手というふうに見ていくと、いくらでも視点はちがっていくわけで、ちいさな技巧よりも、どこに自分が焦点をあわせてかくのか、そして、それをよく見ているかというところがたいせつになります。」

最後まで「詩の作り方」が書かれていないのだが、詩が書けそうな気になる、書いてみたくなる創造的な本である。やなせたかしという一流の表現者の芸術論として読んでもいい。