Books-Creativity: 2008年4月アーカイブ
著者の橘川さんとはかれこれ5年以上お会いしていないのだが、私にとっては恩人の一人である(と勝手に思っている)。橘川さんは1996年、まだ私が学生をしている時代に「デジタルメディア研究所(略称デメ研)」を設立され、大手メーカーのマーケティングプロジェクトなどをプロデュースされていた。その一環の座談会に私は何度か呼んでいただいたのだった。
ほんのお小遣い稼ぎのつもりで参加したのだが、それはちょっとした感動だった。まずフリーランスでありながら大企業のマーケティングに対して強い影響力を持つ、そのカリスマぶりにしびれた。
そのころから私は雇われない生き方に憧れていた。フリーランスやベンチャーという生き方候補のモデルケースとして橘川さんが強く印象に残った。実は「ロッキングオン」という伝説的な雑誌の共同創業者であったり、パソコン通信の時代からデジタルメディアのマーケティングの専門家として有名な方であったということなどは、はずいぶん後になって人から聞いて知ったことだった。当時は、ただただ、目の前の颯爽とした橘川さんがかっこいいオヤジだなあと思ったのだった。
それで「橘川さんという面白いオヤジと出会ったよ」と知人らに話したところ、「実は私は(僕も)デメ研の秘密研究員なんだよね」という人が複数出てきて、その証のロゴマークのシールを見せびらかされたりした。よし、私もいつかはデメ研の秘密研究員に任命されるほどの人間になってみせようぞと、密かに思っていたのであった、あれから10年。
この本はその橘川幸夫語録である。本を手にしたとき、いくら橘川先生とは言え「存命中に本人が自分語録を出すってどうなの?」と正直思ったが、開いてみると教条的厭らしさはまったくないっていうか、もろにロックでパンクである。不良である。ぶんなぐられた気がする。
私が気に入った名言ベスト4を紹介する。
「あなたがどんな人間かは、あなたがどんな音楽を聴いていて、どんな服装をしているかでわかる。でも、そんなわかられ方って屈辱だろ?」
「思想というのは自分の中を鋭く突きぬけていくものと、自分の中をさわやかに吹き抜けていくものがある。人もまた。」
「友だちの友だちは、赤の他人に決まってる。1対1の関係をなめないように。」
「誰にも言えないことがあるとしたら それはむしろあなたの宝物として扱え」
「負けたフリして諦めない。逃げたフリして攻めあげる。」
「言葉は社会遺伝子である。個人が見たこと聞いたことを、言葉という遺伝子にして次の時代に手渡すのだ。」という使命感で書かれたそうだ。とりあえず私は受け取りましたよ。
朝日新聞で「天声人語」を13年間担当した元論説委員が書いた文章の上達法。50人以上の有名作家の文章論を引用して、著者が解説をつけていく構成なので幅広い考え方に触れることができる。
「私にはどういう文章を書けばいいかという規格品のイメージがありませんので、これはうまい文章だと思うものをノートに書き抜く。小さいときからつくってきたそういうノートが百冊以上になると思います。」(鶴見俊輔)
「旅行に行って10日くらい書かないことはありますけど、そうすると10日分へたになったなと思います。ピアノと一緒なんでしょうね。書くというベーシックな練習は毎日しないといけません」(よしもとばなな)
「何度も何度もテキストを読むこと。細部まで暗記するくらいに読み込むこと。もうひとつはそのテキストを好きになろうと精いっぱい努力すること(つまり冷笑的にならないように努めること。)最後に本を読みながら頭に浮かんだ疑問点をどんなに些細なこと、つまらないことでもいいから(むしろ些細なこと、つまらないことの方が望ましい)、こまめにリストアップしていくこと」(村上春樹)
大作家たちの多くが毎日書くこと、気がついたことをマメに記録しておくことが上達の秘訣だと言っている。日常の情景描写や心の揺れ動きを書こうとするときに「些細なこと、つまらないこと」が記述に厚みやリアリティを与えるものだが、そういうことって書こうと思ったときにはすぐに出てこないものである。こまめにリストアップという村上春樹の戦術は、プロの文章を見ていて本当に納得である。
同時に武装するばかりが文章術ではないようだ。
芥川龍之介が書いた熱烈なラブレターが紹介されている。読んでいるこちらが気恥ずかしくなるくらい、あからさまに愛を語っている。文章の体裁を取り繕うなんて姿勢はまったくない。文豪が油断している文章だが、どれだけ相手に熱を上げていたかがよくわかる臨場感を感じた(これは名文の例として取り上げられたのではないのだが)。
「気のきいた文章を書くてっとり早い秘訣は『自分がピエロになる。自分の欠点を情け容赦なく書く』である。逆に読み手の強い反感を買うのは『自分の欠点を書いたようでいて、実は自慢話になっている』である」(姫野カオルコ)
本当の自分をさらけ出すことができる人というのは数少ない。ついつい書いているうちに取り繕ってしまう。日々文章を綴るというのは、慣れによってそのガードを少しずつ下げていく練習であるのかもしれない。肩の力が抜けた文章を書きたいものだ。