Books-Creativity: 2005年5月アーカイブ
E·²¢ïc|ZúÔÅïЪIÉÏíéI
¶Êèh·²¢hÊ¢ÆvÁ½B
±Ì{ÍĶʪȢB¾ªè²«Æ¢¤æèAèð©¯ÄÓ¡Æ¿lðZ³kµÄ¢éBZÔÅïc̬÷mEnEÌGbZX¾¯ðzûÅ«éBÒÌVRo[ÅÌh^o^¬÷¨êªhL ^^b`Å`©êÄA»ÌÅ}lWgR[`Æoï¢A£¹³êA©çR[`ÌïÐðnÆ·éÉéÜÅÌ̱kÌ`®ðæÁÄ¢éBx`[NÆÉÖSª élÍø«ÜêéB
OÉ©ê½u·²¢âèûvƯlÉA±Ì{ཀྵðN±·C^NVAR~ jP[VpªSÅ éBïcµ½¯êǽàN«È¢ÌÍÅ«A·²¢±ÆªN«é̪ÅB»ÌÅÈóÔ̽ßÌéªXgƵÄÜÆßçêÄ¢éBªÉÍ·²¢ïcÀH̽ßÌV[gªt^ƵÄ¢ĢéBoc²ÅêxAÇñÅ©çÀÛÉgÁÄÝéÆÊ»¤B¬âÁÄÝ椩ÆvÁ½æB
E·²¢âèû
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001597.html
uïcÅÍuñÄvuNGXgvu¾m»Ì½ßÌÓ©vÈO̾ÍA99³ÊÈÓ©Å·vÅANGXgÌàeÍA
P@CpNg
Q@ìÆÅÍÈA·Îçµ¢¬Êðßé
R@R~bgg
Å é׫ÆKèµÄ¢éB
tÉAtc[Ì·²È¢ïcÍA½èOÌÚWðB¬·é½ßÌìÆÌèUèmFÉIíÁÄ¢éÈ Æv¤B¢ÜÇ«A¯»gDÅàÈ¢ÀèAÅ«é±ÆðÅ«éÍÍÅâÁĢ龯ÅÍArWlX;ñŵܤB
±Ì{ª¢Ä¢éÌÍAÂÜèA»¤ÈçÈ¢½ßÌAh}Æj [XÌA±Ìæ¤ÈgDðìé±ÆÆ»ÌmEnEÈ̾ÆvÁ½B
ÎÊÌZp¾¯ÅÈÄ·²¢ïcA·²¢âèûÌlbgÅÍÅ«È¢à̾뤩B
C^[lbgÍR~
jP[VÌ·²¢`lðJ¢½í¯ÅA»Ì`lðgÁÄA¼l©çibWâANVð¢©Éø«o·©Aª±ê©çÌrWlXgDÌe[}ÉÈéÌÅÍÈ¢©ÆvÁ½BÍ·²¢[AÆ©A·²¢O[vEFAÆ©AÇñÅݽ¢Ì¾¯êÇB
■論理と背景で説明力を鍛える
世界のソフトウェア企業ランキング上位100位の半数近くがインド系企業だという数字とその理由が考察されている。日本では9×9までの掛け算の暗記を、数学大国インドでは20×20まで覚えさせるという有名な話がある。だが、単に暗記量が多ければよいということならば、数学者は皆、桁数の多い掛け算を暗記しているはずだし、暗算が得意なソロバンの使い手もインドのように優れたソフトウェア開発者になっていておかしくない。
インドの教育では、たくさんの計算結果を暗記させると同時に、その理由や説明もたくさん考えさせているのが、数学教育で成功した理由なのだとする。日本の教育では、できるだけ少ない計算例から「やり方」だけを抽出しようとしている。インドでは多数の計算例から「論理」や「背景」を学習させている。だから日本人は「やり方」を忘れてしまうと問題が解けなくなってしまうが、インド人はやり方を忘れても一から考えて答えを出すことができるようになる。
「ゆとり」の確保のために暗記量を減らして少数の結論だけ暗記させても、自分で考えることはできるようにならない。暗記や計算練習を通して目指すものは計算力ではなくて、それがどうしてそうなるのかを説明できるようになることだというのが著者の見解である。
日本では1と2とnの場合で考える。しかし、1と2と3とnくらいまでの場合を常に考えてみるのが、説明力強化につながるのではないかという。
■ひらめきの法則
ひらめきについてなるほどというまとめがあった。
「
結局のところ、他人には偶然性を強調して格好良く話している「ひらめき」でも、実際のところはさんざん考え抜いた蓄積のほんの少し上に、ふっと気がつく一瞬のことを言うようである。
」
思わぬ出会いや失敗から何かを偶然に発見したというセレンディピティも、本当は偶然ではないはずだという指摘。日常試行錯誤を繰り返している人が、単純なミスや人との出会いという決定的な刺激を得て、大きな発明や発見を達成している。ただ偶然を待っていてもひらめきは訪れない。「しばらく考えた経験」があると点や線が面として見えるようになるから、大切なのはできなくても考えておくことなのだという説。
■じゃんけんをするとき、人間が出すのはグーが多くチョキが少ない
著者が実験室で725人の学生に延べ1万1567回のじゃんけんをさせて作成した統計では、
グー 4054回
パー 3849回
チョキ 3664回
という状況であったらしい。じゃんけんでは有意水準1%でグーが多くてチョキが少ないのだ。
理論上はじゃんけんの統計はグー、チョキ、パーが3分の1ずつ出されるはずである。だが実際にやってみると違う。人は他人を目の前にすると警戒して拳を作る傾向があることや、チョキの形の手はグーやパーよりも作りにくいことなどが影響しているのではないかと理由が挙げられている。
こうした現象を説明する際、数字のデータ(証拠)と、その理由(論)はどちらも大切で、必ずしも「論より証拠」ではなく「証拠より論」が有効なときもある。データだけ分かっていても本質的な対策が講じられない。論と証拠の両方から面として説明することが重要である。
他にもたくさんの数学的な思考の応用が紹介される。
要旨は試行錯誤と説明力が大切だということ。
中公新書の超整理法シリーズの第3巻。第2弾は時間管理術だったが、今後のテーマは捨てる技術。
■50年で24倍、1日数百枚の紙を使う現代の知的ワーカー
この本が書かれた90年代末の、日本製紙連合会の統計が冒頭で引用されている。紙の年間生産量は世界で3億トン、日本で3100万トン。日本人一人当たり231キログラム。家族5人当たりで見ると1.5トンで24万枚。1日当たり3.2キロ、A4コピー用紙で660枚。(これには前生産量の半分を占める包装用紙やちり紙も含まれる)。
こうした数字から、知的作業に携わる人は1日数百枚の紙を消費していると指摘する。多いように思えるが、よく考えると本や雑誌を一冊買えばすぐ100枚、200枚分を使うわけだ。毎日の新聞紙も量的には多い。数百枚の紙を使うというのは妥当な線だろうと、少し考えて納得した。
50年前は紙の消費量は24分の1だったそうだ。コピー機やプリンタの出現で安易に印刷ができてしまうので、近年、加速度的に紙の消費量が増えたと嘆かれている。毎日数百枚の紙がワークスペースに流入するのだから、どんどん捨てないと大変なことになる。
捨てる理由として、
(1)置き場所がない
(2)不要な書類は雑音になる
(3)脳の活性化
の3つが挙げられている。情報が多すぎると思考が乱されるから大切なのは進歩のための忘却なのだと指針が示される。
■受け入れと破棄二つの「バッファー」で情報フロー制御
「明日以降、新しいものが入ってくる。重要なのはそれを収納する仕組みのことだ」
超整理法の肝は情報を流れでダイナミックにとらえていること。捨てる技術についても、情報というのは日々流れ込んでくることを前提と考えている。だから、年末の大掃除や効率の悪い厳格な分類キャビネット方式を否定する。
特に知的ワーカーは、マニュアル遵守的仕事ではなく非定型な「マゼラン的仕事」に従事することが多いと著者はいう。こうした仕事では、
(1)新しいものに直面する
(2)最初は重要度がわからない
(3)やり直しが発生する
(4)どこが最終段階なのか分からない
(5)いつ不要になったのかも分からない
(6)形式も一定しない
などの特徴がある。入ってくる紙の明確な分類や要・不要の区別はほとんど不可能である。
そこで、著者が考案したのが「バッファー」という発想、保存ごみという考え方。一時的に受け入れるバッファーと、一時的に破棄するバッファーをおこうという方針。具体的には、スミと書いた封筒と、本当に廃棄する前に一時的に保存しておく箱をいくつかつくるというやり方。
(1)一応の処理が済んだと考えられる書類を「スミ」封筒に入れる
(2)古い「スミ」封筒は「バッファーボックス」に格納する
つまり、PCの「デスクトップ」(受け入れバッファー)と「ゴミ箱」(破棄バッファー)に相当するものをリアルの世界に作り出そうということだ。受け入れバッファーはすぐに置けて常に見えてアクセスできる。破棄バッファーは目の前から消せる、取り戻せるという利点がある。
■電子情報は捨てる必要がない、検索と自動分類がカギか
後半は電子情報がテーマになる。紙と違って電子情報は捨てる必要がないし、整理する必要がないと断言する。ゴミ箱と電子ファイリングはナンセンスだと書かれている。この方針は、デスクトップ検索や、アプリケーションの検索機能の高機能化でますます真実になってきていると思う。
電子メールのアドレス帳など作成する必要がないと書かれているが、これは私も同感で、作成していない。年間で何千人とメールをするのにその一覧を作成するのは手間がかかるばかりか、1年で3割、4割のアドレスは変更で死んでしまう。文書も最近ではデスクトップ検索の高機能化で、検索すればすぐに出てくるようになった。
ハードディスクは年々容量が増えている。一人当たり数十ギガバイトが当たり前だし、数年でテラバイトになるだろう。こうなると、スペース確保のためにファイルを捨てる意味はほとんどない(個人情報保護法の対象は別)。
情報のデータベース化だとか、フォルダ整理がパソコンの活用だというのはもはや嘘だろう。そういうことができるのは余程暇な人だ。これからは検索やメタデータによる自動分類といった機能の活用が、今後のパソコン中心の情報整理術のテーマになると思う。
今は文書とメタデータを一括作成・管理する良い方法がないのだが、たとえばパワーポイントの保存機能は気が利いている。ファイルを作成して保存しようとした場合、1行目がファイル名に初期設定で候補提案される。現状、文書メタデータは有効なものがない(MS Officeはファイルに埋め込まれているようだが活用は困難)ため、ファイル名がメタデータ代わりのはずである。だが、現状の保存ダイアログはモーダルダイアログ(他の動作を停止させる)であるので、心理的にすぐファイル名を入れよとせかされる。その場で思いつくいい加減なファイル名を入れるとせっかくのメタデータ付けがうまくいかないことが多い。一行目、タイトル、日付連番などが自動挿入されるのは使い勝手がいい。他のアプリケーションも採用してほしい。
実は「ファイル」や「保存」という概念を失くせばさらに便利になると思うのだが、それは次世代ファイルシステムの頃の話になってきそうだ。
デスクトップの自動分類という点では
・Passion For The Future: 無敵会議第10回 検索会議 満員御礼に感謝 報告第1弾
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002418.html
で紹介した
・Aduna AutoFocus 2005.1
http://aduna.biz/products/autofocus/index.html
は面白い。文書の内容からファイルを自動分類し、可視化する。こうした技術はブックマークの整理にも応用できる。
・ブックマークの技術と可能性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000634.html
結局、手作業でキレイに分類していく方式は情報量が増えてしまうと、PCでも役に立たない。こうした検索やメタデータを使った自動分類の支援を受けることで、さらにデスクトップの生産性はあがっていくと思う。超整理術の3連作を読み終わったが、どれも深い洞察にもとづいていて、古いようでいてPCでの応用の効く新しさも感じるシリーズだった。
・「超」整理法―情報検索と発想の新システム
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003283.html
・続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003325.html