Books-Brain: 2009年10月アーカイブ
3歳の時に事故で失明した男性メイが、46歳の時に手術で奇跡的に視覚を取り戻した。物心ついてから、はじめて見る光に満ちた世界。長年暮らしてきた妻や子供たちの姿を見ることができて感激する。だが46年間の失明状態は、メイの脳に深刻な影響を与えていた。ものが見えるようになっても、それが何なのか視覚以外の手がかりがないとわからないのだ。目に見える世界を解釈するのに大変な努力が必要になった。
これだけ長期的な失明の後に回復した事例は、有史以来20件程度しか記録がないという。メイの視覚や脳に何が起きているのか、正確には誰にもわからない。メイの症例の研究は、人間の脳と視覚の謎の解明に迫る貴重な情報源だった。
メイは雑誌の3ページにわたる折り込み写真を見て「信じられない、この人、体の真ん中に折れ目が入っている」と驚く。紙の折り目が区別できなかったのだ。「いま歩いてくるのは男なのか女なのか」。スカートやアクセサリのようなヒントがなければ男女を見分けられない。だからメイは街を歩く人の性別や美人かどうかを判別して、奥さんに正解を教えてもらう練習をする。
「よーし、こっちに歩いてくる人がいる。髪の長さは中くらいでブロンド。ハンドバッグをもっているみたいだ。お尻を揺らして歩いている」と、メイは分析した。「女性だと思う。セクシーな女の人なんじゃないかな」「よくできたわ、マイク、そう、セクシーな女性よ」
メイは動きと色はうまく見て取ったが、顔の認識、奥行き、物体の識別をたいへんな苦手とした。それらは一目瞭然ではなく、脳が視覚から受け取ったデータを瞬間的、無意識的、自動的に膨大な量の知識を処理した結果、知識が「見る」ことを可能にする要素だったのだ。たとえば脳は対象物の大きさを認識するために 【網膜上の大きさ×距離】を計算しているのだ。メイにはその脳の処理系が欠落している。眼の錯覚にひっかからないのもその証拠だ。
本書は人類史上においても稀有な体験をしたメイの半生のドキュメンタリである。目が見えずとも持ち前の明るさと勇気で道を切り開いてきた子供時代、ぶつかることをおそれず全速力で走った学生時代、生涯の伴侶との運命の出会いと子供たちの誕生、起業家としての挑戦。眼の手術は彼の人生の一部にすぎない。多くの視力回復者は鬱状態に陥るというが、彼は常にポジティブ・シンキングで術後の苦難を乗り越えていく。
実話だがフィクションのような感動的な物語。
・視界良好―先天性全盲の私が生活している世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-616.html
・眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/post-380.html