Books-Brain: 2009年4月アーカイブ

・脳はあり合わせの材料から生まれた―それでもヒトの「アタマ」がうまく機能するわけ
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人間の脳はその場しのぎの改変を重ねてたまたま今の形になったという脳科学+進化心理学の書。原題は"KLUGE"。クルージ(kluge)とは「エレガントにはほど遠く無様であるにもかかわらず、驚くほど効果的な問題解決法」という意味。

ヒトの身体は明らかに最適化されていない。たとえば四足動物の脊椎を二足歩行に転用したため、速くは移動できず、多くの人が腰痛に悩まされている。呼吸と食事のために使う器官を発声に転用したので人間の言語は混乱している。目は受光部が後ろ向きのため盲点が存在してしまう。そして脳には反射や衝動を司る古い部分にのっかって思考を司る新しい部分が加わっているから、純粋な推論が下手だ。

進化の歴史の上でいきあたりばったりに、古い技術の上に新しい技術をぬり重ねたのが、ヒトの身体なのだ。この姿からだけでも全能の神が未来を見越して最適の姿にヒトを設計したわけではないことがわかる(米国で盛んなインテリジェントデザイン説を否定している)。

なんでこんなことになっているのか?著者はヒトがたどった進化の道は「完璧であることが最善策ではない」からだと分析する。「進化は一番高い頂きとは異なる山頂(局所最大)で身動きできなくなっていることも大いにありうる」。四足が最適だった時代は四足であることで最高の山を越えたが、次の頂は二足歩行が最適な山だったというわけだ。複数の山あり谷ありの長い進化の過程では、不完全もまた良策ということになる。

最後に進化した脳は、高い山頂と次の山頂の間で身動きできなくなったクルージの代表例である。私たちはコンピュータのように論理的に考えることが苦手である。論理的に考えるには相当の訓練を必要とする。そうでなければ感じたことを信じてしまいがちだ。その理由は、ヒトは知覚に使われていた装置を思考に転用したからだという。我々が日常に目にするものの大半は正しい(見たものは存在する)わけだから、とりあえず見たものを信じることで生き残ることができた。

「最適にデザインされたシステムならば、信念と推論(やがて新しい信念になるもの)の導出過程は別個に保たれ、両者のあいだを鉄の壁が隔てているはずだ。そのような系では、直接証拠のある事柄と、単に推論で導き出したものをたやすく区別できるだろう。ところが、進化はヒトの心が発達する過程で別の経路をたどった。ヒトが完璧に明示的な形式論理論をさほど内省することもなく、無意識のうちに行っていたに相違ない。リンゴが食べられるなら、たぶんナシも食べられるだろうといった具合に。」

進化上で古い"反射型システム"と、新しくできた"熟考型システム"の二つから人間の脳はできあがっている。動物的な反射型システムのふるまいを研究することによって、ヒトの進化の過程や脳の動作原理の解明ができるはずだという。

「熟考を要する決断を、意識を持たない反射型システムへと毎度のように委ねるのは賢明な策ではない。反射型システムは脆弱だし、バイアスにもたやすく染まる。反対に原初の反射型システムをすべて捨て去るのもまた愚かな振る舞いである。<中略>反射型システムが日常の処理に優れる一方で、熟考型システムは経験したことのない事態に対処するうえでの助けとなる。」

そして二つのシステムの長所を組み合わせる方法論を13の叡智としてまとめている。不完全であり多様であることが種としては最善の戦略なわけだが、個としてはその不完全さを克服していかねばならないということ。結局、それが人生が思うようにならない理由のような気がしてきた。