Books-Brain: 2008年1月アーカイブ
「私たちの感覚世界へのアウェアネスは、実際に起こった時点からかなりの時間遅延することになります。私たちが自覚したものは、それに先立つおよそ0.5秒前にすでに起こっていることになるのです。私たちは、現在の実際の瞬間について意識していません。私たちは常に少しだけ遅れていることになるのです。」
認知科学で有名な意識の遅延に関する理論を、研究の第一人者の認知心理学者ベンジャミン・リベット自らが一般向けに語っている。この理論によると。私たちが意識の上で「今」だと感じている瞬間は正確には0.5秒くらい前なのである。
「自由で自発的なプロセスの起動要因は脳内で無意識に始まっており、「今、動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ400ミリ秒かそれ以上先行していることを私たちは発見し、明らかにしました。」
何かを意識にのぼらせるには、脳の電気的な準備プロセスが必要で、それに必要な時間だけ意識は遅延する。0.5秒というのはかなり長い時間なので、「人それぞれの性格や経験が、それぞれの事象の意識的な内容を変えてしまう可能性」もあるのだという。認識の個人差、感受性の違いの根本原因は、この意識の遅延にこそあるのかもしれない。
リベットらの意識の研究によって、人間の行動には無意識が支配している部分も多いことがわかってきた。たとえば自転車を走らせていて子どもが飛び出してきたとする。この場合、人間は150ミリ秒くらいでブレーキを踏んでいる。危ないからブレーキを踏まなければと意識が思うのは500ミリ秒くらいの、実際に踏んだ後なのである。
なんだか不思議に思えるが、さらに日常の発話も無意識におう所が大きいらしい。確かに私たちは次に何を話そうか、どんな単語を使おうかと意識で考えないでも、自然にぺらぺら言葉を繰り出している。
「発声すること、話をすること、そして文章を書くことは、同じカテゴリに属します。つまりこれらのことはすべて、無意識に起動されるらしいということです。単純な自発的行為に先行して、無意識に始まる脳の電位変化は、また話したり書いたりといった類いの他の自発的行為にも先行するという、実験的な証拠がすでにあります」。
「話された言葉が話し手が意識的に言おうとしていたこととどこか異なる場合、通常話し手は自分が話したことを聞いた後に訂正します。実際に、もしあなたが話をする前に一つ一つの単語を意識しようとすると、あなたの話す言葉の流れは遅くなり、ためらいがちになります。流れがスムーズな話し言葉では、言葉は「ひとりでに」現れる、言い換えれば、無意識に発せられるのです。」。楽器の演奏もおなじだそうである。
表現行為の多くが無意識の創作を意識が追認していくプロセスだというのは、私たちの経験に照らして正しそうに思える見解である。自然な動作はたいがい「ひとりでに」おきる。自由意志、顕在意識が行う行為は人間の行動の中では案外、限定的なのであるということがわかる。私たちは自由意志で生きていると思っているが、無意識の結果を追認しているだけのようにも思えてくるのである。
当然のことながら、このテーマを突き詰めると「人間に自由意志はあるのか」という哲学的な問いに収斂する。第6章の「結局、何が示されたのか」ではリベットと心脳論の祖デカルトが仮想的な対話をする趣向が用意されている。ここで意外にもリベットは自由意志や魂の存在を否定せず、理論的にその存在の余地を残そうと努力している。
リベットは脳科学、認知科学の本にしばしば研究内容が引用されているが、本人の著作も実験結果の分析にとどまらず、哲学的な問題意識で書かれていて、相当面白いものであった。
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
リベットらの研究をベースにして意識科学を総合する大傑作。
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html
この本のタイトルから「ドアーズ」という伝説のバンド名が生まれ、その内容は往年のサイケデリックムーブメント、意識革命、ニューエイジ運動の火付け役ともなった。
オルダス・ハクスリー(1894-1963)は、立会人や録音装置を前に、幻覚剤メスカリンを服用して、自らの精神が変容していく様子を記録した。薬が効き始めると、時間や空間の認識が弱まり、代わりに事物の存在度の強さ、意味の深さ、パターン内部の関係性が強く認識されるようになった。そして「すべてが<内なる光>に輝き、無限の意味に満たされている世界」を発見した。
ハクスリーは化学的な力を使って「知覚の扉」を開くことができること、それは芸術家や宗教者たちに創造的インスピレーションを与える超越的なビジョンと同質のものであると語る。「偏在精神(マインド・アット・ラージ)」と「減量バルブ」という二つの概念を使って、人間の内部意識と外部世界の関係を見事にモデル化している。
「人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に近くしたり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである。」
見たもの、聞いたものをすべて記録し再生する潜在能力を、ハクスリーは<偏在精神>と呼んだ。これは特別な力ではなく、人間がみな持っている基本能力であるという。
「この<偏在精神>は脳および神経系という減量バルブを通さなければならない。このバルブを通って出てくるものはこの特定の惑星の表面にわれわれが生き残るのに役立つようなほんの一滴の意識なのである。この減量された意識内容に形を与えそれを表現するために、人間は言語と名付けられている表象体系とそれに内在する哲学を創り上げ絶えず磨きをかけてきた、個人はすべて各自がそこへ生まれおちた言語慣習の受益者であると同時に犠牲者である。」
こうした理論のもと、ハクスリーは脳内の化学作用で減量バルブを制御することで、人間は世界に潜在する豊かな意味を、自在に知覚することができる、意識を拡張することができるとした。
超越的ビジョンをみる芸術家や宗教家は、意味にあふれた「素晴らしい原存在」を、脳の減量バルブを迂回するパイプを通して、直接に受け取ることができる人たちなのだ。そのために必要なのは精神修行か薬であるとハクスリーは結論する。
古代人は栄養不足に置かれることが多かったから、現代人よりも変性意識状態に陥りやすく、幻覚を見ることが多かったのではないか、という後半の考察も興味深かった。原始宗教の発生や、宗教の衰退の説明として説得力もあった。
サイケデリックムーブメント、ニューエイジ運動、サイバパンクなどのサブカルチャーの背景にある基本思想を確認したいという動機で読み始めたのだが、全編を通して勉強になるというより、非常に面白かった。この本、決してオカルトではないのである。かなりまっとうな科学であり、哲学であり、総合的な思想の本だったのである。
・すばらしい新世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004977.html
作家ハクスリーの代表作。逆ユートピア小説。
・ジョン・C・リリィ 生涯を語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004756.html
・脳と心に効く薬を創る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002497.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・脳はいかにして"神"を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html