2008年03月30日
心の科学 戻ってきたハープ
不妊治療を受けている女性を二つのグループに分け、一方のグループは他者からの祈りを受ける、他方は受けない。被験者及び現場の治療スタッフはこの実験が行われていることを知らない。二つのグループの妊娠率を計測した。すると「実験の結果は驚異的だった。祈りを受けた女性群の妊娠率は、受けなかった女性群の二倍に近かった。数値はそれぞれ50%と26%で、このようなことが起こる確率は0.0013未満。非常に意味のある統計差だ」。
こんな実験もあった。被験者を画面の前に座らせて好きなときにボタンを押させる。すると数秒後にランダムに「感情的を揺さぶる写真」か「静かな写真」が表示される。被験者は手に電極をつけて生体反応を計測される。「これまでの実験には131人の参加者がいましたが、それで判明したのは、感情的な写真を見る前は、静かな写真を見る前よりも、わずかに汗をかく量が増えることです」。こうした実験では、その予知のタイミングを調べると、コンピュータが乱数発生回路を使って、次に出す内容を決める前に、生体反応が検出されるという。
著名な心理学者が、祈りの効果、虫の知らせ、ジョー・マクモニーグルらの未来予知、行方不明者や遺失物を発見するダウジング、テレパシーなどの超常現象を徹底分析する。昔から科学者によってこうした実験が行われてきたが、多くの驚異的な結果報告は、非科学的であるとされて科学の表舞台に出る前に排斥されてきた事実を著者は事例を多数挙げて解説する。
心理学者が書いた本らしい興味深いロジックがあった。それはゲシュタルト認知のあり方を、科学と超心理学の関係になぞらえた次のような記述だ。(認知心理学の実験でよく使われる、見方によって複数の解釈ができる影絵が挿絵にある。)
「もう一つ、ゲシュタルト心理学者によって明らかになったことがある。それは見える絵......たとえば杯か横顔か......を切り替えるのは、慣れれば上手くできるようになっても、両方を同時に見ることはできない、ことだ。つまり、杯と横顔は同時に前景にはなり得ない。一つの見方で知ったこと、もう一つの見方で知ったことを統合できれば役立つことがわかっていても、同時に二つを見るように知覚を働かせることはできない。」
異なる宗教を持つ人の世界理解にも同じことが言えそうである。ある世界観を持つということは、別の世界観を見えなくしている。重要なのは二つの世界観が両立するメタ世界観を確立すること、二つの見方ができる眼を持つことだ。
超能力や超常現象の報告を詳細を調べもせずにすべてナンセンスだとして排斥してしまうのは、合理的、科学的な考え方とはいえないと思う。99%以上はナンセンスなのだろうけれども、科学の歴史は本流の科学者の考え方を異端とされていた研究がひっくり返す歴史でもあった。
あとがきで訳者がこう書いている。「ある面で、これに不思議はないかもしれない。なぜならテレパシーや予知、透視や念力などの体験は、人類に共通しており、古今東西、あらゆる文化圏において普遍的に報告されているからだ。」。
・幽霊を捕まえようとした科学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005228.html
2008年03月07日
サイレント・パワー―静かなるカリスマ
社会的に中堅になるとペラペラ自己主張をしゃべることが必ずしもプラスに評価されなくなるものだ。実力も実績もあって当たり前。安定や落着きこそ求められる。この本は静かなカリスマが持つオーラ「サイレント・パワー」とは何か、どうしたらそれを身につけられるかを語る、スピリチュアル要素50%の指南書。
他人と違う雰囲気、自然に惹かれる魅力を持った人は何が違うのか。それはまず心の持ち方が違うのだ、寄りかからないことが大切なのだと著者は次のように最初のステップを教える。
1 自分のものでないものに寄りかかるのを止めること
2 未来に寄りかかって、いつも先のことばかり話すのをやめること
3 他人に何も要求しないですむような人生を設計しよう
そして寄りかからないためには、個人的なことはあまり詳しく人に話さないようにすること、心理的に相手の下に入るようにしてみることが重要なのだという。
「だから、人と張り合わないように、会話に気をつけることだ。誰かがフランス旅行に行った話をしてきたとしよう。もしあなたがフランスに二十年間も住んでいたことがあったとしても、そのことは口にしないことだ。ただ、相手の話を聞けばいい。そう心がけることで、あなたはだんだんと、人の下に入る会話スタイルを身につけることができるようになる。」
ただのしゃべらない人と、サイレントパワーのある人の違いは、内に秘めたエネルギー量の違いらしい。この本ではスピリチュアル用語の「エーテル」として説明されている。科学的にはともかく、自信があるかないかは、しゃべろうがしゃべるまいが自然に態度に現れてくるというのはわかる気がする。
「最大の防御は、他人に対する批判や判断をできるだけ控えることだ。恨みや、憎しみ、反感を持たないようにしよう。防御すべきものを持たないことこそ、最大の防御だ。」
隙をなくして、ゆったりと構えよ、そういう人にサイレントパワーは備わるということみたいだ。「カリスマ性」という言語化しにくいものを、感覚的にとらえることができる面白い本である。
2007年10月16日
事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか
交通事故はなぜ起きるのか、事故を起こしやすい人とはどんな人か。著者自身と世界の学者の近年の研究成果を多数引用しながら、交通心理学者として科学的に結論できることを書いている。
運転者には事故を繰り返す事故多発者というグループが存在するそうだ。
事故多発者には以下の特徴がある。
・安全への動機づけ(価値観)が低い
・注意がうまく機能しない
・隠れた刺激を見つけない(危険の予兆の発見ができない)
・自己認知が的確でない
・反応が突出する
こうした事故多発者は適性検査によってある程度事前に判別できるという話が興味深かった。適性検査は「なにを計測しているのかわからない」という批判がなされるにも関わらず、なにかを計測しており、判別結果に有意性が見いだせるというのだ。
「事故に好かれる状態は人生のある一定期間持続することがある。自己多発者は、車社会に参加する際の安全への動機づけが希薄な人である。自己を避けるためには危険をあらかじめ察知し、回避できなければならない。そうであらねばならないと思っても、なにしろ人間は言行不一致で、合理性は徹底しない。さまざまな危険に同時に遭遇したときに、注意の配分バランスが崩れたり、反応の一部が突出する。いつのまにか認知や反応に偏りが生じることがある。それを防ぐには、絶えず自己モニター機能を働かせ、自分の状態を監視する必要がある。そうでないと事故に好かれてしまう。」
事故に好かれる一定期間を経過すると、事故を起こさなくなったりするそうである。毎日長時間車に乗るタクシー運転手を調べたところ、少数特定の運転者に事故が集中していることがわかった。長期の調査を行ったところ、事故多発の傾向は、一生継続するわけではなく、数年間程度の持続した後に、事故を起こさなくなるものらしい。
そして、事故の当事者になりやすい(事故に好かれる)人は若者、女性、老人である。特に10代の事故が突出して多い。他の年齢層の倍以上である。
「年齢と性とで区切った免許人口のなかから、死亡事故の第一当事者となった人がどれだけでたかの発生率が死亡事故惹起率である。有責死亡事故率という呼び方もある。各カテゴリーの死亡事故の件数を免許保有者の人口で割って、免許保有者一万人当たりの死亡事故の発生件数としたのが図中の縦軸(死亡事故惹起率)である。たとえば十八〜十九歳の男性の免許保有者一万人のうち八人弱が死亡事故を起こしたということになる。」
若者の死亡事故惹起率は世界で共通して高く、その理由に俗説は多いが、科学的にはわかっていないと著者は正直に述べている。この本全体を通して、著者は統計や実験から、科学的に結論できることを慎重に選んで結論を述べているところが、良印象をもてた。事故の調査分析の手法を知る上でも参考になる点が多い本だ。
2007年09月03日
超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ
・超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ
UFOや超能力を信じていなくても、占いやジンクスは信じている日本人が多い。テレビでは毎朝、星座占いが放送されているし、大安吉日には結婚式が多い。60年周期の丙午の年に生まれた女性は夫を食うと言われて出生数が減少する。前回の1966年の丙午は出生数が27%も減少したそうだ。その前の1906年(明治時代)には減少は12%だったそうだから、科学的教育が行き届いた現代の方が迷信を信じてしまったことになる、と著者は述べている。
テレパシーは存在するか、生まれ変わりはあるか、死者の霊は存在するか、という超常現象に関する調査を大学生向けに行うと多くの項目に肯定的な回答が集まった。文系よりも理系の方が超常現象を、科学的推論の帰結として肯定する学生が2割も多かったらしい。不思議現象を信じる心理は、無知や教育の欠如から生まれるとは限らないのである。
「不思議現象を実際に体験することこそが、確信とも言えるほど強力な信じ込みを生みだすことがある」と著者はその超常現象信仰の原因を指摘する。そして、視覚の錯誤、認知の錯誤、記憶の錯誤、推論の誤り、不思議を信じたがる心理など、人間が、何らかの体験から、超常現象を信じ込んでしまう理由を、わかりやすい例をたっぷりと挙げて説明してくれる。
認知バイアスの話が面白かった。
「私たちは、目立ったことが二つ続けて起こると、単にその二つのできごとが目立つという理由だけで、両者の間に関連性があると判断することがよくあるのです。」
「人やできごとなどを集合で考えたときに、多数の要素が備えている特徴に比べ、少数の要素に特有な特徴はより目立って認知されます。」
「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」というロジックで治療を評価することは「三た論法」と呼ばれて厳しく戒められています。」
つまり、私たちは普段は合理的に考えていても、日常体験の中で起こる珍しい出来事があると、起こりやすさの確率の見積もりに失敗しやすいということなのである。たとえば、ある人が夢の中に出てきて翌日にその人が死ぬということは、確率的には大都市では毎晩何件か発生する。たまたま自分がその体験者になると「夢のお告げ」だと信じやすい。夢は見たが何も起こらなかった大多数の事例は、注目されることがないので、なかったことになる。
「しかしもうおわかりのように、幸福グッズを買ったから幸せになれたと言いたいのなら、つまり両社に因果関係を主張するのなら成功した例をいくら並べてもあまり意味はないのです。正しく判断するために必要なのは、買ったけれども幸せにならなかった人、買わないけれども幸せになった人がどれくらいいるのかについての分割表です。残念ながら、こうした情報が掲載されることはまずありません。」
そういった知覚や認知、思考の錯誤は、ありがちなことをすばやく推測することで、日常生活をうまくやるために発達してきたものらしい。日常的な問題は「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」で思ったことが当たりなことが多いわけだ。
で、思うのだが、人間が感じる幸福感というのも、同じような錯誤の一種である可能性もあるのじゃないかと、ふと考えた。運命の人と出会って結ばれた人生、九死に一生を得た人生、稀に見る波瀾万丈の人生。人生のドラマを感じる心は、冷たい確率計算を超えたところにあるし、そう思うことが生きる知恵のような気もする。「ありがたい」ことをたくさん感じるために、こういった欠陥が人間にビルトインされているのかもしれない。
著者は必ずしも超常現象を否定しているわけではなく、「私は体験したのだから、不思議現象(霊でも超能力でも)はたしかに存在するのだ」と考えるとしたら、その考え方が誤りだと」いう。知覚や認知の錯誤、思考バイアスの事例が満載で、面白く読み進められる本である。
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・霊はあるか―科学の視点から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002003.html
・科学は臨死体験をどこまで説明できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004528.html
2007年08月07日
群衆心理
1895年に書かれた群衆心理学の古典。ル・ボンは、「これからは群衆の時代になる」と20世紀の展開を正しく予言した。すぐれた研究であるが故に、現実の独裁者にも参考にされ、ヒトラー、ムッソリーニ、レーニンらが好んで引用した本でもあった。
群衆は衝動的で、動揺、興奮しやすく、暗示を受けやすい。物事を軽々しく信じてしまう。指導者の言葉がうみだす心象(イマージュ)に操られてしまう、など、群衆の一般的性質と特殊的な性質、その原因を説明する。出版から100年以上が経過し、メディアやコミュニケーション手段はめざましく発達したが、群集心理の基本はここに書かれた状態とあまり変わってはいないようだ。
群集心理を操る指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかけることで、抗いがたい心象(イマージュ)を人々の心の中に呼び起こす。断言、反復、感染というテクニックがその扇動効果を倍増させる。現代でも使われている選挙の公約や、社会運動メッセージの技術である。
「道理も議論もある種の言葉やある種の標語に対しては抵抗することができないであろう。群衆の前で、心をこめてそれらを口にすると、たちまち、人々の面はうやうやしくなり、頭をたれる。多くの人々は、それらを自然の力、いや超自然の力であると考えた。言葉や標語は、漠然とした壮大な心象を人々の心のうちに呼び起こす。心象を暈す漠然さそのものが、神秘な力を増大させるのである。言葉や標語は、会堂の奥深く隠れて信心家がびくびくしながら近づく、あの恐るべき神々にも比せられよう。」
」
歴史を動かす英雄や独裁者の本質を見抜いた記述が見事だなと感動した。
「指導者は、多くの場合、思想家ではなくて、実行家であり、あまり明晰な頭脳を具えていないし、またそれを具えることはできないであろう。なぜならば、明晰な頭脳は、概して人を嫌疑と非行動へ導くからである。指導者は、特に狂気とすれすれのところにいる興奮した人や、半狂人のなかから輩出する。彼等の擁護する思想や、その追求する目的がどんなに不条理であろうとも、その確信に対しては、どんな議論の鋭鋒もくじけてしまう。軽蔑も迫害も、かえって指導者をいっそう奮起させるだけである。一身の利益も家庭も、一切が犠牲にされている。指導者にあっては、保存本能すら消えうせて、遂には、殉教ということが、しばしば彼等の求める唯一の報酬となるのだ。強烈な信仰が、大きな暗示力を彼等の言葉に与える。常に大衆は強固な意志を具えた人間の言葉に傾聴するものである。群衆中の個人は、全く意志を失って、それを具えている者のほうへ本能的に向かうのである。」
つまり、政治家になってほしい、と思われるような理性的でマトモな人は、歴史的変革の指導者にはなりえない、ということでもある。指導者は、自身の信念を盲信しているからこそ、群衆を従えるだけのパワーを持っている。その後の日本や世界の有力な政治家を振り返っても、そういった傾向はあるなあと思う。
煽動されたくない人と、世界征服や独裁者を目指す人、共に必読の古典である。
2007年07月18日
妄想に取り憑かれる人々
最もふさわしくない場面で、最もふさわしくない「おぞましい想念」を考えてしまう精神状態に関する、強迫性障害の世界的権威の書いた一般向けの心理学の本。
ここでいうおぞましい想念とは、たとえば、
・誰かがこの地球上から消えてなくなるよう切に願う想像
・幼い子供や老人を残虐な暴力の犠牲にしたくなる衝動
・パートナーを痛めつけるような性行為への衝動
・動物とセックスをする空想
・公共の場でみだらなことを口ばしる衝動
というような妄想である。これらは攻撃的なもの、性的なもの、宗教への冒涜的なものの3カテゴリに大別できるそうだ。
高層ビルを見てそこから飛び降りること想像したり、自分が子供を橋から投げ落としてしまうのではないかと考えたり、女性を見てレイプすることを想像してしまったりする人は意外に多い。これが日常的に起きる強迫性障害に該当する人は、少なく見積もって米国の人口の1%で200万人以上いると著者は推計している。軽微ないけない妄想くらいならば、さらに多くの人が考えている。
そして、おぞましい想念を思い浮かべる人たちは、ほぼ間違いなく、実際には、その行為には及ばないという。むしろ、場にふさわしくないことを考えてしまうことを悩んで一生を過ごす。この本には、そうした普通の人たちのおぞましい想念の実例が多数紹介されている。
進化論的見地からすると、これらの妄想は次のような意味を持っていたと著者は述べる。
・「セックスのことをしょっちゅう考えていた祖先の方があまり考えなかった祖先よりたくさん子孫を残した」
・「攻撃的な男性の先祖が、グループのリーダーになる傾向があった」
・「幼いわが子に恐ろしいことが起きるという、残虐な想像をすればするほど、母親はわが子の安全を確認するために頻繁に点検する」
同時にこれらの想念を抑制する機構も進化の過程で発達した。だから、人間だれしも不適切な考えを持つことはあるが、実行に移してしまう人はほとんどいないのである。本当にやってしまうかどうかは、その人の過去の行為が最高の予測因子となるそうで、過去にやっていないならば、これからもやらないと考えてよいから安心しなさい、と著者は断言している。
ただ思考は過度に抑制しようとすれば強化されてしまうというこころの仕組みが存在する。たとえば「1分間キリンのことはまったく考えないこと。キリンが頭に浮かぶたびに手を挙げること」という思考抑制の指示を与えると、人はキリンのことを普段よりも考えてしまうそうである。考えてはいけないことを消し去ろうとすることで、逆に強化してしまうのだ。こうしてイケナイことを考える自分に悩む人が増える。
この本の後半は「おぞましい想念を治す技法」がたっぷり解説されている。最良の方法はなんと、いやというほどその想念と向き合わせる暴露療法であった。その人が恐れる状況を逃げ場がないような状況で体験させたり、人を殺したりしてしまう妄想の最悪のシナリオをテープに吹き込ませて、毎日何度も聞かせたりする。おぞましい想念は飼いならして、想起してもスルーできるようにするのが最良の解決策だそうである。
頻度や深刻さの差はあるだろうが、イケナイ妄想ってほとんどの人が経験があるものだと思う。こういう妄想力は、創作には不可欠だろうし、ユーモアや笑いの背景にも「考えてはいけないこと」が前提されている場合が多い。そうした人間心理のメカニズムや制御方法がわかりやすく書かれていて大変興味深い内容だった。
2007年06月10日
眼の冒険 デザインの道具箱
図版約400点(内カラー110点)を使った、ビジュアルデザインのカタログ的なエッセイ集。雑誌「デザインの現場」連載42本に加筆したもの。各章のテーマは「線の乱舞」「縦と横」「デシメトリ」「周辺重視」「覆う、包む」「縦書き」「!と?」といった感じでバリエーションが広い。それぞれに近現代の優れた作品の、眼をひく写真がいっぱいある。
まさに目の冒険ができる本だ。
デザインは時代の空気を表すことが多い。
「前述したように流線形デザインがはやった1930年代、角張ったエンジンなどに、流麗な外皮、ボディを纏わせて、実際の実力はともかく、いかにも速そうにみせようとする工夫が、あらゆるデザイン領域を席捲していた。これは二十世紀初め、機械技術の進歩がもたらした新しい概念「速度」の視覚化をめざした結果だった。そのムーヴメントの立役者でもあるインダストリアルデザイナーの草分けレイモンド・ローウィは、列車のサイドに数本の横ストライプを描き込むことで、「速度」感の獲得に成功した。いわば十九世紀までのキリスト教を中心とした縦社会に対する、「横」によるアンチテーゼ、モダニズム的攻撃のようにも思える。」
今でも電車のデザインは大抵は横ストライプである。縦ストライプの電車ってあるだろうか。やはり、進行方向の横に線を引くと動きがイメージされるからだろう。機能的には同じものも表面塗装の違いでずいぶん印象が変わるものだ。そういえば知人が「中央線は機関車トーマスの顔を先頭車両に描くといいですね」と言っていた。飛び込み自殺者が減るだろうとのこと。ニコニコ笑った機関車トーマスに轢かれて最期を遂げたい人はいないだろう。実際に効果がありそうだ。
独裁者は大衆心理をイメージで操る。ナチスのニュルンベルク党大会の光のモニュメントの写真は見事である。闇にちらちらするサーチライトは催眠効果をもたらしたという。
北朝鮮のマスゲームも視覚的に大きなインパクトがある。国家レベルの壮麗なビジュアルデザインには気をつけないといけないのかもしれない。
この本にはこうしたカラー写真がたくさん収録されていて図鑑のような楽しさがある。プロダクトデザインのネタ帳としても使える面白い一冊。
2007年06月05日
考えることの科学―推論の認知心理学への招待
抽象的で形式的に表現された問題と、具体的で日常的に表現された問題。どちらが解きやすいだろうか。普通に考えれば後者の方が易しそうだが、必ずしもそうではない。この本では、こんな古典クイズが引用されている。
「坂道を荷車で重そうな荷物を運んでいる二人がいた。前で引いている人に「後ろで押している子どもは、あなたの息子さんですか」と聞くと「そうだ」という。ところが、その子に「前にいるのは、あなたのお父さんですか」と聞いたら「違う」というのである。いったいどういうことなのだろうか」
これは前で車を引いているのが母親であると考えられれば何もおかしなことはない。しかし、荷車を引くのは普通は男の仕事だという思い込みがあると、混乱してしまう。同じ問題をXやYで表していたら、混乱は少なくなるだろう。
「ある街のタクシーの15%は青で、85%は緑である。あるときタクシーによるひき逃げ事件が起きた。一人の目撃者の証言によると、ひいたのは青タクシーであるという。ところが現場は暗かったこともあり、目撃者は色を間違えることがありうる。そこでこの目撃者がどれくらい正確かを同様の条件下でテストしたところ、80%の場合は正しく色を判断できるが、20%の場合は逆の色を言ってしまうことがわかった。さて、証言通り青タクシーが犯人である確率はどれだけだろうか。」
正解はベイズ理論で41%だが、多くの被験者が80%に近い回答をしてしまうそうである。人間の直感は事前確率を無視する傾向があるという。たとえば珍しい病気の症状に、自分や患者の症状が一致すると、その病気だと思い込んでしまうということがある。「典型的な症状であるが、まれな病気」よりも「典型的症状とはいえないが、よくある病気」の可能性の方が高いのに。
上のような、ひっかけ問題も落ち着いて考えれば、多くの人が正解できるはずだが、日常の直感的判断では、領域固有の実用的推論スキーマや、ヒューリスティックス(経験から学んだうまいやり方)が使われるが故に間違うことが多いと著者は述べている。
人間の日常的な推論は、認知的な制約や感情的な要因が入っていて合理的といえない結論をしてしまうことがありがちだ。著者は多くの実例を出しながら、人間の認知の欠陥を指摘していく。簡単な論理式や図を使って、わかりやすく且つ厳密に説明してくれるので、読みやすくて勉強になる。とても面白かった。
2007年05月17日
心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション
この人はどこまで本気なのだろう?と眼が離せない脳機能学者 苫米地英人氏の近刊。幅広い分野で活躍する同氏はカルト宗教信者のマインドコントロールを解除する方法の研究でも知られる。
「他人を動かす方法は、基本的に人参ぶらさげ式でしかありません。人参をぶらさげる高さは、相手の視点の高さに合わせます。視点の低い人には低い位置で、高い人には高い位置でぶらさげるのです。」
「しかも、相手が意識している空間ではなく、無意識の空間にぶらさげることが重要です。相手に気がつかれたら「何かやってるなぁ」と思われてしまいます。」
「ですから、意識の空間での論理的判断をされることを防ぎます。防いだ上で、人参をぶらさげるのです。相手に気づかれてはいけないのです。相手の意識している空間は、意識されているがゆえに操作できません。無意識の空間だからこそ操作できるのです。」
ということでゲシュタルト操作が人を動かすには有効であると論じる。
ゲシュタルトとは部分の総和として全体を理解するのではなく、全体と部分の双方向的関係を認知する脳のはたらきのこと。こういうと難しくなるが、日常、私たちの心に浮かぶ多くの事柄は、100%要素に還元できないイメージなのであって、脳の情報空間はゲシュタルトの操作系なのだである。
「例えば、数学者と多次元空間や虚数空間の話していると、「このあたりが......」などと言いながら、空中の何かを触るような仕草をします。けれども、多次元空間や虚数空間を、この世界で触れるわけがないのです。あくまで抽象的なものです。ところがそれができる、ということは、情報空間を、臨場感をもって体感している、ということです。」
こういう抽象的感覚はわかる気がする。たとえば、私は、日常で物事がうまくいっているときは瑞々しく濡れている感覚がある。逆に万事うまくいかないときはかさかさになっている感じがある。かさかさのときに、心に響く言葉と出会うと、瑞々しさを取り戻せる。何がかさかさなのか?と言われても説明できないのだが、私にとっては極めて臨場感のあるイメージだ。高次の情報空間のゲシュタルトの問題なのだろう。
そうしたゲシュタルト操作の基本として、
「相手を自分の臨場感の世界に引きずりこむためには、その人の臨場感に対して記述をすればいいのです。言葉を使わないやり方もありますが、言葉を使うと簡単です。相手の体の状態に対する記述をするのです。」
と著者は教えている。
たとえば何気なく座っているときに「イスの感触を感じていますね」と言われると、人はそれを意識するが、椅子に座っている自分の意識は、そのとき作られたものである。「この本」と言われてその本を見ると、それは相手が記述した世界の本を見てしまう。こうして、相手のリアリティ(R)を記述によって揺らいだリアリティ(R´)に置き換えて、R´を操作する方法論の概要を紹介している。
認知心理学、脳科学、情報科学、組織論、宗教、洗脳術など著者の得意分野が、リーダーのためのマインドコントロール術に体系化されている。著者の断定口調には反発を感じる部分もあるのだが、読み進めるうちに、次第にそうかなあと思ってきたりする。まずい。操作されているかも。
2007年03月21日
好かれる技術
ビジネスマン(男女)の身だしなみ、姿勢、ジェスチャー、カラーコーディネートなど言葉以外のコミュニケーションの秘訣について、イメージコンサルタントがわかりやすく図解で教えてくれる本。
見た目で好印象であることは、話を聞いてもらうための大前提だと思う。個性は大切だが基本も重要である。握手の仕方、微笑み方、うなずき方、足の組み方、スーツの選び方など、成功例と失敗例、それぞれどのような印象を与えるかについての具体的な解説がある。
「人間は先端が気になるものです。「髪」「足元」「手」。この3点は誰もが目がいくところですから、キレイで清潔でなければいけません。」
かっこよく見えるためのベースとなる姿勢や立ち居振る舞い。自意識過剰はかっこ悪いが、他者からどう見えているかを意識することが、イメージ改善の鍵になる。「鏡をよく見ている人と見ていない人とでは、よく見ている人の方が男女とも自己意識が高まり、その人自身の行動がより望ましい方に変化した」という心理学の実験結果があるそうである。
ところで、私もエラそうなことが言えない勉強中の身であるが、この数年でひとつだけ意識的に直したポイントがある。長年の癖だった貧乏ゆすりである。これを人前でまったくしなくなった。損だからである。
この癖は親しい人から注意されても止める気がなかったのだが、仕事の微妙な交渉の場で相手が神経質そうに貧乏ゆすりを始めたことがあった。それを見て私は「この議論勝てるな」と思ってしまった。そして実際に勝ってしまった。貧乏ゆすりはあからさまにイライラや不安を表に出してしまう不利なボディーランゲージだと気がついた。それ以来、相手が貧乏ゆすりをはじめると内心ニヤーっとしてしまう。自分は絶対にしないようになった。
実利的な損がわかると悪い癖をやめやすい。
最近はやっていないが学生時代は徹夜マージャンをよくした。当時の私のマージャンは喰いながら染めて大きめで上がる戦略なので、他のメンバーに手の内を読まれると失敗する。ポーカーフェイスが重要である。しばし連勝したが、あるとき、一向に勝てなくなったのでどうしたものかと思っていると、ふと友人が「橋本さん、テンパイ(もう一枚でアガリ)になるとタバコに火を点けますよね(笑)」ともらした。愕然とした。
そうだったのか。テンパイ前後でも黙らないように気をつけたり、牌の昇降順を毎回変えたりと工夫していたのに、他のメンバーには私がライターをカチリと点ける音だけで気取られてしまっていたのである。
マージャンも一種の交渉であるから、材料がわかれば利用できる。以後、私はタバコを吸わないのではなく、タイミングをずらすことにした。テンパイが遠いのに火をつけてみたり、黙り込んでみたり。かく乱戦術によって勝率はまた向上した。そういった意味では相互情報下であれば、タバコも貧乏ゆすりも、わざと使うという手もあるのかもしれない。
大切なのはボディランゲージの基本は何か、それを見るものはどう思うかを把握しておくことなのだと思う。そのうえでやりたいようにやればいいのだと思う。そのための基本がこの本にはいっぱい図解で収録されている。
2007年03月16日
夢見の技法―超意識への飛翔
著者のカルロス・カスタネダは、ニューエイジ運動のカリスマであり、この本はスピリチュアル系のオカルト本である。メキシコのインディアン呪術師に師事して、夢見の技法を修得するまでの著者の15年間の体験を綴っている。夢見の技法とは、夢を完全に意識でコントロールすることによって、高次元の世界と接触する古代呪術である。
呪術師の教えによれば、すべての人間は右肩甲骨の2フィート背後に光輝く「集合点」を持つ。その光は呪術師にしかみることができないが、集合点には宇宙エネルギーが集まり、その状態が人間の世界認識に影響を及ぼしている。これは光とレンズと写像の関係に似ていると思った。レンズとしての集合点が動けば光エネルギーの受け方が違った形になって、異なる世界認識の像を与えるのである。
普通の人間はみな同じ位置に集合点が固定されている。だから通常は固定観念を離れることができない。だが、夢を見ている間は第二の注意力と呼ばれる超常意識状態を得ることができ、集合点をずらすことができる。意識を覚醒させたまま夢を見ることで、集合点をずらしたまま保つことができるようになると呪術師は教える。
この本はオカルトであるが、これに似た明晰夢という現象が実際にある。世界のいくつかの部族は訓練を積むことで夢の内容を意識で制御し、見たい夢を見ているそうである。心理学や意識科学の研究者が検証したりもしていて、本当のことらしい。(夢の内容は自己申告だから研究者のいうこととはいえ、それが本当かどうかを証明することは難しそうだが)。
呪術師は変性意識を自由に操るうちに、高次元の世界を知る。すべてはエネルギーであり、形あるものは実在ではなく、物の見方によって移り変わる幻影にすぎないと悟る。そして彼らは夢見の中で、別の在り方をする世界と接触する。そこでは非有機的存在、偵察、死の使者などと呼ばれる高次元の存在が、夢見の探究者に干渉をしてくる。ときにその干渉は夢の中から現実にまで影響を及ぼす。著者は師の教えにより、夢見の技法を習得して危険な異次元とのコンタクトを何度か体験する。
スピリチュアルの指導書として読んだ場合、トンデモ荒唐無稽な内容なのだが、幻想小説として評価すると極めてオモシロい本である。ハヤカワSFの一冊であっても売れたのではないか。映画スターウォーズにたとえると、呪術師ドンファンは老師ヨーダであり、著者はルーク・スカイウォーカーであり、夢見の技法はフォースとその暗黒面の話である。そんな師弟の禅問答(禅の影響も感じられる)がこの本の内容である。そんな類似がベストセラーになた理由かもしれない。
夢に現実感を感じることは多いし、逆に夢を見ながらそれが夢だと意識する体験はよくあることだ。いいところで目が覚めてしまって続編を希望しながら二度寝すると、続きが見られることがあったりもする。誰しも体験する夢見の技法の入口はリアリティがある。その先に高次の存在との接触が本当にあるかどうかは知らないが、フィクションとしての面白さには、特筆すべきものがある奇書なのである、これは。
・ヒトはなぜ、夢を見るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001062.html
2007年02月23日
だまされる視覚 錯視の楽しみ方
眩暈がするような面白い本。
止まっているのに図なのに、動いて見えたり、光って見えたり、実物より大きく見えたり、色の濃さが違うと感じたり。
錯視デザイン研究の第一人者 北岡明佳氏が一般向けに、錯視の事例と面白さを語った本。同氏のWebサイトは私も始まった頃から見ていた。人間の知覚を騙す図が満載である。特に「回転する蛇」は静止画なのに何回見ても動いて見える。
・北岡明佳の錯視のページ
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html
この本は白黒であるが、多数の作図例が紹介されている。長時間続けて見ているとめまいや気分の悪さを感じてしまうほど私には強烈だった。自分の目が信じられないという事実に精神的にも動揺するのだ。研究が進んでいる事例では、なぜそう見えてしまうのかの原理を著者は説明してくれる。
すべての錯視がすべての人に有効というわけではないそうだ。人によってある錯視は見えるが、別のものは見えないということがあるらしい。私もこの本に収録された図のうち2割くらいはうまく見ることができなかった。ステレオグラムも苦手である。研究者の中には遺伝が関連していると考える人もいるようだ。がんばっても見えないものは見えないのかもしれない。
錯視は日本よりも海外で評価が高いらしく、海外にも充実したサイトがある。
Optical illusion
http://www.ophtasurf.com/en/illusion.htm
Optical illusion :: Optical illusions - Just a painting.
http://www.optical-illusion.org/
3Dによる錯視に挑戦している人もいる。
・田村貞夫「3Dによる錯視図形」集
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/8198/
・錯視―視覚の錯覚
http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/visual/index.html
2006年12月03日
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人
精神科医の香山リカが書いたスピリチュアルブーム論。特に人気のスピリチュアルカウンセラー江原啓之の人気の分析が詳しい。江原啓之の著作は書店で平積みだしテレビでも顔をよく見る。立ち読みしてもよくわからず、何者だろうと気になっていた。
この人だ。
スピリチュアルのリーダーは胡散臭さ、怪しさをどう払拭するかが成功のカギである。それまでのスピリチュアルのリーダーは偉い科学者のお墨付きを得ようとする傾向があった。だが、江原氏の本の推薦文を書いているのは林真理子、室井祐月、酒井順子ら若い女性に人気の作家達である。その影響力によって女性ファンに圧倒的な支持を受けた。
「
おそらく、江原氏の著作に「東大教授もその能力に感嘆」といった推薦文が記されていたとしたら、彼は今のような人気を得ることはむずかしかったであろう。博士号や学会などではなく、ポピュラーな人気を誇る作家やエッセイストの名前こそが現代の権威であることを、江原氏は見抜いていたのではないだろうか。
」
そして「波動」や「オーラ」というキーワード。
「
「低級霊に憑依されて霊障が起きていますね」などと言われれば不気味に感じる人でも、「あなたのオーラはきれいなグリーンですね」であればすんなり聞くことができるのではないか。
」
すべてを受け入れ、やさしく肯定してくれる存在なのである。
精神分析学者ウィニコットのいう「移行対象」としての江原啓之という著者の見方が面白い。移行対象とは乳幼児が、自分と母親だけの閉じた関係から第三者がいる外的世界へ出ていく中間領域の存在のこと。
移行対象はふつうはヌイグルミや毛布がその役目を果たす。大人には必要が無いものだ。だが、現代の閉塞的な状況が、大人にとっても似た存在を必要とさせているのではないかという。ファンの女性にとって、江原啓之はトトロやリラックマと同じだと著者は指摘している。
スピリチュアルの人気を支えているのは圧倒的に女性であるそうだが、男性だってこういうものを信じていないわけではないだろう。ビジネス系自己啓発本にも科学的根拠が無い精神論を説くものが多い。信じられるものが欲しくて癒されたい時代の象徴なのだと思う。
2006年06月06日
科学は臨死体験をどこまで説明できるか
「
臨死体験の頻度に関する調査としては、1982年にギャラップ社がアメリカで行った世論調査が最も優れている。この調査は、アメリカ人の4%に相当する約800万人が臨死体験をしていると結論づけた。
」
その内容とはどのようなものであろうか?。
米国の精神科医であるヴァージニア大学教授のグレイソンは、74人の臨死体験者のインタビューにもとづき、報告によく見られた16の要素からなる、評価スケールを作成した。臨死体験研究者は、これを点数化して、一定水準以上の体験を臨死体験とみなしている。
・グレイソン・スケール
1 時間の流れ方が変わる
2 思考の加速
3 人生の回顧
4 突然すべてが理解できたという感じ
5 安らぎ
6 歓喜
7 宇宙との一体感
8 光を見る、または、光に包まれる
9 鮮明な感覚
10 超越的知覚
11 幻視
12 肉体からの離脱
13 超自然的な場所
14 神秘的な存在との交流
15 死者や宗教的な人物との邂逅
16 後戻りできなくなる点の認識
「
臨死体験は古くから世界中で報告されており、年齢を問わず、あらゆる性格の人に見られる。ボッシュの絵に描かれているような明るい光、トンネル、光の存在との出会い、死んだ親戚との再会、肉体からの離脱などの決まった要素がある反面、まったく同じ体験をする人はいない。体験者は、死に瀕している間も意識は明晰で、秩序だった思考ができたと主張し、そのときのことを長く記憶している。
」
九死に一生を得た人たちが「走馬灯のように人生の思い出が駆け巡った」などと話すのを聞く。光のトンネルをくぐっただとか、お花畑と川が見えたなどという人もいる。こうした話は細部は違えど世界中の臨死体験者が似た話をするそうだ。宗教や文化が違うと、それが三途の川の話、最後の審判の話などにアレンジされ、意味づけられたりもする。だが、私たちが死に臨む際に、似たような原型を持つイメージを体験している可能性は高そうだ。
興味深いのは、脳の機能が停止し意識のはたらきが不可能であると、検査データが示していた状況で、患者がそうした体験をしていることである。著者はそれが臨死状態の前後ではなく最中に体験されたことを証明しようとする。中には幽体離脱して、自分の手術の様子を上から見下ろしていたと話す人もいる。著者は、町中の病院の天井に、下からは読めないメッセージを書いたパネルを取り付けて、それを読む臨死体験者が現れるのを待つ実験もした。おかげでマスメディアに面白おかしく取り上げられ、図らずも有名になってしまったりもした。
著者は救急救命医で基本姿勢は科学者なのだが、今は非科学とされている「魂」の存在を、科学的手法で立証しようとしている真っ最中である。心が脳とは関係なく存在できる可能性や、幽体離脱を科学で説明しようとしているのである。トンデモな部分が2割、科学が8割くらいの内容。
「
私は、神学的または哲学的なものも含めたすべての問題は、究極的には科学によって客観的に研究できると信じている。われわれの研究から、生命の終わりに心や意識が脳とは独立に存在しうるという結論が出たら、それが神学的および哲学的な「死後の生」を裏づけるものであり、科学者が「意識」と呼ぶものが古くから「魂」と呼ばれてきたものと同一のものであると断定してよいと考えている。どのような言葉で呼ぶかは問題ではない。その過程を科学的に調べることが大切なのだ
」と語る。
死後の世界に興味はあるけれど、宗教やニューサイエンス系のノリは敬遠したいという人が手に取ると、とても面白く読める。それに脳についてはともかく、心については現代科学はまだ何も解明していないも同然である。著者の研究がまったく新しい事実の解明の糸口になる可能性もあるような気がする。
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・霊はあるか―科学の視点から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002003.html
2006年05月21日
奇妙な情熱にかられて―ミニチュア・境界線・贋物・蒐集
無意味なこだわり=奇想について、精神科医が書いたつれづれエッセイ。
次の4つの奇想がテーマ。どうやら著者自身のこだわりでもあるようで、独白が濃い。
ミニチュア 非現実感とともにリアリティを提示する
境界線 見えないはずの抽象的存在への関心
贋物 取り返しのつかないオリジナルを取り返す
蒐集 時間の漂流物が流れ着く孤島をつくりあげる
どれも私にも少し当てはまる要素を感じた。
私の友人に変わった男がいる。親しくなって随分してから、彼の奇妙な習慣を知って驚いた。彼は本が好きだが、同じ本を必ず2冊買う。一冊は読むための本で、一冊は並べるための本だそうである。手垢がついた本は本棚に並べたくないそうである。しかし読む本は中古であってもよいそうだ。彼は読書家であると同時に蒐集マニアなのだ。
この本でも収集癖が取り上げられている。精神科医として著者は蒐集を強迫神経症の傾向として説明している。強迫神経症には、ウォッシャーとチェッカーの2種類がいる。ウォッシャーというのは、手を100回洗わないと汚い気がして洗い続けるタイプ。途中で人に声をかけられると1からやり直さないと気がすまなかったりする。チェッカーは、外出してから家の火の始末が完璧かどうか、気になって気になって、何度も家に戻ってしまうタイプ。コレクターも2種類の動機がありそうだ。私の友人は前者かもしれない。
「
さてコレクションという営みは、基本的に無意味かつ無償の行動である。投機の対象とか、財力や権力の誇示のための蒐集は論外である。周囲からは物好きとか変人などと思われ、常に自分のコレクションの欠落と不完全さを覚えつつ、密やかで小さな世界へ没入するコレクターたちの姿は、その業のような行動において強迫神経症的なのである。蒐集することは、浮世を忘れさせ楽しさをもたらすいっぽう、完全癖とライバルへの対抗心から心の安静を約束してくれない。蒐集は喜びと苦痛の双方を同時にもたらす。
」
総じて人間はプレッシャーがかかると、世界をまるごと相手にするより、戦線を縮小して、扱う世界を小さくしようとする。その小さな世界が蒐集の世界なのだと著者は分析している。蒐集に凝るというのは心の弱さということらしい。
最近、2歳半の私の息子の行動を見ていて可笑しくなった。彼は歩道を歩くとき、視覚障害者用に作られた、凹凸つきの黄色い線上を歩こうとする。ここから少しでもズレると気に入らなくて、泣いて怒る。この癖は子供の頃の私にもあった気がする。黄色い線上を歩いているときは、安心なのだ。広い世界に対して戦線の縮小で対応していたわけだ。
他にもミニチュア、境界線、贋物へのこだわりが分析されていた。精神科医ということもあって極端な事例がいろいろでてくる。私はこだわり派だと思っていたが、結構、普通なんだなあと残念なような安心したような。
・「巨大な物が怖いという」まとめサイト
http://www.geocities.jp/kyodainamono/index.html
ミニチュアが好きの逆でこういうこだわりもある。巨大なモノ分類と写真。2ちゃんねるのログから。そしてこの奇妙な関心世界にさらにどっぷりとはまりこむにはこんな雑誌も。
・ワンダーJAPAN―日本の《異空間》探険マガジン (1(2005 Winter))
たいへん面白いムックでした。日本中の奇妙な情熱にかられる建築物を写真と記事で深く解説しています。この新書に興味を持った人には特におすすめ。
内容:
「ウルトラマン」第12話〈ミイラの叫び〉のロケ地・山奥の巨大工場《奥多摩工業》、
「ウルトラマンタロウ」第3話〈ウルトラの母はいつまでも〉に使われ
新東京百景にも選ばれた地下霊場のある《威光寺》、
「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督が地下をテーマにイベントを行った《首都圏外郭放水路〜地下神殿》、
マンガ「武装錬金」や「SORA!」に登場し今回表紙も飾っている有名廃墟《志免炭鉱》、
NHKアニメ「あずきちゃん」に登場する千住ほうちょう公園の《タコすべり台》、
ゲーム「零2〜紅い蝶〜」にでてきそうな《廃村》・・・といういわゆる“聖地”の他、
『廃墟の歩き方』の栗原亨氏による廃墟画像、『珍寺大道場』『お寺に行こう!』の小嶋独観氏による
珍寺画像、さらには、萌える巨大工場や、地味にジワジワと面白い給水塔やタコ滑り台などから、
有名廃墟「志免炭鉱」「豊後森機関庫」や「首都圏外郭放水路」の撮り下ろし画像など、
魅力的な写真が詰まってます!
【追記】
本エントリの誤記を俺と百冊の成功本の聖幸さんから即効でご指摘いただきました。
ありがとうございました。聖幸さんのブログも奇妙な情熱にかられた感じがします。
[俺100]:「an・an」に“アダルトDVD
http://blog.zikokeihatu.com/archives/001000.html
今日のエントリも気になります。
2006年04月03日
フロー体験 喜びの現象学
生きる喜び、仕事の楽しさ、とは何か。社会心理学者チクセントミハイが「楽しみの社会学」でフローの概念を発表してから25年後に、研究の集大成として著したのがこの本である。この期間に、フロー体験は仕事の効率性を高めるノウハウではなく、幸福に生きるための一般原理として、壮大な理論に実を結んだ。
・楽しみの社会学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004302.html
フロー体験の基本的な要約についてはこちら。
一言で言うならフロー体験とは、自己目的的体験に夢中になることだ。ただそれが楽しいと感じるから没頭する瞬間である。そうしたフロー体験が生じる最適経験について、著者らの研究グループは長年、さまざまな研究を行った。
「
最適経験とは、目標を志向し、ルールがあり、自分が適切に振舞っているかどうかについての明確な手がかりを与えてくれる行為システムの中で、現在立ち向かっている挑戦に自分の能力が適合している時に生じる感覚である。注意が強く集中しているので、その行為と無関係のことを考えたり、あれこれ悩むことに注意を割かれることはない。自意識は消え、時間の感覚は歪められる。このような経験を生む活動は非常に喜ばしいものなので、人々はそれが困難で危険なものであっても、そこから得られる利益についてほとんど考えることがなく、それ自体のためにその活動を自ら進んで行う
」
フロー体験は人生のあらゆる場面に求められる。
「
最も単純な身体的行為ですら、それがフローをうむように返還されるならば楽しいものとなる。この変換過程の基本的な段階、(a)全体目標を設定し、現実的に実行可能な多くの下位目標を設定すること、(b)選んだ目標に関して進歩を測る方法をみつけること、(c)していることに対する注意の集中を維持し、その活動に含まれるさまざまな挑戦対象をさらに細かく区分すること、(d)利用し得る挑戦の機会との相互作用に必要な能力を発達させること、(e)その活動に退屈するようになったら、困難の度合いを高め続けること、である。
」
このやり方で変換できるよう再設計するなら、ただ歩くことでさえ、生きる喜び、関心の尽きない挑戦の連続になる。不安と退屈の間にある適度な挑戦を繰り返し、結果から正のフィードバックを受けながら、能力を向上させていくことに秘訣がある。
フロー体験に通じやすい経験の特徴も研究されている。外的資源の多大な消費を必要とする活動が必ずしもフロー体験をうみやすいとは限らない。たとえばテレビを観る、モーターボートに乗る、ドライブをする、といった経験よりも、ただ互いに話をしている、編み物をしている、庭仕事をしている、趣味に熱中している、という経験のほうが人は幸福を感じやすかった。お金や外的資源よりも心理的エネルギーを投入する活動がフローになりやすいという結論。
だから、思考そのものもフロー体験となる。哲学や科学は思考することが楽しいから繁栄したと著者は述べている。人々の必要、政治や経済における需要が、科学技術を発展させたという唯物論的決定論の歴史観に異議をとなえている。人類の文化文明の多くは、それをするのが楽しかったから発達してきたのだという。
家庭の役割、フロー体験の多い社会のあり方、身体活動のフロー(運動やセックス、日常の行為)、思考のフロー、楽しい人間関係、楽しい仕事、文明論など、各章で詳しく論じられている。そして後半で「意味」について扱われる。フロー体験の本質とは、人生のあらゆる局面が意味に満たされることなのである。
出版後、著者は「日常生活の心理学について今世紀最高の研究者」と評され、本書は13カ国に翻訳されたベストセラーである。研究書というよりは、もっと一般的な人生論として大変な説得力があった。何かに迷っているときにもおすすめの一冊。
私にとっての身近なフロー体験ってなんだろうか。やはり、こうしてブログを書いているとき、かなあ(笑)。おかげで900日以上、続いております。
2006年03月27日
戦争における「人殺し」の心理学
こんなテーマだが、読む価値がある素晴らしい本である。
著者のデーヴ・グロスマンの経歴。
「
米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任。98年に退役後、Killology Research Groupを主宰、研究執辞活動に入る。『戦争における「人殺し」の心理学』で、ピューリツァー賞候補にノミネート。
」
この本は米軍学校で教科書として使われている。
人は戦争で敵を前にすると、銃を撃てないし、弾は当たらないという事実にまず驚く。
多くの戦争で銃を使う兵士たちのうち発砲したのは15%〜20%であった。8割の兵士は発砲しないで戦闘を終える。理論的には命中率50%の状況で発砲しても、一人を倒すのに数十〜数百発を要する。8割の発砲しない兵士たちは、決して怖気づいて戦闘不能になっているわけではない。弾薬補充や仲間の救出などに回って、撃つより危険な任務をこなそうとする傾向があるという。
なぜそうなるのか。そこには深い人間心理が隠されている。
精神的に弱いわけでもなく、訓練が未熟なわけでもなかった。人は人を殺したくないのだ。特に一対一で、相手が見える距離ではほとんどの人間は殺す行為を回避しようとする。銃剣やナイフ、素手での殺人をできた兵士は、実際の戦闘ではほとんど存在していないという調査もある。戦闘機の空中戦でも敵のコックピットが見えてしまうと、大半の操縦士は発砲できない。それをためらうことがない”生粋の兵士”1%の戦闘機が4割の撃墜数を占めているという。
戦車のように複数の人員で操作する武器、長距離砲やレーダー操縦の爆撃のように、一対一での殺人を意識しないで済む場合の発砲率はほぼ100%になる。権威者の命令や集団行動下では撃ちやすい。この本には引き金を引き、人を殺した兵士の体験談が多数引用されている。
「
私はぎょっとして凍りついた。相手はほんの子供だったんだ。たぶん12から14ってとこだろう。ふり向いて私に気づくと、だしぬけに全身を反転させてオートマティック銃を向けてきた。私は引き金を引いた。20発ぜんぶたたき込んだ。子供はそのまま倒れ、私は銃を取り落とし声をあげて泣いた。
ベトナムに従軍したアメリカ特殊部隊将校
」
そして、人を殺した兵士は嫌悪感、罪悪感、重度のトラウマに悩まされる。第2次世界大戦では、50万人以上が精神的虚脱で兵士として働くことができなくなり、除隊処分になった。戦争とは人を殺すストレスとの戦いなのである。
しかし、ベトナム戦争以後では、発砲率は95%に劇的に高まった。発砲時の殺傷率も高くなった。こうした人間心理を研究した上で、米軍は兵士の訓練方法を変えたからである。条件付けを行い殺人に対する抵抗感をなくすように洗脳を始めたのである。
そうした研究に関わった著者の苦悩の深さがこの本からも伝わってくる。この本には殺人に対する人間の心理の動きが多角的に分析されている。どのように仕向ければ人が人を殺すかが詳細に書かれている。読んでいて恐ろしくなる秘密である。仕事上の研究とはいえ著者もこうした知識が、戦争以外で使われないことを深く願っているようだ。
この本の邦題は「戦争における「人殺し」の心理学」だが、英語の原題は「戦争と社会における...」である。著者は現代のマスメディアには人殺しのメッセージが多く登場する状況は、ベトナム以後の米軍の殺人訓練の手法と似ていて危険であると問題提起をしている。
アマゾンのレビューにも絶賛コメントが多いが、この本は戦争における人殺しの実例から、人間存在の本質へと深く切り込む洞察に満ちた素晴らしい本だと思う。「殺人本」に素晴らしいという形容詞を使うのは少しためらわれるのだが。
2006年03月13日
第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい
最初の2秒の状況判断=第一感はかなり正しいということの科学。
全米連続50週のベストセラー、世界34カ国で翻訳された話題の本。
赤いカード2組と青いカード2組の4つの山がある。カードには「○ドルの勝ち」「○ドルの負け」と書いてある。4つの山から、自由に選んでカードを何度もめくり、儲けを競うルールがある。プレイヤーには知らされていないが、実は赤いカードには大勝も多いが大きな負けも多い。青いカードは大勝は少ないが、負けを引いても損が少ない。だから、青を引き続ければ勝てるという、必勝法があるゲームである。人は何枚引いたらこの必勝法を見抜くものだろうか。
アイオワ大学の研究では、ほとんどの人が50枚を引いた頃に「青を引けば勝てる」となんとなく気がつくものだという。さらに続けて、80枚をめくると、なんとなくは確信に変わり、必勝の理由も説明できるようになる。これが常識的な学習である。
ところが、被験者の手に汗の出方を計測するセンサーをつけてみると、面白いことがわかった。汗の出方からはストレスの強さを測ることができる。ほとんどの人が10枚をめくった時点で、赤いカードをめくるときにストレスを感じていることが判明する。意識がなんとなく気がつく遥か前に、人は無意識的に法則を感知し、危険を回避しようとしているのだ。
この一気に結論に達する脳の働きは、適応性無意識と呼ばれる。意識が思考して正しいと判断する前に、正解を直観するひらめき能力のことである。凄腕営業マンはお客を見たとたん、買う客か、ひやかしかを見抜く。鑑定士は美術品の真贋を一目で判別できる。百戦錬磨の司令官は細かいデータがなくても戦況を瞬時に判断する。そんな第1感の成功事例が多数、紹介されている。その判断時間はおよそ2秒である。経験のある専門家は熟考を必要としない。状況の輪切りで正しく判断ができるものなのだ。
専門家の第1感は役立つことが多いが、一般人の第1感はだまされやすいものでもあることも警告される。見た目や、もっともらしさ、考えすぎ、に引きずられて、誤った選択をしてしまう。よくある、おっちょこちょいである。
米国大企業500社を調べたところ、男性CEOの平均身長は182センチだったそうだ。全米男性の平均は175センチだから、7センチも高い。背が182センチを超える人は米国男性の14.5%に過ぎないが、CEOでは58%である。188センチ以上の人は米国全体で3.9%であるが、CEOでは30%以上もいる。身長で昇進を決める制度を持つ会社など存在しないはずだが、結果は歴然だ。人々は無意識のうちに背の高い人をリーダーに選んでしまっているらしい。
人は無意識のうちに先入観を抱えてしまっている。背の高い人は有能であるだとか、黒人は犯罪者が多い(あるいは運動能力が高い)など。見た目にもだまされやすい。しばしばパッケージのデザイン印象と商品の中身の品質が同一視されてしまう。こうしたプライミング効果や感情転移現象について、事例を挙げての説明がある。
直観の正しさの根拠やそれを鍛えるノウハウが詰まっていて勉強になる本である。始めてみたときの第一印象をメモする癖がある古美術研究者の話が出ていたが、常に直観の判断をメモしておくと言うのは名案な気がした。正確ならばその後も自分の直観を頼ればいいのだし、間違ったならば自分のだまされやすさを把握できることになるから。
・瞬間情報処理の心理学―人が二秒間でできること
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000624.html
2006年02月28日
楽しみの社会学
社会学者チクセントミハイの「楽しむということ」(1973)の新装改訂版。「フロー体験」という概念はこの本から始まった。いまや古典に位置する社会学の本。
楽しいから、やる。
楽しいの正体とは何か?。なぜ楽しさが発生するのか。
著者らは、ロッククライマー、チェスプレイヤー、職業作曲家、モダンダンサー、バスケットボール選手、外科医といった集団に楽しさについてのアンケートを実施した。各集団には世界トップクラスの熟達者もいれば、初心者もいた。
「
研究対象グループにはすべて一つの共通点があった。それは、世俗的報酬をほとんど生まない活動に、多くのエネルギーを注ぎ込んでいる人々から成り立っていたということである。しかし世俗的な誘因の欠如は、報酬の欠如を意味しない。彼らは明らかにこれらの活動から、何らかの満足を引き出しており、その満足自体が報酬となるが故に、これらの活動の追求へと動機づけられている。我々の研究の目的は、彼等が外発的に報いられることのないさまざまな異なった活動から引き出してくる、これらの内発的報酬が何であるかをよりよく理解することである。
」
そして回答の因子分析から発見した楽しさの秘密が「フロー体験」であった。それは「全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚」のことで、フロー体験自体が行為の目的となる、自己目的的体験の一種である。フロー体験こそ人間の行動における最大の内発的報酬となる。
本を読んでいるとたまに内容に集中するあまり、通過駅を忘れる。夢中で好きなことをしゃべっていると時間を忘れる。演奏体験に没入して楽器を弾いていることを意識しなくなる瞬間がある。そうしたときがフロー体験である。
フロー体験に関係する変数は二つあるという。不安と退屈である。挑戦に対して自分の技能があまりに低いとき、人は不安になる。逆に挑戦のハードルに対して技能が高すぎると退屈になる。挑戦と技能のバランスが適切に設定されたとき、人はフローを体験する。
内発的報酬としてのフロー体験で行動する人間に対しては、金銭や名声などの外発的報酬は、効果がないばかりか、時に逆効果に働くことが知られている。純粋に楽しいからやっている行為に、時給を与えても、生産性は高まらないことが多い。
フロー体験は技能の向上やピークパフォーマンスの秘訣でもある。Linuxの創始者リーナス・トーバルズは「それがぼくには楽しかったから」という自伝を書いている。彼は儲からなくても、ただ楽しかったから、大組織にも困難な独自のオペレーションシステムをつくることができたのだろう。
日常生活の中にもマイクロフローと呼ばれる小さな自己目的的体験が無数に存在していることを著者は発見した。なんとなくテレビを見る、雑誌をぱらぱら流し読む、喫煙する、無駄話をする、ぶらぶら歩く。こうした無目的な活動を剥奪する実験を行ったところ、被験者たちの創造性は低下し、全般的に生きる意欲が減衰してしまった。
仕事を成し遂げるためにも、毎日を楽しく生きるためにも、フロー体験をいかに増やしていけるかが、重要なポイントになる。この本は、さまざまなフロー体験者たちへのアンケートとインタビューから、楽しさの秘密に迫っていった。
統制群を使わない実験であったことや自己評価ベースであることなど、研究手法として完璧でないことは著者も最初に触れている。だが、楽しいと感じるときにベストパフォーマンスが出ることは誰しも実感していたことだろう。楽しさと成果は両立し得る。その方法を自分なりに考えてみたい人におすすめの一冊。
2006年02月09日
子供の「脳」は肌にある
臨床発達心理学者によるスキンシップのすすめ。
成人の対人関係について米国で学者がアンケート調査したところ、大きく以下の3分類に分けられた、という米国の研究が紹介されている。
安定型(56%) 他人と親しくなるのがたやすく、人間関係が好き
アンビバレント型(24%) 他人は自分が望むほど親しくしてくれない、と思う
回避型(20%) 他人と親しくするのが嫌い
この3タイプは、そのまま母子関係の母親3タイプに割合に対応していると著者は指摘する。母子関係が成人してからの対人関係につよく影響するというのである。
安定型(60%) 子供の要求にすぐに反応するタイプ
アンビバレント型(19%) なかなか反応しないタイプ
拒否型(21%) 拒否的に反応するタイプ
そして、対人関係は恋愛パターンをも支配しており、その人物が安定した人間関係を築いて幸せに暮らせるかどうかと深い相関関係があるとされる。母子関係(広い意味では父子関係も含む)がいかに子供の人生にとって大切なものか、示唆される。
関係の中でも特に重要なのがスキンシップであった。大学生への調査の結果、母親とのスキンシップが多かった学生は安定型になり、アンビバレント型になりにくかった。そして自分に自信を持ち、他人を信頼する傾向があった。父親とのスキンシップは、少し異なり、回避型になるのを防ぐ傾向があったそうである。
母親とのスキンシップが多いと依存型の、マザコンになるというのは誤解であるとこの本は俗説を否定する。なでなで、くすぐり、添い寝、抱きしめる。スキンシップが、こどもの思いやりを育て、キレない脳をつくるのだと多数のケースで説明がある。
医療の現場でも患部への「手当て」が効果をあげることが報告されている。心臓病の患者の腕に看護婦が手を当てるだけで心拍が下がって安定する。痛みが抑えられる。ストレスが低下する。こうした癒し効果は自分の手で触っても、他人のときほど期待できない。肌にある末梢神経は脳に通じている。他者とのリラックスした触れ合いはこの回路を起動させ、良い効果を挙げるようだ。
2歳の息子は意思表示がしっかりしてきて、あまりスキンシップを取りすぎていると「パパはあっち(へ行って)」と向こうを指差すようになってしまった。この本を読んでくれるといいのだが、無理か。
2006年01月16日
偽薬のミステリー
プラセボ(プラシーボ)効果の徹底研究。
かつて医薬は魔術、心理学、身体の治療の3本柱から成り立っていた。実証主義科学の勝利と物質還元主義の時代の到来によって、西洋医学では魔術要素はすべて消し去られた。心理学要素も一度は消えたが、精神医学、行動心理学によって部分的に現代医療に蘇っている、と著者は医薬の歴史を総括した。
一般的に、医薬は服用することで、薬学的に活性な分子が身体に作用し、患者の病気を治すものと考えられている。しかし、薬学的には何の効果も持たない薬(偽薬)を使っても、本物の薬と同じか、それ以上の効果を発揮するケースが多々あることを、この本は紹介している。医者、患者、薬の3者の相互作用する空間に強力な治癒効果が生まれる。
不安、うつ病、月経前症候群、癌性腫瘍、術後疼痛、頭痛、咳、リューマチ、結核、腫瘍の成長などの分野で、偽薬効果は研究され、平均して30%の(かなり高い)効果が認められた。分野によって強弱は異なるが、あらゆる病気の治療過程で偽薬効果があるようだ。古代の呪術や中世の錬金術も、当時、それを信じた人々には効果をあげていた。
「この薬を飲めば直りますよ」は、看護婦がいうより医者が告げたほうが、さらには”名医”と呼ばれる権威が告げたほうが、投薬効果が高まるという。患者が医者の言葉を信頼していればいるほど、効果がてきめんになる。興味深いのは、患者だけでなく、医者自身もそれを信じている方が効果が高まるという事実だ。医者がその言葉を自信を持って告げられるからだと考えられる。
錠剤の色や薬の名前も医薬の効果に影響する。精神安定剤には緑色の錠剤がよく使われる。効きそうな薬の命名法というのも存在する。効きそうな薬は本当に効いてしまう。医師である著者は豊富な臨床経験から、プラセボ効果は、意識的にせよ、無意識的にせよ、現代医療の背後に不可欠な存在になっていることを指摘する。
そもそも、薬学辞典に含まれる多くの薬が、臨床試験で効果があったというだけで認定されており、実際の薬学的な活性は怪しいものが多いのだという。その事実を医師は知りつつも、処方すれば効果があるので利用されている。特に治療方法がわからない病気、手のつけようのない病気、放っておいても治る病気の際の投薬は偽薬的な内容であることが多いらしい。
偽薬は医学の表舞台では長く無視されてきた。医師の権威を損なうものであるからだ。しかし、軽い病気では、副作用など危険のある古典医療よりも、偽薬を使った方が、安全に病気を治せるのではないか、と、著者はその意義を積極的に評価している。
市販の風邪薬を選ぶ際に、私はついつい効能の記述が多い、高い製品を買ってしまう。実際に効果が高い気がする。この本に紹介される事例でも、同じ医薬が、高いコストを支払っているという意識がある場合に、そうでない場合に比べて高い治癒効果をあげている。何でも安ければいいというものではないらしい。信憑性が重要なのだ。
日本には「病は気から」という言葉がある。薬ではなく、コミュニケーションや信心で病が本当に治せるなら、偽薬効果の科学はもっと研究されていっていいと思った。
2006年01月10日
自爆テロリストの正体
9.11同時多発テロの実行犯の実像を追ったドキュメンタリ。実行犯家族への取材や原理主義指導者への直接インタビューなど、実地の取材で肉付けしていて興味深く読めた。自爆テロは自らの命を犠牲にする行為であり、無宗教の日本人にとっては理解しがたい境地である。その心理状態がどのように形成されていったのかを著者は分析していく。
「神の道のために殺された者を、けっして死者と考えてはならない。いな、主のみもとで扶助を賜って生きているのである」(コーラン)
「神とこの使徒たちの言いつけを守る者は、神が恩恵を垂れたもうた預言者たち、誠実な人たち、殉教者たち、善行者たちの仲間にはいる」(コーラン)
9.11テロは、過激なイスラムの聖戦というイメージが、メディアを通して印象づけられている。しかしイスラム教自体は平和を愛する温和な宗教である。イスラムの経典コーランには上のような殉教の意義についての記述はあるものの、飽くまで歴史的文脈の中での記述に過ぎない。決して現代において殺人を肯定しているわけではない。
テロを正当化しているのは一部の過激な原理主義者たちに過ぎない。しかも、原理主義の真のリーダーたちは自爆テロを指示しただけであった。自らの命を捧げたのは生粋のイスラム原理主義エリートではなく、改宗者が多かったという。
テロの実行犯には欧米での生活や留学経験のあるものが多い。フランスなどヨーロッパ国籍のものもいる。彼らは生まれついてのイスラム教徒ではなく、欧米文化とイスラム文化の狭間で育ち、差別やアイデンティティの問題に悩まされた若者であった。
「貧困の中で世の中の不平等に絶望し、テロに走った」という見方は誤りで、「彼らがテロを起こした決定的な理由は貧困ではなく、自己の内面に起きた変化だ」と著者は分析する。
実際、実行犯の多くは貧困な家庭に育ったわけではなく、比較的恵まれた環境に育ったものが多かったようだ。大卒も多い。だが何らかの自身の弱さに起因する挫折や、欧米社会からの差別的待遇への絶望を募らせたものが多かった。俗世間的な意味での成功者がいない。「そこそこの教育は受けたものの、その後社会で進むべき道を失った人々」であった。著者のことばでは「大卒の出来損ないこそがテロリストになる」。
若者に共通の「自分探し」の悩み、アイデンティティの悩みを抱いた彼らに、システマチックな布教と洗脳を施したのがアルカイダであったとされる。感受性の強い若者を選び、巧妙に心の弱さにつけこんで、殉教の意義を信じさせる。
実行犯は、にわかづくりのテロリストなので、ゴルゴ13のようにはいかないと著者は批評している。事実、9.11前に捕まってしまったものもいれば、他のテロでは自爆前に逃亡したものもいた。
9.11テロは単なる犯罪なのであって、イスラム教世界とキリスト教世界の宗教戦争などと、大騒ぎすると、原理主義者の思うつぼであると著者は警告している。オウム真理教のテロを「仏教徒のテロ」と呼ぶのと同じくらい的外れな視点だという。
9.11テロを宗教と切り離して考えるべきなのかは、私にはまだよくわからない。宗教が根源的にもつ危うさは別に考えるべき問題である気がする。だが、実行犯の出自や生育環境を取材した情報を見る限り、一部の原理主義指導者に、若気の至りがうまく利用されたのが、あのテロの現場レベルの実状であることがうかがえる。オサマ・ビン・ラディンやブッシュがいう聖戦や悪の帰結によるものではないことがわかる。
実行犯の妻たち、親や兄弟への積極的取材なども生々しい。
2005年11月06日
人は見た目が9割
非言語コミュニケーション入門。
・非言語(ノンバーバル)コミュニケーション
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000549.html
このテーマでは上述の名著があるのだが、少しばかり出版が古い。この本でも参考にしつつ、最新の研究成果を紹介している。著者は本業が演出家であるため、日常のコミュニケーション論だけではなく、役作りのノウハウを絡めてこのテーマを語った点が面白かった。
心理学者アルバート・マレービアンの研究によると、人が他人から受け取る情報の割合は以下の通りで、
・見た目・身だしなみ、仕草・表情 55%
・声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%
・話す言葉の内容 7%
言葉は7%しか伝えていない。
そもそも話す以前に話し手の顔のかたちも影響する。演出では丸顔は「明るい」「包容力」「決断力・行動力がない」、角顔は「情に流されない」「短気」「積極的で意思が強い」、逆三角形顔は「明るくない」「学者タイプ」「先頭に立って仕事をするタイプではない」などの印象を与えるのだという。役者選びの際には、顔の形の持つ印象も参考にしているらしい。
確かにドラえもんのスネ夫くんが丸顔だったら、スネ夫くんらしくない。
演劇の演出や漫画の原作をてがける著者は、「こういう役はこういうしゃべり方」という典型があるとして次のような例を挙げている。
「
貧しい農民は東北弁、ケチは大阪弁。浮世離れして上品な人物は京都弁。ヤクザは広島弁。志が大きな男は土佐弁(坂本竜馬のイメージ)。男っぽくて逞しいと博多弁。人望のある傑物は薩摩弁(西郷隆盛のイメージ)。
」
漫画では「可愛い女の子」は、膝を内側を向けて立つ姿で描き、ぎこちない感じを出すと効果があるらしい。目は大きく開き、両目の距離をくっつけすぎないように描けば、隙があるように見えて一層効果的。こぶしは握った方が少年っぽさを演出して、逆に可愛い感じになるとのこと。作例も提示されていて納得。
顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離など非言語コミュニケーションの研究成果やノウハウが各章にまとめられている。深く知るに当たっての入門書としてとっつきやすい本だった。
・マンガ・心理分析
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002605.html
・人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001278.html
・間合い上手 メンタルヘルスの心理学から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003644.html
・しぐさでバレる男のホンネ、女の本心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003936.html
2005年10月27日
人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学
夏に日本科学未来館でこんな展示を家族で見た。
・日本科学未来館 特別企画展(既に終了)
『恋愛物語展 − どうして一人ではいられないの?』
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/event/2005/0815_plan_01.html
「
恋愛という言葉を聞くと、誰もがなぜか反応します。
人間であると同時に、一つの生命システムに組み込まれた一つの個体であるわたしたち。その個体はさらに細かく見ていけば、さまざまな物質の集合体です。そんな人間にとって、他人を好きになり、パートナーを見つけ、生涯を送るということにどのような意味があるのでしょうか。
このような疑問から、わたしたちは「恋愛」というものを、あえて科学的な立場からとらえ直してみることにしました。すると、それが生命の神秘であると同時に、人間という生命にとってきわめて特徴的な行為であるということが見えてきました。
」
ハイテクで触れる展示が多くて、2歳の息子も楽しんでいた。
恋愛を科学するというのは、娯楽としても成立するのだなと思った。
この本は、恋愛感情は主に脳内で交配衝動を作動させるための動機システムであるという脳科学の本。前作では生物学的に人間の愛は4年しか続かないという内容で物議を醸した人類学者が書いている。今回は熱烈恋愛中や失恋直後の被験者を集めて、fMRI装置にかけて、脳内部位の活性状態を分析するなど、意欲的な実験も満載。
・浮気性か家庭的かはホルモンバランスで決まる
・なかなか手に入らない相手に燃える
・好きになったら引き返せない
・近くにいる人と恋に落ちやすい
・男性が好む理想の女性の体型は世界中でウエスト:ヒップ=7:10
など、恋愛カウンセラーではなくて、学者がデータに基づいて真面目に知見を述べる。
「愛」の中身は、
1 性欲
2 恋愛感情
3 愛着
であり、それぞれが、出会いたいと思うこと、熱く燃えること、長く安定した愛情を維持することに関与している。3つの仕組みを動作させる脳内の化学物質も列挙されている。著者の手にかかると「愛」が化学物質や脳の活性化に還元されていく。
「
しかし、恋愛を理解したからといって、感じかたまで変わったわけではない。ベートーベンの第九の楽譜をすべて知っていたとしても、それを耳にするごとにおぼえる興奮が変わらないのと同じだ
」
まあ、そういうことかもしれないが、割り切ってしまうのも、割り切れない気がする読後感であった。
2005年10月25日
しぐさでバレる男のホンネ、女の本心
「
・英語には単語が10万語ある
・そのうち5千語には二重の意味がある
・平均的な人物は、三万から六万語のボキャブラリーをあやつる
」
そして非言語シグナルは75万個もあるそうだ。
しぐさ、ジェスチャー、ふるまいはことばよりはるかに多様で微妙なメッセージを、意識的に、無意識的に表現している。
これは、企業コミュニケーションコンサルタントとして25年活躍する著者が、非言語メッセージの解読法を、男女の性差に重点をおいて語った本である。
「ねえ、あたしどこか変わったと思わない?」
夜帰宅して、妻のこんな質問に多くの夫が適切にこたえることができない。男性は一般に非言語の解読に弱く、妻の小さな容貌の変化にきづくことができない。そして「ねえ、きいてよ、今日ね」という共感を求める会話に対して、「そういうときはこうすべきなんだよ」と問題解決のアドバイスなどをしてしまう。共感して聞いてもらうことが目的だった女性は、納得がいかない。
男性は攻撃的で論理的なことばに強く反応し、女性は受身で感情表現のことばに反応するというステレオタイプな男女の性差が、事例を用いて立証されていく。男性は、とくに性的なことでは、非言語行動を望ましい方向に解釈しているという。女性は微笑やうなづきをコミュニケーションに多用するので、男性は読み間違い、セクハラ行為の一因となると分析されている。
正当な要求をするときは目を見て頼み、不当な要求は目をそらして頼むと通りやすいという実験もあった。たとえば見知らぬ人に不当に小銭を借りる際は、目をそらしていたほうが、低姿勢で、決まり悪そうで、同情をかえるということらしい。
パーソナルスペース、視線、声、スキンシップなど、人間関係と男女関係を支配している隠れたコードを解説していく。「話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く」と内容は似ている。
伝統的な性の役割から解き放たれて、自在に異性の非言語メッセージを織り交ぜるアンドロジニー(心理的両性具有)、ジェンダー・フレキシング(性役割の柔軟化)を身に着けるのが、これからのコミュニケーション技術なのだと結論されている。
ここでも「男性らしさ」、「女性らしさ」は近年、否定され価値を失いつつある。ふと気になって「男は黙って」の美学を検索してみた。
・男は黙って - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-14,GGLD:ja&q=%E7%94%B7%E3%81%AF%E9%BB%99%E3%81%A3%E3%81%A6
男は黙って...パスタを食う...サッポロビール...ユニコード...ストリーム、ちょっと妙なキーワードもあるけれど、いろいろな男の美学がみつかる。
逆に「女なら一度は」で検索してみるとこうなる。
・女なら一度は - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&newwindow=1&c2coff=1&rls=GGLD%2CGGLD%3A2005-14%2CGGLD%3Aja&q=%E5%A5%B3%E3%81%AA%E3%82%89%E4%B8%80%E5%BA%A6%E3%81%AF&lr=
ネット上ではまだまだ、らしさの価値観が活きているが、随分多様化している。
この本が言うのは、伝統に縛られた男らしさや女らしさの枠はいったん外して、自ら選んだ、新しい男らしさ、女らしさ、その人らしさをみつけていけ、ということであるようだ。
・間合い上手 メンタルヘルスの心理学から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003644.html
・自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001129.html
・人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001278.html
・マンガ・心理分析
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002605.html
・心の動きが手にとるようにわかるNLP理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000609.html
・外見だけで「品よく」見せる技術 ファッション、しぐさ、話し方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003381.html
・パワープレイ―気づかれずに相手を操る悪魔の心理術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000150.html
・話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000258.html
2005年10月04日
なぜ高くても買ってしまうのか 売れる贅沢品は「4つの感情スペース」を満たす
・なぜ高くても買ってしまうのか 売れる贅沢品は「4つの感情スペース」を満たす
BMWで100円ショップへ行くような新しいタイプの流行消費スタイルについての本
高くても買う場合と安いものを買う場合を、消費者は賢く使い分けるようになった。ちょっと贅沢するためにきりつめるところはきりつめる。平均的な消費者はいなくなり、消費の二極分化が進んでいる。
この本のテーマである、「一般の消費者でもちょっと背伸びをすれば買える贅沢品」=ニューラグジュアリーの市場は日本でも好調である。先日、名刺交換した社長はWebでロレックスを販売しているそうだが、不況下でも飛ぶように売れると言っていた。
この新しい消費は従来のハイエンド、高額商品、ラグジュアリ市場のそれとは異なる。
ニューラグジュアリには、
・手の届く超高級品
・従来型ラグジュアリブランドの拡張(富裕層ブランドの廉価版)
・マステージ(マスとプレステージの中間)
というポジショニング特徴がある。
この本を出版したボストンコンサルティンググループが公開したPDFも詳しい。
・ニューラグジュアリー
http://www.bcg.co.jp/publications/ofa/2004/ofa7_05spring.pdf
自分の消費を振り返って該当するモノとしてはこのギターなどは典型例だろう。メーカーはマーティンというアコースティックギターの最高峰ブランド。主な商品は数十万から100万円超で、普通はアマチュアでは手が出しにくい価格帯であるが、このバックパッカーだけが4万円程度で販売されている。
数万円とはいえ作りはよくできている。ギター弾きの「マーティンを所有したい」という欲求を満たしてくれる。
■ベネフィットの3段階と4つの感情スペース
こうした「高くても買ってしまう」商品には「ベネフィットの3段階」と呼ばれる条件を満たす必要があるとされる。
1 デザイン面かテクノロジー面、またはその両面での技術的な差異
2 技術的な差異が実際に性能の向上に役立っていること
3 技術と性能が消費者に思い入れをいだかせること
そして、この階段が実現する思い入れとは、具体的には「4つの感情スペース」を満たすことである。
1 自分を大切にする
自分のための時間の確保、時間の有効活用、心と身体の癒しと自分へのごほうび
2 人とのつながり
魅了、家族の絆、所属
3 探究
冒険、学習、遊び
4 独特のスタイル
自己表現、自己ブランド化、シグナル
そういえば、これも該当しそうだ。自然食健康志向であると同時に人にも伝えたくなる。1000円のこだわりのハンバーガー。
・ニッポンのバーガー 匠味(たくみ)十段(じゅうだん)
http://www.mos.co.jp/menu/calory/h_58.html
■「ニューラグジュアリー」リンク集
この本に出てくる主に米国のニュラグジュアリー成功企業のリンク集を作成してみた。白を基調に小奇麗にまとめるデザインセンスのサイトが多い。この客層をひきつけるデザインなのかもしれないと思った。
この本では成功企業の要点が次のようにまとめられている。
・ニューラグジュアリー企業の8つのカギ
1 決して顧客を侮らない
2 価格ー数量の需要曲線を崩壊させる
3 真の「ベネフィットの階段」を創出する
4 絶え間ないイノベーションと品質向上により、完璧な体験を提供し続ける
5 ブランドの価格帯やポジショニングを拡大する
6 バリューチェーンをカスタマイズして「ベネフィットの階段を提供する」
7 従来とは異なるマーケティング手法を用い、ブランド信奉者を通じてヒットの種をまく
8 アウトサイダーのように当該カテゴリを攻め続ける
こうしたポイントを考えながら、順にクリックしてみると、さまざまな発見があるように思った
・VictoriasSecret.com: The Official Site of Victoria's Secret
http://www.victoriassecret.com/
女性の高級下着
・BMW International
http://www.bmw.com/
高級車
・Lexus.com Official USA Site
http://www.lexus.com/
高級車
・American Girl
http://www.americangirl.com/
高級な女の子向け人形
・Crate and Barrel. Contemporary furniture, housewares and accessories.
http://www.crateandbarrel.com/
家具
・Panera BreadR > Home
http://www.panerabread.com/default.aspx
高級サンドイッチ
・Trader Joe's Specialty Grocery Stores
http://www.traderjoes.com/
世界の雑貨
・Sub-Zero Refrigerators, Freezers and Wine Storage
http://www.subzero.com/
冷蔵庫
・marthastewart.com - Recipes, Gardening, Crafts, Weddings, Home Decorating, Baby and Kids
http://www.marthastewart.com/
マーサスチュワート
・Welcome to Viking
http://www.vikingrange.com/main.html
キッチンレンジ
・Whirlpool Laundry Room
http://www.whirlpool.com/catalog/laundry_gallery.jsp
二層式洗濯機
・Pret a Manger - Welcome to Pret
http://www.pret.com/
パン、サンドイッチ
・Chipotle: Gourmet Burritos and Tacos
http://www.chipotle.com/
ブリトー、タコス
・Robert Mondavi - Age Verification
http://www.robertmondavi.com/
ワイン
・Kendall Jackson Vineyard Estate - A Taste of the Truth. Sonoma County Wines
http://www.kj.com/home.asp
ワイン
・Callaway Golf - A better game by design.
http://www.callawaygolf.com/Default.aspx
高級ゴルフ用品
2005年09月20日
誇大自己症候群
長崎の中学生による児童殺人事件、佐世保の小学6年生による同級生の殺害事件。
「普通の子」が突然、残酷で猟奇的な事件を起こして次々にニュースになる。精神鑑定をしても何らかの障害と診断される程度には至らない」という結論が出されているらしい。
だが、従来の基準では病気と言えなくても、こうした子供には共通する特徴があるという。
1 現実感の乏しさ、自己愛的な空想
2 低い自己評価とそれを補う幼児的万能感
3 他者に対する共感性の乏しさ、罪悪感の欠如
4 突発的に出現する激しい怒りや過激な行動
5 傷つきやすさ、傷つきへのとらわれ
などである。こうした一連の特徴を持つ人格を、著者は誇大自己症候群と名づけて、最近の異常事態の根底にあるものだと述べる。誇大自己症候群とは、発達の過程で現実的な自尊心や自信の形成に失敗し、それを補うために幼少期の誇大自己が支配を続ける状態であるとする。
原因は幼少時に溺愛され、その後見捨てられる体験をしたような、「溺愛と愛情不足の並存」した生育環境に生じやすいらしい。一見、恵まれた家庭で育った「王子様」がやがて周囲の期待に添えない現実に直面したときに陥ったりする。
誇大自己は、自分を神のようだと思い、母親らによって、すべての願望が満たされるのを当然のごとく期待する心のありようで、万能感と自己顕示性を目立った特徴とする。
彼らの非行も自己顕示による、奇妙な自己実現につながっている。
「名を挙げるために」「自分の力を示すために」「ただ者で終わらないために」
と取調べに答える子供たち。
破壊は万能感の表現でもある。
そしてこの症候群は、少年犯罪者だけでなく、広く現代人に見られる傾向であるという。「世界の中心の私」が増えているのだ。それは犯罪者ばかりではない。ワグナー、サルトル、クリントン、ガンジー、マイク・タイソン、チャーチル、O.J.シンプソンなどの著名人も、この症候群の傾向があったと著者はケース分析をしている。
そして、特にガンジーなど歴史上の偉業を達成した人たちは、幸運なきっかけにより、その偏向を克服できたのだとまとめられている。
後半には自己誇大症候群の10項目診断チェックリストがある。
最初の3つは、
自分のこと、自分の関心のあることばかり話したがる
大げさな表現や大きなことを口にしたがる
理屈っぽく、理詰めで話をする傾向がある
など。
おや、どうやら、私も自己症候群の傾向があるようだ。
大物になれるだろうか?(笑)。
飽食の時代に少子化で、甘やかされて育った世代が親になって、その子供が自己中心的に育っているということは、なんとなく分かる。その詳細を臨床の現場ではどのように分析しているかがよくわかる本であった。
・なぜ「少年」は犯罪に走ったのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002593.html
2005年09月12日
心は実験できるか―20世紀心理学実験物語
原題はOPENING SKINNER'S BOX : Great Psychological Experiments of the Twentieth Century。こどもを箱に閉じ込めて育てた実験、電気ショックを強制執行させるよう被験者に命令する服従実験、精神病のフリをして精神病院に入院してみる実験、脳の一部を切除してみる実験、記憶を捏造する実験など、賛否両論の有名な実験が10個取り上げられる。
1 スキナー箱を開けて―スキナーのオペラント条件づけ実験
2 権威への服従―ミルグラムの電気ショック実験
3 患者のふりして病院へ―ローゼンハンの精神医学診断実験
4 冷淡な傍観者―ダーリーとラタネの緊急事態介入実験
5 理由を求める心―フェスティンガーの認知的不協和実験
6 針金の母親を愛せるか―ハーローのサルの愛情実験
7 ネズミの楽園―アレグザンダーの依存症実験
8 思い出された嘘―ロフタスの偽記憶実験
9 記憶を保持する脳神経―カンデルの神経強化実験
10 脳にメスを入れる―モニスの実験的ロボトミー
たとえば二つ目のミルグラムの電気ショック実験とはこんな内容だ。
白衣を着た先生と患者役の役者の前に、事情を知らない被験者を呼ぶ。患者役には電気ショック装置がつけられている。機械は偽物で本当は電気は流れないのだが、被験者には知らされていない。白衣の先生は、被験者に文を読み上げさせる。その文を患者役は繰り返す。間違えたら被験者はボタンを押して、患者に電気ショックを与えるよう指示する。
患者役は故意に間違える。白衣の先生は間違えるたびに電気ショックを強くしていくよう被験者に指示を与える。高圧になると患者役は絶叫し、ぐったりする。一番上の450と書かれたボタンには「危険。極度のショック」とまで注意書きがある。被験者は途中で倫理的な葛藤に悩まされる。途中で先生役に実験中止を求めたりもする。感情的に不安定になったりもする。
だが、結局、65%以上の被験者は高圧電流のボタンを押したし、実験条件を反抗しやすく再設定してもなお、30%以上が最高の電圧ボタンを押してしまった。白衣の先生が大丈夫といったし、これが意義のある実験だと信じていたためである。人間がいかに権威に服従しやすいかを証明した実験だと言われる。
現代の基準では倫理的に問題のある実験であることは確かだ。著者は実験に参加した人たちを探してインタビューすることで、当時の実験状況の詳細や、関係者の心理状態を暴き出す。ミルグラムの実験は、正しい手順を踏んでいたのか、そして結局、何を証明したのか。
著者は明らかにこれらの心理学実験を批判的に見ている。倫理的に問題のある実験を、自己の興味や名誉のために行った科学者たちに嫌悪感を持っている表現がたくさん見受けられる。愛や利他的行動や、その他の人間的な心のはたらきを、単純な損得計算や、脳の機能モジュールに還元する考え方も好きではないようだ。
むすびで、
「(実験心理学について)
心理学と科学とが結びついたこの学問は、誕生のときから先天異常があった。自力で呼吸できなかったのである。科学を、問題を体系的に追究して普遍的な法則に相当するものを生み出すものと定義するならば、心理学はその条件を満たすことに失敗し続けてきた。科学は現象を命名し、分離し、時間関係の中に位置づける。けれど、どうやって思考者から思考を、流れる思いの中から観念を分離できるというのだろう。
」
と著者は見解をまとめている。
これらの心理学実験の話は、マーケティングやコーチング関係のビジネス書にも、論拠として取り上げられているのを目にする。だが、実験環境と実世界は異なるし、一人の人間が必ずしもすべての状況で一貫した行動をとるわけでもない。実際にはかなりいい加減な実験もあった。有名な科学者の実験だからといって、無条件に信じては危ないのだということがよくわかる。
・ 「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003417.html
2005年08月01日
チャット恋愛学 ネットは人格を変える?
#私も実はチャット婚。
何を隠そう私の最初のハンドル名はChatman。96年〜97年頃、初めて作った個人ホームページには必死でCGIを勉強して、Webベースのチャットルームを開設していた。当時の私のメールシグネチャはこんな感じだった。
開設した動機は、チャットルームの管理人というのが、男女を問わず、モテると思ったから。実際、管理人はただログインするだけで参加者から「おつかれさまですー」とか「いつもお世話になってますー」などと挨拶してもらえる。黙っていると都合の良いほうに解釈してもらえるなど、役得は多かった。
ディスコのダンパ(死語?)でも”スタッフ”が無条件にモテたのと同じ原理だろう。チャット恋愛の必勝戦略は出会いの場そのものを作り出すことである、とか、言ってみたりして。
さて、私の経験はともかく、この本はチャット恋愛について、大学講師でラジオパーソナリティで、チャットにハマった女性が書いた社会心理学的な内容である。
ネット上で異性に魅力を感じる社会心理学的な理由として、アダム N.ジョインソンの著書「インターネットにおける行動と心理―バーチャルと現実のはざまで」から次の4項目が引用されていた。
1 類似性
共通の興味や関心、お互いに似たところ
2 自己呈示
「ほんとうの自分」を私に見せてくれた感、見せられる感
3 自己開示と相補性
自己開示をする、された二人が信頼関係を強めていく
4 理想化
理想的な自分を演じる
・インターネットにおける行動と心理―バーチャルと現実のはざまで
つまり「ほんとうの自分」の開示方法をめぐるゲームがチャット恋愛なのだ。
「現実のチャットでの「ほんとうの自分探し」に夢中になり、そうして獲得したオンライン・ペルソナ、すなわち「ハンドルネームとしての私」がより強い人格になっていく。こうして、彼ら、彼女らはチャットに「ハマって」いくのである」
「ほんとうの自分」はどこまでいっても括弧付きである。何らかの意味で文字通りカッコをつけている。ジョハリの窓という自己開示の有名な理論がある。
・ジョハリの窓 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93
「
自己には、「公開された自己 」(open self)、「隠された自己」がある (hidden self) と共に、「自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己 」(blind self) もあるし、「誰からもまだ知られていない自己 」(unknown self) があると考えられる。
」
表+裏+blind selfやunknown selfも含めて総合した上で、括弧なしのほんとうの自分ということなのだろうけれど、チャットでは人はopen selfだけを演じることができる。この本では虚像のゲームの果てに、不倫やストーカー騒動に発展し、現実の生活を破綻させてしまった怖い事例が多数紹介されている。
最近、とても面白かったのが次のサイト。ネットゲームにハマって社会生活や結婚生活が崩壊した人たちの懺悔告白が何百も集約されている。著者の言うように仮想的な人間関係は濃すぎるが故にハマりやすいが、濃すぎるということはその実「薄い」のだということを示している実例集といえそうだ。。
・今からネトゲを始めようとしている人を止めるサイト
http://www.geocities.jp/netgamestopper/
2005年07月28日
間合い上手 メンタルヘルスの心理学から
■間合い=時間と距離と心理の近さ
この本の理論では、間合いには、
・時間的間合い
・距離的間合い
・心理的間合い
の3つがあり、相互に関与しあっているとされる。
距離的間合いはパーソナルスペースの理論、プロクセミクス(近接学)としてよく知られているが、この著者の理論はそれに距離と心理の近さを複合したものといえる。こうした間合いづくりに失敗すると間が悪い、決まりが悪い、バツが悪い状況になる。
わかりにくいのは心理的間合いだが、社会学者フレンチ、レイブンらの研究によるとこの間合いには6つの社会的勢力が影響しているという。
1 専門性パワー
送り手の知識量、受け手の認識による影響力。医師と患者。教師と生徒など。
2 準拠性パワー
影響の送り手のようになりたいと思わせる力。教祖と信者、親と子など。
3 正統性パワー
送り手が正当な権利として力を行使し、受け手が認める。上司と部下など。
4 強制性パワー
服従しないと罰を受けると感じる。処分決定の教師と生徒、人事など。
5 報酬性パワー
送り手が報酬を与えると受け手が認識している関係。ほめたり小遣いをやる。
6 情報性パワー
コミュニケーションの内容が情報的価値を持つと認識された相互的関係
これらのパワーが心理に影響した結果、対人認知が形成される。6つの影響のブレンドで人の印象が決まるということだ。認知の仕組みとして、林文俊の「対人認知の基本3次元」が紹介されている。
1 個人的親しみやすさ
あたたかさ、やさしさ、愛想のよさ、温厚性、明朗、魅力など
2 社会的望ましさ
誠実性、道徳性、良心性、道徳性、理知性、堅実性、心細さなど
3 力本性(意思の強さ+活動性)
外向性、社交性、積極性、自信の強さ、意欲性、大胆性、粘着性など
TPOに応じて3つの要素の重視される度合いは異なる。その場にふさわしい特徴や資質は何かを適切に判断し、6つの社会的影響力のバランスを取れる人、それを正しく受け取れる人が、間合いのよい人ということになる。
そこにはテクニックもある。たとえば若者の男女関係において「最初は友達からはじめましょう」は、いきなり恋愛関係を申し込んで断られる予期と心理的ダメージを回避するための間合い取りであると例が出ていた。
また非言語の要素は印象形成に大きな役割を果たしている。表情をうまく制御したり、正しく認知できることは、対人関係の良好さを得るに当たり、重要な能力であるらしい。グループで表情の読み取りテストを行うトレーニングが間合い上手への道として紹介されていた。
■もてない、続かない、結婚できない理由の研究
間合いが下手だと、変わった人、浮いた人、空気が読めない人、鈍感な人という印象を周囲に与えてしまう。それが端的に現れるのは恋愛関係だろう。この本にも多数の恋愛における間合いが、解説されている。
ある研究によると、長続きしない男女関係というのは、次のようなステップを踏んでしまうという。
アイデンティティの恋愛理論
1 相手からの賛美、賞賛を求めたい
2 相手からの評価が気になる
3 しばらくすると呑み込まれる不安を感じる
4 相手の挙動に目が離せなくなる
5 結果として交際が長続きしない
つまり、自分のことばかり考えているとうまくいかないということ。二人のことを考えないと長く続かないということで、芸能人と著名経営者のカップルが離婚するような例はこのパターンなのだろう。
「結婚できない男」も科学されている。心理学者富重健一が女性に結婚できない男性のイメージを尋ね、模式化したところ、、出会いにおいて「話しかけられない男」、恋愛において「親密になれない男」、結婚において「決められない男」が結婚できないという結果が出たそうだ。
たまたま、さきほど聴いたばかりの曲に、こんな歌詞があった。
・四次元 Four Dimensions [MAXI]
「
君には従順を 僕には優しさを
互いに演じさせて 疲れてしまうけど
それでも意味はあるかい と思う
今もほしがってくれるかい 僕を
」And I Love You / Mr.Children
これくらい二人関係をメタ認知できないといけないのかもしれない。
■自己効力感が間合い上手の秘訣
そして間合い上手の結論として、対人関係における自己効力感が大きな役割を果たしているのではないかという。こうふるまえばこうなるという結果予期と、そういう関係を作る能力があると信じる効力予期の二つが自己効力感といえる。
心理学者バンデューラによると自己効力感の源は次の4つ。
1 直接的経験による達成
実際にやってみて学ぶ
2 代理的経験
他者の経験から学ぶ
3 言語による説得
ほめることでやる気、できる気にさせる
4 生理的・情緒的喚起
緊張をほぐす、など
自己効力感の低い人は間合い作りに失敗するとすぐ諦めてしまう。逆に間合いが上手な人というのは、対人関係に自信を持っていて、経験から学んだ調整技術を使いこなせる人だということ。巻末には多数の調整技術の訓練法が示されていて、どれも面白そうなので試してみたくなった。
日本の場合、同質性の高い集団であるから、間合いの微妙なズレに敏感になる傾向があると思う。皆が人間関係を重視すればするほど、一層小さなズレが意識され、「自己コントロールの檻」に囚われてしまう。もっとズレが価値になるような多様性と重層性のある社会こそ、幸福な社会なのではないかなあと思う。
・自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001129.html
・人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001278.html
・マンガ・心理分析
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002605.html
2005年07月07日
知的好奇心
この本の初版は1973年とかなり古い。
人間は本来怠け者なのでアメとムチで動機づけしなければ活動的にはならないという人間観を、20世紀の古典的な行動主義心理学は提唱していた。これに対して、人間は本来活動的で、自分の能力を発揮するのを好み、知的好奇心にかられて知的探索をおこなうかたちで学習もしていくという新しい人間観をこの本は打ち出していた。外発的動機よりも内発的動機が本質であり、知的好奇心を育むことが、教育や労働の現場に求められているという内容。
知的好奇心を持たせるには、多様な刺激の量が適切に与えられていることが大切だという。設備が貧弱で人員の少ない劣悪な施設で育てられると、子どもはIQが平均以下になってしまうそうだ。ホスピタリズムと呼ばれるこの悪影響の原因は、愛情を注いでもらえない環境にあるという説もあったが、どうやら愛情そのものが問題ではなく、愛情にもとづく行動のもたらす結果にこそあると著者は述べている。
愛情を持ってこどもを育てる母親は、こどもに積極的に話しかけ、あやし、わらいかけ、スキンシップをする。一緒に遊ぶ。すると、こどもに多様な刺激が入力される。これが知的好奇心の育成に大切なことであるらしい。早親の愛情そのものが不在でも、多様な刺激のある環境におくとIQが高まったこどもの実験例も紹介されていて興味深かった。
多様な刺激が好奇心を育む。そして学習が進むと人は今度は逆に新奇なものを恐れたり、嫌ったりする保守主義の傾向がでてくる。
人間は信念や知識を否定する対象を避けるという事実を証明する面白い実験の話もあった。テープに、喫煙と肺がんの関係を支持している話、支持していない話を6話ほど録音しておく。このテープ再生機には意図的にノイズが入るように設計されている。このノイズはボタンを押せば数秒間解除される。聞きたい話の時には被験者は積極的にボタンを押すはずだ。
この実験を行ったところ、喫煙者は非喫煙者よりも、肺がんと喫煙の関係を認める話の部分でボタンを押す回数が少なかったという。聞きたくないことは聞かないわけだ。キリスト教を攻撃するメッセージを次に録音して、今度は信者とそうでない人たちに聞かせると、同様に信者はキリストを攻撃するメッセージでは、ボタンを押す回数が少なかったという。
しかし、新奇なものを人は好む面もある。これは程度問題で、自分の行動や思想を大幅に修正しなければならないほどの新奇さは、避けようとするが、適度に新しいものにはむしろ積極的に吸収しようとする。ただ新しいということだけで十分に人は好奇心を持つ。サルでも同じで、ごほうびがなくてもパズルを投げ込むと解こうとする実験結果が示されていた。アメとムチ以外にも活発化させる動機が動物にもあるわけだ。
もうひとつ大切なのが向上心。成功する早期教育の例として、著名な音楽教育者のバイオリンをこどもに教えるには?というアドバイスが、小さい子どもの親としては興味深い。最初に習うはずの曲を何も言わずに家でBGMにかけておき、繰り返し聞かせておく。さらにいつも聞いていたその曲を母親や同年代のこどもが演奏している場面を見せる。有能さのお手本を自然に見せることで、多くの子どもが1,2ヵ月後に自分からバイオリンを習いたいといい始めるそうだ。
後半は教育論。知的好奇心をひきおこすには、
こどもの持つ信念や先入見の利用
足がかりになる知識を与える
既存の知識のずれにきづかせる
とよいとまとめられている。
内発的動機の作り方について示唆に富む本で、文章が読みやすい。
・集中力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001205.html
・学ぶ意欲の心理学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003134.html
2005年06月05日
「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た
世間で広く使われている心理テストの多くが根拠のないニセモノで当てにならないことを説明してくれる本。誰もが就職の適性検査や性格診断で一度は受けたことがあるような有名なテストが次々に槍玉に挙げられる。
そうか、やっぱりあれは嘘なのかと納得。
■統計的に嘘だらけの心理テスト
1 血液型で性格を分類する「血液型人間学」
2 インクのしみを見た感想で精神状態を分析する「ロールシャッハ法」
3 単純な大量の足し算の出来具合から性格を分析する「内田クレぺリン検査」
4 質問にYESかNOで答えさせ性格を分類する「YGテスト」
5 血液型人間学が嘘というのはもちろんわかっていたが、
こうした心理テストは意味がないのだと著者ははっきりと述べている。血液型人間学でA、B、O、AB型はそれぞれの特徴的な性格を持つとされる。だが、実際の性格特徴と血液型の相関関係を調べてみるとほとんど一致しない。ただし、調査数が多いとたまに有意度5%の相関が見出せることがあるが、これは当然の確率で発生する誤差に過ぎない。
スポーツ選手や政治家にO型が多いというような調査データにもとづく、職業と血液型の証明についても、毎年調べると、その年が例外であったことがわかる。血液型人間学の支持者たちはたまたま多かった年度だけを取り出して根拠としているだけなのだ。
血液型人間学や占星術のようによく知られたテストでは「知識の汚染」も発生する。被験者が既にA型らしさやてんびん座の性格を知っているために、答えが誘導されてしまう。就職試験では望ましい答え方を受験者は知っている。本当の性格がテストに現れないことが多い。
■バーナム効果のまやかし
YGテストのように
「あなたは人に好かれ、尊敬されたいという強い欲求があります」
「あなたは自分自身を批判する傾向があります」
「あなたには使われていない潜在能力がたくさんあります」
というような記述に自分が当てはまるかどうかを答えさせる心理テストは多い。
そこでは誰もが当てはまるような一般的な性格記述を自分だけに当てはまるとみなしてしまう現象が起きる。占いの診断結果を信じてしまうのと似ている。
明らかに間違っている心理テストがなぜか現場では当たっているように思われる理由のひとつが、誤診率と基礎確率の問題にある、という説明は面白い。たとえば70%の誤診率で精神病者を見分ける心理テストがあったとする。そのテストを精神病院が採用し、90人の精神病者と10人の正常者がやってきてテストを受ける。
すると27人の精神病者が正常者と診断され、3人の正常者が精神病者と診断される。3割は誤診である。一方、心理テストを使わず100人全員を精神病者だと決め付けた場合、誤診は1割である。バーナム効果を持つテストを使うと、全員がイエスと答える結果になるわけだから、決め付けたときと同じで高い精度のテストのように見えてしまう。
ポイントは精神病院には高い基礎確率で精神病者がテストを受けに来ることにある。そのような環境では自分だけに当てはまるように思える一般的記述のテストは、成功しているように見えてしまう、まやかしが生じる。これをバーナム効果というらしい。
テスト業者が儲けるのはともかく、こうした無根拠で当てにならない心理テストで、就職や昇進が左右されるのは大きな問題だと著者は指摘している。
2005年05月22日
ヒトはなぜペットを食べないか
今日の日本では全世帯の36.7%で何らかのペットを飼っている。そのうちイヌは64%、ネコは27%。
■「食べてしまいたいほど可愛い」
前半のイヌを食べた人々、ネコを食べた人々の章では、古今東西の歴史を振り返り、多数の実例が紹介されている。日本でも中国でも西洋でもイヌはかなり食べられていた。ネコもイヌほどではないが料理されていたことがわかる。タヒチではイヌを女性が可愛がりながら母乳で育てるケースもあったが、これもやはり食べてしまう。母乳で育てたイヌは肉が柔らかくておいしいのだそうだ。
韓国でも犬料理は伝統らしいが、近年はオリンピックやワールドカップの度に、海外の野蛮だという批判を避けるため、期間中、大通りの店舗は営業自粛しているらしい。
犬料理情報ページもある。
・le gastronomique de chien 〜犬料理大全
http://kurumi.sakura.ne.jp/~yen-raku/chien/
「このWebは、食材としての犬の魅力を、余すところなく伝えるページです。」
「犬食体験談 犬を食べた方々からの投稿です。」
まだ結構食べられているわけだ。中国でも周恩来は大の犬食好きで田中角栄と犬料理三昧を楽しんだのだ、とか。
そして、続く第3章は「ペットを愛した人々」。これはペットを性的に愛してしまった人々の話ですなわち獣姦の歴史である。世界の神話の中で人間はしばしば動物と結婚している。日本でも私たちの先祖はヘビやワニと積極的に交合している。聖なる動物は神であり、神と結ばれることで、生命力を受け継いだり穢れを浄める意味があったと言われる。
ヒトと動物がシームレスにつながっている時代というのがあった。しかし、近代に入ってペットという概念が生まれて、人はイヌやネコを食べたり、動物と交わったりしなくなった。タブーになった。
■性と食のタブーは同じ、ペット食は近親相姦
では、このタブーの正体とは何なのか。著者はこんな表で説明している。
A | Aで非A | 非A | |
性文化 | エゴ | 近親 | 他人 |
食文化 | ヒト | ペット | 野鳥獣 |
「
自己=人間に近く親しく類似していればいるほど、タブーが強くなるということは、つきつめて考えると、性の領域では自分自身だけを愛する<自愛>を禁止し、食の領域では自分自身を食べる<自食>を禁止していることになるだろう
」
食べてしまいたいほど可愛いと思う感情は、食と性の欲望が同じ源に発しているのだとする。そして、自分自身でも他人でもない境界線上にいるペットを食べてしまうのは近親相姦と同じという論理だ。
しかし、近親相姦の範囲が文化によって異なるように、タブーの範囲は文化によって異なる。普段はタブーであるが故に、逆に祝祭や儀式などハレの日だけは食べるという文化もある。
最近ではソフトウェアとして動くペットや、AIBOのようなロボットも登場している。インタラクションが巧妙で、機械とはいえ情が移り、動物のペット同様に感じる人もいるだろう。そうなると電子ペットもあっさりデスクトップのゴミ箱に入れたり、廃棄したりできなくなる。バーチャルワールドでも将来、タブーが発生する可能性はあるのではないか。電子ペットを捨てると電子動物愛護協会から非難されたり、隣人に白い目で見られたりするようになるかもしれない。
20年後くらいに、
「いやあ、昔は電子ペットなんて飽きたら捨ててましたよ」
などと言ったら、かつてペットを食べていた人と同じ扱いになるのかもしれない。その頃には「なぜ人は電子ペットを削除しないか」などというタイトルの研究本が出版されていたりして。
2005年03月22日
人はなぜ憎しみを抱くのか
1923年ベルリン生まれでナチス迫害を逃れ米国に亡命し大学で教えた後、今はスイス在住の精神分析医が書いた本。
テロリズム、民族紛争、原理主義。人の憎しみという破壊的な感情とどう折り合いをつけるかは、今世紀前半の一大テーマだろう。憎しみを解消するために、経済格差の解決が課題だとか、政治イデオロギーを乗り越えるべきだとか、異文化相互理解が必要だ、などいろいろな意見がある。
この本では、こども時代の親との不幸な関係がうみだす「自分の中の他人」こそ、憎しみの根源であるという。小さなこどもは親に依存して生きるしか術がない。自然と親が無意識に求める要求を想像して、本来の自分を排除してでも、それを満たそうとする。その過程で排除された本当の自分は消えずにこころのどこかに「自分の中の他人」として残ってしまう。この自分の中の他人に対する憎しみが、外に向かってあふれだす、というのが著者の持論だ。
優しく育てればよいというわけではないらしい。こどもを怒ってはいけないと思う母親が、悪いことをしたこどもを叱らないとする。否定的な感情はこどもには見せたくないという気持ちで、外面的には優しく接してしまう。すると、こどもは、本当は母親が怒っていることを想像しているのに、実際にはそうではない母親と直面することになる。こどもは本当に感じたことを認めることができなくなってしまう。締め出された気持ちが「自分の中の他人」になり、ことあるごとに、こどもを苦しめる。この苦しみが外や内へ向かい、自分や他人を罰しようとする気持ちに変わっていくという。
無視、無関心も原因になる。「自分の存在が認めてもらえないと、自分を認めてくれない親の目で、自分自身を否定的に見るようになる」。そして「親が愛してくれないのは自分が悪いからだ。自分のせいだ、親は良い人たちなんだから」とこどもは考えるようになる。そしてやがて、権威に対して服従することで、こころの中の軋轢を解消しようとする。
権力者への服従や原理主義への傾倒も、根源はすべて自分の中の他人に発する憎しみが根源であるという本だ。第2次世界大戦のナチスのホロコーストにせよ、9.11の同時多発テロにせよ、真の問題はつまり、彼らの親が育て方を間違ったんだよ、という大胆な結論を言いたいようだ。
「憎しみは親の働きかけから生まれる」とはっきり書いている。論旨は明快。こうした憎しみの生まれるメカニズムを客観的に知ることで各自が自分を見つめなおし、自分の中の他人から解放された自分らしい生き方を見つけ出すことが、世界の問題の解決につながる、と結論している。
この、親の育て方が間違ったが諸悪の根源、というのは大胆すぎる結論のような気もするのだけれど、「三つ子の魂百まで」という諺が日本にもある。ひとりひとりが、自分の今の状態に満足し、権威への盲目的服従や強すぎる劣等感や優越意識で心の埋め合わせをせずとも幸せな状態であるならば、確かに戦争やテロリズムは、起きないかもしれない。
世界平和のためにはまずは子育てをちゃんとしましょうという論理、それなりに説得力があるようにも思えた。
一人っ子の長男は1歳8ヶ月。彼は果たしてこういう問題と無縁でスクスク育ってくれるだろうか。最近、性格がでてきた。私に似ておっとり型。研究熱心タイプ。アルファベット24文字を覚えて、街で英文字を見ては、得意げに教えてくれる。Wは発音が難しいらしく、声を小さくごまかしている。
とりあえずここ数日はロタウィルス(こどもがよくかかるらしい、はじめて知った)に感染してぶっ倒れている。ABCの次は平和主義者教育をするので、早く元気になってくれよっと。
2005年03月17日
ワルに学ぶ「実戦心理術」
ウケた。
面と向かってほめない、けなした後にほめる、シメだけ自分がやる、恩に着せるおごり方、など基本から高等テクまで、70以上のワルになるノウハウが「自分の株を上げる」「失敗を逆手に取る」「駆け引き」「嫌なやつとつきあう」「その人の心を手に入れる」「自分のペースに巻き込む」の6章にまとめられている。
個人的に面白かったベスト3を紹介するとこんなかんじ。
・絶対ばれないウソを使って持ち上げる
「昨夜、部長とゴルフをしている夢をみましたよ」
確かにばれない。
・「端数」を使う
端数の方が強力
「九千八百円貸してくれないか」 > 「一万円貸してくれないか」
「首都圏の81.2%の家庭で...」 > 「80%」
「では3時50分にロビーで」 > 「4時」
・反対意見を分断する
例えば20人中8人があなたの意見に反対だった場合、「賛成12、反対8」では、反対も結構居るので決定しにくい。そういうときは、こう言いなさいというノウハウ。「つまり、賛成意見が12、もっとテストしてからが2、改良の余地ありが1、○○が1、△△が1...」。反対意見をバラバラな少数意見としてしまう心理テクニック。
仕事のワルだけでなく、「女を泣かせたらもう一度(映画などで)泣かせれば最初の泣いた理由が薄れる」などの男女駆け引きのワルのノウハウも混ざっている。1つのノウハウが2ページ程度で読みやすい。
ビジネスシーンで多少のワルであることは大切なことかもしれないと最近思うようになった。
仕事の交渉や営業、問題解決の会議などでこうしたテクニックを使っている人はよく見かける。自分でもたまに仕掛ける。こうした技術は何冊か本を読んでいるとパターンが見えてしまうので「ああ、彼、仕掛けてきてるな」と気づいたりするものだが、30を超えたあたりから、そういう人の方がむしろ頼もしくて一緒に仕事をしたいと思うようになった。仕掛けが分かっていても、敢えて乗ってみるようにもなった。
ワルと悪は違うわけでしたたかさも必要なことは多いと思う。なんて言ってる私は、やっぱり汚いオトナになってしまったのだろうか。
関連書評:
・NYPD No.1ネゴシエーター最強の交渉術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003031.html
・トップに売り込む最強交渉術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000324.html
・心の動きが手にとるようにわかるNLP理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000609.html
・「できる人」の話し方、その見逃せない法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000445.html
・悪の対話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002109.html
・ハーバード流「話す力」の伸ばし方!―仕事で120%の成果を出す最強の会話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000228.html
・パワープレイ―気づかれずに相手を操る悪魔の心理術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000150.html
・ソリューション・セリング―賢い売り手になるための10の戦略
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000145.html
2005年03月08日
学ぶ意欲の心理学
■学習動機の二要因モデル
学校や企業組織の学習で「外発的動機」「内発的動機」ということがよく言われる。前者は外(上)からのアメとムチ、報酬や賞罰であり、後者は自己実現だとか本人の内側から湧き出るやる気のこと。
東大の教育心理学の教授である著者は、大学の新入生に「あなたは高校まで、なぜ勉強してきたのでしょう」「人は一般になぜ勉強しているんだと思いますか」という質問を行い回答結果群をグルーピングした。すると外発、内発というわけ方におさまらない回答が多かった。
そこで6つのグループに分類し、二つの軸を与えて次元化することで「学習動機の二要因モデル」として構造化した。
・二要因モデル
上段の3つ充実、訓練、実用は相関が高くなるらしい。下の段の関係、自尊、報酬も割合強い相関を持ち、上段と下段は無相関であるそうだ。上段は内容関与的動機(学習内容に関係が深い、英語の勉強は楽しい)、下段は内容分離的動機(学習内容に関係がない、英語ができると親にほめてもらえる)という名前が与えられた。
このモデルは学校でも企業でも活用できそうな有意義な図であると思った(それでパワーポイント化したのが上の画像)。
■論敵との対談2本で浮かび上がる現代教育の論点
この二要因モデルは上段が内発で下段が外発であると勘違いしやすいが、よく図を見ると、そうではなくて対角線にある要素が内発・外発の組になっていることが分かる。精神医で勉強法のベストセラー作家の和田秀樹もこの図を間違って解釈して、うっかり本の中で著者を批判していたらしい。
この本の第2章は、そこから始まった2人の徹底討論である。和田氏は徹底的に外発動機を重視しており、「教授になるとバカになる論」を主張している。一度、終身的な職業である教授になってしまうと、外発動機が働かないので学ばなくなる。だから、和田氏によれば、いっそ教授の上に大教授だとか超教授を作ってみたらどうか、などとユニークな意見。
これに対して、外発的動機は学習の入り口として有効性を認めながらも、それだけじゃないだろうという著者の反論。結局、ふたりは共通する思想を持っている点が多いことも判明するが、最後まで意見は噛み合っていない。現実の教育への言及数の多い和田氏が若干、説得力で優勢か。なかなか面白い口ゲンカ。
第3章もまたもや論敵の教育社会学者・苅谷剛彦氏との対談。「弱者の味方」と称する「強い個人のモデル」という著者の意見が面白い。みんなそれぞれ良いところがあるから個性を尊重しよう、が行き着く先は、一握りの強い個性を持つ成功者の世界になるのじゃないかとは私も思ったから。
現代日本では「ゆとり教育」、「総合的な学習」、「個性尊重」、「新しい学力観」「生きる力」がもてはやされる。逆にかつての「詰め込み教育」は悪で、熱意を持って教師が特別に教えようとすると「それは教え込みでしょう」「こどもの思いはどうなっていますか」などと批判の対象になる。
苅谷氏の語る英国教育事情は日本に通じる部分がありそうだ。「目に見える教育法」「目に見えない教育法」のふたつがあり、個性重視の「新学力観」「生きる力」などは後者である。目に見えない教育法は英国では新中産階級にとっては受け止められやすかったが、ミドルクラスには不評で、ワーキングクラスにとっては不利にさえなるという結論がでているという。
「世界に一つだけの花」が無数に咲くのはいいのだけれど、美しいのは一握りの花のような気がする。そして、個性の花を立派に咲かせるには相当のコストが必要だろう。このふたりの議論を読んでいると、もちろん詰め込み教育、偏差値教育に戻るべきではないけれど、公教育が行き場のない個性化、個別化に向かっている現在のあり方はどこか間違ってしまっているように思えた。
■二要因モデルを超えて
第4章では心理学的な考え方に沿いつつ「やる気を出す方法」が語られる。キーワードだけ抜き出してみた。とても興味深い最終章。
第1ステップ 内容分離的動機から入る
賞罰を自律的に使う
編集者に締め切り設定を自ら依頼する
対人的環境を整える
いいライバルをつくる
第2ステップ 内容関与的動機を高める
学習の楽しさを倍加する工夫
作品化、自分との競争、多重に支えられた動機
教訓の引き出しによって「何が賢くなったか」具体化する
学習の転移、使える応用場面、教訓として一般化
習ったことが役に立つ場面を設定する
学んだことが活きる、機能的学習環境
基礎に降りていく学び
何かやりたいことがあって基礎へ戻る
第3ステップ 二要因モデルを超えて
試練と使命がうむ「鉄の意志」
「なりたい自己」と「なれる自己」を広げる
刺激しあい啓発しあう場をつくる
読み終わった感想。
やはり勉強って普通に頑張ってやるべき部分、あるな、と。
私も頑張らねば。
2005年01月31日
喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
何の本だろうかこれは?と最初は思った。
でも、とても面白い本だった。
人類はなぜいまのような性質を持っているのかについて、進化論の視点から、多様な考察を行った24編のエッセイ集である。数ページの軽いエッセイから、小論文と呼べる中篇まで形式は多様である。テーマも、言語と意識の誕生、憎悪と信仰、服従心理、病気と自然治癒能力、こどもの教育、政治、歴史と多岐にわたる。
だが、全体を通して一本芯が通っているので、通読することで著者の進化論の総体がパノラマとして浮かび上がる構造になっている。考えさせられることが多い。
■クオリアの私物化、感覚の進化、単一の自己
脳と意識の進化において「クオリアの私物化というプロセスがあるのではないかという。
クオリアとはこころに浮かぶ感覚のことである。この感覚には次の5つの性質があるとまず定義する。
1 所有者
感覚は主体に属している
2 身体的位置
感覚は常に指示的であり、特定の身体の部分を呼び覚ます
3 現在性
感覚は常に現在進行中で完結していない
4 質的様態
感覚はユニークで他の感覚と異なる
5 現象的即時性
私の痛みは私が今そうした感覚を能動的に作り出している
こうした感覚は、単純な原始生物では、苦い成分を嫌って逃げる単細胞生物のように、ごく局所的反応をはじまりとする。やがて、進化した生物ではそれが神経で受け取られて反応を返すようになり、さらに人間では脳が受け取って情報処理行って反応を返すように進化してきた。
感覚の進化:
第1段階 刺激の部位で起こる局所的な反応
第2段階 反応は入力感覚神経を標的とするようになる
第3段階 反応は脳内で私物化されるようになる
第3段階では、反応は脳内で完結することができるのが大きな違いだ。私たちは自分で想像した何かに反応することができる。好きな異性を思い浮かべてうっとりしたり、好物の食べ物を想像してハラヘッタと思う。脳とこころによって、感覚はバーチャルなものになる。
なぜ感覚の私物化がおきたのか。それは刺激に対して短絡的に反応を返すことが、その生物個体の生存にとって妥当でない状況になったからだと著者は述べる。高等動物の生きる環境は、特定の刺激に特定の反応を返していればよいという単純なものではないからだ。この変化のおかげで、人間は仮想でシミュレーションを行ったり、不快を我慢して結果を出すことができるようになる。
そして、この諸感覚を統合する機構として単一の自己が登場する。これに対して、多重人格という症例がある。著者はこの特殊な病に一章を割り当て、単一でありながら多重の自己がありえるのか、を厳密に思考で検証していく。
■自閉症の少女が描いた絵は古代人の心を解明する鍵になる
著者は3万年前の洞窟壁画と、現代の自閉症の少女が描いた絵のタッチに多くの共通点を発見する。本書で例示される絵を見比べるとそれは一目瞭然である。どちらも拙い線画でありながら対象の動物の躍動感をとらえる自然主義的リアリズムを備えている。現代の一般の人間が描く絵とはどこかが違う。異質さが感じられる。
一般的に、私たちが絵を描くときには、まず頭で対象を言語化している。たとえばウマを描こう思ってウマらしい絵を描く。”ウマらしい”というのは、ウマというカテゴリの表徴であり、言語理解が前提となっている。個別のウマを描く前にカテゴリのウマを描くのだ。
著者は古代人と自閉症の少女は言語能力を持たないが故に、この指示的で命名的な、言語表徴の性質を持たない絵を描くのではないかと立論する。そこには訓練を重ねて獲得されるような美術的技巧はひとつもない。遠近法だとか立体感を持たせる視覚的な騙しはなく、ただ目に見えたイメージを線で表しただけである。
知能は未発達ながら天才的な芸術能力を持つ、サヴァン(白痴の天才の意)症候群の患者が描く超写実主義的な絵とも、特徴が異なると著者は指摘する。サヴァン症候群で写真のような絵を描く画家たちは、成長の過程で必ず先生に絵を習っている。サヴァンもまた自閉症の一種を伴うが、彼らは後天的に絵の技巧を学習した結果、天才的な画才を手に入れている可能性が高い。
つまり、自閉症の少女の絵は、言語や技巧と無縁の、古代人の絵と同じものなのだと著者は結論する。もしこれが真実ならば、私たちは古代人の心や、脳と意識の進化の過程を解明する極めて有力な糸口を発見したことになる。
■超美人と大天才の数が少ない理由
目の覚めるような美人や大天才はなぜ数が少ないのか。
ダーウィン進化論が真実ならば、私たちは自然の淘汰圧を受けて最適化されている。長い年月の淘汰と突然変異に磨き上げられて、今の私たちは今の環境に対して最も最適化が済んでいる完璧な生き物に近いはずである。
美人の定義は文化的な影響による変遷もあるが、つまるところ、左右対称な顔であり身体であるとよく言われる。完璧な左右対称を妨げるのは、寄生虫や病気や怪我である。逆に言えば左右対称を維持している個体はそれだけ健康で強いのだ。進化の最先端にいる私たちはみな同じように強いはずでもある。だが美人は少ない。
実は美人はあまりに容易に異性を獲得できるために、その他の能力開発を怠る傾向があるのではないかと著者は仮説を提示する。肉体的魅力の欠如は、その他の能力を伸ばす原動力になっているという説だ。社会的成功者は、これまでの進化論的に言えば、美男美女で埋め尽くされてもおかしくない。だが、実際にはそうはなっていないことからも、この仮説はなんとなく正しいかもしれないと思える節がある。
大天才も数が少ない。知力が人間社会の生き残りに重要な能力であることは疑いがなく、天才の数はもっと多くても不思議ではない。だが、大半の人類はIQ100に達しない。平均点の付近に多くの人間が分布する。
いくつかの実験で、記憶力と抽象化能力はトレードオフの関係にあるという事実が証明されたと著者は事例を持ち出す。脳の容量が少なかった古代人は見たままを記憶する能力に長けていた可能性がある。だが、たくさんのものごとを束ねて覚える抽象化の能力を発達させたグループがいて、単純な記憶力を持つグループを凌駕したというのが著者のもうひとつの仮説。
つまり、飛びぬけた美貌と、突出した知力は、実は隠れたコストがあって、その所有者たちは必ずしも進化上の勝者ではない可能性がある、というのだ。これが正しいならば、健忘症で、不器量で、鈍くさい人類が本当は勝ち組である。
■プラシーボ効果による自然治癒力
病は気からという。東洋医学だけでなく、西洋医学も、患者本人の自然治癒力の助けがなければ、直る病気も治らない。医療の本質は、身体が自ら直ろうとする力を助けることだ。偽の薬でも効くと思えば免疫系が発動し、化学物質や外科治療の介在なしに、効いてしまう(プラシーボ効果)。
では、なぜ自然治癒能力は病気になったら毎回すぐに発動しないのか?。これは良く考えると不思議な話だ。たまに深刻な癌まで直せるケースもある一方で、大半の患者は死んでしまう。誰にもある力なのに、なぜ常には使われないのだろう。
プラシーボ効果は常に外部の人間やきっかけがスイッチをオンにする。他の誰かに騙してもらわないと発動しない。
著者はプラシーボ効果の発動要因を「個人的体験」、「合理的な推論」、「外部の権威」の3つだといい、これらによって病気は必ず治るという信念をでっちあげるプロセスが必要だ。個人的体験は病気が偶然、何かのきっかけで治ることだから、確率的に滅多に起こらない。合理的な推論も一人では難しい。既に知っていることから演繹すれば、奇跡を結論しにくい。結局のところ、3番目の外部の権威が本質だという。
自然治癒力には隠れたコストがあると著者は指摘する。免疫系を病気の初期に発動させることはコストとリスクが高いのだ。放っておけばやがて直る病気に、全力で取り組むのはスペックオーバーだし、せっかくの安静必須のシグナルである痛みや不快感を、そうすべきでない時期に取り除くのは、逆効果である。いつ発動させるのが良いかは自分では不明である。進化の過程で、免疫系を過度に自己コントロールさせないように、その発動スイッチを、他人に渡しておくことになったのではないかと著者は述べている。
そして、その説を進めていくと、著者はプラシーボ効果で病人を治す、信仰療法治療家やシャーマンや占い師にも有益な役割を見出しているようだ。学者として、これはちょっとユニークだ。
■隠れたコストと冗長な進化の戦略
一見美徳で有利とされる性質には隠れたコストがあって、人類進化の能力の獲得と喪失に重大な影響を与えている、というのがこの本を通しての一大テーマといえる。
進化上、稀に先祖がえりが起きるのは、過去に喪失した性質は完全に失われたものではなく隠れているからだ。本当は遺伝子の発現スイッチがオフにされているだけで、その性質は代々受け継がれており、進化の袋小路に陥った際に、戦略的退化を行う機構を構成している。
私たちの進化機構は冗長で複雑なので、能力が最大値を取るということは、実は環境に対して最適ではない。何らかの中庸的な値に抑えておいたほうが、進化上の有利を実現できるかもしれないというアイデアを著者は展開する。(やっと西洋人も中庸に気がついたか(笑)。)
著者の進化論は、まったく新しいものではない。これはリチャードドーキンスの利己的な遺伝子論に始まる、正統派モダンな進化論の延長線上にあるバリエーションである。この本のニコラス・ハンフリーはドーキンスの正当な後継者と言えそうだ。
ポストモダンな最新の進化論の場では、ドーキンスの意見に異論の声もあがっている。そうした批判の声に対して、ドーキンスの説をさらに推し進め、現代文化のディテールの解明にまで手をつけて、いやこういう説明が成り立つと反駁もする。ドーキンスは原理を打ち出し、ニコラス・ハンフリーはそれに肉付けをしている関係。最近の分子生物学や脳科学方面からの反論にすべて答えたというわけではない(相手にしていない?)が、分かりやすさではこの本はとてもよく書けている。面白いのだ。
前書きだかあとがきにもあったけれども、新書数冊分の内容が一冊に凝縮されている。上記のキーワードのどれかが琴線に触れた人にはとてもおすすめ。
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
・気前の良い人類―「良い人」だけが生きのびることをめぐる科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002095.html
2004年12月01日
マンガ・心理分析
・マンガで心理学の理論を、気軽に面白く読ませる本。
中心となるのはpーソナルスペース論。以前紹介した同じ著者の「人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か」と似た内容をマンガと短い解説文で軽く読ませるB専門家の教授が文章と監修、漫画家が絵を描いているので、理論は細部をばっさり簡略しつつも、的を得た本になっていると感じた。
重複する部分があるが、パーソナルスペース研究の有名な実験がいくつか取り上げられている。
・Passion For The Future: 人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001278.html
マンガ版で、これは実用的だと思ったのが、小集団の生態を研究して分かった「スティンザー効果」の話。会議のノウハウとしてまとまっている。
1 対立する意見を持つ相手は正面に座る可能性が高く、議論の鍵を握る人物である
だから、議論をリードするには正面に座る人物の言動に注意せよ
2 誰かが発言した直後の発言は反対意見であることが多い。
だから、発言の直後には援護射撃を予め配置しておけば反対意見がでにくい
3 リーダーシップが弱小な会議ではメンバーは正面の人と話すことが多く、リーダーシップが強力な会議ではメンバーは隣の人と話すことが多い。
だから、隣の人とひそひそ話が始まったらリーダーはソフト路線に変更せよ
というもの。
他にも
・議論を活発にしたいなら男性ばかりで小さな部屋を使え
・男性のみの場合、主宰者の意見を全員一致で通したいなら広く快適な部屋を使え
・女性のみの場合、主宰者の意見を全員一致で通したいなら小さな部屋を使え
・会議が荒れるのを防ぎ妥当な結論がほしいときには女性を多く混ぜよ
・全員から意見を引き出したいなら丸テーブルを使え
・和やかにリーダーシップをとりたければ丸テーブルでリーダーの両隣を空席にせよ
などの研究成果が紹介されていた。コミュニケーションが盛り上がるかどうかは、演出や環境の力も大きいということだろう。それは無敵会議を1年間やってきて、統計的レベルではそうだなと理解できたことでもあった。
会議×会議で紹介したオンライン・チャットアプリケーション「タキビ」は、バーチャルコミュニティを盛り上げる仕掛けがよくできているなと思った。真っ暗な森の中で、焚き火をユーザのアバターが囲んでチャットをする。発言は薪になり、発言数が増えて盛り上がれば明るくなるし、逆であれば画面が暗くなっていく。リアルの世界でも、そんな仕掛けのある会議室、作ってみたら面白いかもしれない。
・iceGear
http://www.icegear.co.jp/products/
・窓の杜 - 【NEWS】独特のキャラクターが焚火を囲んで語り合うチャットソフト「タキビ」v1.00
http://www.forest.impress.co.jp/article/2001/07/19/takibi.html
「発言する場合はウィンドウ下部の文字入力スペースに入力すると、ニンゲンがふき出しでしゃべるようになっており、チャットのログもウィンドウ右に表示される。また、時間が経過すると焚火の勢いが弱まっていき、放っておくと消えてしまう。消えるのを防ぐには、発言すると時々出現する薪を拾って炎の中にくべてやることで防止できる。もし焚火が消えてしまうと何者かがやってきてニンゲンを食べてしまい、強制的にチャットから退去させられるので十分気をつけよう。 」
関連:
・Passion For The Future: 非言語(ノンバーバル)コミュニケーション
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000549.html
2004年11月29日
なぜ「少年」は犯罪に走ったのか
少年少女による事件が発生するたびに、関連語句を検索すると、いつも行き着いてしまうのがこのサイト。
・心理学 総合案内 こころの散歩道
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/
このサイトの著者が、最近の実際の事件をケース分析して、少年犯罪について一般向けに解説した本。
■「都会で少年犯罪が増え凶悪化している」は完全なデタラメ
ところで少年凶悪犯罪事件が最近、多いような気がしているが、実はそんな事実はないそうである。むしろ、実際はその逆でこの数十年で急激に減っているのだ。この数字はメディアの報道内容と違い、意外に感じる。
まず少年犯罪。警視庁がまとめた犯罪白書。昭和41年からの「交通関係業過を除く少年刑法犯の検挙人員および人口比(1000人あたりの比率)」は昭和41年が18万2000人、人口比9.0人で、ピークは昭和56年(1981)の25万人、人口比14.3人。最新の平成10年(1998)では18万4000人、人口比12.5人。横ばいで少しずつ減っている。
凶悪犯罪(殺人、強盗、レイプ)の検挙数は戦後すぐから昭和40年まではずっと300人前後。昭和50年に初めて100人を割り、その後は二桁が続き、今に至るまで3回しか100人を超えた年はないそうである。凶悪化は進んでいないどころか、減少している。
若者による殺人者率については10代の殺人者は30年前の6分の1にまで減っているという。これらの数字を総合して言えるのは、警察の取り締まり強化で検挙数は若干増えているものの、この数十年は若者の凶悪犯罪は目立った減少を安定して続けているという、感覚とは逆の結論である。
事実を歪める解釈がメディアによってなされている。たとえば少年犯罪が「前年に比べて急増」という報道は、実は前年が特別に少ない年だったのである。低年齢化も嘘であるそうだ。年長犯罪が大幅に減少したため、見かけ上、少年犯罪の割合が増えたように見えるだけだそうである。
凶悪少年犯罪は都会の問題と考えがちだが、実際は田舎の方が発生率が高い事実もある。メディアが作り出そうとしている「都会で少年犯罪が増え凶悪化している」はまったくの捏造だと分かる。
そして歴史を掘り起こしてみると残忍な少年凶悪犯罪は過去にも多数あって、現在がひどいわけではないことも分かる。それにも関わらず、最近少年凶悪犯罪が増えた、大問題だと考えるのは、ワイドショウ的にメディアが犯罪を頻繁に取り上げ娯楽化しているからであろう。
本当は問題ではないのに、ありもしない問題が作り出されてしまっているようだ。(もちろん、少年凶悪犯罪は少数でも問題であるし対策はせねばならないが)。少年法を改正して厳罰化する必要がないのではないかと著者はこの本に書いている。
■犯罪の動機の変化、逃げ場のない閉鎖的な人間関係が動機へ
全体としては減っているものの、犯罪の原因については変化があるようだ。
人間関係が希薄化して人の気持ちが分からない都会の子供が凶悪犯罪を起こす。一見正しそうな、この見方も間違っているようだ。実際には田舎の人間関係のように逃げ場のない閉鎖的な人間関係のもつれが、最近の凶悪犯罪の動機となっている。
たとえば大分の一家6人殺傷事件は、小さな町で起きた。家族づきあいのある家から、風呂場をのぞいたことを疑われた少年が、変態と呼ばれて行き場がなくなるなら、皆殺しにしてやるというのが動機であった。都会であれば引越せば知り合いのいない場所へ引っ越すことで解決できたかもしれないと結論されている。愛知体験殺人事件では親の過度な期待が少年を暴走させている。人間関係が希薄だからではなく、煮詰まりすぎたところで犯罪が発生しているのである。
ドラエモンに出てくるジャイアンを問題児扱いしない地域コミュニティが必要だと著者は述べている。ガキ大将のジャイアンは粗暴であるが、確かに学校の先生や両親からしばしば怒られている。怒られるが不良、問題児として見放されることは決してない。のび太やしずかの親もジャイアンと遊ぶなとは言わない。ジャイアンはドラエモンの設定では、将来、経営者として成功するのだそうだ。
こうしたガキ大将を中心とした「ギャンググループ」が現代では形成されなくなったことで、人間関係や社会性を自主的に学ぶ場が失われたのが問題ではないかと著者は問題提起している。ギャンググループ内で濃い人間関係やトラブルに慣れていれば、殴ることはあっても殺すことはないだろうというわけである。
また子供の「甘え」が悪いことと認識されていることも少年犯罪を起こす心理を作り出しているらしい。少子化に伴い、厳しすぎるしつけや過度な期待に対して、子供たちが逃げ場を失っている。真正面から受け止めてよい子を演じることが求められている。「よい子」でなければならないという圧力が高くなりすぎると無軌道に暴発する。どんなにダメで悪さをしても許される「安全基地」あってこそ、子供は将来に向けての自立の冒険ができるのではないかと著者は書いている。
■犯罪を娯楽消費するメディアと社会
少年犯罪を娯楽消費する社会では、犯罪者の少年を異世界の「モンスター」として扱いがちであるが、この本を読むとそれぞれに比較的明確な動機があることが分かる。欧米に多いサイコパスの凶悪連続犯罪とは違って、少数の弱者の犯罪である。羊たちの沈黙に登場するレクター博士のようなモンスターはそれほど多くない。
今後も少年犯罪が減れば減るほど、少数の事件が物珍しくなり、メディアに大きく取り上げられることが続きそうだ。犯罪の娯楽化は、ドラマや映画でも中心に犯罪があることからもうかがえる。娯楽は消費者があるから生産者がいる。犯罪を好奇心の受け皿として楽しんでしまう私たち現代人の心理が、”少年凶悪犯罪増加”の本当の犯人だと分かったのが面白い一冊であった。
2004年11月14日
中国人の心理と行動
日本人論、米国人論、英国人論などは数多いけれど中国人論はほとんど語られることがなかったとして、中国に詳しい比較社会学者が書いた本。戦後、欧米との比較に熱心だった日本では日本人論がたくさん研究されてきた。それに対して中国では、社会学や心理学が「ブルジョワ科学」とされ長い間停滞したため、中国人らしさとは何かが、あまり語られていないらしい。
この本では、中国人社会の心裡メカニズムの基本は「面子」「関係」「人情」にあるとして、それらの働きを考察する。この3つの言葉は中国語と日本語では意味が微妙に違っている。
中国社会とは、自尊心の強い自我中心型の個人が、相互の面子を大切にするために、高度な人間関係の調整技術を発達させていった社会であるようだ。
基本は4者関係にある。面識のないAさんがBさんに頼みごとをしたいとする。だが初対面の人にいきなり依頼しては「面子」が失われるので、お互いが中間人と呼ばれる代理人Cさん、Dさんを立てる。中間人の二人は、互いの依頼者の面子をつぶさないように、「人情」も潤滑油に使いながら、「関係」を作る。
どの国でもこのような関係調整は存在しているのだろうが、中国では特にこの調整が社会の隅々までをに影響を及ぼしていることがうかがえる。それは日本人の感覚からすると公私混同の社会でもあるようだ。中国の官僚組織では縁故採用やバックマージンが横行しているという。
「将来、あなたが要職に就いており、能力はないが昔からの友人があなたのところに来て職を求めてきた場合に、職を与えるべきでしょうか」というアンケートを実施したところ、与えると答えた日本人は6割に対して、中国人では8割。国有企業労働者のアンケートにおいても、企業内で昇進し成功する条件として、44%の労働者が「関係」を挙げている。これは13%「能力」を上回っている(幹部の意識調査では「能力」が1位になる)。
また、頼みごとをしたいときの贈り物「送礼」は、個人同士だけでなく、ビジネスマンと役人の間でも成立しているらしい。日本のお中元と違うのは、特定の頼みごとがあるときに一方向で贈られること。日本ではほとんど賄賂であろう。
もちろん、若い世代では意識はだいぶ変わってきているらしい。だが、根本的にはバックマージンや縁故採用が、法的にも道徳的にも、悪ではない社会だったからそうなっているということでもあるらしい。日本人が比較して批判するのは意味がなさそうだ。
面白いのは対人距離を3つのタイプで厳密に分けているという心裡の話。外国人が、中国社会に上手に入っていくには、誰の紹介ではいるかが大切だということでもある。
中国人は他者を「自己人」=身内、「熟人」=知っている人、「外人」=知らない人の3タイプに分類しているという中国人の研究が紹介される。それぞれのタイプは順に「欲求原則」「人情原則」「公平原則」が支配しているという。
自己人は家族同然であり、計算度外視で、持っている資源を与えるが、相手にも同じ行為を求める。外人は公平に扱われるがほとんど無視される。中間の熟人は相手が自分の求める資源を持っているかどうかで価値が決まる。
熟人同士の間では「人情」が潤滑油として使われる。「人情を作る」「人情を送る」という日本にはない語法が面白い。贈り物をすること、便宜を図ることの意味である。こうしたやり取りの中で親疎を調整していく。3つのタイプの間の仕切りは厳密で、どのタイプであるかによってまったく扱いが違ってしまうということ。
ここに描かれる中国人気質、一見、ドライでワガママに見えるのだけれど、人間関係を重視しているのは彼らの方なのだなという気がした。
この本で紹介される精神分析に詳しい人のコメントによると、
「日本人の場合、相手の期待に沿えないでノイローゼになるケースが多いが、中国人の場合は逆に、相手が自分を理解してくれないと思ってノイローゼになるケースが多い」
そうである。
2004年11月01日
人類はなぜUFOと遭遇するのか
面白い。
20世紀前半から最近までの膨大なUFO目撃事件の資料をベースに、スミソニアン協会が本当は何が起きていたのかを解明した本。
まずは米国空軍やCIAといった政府機関と民間の(かなり怪しい)UFO研究グループとの半世紀に渡る情報戦はなんであったのか。CIAもUFO騒動の初期には、原因不明の諸現象に対して真面目に取り組んでいたことが分かる。民間研究グループがしばしば槍玉にあげてきた情報の隠蔽工作もあながち嘘ではなかった。こんなCIAの正式文書(1952年)が引用されている。
「
2 前述した事実にもかかわらず、多くの報告が「説明不能」のままとされている。(惑星間飛行をしている異星人のものという説は完全には除外されていない)。この問題について、さらに長期的に注意をする必要がある。
3 主な対策の遂行とその権限などに関しては、航空技術情報センターと調整を行ったうえで、この問題に関するCIAの監視をさらに継続することを推奨する。CIAが関心を持っているという素振りを、マスコミや大衆には見せないよう、強く要請する。関心事であるということは、未だ「公にされていない事実」が、合衆国政府の手中に存在するという「確証」である、などと安易に受け取る人騒がせな傾向が、大衆にはあるからである。
」
そして、その後数十年に渡って、UFO情報を収集する部署が政府には存在していた。初期には高官にもUFOを異星人の乗り物やソ連の秘密兵器と疑っている人もいたようだ。だが、多数のUFO目撃事例を調べていくと次第に、大半は科学的に解明できる事柄か、虚偽の報告であり、当初警戒していたような敵国の脅威とは無関係であることが分かり始め、次第に部門は縮小されていく。やがてはやっかいもの扱いされ、二人くらいで資料整理をするレベルになっていく。まるでXファイルのモルダーとスカリーみたいである。
目撃例の中には数千人が数千機のUFOが空を飛び交うのを目撃した例もある。1949年の「ファーミントンの侵略」と呼ばれるこの事件は、実は気象観測用気球が大量に近くの基地から放出されていたことが数年後に分かったりする。これなど現場に立ち会っていたら宇宙人の襲来かと信じてしまうだろう。
アダムスキーら著名なUFO研究者たちの怪しい実態も明らかにされる。初期のUFO研究者たちは確信犯が多かったようだ。UFO信奉者たちの信じたいことに調子を合わせて機関紙購読者を増やしていく。彼らも会員ビジネスの一種であるから、熾烈な会員獲得競争の中、さまざまな話を捏造していく。そして1970年代になると著名なグループの倒産や著名研究者の実態暴露などに伴い、一度は異星人の訪問としてのUFOブームは終焉を迎える。
だが、UFO神話は形を変えてその後も続いていく。ロズウェル事件に象徴されるようなUFO墜落とコンタクトの報告だとか、目撃するだけだったUFOに乗り込んだり、誘拐されたり、ついには宇宙人とセックスしてきましたと証言するコンタクティの時代が幕を開ける。彼らの特徴は確信犯ではなくて、本当に信じていること。だが、証言内容を調べていくと、その時代のフィクションに強く影響されて見た夢であることが分かる。
やがて、異星人はもう社会に溶け込んでいるだとか、大統領は異星人と契約を結び、地下基地に数百万人を住まわせているだとか、いう話になっていく。近年のSFドラマのストーリーはまさにそんな感じだ。UFO目撃談の内容は社会を移す鏡なのだ。
社会の出来事とUFO目撃事件の数や内容は相関があるのだという。輪郭がはっきりしないようなあいまいな危機感が社会に蔓延している時期に目撃事件が増える。特に行く末が流動的になる大統領選挙の年に多いという事実がオットービリグという学者によって解明されている。
「
空飛ぶ円盤と異星人の神話は人類が自分の世界をどのように組み立てようとしているのか、という問題と関わっている。「丸い形をした異星人の宇宙船」という考え方は、世界についての希望のシンボルと見なすことも、恐怖のシンボルと見なすこともできるのだ。
」
というのが、この本の結論である。いたって真面目であるが、さまざまな事件のUFO報道のいいかげんさを綿密に検証して暴きだしており、大変読み応えのある本だった。子供の頃より、疑問に思っていた「あの事件は?」の真相が次々に明らかになるのも面白い。宇宙人がいないと言っているわけではなく、有名なUFO騒ぎは一部の人が意図的に作りこんだ、でっちあげだということを、著者は多くの人に伝えたいようだ。かなり、納得できた。
ただ、逆に政府機関は情報を組織的に隠蔽する可能性があることが立証されてしまった側面もある。実際問題、もし地球外生命体から密約オファーが大統領に持ち込まれた場合、政府はどう対応するのであろうか。ここに描かれた政府高官の動きから見ると、もしかすると一般には伏せられたままにされるかもしれない。私たちは、神話も政府もどちらも疑ってみる必要があるなあと思った。
2004年09月27日
占いの力
・占いの力
■疑われながらも受け入れられている占い
90年代後半、インターネットの占いコンテンツの供給で一儲けした人がいると聞く。バイオリズムや四柱推命の簡単なアルゴリズムを使って、運勢の浮き沈みの波にあうように、各タイプの365日分のテキストを作成し、それを○○占いのテーマに合わせて書き換える。これだけでも、コンテンツを探していたサービスプロバイダー企業にずいぶん売れた、らしい。占いは単独コンテンツとしても使えるし、各種サービスメニューの一つとしても、手ごろであることが、受けた理由のようだ。
朝のテレビ番組でも、ニュースや天気予報と並んで今日の運勢のコーナーが堂々と存在していたりする。公共電波を使って当たるも八卦、当たらぬも八卦の情報を流してよいのか?とは誰も問題にしない国である。だが、占い師を職業とするもの以外は、占いを科学とは言わない。外れても訴える人はまずいない。それが怪しげな知識だとは認識されていながら、同時に広く受け入れられている。占いを信じる層も幅広く、高名な経営者も占いを信じていたりする。井深大、本田宗一郎、松下幸之助らも占いやオカルトが嫌いではなかったという。
この本は、古今東西の占いに触れながら、現代における占いの流行の構造を探る。対象は血液型占いや性格診断や風水までも含む。かなりお気楽な文体で書かれており、冗長な部分もあるのだが、現代人の占い人気を考えるのに面白い記述がある。
■アブダクションと物語発生装置としての占い
この本によると、占いには大きく3タイプがあるそうだ。
命占 誕生の時を軸に運命を解明する、四柱推命、占星術など
相占 万物の形象に宿るメッセージを読み解く、手相、姓名判断など
卜占 道具を用いて天意を読み解く、易、タロット、トランプ占いなど
そして、どのタイプも、
天意→占い師→私
という流れでメッセージが伝わる。天意はそれ相応の専門家でなければ読み取ることができないのがポイントである。一般人は本を読んで占星術のホロスコープやタロットカードの組み合わせを作ることはできても、その図柄を解釈することができない。
そして、占い師→私においては、誰にでも当てはまる上に受け入れられやすい記述が渡される。「誰にでも楽しんでもらえる」を売りにした実在のサーカス団の名前を取って「バーナム」効果という心理用語があるそうだ。万人が受け入れてしまうメッセージのこと。人間は誰しも人と違う自分を認めてもらいたいと思っている。そうした心理を突いたメッセージで、これって私のことかもと思わせるのが占いの巧妙さであるとする。
面白かったのは占いはアブダクションだとする著者の考え。
演繹法では、
(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった
の順序であるが、これでは説得力に欠ける。赤いものを持っても良いことがなければ、信用度が落ちる。
帰納法では、
(実例)赤いものを身につけていた
(結果)幸せになった
(ルール)赤いものを持っていると幸せになれる
となる。が、これでは、実例と結果の間の推論がどう考えても不自然に思われる。
だが、あらかじめルールを暗示しておいた場合、
アブダクションでは、
(ルール)赤いものを持っていると幸せになる
(結果)幸せになった
(実例)赤いものを身につけていた
という構造になる。たまたま、幸せになった人たちが、予め暗示されたルールを、因果関係として推論することで、納得してしまうという説。後だしジャンケンみたいなものだが、これが占いの本質であるとする。
今流行しているオカルトの多くは実は近代になって流行したものであると著者は言う。科学を強く意識すればするほど、それが扱えない事象が気になる。オカルトは荒唐無稽なようでいて、(しばしば飛躍した)論理で原因と結果の因果関係を物語る、物語発生装置なのだというのが著者の結論である。
インターネットサイトでも相変わらず占いや性格診断は人気が高い。ひとつには、コミュニティで転送して楽しめるのが原因であるようだ。この本のエッセンスから、転送されやすい、増殖されやすい占いを開発して一儲けたくらんでみようか。
2004年09月23日
嫉妬する人、される人
日本社会では、一人の人間が権力や富、名声のすべてを手にすると、必ず周囲の嫉妬によって没落する。実権を握ったら表に出るな、どこか一つ欠けた部分を持て、お金を扱うと嫌われるぞ、などの処世術を教える本。
タテマエとして実力主義が根付いてきたとはいえ出る杭を打つ人が絶えない日本社会。出世、成功したければ、上役や権力者に睨まれないように、力のないうちは細心の注意を払いなさい。抜擢昇進や特別な便宜供与の話があっても、軽々と乗ったら、後が怖い。権力を手にしてからは欲張り過ぎないように気をつけなさい。すぐにライバルや民衆があなたを引きおろす。それは日本史を振り返ればすぐにわかるのだ、というのが、この本の趣旨。
昔の日本の政治は、天皇、摂関、執権、将軍と多重構造を形成していた。これも一人にすべてが集まることを妬み嫌う日本社会の性質の反映であり、天皇家がもし武装していたら、ここまで長く続かなかっただろうと著者は分析する。
源頼朝は権勢を誇っても当時「稲作奨励団」程度の肩書きであった征夷大将軍を名乗った。決して天皇に取って代わろうとはしなかった。家康の家来、本多正信は有能であったが故に、二万二千石の領地にとどめ、一切の加増を受けなかった。力を持って睨まれるのを避けることで、長く重職を続けることができた。
北条泰時は御成敗式目を発表するにあたって、過去の法律を改定しなかった。古い法を作った人たちの面子をつぶさないためである。実は日本は開闢以来、国法を改定したことがないそうだ。常に憲法に当たるものは、古いものを改定ではなく棚上げして作られるのだという。こうしてできた御成敗式目は、大日本帝国憲法発布までの600年間も有効なままだった。
こうした事例が近代までいくつも紹介される。
著者の少し保守的で伝統的態度を嫌う人も多そうだけれども、嫉妬心を持った上役の心は変えようがないわけだから、お互いが気持ちよく過ごすには、やっぱり、気をつけたほうがいいだろう。良き意図で大志をなしとげたい人に必要なプラグマティズムの一種でもあるような気がしている。
市場を動かす競争原理の大きな原動力も、経営者同士の嫉妬心が、実のところ、少なくないだろう。以前の起業会議でデジハリ社長の藤本氏が起業家へのアドバイスとして「成功した人の近くに行って、自慢話を聞いて影響を受ける(時に悔しがる)のもいい」という趣旨の発言をされていた。敢えて嫉妬しにいけ、闘志を燃やす精神も必要だということだろう。
ネガティブにとらえられがちな嫉妬心だが、実はそのドロドロが、ポジティブパワーの源泉ともなりうると、著者も肯定的にとらえてもいる。
嫉妬心の強い東洋世界、論語や仏教の教えには、規範に照らして誰かひとりが圧倒的に正しいことを認めない知恵があると評価される。釈迦の教えを伝承した弟子たちはそれぞれ異なる教えを広めたが、釈迦的には全て正しいと認めた。東洋の社会は、皆が正しい、あるいは、民衆の言うことが正しいとすることで皆が救われる、共存共栄の思想があるとも言える。
西洋のように、唯一神の言うことが正しいだとか、聖書に書いてないからダメ、審判の日に勝ち組、負け組みがはっきりします、とは言わない。その結果、権力や富の独占が避けられ、大規模な衝突が少なくてすむ。嫉妬心の強い国民文化も、少ないリソースを共有して、共存するには必要な原理であったのかもしれないと思った。
しかし、中途半端に西洋化、近代化された教育を受けてきた私たちは、出る杭が打たれること、年功序列の待ち行列に並ばされること、自分は正しいのにコドモだと言われることを不合理だと感じる。西洋と東洋の原理の裂け目に挟まれてしまった時代に、生きているのだなと思う。だから迷う。
ごく少数のエリートが権力と富と名声を独占支配することへのブレーキとして嫉妬心と足の引っ張り合いがあるのだとすれば、私たちは嫉妬心を再評価してもいいのかもしれない。
不均衡なパワーバランスで成り立つ国際社会においても、貧しい国が富める国に嫉妬している。日本の高度成長は欧米に遅れているという嫉妬心が牽引していた。逆に、今は嫉妬される位置にある。集まる嫉妬心をどう制御して、正の方向へ向かわせるかが、課題なのだとも言える。
後半では、現代の日本を生きるにあたって、どう心得るべきかの処世術のまとめ、日本社会への提言がまとめられている。
歴史上の武将や政治家、経営者の例が多数あり、歴史好き、歴史小説好きは特に楽しめる。
Passion For The Future: 「おしゃべりな人」が得をする おべっか・お世辞の人間学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001413.html
2004年08月26日
いつのまにか人を支配する色の見つけ方
この本は面白い。紙の価値がある珍しい本。
主に男性向けのカラーコーディネートの診断本。幾つかの質問に答えると、自分の”アニマルタイプ”が判明する。アニマルタイプには、以下の6つがある。
・ウォームな家庭犬タイプ
・クールな一匹狼タイプ
・マットな名犬
・ブライトなきまぐれ猫タイプ
・ライトな愛玩犬タイプ
・ディープなボス犬タイプ
この本によると、人はそれぞれ特徴を持っていて、その特徴の持つ魅力を上手にアピールする色がパワーカラーである。
私は「きまぐれ猫」タイプだそうで、本の通りにやってみると、
「存在がステイタスになるタイプ」
特徴がよい効果を発揮すると
誰からの一目置かれる存在になります。発言のインパクトが強く、グループに大きな影響力を与えるでしょう。
特徴が悪い効果を発揮すると
単なる「わがままモノ」としてグループで浮いてしまいます。誰も相手にされない、「一人よがり」「空回り」になってしまうでしょう
という診断結果になった。
私が打ち出すべき魅力は「艶やかな輝き」「エネルギッシュさ」「高貴さ」で、強調したいときにはそれぞれこういう色を使いましょうと色見本が提示される。例えば青系ならばコバルトブルーやロイヤルブルー、赤系ならばバーミリオンやカーマイン。白系ならアイボリーかスノーホワイトなどが良いとされている。
なお、診断形式には簡易型と詳細型があって、簡易型は以下のWebでも無料で診断してもらえる。
・POWER-COLOR : 自分のカラータイプを知って楽しく活用しよう
http://www.pcolor.info/
詳細型は、本が必要である。紙に印刷されたカードの色と自分の肌や髪の色の対比を見ることで、似合う色を探していく。タイプ別、打ち出したい特徴別のカラーリストが付属している。切り取り線がついていて、持ち歩いて使えるのが便利だ。
で、この本は科学的根拠はないようだ。女性の著者の経験と感性から書かれたようである。服選びの際に、このカードがあれば、最後の迷いをエイヤっと決めることができそうだ。私の場合、簡易診断も、詳細診断も同じ結果だったし、実際、それが好みの色だった。このおすすめのとおり、自信を持って選ぶことができそうに思える。科学でなくてもそれで十分。
ちょっとスタイリストにネクタイを選んでもらう感覚で楽しく読める一冊。
2004年05月24日
取調室の心理学
真実は社会的に後から作られてしまうことがあるという話。著者は心理学者で、長年、刑事裁判、冤罪事件の精神鑑定に関わってきた。関係した事件には帝銀事件や野田事件など有名な事件もある。取調室という密室の中で容疑者が、やってもいない犯罪について自分がやったと思い込み、犯人になろうとする特殊な心理について、著者の分析事例が次々に語られる。自白させる技術のプロフェッショナルである刑事が、尋問を行うことで、精神的に弱さを抱えた容疑者は、犯罪の物語を承認し、自ら、辻褄のあうような自白をしてしまう。
そして、密室での取調べが、メディアに発表されることで、社会的に真実とみなされ、証言者の心理にも影響を与える。その結果、ありもしない事件や、犯人が作られていく。本件以外の小さな犯罪を容疑者が犯していたことが分かった途端、目撃者たちの主観も変わる。面通し時「よくわからない」といっていた目撃者が、手のひらを返したように「犯人によく似ている」と意見を変化させてしまう実例など、いかに私たちの主観がいいかげんであるかよく分かる。
供述心理学者グッド・ジョンソンによる迎合性テストという心理テストがあるという。これは、「権威のある人のそばにいると、びくついたり、怖がったりする」「自分が正しいと強く主張する人にはすぐ折れる」「自分に期待されていることなら一生懸命にする」などの20項目の診断を行うもので、虚偽の自白をしてしまう容疑者は多くの項目があてはまっているという。冤罪事件の多くに、そのような迎合性の高い容疑者や証言者が関わっており、真実の解明が困難になっていく様が語られる。
私たちは、裁判結果やメディアの報道を真実と思い込んでしまうが、いかにそれが危険であるか、が分かってくる。著者の取り上げる事例は、冤罪と入っても、ほとんどが有罪が確定している事例が多いのだが、どの話も著者の主張には十分な説得力があり、考えさせられる。
また、取調室のような平常と異なる場に働く特殊な心理が垣間見えて興味深い。誘拐事件や立てこもり事件の際、人質とテロリストの間で奇妙な連帯感が働くストックホルム・シンドロームだとか、以前書評した「人はなぜ逃げおくれるのか」に出てきたような大災害時のさまざまな心理の動きなど、人には平常時と異なる心理の世界があるようだ。ここで紹介される自白の心理学も、そうした非線形な心理学のひとつだと思う。
冤罪が疑われる事件についての謎解きミステリとしても、ドキュメンタリタッチで、読みやすく、面白い本だった。
・起訴の植草一秀・早大元教授が「潔白」訴え
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20040511/K0011201911044.html
気になるのはこの人の場合どうなんだろうかということなのだが、まあ、どうでもいいか...。
2004年03月30日
人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学
地震や火災に遭遇したとき、人と集団はどのような心理状態でどのように行動するのかを、豊富な実例と実験データをベースに分析した本。
■パニック、反応タイプ、エキスパートエラー
冒頭でどちらが正しいと思うか、という質問がある。
1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない
答えは2なのだそうだ。そもそも日本や欧米の研究では、避難の指示や命令があっても、過半数の人間は速やかな避難行動を取らないという。
個人や社会の災害への反応タイプは5種類に分類できると説明される。分かりやすく私の理解で各タイプのこころのつぶやきを右に書いてみた。
1 過剰反応タイプ どうしたらいいんだパニック!
2 諦め もうどうにもならないから諦めよう
3 費用便益反応 避難するのは得なのか損なのか
4 がまん 軽い災害のはずだから我慢してしまおう
5 無関心 私には関係ないだろう
費用便益反応が一般的に多いのではないかと思う。避難行動には相応の費用がかかる。災害の渦中にあっては、避難を指示する側も非難する側も、不完全情報下で、本当に危険なのかどうかの予測がつきにくい。
9.11世界貿易センターのテロの際に、救助に当たった多くの警察官、消防士が、ビルの崩壊によって亡くなった。崩壊直前の上層階の避難者たちと警察の交信記録から、災害対応のエキスパートたちでさえ、限定された情報下では間違った指示を出してしまったことが分かる。災害の経験は災害の種類や規模が変ると過去の経験は役立たないという説もあって、そのときそのときでの自分自身の判断が重要なのだそうだ。
パニックに対する恐れが致命的ミスにつながる例も幾つも例示される。指示する側が、人々に安心感を与えるために、状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れとなる。これはパニック映画的なパニック神話によるもので、実際の災害現場では、幾つもの要因が偶然に重ならない限り、パニックなど起きないのだという。
人食いサメのパニック映画「ジョーズ」ではサメの出現によって大混乱で浜辺を逃げ惑う人々が描かれていたが、よく考えればあれはウソなわけだ。陸に上がるわけがないサメに対して、浜辺を逃げる必要などないわけで、映画はありえないパニックを描いている。
むしろ、人々は災害時に、危険を認識できないか、認識しながら冷静に行動する。現実は映画「エンド・オブ・ザ・ワールド」のように淡々としたものなのだろうと思った。
・エンド・オブ・ザ・ワールド 完全版
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000165.html
■家族で避難、生存確率が高いのは若い、家族、メディア接触、お金持ち
どのように逃げるべきか。過去の大災害時に助かった人(サバイバー)の事例研究が面白い。一番死亡しやすいのは年齢の高い男性単身者だそうだ。逆に一番助かりやすいのは家族で行動を共にした避難者であるとのこと。若いほど生存確率は高い。家族の絆による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも高めるというデータが出てくる。
マスメディアやパーソナルメディア(近所つきあいなど)への接触の多い人間は早めの避難行動を取る傾向があり、助かりやすいという結果もあるが、悲しい現実として、お金持ちほど助かりやすいという検証データも提示されている。
他にも多数の生存者のプロフィールや行動パターンが明かされているが、結論すると、冷静沈着で、情報にもとづき意思決定をし、生存への意思の強い家族が、避難の理想ということになりそうだ。うーむ、家族のリーダーである家長の責任重大といったところか。
■災害の与える社会的影響
この本は、災害時の人々の心理分析だけでなく、災害後の人々の行動(ボランティア活動)や心理効果(PTSD問題)、歴史学的な社会的影響論についても触れている。
地震や大火災は、都市の歴史の時間軸を強制的に進める効果があるという指摘は興味深い。神戸の震災では一応の復興は成しえたものの経済的な後退感は否めないという。それはもともと神戸という街が経済的には下降期にあったからである。逆に関東大震災に見舞われた東京は、それを機に都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することができたのだという。古今東西の事例から考えても、長期的に見るならば、成長期の災害は一層の成長に、衰退期の災害は一層の衰退につながるという説。個人の人生においても同様のことは言えるのかもしれないと感じた。
この本は、災害について理論と同時に、マニュアル以上の実践的知識を与えてくれる本で、特に都市に住む人間ならば一度は読んでべき本だと思った。とにかく面白い。
2004年03月17日
色と形の深層心理
精神医学の教授による色と形の心理学の本。
■サークル・合コン・ゴレンジャー論
学生時代に私が作ったのか、誰かのネタだったのか忘れたが(私かもしれない...)合コンゴレンジャーという話題を、同性の飲み会でよくした。とてもオバカな内容なのだけれど今日はその話から。
大学のサークルに集まり、合コンを企画するメンバーには次のような類型がある
とする。
赤 リーダー。最も目立つが全体の盛り上がりに責任を負うため単独行動困難。
青 ナンバー2。色男の素養が必須。異性の集客力を持ち、自由に行動できる
黄 3枚目。お笑い、盛り上げ担当。身を捨て場に貢献する。
緑 特徴のないサブキャラで人数合わせ要員。
桃 異性グループとの連絡役で内通者。気のおけない女友達。
本人の努力によって、学年が上がるにつれてこのポジションは移動することができる。1年生は異性からみると総体的に目立ちにくいので、大抵は緑からキャリアを開始する。
上級生が下級生に最も期待しているのは、
緑→黄→赤
という路線であるが、下級生としては次は青を狙いたいと考えるものが多い。
青は集客力として組織に一定数必要であるが、他のメンバーにとってはその数が増えると自分の異性獲得チャンスが減るという、トレードオフが発生している。また、青単独では合コンを運営する力がないため、青だけでは生きることができず他に依存する。それゆえ、青には最低限のモラルハザード効果が働いている。
赤はリーダーの重圧と不自由さがあるため、目立つ割にメリットが少ない。仲間の信頼感が必要であるため、笑いによって場を盛り上げた実績が評価されて、
黄→赤
として成長するケースが多い。笑いによって上級生の目に留まりやすく、組織に対する貢献度も高く評価されるため、次世代リーダーになりやすい。
赤と桃の関係は微妙で、卒業後にくっついたりする可能性もある。これは、リーダーの孤独と内通者の孤独が互いを引き寄せあうからだと言われている。
本人にとっても周りにとっても、最もよくないのは、
緑→緑→緑
というパターンである。緑は人数合わせ及び青、黄の引き立て役として必要ではあるが、緑は代替可能な役割であり、希少性の価値が少ないから大事にはされない。なお、一度緑以外に変化した場合は緑に戻ることがない緑の可塑性原理がある。
最強は赤と青、次に青と黄をTPOに応じて切り替えられるメンバーである。こうしたメンバーを育てるのが我々の組織の目標なのだ。
という、とてもオバカなお話。
このベースとなる科学戦隊ゴレンジャーという子供向けテレビ番組の色分けは日本人の色の印象と性格の関係をうまく表現していると思う。いや、逆にゴレンジャーによって色の印象が決まってきた可能性さえ考えられる。赤はポジティブなリーダーの色。青はクールなサブリーダーの色。黄は明るい性格の三枚目というイメージを、特に私と同じ世代に、定着させたのはこのシリーズであると思う。
・スーパー戦隊百科
http://www.super-sentai.net/sentai/
ゴレンジャーに始まるシリーズの解説
■色と形の歴史と心理学分析
長いヨタ話はともかく、ここからが書評。
この本には「黄色は太陽の色であり生命の色」という章がある。子どもが絵を描く際に黄色で描くと言う記述がある。この記述については、あれ?っと思った。
子どもの頃から気になっている問題がある。「高く昇った太陽の色を何色で描くか」という問題である。私は子どもの頃、クレヨンで絵を描く際に太陽は必ず赤で描いた。諸外国の子どもは黄色が多いようである。実際、夕日か朝日でない限り、太陽が赤く見えることはない。日本の子どもが赤で描くのは、日章旗が赤だからという文化フィルターが原因なのではなかろうか。
この本では、歴史的に日本と世界で、それぞれの色がどのような意味を与えられてきたかという色の文化史と、心理学的にはどのように分析できるかという心理学的意味づけの主にふたつの視点で、紫、白、黄色、青、緑、赤、ピンク、オレンジ、灰色、黒の色が評論される。
紫は子どもが絵に使うと病的である分析されるが、文化史では高僧が身につける高貴の色でもあること。緑の多い日本には「若草色」「若菜色」「若苗色」「柳葉色」「松葉色」「萌黄色」などバリエーションが多いこと。情熱の色であると同時に、欧米ではキリストの血、死をも意味する赤など。色にまつわる解説がひたすら続く。後半では形が同じようにテーマとなる。どれも読み応えのある濃い内容である。
この本は、薄いが内容は重い本である。文体が文学的で、格調の高さ、著者の志の高さを読みながら感じていたのだが、あとがき、著者プロフィールをみて、納得した。まえがきの段階で著者が手術を受けた直後であることが書かれていたが、あとがきでは失明寸前で口述筆記でこの本を仕上げたことが述べられている。初版1986年。著者プロフィールにある作者没年は翌年の1987年である。覚悟か予感を感じながら、学者として精神医として、最後の仕事に挑む気迫が文体に読み取れる気がした。
この本はカラーコーディネートの本ではないので実用性は低いが、色と形に関して教養を深めて深く考察したい人におすすめの良書。
2004年03月08日
自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
先日のバカの壁の書評に「それではいい類書はありますか?」というコメントを頂いたので、それに答える形でこの本の書評です。数倍面白いことを保証(当社比)。
■バカの壁は高くなったのか?
私が「バカの壁」を読んだときに、最初に考えたことは、「バカの壁は確かに存在しているだろう、しかし、近年、その壁が高くなってきているという事実は、誰も証明できていないのではないか?」ということだった。
「キレやすい子どもが増えた」「少年犯罪や凶悪事件が増えた」「幼児虐待、家庭内暴力が増えた」とメディアでは報道されている。コミュニケーションがきちんとできない若者が増えたからだ、という論調はよく聞く。「バカの壁」もまた、そんな主張のバリエーションだと思う。
だが、例えば、少年犯罪は本当に凶悪化して増えているのだろうか?統計的に見ると、そんな事実はないという見方ができる。少年犯罪の発生率は横ばいであり、研究者によってはむしろ減っているとさえ見ている人もいる。凶悪さという点では、ひどい事件は戦前、戦後にいくらでも見つけることができる。
・少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582850804/daiya0b-22/
・少年犯罪統計データ
http://www.geocities.com/kangaeru2002/toukei.html
「増えた」のはマスメディアでの報道量であり、それらのテーマを娯楽的に消費する視聴者の数の方だろう。あるいは同じ数字を見て、「増えた」ことにしたい分析者の数ではないだろうか。
個人的には、現代は歴史上で最も、ものわかりのいい時代なのではないかと思う。気に入らない政敵はあっさり殺してしまうだとか、不要な人間はガス室送りだとか、「薄情者が田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ 出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ」(中島みゆき、ファイト、1984)などということが、まかり通っていた時代は終わったのだ。職業ギルドの内部でさえ、丁稚奉公や徒弟制度が破綻をきたしてきている。
この本は現代社会の心理主義化についての本である。人格崇拝とマクドナルド化が主題となる。自己分析、心理テスト、EQ、カウンセリング、コーチング。他人に自分がどう思われるかを考えて行動することが求められる現代社会を、社会学のアプローチで徹底分析した本。
■人格崇拝
聖なるもの。触れてはいけないと思うと同時に近づきたいと思う崇拝行動。社会学者デュルケムによると、近代になって崇拝の対象としての神の絶対的権威が薄れ、代わりに聖なるものの位置を占めているのは、個々の人格であるという。
自尊心を大切にしよう、思いやりを持ちましょう。他人に迷惑をかけないようにしましょう。私たちが教えられてきた道徳には、既に人格崇拝が織り込まれている。気持ちの良い、優しい心の社会を築こうとした結果、私たちはお互いに自己コントロールの期待値レベルをどんどん上げていってしまう。
その結果、微妙な差異やズレに敏感な集団ができあがる。微細な違いが拡大解釈され、コミュニティの内部に「困った人」が作り出される。社会レベルで言えば、「犯罪者」さえも作り出される、という。
絶対的規範ではなく、相対的規範によって「困った人」「犯罪者」を弁別する社会では、相対的に自己コントロールのレベルが低い集団が存在することになる。自己コントロールの檻の中で、私たちは「困った人」にならないように、自助マニュアルに頼っていく。
■マクドナルド化
この本では、米国の社会学者リッツアーの唱えた「マクドナルド化」現象が個人と社会に進行していることが、自己コントロールの檻を強化する原因としている。
マクドナルド化とは、
1 効率化
食事を自動車の生産ラインのように合理化すること
2 計算可能性、数量化
計算、測定可能なものの強調。質も計量化する(ビッグマックは大きいから質が高い)
3 予測可能性
いつどの店で食べても同じ味、同質のサービス
4 テクノロジーによるコントロール
機械化されたキッチン、マニュアル、製品、従業員、列に自ら並ぶ客
という4つの要素を強化した近代のシステムである。
このマクドナルド化が、日常や職場における個の人間関係を支配しているという。人間関係を合理化する一因に心理学的知識があるという。例えばマニュアルという技術では、こんな話が紹介されていた。
「たとえば、スチュワーデスのトレーニングを担当するスーパーバイザーは失礼な乗客を「失礼な乗客」とはけっして呼ばない。「不適切に扱われた乗客(Mishandled Passenger)」と呼ぶのである。つまり、乗客の「失礼」な態度の原因は、適切に接しなかったスチュワーデスの側にあると定義づけるのである。するとスチュワーデスは乗客に対して怒りの感情を持てなくなる。なぜなら、どんな失礼な態度を乗客が示そうと、すべて自分に非があることになるからである」
これなど、まさに職務の遂行と、自己のこころの折り合いをつけようとする、巧妙な技術の例である。ここまで複雑でなくとも、私たちは普段の生活の中で、自己や他者の人格と同時に社会関係を円滑にするための知恵を大切にしている。
因習や伝統の社会では、儀礼や慣習の中に(もしくはレヴィスストロースのいう「野生の思考」)の内部に、こうした調整の技術が織り込まれていたと私は考えているのだが、現代では、消失した結果、そういった知識は学習して獲得する対象となってきているのではないかと思う。
■こころの商品化
通読して思ったのは、心理主義とは「こころの商品化」であるということ。私たちは自然に生じた感情にラベルを貼りたがる。だが、生起する感情は、本当は、言語化できない、とらえどころのないものであるはずなのだ。それでは、落ち着かないから、その理由を教えてくれるマニュアルや、野生の感情と社会関係の折り合いをつけるためのメソッドの人気が高まる。
あれ?、いつのまにか私もまた心理分析を始めている。自己コントロールの檻から逃れる方法はこの本にも書かれていなかったものだから。
2004年03月06日
バカの壁
重層的な意味で面白い駄作。
Asahi.comによると、
「
爆発的な売れ行きが続いている養老孟司さんの著書「バカの壁」(新潮新書)の発行部数が19日、累計で311万部に達し、ノンフィクション系新書の新記録をつくった。出版関係者によると、これまでの1位は70年出版の塩月弥栄子さんの「冠婚葬祭入門」(光文社カッパホームス)の308万3000部。「バカの壁」は昨年4月の出版以来、約10カ月間で記録を塗り替えた。
」
とのこと。下世話な話だが、つい計算すると、著者の印税が10%なら2億円くらいの稼ぎになる計算である。
■バカの壁が理解不能の原因
現代は、価値観は多様化し、知識は細分化、専門化されている。生活様式もバリエーションが豊かになっている。その結果、共通理解の土台となるものがどんどん小さくなっている。人と人とがわかりあうことが難しくなっている現代。このわかりあえない世界の最大の原因を「バカの壁」とし、それを乗り越えるにはどうしたらよいかを語るのがこの本である。
著者は冒頭でバカの壁を次の一元方程式で説明する。
y=ax
説明を引用すると「では、五感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で動かしているわけです。何らかの入力情報xに、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、反応がyというモデルです。」。
問題は係数aであるが、これはその人間が感じている「現実の重み」と説明される。男子学生に出産のビデオを見せても反応がなく、女子学生は同じビデオからたくさんの発見をしたという実験の話を著者はここで引き合いにだす。つまり、男子学生にとってaは限りなくゼロに近かったので出力もゼロだった。女子学生はaが高かったので、出力も大きかったというわけだ。
このaという係数が限りなくゼロに近い状態が一般化したことこそ、現代のコミュニケーション不全の原因なのだと著者は言う。人間はわかっていること、わかりたいことしかわからない。そこには、a=0というバカの壁があるからだというのがこの本のテーマだ。
■前半はいい。後半は駄作の極み
前半はいい。脳科学をわかりやすく噛み砕いて、一般に伝えてきた著者が、その語りかけの能力の真骨頂を発揮している感がある。著者の出発点となった「唯脳論」以降、ずっと語ってきた脳、無意識、身体性、哲学といったテーマをメスにして、現代のコミュニケーション不全を解剖していく。一般向け新書ということもあり、科学的なディティールは大胆に省きながらも、数多くのこころと脳の研究の知識を披露しながら、「理解」をめぐる著者の力強い主張が明白に展開されていく。
一元論的にしか物事を考えない現代の風潮の危険さ、そうした人間の理解の論理的根拠の希薄さを批判する部分は多くの読者が共感したはずである。ここまでは良かった。
だが、後半からテーマが、根拠のない著者の単なるぼやきへ置き換えられていき、急につまらなくなる。個人的には、「二、三歩譲ってあの養老孟司の言うことだから許せる」というレベルを超えてしまっており、「後半は駄作である」と言い切れる。口述筆記で構成したこの本、語っていくうちに、いつのまにか、著者自身が自らのバカの壁にとらわれてしまったのではなかろうか。
■一元論を批判する一元論
著者の教える学生が授業を聞かないことや、考えが浅いこと、我慢が足りない子どもたちが増えたこと、ホームレスが増えたこと、次々にバカの壁のせいだと嘆いて見せるが、果たして、それらの問題はバカの壁の問題であろうか?。
著者は、「人間だからこうだろう」という常識がバカの壁を突破する答えであると考えているようだが、おかしいと思う。つまり、著者の提示した一次方程式を、その答えに合うように書き換えると、bを常識とおいて、
y=ax+b
ということになるだろうか。
現代においてaxがゼロもしくは無限小であると著者は繰り返し述べているわけだから、事実上、この方程式はy=bということになる。それこそ著者が批判してきた一元論そのものである。
日常の思い込みや宗教といったバイアスであるaではなく、「殴られれば痛い」だとか、「親切にされれば嬉しい」だとか、人間が共通に持つ、生物学的に共有する感性をb=「常識」としようと著者は言う。他の識者が語るなら、心地よく受け入れやすい話ではある。
だが、そもそも長年に渡ってその共通の常識の怪しさを、身体性だとか無意識というテーマで解体してきたのが養老孟司という人だったのではないのか。この期に及んで、自身のジェネレーションギャップのぼやきを正当化するために方程式を持ち出して、本にする気持ちが私にはよく分からない。
私が読んできた養老孟司は科学者で哲学者でもっと慎重な語りをする、聡明な人だった。なぜこの本を今書いたのだろう?わからない。それとも、バカの壁にさえぎられているのは私の方なのだろうか?
・「検証!バカ売れ『バカの壁』−売れたワケをぜひとも知りたい」
http://media.excite.co.jp/book/news/topics/056/
2004年02月24日
ヒトはなぜ、夢を見るのか
実は私は夜の睡眠では、年に2回くらいしか夢を見ない。周りの人間に聞くと夢はもっと頻繁に見ているという。ほとんど毎日見るという人までいる。見る回数が少ないせいか、カラーか白黒かと問われても即答できない。「なぜ私は夢を見ないのか?」と疑問に思いながら「ヒトはなぜ夢を見るのか」という本を読む。ヒトじゃないのかオレ?
この本では、なぜラスコーの洞窟の壁画の男性は勃起して描かれているのか?という意外な問いと答えを含む「睡眠と夢の人類史」から始まる。地球の自転、公転リズムとの関係や魚類レベルからの進化の過程で、眠りもまた進化してきた歴史が語られる。
睡眠時間は個体差が大きいらしいが、「マドリッドのパロミノという女性はある日あくびをして以来、30年間眠らないでいる」という信じられない一節があった。ネットで詳細を調べたところ次のページが見つかった。普通は、数日間で幻覚を見て、衰弱してしまうものらしい。医者の立会いの下、6日間眠らずにギネスブックに載った人がいると他の本で読んでいたのだが、それどころではない人が実在するのかと驚く。
・【The Sleep】なぜ、人は眠るのか?
http://www.johos.com/joho/report/0032.html
そして、中盤で当初の私の疑問への答えが見つかった。人は皆、一晩に4回のレム睡眠時に夢をみているが、言語化できないので、夢の内容は作業記憶上で失われてしまい、起きたときに思い出せないのだという。睡眠は不要な情報を忘れることが目的と言う面もあるから、夢の内容をすべて記憶していたら、睡眠の目的が果たせないと言うことでもあるのだろうと思った。だから、大抵の場合、思い出すのは第4回目のレム睡眠時の明け方の夢であるらしい。
「はじめに」に面白い数字があがっている。「われわれは一日に八時間ほど眠り、その間九十分ほど夢を見る。七十五年生きるとすると、二十五年眠り、五年間夢を見ることになる」。5年間を良い夢で過ごすか悪夢で過ごすかは人生にとっても、随分大きな違いになりそうだ。
この本を手に取ったときに、明晰夢のことが出ているのではないかと期待した。後半でかなり触れられていて満足。私は、以前、このテレビ番組で明晰夢のことを知った。
・確実に見たい夢を見る方法を調査せよ!2
http://www.ntv.co.jp/FERC/research/20020217/f1247_2.html
訓練法などもある。
「
1935年、文化人類学者のキルトン・スチュアート博士は、マレー半島に住む先住民族『セマイ族』の調査を行なったところ、彼らは独自の方法を使って、夢をコントロールしている事が明らかになった。
そして、アメリカのサンタバーバラ睡眠障害センター元所長、チャールズ・マックフィー氏によると、彼らが見ているのは『めいせきむ明晰夢』と呼ばれる夢であるという。
『明晰夢』とは、夢の中で「自分は今、夢をみているのだ」と自覚しながら見る夢のことである。マックフィー氏によると、明晰夢を見ている人は、夢の中でそれが夢である事を自覚しており、その夢の続きをどんな風にするかを自分の意志で決めることが出来るという。
」
見たい夢を見る人々がいて、映像で紹介される驚きの内容だった。彼らは毎朝夢を家族に報告し、アドバイスを受ける習慣があり、それが夢を自由に操作できる能力につながっているらしいという内容だった。
この本によると明晰夢を見ている間は夢であることを本人が自覚しているという。明晰夢を見る人は、夢の中で正確に時間を数えて、眼球運動で合図することもできるという。覚醒レベルが異常に高い睡眠で、実験室でも訓練によって誰でも見ることができることが証明されているそうだ。
一生で五年間見る夢を自由に操作できたなら、究極のバーチャルリアリティと言えそうだ。やってみたいが、訓練の前提が夢を書き留めたり報告することにあるので、私の場合、のっけから難しいのだが...。
この本は、医学博士、理学博士で睡眠の研究者による一般向けの解説書。脳科学、生理学、進化論、文化史、人類学と幅広い観点からの考察もあって面白く読めた。
・過去記事 朝10時までに仕事は片づける―モーニング・マネジメントのすすめ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000651.html
睡眠に関する情報あり。
2004年02月21日
心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観
面白い。見方によっては、古典優生学的と批判されかねない、きわどいテーマを扱っていると思う。
■こころの遺伝を証明することの危うさ
私は学校で、姿形や体質、病気は遺伝することがあると習った。しかし、知能や性格が遺伝するとは教わらなかった。社交的で明るいだとか、語学の習得が早いとか、プレッシャーに弱い、異性の好みやつきあい方に偏りがある、などの「こころ」の性質は、後天的な学習と育ちの環境が決めるものであって、遺伝子が決めるわけではない、ということになっている。
なぜ、”そういうことになっている”のか?。ひとつの理由はそれが倫理的に「Politically Correct」な言説だからだろう。「こころ」が遺伝するとすれば、優秀な家系の子どもは優秀で、犯罪者の家系は犯罪者を生むという論理につながる。実際、そういうこともあれば、そうでないこともあるわけで、「それは遺伝である」という言説は差別にもつながりかねない。社会的に受け入れられにくい。
もうひとつの理由は、遺伝と、後天的学習及び環境の要因を切り離して分析することが不可能だと考えられるからだ。親が優秀で裕福な家庭は、そうでない家庭よりも、比較的恵まれた環境をこどもに与えることができると考えられる。逆の環境の仮定もありえる。だが、実際に成長した子どものこころを、遺伝的な部分と学習・環境要因と切り分けて分析することは難しい。測れないものは証明できない。
つまり、この本のテーマはきわどい。「こころは遺伝する」ことを科学的に証明した上で、且つ、社会的に受け入れられる説明をしなければならない。そんなことができるだろうか?。この本はその難しい挑戦に、慶応大学の助教授が果敢に挑んでいるスリリングな内容である。
■双子の研究からわかること
科学的証明のてがかりは、「別々に育てられた一卵性双生児」である。
そもそも双子がこの世に生まれないとする。計算によると通常の遺伝プロセスを人類の絶滅まで繰り返しても、同じ遺伝子を持つヒトは生まれてこないらしい。人類絶滅までの延べ人口は大きく見積もっても20桁程度の数字。これに対して、遺伝子の組み合わせパターンは2400桁レベルと考えられるからだと言う。
それゆえ、一卵性双生児は遺伝的に奇跡とも言える貴重な研究材料なのだと著者は考えた。その事例を多数集めて、双子の各々のたどった一生や、性格、能力を調べていく。IQ、学業成績、宗教性、創造性、外向性、職業興味、神経質などの項目の類似性を数値化する。
稀にだが、事情があって何十年も生き別れになって異なる環境で育った一卵性双生児がいる。異環境の一卵性双生児の事例を多数集める。これは同環境で育った双子と区別して集計する。
同時に遺伝的には少し離れた関係にある二卵性双生児でも、同環境・異環境に分けてサンプルを集め、類似度を数値化する。こうして、一卵性(同環境、異環境)、二卵性(同環境、異なる環境)の4つの類似度が集計される。
4つの類似度の相関度を算出する。一卵性は遺伝子を100%共有しており、二卵性は50%の共有度であるから、この違いも加味して、有意な相関項目がみつかれば、こころの性質のうちで遺伝するものがみつかる、というわけだ。
IQや明るい性格その他、幾つもの要素に強い相関が発見される。
まったく異なる環境で、お互いの存在さえ知らなかったのに、学校の成績や職業、乗っている車種、好きなお酒の銘柄、離婚歴、果ては妻と子どもの名前(好きだから名づけた)まで一緒だった双子の例が紹介される。
こうして、こころの遺伝の証明の第一歩が始まる。この部分は数値やグラフでデータが多数示され、最も読み応えのある部分である。
■こころの遺伝は決定的なのか?
上記の方法で、遺伝と学習・環境要因を切り離して分析するとしても、完全な遺伝の証明にならないと著者は考える。遺伝は遺伝子が確率的に複製されるだけであって、その表現形が複製されるわけではない。抱えた遺伝子が必ず発現するとも限らない。例えば「美人の顔」は、顔の個々のパーツの性質(目がパッチリ、鼻が高いなど)できまるわけではなく、組み合わせ全体で決まるわけだし、癌の遺伝子を持っていても癌になるとは限らない。
環境や学習に対しても、著者は鋭い分析を続ける。得意なことが好きになって、自分も他人も、もっとその能力を伸ばそうとする。環境も学習も、与えられたものという面は極一部で、本人が選択したり変革していくものととらえる。
「遺伝」の意味が一般にいかに誤解されているか、著者は専門的な概念を、分かりやすい例を挙げながら解説し、遺伝=決定論の偏見イメージを突き崩し、科学的な理解とは何かを語る。
こうした事柄を論じたうえで、この本は最後に「こころの遺伝」の存在と、その意味を結論するクライマックスへ向かう。最終章にいたって、私としてはこの本は、前述の「Politically Correct」の問題を、なるほどね、という落としどころへ持っていくことでクリアしているように思える。
この本、じっくり読まないと著者は、一見、遺伝決定論者のように見える。いや、著者は中立に書いているのかもしれないが、この人自身の肩書きが、俗世間的にはエリートなわけで、一般読者としてはどうしても、そう読みがちになる。読後感としては、中立の人っぽく感じたけれど、まだ分からないでいる。
分からないから、面白くて一気に読めたのかもしれない。新書でとっかかりやすい。データ量も豊富で、トリビア的にも、かなり、おすすめの一冊。
2004年01月20日
・サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ
百式田口さんに教わったWeb上の手品のサイト。今日のテーマと微妙に関係あり。
・Pick A Card(オモシロイのでとりあえずクリックをおすすめ)
http://www.caveofmagic.com/pickcrd1.htm
5枚のトランプのカードが提示されるので1枚を選ぶ。そして、選んだカードを強く念じてクリックしていくと、あら不思議!というもの。
潜在意識への働きかけ、サブリミナル効果をうまく使った手品だと思う。
■潜在意識が意思決定に大きく影響している
著者はカリフォルニア工科大学生物学部教授。1999年、『〈意識〉とは何だろうか――脳の来歴、知覚の錯誤』(講談社現代新書1439、講談社、1999/02)によりサントリー学芸賞思想・歴史部門を受賞。
純粋に、映画「RAMPO」などで話題になったサブリミナル効果についての本かと思って読み始めた。漫画風イラストが随所に挿入されていたりして、マーケティングや感性評価の軽めの話題なのかとパラパラめくった段階ではあたりをつけていた。
違った。
読み進むにつれ、認知心理学、社会心理学、発達心理学、脳科学、そして哲学を学際的に横断し、サブタイトルにある「潜在的人間観」を描き出そうとする哲学書なのだと納得した。講義録形式で、第一講から第九講まで、緻密に構成が練られている。各講の情報量がかなり多い。若干の消化不良を起こしつつも、知的好奇心を刺激され、次の講義で論が進んで分かったりもする。こんな講義を実際に受けてみたい。
トビラの解説を引用すると、「人は自分で考えているほど、自分の心の動きをわかっていない。人はしばしば自覚がないままに意思決定をし、自分の取った行動の本当の理由には気がつかないでいるのだ」ということを、科学的根拠や事例を多数参照しながら語る本。
■見えなくても見えている
米国の心理学者ザイオンスの有名な単純接触効果の実験。これはマーケティングの世界でも良く知られている。人はその接触内容とは無関係に、会えば会うほど、親しみや好感度を高めていく効果のことだ。だから選挙宣伝でポスターを貼りまくったり、名前を連呼するというのは、一見、無駄のようでありながら、有権者の意識へ働きかける知恵である。繰り返し同じコマーシャルを消費者に短期間に見せるのも効果がある。知っているものは確率論的には親近感が沸き、好きになる場合が多いのだ。
この本では学者ボーンシュタインの実験紹介でさらにこの説が詳しく解説される。最初500ミリ秒という短時間、ある図形を被験者に見せる。この時間であれば見たことが分かる。時間を少しずつ短くする。最終的には5ミリ秒という知覚が不可能な一瞬だけ、図形を呈示する。その後、図形に対する好感度を試験すると、知覚できていないはずの時間の図形に対する好感度も上がっているのだ。見覚えはないが、なんとなく見知っている気がする、好感を持つという結果が出るそうだ。
その他無数に、見えなくても記憶しているという実験例、臨床例がこれでもかといわんばかりに登場する。盲目なのに見えているように振舞える盲目視の謎の解明など、人間の感覚と意識は思ったより大きくずれていて、そのずれは意識できていないことが分かる。
■首無し鶏マイク、身体に分散した記憶の謎
この本に紹介される断頭実験による研究は残酷で気分は良くないのだが脳にすべての思考や知識があるわけではないことの証明として、興味深くはある。ゴキブリやカエルに電気刺激を使った学習を行った後、頭部を切断して刺激を与えると、学習した動きを再現し続けるという。微妙な判断もするらしい。イヌのような高等動物の例も出ていた。一般にはかなり知的な学習内容と思えることも、学習を記憶しているかのように身体が振舞える。
この話を聞いて昨年見たテレビの内容を思い出した。英語の熟語で「running around like a headless chicken」というのがある。首のないニワトリのように走り回る。ものすごく忙しいという意味だが、これに似た実話があるのだ。
首を切られた鶏が18ヶ月もの間普通に生きていたという話。しかも育ったのだ。
・Mike The Headless Chicken
http://home.nycap.rr.com/useless/headless_chicken/
・奇跡の首無し鶏 マイクの残したもの
http://x51.org/archives/000454.php
X51.orgより引用
「
反射作用の大分部を司る脳幹が依然マイクの体内に残存していたために、マイクは至って健康なままであったという。そしてその後マイクは18ヶ月に及び生き続け、「驚異の首無し鶏」としてその奇跡的な生涯を全うすることになるのである(首を切られた当時2ポンド程だったその体はその後8ポンドになるまで成長したという。)。
」
私たちは自分の行動を、自分の脳で考えて決めていると思いがちだけれど、身体(末梢神経レベル)でも記憶し、ある程度インテリジェントに動作を行うことができるということが分かる。
この本では投げられた速いボールを咄嗟に受けとめた人に「今どちらからボールが飛んできました?」と聞くと方向を間違うことがあるという事例が紹介されている。行動した後に自分の体位から、方向を大まかに判断していたりする。サブリミナルCMによる好感度評価と同様に、咄嗟の行動も意識がベースになっていないのだ。
■サブリミナルな新しい人間観
視覚に一瞬入っただけで、見た記憶はないもの。憶えていないけれど昔に通り過ぎたもの。そういう意識にのぼらないものに、人間の意思決定が大きく依存していることが、この本を読めば読むほど分かってくる。
後半では、裁判における意識的判断と犯罪の量刑(例えば末必の故意の問題)という観点から、現代社会が人間のサブリミナルをどう捉えているか、という問題。そして、動物が過密に増えた場合の個体数調整の現象(自殺や子殺し、不妊や同性愛の増加)を人類の都市の人口現象になぞらえる話など、社会学、自然科学などを総動員して、人間存在の根源へと切り込んで行く。スリリングな展開。
恐らく著者は最終章で語るサブリミナルな新しい人間観という哲学を語るために、すべての章を書き下ろしていたのだと最後に分かった。終章のまとめ方は秀逸。
なにかいい方向にこの研究がITにも使われるといいなと思う。毎日ニュースを読んでいるだけでモチベーションが上がるポータルとか、仕事が好きになるメールソフトとか、自然に技能が向上してしまうデスクトップとか。
参考URL:
・PositiveNews
http://www.positivenews.org.uk/mainframeset.html
ポジティブな内容のニュースだけの新聞社。
サブリミナルとはちょっと違うか。
#最初のトランプ手品のネタバレはこのブログのコメントに分かっても書かないでくださいねえ。
2003年12月09日
瞬間情報処理の心理学―人が二秒間でできること
とにかくコンセプトがユニークで類書がほとんどない、気がする。
この本を読むとこんなことが、一杯分かる。コメントしながら、考えを広げる参考URLも探してつけてみた。
■私の発見:新幹線の電光掲示板は6文字、2.5秒の裏づけ
人間が2秒以内で処理できること=瞬間情報処理について、12人の認知心理学研究者たちが、各専門の観点から書き下ろした小論集。第一部では理論、第二部では日常生活に役立てるコツをまとめていく。
例えばこれは私が最近撮影した2枚の写真である。東京駅八重洲口にある大きな電光掲示板と、東海道新幹線のぞみ号内の電光掲示板だ。東京駅のほうは分からないが、のぞみの電光掲示板は横6文字。左端に出た文字が右端へ消えるまでに2.5秒程度かかっていた。こういった掲示板の文字数や流れる速度は科学できるのだろうか。東京ー名古屋間で随分悩んでしまった。
この本によると電光掲示板は、大抵は日本語は7〜8文字、アルファベットならその倍の量が2秒で処理されるように設計されているという。それが人間の平均的な視覚探索能力であるという。
・RSVPにおける眼球運動についての一研究
http://www.sahf.cc/human/thesis/2-11.htm
都内の電光掲示板を調べまくり。文字数や速度の調査結果は?
・RSVPにおける適切な速度と適切なスパンに関する一研究
http://www.sahf.cc/human/thesis/2-8.htm
電光掲示板で読みやすい文章について研究
■息が合う、間
彼や彼女と「息が合う」などというが、実際に計測してみると、対話の相手、歌の歌い手と聴衆の呼吸は同調することが分かっている、という。発声と発声の間の間(マ)が、その呼吸の同調を作り出す。人間の聴覚はは100ミリ秒という瞬間をも認識できる。そのため、その微妙の間のおかしな合成音声と本当の声を聞き分けてしまう。
ちょっと手元のプログラムを使ってこのコラム関連のもうひとつの記事を音声ファイル化してみた。
やっぱり、機械と分かってしまうと思う。逆に、この間の研究と合成の精度が高まると、人間なのか機械なのか分からない音声が作れるということでもある。
・Naunce
http://www.nuance.com/
最先端の音声合成ソフトウェア企業。デモで音声合成の対話例を聞く事ができるが、機械合成とは区別がつかないくらい、活き活きとしている。
・Microsoft Research Asia、感情表現豊かな音声認識で次世代サービス開発中
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/11/28/18.html
「MSRAの研究では、読み上げる文章を感情的にも分析し、エキサイティングなスポーツニュースなら興奮気味に、重大な犯罪事件のニュースならトーンを落としてといった、よりナチュラルな音声の実現が目標とされている」とのこと。
・Microsoft The Speech Technology
http://research.microsoft.com/stg/default.aspx
■正確なキーボードタイピング
キー押しの間隔は熟練者で平均190ミリ秒。素人で300ミリ秒。正確度は1文章内に5-10文字程度のミスがある場合が多いが、意外なことに熟練者と素人の差は大きくはないのだそうだ。しかし、どちらもマイペースでの入力のため入力速度と正確さのトレードオフ相関は存在する。つまり、普段は間違えてまで早く打とうとしないが、慌てるとミスがでるということ。
・キータイピング練習 e-Typing 腕試しレベルチェック
http://www.e-typing.ne.jp/index.asp?mode=levelcheck
さあ、どうぞ!歴代トップは700点台...。
私もやりました。208pt、B+。45秒58.正誤率97.1秒。「あと一歩で上級者ですよ」とのこと。みなさんも試してコメント欄にでも報告してください。
■読みやすい文章
日本語文書は一般的には、漢字が25%〜45%。かなが45%〜65%、残りがカタカナ、数字、記号。読みやすい文章を作るには、漢字使用率を30%程度にしつつも、大事な用語は図として認識できる漢字で書く、句読点はなどの科学が紹介されている。速い読み手は。眼球運動が最適化されていて、1行を165〜170ミリ秒で認識し、1分間に1200字を読むことができる。
・キャプションと来館者 −展示メディアにおける文字情報の評価−
博物館展覧会調査研究センター
http://www.museum.or.jp/IM/report/pdf/MD51-45.pdf
博物館の展示の解説の文章はどうあるべきか、文字量、配置、配色など。世界の博物館の経験から学べる。Web制作でも参考になるはず。
・ネットなんぱマニュアル>E-Mail基礎編>5.国語のオベンキョ?文章の印象を考える5-2) 硬派文とナンパ文
http://www.tako.ne.jp/~a3-mori/netn/e-mail_kiso/kiso_5.02.htm
「優しい丸い雰囲気を醸し出したければ、「ひらがな」を多く。知的に見せたければ「漢字」を大目に。ちょっとあか抜けた捻った雰囲気を醸し出したければ、「カタカナ」を上手に織り交ぜると良いでしょう。」など異性接触に最適化。実例多数。
このほか、野球のバッターが本当にボールの縫い目が見えている可能性や、自動車運転時の一瞬の情報判断を最適化するための科学的ノウハウなど、著者が多いだけに盛りだくさんの内容となっている。著者の数が多いこともあり、全体として、ひとつの方向性には収束しないのだが、瞬間でできることのバリエーションを知ることは、情報やインタフェースのデザインに効果的につなげていくことができそうだ。
2003年12月08日
ゲーム理論トレーニング
■ナッシュ均衡とパレート最適
ゲーム理論で有名なケースは、メリル・フラッドとメルビン・ドレッシャーによる囚人のジレンマである。この本にもゲーム理論の代表例として登場する。
囚人Aと囚人Bがいる。
1 二人とも黙秘すると懲役1年ずつ
2 二人とも自白すると懲役2年ずつ
3 一人が自白し、一人が黙秘すると、自白した方は釈放、黙秘した方は懲役3年
この状況で、あなたが囚人Aだった場合、自白すべきか、黙秘すべきか、を考える。
有名な理論にはナッシュ均衡とパレート最適がある。ナッシュ均衡は、囚人同士が利己的に考え、自分の損得のみを合理的に考え必死になっている(均衡点)状況での、非協力ゲームを前提としている。この本での定義は「自分以外の全プレイヤーが均衡点の戦略をとるとき、自分もそれをとらないと得にならない」状態のことである。
ナッシュ均衡の戦略を両者が取ると、裏切りあうことで「自白ー自白」になる。結果として両者共に2年の懲役に服すことになる。
経済学者ビルフレート・パレートが考えたパレート最適とは、この本の言葉では「全員の状態を動かしてかまわない」条件下で、「自分の利益を増やすには、他人の利益を減らすしかない」ような状態のことである。つまり全体にとっての合理性を目指す。
パレート最適の戦略では、協調することになり「黙秘ー黙秘」になる。その結果、両者共に1年の刑に服すことになる。これ以上にどちらか片方が得をしようとすると相手を裏切り、自分だけが自白する必要がある。まさにそういう状況に落ち着いている。
結局、必死に自分だけの利益を考え相手を裏切ると両者ともに懲役2年になるが、全体の合理性を考えて両者が協調して行動すると、懲役1年で済む。
■Webで囚人のジレンマを体験してみる
この囚人のジレンマは一回だけではこれといった戦略を考えるのが難しいが、何度もゲームを繰り返すプロセスでは、相手のこれまでの出方から相手の戦略、信用度などが推測できるようになる。
本から少しはなれてWebで囚人のジレンマを体験できるサイトを紹介する。(Javaアプレット)
・The Prisoner's Dilemma
http://www.xs4all.nl/~helfrich/prisoner/
このサイトでは囚人のジレンマで、以下のような報酬を設定する。報酬は高いほど良い(懲役年数が少ないということ)。ユーザはJavaAppletでbの値を上下させる。つまり裏切る場合の報酬を設定すると、相手との間で、協調と裏切りがどのようなパターンで発生するかをアニメーションとして、確認できる。
opponent(相手) | |||
---|---|---|---|
cooperate(協調) | defect(裏切り) | ||
player(あなた) | cooperate(協調) | 1点 | 0点 |
defect(裏切り) | b点(設定) | 0点 |
b=0の例 これだと裏切る意味がないので協調(青)ばかり
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b=1の例 この段階でも協調の方がリスクが少ない
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b=1.85の例 裏切り(赤)が限りなく活性化している
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b=2の例 裏切りばかりが圧倒優勢
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b=3の例 ひたすら裏切るのがよいので勢力全開
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では、次に一回一回の戦略を体験できるアプレットもある。
・Repeated Prisoner's Dilemma Applet
http://www.gametheory.net/Web/PDilemma/Pdilemma.html
こちらでは、Collude(協調)とCheat(裏切り)を毎回選択する。相手はこちらの戦略を学習して、対応してくる。協調が続けば相手も協調し続けるが、こちらが裏切ると相手も裏切ってくる。また初回は何を出すか分からない。
報酬表は以下のようになっている。
opponent(相手) | |||
---|---|---|---|
Collude(協調) | Cheat(裏切り) | ||
player(あなた) | Collude(協調) | あなた20:相手20 | あなた0:相手30 |
Cheat(裏切り) | あなた30:相手0 | あなた10:相手10 |
25回の選択を5ラウンド繰り返し、コンピュータに勝てるかどうかを競う。だまされたらだまし返して、やられっぱなしでは終わらないことを示す「しっぺ返し」戦略の有効性や、初回から協調を続けて25回目の最後で裏切って逃げる戦略などが考えられるがみなさん勝てるだろうか。結構難しく、単純な囚人のジレンマも奥深いことがわかってくる。
・GemeTheory.Net
http://www.gametheory.net/html/applets.html
このサイトには囚人のジレンマほかさまざまなゲーム理論シミュレーションのアプレットが公開されていて遊べる。
■ゲーム理論の展開
囚人のジレンマはもちろん基本中の基本なのでこの本ではさらに複雑な事象も広く触れられている。
ゲーム理論は株価分析と投資の決定や、取締役会の多数決、政治の選挙などの戦略に応用されている。この本でも投資にゲーム理論を使って巨額の富を得たジョージソロスの話や議席を減らしたことで逆に影響力を高めた日本の政党の例などが紹介されている。
著者は、数式を限りなく排除し、文系の人間向けにゲーム理論の応用範囲の広さや、面白さを、分かりやすく説明することに成功している。他の難解なゲーム理論の本と違って話題の選び方がとっつきやすく、理論の説明が無駄をそぎ落としており、シンプルである点が高く評価できる。
理論の解説を終えた後半の章では、ベンチャーの新規市場参入の戦略や、日本、アジア、世界経済の動きの読み方、企業のモラルハザード回避の仕組み、戦争と平和など、ゲームから見た現代の読み解きが行われる。ここも秀逸である。
評価:★★★☆☆
参考URL:
ところでナッシュ均衡を考えたナッシュ教授は苦難の人生に悩まされながら、晩年ノーベル経済学賞を受賞した、このアカデミー賞映画の主人公になった人である。
私はかなり感動してしまいました。見てない方はお正月におすすめ。見るのであれば解説は読まないほうがいいです。
2003年12月06日
心の動きが手にとるようにわかるNLP理論
Neuro Linguistic Programming(神経言語プログラミング)の本。人間を幾つかの理論で、タイプに分けて、コミュニケーションや交渉の対応策を探る。
例えば、人間には、
VAK代表システム(五感のこと):
Visulal 聴覚
Auditory 聴覚
Kinesthetic 体感覚(味覚、嗅覚、触覚)
の3タイプがいる、という。
ビジュアル重視な人は出来事をまず絵や画像としてとらえ、話すときには目の前に何かがあるかのような表現で話す。聴覚重視の人は、頭を傾け耳に触れて音を聴くように話す、体感覚派の人は、胸に手を当てて体と会話するように話す。相手がどの代表システムを重視しているタイプ化を、使う言葉や態度から推測し(カリブレーション)、同じような表現をすると意思疎通がうまくすすむ、というのが主なNLPの考え方である。
また、質問によって、相手が8種類ある成果や目的(アウトカム)の種類のうち、どれを重視するかで、以下のような分類アプローチを行ったり、
タイプ名(重視すること)
目的型(〜へ向かって)
回避型(〜しないように)
内的型(自分に焦点)
外的型(他人に焦点)
経過型(手順・方法)
結果型(到達視点)
大枠型(詳細よりも概観)
詳細型(細かく理解)
能動型(積極的)
受動型(受身的)
時間軸のどれを重視するか、によって、
未来型、現在型、過去型
のように分類してみたりする。
人間をパターンに分類して対応策を考えるというのは、面接作業や営業など、毎日のように新しい人と会う仕事では、ある程度必要な、思考のような気がする。NLPで一番、面白かったのは、相手がどのタイプかを読み取る方法論である。
「NLPでは、右上が「未来を作る位置だといわれています(左右が逆の人もいます)。プレゼンや企画提案の時、相手の視線をそこに誘導して、「もしもできたらどんな感じですか?」と問いかけてみましょう。ラポールが十分にとれていれば、相手の意識を未来に向けることができます」
相手が、どちらの方向に目を向けて話しているかで、
右上:未来のこと、つくりごとをイメージしている
右下:体感覚を感じている、感覚を再現している
左上:記憶されたイメージを思い出している
左下:自分と会話している
のように判断できるという。
確かに私自身が、過去と未来を考えるときには、それぞれ左下と右上に目がいきがちなので、なるほどね、と参考になった。
評価:★☆☆☆☆
■未来は右上という発想のブラウザー
なぜ方向と時間軸が結びついているのかは以前非言語コミュニケーションの本で読んだ。
英語も日本語も文字は左から右へ書く。だから、左に過去、右が未来なのだ。そして人間の体の上部に、アタマがあるので、良いこと、重要なこと、理知的なことは上に表現されやすいそうだ。「より上の地位へ上がる」だとか「地に落ちる」とか「上からの指示」といった表現は世界中に共通して、あるらしい。
経営者のよく使う「右肩上がりの成長」も、未来は右上にあるべきことを意味している。成長率を表すグラフも大抵は右上へ向かって伸びて行くグラフを書く。逆に作るとわかりにくくなる。
Browse3Dというユニークなブラウザーがある。このブラウザーは立方体の内側の各面にWebを表示する。
・Browse3D
http://www.browse3d.com/
・分かりやすいデモムービー
http://www.browse3d.com/downloads/Browse3Dhigh.wmv
正面に今見ているWebページを表示し、左右にも別のWebページを表示する。向かって左側には直前にみていたページ(履歴)が表示され、右側には今見ている正面のページからリンクされている「次に見るページ」候補がサムネイル表示される。これなど、まさに未来=右の理論を実装していると言えそうだ。
立方体の状態をブックマークとして保存することができるので、関連するページのセットを一度に上下左右のエリアに呼び出し表示させることができるて便利である。似たようなアプリとして2CEがある。
・2CE
http://www.2ce.com/
参考URL:
人をタイプで分類と言うと、
・ネットピープル分類学 その傾向と対策
http://namazu.org/~satoru/pub/handout/shibuyapm4/
ネット業界の問題人物系を分類。いますねいますね。ってオマエも該当するだろというツッコミはなしで。。。