2008年04月05日
連合赤軍「あさま山荘事件」の真実―元県警幹部が明かす
群馬県下の山岳アジトにおいて陰惨な大量リンチ殺人を犯した連合赤軍の幹部ら五名が、昭和四十七年二月十九日、ここ南軽井沢「あさま山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に、包囲の警察部隊に銃撃をもって抵抗するという、わが国犯罪史上まれにみる凶悪な事件を引き起こした。警察は、人質の安全救出を最高目標に、厳寒の中あらゆる困難を克服しつつ、総力を傾注した決死的な活動により、二月十八日、二百十九時間目に人質を無事救出し、犯人全員を逮捕した。」(「治安の礎」碑文より)。
事件発生時に私は2歳だったので、この世紀の大事件の記憶はない。事件を題材にした映画や小説を通して大人になってから全貌を知った。あさま山荘のドキュメンタリは何冊もある。警察庁特別幕僚の佐々 淳行氏が書いた本などが有名だが、この本は当時の県警本部第二課長が現場側の視点で綴っている。上層部の思惑や権力争いの代わりに、現場の淡々としたリアリティがあって凄味を感じる。
著者は事件を日誌的に記録している。<情勢の分析><警備方針><部隊配置><装備資材><重点実施事項><警備体制>などの項目で、簡潔に事態推移を記録する。人質をとっての籠城戦略の手ごわさが印象的だ。10日後に犯人全員逮捕と人質救出を成功させるものの死者3人、負傷者27人の犠牲を出した。
犯人一味の数は(警察は最後まで把握できなかったのだが)たったの5人。包囲する警察は1000人以上であった。「隊員の二十代の若者らに対して、『明日は死ぬかもしれないが、その危険な任務に就いてくれ』と命じて、それが計画どおりに遂行されること、それは考えてみれば実に大変なことだと思う」(警備本部長)。決死の覚悟の突入現場でどんなやりとりがなされていたのか、案外浪花節であったりするのだが、現代でも本当にそのような場面では、こんな風なのかもしれないな。
なぜ突然この本を読んだかというと、ベルリン国際映画祭では最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞のダブル受賞の映画の予習のため。現在公開中。
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11914/index.html
若松孝二監督。
・あさま山荘事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6とても充実した記事。
2008年04月02日
カラー版 カメラは知的な遊びなのだ
1 常にカメラとともにあるべし
2 バッテリーは常に切らさないように注意すべし
3 最初の1枚に、真実がこもっている
などと始まるチョートク流カメラ指南十二か条から始まって、カメラの購入アドバイスや正しい工業デザイン論まで、カメラを巡る薀蓄エッセイ集。ところどころに、撮影したカメラが気になる、雰囲気のあるカラー写真が満載。
カメラマン、カメラコレクターとしての芸暦が長い著者だが、まだまだ現役であって話は銀塩懐古趣味には終わらない。「容量の少ないメモリーカードを使うべし」「RAWモード使うべからず」などデジカメ時代ならではのアドバイスがいろいろとあるが、極めつけは「デジカメは1年で2万円分」だろう。(コンパクトカメラの話)
「デジタルカメラは、型遅れでも全然問題ありません。だって、デジカメは3年も使わないんだから。使っても1年半か2年で、それで次のに買い替えちゃう。今のデジカメってそうなんですよ。たかだか1,2年のために、7万円も出すのは嫌じゃないですか。ただし、3年使うならば、7万円ぐらいでもいいかな。つまり1年2万円分だとしたら、3年経ったら6万円ということでしょ。そういう減価償却の考え方をすれば、高いお金出してちょっと自慢しながら、3年楽しむというのもありだと思いますね。」
この「7万円」の、というのはGR Digitalあたりを指しているようだ。私のデジカメ遍歴でもだいたいコンパクトカメラは4万円前後の機種で、2年で(壊れて)買い替えている気がする。この1年で2万円というの数字はかなり適切なのかもしれない。
田中長徳氏は趣味道楽のカメラの人だから、スタイルが無粋なのは許せないらしい。ケータイのカメラについてはこんな風にこきおろす。
「なぜケータイが、カメラのメディアとしてダメか。最近のケータイって性能はいいんです。500万画素くらいあってね。ところが、あの格好がよくないんです。あれを、腕を突き出して撮っていると、「ケータイを持って写真を撮っている人」って意外には全然見えない。「ケータイを持って写真を撮っている人だけど、実はすごい有名なジャーナリスト」だなんて誰も見てくれない。今の世の中で、ケータイを持っている人の姿っていうのは「ケータイを持っている人」以上の存在にはなれない。」
この指摘はかなり正しいと思う。撮る姿がさまになるカメラ付き携帯というのをメーカーは開発すべきであると思った。
2008年03月26日
写真家の引き出し
写真家 小川義文氏の写真とエッセイ。
http://www.crossroad.tv/
著者のオフィシャルサイト
私は車には乗らないしモノとしての車にもまるで興味もないのだが、この自動車写真本にはすっかり魅了されてしまった。ジャガー クーペ、ランドローバー ディスカバリー、ボルボが、自然や都市を背景に、ありえないほど美しく撮影されている。
「19世紀の人々にとって、写真術は移ろいやすい自然を永遠に固定するという長年の夢を実現してくれる手法だった。現代のデジタルによる写真術は、本物よりもっと本物らしい、まるで虚構のイメージにさえ思えるほどクォリティの高い画像をつくり出すことが可能になった。」
クルマというのは街にありふれていて、普通に写してもオモシロい写真にはならないものだが、この本に収録された作品は露出も構図も計算されつくしていて、一枚一枚がまるで美術館の絵画のようだ。
これらはすべてデジタルカメラによるもので、デジタルフォトの真髄を著者は「写真を絵画化すること」と語っている。それは撮影後のデジタル加工も含む。
「私の写真は非現実になろうとしているかもしれない。写真の目的が、写実からより絵画に接近しているのだから。写真に写し撮られたものは実在であることを意味するが、芸術におけるリアル(真実)とは、現実をそのまま再現することではないはずだ。それは、作家の主観と創意とを通じて選択された事実である。」
クルマに特化した作品が何十枚も続くが、飽きることなく楽しめる。作品をテーマに写真術を語る数ページのエッセイが間に16本挟まれている。写真と文章の配分が絶妙で、写真展にいって作品の横で作者の話を聞いているみたいな体験ができる本である。
2008年03月24日
植田正治 小さい伝記
雑誌「カメラ毎日」に1974年から1985年までの間に13回発表された、植田の作品群(写真とエッセイ)が収録されている。先日紹介した「植田正治の世界」は関係者による360度評価のような本であったが、こちらでは本人の肉声がきける。
伝記というシリーズタイトルについては本人がこう語っている。「その「伝記」という言葉を使うのはちょっと気になったんですよ。なんか思い上がったような感じでちょっと気になったけども、切羽詰ってそういう題つけてね。それから言い訳になりますけど、伝記というのは私自身のたどった道、これからたどるであろう道であるし、それから撮ってる被写体、対象のそのときの記録ということは、撮られた人物なら人物のひとつの伝記の1ページになるであろうという気持ちなんですよ。」
断続的だがシリーズが8年間続いたことで、実際、植田正治のある時期の伝記的内容となった。植田が約50年前に撮影したが未現像のフィルムを新作として発表した回もある。カビに浸食されたネガから1930年代の日本の情景が現れる。驚くべきことに「植田流」はその頃から変わっていないことがわかる。
植田正治の作品の最大の魅力は構図の面白さなわけだが、一般に写真術で言われる構図のタブーをしばしば犯しているのが興味深い。メインの被写体をど真ん中に配置してしまう日の丸構図とか(ローライフレックスの正方形写真では一層それが目立つ)、人間の背景に電信柱がある串刺し構図などを堂々とやっている。それが印象を悪くするどころか、効果として活きているのが凄い。
日常をどう写せば非日常になるかを徹底的に考えつくした写真家なのだ。そしてそれは田舎暮らしから育まれた才能でもあったらしい。「それはとにかく外国行ったら、もの珍しい、右向いても左向いてもシャッター押しますね。それは写真になると思うわ。山陰におるとなかなか写真になる対象に恵まれん。」と話している。
植田は自分の作品について「非常に空間がとぼけてる写真かもしらんなァ」と述べている。これ以上ないほど的確な説明だと思った。植田作品はメインの被写体へのピントは常に完璧に合わせている。背景は砂丘や曇りの白い空であることが多いから、当然のことながら被写体だけが中央にぐぐっと浮き上がり、広がる余白との絶妙のバランスが「とぼけた空間」の一因になっているようだ。
カメラ雑誌などの月例コンテストで植田流を模倣した作品をよく見るが、本家の持つ、そのとぼけ具合がない。まじめに計算して作ってしまうととぼけたことにならないようだ。「五十年間つづいた道楽が我が写真家としての取り柄ならん。」と語り生涯「アマチュア」として生きた植田だったからこそ、究めることができた遊びのセンスだったのかもしれない。
・植田正治の世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005283.html
2008年03月12日
植田正治の世界
植田正治の砂丘写真シリーズは演出表現があまりにもユニークであった。一度見ると忘れられない。なにもない真っ白な砂丘の上に、計算された構図に並べられた人間たちは、みな普段着でなにげない表情をしている。植田正治の写真は完全に作為の写真だ。日本の写真文化はリアリズムの価値が中心的であったから、アート志向の植田正治は鳥取という地域性と相まって周縁で異彩を放つ存在でありつづけた。2000年に他界したあとその作品は海外でも展示されて、今また高い評価をされている。
・植田正治美術館
http://www.japro.com/ueda/
・植田正治事務所
http://www.shojiueda.com/jp/index.html
この本は本人の言葉や家族の証言、そして同時代の写真家や評論家たちの回想によって、植田正治の表現世界を立体的にうかびあがらせる。代表作の紹介や植田が生きた環境の取材記事などコロナブックスらしいビジュアルなドキュメント。
植田正治の作品には同じ女性や子供がよくでてくる。ここに出てくるモデルは植田の家族や近縁の人たちだったのである。子供を実にいきいきとした姿で写す写真家だが、実態は別にこだわっていなかったらしい。
「親父はごく一般的な親父ですね。子どもにあまり興味がない。ほったらかしもいいところで、ほんとうに毎日のように写真を撮りにでかけては、夜帰ってきました。」と息子は証言する。本人の言葉もそれを裏付ける。「僕は子供の世界を撮ろう。子供の世界を表現してやろうというのはない。僕はあれは物体として使っていますから」。
土門拳は「絶対非演出の絶対スナップ」と言ったが、植田正治は絶対演出写真の人なのである。植田と交流のあった荒木経惟は「私も子どもの写真は得意にしてたんだけど、自分のネオリアリズム風のどろどろした現場っぽい写真と違って、植田さんのは、あっちの国のみたいにさ、スッキリしているわけだよ。時代とか場所とか環境なんて、ぜんぜん意識していない。もっとピュアに、子どもの気持ちとか子どもに対する気持ちとかが写ってる。」と評している。
植田正治の砂丘写真はリアリズムの対極で、もはや絵画といってもよいほど緻密に計算された表現である。しかし、そこに写ったモデルの表情は余計なものが一切ない背景だからこそ、すごく生々しく質感がある、リアルに感じる。よく教科書で「写真は引き算」というが、まさに典型的な引き算のお手本を貫き通してアートにしたのが植田正治なのである。
・写真批評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005242.html
・土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004954.html
・東京人生SINCE1962
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005034.html
・遠野物語 森山大道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005029.html
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html
・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html
2008年03月02日
ギネス世界記録 2008
年間65000件が申請され厳正な審査のもとに1500件が認可される世界記録の殿堂ギネスブック。オフィシャルサイトをのぞくと「『ギネス世界記録』の歴史」が次のように語られている。
「1951年、当時ギネス醸造所の代表取締役だったサー・ヒュー・ビーバーが狩りに出かけたとき、仲間と議論をしました。それは、「ヨーロッパでもっともはやく飛ぶ猟鳥は、ヨーロッパムナグロとライチョウのどちらだろうか?」というものでした。そこで彼は、こういった疑問に答える本を出せば、人気が出るのでは、と思いついたのです。サー・ヒュー・ビーバーは、ロンドンで情報調査会社を経営していたノリスとロスという双子のマクワーター兄弟に、世界一の記録を集めるよう依頼しました。そうして、『ザ・ギネス・ブック・オブ・レコーズ』(現在の『ギネス世界記録』)として出版されたのです。1955年8月27日に発行された初版は、その年のクリスマス前には、イギリスでベストセラーとなりました。」
やがて、その記録集は37の言語に翻訳され、100か国で通算1億冊以上売れている本になったのだそうだ。自動車の利用を促進するためにタイヤメーカーのミシュランはレストランガイドを発行したそうだが、ビールメーカーのギネスとしては、いろいろな世界一を話題にしながら一杯やって盛り上がってくれということなのだろうか。
私はギネスブックを5年おきくらいに買っている気がする。いつのまにかカラー写真が大量に使われた図鑑のような本になっている。子供のころのギネスブックはこんなにビジュアルではなかった気がするが、世界記録の凄まじさが一目瞭然に分かって楽しい。
そして馬鹿話のタネにはぴったりである。洗濯機を投げた最長記録、茶わんをお腹に吸いつけて乗物を引っ張った最重量記録、ひたいでスイカを割った最多記録、最も多くの本を逆にタイプする記録など、なんでそんなことにチャレンジしたのかと問い詰めたくなるような項目でいっぱいなのである。100メートル走とかマラソンの記録のような真面目なスポーツ記録は巻末におまけのように収録されているだけである。
世界記録は目指してとるものだけではなくて、先日引退したキューバのカストロは暗殺未遂の最多記録638回を誇る、とか、もっとも多くの従業員を抱える事業体はインド国営鉄道で2000年時点で165万人の正社員がいたなどの事実も含まれる。
そして圧巻は「世界最大の○○の写真」だ。○○には虫とか動物(ヒトも)などが入るのだが、世界最大のカタツムリ(実物大)とか、ムカデ(実物大)とかナナフシ(実物大)とかは、SFチックであり、もう勘弁してくれという感じである。でも怖いもの見たさでついついページをめくってしまうのである。
ビジュアルで話題性のある記録中心に編集されているせいか、昔のギネスブックよりも、娯楽性が高い内容になっている。偉人よりも奇人変人が目立つということでもあるのだが。ブロガー向きでもあると思う。この本はやはりネタの宝庫であるから。
・ギネスワールドレコーズ オフィシャルサイト
http://www.guinnessworldrecords.com/ja/default.aspx
2008年01月29日
写真批評
土門拳が1950年から1963年(昭和25年から38年)にかけて、カメラ雑誌の月例審査員として書いた数百本の講評をまとめた本。毎月、編集部に送られてくる大量の写真から、掲載する写真を選び、順位をつけ、個々に批評を書いた。
土門拳は当時既に有名なプロの写真家であるから、アマチュアの投稿写真に対しては、何を書いても、高所から物を言う構図になる。審査員が楽をしようと思えば、その構図に逃げ込んで、好き勝手に抽象論を展開していればよかったはずだ。だが土門拳はそうはしなかった。一歩も引かずに、同じ表現者同士という立場で、投稿者に全力でぶつかっていった。
総論中心の「写真作法」と違って、この姉妹編「写真批評」の土門は徹底的に各論アプローチで批評を行う。投稿されてきた個々の写真や投稿者に対して、具体的な意見を言うのだ。常に「私だったらこう撮る」という明解な自論を確立した上で、いったん投稿者の目線まで降りていって、真摯な意見をぶつけている。内容は褒めることは稀で、表現手法を否定する厳しいものが多い。つまり、”降りていって殴る”批評だ。
土門拳は相手よりも自分に厳しい求道者である。それが読み手にもひしひし伝わってくるから、同じ基準で投稿作品を叩かれても、納得できるのだと思う。まえふりや総括に触れた個所からは、作品の審査過程の意気込みも、投稿者以上に感じられる。入選と落選を、本当に泣きながら選んでいるようなのだ。
そんな殴る側の厳しい覚悟と後進に対する熱い情熱によって、その言論行為は、破壊的な暴力ではなく、迫力のある批評になっている。これぞ本物の批評だと思う。専門家として何かを批評する仕事のお手本として、背筋を伸ばして読む本だ。
技術自慢の上位入賞の常連に対しては「大しておもしろくないものを、技術だけでものにするという、腕だけで見せているといえなくもない」とし、こんな風にを書いている。
「構図法というものは、モチーフの内容の必然性に沿って逆に出てくるものであって、構図法にあるモチーフを、ワクをきめて、はめ込んでしまうというのでは逆である。そういうことをすると、技術で、でっち上げた写真になってしまう。ベテランであればあるほど、そういうことになる危険をはらんでいる。そんなことにたよらないで、生まれて初めて写真を撮る、生まれて初めてカメラを握ったというような、赤ん坊のような、フレッシュな、初発的な謙虚な気持で撮らねばならない。」
心・技・体の三位一体を追究する人である。理想は果てしなく高い。
・土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004954.html
2007年12月26日
ブログ・オブ・ウォー 僕たちのイラク・アフガニスタン戦争
日本のマスメディアにはほとんど登場しない、米軍兵士の生の声が読める同時代の秀作。
「全米「ブログ・アウォード」ベスト・ミリタリー・ブログ賞を3年連続で受賞した人気ブログ「Blackfive」。そのBlackfiveに寄せられた多数のブログから63のエピソードを厳選して収録!戦地の生活、仲間の死、現地民間人との交流……兵士たちは実際に自分が目にしたことや体験したことを、あるいは祖国に待つ家族や恋人たちへの思いを、自らの言葉で語っている。
」
米国のブログにはミルブログ(ミリタリー・ブログ)というジャンルがある。この本はそうしたミルブログのポータル的人気サイトBlackfiveに寄せられた戦争体験記である。
・Blackfive
http://www.blackfive.net/
Blackfiveには写真やYouTube動画と一緒に兵士や家族からの投稿が今も寄せられている。今なら「戦場のメリークリスマス」の報告があがっている。(広告もいっぱい掲載されているのはアメリカらしい気がする。)
数年前に映画「ブラックホークダウン」を見たときと同じ衝撃を受けた。1993年10月3日の米軍によるソマリア侵攻の失敗を描いた戦争映画だが、現代の本物の戦争(白兵戦)が描かれていた。いくら近代兵器と豊富な物資で武装していても、決死のゲリラ戦に出てくる敵兵とやりあうのは命がけだった。生々しいブログレポートから、イラク・アフガニスタンでも、前線の兵士たちは死と隣り合わせの日々を送っていることがわかる。
多くの兵士ブロガーたちは愛国心に燃えている。国のため、家族のためという大義のために戦っている。そう思わないと過酷な軍隊生活を生きていけないからであろうが、軍隊生活や戦闘行為をあからさまに美化している兵士も結構多いのである。このレポート集はアメリカの愛国主義のヤバさの見本市でもある。
ところで、兵士たちがこんなに戦争の日常をブログに書いてしまって大丈夫なの?秘密漏えいとかはないの?と思ったら、ちゃんと後書きに、最近の軍の情報統制の実施が書かれていた。現在の米軍ではここまで自由な発言は許されていないそうだ。この本は兵士たちが本音を語ることができた最後の時期の、貴重な記録なのである。
2007年12月12日
X51.ORG THE ODYSSEY
オカルト情報サイトとして有名なX51.orgの主宰者が、UFOやUMAの謎を解明すべく、世界中の目撃現場を探査した数年がかりのドキュメンタリ。「エリア51」「ロズウェルUFO墜落事件」南米ナチス残党のUFO基地「エスタンジア」ヒマラヤの地価帝国「シャンバラ」雪男「イエティ」の真実を探した記録。
・X51.ORG
http://www.x51.org/
X51.orgは昔から読んでいたが、どういう人が運営しているのだろうとずっと気になっていた。この本を読んでも著者のプロフィールはよくわからないのだが、この道の追究にかけては、半端な趣味ではなくて筋金入りだということがよくわかった。
「しかし結局、いくらネットで情報を集めてみたところで、これら世界の謎の真相に近づきようもなかった。そこにはさらなるカオスが生まれ、本当らしい情報も嘘臭い情報も、肯定意見も、ひてい意見もあふれていた。事がはじまるのもモニターの中ならば、終わるのもモニターの中だ。検索エンジンや海外のニュースサイトを見つめながら、何かを知ったような気持ちになる自分に対する、いらだちだけが募っていったのである。それらを信じることも、否定するのもたやすいが、それは結局、私が子供の頃にしてきたように、テレビや雑誌に身を任せるのと、何も変わらなかったのだ。だから私はマウスを置いて、リュックを背負うことを選んだ。」
写真入の現地レポートは、実際には現場ではどんなノリでUFOやUMAのネタが扱われているのかがよくわかる。だが、この著者の旅行で超常現象の真相が明らかになるというわけではない。著者は超常現象に対して中立的で、断片的な情報を強引に存在の証拠としたりはしないので、むしろ錯綜する収集情報によって謎は深まったりする。結論が出ないというのが、半ばウケを狙った「怪獣記」とは違って、よりリアルな超常現象調査レポートとして読めて、面白かった。
・怪獣記
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005148.html
・超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005089.html
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・霊はあるか―科学の視点から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002003.html
・科学は臨死体験をどこまで説明できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004528.html
最近はUFO映像がネットにたくさんアップされている。フェイクと判明したものもあるが、迫力があったのは以下の4つ。
・米国で近年目撃が増えているUFO Drones
・ハイチに現れたUFO
・UFOが街の上空を飛行
・スターデストロイヤーが飛行!
2007年12月11日
Snap!とVivitar ULTRA WIDE&SLIM
この本で紹介されているVivitar ULTRA WIDE&SLIMは私も数ヶ月前に購入していた。何本か撮影して、独特の写りに満足。
・Snap! オシャレなフィルムカメラをゆったり楽しむ本
ハーフカメラやトイカメラなどの特集ムック本。
・Vivitar ULTRA WIDE&SLIM
http://store.yahoo.co.jp/pgear/vivitar.html
Holga、Lomo LC-Aに続くヒットになるかもしれないと評判のトイカメラを試してみた。周辺光量落ちのトンネル効果が特徴。ボディもレンズもプラスチック製でみるからにチープなつくり。巻き上げ部分の強度が弱そうなことと、縦で写すと指やストラップが写り込みやすいことなど、すぐにわかる欠点がある。しかし、味がある写真がでてきてかなり満足。
さっそく撮影してみた。
・曇りの日のショッピングセンター駐車場
自宅スキャナーでフィルムスキャン
・晴天 名古屋出張先の近くの公園
自宅スキャナーでフィルムスキャン
Vivitar ULTRA WIDE&SLIM
http://www.flickr.com/groups/57074580@N00/pool/
Flickrに専用のコミュニティがある。
2007年10月31日
怪獣記
これは文句なしにおもしろい。
誰も知らないようなマイナー未確認動物(UMA)を追いかけるのがライフワークの作家 高野秀行による未知動物探索紀行。目撃者の個人情報が掲載された研究書を発見したことがきっかけで、トルコ東部のワン湖に現れるという、巨大な水棲獣ジャナワールを探しに探検隊は調査旅行へ出発する。
現地では「ジャナワールを探しに来た」と言うたびに、笑われ馬鹿にされる一行。それでもめげずに、研究書を書いた怪しい教授や、怪獣を見たと証言する50人もの人々を探し出して真相に迫る。いるわけもなさそうなマイナー怪獣を、大の大人が大真面目に探し回るドタバタが愉快。行く先々で起きるハプニングと意外な発見。探検は後半で予想外にシリアスな急展開を見せたりして、世界はまだまだ探検を待っているのだなあと引き込まれる。
川口浩や藤岡弘、の探検隊シリーズのファンは必読。
2007年10月22日
William Eggleston's GuideとWilliam Eggleston in the Real World
最近集めているニューカラー系写真集。
ウィリアム・エグルストンは、写真芸術の大半が白黒だった1960年代後半から1970年代にかけて、カラー写真による新しい表現を追求した「ニューカラー」派の代表的なフォトグラファー。米国テネシー州、メンフィス生まれで、アメリカの原風景を写す。
「William Eggleston's Guide」は、エグルストンが1976年にニューヨーク近代美術館(MOMA)で、史上初のカラー写真の個展を開催した際の歴史的な作品集である。洋書。映画「アメリカン・グラフィティ」のような、当時のアメリカの空気が思いっきり写っているのが印象的だ。
エグルストンは特別な被写体や、意味ありげな構図を選ばない。ふつうの、どこにでもありそうなクルマや通行人や、店の看板や建築のファサード、ホテルの部屋の中などを、ありきたりな構図で写す。目新しさではなく、ありきたりさに心を動かされる。私は70年代のアメリカに住んだことなどないわけだが、そこに映る日常のリアリティにどっぷり浸かれてしまうのが不思議だ。懐かしい気がする。
エグルストンの作品の魅力は、被写体でも構図でもなくて、色合い、光、質感なのだとおもう。だから、ちょっと輪郭を見ただけでは満足できず、質感を味わうためにじっくり鑑賞することになる。全部見るのにずいぶん時間がかかる濃厚な作品集だった。
エグルストンの過去の写真集は国内では売り切れか、高額のプレミアがついたものが多くて入手が難しいものが多い。別の作品を2冊、米国Amazonで注文したのだが、数か月しても商品が見つからずキャンセルになったこともある。オークションでは数万円台に高騰しているものもある。
そこで最近のエグルストンの制作活動のドキュメンタリDVDを発見したので見てみた。未公開の写真作品も収録されているのでお買い得である。(というか、こういうDVDが出て話題になったから写真集が高騰しているのか?。)
・William Eggleston in the Real World
このDVDはリージョン1 (アメリカ合衆国およびカナダ)なので再生環境に注意。
日々の撮影風景を淡々と記録している内容でエグルストン本人が中判カメラ片手に、南部や中西部の町をうろうろしながら被写体を探している。なにか見つけるとおもむろにパシャっと撮影する。三脚を使わず手持ちが多い。一枚一枚に思い入れを込める風ではなくてあっけなくシャッターを押しているのが印象的だった。撮影場所の映像と作品を見比べることができるのも貴重な体験である。
・Official website of William Eggleston and the Eggleston Artistic Trust
http://www.egglestontrust.com/
2007年09月13日
猫谷 改訂版
花輪和一の作品はほぼ全部持っている。江戸時代や平安時代を舞台に、魑魅魍魎のでてくる変態漫画が特に素晴らしい。人間の業の深さ、執念や嫉妬といった負の感情を濃縮して、ここぞというところで、ぶわあっと吹き出させる。そのえげつなさに辟易しつつも、慣れると中毒になる。特に油の乗っていた80年代から90年代初頭の作品がこの本に収録されている。久々に読んで花輪作品の不気味な感覚を思い出した。ほんとうに最悪だけど最高である。
花輪和一は銃刀法違反で逮捕された体験が漫画や映画になって大ヒットしたことは有名だが、ホンモノはどういう人だろうとウィキペディアを読んでみると「ちなみに『ちびまる子ちゃん』の登場人物「花輪和彦」は、花輪和一からとられたという。」なんて書かれていて、いっそう得体が知れない。第5回手塚治虫文化賞を辞退していたりして表舞台へでる気はないらしい。ガロ出身のサブカル漫画家の一人。
・花輪和一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%BC%AA%E5%92%8C%E4%B8%80
花輪和一のおすすめは以下の3冊。
2007年09月02日
Portraits of America (National Geographic Insight)
・Portraits of America (National Geographic Insight)
ナショナル・ジオグラフィックで活躍する現役の写真家 William Albert Allardの作品集。165枚の写真が年代順で並ぶ。
Allardの写すアメリカは日本人になじみ深い東海岸や西海岸だけではない。むしろ、多くの写真はアメリカのど真ん中や片田舎をロケ地としている。アーミッシュやフッタライトなど宗教コミューンに暮らす人々の純朴そうな眼差しや、老いたが尊厳は失わないカウボーイの毅然とした姿、など、ニューヨークやサンフランシスコでは出会わない人々や風景ばかりである。無骨でナイーブなアメリカの全部入り濃縮バージョンというイメージ。
Portraits ofという通り、アメリカの多様な側面が集められている。特に閉鎖的で保守的な社会の人々の、日常生活や素直な感情表現が切り取られているのが興味深い。日本人の我々ではなかなか立ち会えないであろう瞬間ばかりがある。撮影対象の社会に長期間潜り込み、何千枚も撮影することで知られるAllardの真骨頂。
・ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/mail/ptm/060407.html
ウィリアム・アルバート・アラードのロングインタビュー
ナショナル・ジオグラフィックのサイトにインタビューが掲載されていた。撮影技法がかなり語られている。 「アラードは人物の撮影には、大がかりな機材は使わない。28mmと35mmのごく一般的な広角レンズと、50mmと90mmのレンズを使い、たいていはレンジファインダー式のライカM6で撮影する。」。これってライカなのか!。
撮影のコツ。
「
■人物の写真を撮るなら、まずその人と親しくなることだ。木陰に隠れて望遠レンズで撮っていては、信頼関係は築けない。物理的に近づくことで力強い写真が撮れるというロバート・キャパの持論は、心理学的にも裏づけられている。あなたが信頼できる人物だということを、言葉やしぐさ、話しかたなどを通じて相手に伝えよう。
■ 構図の定石を知っておくことは大切だが、型にはまった規則に常に従うことはない。「画面を中央で2分割する構図はよくない」というのは単なる一般論で、自分の写真に役立つと思えば何でも試してみればいい。構図は直感的に決めるものだ。私の場合、現在では色や形、光と影の関係からおよその構図がつかめるようになった。
■ 写真を撮るのは、解きかたが無限にあるジグソーパズルを組み立てる作業に似ている。超広角レンズを使いこなすのが難しいのは、パズルのピースの数が多くなるからだ。画面にあらゆる要素をうまく取り込んだつもりかもしれないが、本当にそうだろうか?要素の間につながりがあるか、主題と周囲の要素の関連づけができているか、構図のバランスはとれているか、常に厳しい目でチェックしよう。
■ カメラを構え、さまざまなアングルを試してみよう。よく撮れた写真と真の傑作との差は、わずか数センチであることも多い。ひざをかがめてみたり、右や左に重心をずらしてみよう。視界を15センチ動かしただけでも、大きな変化があるはずだ。
」
2007年09月01日
化けものつづら―荒井良の妖怪張り子
息をのむほど妖艶でリアルな妖怪の造形写真集。京極夏彦の小説の表紙に使われているので、見たことがある人は多いはず。大きな写真で、さまざまな角度から見ることができる。その完成度の高さにきっと驚かされる。細部を見れば見るほど、生々しいのである。
表紙に使われた例:
・化けものつづらの展覧会の写真記録
http://ebikani.org/youkai/hariko/hariko.htm
この本にでてくる妖怪は、木型に紙を重ねてはり最後に型を抜く、張り子で作られている。張りぼてであるが故に、たいへん脆いものであるらしいが、紙の持つ独特の質感が、女の艶めかしい柔肌、妖怪のぬめるような皮膚、ごつごつした角や牙などを完璧に再現している。再現していると言っても本物の妖怪は見たことがないわけだが、圧倒的な臨場感を感じてしまう。
少し高めの値段設定だが、印刷やデザインもよくできた写真集だ。京極 夏彦、諸星大二郎、水木しげるあたりのファンなら感涙もので、永久保存版的な一冊。夜な夜な眺めてうっとりできる。
2007年08月25日
Lego Crazy Action Contraptions: A Lego Inventions Book
・Lego Crazy Action Contraptions: A Lego Inventions Book (Klutz S.)
Legoの特殊パーツとセットになった子ども向けのテクニック本。紹介作品には、この本の60個の付属ブロックだけで作れるものもあるが、「赤いバケツ」などの標準的なブロックセットを持っているとさらに楽しめる。
付属パーツは歯車やレバー、車軸など、動かす仕組みを作るための部品が多い。組み立ての説明図と完成品のカラー写真と遊び方が紹介されている。リング綴じになっていてパーツを入れる袋も一体になっているので、外出時に持ち歩けいて、子どもに遊ばせることができる。
Legoは大人もはまる。私がはまっている。最近、子どもと遊んでいるうちに、LEGOの完成品をデジカメで記録すると楽しいことに気がついた。赤いバケツの部品で作った最近の2作。つくっているうちに子どもが邪魔するので「えーい、うるさい」と言ってしまったりする本末転倒状態。
・The Brick Testament
http://www.thebricktestament.com/
私の場合、まだ写真だが、レゴを使って映像作品をつくるというのは、1ジャンルとして確立されているようである。
・Brickfilms.com
http://www.brickfilms.com/
・IFILM - LEGO Films Collection
http://www.ifilm.com/ifilmcollection/0/22?htv=12
・YouTube Legoの検索結果
http://jp.youtube.com/results?search_query=lego
2007年08月22日
スナップ写真のルールとマナー
スナップ写真を撮影するときの疑問に対して、日本写真家協会の著作権委員と協会顧問弁護士が実例を挙げながら、答えて指導する本。こんなとき写真を撮っていいのだろうか、撮影した写真を公開していいのだろうか?、という疑問にマナーとルールそして法律の観点から、明解に答えてくれる。
たとえば、
「歩行者天国で大道芸をしている人を撮りました。まわりには、たくさんの人が写っています。アップではないのですが、みんなの顔ははっきりと分かります。肖像権があるといわれたらと思うと、発表することに躊躇してしまいます。また、大道芸をしている人にも断っていないので、心配なのですが。」
という疑問に対して、自由に出入りできる路上で、多くの人に無料で見せている大道芸は、撮影は自由。多くの場合、写ってしまった見物客も肖像権は主張できない、という風に答えがある。
プロ写真家による撮影術の本はたくさん出版されいて、ずいぶん読んだことがある。多くの本は、芸術や報道のためには隠し撮りも辞さずな強気のスタンスだったりする。プロは命懸けだからその覚悟でいいのかもしれないが、アマチュアは無用にトラブルを招いては危険であるし、そこまでする価値もない。安全な趣味の写真の楽しみ方のガイドとして、この本はとても参考になった。
私が最近気になるのは、自分の子供の写真である。まだ4歳だから本人が肖像権を主張するわけもないのだが、安全上、無暗にネットで公開するのもよくないよなあと考えている。
そこで、編み出したのが正面から撮らない撮影術。背後や真横、逆光をうまく利用して、ネット公開OKな写真をつくっている。
こんなかんじ。↓
2007年08月19日
The Family of Man
米国のアマゾンから取り寄せた。期待通り素晴らしい作品だった。
1955年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で企画された写真展「The Family of Man」は何年にも渡って世界各地で開催されて絶賛され、伝説になった。世界中の有名、無名の写真家たちが切り取った、世界中の人々の人生の一瞬503枚が、この本におさめられている。
「The Family of Man」は若い男女が、芝生や公園で抱き合い、キスして、見つめ合う写真群から始まる。次のパートでは恋人同士が結ばれ、子供を産み、育てていく。男も女も家族のために精一杯働く。子供は無邪気に遊び、学校で学び、やがて一人前の大人になっていく。
幸せなことだけではない。貧困や戦争で死んでいく人たちがいる。苦しい生活の救いを宗教に求める人たちがいる。選挙で社会を変えようと投票する人たちがいる。これは、写真展のプロデューサーEdward Steichenが言う「人々の自身への、家族への、コミュニティへの、我々が生きる世界への、日々の関係」を集めた写真集なのである。
ジェイムズ・ジョイスなど有名な文学作品から引用された詩や名言が、写真の主題が変わる節目ごとに効果的に引用されている。なお、以下の名前のリストのように、20世紀を代表することになる写真家たちが多数参加している。
Elliott Erwitt, W. Eugene Smith, Lee Friedlander, Garry Winogrand, Roy De Carava, Louis Faurer, Ernst Haas, Robert Doisneau, Robert Capa, Cornell Capa, Henri Cartier Bresson, Frank Horvat, Paul Himmel, Rober Frank, Wayne Miller, Eve Arnold, Irving Penn, David Seymor, Burt Glinn, Ruth Orkin, Dorothea Lange, Ansel Adams, Alfred Eisenstaedt, Pierre Verger, Jacob Tuggener, Andreas Feininger, Harry Callahan, Gordon Parks, Ben Shahn, Homer Page, Margaret Bourke-White and Dmitri Kessel amongst many others.
展示から50年後の現在も、根本のメッセージが熱く伝わってくる普遍性の名作。
2007年07月30日
視界良好―先天性全盲の私が生活している世界
先天性全盲である著者が、聴覚、触覚、嗅覚をフル稼働させて、どのように世界を認識しているかを書いた本。この表現が適切かどうかわからないのだが、”目から鱗が落ちる”記述の連続である。そして面白い。
生まれてから世界を一度も見たことがない著者にとって、見えないということは何かが欠落しているということではない。視覚ナシで全方位の世界認識を確立しているわけであり、その視界は常に良好なのである。
著者の日常生活の記述は、視覚アリの人にとっては、非日常であり、驚きと気づきの連続である。たとえば「目が見える人が絵を描くとき、目で捉えられないものは描かないという話は私にとって大きな衝撃でした」という一文から、世界認識の大きな違いが見えてくる。
この本は、日々の生活や幼少時代を振り返った短いエッセイで構成されている。それぞれのエッセイには、読者を引き込むトピックが仕込まれているので、ぐいぐい引き込まれる。
「私は嗅覚で空模様がわかります」
「私は毎晩夢を見ます」
「最近料理をよく作るようになりました」
「卓球にも盲人用があります」
「怒り顔ができない」
「アザラシがイメージできない」
「自動販売機のスリル」
「え、それってどういうこと?」、「そういえば見えない人はそれどうやるのだろう?」という疑問に対して、明快な答えを書いている。視覚アリの人向けにデザインされた社会に、視覚ナシの著者が生きるのは苦労が多そうだが、その他の研ぎ澄まされた感覚を使って、上手にこなしていく。ときには自動販売機のランダム押しのようなことを楽しんでさえいる。
この本が素晴らしいなと思うのは著者が、実に楽しそうに持ちネタをしゃべっていることである。目が見えるから見えないことがあり、目が見えないから見えることがある。だから、ピアノを上手に弾くとか、英語がペラペラであるとか、円周率何万桁暗唱できるってどういう体験なのかを、それを得意な人がしゃべるのと同じように、著者は、視覚なしで世界を認識できるとはどういうことなのかを、能力の一つとして、しゃべっているのである。障がい者が健常者に向けて書いた本ではなく、達人が凡人に向けて書いた本なのだ。
だから、広く一般の読者が楽しめる面白い本になっている。
2007年07月28日
気づいたら、カメラ馬鹿。
著者は、2004年のイラク邦人人質事件で、日本中から「自己責任」を問われた3人のうちの一人 郡山 総一郎氏。決してふらふらしていたわけではなく、命がけで取材していたジャーナリストだったことがわかる。
「2004年4月の「拘束事件」では、僕がフリーだったがゆえにいろいろと叩かれることになった気がしてならない。もし僕が大手新聞社のスタッフ・フォトグラファーだったなら、あんな状態にはならなかったであろう。」
乳製品を運ぶトラック運転手だった著者は、ある朝、テレビでパレスチナで投石を行う少年たちの映像にひきつけられ、仕事を辞めて、フォトジャーナリストになる。カメラは触ったこともなかったくらいの素人だった。そんな著者が世界を飛び回るプロのフォト・ジャーナリストになるまでの冒険を描く。もちろん写真も多数。
読みどころは、カメラ馬鹿の部分だ。なにも知らずに中古のニコンF2(現代なのに古すぎる!)に始まり、デジカメになってキヤノンに乗り換え、一方でライカに手を出す。道楽カメラではなく、徹底的に実用カメラ遍歴の話である点が面白い。少ない予算をやりくりして、現場で使える本体やレンズの組み合わせを探っている。
プロカメラマンの仕事の過酷さと醍醐味。等身大のフリーランスの生きざまがかっこいいなと思った。ただし、これはジャーナリズム論の本ではない。人質事件のことは、こちらの別の本に書いているようである。
あくまでこれはカメラ馬鹿の本なのであった。
2007年07月21日
謎解き フェルメール
オランダの風俗画家ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)についてのガイドブック。新潮社とんぼの本。作品と出身地の町デルフトの写真が美しい。
私は美術史について初心者でこれから詳しくなりたいと思っているのだけれども、この本は知識がなくても、作品の全部鑑賞と背景知識の勉強ができて、素晴らしいと思った。全部鑑賞というのは、フェルメールの作品は現在三十数作しか残っておらず、この本に全作品がカラーで収録されているからである。
フェルメールの代表作は、人物がいる部屋に、向かって左にある窓から光が差し込んでいる構図ばかりだ。これはどうやらフェルメールが絵を描いた家の配置と関係があるらしい。
・牛乳を注ぐ女 (ウィキペディア、パブリックドメインより)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a8/Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg/180px-Vermeer_-_The_Milkmaid.jpg
タイトルに「謎解き」と入っているのは、
・フェルメールは謎の画家とされているが実態はどうだったのか
・フェルメールが絵を描く際にカメラ・オブスキュラを使ったかどうか
・戦前戦後の美術テロリズムにフェルメール作品が何度も狙われてきた経緯
などを謎解き風に解説しているから。
・フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
http://milkmaid.jp/
国立新美術館で9月からフェルメール作品が展示される。よい予習になる本。
2007年07月09日
東京人生SINCE1962
アラーキーは凄いのである、と、えらく感動してしまった写真集。
藤原新也や森山大道の写真集は、ハードボイルドな男の生きざまである。かっこよくて時代性や社会性を背負った劇画モノという感じである。ゴルゴ13みたいである。飾らない風でいてちゃんと飾っている作品だ。それに対して荒木経惟の人生の集大成みたいなこの作品は、男のめめしいセンチメンタリズムの歴史である。もちろん、かっこよさを求めた写真が数としては多いのだけれど、目立つのは、アラーキーが泣きながら撮ったような写真である。
1962年から最近までの200枚くらいの写真が、年代別に収録されている。写真芸術家としての各時代のベストショットの合間に、アラーキーが身内を撮影した作品が挟まれている。
たとえば駆け出し時代の、新婚の妻との幸福な写真は、あまりにふつうなスナップショットだ。どんな夫婦にもある、ありふれた蜜月を素直に写していて、観ている方が面映ゆくなってしまう。作品になろうがなるまいが、写真家は人生を写すのが生きがいなのであった。
この「東京人生」を読むきっかけになったのは、別の本「写真とことば―写真家二十五人、かく語りき」だった。25人の写真家が紹介されているが、ここに荒木経惟が身内の死を撮影したことについての思いを綴ったエッセイが収録されていた。心を打つ、凄い名文である。私はそれを読んで、荒木経惟に強い関心を持った。
・写真とことば―写真家二十五人、かく語りき
「写真家は、見事な写真作品だけでなく、自らの芸術を言葉でも表現している。土門拳、森山大道、荒木経惟、星野道夫他、代表的な二十五名の写真家達の言葉を収録しつつ、それぞれの芸術を解説する。」
「東京人生」にはそれらの身内の死の写真が含まれる。アラーキーは父親の死に際して遺体を撮影した。苦しそうな死に顔を撮れなくて腕の刺青を写した。母親の死の時には、それが少し残念だったので、今度はちゃんと顔を写した。そして先立たれた妻の死は、癌を知らされた日から、死の直前まで、カメラでたくさん記録して作品にした。
荒木の写真は年代を追うごとに、作為性が薄くなって、真正面から人の笑顔や幸福を写すようになっていく。いわば人生そのものを写すようになる。東京人生というタイトルは、東京で生きてきた著者の人生そのものという意味だ。
「死を感じてるから、ことさら生に向かえという。だからものすごくいい写真は照れとかなんとかが抜けちゃってる。だって最初は、たとえば「冷蔵庫、幸福」とか、バカなことやってるじゃない。それがストレートに、家族がいいんだ、その時の声が聞こえればいいんだ、笑顔がいいんだって、平気で撮れるしね。すごいもんですよ。だからどんどんピュアというかストレートになっていくんだね。」
10年ごとの年代で区切られた作品群を、順番に見ていくうちに、悲しくなって嬉しくなって、自分の人生の一部を重ね合わせてしまって、いつのまにかアラーキーという異人が身近に感じられてくる。それでいいのだ、そうでなくっちゃという気で写真を眺めるようになる。そういう体験は他の写真集で味わったことがなかった。名作だと思う。アラーキーはヌードじゃない方もすごい。
2007年07月05日
遠野物語 森山大道
写真家 森山大道の1976年の作品の文庫版。
・森山大道オフィシャルサイト
http://www.moriyamadaido.com/top.html
モノクロで極端にローキーで、こってりと真っ黒で、粒子が粗い写真が並ぶ。眼をほそめて世界をぼんやり眺めているときの見え方だ。白くぼおっと浮き上がる景色は、柳田国男の遠野物語ではなくて、一昔前にどこかで見た日本のふるさとのイメージである。
「僕のように実際に帰るという意味での「ふるさと」などどこにもなく、ただただ恋を恋するがごとく、いい年をして甘ったれて、イメージの「ふるさと」を追い求めている者にとっては、「ふるさと」って、きっと幼時からの無数の記憶のなかから、さまざまな断片をつなぎあわせてふくらませた、あるユートピアというか、「原景」なんじゃないかって自分では思うわけです。そんな僕の「ふるさと」像の具現というか仮構の場所として、僕にはやはり遠野へのこだわりが抜きさしならずあったと言うほかないわけです。」
「だから僕がいまの遠野にカメラを持ってでかければ、たとえ架空のイメージにどんなに憧れていたところで、オシラサマや、ザシキワラシや、カッパたちに会うことはできませんが、そのかわりにアグネス・ラムや桜田淳子のポスターや、萩本欽一のペーパードールにあえるわけですよね。つまりそのことのほうが言うまでもなく大事なことだろうと僕は思うんです。」
ひたすら自らの故郷の原景を追い求めて、クリシェ(典型的なイメージ)を撮ろうとしても、実際に写るのは、クリシェの影としての現実の遠野だったということなのだろう。解説によるとこの作品を撮影中、写真家は長い内省を深めている時期だったらしく、どの写真も心象風景である。夢にでてきた世界をそのまま印画紙に焼き付けてしまったような、印象の強さがある。
・カラー写真を白黒写真に簡単キレイに変換するGekkoDI
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004969.html
・モノクローム写真の魅力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004940.html
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html
・The Photography Bookとエリオット・アーウィット
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004958.html
・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html
・マイケル・ケンナ写真集 レトロスペクティヴ2
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005007.html
2007年07月01日
デジカメのえほん
初心者向けのデジカメ撮影ガイド。すごくよくできていて驚いた。
難しい技術の説明はなし。こうするとこう撮れるよ、こんなときはこう撮るといい式の、美しい作例写真と絵本のようなシンプルな説明文だけで、写真上達のコツを教える内容。それでも撮影技術の基本は網羅されているので、めくっていくだけで、カメラやレンズの仕組みが理解できるように思った。少し技術を詳しく知りたい人向けには詳細な文章説明のある「おさらい」コーナーが用意されている。
これまでに読んだどの撮影術の本よりもわかりやすいと思った。アマゾン他で読者に絶賛されているのもうなずける。この絵本に学ぶことはふたつあって、ひとつめは、もちろん、よい写真の撮り方なのだが、ふたつめは、視覚的に教えるやり方である。
このハートアートシリーズは他にも数冊出ているが、どれもビジュアルで一目瞭然に教えることに優れている。わかりやすいプレゼンテーションとはなにかの研究材料にも使える。
デジカメのえほンには、マクロモードの面白さも紹介されていた。私はコンパクトデジカメのマクロモードでご飯を撮るのが以前から好きだった。数センチまで被写体に寄ることができるから、料理の質感をとらえて、おいしそうに見える。
・2006年のフード写真集
Food Photo |
2007年06月16日
大人の科学マガジン vol.3 ピンホールカメラ
ピンホールカメラに興味があるなら絶対に買いのバックナンバーである。
雑誌の付録として立派なピンホールカメラがついてくる。ピンホール部を取り換えることで広角化したり、付属のプラスチックレンズを使うこともできる高機能な逸品。三脚穴があるのもうれしい。
週末の朝に晴れていると、ピンホールをやりたくなって、家族と一緒に風景や花のきれいな場所へでかける。今日はどんなフィルムで撮ろうかと、買い置きしてある各種フィルムのパッケージを見ながら、わくわくする。針穴写真、なんでこんなに楽しいのだろうか。カメラはいろいろ持っているが、やはりピンホールが一番好きだ。
ピンホール写真は露光時間が長いのでシャッターを開いて待つ間に数を数える。5秒とか10秒とか、ときには1分とかを勘で決める。数え終わってシャッターを閉じるまで、じっと被写体を祈るようにみつめる。原理的には光の力で撮るのだけれど、気持ちとしては念力で画像を写しているような錯覚をする。それが楽しい。
ISO400のフィルムを使えば露出ミスはほとんどない。屋外の撮影では、普通は数秒から数十秒の露出幅になるが、適当であってもラボがどうにかしてくれる。「露出過多」のメモがついてくることがあるけれども、だいたい写る。
午前中に一本撮ってしまって現像に出して、夕方にカフェでプリントを眺めていると、最高に幸せな日曜日になる。さらにFlickrのピンホール写真関連のコミュニティに投稿して、海外からコメントをもらえたりすると、また来週もやらなきゃという気になってしまったりする。
なにやってるんだろうか私は。
でも、興味を持った人はぜひ試してみてください。
・光の神話 心の扉を開くピンホール・アートフォト
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004964.html
・WORLD of PINHOLE
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004933.html
・ピンホールカメラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004930.html
2007年06月03日
36フォトグラファーズ―木村伊兵衛写真賞の30年
「日本の写真界をリードしてきた「木村伊兵衛写真賞」の30年の軌跡。最新受賞者を含む、受賞作家36名の作品集。第1~30回の受賞者の略歴と、第30回の受賞者・候補者・選考委員一覧も収録」。
大型本。カラー。
この三十年間に、第一線で活躍した日本のフォトグラファーの作品が一冊にまとめられている。新しい年度順で並んでいるが、年を追うごとに、一目でわかりやすい作品が選ばれるようになってきたのだな、ポップアート化しているなあと感じる。
第6回受賞の「花嫁のアメリカ」は地味なポートレートという絵柄だが、深みがあった。そこに写る人間の表情や肌の皺に、長い物語を感じる。
「「戦争花嫁」のその後を追い続けた感動のフォト・ドキュメント!!太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争―敗戦と戦争のもとで契りを結び、母国を離れた「戦争花嫁」と呼ばれた女性たち。言葉の壁、人種の偏見、花嫁たちは異境での人生をどう歩んだのか。反響を呼んだ1978年の『花嫁のアメリカ』から20年、花嫁たちが描いた「歳月の風景」は、人種、家族、愛と喜び、別離や死―人間の生の本質を語りかける。 」
巻末には、篠山紀信、土田ヒロミ、都築響一、藤原新也の豪華な対談も収録されている。この中で、写真家の形式とスタイルについてのディスカッションがあって、
「土田 写真というのは、方法論的には機械を使うわけですよ。8×10、4×5、6×6、いろんなものが多くあって、カメラを選択することで文体を変えられるんですよ。これが写真の表現のすごいところだと僕は思っているんですね。絵画だったり、言葉の人というのは、そんなに変えられないですよ。
藤原 例えばHIROMIXさんというとコンパクト。蜷川さんはフィルムの選びすら全部決まっちゃっている。アグファの何って、若くして文体を決めている。川内倫子さんは上から覗くローライで、四角で撮る。佐内正史さんは6×7のアサヒペンで自分で焼くとか、ハードを変えない。それが文体につながる。」
というやりとりがあった。プロの世界もとっくにデジタルカメラの時代なのに、なかなかデジカメ写真家がこうした賞を受賞しないのは、明らかな文体感のあるカメラが少ないということなのかもしれない。
第32回(2006年度) の木村伊兵衛賞はこの二人だった。どちらも大変わかりやすいから、写真集もよく売れそう。
・第32回木村伊兵衛写真賞受賞者発表
http://opendoors.asahi.com/camera/kimuraihei_32nd/index.shtml
どこにでもある日常の中に、不思議な、微妙なシャッターチャンスを次々にとらえていく天才。目の付けどころが常人と違う。街角スナップが多いという点では木村伊兵衛と共通するが、うめかよは、粋というより笑を追求しているような気がする。
大判カメラのアオリを使った箱庭風写真。すべてが作りもののミニチュアのように見える。
・【写真展リアルタイムレポート】本城直季「small planet」、「クリテリオム67」
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2006/04/21/3674.html
・都市のウソっぽさを表現したい
http://www.tokyo-source.com/japanese/archives/2005/09/012.html#5
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
2007年05月27日
ハーフサイズカメラ遊楽
ハーフカメラとは、80年代に流行したカメラの種類名だ。通常の35mmフィルムの1コマを横に分割して規定枚数の2倍を撮影可能にするのが特徴である。36枚撮りフィルムで72枚も撮れてしまうからフィルム代を節約できる。経済的ということで一時は大人気であったらしい。代表機種にオリンパス・ペン、キヤノン・デミ、リコー・オートハーフなどがある。
この本にはハーフカメラの魅力が、カタログ的な機種紹介と実写例多数、思い入れたっぷりのコラムで語られている。ハーフのファンにはたまらない保存版的内容。ハーフカメラでありながら一眼レフの、オリンパス・ペンFなんていう変わり種もある。交換レンズも数十本あって、ハーフ黄金期の憧れであったらしい。中古市場で今も2万円以上する。
10年以上前に新品市場からは姿を消したハーフカメラだが、21世紀に入ってからのToyカメラブームで、中古市場で人気が復活している。私もそのブームで知った。
先日、オークションでコンパクトフィルムカメラ6台セットというのを落札した。その中にオリンパス・ペンEE3がまぎれていた。ジャンクらしいのだが、この本を読んで、早速、フィルムを入れて試写してみた。36枚撮りで72枚撮れるので、なかなかフィルムが終わらない。バチバチ撮る。
・オリンパスペンEE3
残念ながらこの個体はレンズにカビがあるため、全体が白っぽく写ってしまう。
だが、物は考えようで、「これはソフトフォーカス・フィルター付きなのだ」と前向きに考え、こんな風に撮ってみた。
幻想的になった。結構よいかも。
EE3は数十年前に絶滅したセレン式露出計を搭載している。暗い場所ではシャッター半押しで露出を測る。暗すぎるとファインダーに「赤ベロ」が降りて、シャッターが切れない。
この写真は日没で何度も赤ベロがでてなかなか切れないギリギリ露出の一枚だった。被写体の明るいところを探して、粘る赤ベロと格闘するのが、実は楽しかったりする。ハーフは遊びのカメラなのだからそれでいいのじゃないか。
この機種は絞り優先のマニュアル撮影も可能である。この場合は赤ベロ警報は出ないから、シャッターを強制的に切れるが、露出は自己責任になる。敢えて暗い写真を作りたい時には使える。
こんな風に。
ハーフカメラはフィルムを横に分割するから、縦に長い2コマができる。普通に構えて撮影すると縦位置基本になる。逆に縦に構えて撮ると普通のカメラのように横位置になる。縦位置は作為性がでるから、写真に面白さがでやすい気がする。それが人気の秘密だったのかもしれないと一本取りきって思った。
お、雨の日だとカビによるソフトフォーカスがばれない。
コダック ウルトラマックス ISO400
日曜日のお気楽カメラとしてハーフカメラはおすすめ。次はキヤノン・デミがほしい。
2007年04月28日
光の神話 心の扉を開くピンホール・アートフォト
スピリチュアル系の本を冷やかな疑いの眼差しで見ている私であるが、この写真集にはうっかり癒されてしまった。ピンホールカメラで写真を撮すという行為をセラピー療法として売り出した女性カメラマンによるアートフォト。撮影技法の解説やセラピーのガイドもある。
ピンホールカメラにはレンズがないから、本来はピントという概念がない。普通の写真と比べたら、シャープに撮れたものでもかなりピンボケの部類に入る。光の反射や現像処理の手違いで意外な光の効果が出たりもする。撮りたいようには撮れないのである。だから、偶然の効果で得られたピンボケ写像が自分の心の反映みたいに思えることがある。
「しかし、「撮りたい」という「思い」で写真を撮ること自体が主体的な行為なのです。その上、アングルを見ることができないということは、結果が予測できないため、一枚撮るのに通常のカメラに比べてはるかに勇気がいります。それによって予想できないことに対して自分を信じて思い切って行動する「チャレンジ」を楽しみながら学べます。」
著者は、プロのカメラマンからピンホールフォトのセラピストへ転身した人なので、ポラロイドだがいい写真ばかりだ。くっきりとは写さず、わざとぶらしたりして、抽象的な絵を撮っている。ポラロイドフィルムならではの色合いと粒子の粗さもいいなと思った。
心象風景みたいなピンホール写真で独特なものを私も撮れないかなと思って方法を考えた。使ったのは例のソニプラ入手のピンホールカメラ。
まず絵を抽象化するためにフィルムはモノクロでいくことにした。本来は真黒なモノクロが好きなのだが、独創性を狙って逆に真っ白なピンホール写真ってどうだろうかと考えた。敢えて露光過多にしてみよう。そこで、フィルム売り場へ行ってとんでもない高感度のフィルムを探したところ、あった。ISO 3200のモノクロフィルムがあるのだ。
そして屋外、晴天で露光時間10秒から20秒で撮影してきた。30秒にしたコマもある。このピンホールのスペックが不明だが、適正露出は1秒以下だろう。100分の1以下かもしれない。普通に考えたら真っ白になる。だが現像ラボは粘ってくれるかもしれないと期待。どうなるんだ、いったい。
普通の街のDPEに出したところ、モノクロはラボ送りになるので3日位待ってとのこと。ところが、数時間後に電話がかかってきた。「これは感度がいくつですか?」。「3200です」と答えたら「ちょっとお渡しまでにお時間かかります」との答え。一週間後に受け取りに行ったら、やはり妙なことになっていた。「コマずれがある上に全部真っ白で何か写っているように現像するのが大変でした」とのこと。
フィルムを普通に切れないのでネガは変な返却容器に入っていた。いやあ、困らせて悪いことをしたと一瞬反省、でも相手はプロだから気にしないでもいいか。受付の人も興味がありそうな眼をしていたので「理科の実験みたいなものです」と答えておいた。
できてきたのはこんな感じ。超高感度のざらつきとかろうじて結んだ像。カメラの歴史の始まりのダゲレオタイプ写真みたいである。独特なのは間違いないが、何が映っているのか、よくわからない。心象風景っぽい、かな(笑)。
・WORLD of PINHOLE
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004933.html
・ピンホールカメラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004930.html
2007年04月22日
The Photography Bookとエリオット・アーウィット
古今東西500人の有名写真家の写真を、1枚ずつ500枚集めた写真集。一作に写真家を代表させるというのは難しいと思うのだが、ピンとくる一枚と出会えたら深追いしていくきっかけになる。写真芸術の世界の見通しを作るのによさそうな大判サイズの本。洋書。
それぞれの作品には英語で数行の解説がつけられている。作品を見て解説を読むと1枚当たり、2,3分かかるので、写真集とはいえ読み通すのにはかなりの時間がかかる。毎晩、寝る前に少しずつ味わいながら見ていった。好きな作品に付箋を貼ったら20枚にもなった。
・気になった写真家リスト
Allard William Albert
Burri Rene
Carroll Lewis
Dijkstra Rineke
Erwitt Elliot
Evans Frederick H
Ghirri Luigi
Goldblatt David
Goldin Nan
Gowin Emmet
Groover Jan
Gursky Andreas
Hockney David
Hofer Candida
Knight Nick
Krims Les
Levy & Sons
Lichfield Patrick
McCurry Steve
Parkinson Norman
500人の写真家の個人的なベストを一人挙げるとしたら、エリオット・アーウィットである。ウィットとユーモアに富んだ決定的瞬間を撮り続けている。作品は白黒ばかりだが、強烈な個性があって、アーウィットの作品であることが一目瞭然といっていい。私が利き酒ならぬ利き写真で、かなりの確率で作家を言い当てられる数少ない写真家だ。
私がアーウィットの作品を初めて見たのは、学生時代に聴いたフェアグラウンド・アトラクションというバンドの、アルバム 「The First Kiss of Million kisses」のジャケットだった。バックミラーの中で男女がキスしている印象的な一枚。音楽と同じくらいこの写真が気に入って衝動買いした。それがアーウィットの作品の一部を切り取ったものだと知ったのは数年前のこと。
代表作。
エリオット・アーウィットの作品はポートレートでも風景でもない。彼の被写体は物語であり、まさに「情景」という言葉がふさわしい。見るものの感情を動かすドラマチックな場面の連続なのである。
アーウィットの撮影技法について詳しくないが、おそらく一部または多くが作為の演出で作った写真なのではないかと思われる。偶然にスナップしたにしては道具立てや構図が整いすぎている。しかし、その作為は高度に洗練されており、映画のワンシーン以上に背景を物語ってくる。長々と見惚れてしまう。
なお、5月6日まで銀座のシャネル ネクサスホールでエリオット・アーウィットの代表作の無料展覧会が開催されている。ここでは無料でパンフレットと呼ぶにはもったいないくらいの立派な、多数の写真入り冊子が配布されている。この冊子なら1000円でも払うのだが、タダで配るシャネルはえらいえらい、よくやった。
・エリオット・アーウィット写真展
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/elliott/
また恵比寿の写真美術館でも5月まで、世界最強の写真家集団マグナム・フォトスの東京写真展が開かれている。エリオット・アーウィットもマグナムの一員であり、こちらでも傑作が展示されていた。どちらもおすすめである。
・”TOKYO” マグナムが撮った東京
http://www.syabi.com/details/magnam.html
2007年04月18日
土門拳の写真撮影入門―入魂のシャッター二十二条
近代写真のパイオニア 土門拳はリアリズムを徹底的に追求する写真家だ。「絶対非演出の絶対スナップ」を信条に、戦前戦後の貧困にあえぐ市井の人々や、原爆の後遺症に苦しむ広島の人々にファインダーを向けた。写真集「筑豊のこどもたち」「ヒロシマ」がその代表作だ。
「少しでも演出的な作為的なものが加わるならば、その写真がどんなに構成的に、説明的にまとまりを示していようとも、長い時間の、くりかえしでの鑑賞に堪えないものとして、つまり底の浅い、飽きる写真になってしまうのである」
「モチーフを発見した時は、もうシャッターを切っておった、というのでなくては、スナップの醍醐味はない」
「ボケていようがブレていようが、いい写真はいい写真なのである。そんな末梢的な説明描写にスナップの境地はないのである。スナップはスリのようなものだ」
土門は禁欲的な求道者であり、自らの肉体をカメラと一体化させるための訓練に熱心であった。愛用する135ミリレンズの距離感をつかむため、すべてを7フィート(人物の全身が入る距離)で撮影して、百発百中になるフレーミング技術をまず身につけた。
そしてピント合わせは夜の窓からみえるライオン歯磨きの看板を使って修行する。
「ぼくはそのために、ライオン歯磨のラの字を目標にして、カメラ保持、ファインダーのぞき、シャッター切りという一連の操作を一組にしたトレーニングを横位置五百回、縦位置五百回、合計千回ずつを毎日晩御飯の食休みにやった。本当に撮影しているときの気分を出して、毎日千回シャッターを切った。それも二ヶ月ほどで完全にものにできた」
絶対スナップで世に出た土門拳だったが、脂の乗った時期に、二度の脳梗塞の発作で半身不随、車椅子生活を余儀なくされる。スナップ写真家にとって大切なフットワークを失った。しかし不屈の精神力と肉体修行で復活し、今度は大型カメラと弟子を引き連れた「大名行列」の撮影スタイルで、全国の寺社と仏像を撮影し、代表作のシリーズ「古寺巡礼」を撮り続けた。
古寺巡礼の写真は画面のすべてにピントを合わせるために、極限まで絞った写真である。絞るということはレンズから光が入る穴を小さくするということである。寺社はもともと暗いから、絞り込んだら普通はちゃんと写らない。
弟子が「暗くて撮影になりません」というと「写る、写ると思って写せば写るのだ」と怒鳴り返す土門。「念力で写すのだ」とまでいう。じゃあ、どう撮りますかと聞かれて、F64からF45というとんでもない高い絞り値でやれと命令する。(一般的に普通のカメラの撮影は1.4から16くらいのはず、しかも当時は高感度フィルムはない)。逆らうとゲンコと怒号が飛んでくる。弟子たちは寒い撮影現場で長時間、ガタガタ震えながら、写るかもわからぬ写真を気合いで撮った、撮らされた。
30分という長時間露光で仏像を撮影し、光不足を補うために何十回もあらゆる角度からフラッシュを焚いた。こうすることで、仏像の質感がはっきりと作品に浮かび上がった。非現実的な光線状態の中で、仏像に魂が宿っているようにさえ見える。土門が撮影技法をどこまで考えていたのかはわからないのだが、結果的には歴史的傑作となった。
リアリズムの土門と、軽妙洒脱の木村伊兵衛は、近代写真の双璧であるが、性格も作風も対極にあった。旦那衆の道楽的な粋を極める木村伊兵衛に対して、貧しい少年時代を送った土門は強烈なライバル意識を持っていたようだ。二人の名前を冠した二つの写真賞が戦後の日本のカメラマンを育てたが、今も両賞の受賞作品はその二つの作風を反映しているようにみえる。
「マチエール」(質感、存在感)を写すために徹底的に絞り込む、肉眼をカメラと一体化する訓練を行う、演出と作為を完全に排除する。それが土門の撮影技法であった。タイトルは撮影技法の本であるが、カメラの操作方法の記述はほとんどない。そのかわり写真芸術とは何かの本質に迫る本である。迫力のある精神論と人生論が読み応えのある名著である。
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
2007年04月16日
「私家版魚類図譜」「私家版鳥類図譜」
大ファンの諸星大二郎の漫画。
諸星大二郎の作品は、大きくオドロオドロしい系と、シュールな喜劇系がある。前者は「暗黒神話」、「マッドメン」、「妖怪ハンター」シリーズなど日本と海外の神話をモチーフにした作品群であり、後者は「しおりとしみこの」などの創作物語の作品群である。
私は前者が圧倒的に好きだ。
諸星大二郎の作品に携帯が出てくるのが古いファンとしては衝撃だった。
「魚類」と「鳥類」はともにどちらかといえば後者寄りなのだが、両者が混在した短編集でもあり、魚類が若干前者に近いように感じた。日本神話には海寄りの話が多いから自然とそうしたイメージになるのかもしれない。鳥類の方が哲学的思索的な印象がある。
2冊を通じてのベストは「鮫人」。中国の宋の将軍がひとり謎の漁村に漂着して出会う不思議譚。絵のタッチや物語の雰囲気が諸星大二郎の真骨頂であるドロドロ神話系のイメージに染まっている。
6作収録の鳥類編は、各作のバリエーションが楽しい。諸星大二郎の作品の幅の広さがこの短編集で味わえる。ホラー、ファンタジー、ミステリー、ギャグ、なんだそりゃ、など、次はどう出てくるのか意表を突かれる。
諸星大二郎が、あとがきに文章を書いている(漫画の天才だが文章はなぜか下手)。いつも興味しんしんでこの人の文章を読むのだが、今回もまた拍子ぬけさせられる。「鳥類図譜」と「魚類図譜」が書棚に二冊並べて置いたら気持ちいいなと思ったから、鳥類に続けて魚類を描いただけ、だそうである。作品から深い哲学を感じるのだが、作家は結構、思いつきで描いているようだ。天然の才能はすごいな。
2007年03月17日
木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
木村伊兵衛(1901〜1974)。20世紀の日本の写真史上、土門拳らと並んで最も有名な写真家の一人である。当時、1台で家が一軒建つといわれたほど高価なライカカメラを片手に、日本と世界の街角でスナップ写真の手法で時代を切り取った。
この本は、木村伊兵衛の代表作品と関係者によるエッセイで構成されている。
「下町育ちで古き良き江戸っ子の粋人ぶりを伝えるエピソードに事欠かない木村のストリートスナップは、「居合術」とも称された。出会い頭にすうっとカメラを構えてパチリ、深追いなしのワンショットである。この人が歩くと、まるで呼び寄せるかのように絶妙のシャッターチャンスが訪れたという伝説もあるほどだ。」
掲載されている代表作は見事である。ページをめくるたびに感嘆する。
有名な街頭スナップだけでなく、女性のポートレートも素晴らしい。
どうやったらこんな表情を撮れるのか?。女優や芸者や祭りの踊り子たちが白黒写真の中から闇の中の真珠のように浮き上がる。艶やかで光を放つ眼が凄い。敢えてぼかされたピント具合が女性の魅力をありえないほど引き出している。
写真家アラーキーのように被写体の女性にこまめに声をかけて雰囲気をつくる人ではなかったようだ。撮影現場にふらっと現れて「なんにもしなくていいです。そこに自然にしてくれればいいです」とだけ伝えて、私どうしたらいいのかしらと戸惑いがちな女性をパチリパチリと撮影したものだという。実はそれが女性の可愛らしさを引き出す極意の術だったのかもしれない。
「相手方から受ける感情を写して行くという内面的なつかみ方と雰囲気をつかんで行って、その中から対象を描き出すという、まわりから入っていく方法」と木村伊兵衛は自身の写真について語っている。
被写体になった人や関係者の証言によると、木村伊兵衛の撮影はあっけないほど短時間に終わってしまうものだったらしい。いつのまにかパチッと撮っているので、撮影されたのを気がつかない人もいたほどである。作為に染まらない自然を写すことを狙ったらしい
この本の面白さのひとつに木村伊兵衛の36枚撮りフィルムのコンタクト(ネガ一覧)が何枚も全部掲載されていること。最終的に作品として木村が選んだ、ひとつかふたつに○がつけられている。その前後に撮影したボツ写真が一緒に見られるのが勉強になる。本当に撮り直しをしない人であったようで、一期一会の居合い斬りに賭ける写真家だったことがわかる。
誰にでもできて奥が深いスナップショットの可能性について知りたい人におすすめである。
・Yahoo!インターネット検定公式テキスト デジカメエキスパート認定試験 合格虎の巻
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004918.html
2007年03月07日
地球のすばらしい樹木たち―巨樹・奇樹・神木
仕事から帰って深夜にひとりでぼおっと見ている本。
英国の貴族で歴史学者トマス パケナム伯爵は1998年に、英国中を旅して巨樹・奇樹・神木を見てまわり、精選したベスト60本の樹木の写真集「Meetings with Remarkable Trees」を出版して絶賛された。これは、その著者が2002年についに世界のベスト60本を選んだ「Remarkable Trees of the World」の日本語版である。大判サイズで重たい、いかにも巨木の本らしい装丁だ。
収録されているのは、どの樹木も味わいぶかい名木である。一本一本が独自のオーラを放っており、特別な樹であることが一目瞭然である。静かに見入っていると風に揺れる木々ざわめきや、朝靄のさわやかさ、太陽のにおいがページの向こうから伝わってくる。
100メートル以上、樹齢何千年、将軍という名の、レッドウッドの巨木に圧倒され、異界に迷い込んだかのような幻想的なバオバブの林に目を奪われる。日本の木も3本ある。日本の老樹は神木である。
写真集だが解説の読み物部分が充実している。それぞれの樹木に伝わる伝説や撮影時のエピソードが見開きの半分を占める。本のサイズが十分に大きいので、片面に解説、片面に写真のレイアウトは正解だと思う。見開き全部を写真に使ってしまうと、中央の綴じ部分が見にくくなってしまうから。最初に写真を心ゆくまで味わい、記事を読んでから、また写真を味わう。じっくりと読みながら長時間、鑑賞できる構成が秀逸。
ここに選ばれたものは老木が多いのだが、半分枯れた樹よりも、力強く生きている樹が魅力があるように思う。樹木が輝くには単体ではだめで、周囲の環境も大切な要素だと知った。中くらいのサイズの樹木に取り囲まれる中で、際立って大きく美しい樹木こそ神々しくみえるものだ。
日本の樹木も神々しさでは上位にあると感じる。屋久島はいつか訪れてみたいと思った。
異彩を放つのは何本も収録されているアフリカのバオバブの樹。著者はバオバブの樹木で別に写真集を出版しているが、この本においても、大きなバオバブの素晴らしさは特筆すべきものがあった。それが立ち並ぶ様は幻想的、人類の原風景といえるものかもしれない。
世界中の選りすぐりの樹木をいつでも大判の写真で鑑賞できる。飽きずに長く楽しめる素晴らしい写真集である。
・WELCOME TO THE TULLYNALLY CASTLE AND GARDENS HOMEPAGE
http://www.tullynallycastle.com/
伯爵である著者の城。
本当に素晴らしい写真集読み物。
2007年02月22日
ビジネスモデル学会2007年 春季大会で「Web2.0時代のビジネスモデル」講演
・ビジネスモデル学会 - ビジネスモデル学会2007年 春季大会 プログラム
http://www.biz-model.org/modules/tinyd0/index.php?id=14
ビジネスモデル学会で講演及びパネルディスカッションに参加させていただくことになりました。有料セミナーではありますが、ご関心のある方の参加をお待ちしております。どうかよろしくお願いいたします。
下記にプレスリリースを引用します。
■「Web2.0時代のビジネスモデル」をテーマにビジネスモデル学会
春季大会開催 〜プログラムと参加者募集のご案内〜
2007年2月16日
PRESS RELEASE
NPO法人ビジネスモデル学会(会長:松島克守東京大学教授)は、来る3月29
日(木)に、慶応義塾大学三田キャンパス北館で、2007年度春季大会を開催します。
このほど、春季大会のプログラム詳細が決まり、大会参加者の募集を開始しました。
本大会のテーマは、「Web 2.0時代のビジネスモデル」。昨年来、インターネットの
大潮流となった「Web2.0」の実態と「ビジネスモデル」の変化を検証し、これ
からのビジネスと社会を展望します。
春季大会の概要と参加要領は、下記のとおりです。
http://www.biz-model.org/modules/news/article.php?storyid=23
是非、本大会へご参加いただきますようご案内申し上げます。
記
《2007年度春季大会》概要
名称:ビジネスモデル学会 2007年度春季年次大会
日時:2007年3月29日(木) 10:00〜17:00
(懇親会 17:15〜19:15)
会場:慶應義塾大学 三田キャンパス 北館
URL: http://www.keio.ac.jp/access.html
テーマ:「Web2.0時代のビジネスモデル」
プログラム一覧: http://www.biz-model.org/modules/tinyd0/index.php?id=14
主なプログラムの概要:
☆基調講演:「それから」マーケティング
〜ソーシャル・メディアと巧みに連携したマーケティング
〜 Web検索の将来を見据えながら
講師:データセクション株式会社 代表取締役社長 橋本大也氏
☆パネルセッション:「Web2.0時代のビジネスモデル」
バネラー:データセクション株式会社 橋本大也氏
株式会社ホットリンク 内山幸樹氏
メタデータ株式会社 野村直之氏
モデレータ・・・北寿郎氏(同志社大学大学院ビジネス研究科)
☆UMTP共催−特別講演:「SOAとビジネスモデリング」
講師:日揮情報ソフトウエア株式会社 常務取締役 岩田 アキラ氏
☆一般講演 :(午前中に、2つの会議室で、各5件、計10件の発表を予定)
プログラム/スケジュールの詳細は、下記をご参照願います。
http://www.biz-model.org/modules/tinyd0/index.php?id=14
◎懇親会 :17:15−19:15 (会場:北館 会議室2)
●参加費:
講演会・・・正会員:4,000円(振込前払:3月17日まで 3,500円)
非会員:6,000円(振込前払:3月17日まで 5,500円)
懇親会・・・一律 :4,000円
●プログラムは、都合により、予告なく変更されることがあります。
●開催要領、参加申込み方法、振込口座等、詳細情報は下記サイトにてご確認くださ
い。
http://www.biz-model.org/modules/news/article.php?storyid=23
2007年02月20日
イキガミ
この国では「国家繁栄維持法」により、小学校入学と同時にすべての児童に予防接種が行われる。その中身は病気を防ぐワクチン注射であるが、1000人に1人の割合で特殊なナノカプセルが注入される。ナノカプセルは18歳から24歳の間に必ず体内で爆発して、その人間を殺してしまう。誰にナノカプセルが注入されたのかは厳重に管理された国家機密である。限られた生を国民に実感させ、社会の生産性を向上させることが「国家繁栄維持法」の目的である。
該当者の家には、死の24時間前に死亡予告書「逝き紙」が配達される。この作品の主人公は「逝き紙」の配達人として役所で働いている。日々、明日死ぬ人たちについて調べ、「逝き紙」を手渡すのが仕事である。告知された人間の中には、自暴自棄になって犯罪を起こすものもいれば、自分が存在した証を作品として残そうと試みるものもいる。ポジティブにせよネガティブにせよ、文字通り必死の生き様である。
荒唐無稽な「国家繁栄維持法」の設定はツッコミ所満載なのだが、自分の人生があと1日しかないとしたら何をするか?を、さまざまな生い立ち境遇の人間の目でシミュレーションできるのが、このマンガの面白さである。登場人物の最後を、自分に重ね合わせて考えてみることは有意義な体験でもあるなと思う。
いろいろ考えさせられるマンガ。おすすめ。
・メメント・モリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA
2007年02月12日
大人のカスタマイズ旅行術・アメリカ編
音楽とITに詳しいフリーライター、Rickdom.comの田口さんが米国旅行のガイドブックを書いた。田口さんは大リーグ(MLB)の熱烈なファンでもあり、頻繁に米国の球場を一人旅で訪問して、ブログに日記を書いている。その経験を集約した実践的な内容である。
・rickdom 田口さんの米国一人旅
http://www.rickdom.com/archives/cat_cat17.html
この本の特徴は、旅行ガイドなのにWebのスクリーンショットだらけなこと。旅行代理店や航空会社、ホテル予約のサイトをどう使うかの手ほどきが、英語が苦手な人でも簡単にできるように、ステップバイステップで丁寧に紹介されている。米国旅行に使えるインターネットサービスをここまで紹介した本は他にないのではないか?とあとがきで著者が語っているように、インターネット時代の旅行ガイドである。
全体的に低予算の旅行を意識して書かれている。「バックパッカーみたいな」気ままな放浪を考えている人に特に役立ちそうだ。アムトラック(鉄道)やグレイハウンド(長距離バス)を使った移動ノウハウに詳しい。著者はライターなので取材旅行の参考にもなる。
私は米国で鉄道も長距離バスも乗ったことがなかったので、そうしたガイドがとても参考になった。選択肢が増えれば可能性が広がる。今度機会があったら試してみたい。現地でのインターネット接続や携帯利用についても、レンタルの仕方や使用法が詳しく解説されている。旅行ブログを更新しながら、気ままな旅をする人に特におすすめである。
米国旅行で便利お得なクレジットカードはどれか、航空券の種類と特徴、Ticketmasterの使い方など、米国旅行の基本から、現地でアクティブに遊ぶための情報がいっぱいある。学生の長期休暇の旅行、社会に出てからはじめての米国出張のお供によさそう。
#
ミクシイでつながっているご本人にお願いして、直接コメントをいただきました。
「この本で紹介したサイト、サービス、交通手段、通信手段などはすべて僕が自腹を切って取材しています。利用してみて"使える"と思ったものだけを紹介している極めて実用的な書籍になっていると思います。ぜひご利用ください」
2007年01月22日
心にナイフをしのばせて
「1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失っていた。そして犯人はその後、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。これまでの少年犯罪ルポに一線を画する、新大宅賞作家の衝撃ノンフィクション。」
ジャーナリストの著者は遺族たちに直接取材し、丁寧にその後の28年間の軌跡を追った。遺族たちにとって家族を惨殺された事件の衝撃はあまりにも大きく、一時は家族崩壊寸前まで追い込まれていた。悲しみから立ち直り新しい生活を築いていこうとしても、被害者が生きていたらこんなではなかったという思いが残り続ける。遺族は、慰謝料の支払いはおろか謝罪のことばさえない加害者のことを憎むことさえ避けようとしている。事件を思い出すことが辛すぎるのである。
更正の名の下に加害者の人生を保護し、傷ついた被害者の救済をおざなりにする現在の法制度の矛盾が明らかになる。少年事件では、ほんの数年で加害者は少年院を出所してしまうが、遺族の悲しみは一生続く。「あんなことがあった家」という世間の目が何の落ち度もない遺族に突き刺さるのが痛々しい。
少年の凶悪犯罪という特殊性はあるが、大きな不幸を乗り越えていく家族のドキュメンタリとしてもよく書かれていて内容に厚みがある。遺族の理解の元で調査しており、事件報道の手本となる見事な作品である。
最近も猟奇的な殺人事件がたびたび報道される。特徴的なのは、加害者、被害者がブログを書いていたり、ミクシイを使っていたなど、ネット上に痕跡が発見されること。そのような痕跡を見ると、事件は身近なところで起きているとわかって恐ろしくなる。今後はそうした痕跡を収録した事件取材本がでてくるのだろうな。
2007年01月15日
感染症―広がり方と防ぎ方
先週後半の会議中、熱がある、Wiiの遊びすぎだろうかと真剣に言っていた同僚が、月曜朝に社内MLにこんなメールを送ってきた。
「医者に行ったらインフルエンザと診断されました。タミフルを飲んでいますが高熱で今日はまだ出社できそうにありません。例の会議は明日に延期させてください。」
とりあえず「完全に直るまで家で休んでください。下手をすると会社が全滅しますから」と返信しておいた。私が感染症の本を読んだばかりだったから、というのもあるが、我ながら正しい対応だったと思う。
これは感染症と予防医療の専門家が一般向けに書いた本。インフルエンザやノロウィルスのような身近な感染症から、鳥インフルエンザやSARS、エイズなどの深刻な感染症までを、特に伝播経路に焦点をあてて、わかりやすく説明してくれる。
伝播経路は、
1 病原体が人体のどの場所から出て、他の人のどの場所へ侵入するのか
2 どんな媒体によって運ばれるのか
3 どのくらいの期間生きているのか
の3つで整理できる。これらのポイントを知っておけば、感染症への各自の対策ができるし、過度の心配がいらなくなる。
箸を使い風呂に入りコンドームをよく使う日本人は本来、実に衛生的な国民だそうである。感染症の広がりは、病原体の性質だけでなく人々の生活環境や生活習慣と密接な関係があり、伝播経路の変数に影響している。日本において、世界であれだけ騒がれたSARSやエイズが蔓延しなかったのも、日本人が比較的清潔な生活をしているからでもあるらしい。
実に面白いのが、日本語の発音の特徴が飛沫感染の起こりにくさに関係しているのではないかという著者の発表した仮説である。英語・中国語にはptk(中国語ではさらにqhc)の破裂音のあとに母音がくると息がはげしく出される有気音がある。この発音のときにウィルスの飛沫が飛びやすいのだという。日本語ではそれが無気音になるので、飛沫感染が起きにくいと著者は考えている。
日本語のプレゼンの方が英語のプレゼンより安全ということか。風邪の時には外来語を使うべきではないのか?なんて考えて可笑しくなったが、真面目な医学誌に掲載された話であるそうだ。日本語は清潔な言語と言えるのかも知れない。ちょっと嬉しい。
感染症対策として、清潔であれば大丈夫というわけにはいかないのが難しいところである。清潔な環境では免疫力が育たない。アレルギー症も増えるし、抗菌は薬の利かない菌を作り出す原因にもなる。適度に汚いくらいの環境でこどもの頃にウィルスや最近の感染を受けたほうが丈夫な子供が育つとも考えられるそうである。
生カキには気をつけたほうがいいらしい。カキの養殖場は植物プランクトンが多い下水処理場の近くであることが多いため、下水の中で生き続けるノロウィルスを濃縮してしまうことがあるそうだ。海のきれいな産地を選び、ガツガツ大量に食べないようにするといいらしい。途上国では絶対に食べるなと書いてある。生カキは結構好きなので参考になった。
そして、インフルエンザにはマスク、エイズにはコンドームが効果的な予防策になるという著者の主張は、論旨明快で実践しやすいものであった。著者は、人間が喋るときと咳をするときに口から出る風速を測り、飛沫感染に対するマスクの有効性を検証した。結論としては、非感染者がではなくて、感染者がマスクをするのが最も効果があることがわかったそうだ。
一般には風邪が流行ってくると、予防のためにマスクを非感染者がつけることが多いと思うが、飛沫は乾燥して飛沫核になった状態では普通の薄いマスクは通過してしまう。これを防ぐには分厚いN95という特殊なマスクが必要になる。これに対して、感染者がつけた場合は薄いマスクであっても飛沫が外へ出るのを防ぐことができる。会社でゴホゴホ言っている人が身近にいたらマスクを配るといいわけだ。
エイズが日本で今まで広まらなかったのはコンドームがよく使われる珍しい国だからだそうだ。日本以外ではピルの方が一般的で、コンドームの人気がないらしい。コンドームは避妊以外にも感染症予防効果が高いので、この素晴らしいコンドーム文化を守るべきだと主張している。マスク同様、出口に袋をかぶせるのが有効なのだな。
感染症は目に見えないから心理的に不安である。知識が無ければ過剰に心配したり、効果も無い対策をやってしまいがちだ。この本は、病原体の種類と性質、伝播経路と対応策が明確に書いてあって、情報によって感染症と戦うことができるようになる、いい本だと思う。
・感染症は世界史を動かす
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004403.html
・インフルエンザ危機(クライシス)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004247.html
・世界の終焉へのいくつものシナリオ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004729.html
2006年12月21日
人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった
・人類の発祥、神々の叡智、文明の創造、すべての起源は「異次元(スーパーナチュラル)」にあった
「神々の指紋」で有名なグラハム・ハンコックの最新作である。
グラハム・ハンコックの本には私が反応しやすいキーワードがちりばめられていて、オカルトであるとわかりつつも、ついつい新作が出ると手が伸びてしまう。この人のベストセラー連発は、結構、そういう確信犯的なファン層に支えられているのではないかと思う。娯楽SFだと思って読んでいる。
・グラハム ハンコック 日本公式サイト
http://grahamhancock.thd-web.jp/
ブログが登場。日本のファンが英語でコメントを書いている。
今度のテーマは「異次元(スーパーナチュラル)」である。古代の叡智(ハンコックお得意のテーマ)を現代に伝えたのは、エイリアンではなくて、シャーマンが異次元世界を通じて受け取ったメッセージであるという仮説である。異次元にいる知的生命体のメッセージによって人類は進化してきたとハンコックは主張するのだ。
人間がドラッグや瞑想によって変性意識状態に移行すると、洋の東西を問わず、似たような幻覚映像を見るものらしい。彼らにそのイメージを描かせると古代人の洞窟壁画と同じ模様を描くそうである。半分獣で半分人間の生き物を見たりもする。それはエジプトやギリシアの神話の神々に似ている。
「
私たちの先祖にスイッチを入れたもの、退屈な道具を使う猿から人間に変えたものは何だったか.......。それは「変性意識状態」で受けた体系的な教養です。《人類の古代の教師》と私が名付けたものです。
」
そして、ハンコック自身がアヤワスカという植物の幻覚剤を使うために、合法のブラジルへ出かけてその状態を何度も体験している。古代人が愛用した自然のドラッグである。異次元の知生体と交信してきたそうである。
グラハム・ハンコックの主張は非科学的だが、この人の着眼点は面白いものがある。古代のシャーマンたちが見ていた幻覚。それは異次元の存在かどうかはさておき、神のイメージの原型であり、宗教の始まりであったかもしれない。その体験に普遍性があるなら、なおさら信じる人が多くなっただろう。
ジョン・C・リリイの現代版みたいなアヤシイ研究である。
・ジョン・C・リリィ 生涯を語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004756.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html
2006年12月14日
よみがえる恐竜・古生物 超ビジュアルCG版
3Dのコンピュータグラフィクスで恐竜を見たい人にオススメなのがこの図鑑とDVD。
英国BBCが1999年に総力をあげて実写のような恐竜番組を制作。
「リアルなCGで直感的にわかる先史時代の生物
生命の誕生からホモ・サピエンスに至る生命の樹を、豊富でリアルなCGで復元し、地球環境の変化も含めて紹介するグラフィック本。全112種の古代生物たちが、今なお生きているかのような躍動感あふれるシーン設定で再現し、生息年代順に掲載した決定版! 」
3歳の息子は、この図鑑のあまりのリアルさに、泣くかと思ったら、毎日一人で本棚から持ってきて熟読している。迫力のあるCGと、人間の大きさとの対比表示がとても気に入ったらしい。収録図像は、棲息環境の中で動く恐竜を描いているので、生活感(というのか?)がでていて印象に残る。
勉強するのではなくて鑑賞することができる素晴らしい恐竜図鑑だと思う。
このDVDシリーズは3枚リリースされているが、圧倒的にお勧めなのが海を主な舞台とする「太古の海へ」編。
・BBC ウォーキング with ダイナソー~恐竜時代 太古の海へ
「世界最高のSFXを駆使して太古の世界を再現した「ウォーキング with ダイナソー」シリーズ! リアルで躍動感の溢れる恐竜たちがハイクオリティな映像で甦る。古生代:オルビドス紀〜中生代:白亜紀の恐竜時代にタイムスリップ!プレゼンテーターのナイジェルが、古代生物たちの住む、もっとも危険な太古の海を探検する。
4億5,000万年前【オルビドス紀】にウミサソリ、2億3,000万年前【三畳紀】にノトサウルス、3億6,000万年前【デボン紀】にダンクルオステウスに遭遇。又、3,600万年前【始新世】にバシロサウルス、400万年前【鮮新世】にメガロドン、1億5,500万年前【ジュラ紀】にリオプレウロドン、7,500万年前【白亜紀】にモササウルスとナイジェルの太古の海の生物への果敢な挑戦が繰り広げられる。
」
こちらは息子には早すぎたらしい。私は夢中で見ていたが、彼はリアルすぎる映像にびびったらしく、テレビのほうを見ない。黙ってブロックで遊んでいる。番組が終わったらほっとした顔をした。
実写と見間違うクオリティの映像のため、これは今はもういないんだよ、と子供には教えるべきかもしれない。そう言っておかないと、海が嫌いになってしまうかもしれない。それくらい凄い映像で大満足だった、私が。
2006年11月10日
【書籍になりました】 情報考学―WEB時代の羅針盤213冊(主婦と生活社、1600円)
このたび、このブログの読書記録が、主婦と生活社によって書籍になりました。
本日が発売日です。
過去に書評した600冊の中から、213冊を選び、本として読みやすく編集を施しました。
インターネットは誰でも無料で情報を入手できるのが魅力ですが、逆にいえばネットの情報だけでは物足りない時代になったと思っています。
この本では、経営書、技術書、科学読み物、小説、など紹介する書籍の分野を幅広くとりました。皆さんの本の発掘に少しでもお役に立てたらうれしいです。
冒頭に私の読書論(本の選び方、読み方、買い方、ブログの書き方)について書き下ろしました。
ブログの読者の皆さんの励ましやご意見に支えられての書籍化でした。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
出版社の解説:
過去、現在、そして未来を見通す軽快なコメントが人気の書評ブログ『情報考学Passion For The Future』。その膨大な書評群から213冊をピックアップするとともに、著者の読書術を初公開。
2006年11月04日
現実入門
著者の穂村 弘氏は一人暮らしも結婚も子供を持つもソープランドも家を買うも骨折もしゃぶしゃぶも経験したことがない42歳男性フリーライターである。
著者が流行らせた「人生の経験値」というリストがある。一時期、このリストで経験したものに○、未経験に×をつけて公開するのがブログやMixiで流行した。最初の20件はこんな感じであった。
・人生の経験値とは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%CD%C0%B8%A4%CE%B7%D0%B8%B3%C3%CD?kid=104138
入院
骨折
献血
失神
結婚
離婚
フーゾク
しゃぶしゃぶ
エスカルゴ
万引き
補導
女を殴る
男を殴る
就職
退職
転職
アルバイト
海外旅行
ギター
ピアノ
著者はほとんどが×である。「このまま一生何もせずに終えることはできない」と、編集者に励まされながら、初体験の事柄に次々に挑戦していく顛末がこの本の内容だ。献血、合コン、相撲観戦、占い、結婚式場探しなどなど。
さて、この本であるが、人生の経験不足を名乗るわりに、いろいろなことを知っている人である。経験値の低い42歳の自分をちゃかして、読むものを笑わせるのが得意である。笑わせるには、読み手がどう考えるか、自分がどのように見えているか、の把握が必要なはずであって、相当の理解がなくては書けないと思う。できないからしなかったのではなくて、したいと思わなかったからしなかった人なのだと思う。
だから、ここに書かれていることはかなり受け狙いな内容だなあと感じる部分もあるが、、初体験にのぼせあがったり、戸惑ううちに、いつのまにか、あらぬ妄想を抱いて独り言をつぶやき続ける文体が、よくできた一人芝居として、とても面白い。最終章なんて、うっかり感動しそうになりました。
2006年10月30日
ムーミン谷の名言集―パンケーキにすわりこんでもいいの?
・ムーミン谷の名言集―パンケーキにすわりこんでもいいの?
今年もデジハリの学生から誕生日プレゼントをもらった。感謝。
昨年は「Encyclopedia Prehistorica Dinosaurs:Dinosaurs」だった。
・Encyclopedia Prehistorica Dinosaurs:Dinosaurs
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003915.html
今年はムーミンの名言集。本選びのセンスがいい。
子どもの頃からムーミンってカバだと思っていたが、実はトロールという妖怪の一種であるらしい。そう言われても、どう見てもカバなのだが、これがなかなか良いことを言っている。ポヨヨンとしたカバたちのいうことなので偉い先生がいうことよりも、素直に心に入ってくる。
「パンケーキにジャムをのせて食べるひとがそんなに危険人物であるわけがありません」
「夜中のサンドイッチってやつは、いつ食べても、いいものだねえ」
なんていう平和な気分にひたる名言もあれば、スナフキンの哲学語りもある。
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうがふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり......。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねえ......。」
「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ」とスナフキンがワクワクしながらいいました」
深い言葉がある。ムーミンの物語のどこでこんな名言が使われていたのかと驚く。
「わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。つまり、わたしは、ほんとうの意味で、生きることをはじめたのでした。」
「初恋と最後の恋のちがいをご存知?初恋はこれが最後の恋だと思うし、最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの。.......なのよ」
「あるところに、遊園地ではたらいているヘムレンさんがいました。だからといって、このヘムレンさんが、とびっきり楽しい人生をおくっているかというと、そうもいかないのです。彼は入場券が1枚の切符で1度しか入れないように、切符にパチンと穴をあける仕事をしていました。そんな仕事を、一生やっていなければならないっていうだけで、それだけでもう、ひとはゆううつになるものなんです。」
ムーミン作者のトーベ・ヤンソンはスウェーデン系フィンランド人の挿絵画家、風刺漫画家、短編作家。第二次世界大戦終結とともにムーミンシリーズを世に出し、児童文学に新時代をもたらした。この名言集は原作の小説から引用されている。社会風刺あり、ユーモアあり、人生哲学ありの背景を知るとアニメのムーミンをもっと見たくなった。
・Yahoo!動画 - アニメ - 楽しいムーミン一家
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00032/v00156/
ムーミン谷へようこそ! ムーミンたちと一緒に夢の世界へ!! 全104話。
2006年10月19日
死刑のすべて―元刑務官が明かす
元刑務官が明かす死刑現場のリアリティ。衝撃の一冊。
「
囚人の体は、ロープを軋ませる大きな痙攣の後、手足がグイッと引っ張られるような痙攣が来た。体重が死までの時間と関係があると、二十数回、執行人として立ち会った看守部長が言う。この男は六十五キロだから、二十分近くかかるのだろう。
」
新しい死刑囚が入所すると刑務官は、自然と囚人の首に注意が行ってしまうそうだ。その首はやがて彼ら自身が吊るさねばならない首である。死刑囚と長い時間を過ごす刑務官は自然と彼らと心を通じ合う関係になる。
死刑囚の中には執行時には罪を反省し、更正して真人間に戻っているケースもある。任務とはいえ、執行時に囚人が暴れないように身体を押さえつけ、足を縛り、苦しみながら息絶えるまでを注視しなければいけない彼らの苦悩は深い。思い悩んで自殺してしまう刑務官もいるという。
死刑執行の現場を、劇画や短編小説という表現を織り込んで、強烈に生々しく描いている。死刑は囚人にとって事前の告知はなく、ある朝に突然執行されること(昔はそうではなかったそうだ)、奥さんが妊娠中だったり家族が病気で入院中の刑務官は執行担当を免除されることが多いこと、死刑囚の1日のスケジュール(たまにテレビ視聴が許可されている)内容の公開などなど、知らなかったことばかりだ。
刑務所の官僚組織についても大変詳しく、批判的に語られる。出世のことばかりを考えるキャリア出身官僚と、現場の改善を考えるノンキャリアの対立。死刑囚に弱みを握られ、やりたい放題にさせてしまう看守の腐敗。高官の接待攻勢や官舎での奥さん同士のつきあい方など。そこには極めて官僚主義的な刑務所業界の姿がある。
凶悪事件で最高裁で死刑が判決されると、その問題は、結論が出て終わったと私たち一般人は考えるものだが、刑務官にとってはそこから先に、苦悩の日々が待っている。制度がある以上、誰かがやらなければならない仕事である。悲しい仕事である。
国家権力が人を殺すという死刑が必要かどうかの考察も書かれている。先進国では死刑を廃止する国が増えている。日本では凶悪事件があるたびに世論は割れる。まだ当面、廃止というわけにはいかない気がする。刑務官の苦労は続きそうである。
2006年07月21日
PC雑誌として最終号の月刊 ASCII (アスキー) 2006年 08月号
・月刊 ASCII (アスキー) 2006年 08月号 [雑誌]
1997年創刊のPC総合雑誌の老舗 月刊アスキーが2006年8月号をもって、PC誌を「卒業」し、PCにこだわらない総合誌に生まれ変わるらしい。パソコン誌としては事実上の休刊ということだろう。8ビットの頃から日本のパソコン業界、パソコン文化に、大きな貢献をしてきた雑誌だった。最近は読んでいなかったのだけれどもとても残念である。長い間、お疲れ様でした。
全力投球、大盤振る舞いの最終号がすばらしいので紹介。
一部はWebサイトでも読むことができる。
・伝説のパーソナルコンピュータ100+
http://www.ascii.co.jp/pb/ascii/special/200608_01/200608_01-01.html
●クラシックマシン
TK-80/IMSAI 8080/PC-8001/ベーシックマスターレベル1/FM-8/MZ-80K/IBM PC(IBM PC model 5150)/Data General One/Compaq Portable/Macintosh 128K
●初期のホビーマシン
Apple・e/Atari ST/FP-1100/SMC-777/PASOPIA 7/松下JR-200/PC-6001/ SC-3000/ぴゅう太
●PCゲーム絶頂期のホビーマシン
IBM PCjr/PV-7/PASOPIA IQ(HX10-S)/TeraDrive/PIPIN aTMaRK/PC-8801 mk・SR/X1 Turbo/FM-77/AV40/PC-98DO/MARTY
●PC-9801列伝
初代PC-9801/PC-9821As/PC-9801UV11/PC-9801VM2/PC-H98 model70/PC-9821/PC-98XA/PC-9801NC/PC-9801RA2/PC-9821 CEREB C200/V/PC-286 NOTE exective/PC-386GS/PC CLUB(PC-286C)/ValueStar NX VS30D
●モバイルの源流プチDOSマシン
FMR-CARD/モバイルギアMC-MK12/Zeos Pocket PC/HP200LX/OASYS Pocket 3/Palm Top PC 110/Quaderno/オムロンMassif/Libretto 20
●魅惑の小型マシン,ハンドヘルド名機
HP41C/PB-100/THE POQET PC/UC-2000/Atari Portfolio/PC-8201/Psion Series5/PalmTop PTC-300
●時代を先取りしたマシン達
MB-16001/ Lisa/ PC-100/ BeBox/ NeXTcube/ Dynanote/ IBM Chip Card/ThinkPad TransNote/WS-1/AS-300
●買えなかった!憧れのマシン
YAMAHA YIS/X68030/Amiga 3000/Macintosh・/20th Anniversary Macintosh/ Silicon Graphics Visual Work Station320/IBM ThinkPad 701c/Digital HiNote Ultra ・/Archimedes A3010
●とことん使えた実用ノート
DynaBook J-3100SS001/ThinkPad 600/Compaq Contura AERO 4/33C/Frontier RT166mini(チャンドラ2)/LaVie MX LX60T/Let's note/M32/PowerBook Duo 230/ThinkPad X31/VAIO PCG-505
●微妙に素敵な一体型PC達
Macintosh SE/30/iMac(Flower Power)/PROSET 30/98MULTi CanBe(PC-9821Cf)/e-one/VALUESTAR NX simplem/PET2001/Macintosh Color Classic/ FM-TOWNS・ UX/PS/55Z 30U
●21世紀の銘機
Compaq Tablet PC TC1000/PowerMac G4 Cube/Mac mini/FMV-BIBLO LOOX S5/Zaurus SL-C700/バイオU PCG-U101/Let's note LIGHT W2/Mebius PCMP70G/ TOUGH BOOK CF-29/VALUESTAR TX/バイオRX(PCV-RX70K)
●シリーズ末期の忘れられないPC
Apple・GS/PC-88VA/PC-8801MC/FS-A1GT(MSX turboR)/FMV-TOWNS Fresh・GT/Amiga 4000/X1turbo Z/PC-486HX
・月刊アスキーの記事で見るパソコンの30年
http://www.ascii.co.jp/pb/ascii/special/200608_02/200608_02-01.html
・Appleの軌跡
http://www.ascii.co.jp/pb/ascii/special/200608_03/200608_03-01.html
こうした30年間の歴史を画像資料も豊富に振り返る。当時の詳しい資料はもはやアスキーくらいしか持っていないだろうから、この編集部にしかできない価値のある特集だと思った。
そして、永久保存版にしたい付録DVDには、2005年1月号から,2006年7月号までの特集すべてをPDFで収録、ベスト記事のPDF収録、1万件以上のニュース記事データベース(本文入り)など、マイコン世代にはたまらない内容。
関連:
・蘇るPC-8801伝説 永久保存版
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004346.html
・蘇るPC-9801伝説 永久保存版
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001198.html
・コンピュータ博物館
http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/index.html
情報処理学会の作成。パソコンだけでなく、スーパーコンピュータ、メインフレーム、ワークステーションなど幅広くコンピュータの歴史を写真と詳細解説入りで展示している。功労のあった研究者のプロフィールも価値がある。
2006年06月14日
音楽の基礎
音楽の基礎
古典的名著だがたいへん知的好奇心を満たされた。
音楽の基本は音である。音は高さ(ヘルツ)、長さ(秒)、強さ(デジベル)、音色の4つの要素で規定される。そして音はリズム、旋律、和声の法の上で音楽を構成する。この法があるから美しい旋律や響きが得られるわけだが、実は規定と現実のズレが音楽を奥深いものにしていることがわかる。
たとえば高さ。音高とは数学にもとづいて少しの狂いもなく設計されていると思っていたが、実際の音楽ではそうではないらしい。たとえば平均率音階はオクターブを12等分したものだが、この理論値と実際のアナログな楽器は微妙に異なっている。現実の弦で得られる音響学的な平均率では、Cを基音としたC#とD♭では、C#のほうが若干高くなるそうだが、平均率では同じ音に集約している。完全な平均率ではややきたないにごりがでるそうだ。「天上の音楽」より「地上の音楽」のほうが美しいといえるのかもしれない。
長さやリズム。この基本となるメトロノームは、実際の音楽では50-130に設定される。この数字は人間の、弛緩状態と緊張状態の脈拍の範囲と同じであるそうだ。肉体のリズムが、音楽を支配している。記譜法における速度記号も、杓子定規ではなく、本来は気分や表情で解釈するのが正しい。ある曲におけるアンダンテが、別の曲のモデレートよりも速い場合は容易にありうると教えている。
音色については一層、曖昧である。
「
一例をあげれば、われわれがいろいろな楽器の音色を識別しているのは、じつはその楽器の鳴りはじめの部分と、音高がかわるときの変わり目の特徴に負うことが多い、ということである。いくつかの楽器のある一定の高さでの長い音を録音し、その音の鳴りはじめの部分と鳴りおわりの部分とを切り落とし、それらをつなげて聞いてみると、切り落とす前は一聴して簡単に楽器の種類が識別できたのに対して、驚くほど識別が困難になってしまう。
」
専門音楽家でさえ、鳴りはじめ(アタック)部分を消して、鳴っている持続音だけを聞かせると、それが何の楽器か、正確には当てられなかったそうである。同じ音高でも、女性の声は低く、男性の声は高く、弱い音は高く、強い音は高く聞こえるという耳の特性もある。
気分や表情を表現するための斬新な記譜法を採用した楽譜も紹介されている。真っ黒に塗りつぶされていたり、何十ものデタラメな線が交差する不思議な楽譜に驚かされるが、人間の多様な感性を表し、演奏者に伝える方法としてはこれもありだ、と。
厳密な規則に支配されて良そうな、和音や和声構造も、ヨーロッパ古典音楽が作り上げた幻想的な部分があって、それに縛られない東洋の音楽の美しさにも、もっと眼を向けるべきだと、最終章で新しい可能性について言及している。
著者は、この本で音楽の基礎理論を丁寧に教えながら、一方で現実の音楽は人間の自由な感性こそが、芸術としての音楽に完成させるものだというメッセージを送っている。古典理論の背後にある意外な事実。楽譜が読める、楽器が何かひとつできる人に、とてもおすすめの一冊。
・バッハ インヴェンションとシンフォニア
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004158.html
・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html
最近のお気に入り音楽はアコースティックなカントリーの歌姫Alison Krauss。フォーキーでブルーグラスなバンドにキレイ声。たまりません。
・Now That I've Found You: A Collection
#追記 はてなブックマーク方面で「zokkon 平均「律」だよ。」とのご意見。私もそう思いますが、原文ママなのです。
2006年05月24日
SAS特殊任務―対革命戦ウィング副指揮官の戦闘記録
圧倒的なドキュメンタリである。文句のつけようのない傑作。今年読んだ本のベスト10には入ることになるだろう。(出版は2000年だが)。
著者のギャズ・ハンターは、陸軍からSAS(イギリス陸軍特殊空挺部隊)に志願入隊し、20年間勤務して、ノンキャリア最高位とされる一等准尉にまで上り詰めた筋金入りの特殊部隊員である。他の隊員たちからも「敵にまわしたくない人物」として恐れられているという。その理由はこの本を読めばわかる気がする。たとえていうなら、生きたゴルゴ13なのである。
その半生において、北アイルランドの対IRA戦、コロンビアの麻薬撲滅作戦、ザイール内戦での英国大使館警護、東ドイツでのスパイ作戦、米国でのカルト教団篭城事件、シエラレオネでの人質救出作戦、そして本書のクライマックスであるアフガン戦争など、幾多の死線をくぐりぬけてきた。
過酷な訓練、戦闘の恐怖、戦慄の殺人、残酷な拷問、非情な現場判断、突入の緊張感、九死に一生の瞬間、チームの連帯感、統率者の孤独、別れ、戦士のつかの間の休息。生々しいシーンの描写が卓越した文章力をもって語られる。ぐいぐい引き込まれると同時に眼をそむけたくなる行もある。映像以上にリアリティを感じさせる本だ。
やんちゃな子供時代から、そうなるべくして陸軍に入り、厳しい試練を乗り越えてのSASへの入隊、そして20年間の特殊部隊での職業生活。一兵卒から指揮官へとのぼりつめる一人の男の自伝としても興味深く読める。著者はリーダーとはどうあるべきかを禁欲的に追い求め、自分をその型に押し込めて生きている。使命のためにすべてを投げ出す生き様は、最初は共感も覚えたが、読み進むにつれ、畏怖へと印象が変わった。優秀なリーダーであると同時に、優秀すぎて、恐ろしい人物であると思う。テロと戦う舞台に彼がいるのは頼もしいが、友人にはなりたくない、という印象だ。
経営の意思決定や組織のリーダーシップのありかたを考える上でも参考になる一冊であると思う。読み物として最高に面白いので、自分の知らない世界を知りたいというだけの読者にもおすすめ。現実は小説を超えている。
・戦争における「人殺し」の心理学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004370.html
・NYPD No.1ネゴシエーター最強の交渉術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003031.html
・感動戦争ドラマ バンド・オブ・ブラザース
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003885.html
・情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002795.html
・自爆テロリストの正体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004147.html
2006年05月09日
滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか
立花隆の日経BPサイトの大人気の連載を書籍化した一冊。
・立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/
この連載は毎回かなりの長文なので紙の方が読みやすくなった。
小泉改革、天皇制、新憲法、中国問題、防衛問題、ライブドア事件、耐震構造偽装事件など、時事問題に対して果敢にリアルタイムに論評を加えていく。各テーマについて調べる時間は少なかったはずである。
総選挙前の自民大敗の予想は見事にはずれたし、IT業界についてはよくご存知でないのかもと感じる論評もあるのだけれど「立花隆だったらどう考えるか」がこの本の読みどころなのだと思う。
不完全な情報の断片から、想像力を発揮して、物事の本質らしきものを構成していく。それが事実や真実とは違っていても、それなりの説得力を持つ文章としてアウトプットする。時事問題へのコメントだから一層、立花隆のモノの見方、思考法がこの本から見えてくる気がした。
著者は幅広い分野で本を書き「知の巨人」と呼ばれてきた。彼のような、万能の評論家というポジションは、ネット時代にはとても難しい立ち位置だろうと思う。一方的に投げかけられるマスメディアとは異なり、あらゆる分野の専門家や当事者と同じ土俵で発言しなければならないからだ。過去の発言も容易に検索され、反論や批判の材料にされてしまう。
地位も名声も築いたのだから書籍やテレビの権威の仕事で十分なはずだが、敢えてネットで論陣を張るのが、根っからの論客なのだなと尊敬してしまう。この本には、はずれた予想や、当初の誤認識も、意図的に直さず掲載したと自ら述べている。これもなんだかネット的である。
小泉批判、天皇制、靖国問題に関する章が多いが、以下のようなライブドアやメディア論の章の方が個人的には面白かった。専門家というより、一ユーザとしてこうなるんじゃないか、こうあるべきなんじゃないか、こういうのが面白いじゃないかとのびのび書いている。ブログ的なのである。
毎週愛読中。この先も長く読みたいサイト。
・第68回 ネット時代に直面する問題にテレビ、新聞はどう向き合うか - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060227_net/
・第43回 車社会アメリカが切り開くiPod&ネットの近未来 - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050825_ipod/
・第42回 ザ・タイムズ紙の豹変に新聞の来るべき未来を見た! - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050825_shinbun/
・第32回 IT後進国の旗を振る民放、NHK ネットと放送の融合に待ったなし! - nikkeibp.jp - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050728_nettv/
2006年02月08日
インフルエンザ危機(クライシス)
ここ数年、インフルエンザの大流行(パンデミック)が近い将来発生し、多数の犠牲者が出るという予測を多くの専門家がしているようである。もっと世の中は注意を向けるべきなのではないだろうか。
過去のパンデミックは20世紀に限ると1917年〜18年のスペイン風邪、1957年のアジア風邪、1968年のホンコン風邪の3度がある。第一次世界大戦中に流行したスペイン風邪は、移動する兵隊と共に拡散し、世界で5億人の感染者がでて、死亡者数は2000万人、日本だけでも2000万人の感染者と38万人の死亡者がでたという。当時の日本の人口はおよそ5500万人だったので4割の日本人が感染した計算になる。交通手段の発達した現代で発生した場合、世界人口の30%が感染するといわれる。大震災やテロの何倍、何十倍もの犠牲者がでてしまう。
インフルエンザは風邪の一種であるが、症状の重さ、伝播力の強さが極めて高いのが特徴であるそうだ。感染すると1日から3日の間に38度から41度の高熱がでて、頭痛や喉の痛み、関節の痛み、悪寒を伴うことが多いとのこと。ふつうは一週間ほどで熱が下がるが、高齢者と子供は肺炎を引き起こす可能性があるそうだ。
現在知られている微生物(ウィルスと細菌)の危険度は日本ではP1からP4という度数で分類されている。
P1 人に感染してもあまり病気を起こさないもの 遺伝子組み換え用大腸菌など
P2 病気にはかかるものの、重篤な症状は起こさないもの 一般インフルエンザ
P3 病原性が比較的高いもの 高病原性鳥インフルエンザ
P4 最高危険レベル エボラウィルス、天然痘ウィルス
この本が主に扱う恐怖はP3レベルの鳥インフルエンザ。かなり危ない。
もともとは一部の鳥の病気であったが、ニワトリやブタにも感染するように変異し、やがて家畜として触れ合うヒトにも感染するようになったらしい。こうした新型インフルエンザ発生の仕組みが一般向けに要約されている。ちょっと難解な部分もあるが、ウィルスと細菌の違い、耐性を持つウィルスが発生する仕組み、37年以上もの間なぜ同じウィルスが定期発生するのか(1968のホンコン風邪の子孫がまだ流行している)、
著者は世界で初めてインフルエンザを人工的に合成することに成功した人物で、この分野の世界的権威。タイトルがものものしいが、この本はインフルエンザ危機警告だけの内容ではない。研究を積み重ねて大きな発見をする科学者の醍醐味が、若い研究者や学生向けに、親しみやすい口調で語られている。インフルエンザ合成に成功した際に訪問してきたCIAエージェントとのやりとりだとか、激しい競争の働く米国の研究者世界の内幕など、ちょっと際どい記述もあって、門外漢でも楽しめた。
近い将来、関東大震災がくるぞと専門家が警告している。同時にインフルエンザの大流行があるぞと専門家が警告している。どちらも対策が重要だが、どうやら被害規模の大きさや、対策効果を考えると、インフルエンザ対策に日本はもっと力をいれるべきなのではないか、と思った。インフルエンザの大流行は世界の人口を左右する規模の大問題。
欧米からの「子供を利用している」という批判で、1926年から94年まで続いたインフルエンザの学童集団予防接種の義務は中止されている(知らなかった、そうなのか)。この期間、子供の羅漢率を抑えることで社会全体への伝播を効果的に減らすことができていたそうで、世界に誇れる仕組みだったのに、と著者は嘆いている。
こんな本を読みながら、実はちょっと風邪気味。インフルエンザではなさそうだけれど。
みなさん、気をつけましょう。
2005年11月24日
ユーザビリティエンジニアリング―ユーザ調査とユーザビリティ評価実践テクニック
・ユーザビリティエンジニアリング―ユーザ調査とユーザビリティ評価実践テクニック
新サービスのインタフェースについて考えている最中だったので、大変参考になった。
■ゴムのユーザ、弟子と師匠、シナリオ、ユーザの声の限界
ユーザビリティ設計の陥りやすい罠として「ゴムのユーザ」という言葉がでてくる。設計者の都合でゴムのように伸び縮みする想定ユーザモデルのことだ。インタフェースをデザインする際には、ついつい対象を広げようとして「流行と自分らしさの調和を大切にする大人のユーザ」のような、輪郭の曖昧なユーザモデルを想定してしまうことがある。対象は「すべてのお客様」というのもまずい。今のままでもなんとか使ってくれそうなユーザモデルをでっちあげるのもいけない。
曖昧なユーザモデルを避け、明確な姿を設定する方法論として「師匠と弟子形式のインタビュー」が紹介されている。このやり方では、実際に試作品をユーザに使ってもらいながら、
1 インタビューアはユーザに”弟子入りする”
2 ユーザ(師匠)は仕事を見せながら説明する
3 インタビューア(弟子)は、不明な点があればその場でどんどん質問する
4 ひと通り話を聞いたら、インタビューア(弟子)は理解した内容をユーザ(師匠)に話して、間違っていないかどうかチェックしてもらう
という手順を踏む。
ユーザが教えるつもりになることで、結論だけでなく、自らの体験の最初から終わりまでを順序だてて詳しく説明してくれるのが、この方法の良い点であるという。コンテキスト調査法とも呼ばれる。
こうして得られた情報を、ユーザが製品やサービスを使う際の物語(シナリオ)として書き出して残すのが次のプロセス。物語にはユーザの文脈が残るので、分析者が理解が容易になる。
「ユーザの声」だけでインタフェースを設計するには、限界があるともいう。ユーザが仮にインタフェースに不満を述べたとしても、それが真の原因とは限らないから注意せよと著者は述べている。ユーザの意見と実際の行動が一致しないことも多いのだそうだ。意見ではなく行動を分析せよとアドバイスがある。
後半では、プロトタイプ設計やテスト評価のノウハウ、チームのリクルーティングからマネジメント方法まで、実践論が続く。抽象理論ではなく、現場ですぐに使えるノウハウがいっぱいあって勉強になった。インタビューの質問例やカードソートによる情報デザインなどはすぐにも試してみたい。
ちょうど問題解決中の私にとっては、ユーザビリティのコンサルを雇った気持ちになる一冊だった。
■10ヒューリスティックス
ユーザビリティの研究者、ヤコブ・ニールセンの「ユーザインタフェースデザイン 10のヒューリスティクス」が引用されていた。
・Heuristics for User Interface Design
http://www.useit.com/papers/heuristic/heuristic_list.html
1 システム状態の視認性を高める
2 実環境に合ったシステムを構築する
3 ユーザにコントロールの主導権と自由度を与える
4 一貫性と標準化を保持する
5 エラーの発生を事前に防止する
6 記憶しなくても、見ればわかるようなデザインを行う
7 柔軟性と効率性を持たせる
8 最小限で美しいデザインを施す
9 ユーザによるエラー認識、診断、回復をサポートする
10 ヘルプとマニュアルを用意する
以下のサイトも詳しい。
ウェブサイトユーザビリティアンケート評価手法の開発
http://www.iid.co.jp/files/his_10th_paper.pdf
2005年10月18日
Encyclopedia Prehistorica Dinosaurs:Dinosaurs
10月14日は私の誕生日でした。
私も27歳、夢を追ってフラフラしていられる年齢でもなくなりました。そろそろ将来のことも考えなければいけないなあと思う年頃です(ウソ)。
デジタルハリウッド大学の担当クラスの有志一同から、素敵なプレゼントをもらいました。当日、代表者が会社に届けにきてくれて、正直、感動してしまいました。先生をしていてよかったと思いました。皆さん、本当にありがとう。
それで「先生、ブログで書評してくださいよ」との注文つきだったこの逸品。
本好きの私に本のプレゼントを贈るとはいい度胸じゃないか、同じ本を持っていたらどうするんだよ?と言いながら包装を破ってみるとでてきたのがコレ。とても分厚くて軽い大きな本。しかも洋書。見たこともありません。
・Encyclopedia Prehistorica Dinosaurs: Dinosaurs
開いてみて感動。
見開きで恐竜の立体アートが立ち上がる仕組み。
約50の恐竜がポップアップしますが、どれもつくりがディティールにこだわっています。開いたときの動きまで計算されているのも驚かされます。私は恐竜マニアなのでぐぐっときました。
2歳の息子に見せてみると、最初は驚愕のあまり後ずさっていましたが、次第に興味を持ちはじめ、クライマックス?のティラノサウルスのページでは声を上げてもう一回やってとはしゃいでいました。大人はアートとして鑑賞し、子供は高級なポップアップ絵本として楽しむことができます。
私も大人のアートとして一人でじっくり鑑賞したいと思っているのですが、ページを開いていると、必ず息子が寄ってきます。これだけ派手に恐竜が立体化するわけですから、関心を持つなというのが無理でしょう。必然的に親子のコミュニケーションになる絵本として活用中です。
ところで、この著者について調べてみると、ポップアップ絵本や仕掛け絵本で有名なクリエイターなのですね。オフィシャルサイトがみつかりました。
・RobertSabuda.com: Pop-Up Books
http://www.robertsabuda.com/popupbks.asp
知る人ぞ知る名作だったようです。こういうクリエイティブな本を洋書で探してくるとはデジハリ学生さすがです。そしてさすがな学生に教えている私もさすがです(笑)。プレゼントに感謝。
2005年09月24日
トリダヨリ リラックマ生活 (3)
連休ののんびり読書に最適のおすすめ。一コマ漫画集。
この本を楽しむにはリラックマ生活の1,2どちらかを先に読んでおくと味わいが倍増。
あるOLの部屋にいつのまにか居候しているリラックマ。背中にチャックがついているのでクマではないらしいが、じゃあ本当はなんなのかはよくわからない。OLが仕事で留守中は、部屋を散らかし、テレビを見ては、昼寝をして、だらだらと生活する。OLにホットケーキを焼いてもらい、蜂蜜シロップをかけて食べるのが最高の幸せ。
途中から、いつのまにか白いコグマも増えているが、リラックマと元から知り合いとわけでもないらしい。これまた正体不明。キイロイトリはもともとOLが飼っている小鳥で、唯一の常識人(トリ)。散らかした部屋を片付けたり、リラックマの無軌道ぶりにツッコミを入れるけれども、結局、聞いてもらえない。コグマからいたずらされて泣いていたりする。
このサブキャラ、キイロイトリが主役になったのが、この「トリダヨリ」。リラックマの天然お気楽哲学とキイロイトリの普通にがんばる哲学の対比が味がある。やはり天然には勝てないのだけれど。
肩の力が抜けてゆく癒し薬みたいなシリーズ。続編がでたらまた買おう。
・San-Xネット
http://www.san-x.co.jp/relaxuma/top.html
オフィシャルサイト。
・San-Xネット キャラクターライセンスについて
http://www.san-x.co.jp/license/index.html
たれぱんだ、こげぱん、アフロ犬も同じ会社が著作権管理をしている。
・@nifty:ブログ:ココログデザイン:リラックマといっしょ
http://design.cocolog-nifty.com/document/d_94.htm
ココログでリラックマ。
2005年07月12日
CIA 失敗の研究
CIAの予算や職員数は公開されていないが、年間40億ドル、2万人規模と推測されている。日本の最大の情報機関、防衛庁情報本部は1800人で予算が260億円と二桁の規模差がある。CIAの職員は長官や幹部レベル以外の名前は非公表、局内でもファーストネームで通す秘密主義の徹底振り。諜報機関でありながら、情報流通は悪いようだ。
情報システムも化石化している。
「
「化石」とまで酷評されたコンピュータシステムの近代化もすすまない。いまだにFBI捜査官は機密保持設定したメールを国土安全保障省に送ることができない。2005年はじめに「ニューズウィーク」が報じたところでは、前年末からハッカーに機密事項を含むメールを盗み見られていた疑いがあるという。
」
おまけに米国諜報機関にはターフとストーブパイプという隠語がある。ターフは縄張り争い、ストーブパイプは上司には報告を上げるが他の機関や部署には情報を伝えないことを意味する。CIAの中でも情報の壁があるし、FBIとはなおさら断絶がある。
こうした組織的な問題があって、9.11テロを防げなかった可能性が高いと結論されている。実際にはテロの情報は数年前から直前まで何度もキャッチしていた人物がCIA内にはいたようだ。その警告が無視されて、テロの実行を許してしまったと指摘する。
自分たちの出世の話ばかりしているCIA局員の実像や、潜入スパイの実際、大統領や政治との密接な関係、歴代長官の業績評価など、情報の少ないCIAについて綿密な取材や調査で実体を浮き彫りにしている。CIAやFBIに興味のある人は面白い本。
・情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002795.html
2005年06月14日
なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか
面白い。
数学の上達ノウハウ本ではなく、数学能力をかなり科学的に分析した研究本。
■計算には運動性が伴う
1,2、それ以上はたくさん、と数える民族は実際にいるらしい。私たちは数を指折り数えるがこれだと、片手で5、両手で10が限界である。さらに足の指まで動員すると20まではいける。パプアニューギニアのユプノ族は、左手→右手→左足→右足→左耳→右耳→左目→右目→鼻→左の小鼻→右の小鼻→左胸→右胸→へそ→左の睾丸→右の睾丸→ペニスまで身体の部位に数字を割り当てることで33まで数えるそうである。複数人数で数えることでさらに大きな数を数える民族もあるという。
こうした数え方は文化によって違う。だが、違わない部分が発見されている。脳の中に、人間が生物学的に受け継いだ数の認識モジュールがある。このモジュールは4つくらいまでの数を認識できる。この本で紹介された実験では乳児でも、4つくらいまでの数を見分けている。
そして、数のモジュールの計算には上述の指折り数えることが深く関わっているのではないかという仮説が示される。指の数など身体部位の認識ができなくなるゲルストマン症候群の患者は、計算もできなくなる。計算には身体イメージや運動性が深く関わっていることが分かってきたという。
脳に損傷を追った患者をたくさん調べていくと、特定の部位を損傷することで、足し算だけできない人、引き算だけできない人、もしくは掛け算、割り算だけできない人がいることが判明する。数の大小や順序が分からなくなる人もいる。基礎的な計算能力については脳にビルトインされた専用回路がいくつもあるようだ。
しかし、数学的天才はこの数のモジュールの性能が高いから、天才であるというわけではないことが後半で示される。
■生物学的な「数のモジュール」と文化的な「概念ツール」
数学者ガウスは子供時代に教師から「1から100までを順に足したら合計はいくつか」という問題を出されたとき即答して周囲を驚かせたそうだ。
彼は、
1+100=101
2+ 99=101
3+ 98=101
...
だから、101×50が答えになることをその場で思いついたか、知っていた。
計算の天才マーティン・ガードナーは777の二乗を計算するとき、まず777に23を足して計算しやすい800にした。彼は100までの二乗ならば答えを暗記していたので23の二乗は529だとすぐに分かった。
そこで、
(777+23)×(777-23)+529
=(800×754)+529
を計算し、603729という答えを瞬時に計算した。
800×754は3桁の掛け算だが、実際には8×754を100倍するだけなので暗算も易しい。方法は違いそうだが、ガードナーは5桁の掛け算も似たようなトリックで、瞬時に計算できたらしい。
累乗計算の世界記録保持者ウィム・クラインは100桁の数の13乗を2分以下で行うことができるという。彼は150までの整数の対数を丸暗記してこの計算に用いている。
膨大な量の答えの暗記、計算の分割方法の知識が計算速度を飛躍的に高める文化概念ツールとして機能していると著者は指摘する。日本の珠算の上級者は暗算のときに頭の中でソロバンを動かすらしいが、これもツールの例といえそうだ。
つまり、生物学的な数のモジュールの能力個体差は小さいが、概念ツールを持つ人、持たない人の能力差は歴然としてしまうということ。数学の天才は概念ツールが生み出している可能性があるというのがこの本の見解。
最近、数学の国際コンテストで上位の中国では、日本とは違った九九の記憶法が取り入れられているらしい。1を掛けるものは省略。3×5と5×3は、3の段でやったら5の段では同じことなので省略し、5×5からはじめる。これによって九九の暗記項目が81個から36個に激減すると同時に、掛け算の処理の内容の理解が深まるという。数学に強いインドでは力技で20×20まで暗記させるというが、こうしたツールの有無が、日本が追い抜かれた理由なのかもしれない。
■一人で取り組んだ時間
数学の達人を作り上げたのは、一人で意図的な訓練に取り組んだとんでもなく長い時間であるというのがこの本の結論である。達人はそうでない人に比べて圧倒的に、練習時間が長く、無数の概念ツールを暗記していたり、組み合わせて使う工夫の知識を持っている。
音楽大学における調査では、天才的奏者は1万時間の練習を経ているが、平凡な奏者は4千時間程度だったそうだ。そして大抵は、天才たちは好き好んで一人で練習している。同じように、教育においては数学の学習を楽しく行うことで、上手になる循環環境をつくることが大切だとする。
伝説のインドの天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代、一人で分厚い数学の辞典「純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式、方程式を丸暗記していた。あるとき、彼は自分の数に関する考えを手紙に書いて、ケンブリッジ大学の数学教授へ送る。これを書いた人物が天才であることは間違いないと判断されて、大学への道が開かれたそうだ。好きで一人で取り組むことが、天才への道らしい。
この本の後半では数学的思考を説明するための問題がいくつか登場する。電車の中で意味を一人で取り組んでみた。30分以上も考えて、やっと納得した問題が以下。
「
スミス夫妻には子どもが二人いる。ひとりは男の子だとわかっている。ではもうひとりが女の子である確率は?」(双子ではありません)
答えは3分の2
「スミス夫妻には子どもが二人いる。上の子は男の子、では下の子が女の子である確率は?」(双子ではありません)
答えは2分の1
二つの似た質問に対してなぜ答えがそうなるのか、異なるのか、直感的に分かる人は数学的思考ができる人なのだろう。どちらも2分の1だと思ってしまった私はまだまだダメでした。
2005年05月30日
IT・ネット業界地図
■業界を鳥瞰する会社四季報図解シリーズ
これは新入社員向けの本なのだと思うけれど、業界にドップリな人は逆に大きな地図を忘れていたりもする。各分野のベスト3の会社名と規模感をすぐに確認できるのがうれしい。
国内編25業界、海外10業界の全体像が解説されている。
・国内編25業界
1 インターネット
eコマース、ネット広告、ネット金融、音楽配信、ポータル(検索サイト)
2 IT・コンピュータ
パソコン、コンピュータ、ITコンサルティング、ITサービス、半導体
3 通信・ブロードバンド
移動体通信、固定電話、ブロードバンド、ブロードバンド映像配信、携帯電話端末
4 エレクトロニクス
薄型テレビ、デジタルカメラ、DVDレコーダー、プリンタ、複写機
5 コンテンツ
映画、音楽、放送、アニメ、ゲーム
・海外編10業界
eコマース、ポータルサイト(検索サイト)、コンピュータ(PC、サーバーなど)、ソフトウェア(OS、アプリなど)、通信、携帯電話端末、デジタルオーディオプレーヤー、プリンタ、複写機、映画、メディアコングロマット
カラーの円グラフや棒グラフや関係図を多用して、各市場の規模、市場シェア、ランキングが収録されている。企画書に引用して使えそうな数字がたくさん。市場の成長予測(A〜Eの5段階評価)で業界の有望度がつけられているのも、予想の確度はともかく知らない分野では参考になる。
■時価総額と企業の存在感、影響力
巻末につけられているIT・ネット業界の時価総額ランキング(主に2004年度の数字)も興味深い。上位を項目抜粋、引用させてもらうと以下のとおり。
会社名 時価総額 予想売上高 連結従業員数
1位 NTTドコモ 8兆8千億円 4兆8千億円 2万1千人
2位 日本電信電話 7兆4千億円 10兆8千億円 20万5千人
3位 キヤノン 5兆1千億円 3兆6千億円 10万8千人
4位 ソニー 3兆9千億円 7兆1千億円 16万2千人
5位 松下電器産業 3兆9千億円 8兆8千億円 29万人
6位 ヤフー 3兆6千億円 1164億円 994人
11位 ソフトバンク 1兆5千億円 8千3百億円 1万人
ヤフーなどネット企業は時価総額では他の企業と肩を並べているものの、売上高と連結従業員数の少なさが目立つ。やはりネット企業の株価は高いのだ。ただ社会にとっての重要性や影響力はまだその株価評価に追いついていないとも感じた。販売しているモノ(サービス)が違うという要素もあるが、売り上げや従業員数の背後には、関連会社、取引会社の数や給与を得て生活している従業員の生活がある。存在感の違いが以前より、漠然と気になっていたが、この数字で分かった気がした。
実際、上位5位までが突然、倒産してしまうと具体的に私の生活やビジネスには支障がでると思われる。電話や携帯が使えなくなったり、テレビやプリンタの故障が直せなくなったり、来月の大きな入金予定が消えてしまったりする。ネット企業の場合、ヤフーやソフトバンクや楽天やアマゾンが突然消えると大変、寂しい気はするが、たぶん、生活はなんとかなるだろう。生活や人生への浸透度という点では、旧勢力企業は、時価総額とは違った重みが感じられる。
もちろん、年々、ネットのサービスも生活に欠かせない要素として成立し始めている。10年後、このランキング上でネット企業の存在感はどう変化しているだろうか。
・ネット株価情報
http://netindex.jp/
ネット企業の株価が一覧できる秀逸なサイト。
・これから情報・通信市場で何が起こるのか IT市場ナビゲーター
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003069.html
2005年05月29日
著作権とは何か―文化と創造のゆくえ
■文化の発展と著作権
著作物の定義は以下のとおりで、
「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの(著作権法第二条第一項第一号)」
ある作品が著作物であるとき、著作権が生じる。
著作権者はその利用を禁止してコントロールすることができる権利=著作権を持つことになる。その権利の内容は多様で、複製権、上演権・演奏権、上映権、公衆送信権、口述権、展示権、頒布権、譲渡権、貸与権、翻訳権・翻案件、二次的著作物の利用権などがあるとされている。
そもそもなぜ著作権という法律があるのか。それに対して著者は、
「
著作権の最大の存在理由(少なくともそのひとつ)は芸術文化活動が活発におこなわれるための土壌を作ることだと筆者は考えています
」
と述べている。これは著作権法の条文を解釈したもの。原文は以下のとおり。
・著作権法
http://www.cric.or.jp/db/article/a1.html
「
第一章 総則
第一節 通則
(目的)
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
(昭六一法六四・一部改正)
」
本来は経済の発展のためではなくて文化の発展のために作られた法律である。もしもコントロールを認めることで文化や芸術の発展が阻害されるようなことがあれば、著作権法を見直すことが必要だというのがこの本の結論。
著作権の基本から、チーズはどこへ消えた、プリティウーマン、脱ゴーマニズム宣言、どこまでも行こう、ライオンキングとジャングル大帝、NapsterとWinnyなど最近の裁判の事例を挙げて、丁寧に今の問題点を指摘している。
実は、この本を読んだ動機があった。
■テレビ録画と著作権
先日、池田信夫氏が主宰する情報通信政策フォーラムのセミナーに参加してきた。「録画ネット」の問題である。大変、テンポラリなテーマで会場、参加者討論にも有名な論者が多数登場して白熱していた。
・情報通信政策フォーラム ウェブサイト: 第2回「ハードディスク録画サービスと著作権」
http://www.icpf.jp/archives/2005-04-22-1939.html
録画ネットは、海外にいるユーザから預かったPCを社内に置き、インターネットに接続することで、持ち主だけが海外から日本のテレビを録画視聴できるようにしたサービス。テレビ局の提訴を受けて、裁判所はサービス停止の仮処分を下した。
インプレスのインターネットウォッチが簡潔に状況をまとめているので長めだが引用させてもらう。
・テレビ番組録画サービス「録画ネット」を巡る法的議論
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/05/20/7690.html
「
録画ネットのサービス内容は、当初の形態ではユーザーがエフエービジョンから録画用のPCを購入し、そのPCをエフエービジョンの用意した事務所(千葉県松戸市)内に設置(ハウジング)するという、売買契約と寄託契約がセットになった形態を取っていた。その上で、ユーザーは自分が購入したPCにインターネット経由でログインして録画予約を行ない、保存された録画データを自分のPCにダウンロードもしくはストリーミングの形で視聴する、というのが基本的な利用形態となっていた。また、各PCはユーザーが自由に利用できるため、いわゆるインターネットストレージとしての利用や、Webサーバー等を動かすことも可能となっている。
各ユーザーのPCに対しては、エフエービジョン側で用意した共同アンテナからアンテナ線を分岐させることでテレビ信号を分配。またログインの認証はエフエービジョン側で用意したサーバーで一括して行ない、その際にサーバー側では不正ユーザーでないことを確認すると同時に、複数の人間がIDを共用することを防ぐため、同一IDでセッションが張られている場合はそのセッションを切断する形になっていたという。
この録画ネットのサービスに対して、NHKと在京の民放5局は2004年7月、サービスの停止を求めて東京地裁に仮処分を申請した。
」
これ、基本的には自分の自宅や実家にテレビ録画PCを置いて、自分が海外から見ている場合問題にはならないらしい。どこにPCを置いているかの違いに過ぎない。そもそもソニーは堂々と、外出先(海外含む)から国内においた自分のPCを通じてテレビを視聴するマシンを販売している。またそのサービスを有料パックとして7月から開始する。
・ソニー、ワイド7V型液晶付属の「ロケーションフリーテレビ」
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20050201/sony1.htm
「有線LAN環境と無線LAN環境での利用が可能で、外出先からテレビや家電製品の映像をリアルタイムで視聴できる「NetAV」機能も搭載する。新たに無線LAN経由での利用が可能となり、ベースステーションを自宅に待機させたまま、ディスプレイ部を持ち出し、外出先で無線LAN/Ethernet経由でブロードバンド環境に接続すると、ベースステーションのテレビチューナや、ベースステーションと接続したハイブリッドレコーダなど外部機器の映像をインターネット経由で視聴できる。」
・So-net、「ロケーションフリーTV」を外出先で見るパック
http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20050527/scn.htm
「ソニーコミュニケーションネットワーク株式会社(SCN)は、同社が運営するプロバイダSo-netにおいて、ソニーの「ロケーションフリーテレビ」(LF-X5/X1)を使って外出先から自宅のテレビや録画済みコンテンツを視聴できる「ロケーションフリーテレビまるごとおまかせパック」を7月1日より提供する。」
池田信夫氏はブログ上で、(著作物という点ではテレビもWebも一緒なので、Webを中継するISPと同じという解釈らしい)、
「
「インターネットを通じて録画できる事業者が、録画機器を継続的に管理する場合、録画の主体は事業者であり、すべて違法である」
これはウェブ・ホスティングやデータ・センターなどにもそのまま当てはまる。この主張が認められたら、全国のホスティング・サービスはみんな違法ということになるだろう。」
と裁判所の決定に対して批判的に感想を書いている。
「どこでもいつでもテレビが見たいよ」と思うユーザはP2Pアプリケーションのユーザより、ずっと多いはず。なぜいけないの?と思うケースが増えてくると思われる。こうした議論が、著作権の見直しの切り込み役になっていくかもしれないと思った。
2005年05月03日
教えること、裏切られること―師弟関係の本質
考えてみれば、MixiやGreeが可視化している人間関係は、横のつながり、フラットで対等な人間関係がほとんどだ。日常の人間関係を探しても、組織上、制度上の一時的な役割としての、先生と生徒、先輩と後輩、上司と部下という関係はあるわけだけれど、全人格的で永続的な師弟関係というのは、現代では珍しい存在になってしまった。
著者はそうした現象をこう述べている。
「
戦後五十年を通観すればただちにわかることだが、その人間関係主義の大合唱の中から師弟関係という人生軸が、はじめから徹底的に排除されていたのだ。師弟関係という垂直軸を無視し否定することによって、人間関係という横並びの水平軸がいつも不安定に揺れつづけることになったのである。
」
「
その近代の宿命とは何かといえば、ヒトを師とするよりもモノ(文明)を師とする時代がはじまったということではあるまいか。ヒトを師としていると思っているうちに、いつのまにかモノを師と思い込み、モノに師として仕えてしまっていた。この場合モノというのは私の中では、もう一つ「主義」とか「思潮」といった言葉としてイメージされている。」
人としての師が要らなくなったのが近代から現代にかけての時代の変化だととらえられている。
この本では古典的な師弟関係の最後の世代である、近代日本における代表的な師弟関係が例として取り上げられる。
・孤高の僧、藤井日達と私
・弟子を持つの不幸――内村鑑三と斉藤宗次郎
・父なるものへの回帰――夏目漱石と和辻哲郎
・宿命のライヴァル――柳田国男と折口信夫
・究極の「師殺し」――棟方志功と柳宗悦
・師資不相承、ここに極まれり――正岡子規と高浜虚子
・親鸞、弟子捨ての真意
・師の人格をいかに相続するか
・『歎異抄』にこだまする唯円の叫び声
そして、師弟の人間関係軸には3つのパターンがあるという。
1 老子の道
弟子を一切寄せつけない孤高の師
2 孔子の道
弟子とともに生きる師
3 禅の道
乗り越え、殺すべき師
事例に取り上げられているうち最も多いのが、3の弟子が乗り越え、殺す師である。師は弟子を教え、弟子はやがて師を乗り越えて、新しい道を切り拓く。その過程で師は弟子に否定される。裏切られる。殺される宿命にある、という意味だ。のんびりMixiやGreeに登録できるようなぬるい関係ではないのである。
師弟は殺るか殺られるかの緊張関係であってこそ本物だ論。なかなか現代になじみにくいが、これもひとつの究極の教育の形なのだろうなと勉強になった。
2005年03月30日
けなす技術
■くだらない本だ、1500円以上の価値がある
この本は広くは売れないだろう。狭く熱狂的に売れるかもしれない。
週刊誌の電車吊り広告に”ネットのカリスマ”と書かれるくらい著名な”切込隊長”のブログは何か事件があると私も見に行く。隊長の文章は、意味が先鋭的に圧縮されていて、二重の意味でキレている。毒がある。ただの毒では摂取しにくいが、広範な分野の知識と濃い人脈から得た情報を、高性能な脳をフル回転させて、短評にまとめるなり、フィクション仕立てにするなりして、読者に高品質な情報エンタメとして提供してくれる。
・切込隊長BLOG(ブログ) 〜俺様キングダム
http://kiri.jblog.org/
だが、切込隊長のハンドルネームであれだけキレた冴えのある文章をネットに書くのに、紙の本に山本一郎で書くと、急に毒がなくなってしまう。何がいけないって、説明が多くて、無粋なのである。彼は過去にも何冊か書いているらしいが、どれもネットでの人気に反してあまり売れないのは、やはり、この毒抜きされた文化人的文体がいけないのではないだろうか。隊長のブログをそのまま印刷して解説付きで出版したほうが、売れる気がするのだ。
隊長の洗練された、けなす技術はひとつの技芸(メチエ)である。それを鑑賞しに多くの読者がサイトを訪れている。読者は隊長と言うキングコブラの中毒患者なのだ。
この本のタイトルである、けなす技術について山本一郎氏は要らぬ解説を書いている。
「
あえて褒めるより、けなすことを手法として紹介しているのには理由がある。議論を行ううえで、相手の意見に賛同することは、論点を掘り下げることに何らの貢献も見いだせないからである。わざと反論し、けなし、紛争を起こすことが問題の本質に近づく最短距離であり、議論を志向するものはすべからく称賛と批判の2つの武器を研ぎ澄ましておくべきである。そもそもあらゆる事象は賛成も否定もできてしまうのである。賛成しかしない人物は存在しないに等しい。そして、それはその人物が単なるその他大勢で取るに足らないことを自ら証明していることになるのだ。
」
このような自己の「俺様キングダム」的立場の、良識的正当化を普段、彼はブログではあまり書かない。その代わり、「「どうしたら世間の常識から逸脱せずに自分の意見をより鋭くできるか」という目的に集約して」圧縮した過激な文章で、読者を楽しませる。こうした立ち位置、前提の説明は、中毒者たちを解毒させてしまうだけだ。そもそも中毒者たちだって、そんなことは分かっているはずだ。
逆に言うとこの本のくだらなさは、価値でもある。メチエの技法が遂に一般公開されたのだとも言える。ネットのカリスマ切込隊長を演じている山本一郎の素顔が見える。普段は真正面から話してくれないブログのトピックについて、実にマジメに懇切丁寧に説明してくれる。彼のブログの愛読者にとっては、やっと本音を聞けたよ、な部分が1500円以上の価値を持つ。私は大満足だった。
■ネットマーケティング論、ネットコミュニティ社会学の考察が秀逸
山本一郎の素顔と本音の吐露以外にも読みどころは多い。
特にブログ文化についてのまとまった考察は、紙の本ならではだ。超人気サイトの運営者として強い影響力を持つ彼が、内側から見て、今のブログの社会的影響をどう見ているのか、は大変参考になる。
人気ブログの作り方について、実験考察した章は、ブログに関心を持つ企業サイト運営者にとっても知見である。
・国内のブログ数86万
・開始3ヶ月以内で68%が更新をとめてしまう
・凡庸な記事でも毎日更新するだけで3倍近い読者獲得ができる
・1年続くのは18%程度で通常のホームページと同じレベルに落ち着く見込み
ブログのオピニオンリーダを企業がどう扱っていくべきかにも詳しく、
・ネットの売れ筋は数ヵ月後のリアルの売れ筋に近いことの検証
・マス広告が消費者に選択肢を与え、選択肢からの決定にはネットが大きな影響力
ネットだけではマーケティング効果は期待薄
・はてな、Mixiはネットコミュニティの主流にはなりえない
社会学的考察については、
・ネットの意見=国民の意見ではまったくない。民度は低い。
・ネットコミュニティは脊髄反射的であるがゆえに、ある種の利用価値?
・日々が楽しいと思えない有能でありながら不遇な若者の不満のはけ口と化している
などなど。気になった結論だけ抜粋したが、そこに至る解説は相当の時間をかけた考察のはずで、どれも読みどころがある。数字や事実の提示も知らなかったものが多かった。
もちろん、個人的には反論したい部分もあるのだけれど、概ね、現在のネットコミュニティの動向について、行き着くところを明示してくれる。まだ見えていない部分については仮説を提示してくれる。
ああ、一度隊長に聞いてみたかったことを、なんて分かりやすく説明してくれるのだ。いつもの過激派論調はどこへいっちゃったんだ、これじゃあ、皆にわかっちゃうよ。
それじゃくだらないよ、隊長!。
というわけで、極めて面白い人物が書いた実にくだらない本だ。隊長も一般向けの本を書くとなると必死だなという感じだ。
隊長のファンならば、そのくだらなさは1500円以上の価値があるのでマストバイだ。逆に言えば、隊長やブログ文化を知らない人にとってはこの本は無価値だ。この本を買うくらいなら、他のフツーの評論家の本を読もう。その方が、もっと当たり前でタメになるようなならぬような価値が詰まっているから。ただ、私のブログの読者にはそういう人がいないだろうから、全員にオススメである。
2005年03月16日
ありえない日本語
■そのありえないは、ありえない
若者言葉の研究を一般向けにやさしく解説してくれる本。
なにげに
うざい、きしょい
よさげ、やばげ、ひどげ、おもしろげ
など、この本で紹介される言葉づかいはウェブ上でも書き言葉として使われる。言葉の普及状況や、受容度のアンケートの数字が出ていたり、言葉の変化の背景にある若者文化や心理の変化が深く解説されていて勉強になる。
標題となった新しいタイプの「ありえない」もよく聞くし、これに限っては自分でも使うことがある。たとえば、
友:取引先のA社の社長さん、突然、失踪しちゃったらしいよ
私:え、あんなに景気のいい会社の社長が?、そんなのありえないって
だとか、
ヤフーオークションで古いPCを出品してみたらありえない高値で売れてしまってさあ
といった具合である。
本来は、現実に確定していない未来のことに対して「ありえない」が使われていたのに対して、現実に確定した過去に対しても「ありえない」と言えるようになった。著者の調べでは大学生の8割がこの新種のありえないを気にしないと答えている。近い将来、国語として定着していくようだ。
年長者の世代はこうした「ありえない」の代わりに「信じられない」を使うと著者は説明している。そして、その言葉遣いの背景にある心理の相違を次のように解説している。
「
これは自分がもつ現実世界についての情報を保持し、それと合わない現実世界のほうを切り捨てるというほう構成を持つ。「現実にはこうだけど、わたし的にはこうだ」ということである
」
「
「信じられない」と言う話し手にとっては、世界は変更可能なものだが、「ありえない」と言う話し手にとっては、世界は変更不可能なものである。
」
若者は世界より自分の方がリアルに感じているということか。
同じように新しい用法で使われるようになった「やばい」についても取り上げられる。「やばいくらいイイです」「あのゲームよくできてて、やばいよ」のように肯定的に使える「やばい」。
■私ってブログを毎日書いてるじゃないですか?
知らない業界人とパーティで会って、
「私って業界のいろんな人と会うじゃないですか、それでこの前...」
などと言われると内心、
しらねえよ
とつぶやいてしまったりする。
このタイプの「じゃないですか?」も時々聞く。だが、8割が受容した「ありえない」とは違って、「じゃないですか」は若者の66.9%が「気になる」、つまり違和感のある表現と感じているそうだ。
この言葉を使うのはコミュニケーションに積極的なタイプに多いらしい。じゃないですかは、相手にも自分と同じ知識の共有を求める言葉だ。だが、自分の個人的な体験を初対面の相手が知る由もないことは、話し手も、内心わかっているはずである。著者によると、この「じゃないですか」は、
「
コミュニケーション能力の未熟さによって、共有知識の見積もりに失敗しているわけではなく、むしろ、失敗することを前提に、親しさを演出したコミュニケーションを行おうとしているのだと考えられる。
」
一見、言葉の乱れのように見えながら、相手とのコミュニケーションを大切にする若者が、既存の文法や語彙に適切な用法がみつからず、新しく発明してしまった言葉なのだ。社会的なものである言葉を、一方的に発明するのってどうよ?とか思ったりもするが、なにげに、思いやりから言葉遣いがよさげに変わっていくというのはチョベリグかもしれない。(無理がある)。
■新しいカタカナ
カタカナ語の変化の事例も詳しい。
ゲッチュ、ポインツ、パーフェクツ、サンクー、プリチー、チェケ、チェキラ
ああ、確かによく耳にするようになった。著者はニュータイプ外来語と呼んでいる。
英語の発音に近づけようとした本物指向のもの、古臭い日本語っぽくすることで逆に新しさを求めたものなどが混ざっているそうだ。
英語の日本語化が行われる際の音素数と文節構造の変化法則からニュータイプ外来語を作る方法まで解説されている。この法則を使って新語を作って流行させることができるかもしれない。マーケティングの視点で見ても役立つ知見だ。
漢字をカタカナ語にする例も増えているという。
ソッコーで
センパイが
ホントは
ケッコー時間がかかる
スミマセン
あるある。
著者の研究は、アンケート、インターネット上の表記、メール、テレビ番組のトーク、少年少女マンガ、ヒットソングの歌詞など膨大な資料から、調査を行っている。10年や20年と言うスパンでも、日本語にかなり大きな変化が起きることが分かってくる。
・Subculture-Linguistics
http://www.ifnet.or.jp/~akizuki/
著者のサイト。サブカルチャー言語学。面白くてやばすぎ。
関連書評:
・問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002920.html
・日本語は年速一キロで動く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002025.html
・関西弁講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001143.html
・かなり気がかりな日本語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001093.html
・犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000935.html
2005年01月16日
情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴
■データ、インフォメーション、インテリジェンス
戦争が起きるとよくテレビに登場する軍事問題評論家 江畑謙介氏。この人、普段は何を考えているのだろうと気になって手に取った本。イラク戦争や北朝鮮問題をめぐる主要国家の情報戦略を事例をあげて説明していく。
まず国家が情報を収集し評価分析し意思決定を行う際の、3つの単位を定義する。
データ
断片的でそれだけでは何を意味するか分からないもの
インフォメーション
データを種類ごとに集めたもの
インテリジェンス
インフォメーションを分析、評価したもの
インテリジェンスのための国家の情報収集手段には、次のような手法があると説明されている。
人的情報収集(HUMINT) スパイ、内通者を潜入させたり、亡命者から聞き出す
映像情報収集(IMINT) 衛星による高解像度画像の分析
通信情報収集(COMINT) 電話など通信の傍受
電子情報収集(EMINT) インターネット、デジタル情報を分析する
信号情報収集(SIGINT) 電磁波情報から移動車両や武器の所在を割り出す
日本はこうした情報収集活動を行う専門組織をほとんど持たないが、近隣周辺諸国の情報収集は、ラヂオプレスという組織が一手に引き受けているという。
・財団法人 ラヂオプレス
http://www.koueki.jp/disclosure/ra/radio/
この財団は外務省の情報部ラジオ室海外放送受信部を前身とし、当初は英語放送の受信と分析を行っていたが、大戦後に民間組織となったらしい。今でも外務省国際情報統括官組織第1国際情報官室の管轄下にある。北朝鮮の情報などはこの組織が入手しているのだという。
そして、こうして集めた複数の情報を統合、分析することをマルチ・インテリジェンスと呼び、現代の情報戦略の主流となっている。
■公刊情報中心のインテリジェンスの時代
国家の情報収集といえば、連想されるのはスパイの諜報活動であるが、そうした隠れた情報がインテリジェンスの中心の時代は終わっているそうだ。現代の政府の情報収集は公刊情報(公開された情報)が中心であり、テレビやラジオ、出版物、インターネットなどから情報を引き出し、分析することで、意思決定の9割近くの判断材料を集めているのだという。
そして公刊情報中心の活動になると、情報がないことが問題であることは少なく、情報が多すぎてどれが信頼できる情報なのか分からないことが、大きな問題になっているという。これはITの普及で一般人も同じ感慨を持っているだろう。
米国CIAは衛星やハイテク装置による技術情報収集に頼る部分が大きく、スパイや内通者との取引による人的情報収集は得意ではないらしい。著者によると、イラク戦争で実在しなかった大量破壊兵器の存在を、米国は本気で信じていたらしいのだが、これは人的情報収集が弱かったが故の判断ミスであるらしい。
機械的に集めた情報だけでは、判断を見誤ることがあるわけだが、逆にこの曖昧さを政治に使うのが米国は得意でもあるようだ。
・Space Imaging
http://www.spaceimaging.com/高解像度衛星イコノスの写真をビジネスにする米国企業。
■国家の情報戦 結論ありき、映像情報は出したもの勝ち、真実を見ない組織
高解像度の画像を撮影する衛星を保有する国は少ないため、米国は衛星写真を国家間の情報戦で強引に活用している、という。例えば政府の広報が「これが敵国の毒薬と爆薬の製造基地の衛星写真です。ここに3トントラックとクレーンがあります」などと発表する。だが、衛星写真レベルでは建造物や車両があるのは分かるが、専門家でもそれが何なのかを特定することはほとんど不可能なのだという。数少ない他の衛星保有国の諜報機関はその嘘に気がつくことがあっても、特別な利害関係がない限りは、間違いを指摘して米国と対立する判断は取らない。結局、米国は写真を出せば国際世論を動かせる出したもの勝ちな状況にあるそうだ。
電話傍受の録音資料も同様で、大抵は文脈が不明な会話の断片を自国に有利に引用しているだけで、決定的な内容であることがほとんどないという見方をする。確定的なことはなくても情報の政治的価値があれば使われる。
この本に引用されたマイヤーズ米統合参謀本部議長の言葉が印象的だ。
「
インテリジェンスは必ずしも真実であることを意味する必要はない。インテリジェンスはその状況における最良の推測であればよい。最良の推測とは、事実である必要を意味しない。要するに、判断決定ができればそれでよいのだ
」
最初に「イラクをぶっつぶす」決定ありきなのだ。上がってくる情報のうち、イラク戦争肯定に役立つ情報だけを吸い上げていく。こうした上層部を持つ諜報組織のメンバーは、次第に上司の気に入る情報しか報告しなくなっていく。
著者によると、フセイン政権はまさか米国が本気で攻めてくるとは信じていなかったのだという。米国以上にイエスマンだらけの部下を持つフセインは裸の王様で国内も把握できていなかった。米国侵攻があれば国民が立ち上がって徹底抗戦すると疑わなかったらしい。どんなに先端技術があっても、情報を扱う組織が真実を求めていなければ機能しない。これが国家レベルの情報戦略の問題であるとこの本は結論している。
■北朝鮮弾道ミサイルの性能、ノドンの数
第3部は北朝鮮の兵器の配備状況に関するインテリジェンスを分析する。兵器の専門家である著者の知識が一番、活躍するところだ。北朝鮮が発射し日本を飛び越えて太平洋に落ちたとされる弾道ミサイルについて、メディアは脅威と報じたが、そうではないのではないか?という。ミサイルの弾頭はできても、実用精度で弾頭を飛ばすには別の技術が必要で、弾道弾の実験一回程度では兵器としてはまったく完成できないのではないかという。米国が調査したノドンの配備数も情報の出所が非常に怪しく、信用できないものらしい。
もし今後、北朝鮮に大量破壊兵器の保有を理由に有事が発生するとしたら、イラクのときと同じ間違いを起こすということになるだろう。米国の大本営発表しかないとしたら、日本や小国も追随して判断を間違うことになる。
著者は日本政府が専門の情報収集部門を持たないことを批判しているが、これは一理あるのかもしれない。情報がなければ私たち国民も、判断をすることができないわけだから。
感想としては、国家の情報収集というのは企業や個人の情報収集とは目的や評価の軸がまったく違うのだということ。意外に国の秘密というのは外からはつかめていないものなのだなあという意外性。
2004年10月21日
劇的瞬間の気もち
とても面白いです。企画力の勝利。オススメです。
どんなに一流の作家でも劇的瞬間の真実は、体験しなければ書くことができない。体験した人の声を50人分集めて本にした。米国「Esquire」誌の連載がベースになっているので、ひとつひとつが丁寧に編集されている。ひとつの体験談が長くて数ページのコラムになっていて読みやすい。翻訳もよくて臨場感がある。
サメに食われる、ハリケーンに吸い上げられる、ナイアガラの滝から落ちる、乱交パーティーに参加する、ノーベル賞を受賞する、アカデミー賞を受賞してスピーチする、多重人格になる、女になる、ものすごく背か高いこと、落雷に直撃される、スカイダイビングに失敗する、エボラ出血熱に感染する、月面を歩く。
こんなことを体験した有名、無名の人たちが率直にそのときのことを語っている。例えばサメに襲われた人は「頭蓋骨がきしみを立てるのを、自分の耳で聞いた」し、背が2メートル25センチもあると「誰も気づかない汚れが目にとまる」そうで冷蔵庫の上が誇りだらけでない家はないことを知っていたりする。宝くじに当たるのは「自分の死亡記事を見たような感じ」だそうだ。雪崩で生き埋めになった人がまずしたのは口の中の雪をかきだしたこと。たまたま埋まるとき両手で顔を覆っていたのが幸いだったという。
いやあ、どれも体験者でなければ分からないことばかり。貴重な内容だと思う。体験リストを見て分かるように執筆者には世界的な有名人も多く含まれている。読みどころ満載である。定価は1000円だが、幾ら払っても、聞くのが難しいだろう話ばかり。
類書にベストセラーの「死ぬかと思った」がある。こちらのテーマは日常生活の中での緊急事態であって面白いのであるが、劇的度は今日の本のほうが遥かに上である。併せて読むのも楽しいかもしれない。
じゃあ、私自身の劇的瞬間ってなんだろうと考えてみた。
・一次志望の大学に合格したとき(イヤッホーーーーーーー)
・病気で倒れ光のトンネルの幻覚を見たとき(遠くで私を呼ぶ声がする)
・生まれたばかりの息子と初めて分娩室で会ったとき(目が合って、こ、こんにちは。)
うーん、いろいろあったようでいて大したことがないなあ。上記は個人的には大したことなのだが、人に語るには面白みに欠けるし、ありふれている。
あ
そういえば
・幽霊をみたとき
というのがあった。この本にならってコラムにしてみた。
---
霊を感じる
深夜のオフィスで体験した、あのこと
橋本大也 (日本、会社経営)
夜勤の電話番アルバイトも3年続いて夜の孤独は慣れっこだった。孤独といっても夜勤は大学生二人の勤務体制。仕事が減る午前1時ごろから3時間ずつ、交代で階下の部屋で仮眠をとる仕組みだ。この二人しかいない深夜のオフィスビルは、電気代節約のため、照明は夜勤チームの働く片隅だけ点けている。光と闇のコントラストで、フロアの大半は一層真っ暗に見える。ときどき機材の音がカチカチ鳴っているのが聞こえる他は、静まり返っている。
この職場にきてから、階下の仮眠室で金縛りにあうという話は年中聞いていたし、実際、何回かは、私も体験していた。金縛りが始まると身体は動かせない。瞼を閉じたいがそれも思うように行かない。汗をじっとりとかきながら、身体が動くようになるのを待つしかない。真っ暗な部屋でドアのガラスの向こうに人影が見えたような気がした。はじめての金縛りはゾっとする体験だ。地下室から何かが駆け上がってきた音を聞いた同僚もいたと後で聞くことになる。昭和前半に建築された古いビルだから、何かあるのじゃないかと勘ぐってしまう。
だが、金縛りは科学的に解明された現象だと私たちアルバイトは知っていた。夜勤の疲れで浅い仮眠をしていれば、よくあるのは当たり前だろうし、半分夢うつつなのだから、何かが見えた気がするのも仕方がないだろう。何回も経験してしまうと怖さはなくなってくる。いつのまにか、「また金縛りにあったよ」と交代する同僚に笑って話せるくらいのネタになっている。
だが、その夜、”それ”は階下の仮眠室でなく、仕事場に二人とも残っている時間帯に起きたのだった。湿度が高くてじっとりした夏の夜。私たちはいつものとおり、電話も途絶える午前1時ごろには報告書の記入も終わって、仮眠する時間だった。しかし、その夜は不思議に眠くなかったので、二人とも仕事場で読書をしていた。
「フフ...」
気のせいかなと思った。人の静かに笑うような声が聞こえた気がした。同僚に目をやると本を真面目に読んでいる。聞こえてきたのはオフィスのずっと奥の暗がりだ。そちらのほうに目をやったけれども、何も見えない。やっぱり、私の気のせいだっただろうか。私も目線を読んでいるページに戻そうとしたそのとき、
「フフフフ...」
もっとしっかりと若い女性が笑う声が聞こえた。同時に衣擦れのような音が聞こえた気がした。椅子から誰かが立ち上がったような気配があった。
えっ、と私は思わず声を出してしまった。同僚と目が合った。笑おうとしているが怯えている目だ。「今、聞こえたよね」。「ええ、聞こえました」。聞いてみると、同僚も最初の声に気がついてはいたのだ。二人で暗がりに目をやるが何も見えない。男同士だったがくっつきながら、その辺りを見回りする。異常はない。自然と話は仮眠室の金縛りの話になる。硬直中、人の姿を見ていたのは私だけでなかったのだという。寝ているとき布団の上から何かに乗っかられたという人もいるのだそうだ。初めて私たちは怖くなった。古いビルで隙間風がある。深夜のビルは反響が良く、100メートルくらい遠くの通りから酔っ払いの話し声が聞こえることもある。私たちはしばらく物音を立てないようにして、あの笑い声が聞こえないかを確かめてみた。
もう音はしなかった。だが、遠くの音とさきほどの笑い声は明らかに違うものだということが分かった。当たり前だが遠くの音は遠くから聞こえる。いくら反響がよくても先ほどの近くの声とはまったく違っていた。静けさの中で私たちは、やはり先ほどの声はそこの暗がりから聞こえたとしか考えられないという結論になった。声だけでなく気配を私たちは感じてもいた。もうその日は怖かったので二人とも寝ずに朝を迎えた。
数日が過ぎて、次の夜勤日の夜。シフトの関係で同じ同僚と一緒になった。同僚は前日も夜勤をしていた。夜も更けるとこの前は怖かったねという話になった。すると「実はね、橋本さん、昨日はこんなことがあったんですよ」と彼は熱心に話し始めた。
夜勤メンバーにはラグビー選手みたいな体格でなかなか心強い男がいる。彼は当時は夜勤メンバーの人間関係の中心で、仕事上のトラブルにも動じず冷静に対応するので皆に信頼されていた。同僚はその男A君と昨夜は一緒に働いたという。そしてその夜も同じような女の笑い声を聞いたのだそうだ。
ところが展開は意外な方向へ進んだ。A君もまた金縛り体験者だったが、彼は質実剛健な印象に反して、霊を信じる人だったのだ。お母さんが霊能者なので聞いてみるということになった。夜中にその母上に電話するとこう告げたという。「あなた方がいる部屋には鉄の扉があるでしょう。階段があって仮眠室があって、ビルには地下室があるの」。その通りである。母上はさらに詳細に来たこともないこのオフィスの様子を言い当てたそうだ。「地下室で昔、悪いことがあったのね。地下室から何かが上がってくるのを感じるわ。」
恐ろしくなったそうだ。二人は結局、丑三つ時に霊能者の母上に来社していただいたそうだ。どんなことがあっても夜間に部外者を入れるなという不文律は破られた。母上はビルの入り口や、問題の部屋のドアの前に塩を盛って祈祷してくださったという。そうして、二人は少しは落ち着くことができて、朝の勤務交代まで無事に過ごせたそうだ。
さて、これで霊の問題は一件落着だったのだが、A君と同僚は翌朝、社長に大目玉を食ったらしい。そりゃそうだ。ビルのそこかしこに塩が盛ってある。不気味であるし仕事場に大量の塩などないので、誰かを入れただろうということになる。あれほど夜はシャッターを無断で開けてはいかんと言ってあっただろう、と社長は激怒して怒鳴り散らしたという。
そこで仕方なく事情を説明したら社長は困り顔でさらに説教されたという。社長の言い分ももっともで、職場に幽霊話がでて、人が辞めたら困るのだ。昼間は女性のスタッフも多い。変なうわさで経営に支障が出たら、幽霊なんかよりもっと大問題だ。しばらく暇をやろうか?という社長に、いえいえ、滅相もございません、仕事疲れでございます、と神妙に謝ってきたらしい。
A君の母上の祈祷の力なのか、それ以来、女性の笑い声は聞こえなくなった。金縛りはときどきあったけれど、もう誰も霊が出るとは言わなかった。祈祷で解決したと思いたかったのもあるし、何より私たち夜勤は、幽霊が出ても給料が出て欲しいタチだった。社長は変わり者だったが夜勤には優しかった。幽霊話を続けることで困らせて、解雇されるなんて真っ平だったのだ。幸いにしてその後私たちが職場を卒業するまでそうしたことが起きることはなかった。
後にも先にも幽霊を体験したのはこれ一回きりだ。あれから、10年以上が経ったのだけれど、今でもあの女性の声と”気配”のことは覚えている。それは体験してみないと分からないことだ。私は合理主義者だけれども、幽霊を見たという人の話をそれ以来は否定しないようになった。いないと思うけれど、見えちゃうことはあるのだ。いくら科学的に否定したところで、体験者にとっては真実だということが分かってしまったから。もう二度と体験したくないけれど、あの夜のことは、私の人生の劇的瞬間として、ずっと死ぬまで覚えているのだろうな。
2004年08月19日
日本語は年速一キロで動く
■SMAPの中居くんだべ
私の地元、神奈川県藤沢市では、古くから住む高齢者とその子供や孫にあたる小学校高学年くらいまでの子供は「そうだべ、そうだべ」「遊びにいくべ」と言う。大きくなるに従い、「べ」はカッコ悪いと意識しはじめ、ほとんど使わなくなる。だが、最初からまったく使わない人も多いので、これは方言なのだろうか?と小さいころから謎だった。
この本によると東北・関東で古代から使われてきた「べし」「べき」から変形した、方言だそうだ。田舎者の印象が強い言葉なので、地方出身者は東京では使わないようにしてきたらしいのだが、最近、都内にも伝播が確認されたそうだ。この本の著者は不思議がっているが、これ、私の分析では、藤沢出身のタレント(確か私と中学が同じ)、SMAPの中居さんがテレビで「べ」を連発して認知させたからだと思っている。
この本は、新しい言葉や方言が、どれくらいの速度で広まっていくか、についての研究解説。伝播の速度は速いもの、遅いものがあるそうだが、平均すると約1キロ/年の速度で伝播しているのだという。
通常は、都市の威光効果で、都市から地方へ広がる言葉が多い。だから伝播の波を繰り返す過程でABA型と呼ばれる分布ができるという。中央の京都や東京に新形のB、Aという古い形が九州や北海道に残るような現象である。だが、逆もあるという。この「べ」「べー」は東京新方言と呼ばれるタイプの逆流現象として扱われている。
言葉の乱れとして指摘されがちな「見れる」などの、ら抜き言葉は明治初期に愛知県で使われていた方言で、100年かかって中部地方を経由して東京へ入った言葉なのだそうだ。「読めれる」などの、レタス言葉も同様。日本語の乱れを嘆く人には、方言については逆に尊重する態度をとることが多いが、要は新方言が東京へ進出したときに、批判されやすいという見方もできるらしい。
■めばちこ??べべになる??
皆さん、「めばちこ」で通じるだろうか?。私は大阪の堺市出身の関西人と結婚してから、はじめて聞いた。意味がまったく分からなかったのだが、目の「ものもらい」のことだそうで、この本にも紹介されていた。
また、この本に関西の新方言として取り上げられていた「ベベになる」。これまたサッパリ分からないので妻に聞いたところ、「それ普通に言うでしょ?ベベ、ベッタ」と驚かれてしまう。競争などで「ビリ」の意味。藤沢で育った私の実家の家族もたぶん、通じないはずだ。
こうした新方言はマスメディアを通じて年100キロレベルで、急速に広まるものもあるらしい。関西の漫才の「オモロイ」などはその例だそうだ。文法表現の変化は使用頻度が高く目立つため、比較的伝播が速いという。逆に家庭内で使う言葉は伝播が遅くなるという。速いもの、遅いもので、0.1キロ/年〜100キロ/年くらいの大きな違いもあるが、平均すると1キロ/年ということになるというのがこの本の結論であった。
年速1キロは1日2.7メートルで、自足0.114メートルにあたる。随分、遅いのだが、ヨーロッパにおけるインドヨーロッパ語族の拡大も、年1キロの西進であったそうだし、モンゴロイドのアメリカ大陸南端への移動5万キロも約5万年で同じくらいの速度だったという。1世代あたり30キロメートルという速度は、言語・文化の伝播の普遍的な速度なのではないかと著者は推測している。面白い考察だと思った。
■嫁は川を降る
こうした逆流現象の伝播の基本メカニズムが「嫁は川を降る」なのだそうだ。山間部の女性は都会に憧れ、町の人は素直に一生懸命働く女性を歓迎する。かくして、女性が都市部へ移動して、言葉を子供に伝えていく。方言的な言い方の大半は、幼稚園や小学校で修正を受けるが、家の中でしか使わないような言葉や、発音・文法の単純化原理でできた言葉は、修正を受けにくく、これが新方言として東京に広まることがあるようだ。「嫁は川を降る」はちょっと古めかしい印象の言葉であるが、現代でも女性がことばの媒介なのだ。
我が家の1歳になった息子も、日々母親から関西弁のシャワーを浴びせられている。幼稚園や小学校で「ベベはやだー」とか「めばちこできたー」とか「こちょばい」とか言って、怪訝な顔をされたりするのだろうか。
ただ、こうした言葉も、かっこいいと認定されると地域に定着して、新方言になることがあるらしい。冒頭に書いたように、私は「べ」はSMAP中居さんが起点と思っているのだが、通常は点ではなく線的に伝播は進んでいく、らしい。最前線の動きから、伝播速度が分かる。
■境界の最前線を特定する
この著者は電車の路線距離でキロメートルを算出しているケースが多い。地道なフィールドワーク・アンケートで経年変化を追い、それをグロットグラムというグラフに描き分析している。平面ではなく線で伝播する日本の地理的特徴にマッチした調査手法である。何駅くらいから先で変化が起きるかが分かって面白い。まさにそこが移動の最前線と言えるだろう。
以前、あるテレビ番組で、関東と関西ではエスカレーターのどちらを急ぎの人向けに空けるかが逆になっていることを取り上げ、東海道線のどの駅が変化の境になっているかを実地調査していた。答えは岐阜県大垣駅の隣駅ということになった。
・ざつがく・どっと・こむ 左を空ける
http://www.zatsugaku.com/stories.php?story=01/07/17/1040537
同じようにテレビが発端で、ひとつの言葉の違いの最前線を突き詰めて考えた面白い本がある。
こちらは、関西で人気の番組(最近関東でも深夜に放送されています)「探偵ナイトスクープ」で「関東ではバカだが、関西ではアホという。入れ替えると侮蔑的表現になり、怒られるが、もっと調べよ」という指令で調査が行われた。番組では「岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原・西今須」を境に、アホとバカが入れ替わるということが判明した。その後の、詳細な調査についての本。
そして、今日も新方言は日々生まれている。2ちゃんねるにはまった「嫁」が子供に「オマエモナー」とか「わら」、「ケテーイ」などを普通に教えて、ネット発の言葉も新方言として定着するということも、そろそろあってもおかしくないような気がする。その場合、距離はどう測ればいいだろうか。
関連記事:
・Passion For The Future: 関西弁講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001143.html
・Passion For The Future: かなり気がかりな日本語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001093.html
・Passion For The Future: 犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000935.html
2004年08月02日
東京 五つ星の手みやげ
たまにはいつもと違ったテーマの本を紹介。
週末の楽しみのひとつが地元のデパートの催し物会場で開催される全国各地の物産展+うまいもの会。”老舗”にはどうも弱くて、ついつい、銘菓やら駅弁やら何とか寿司やら大好きな干物(ホッケとかね)をいっぱい買い込んできてしまう。
だが、本当に地元でそれが歴史があって有名なのか、本当にうまいのか、よく知らない。私の舌は俗物なので、由来など分かると、おいしく感じられてしまったりもする。ホンモノの美食家の舌なんか高くつくだけだから要らない。うまくて幸せならそれでいいのだ。なんかそういう能書きをうまく見せてくれる本ないかなと思っていた。
あった。これは東京限定だが、手土産にできるを基準に、歴史のある老舗、名店の定番を教えてくれる本だ。
出版社の説明ではこんな感じ。
「
豆大福、草餅、団子、どら焼き、鯛焼き、パウンドケーキ、チョコレートから佃煮、粕漬まで、食通たちに愛され続ける老舗・名店の極上の味みやげを厳選し、オールカラー256頁で紹介する永久保存版ガイドである。選者は、「料理の鉄人」(フジテレビ系)の審査員として活躍し、「おいしゅうございます」でお馴染みの信頼できる食のジャーナリスト岸朝子。大事な人を訪問するとき、会社のお取引先へ交渉に行くときなど、味、品格、センスを問われる贈りもの選びに困ったら開く一冊。会社、自宅に必備。
」
この本自体に5つ星をあげてもいいかも。よくできている。
写真がいい。老舗の一品の品格を伝える解説も的確。店の歴史や由来、伝統の技法、定番はどれで、売り切れになりやすいのはどれなど。そして分かりやすい地図。ガイドとして完璧。関西に帰省される人にとっても東京みやげ探しによいはず。
妻から「これを順番に買ってくるように」とのこと。結構、高いのも混ざってるわけですが、ええ、がんばって稼ぎますよ、私は!。
さて、私は美食家ではありませんが、B級でよければ幾つかおすすめがあります。こんなラインナップでいかがでしょうか?。みなさんのB級(でなくても可)グルメもぜひ教えてください。
・かつ好 (東京、恵比寿)
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0103/P005665.html
とんかつ好きの私が食べた中で、ここの「特吟ロース」は最強。塩で食べるのです。よだれでてきた。
とんき (東京、目黒)
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0103/P000535.html
ここはチェーンですが、目黒以外は価値半減。目黒の本店の、1Fのカウンターに座らないと意味がありません。ここは特別な空間です。”サービス”について考えたい人はぜひ行ってみてください。私は感動し、勉強になりました。とんかつ自体はうまいといえばうまいですが、サービスとの併せ技で一流店。(興味のある方、一緒に食べに行きます?)
・カロリー(東京、御茶ノ水) カロリー焼き
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0205/P011453.html
学生時代(予備校)に通い、今も通う。 カロリー焼きは青春の味。今もデジハリで講義する前後に行ってみたりしています。
・ちくま(大阪、堺) そば
http://allabout.co.jp/gourmet/soba/closeup/CU20020628A/index2.htm
蒸してのびきったそばがあんなにうまいなんて。ここは関東の人間の方が感動するかも。生卵につけて食べる。
・築地丸武(東京、築地) 玉子焼き
http://www.tsukiji-marutake.jp/
実にうまい玉子焼き テリー伊藤の実家らしい。
・パステル(東京、各地) なめらかプリン
http://www.chitaka.co.jp/20original/21pastel/f_pastel.html
プリンの情報サイトで長期間第一位になっていますね。ふつうもいいですが、ゴマ味とかもおすすめなのです。
・古久家 藤沢店(神奈川、藤沢) ラーメン、チャーハン
http://kokuya.com/b.htm
はじめて食べたラーメンがここで、刷り込み効果なのか、本当にうまいのかはよく分からないですが、私のラーメンの原点。いまでもよくいきます。地元。何人か友人を連れて行きましたが、誰もうまいといわないのはなぜだ。うまいのに。
・八戸麺道大陸(青森、八戸)
http://www10.ocn.ne.jp/~shangli/
ラーメンの最強は、青森、八戸の大陸。私が食べていたのはまだこの店が新横浜にあった時代ですけどね。その後店が青森へ移動しました。同じ味なのであれば、青森の人がうらやましい。
・鮪漬 羽床(神奈川、三崎や鎌倉など)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/hayuka/
鮪漬がうまい。特に西京焼がおすすめ。
2004年07月02日
ヒトが永遠に生きる方法―世界一やさしい身体の科学
深く考えるきっかけを与えてくれる軽い読み物。中学生でも読めるレベルの難易度。
冒頭、
「
京都には、美しい庭園をもつお寺がたくさんあります。
あるお寺の庭園には、不思議な力を秘めた3つの泉が湧き出しています。言い伝えでは、1番目の泉の水を飲めばお金持ちになれ、2番目の泉ならすてきな恋にめぐりあい、3番目の泉なら長生きできるというのです。
みなさんなら、どの泉の水を飲んでみたいと思いますか?
」
という問いかけがある。3番目が多く選ばれるのではないかとして、この本は始まる。
これは、私も以前、ビジネス的に考えたテーマだった。
・最強無敵ですべてがわかる情報技術
・200年生きることのできるバイオ、ナノ技術
とふたつの技術があった場合、人は投資対象として後者を選ぶのではないか。だから、ITよりもバイオ、ナノ技術のほうが有望なテーマではないのか?と思ったのだ。
1万2千年も生きる生き物がいると最初にクレオソード・ブッシュの例が紹介される。
・Creosote Bush (DesertUSA)
http://www.desertusa.com/creoste.html
実物の写真あり。砂漠の植物。
1万2千年を生きる動物はいないが、
2000年、イギリスのある一家に6世代が同時に生きている一家が誕生した。曾曾曾曾おばあさんが世界で初めて誕生した瞬間であったという。計算してみると大変なことで、18歳で子供を産み続けても、曾曾曾曾おばあさんは108歳になってしまう。実は先日、私の父方の祖母が88歳で他界した。10ヶ月の息子にとっては曾おばあさんだった。ぎりぎり二人が対面することができたので、祖母の寿命に間に合ったのは良かったと思ったく。これがさらに二世代先までなんて信じられない。
一般的に男性より女性が長命というのは有名で私の家系でもそうなっているが、この本による嘘かもしれないらしい。男性が外で危険な仕事に従事することが多いから統計的にそうなるという解説はなるほどねと納得。そして寿命は遺伝するという話も、最近の科学雑誌などで読んだ。
老化の原因はDNAを破壊する電子を伴う分子構造のフリーラジカルの活動にあるらしい。これを抑制する食物を多くとることで老化を防止し、長寿を達成できるという。食べ過ぎず、空腹のほうが良いとの説もある。
長寿のためには遺伝子、安全な生活、食物、ストレス対策などずいぶん、気をつけるべきものがあって忙しい。結局、科学的に完全に解明されていないので、学者も揺れているようだ。
・永遠の命を求める人々の心理を探る
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20021122303.html
・『究極の延命』会議報告:不死への科学的アプローチ
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20021122302.html
・突然変異遺伝子で寿命が倍に?
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20001218303.html
最後に永遠に生きる方法が語られる。現在の技術が進歩したらという条件付で、2210年までの未来年表が作られている。ほとんどSFだが、科学の進歩次第では私たちの世代でも、永遠の生命を手に入れられるかもしれないという予言。
長寿が達成されたとなると、次はおそらく孤独が問題になるのだろう。
・Passion For The Future: 100歳まで生きてしまった
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000195.html
バイオ、ナノによる老化防止の技術の次は孤独防止の技術が儲かる。私はそう予測している。だから、どうしたと言われても困るのだけれど。
2004年01月23日
人はどうして疲れるのか
タイトルを見て「え?身体の中の乳酸が増えるからでしょう?」と保健の時間に習った知識でツッコミを入れながら書店の棚から取り上げて、中身を確認。どうやらもっと突っ込んだ話が一般向けに書いてある。著者は、医学博士で自由時間デザイン協会理事、日本ストレスマネジメント研究会会長。
この本を読んでの私の結論は疲れるのは自然なことだから、疲れたら休もう、ということ。そういうことが疲れの計量化や、癒しと複雑系(ゆらぎ)、体内リズムなどのテーマを織り込みながら科学的に書いてある。意外にも疲れの正体はこの物質と特定できてはいないらしい。こころとからだの疲れも別々ではなく影響しあっている。
エネルギー代謝率という観点から、何をするとエネルギーをたくさん使うかの数字が面白い。エネルギー代謝率={(作業時の消費エネルギー)−(安静時の消費エネルギー)}÷基礎代謝量。この計算では体の大きさの違いは無視してよい。
読書 0.1 ふとん上げ 4.3
裁縫 0.3 ふとん敷き 5.3
身支度 0.4 徒歩1分40m 1.5
食事 0.4 1分60m 1.8
通勤徒歩 3.0 1分80m 2.8
乗車 1.0 1分100m 4.7
電気ミシンかけ 0.6 1分150m 8.0
入浴 0.7 子供を抱く 0.4
タイプライター 1.4 子供を抱いて歩く2.1
炊事 1.5 階段上り 11.0
洗濯 1.4〜1.5 階段下り 3.5
この表を活用して、最も疲れない生活ができそうだ(ほんとか?)
また、消費カロリーで計算した場合は、安静時は72カロリー、筋作業時216カロリーで6倍。心臓だけで見ると安静時3.16、筋作業時9.6で約3倍違う。ところが脳は安静時2.16、筋作業時2.4でほとんど変化がない。その他の臓器の数字も併せてこの本では紹介されている。
後半では有効な疲労回復法が語られており、実用的である。結局、生きていれば必ず疲れるし、疲れないと働きすぎて身体を壊す。疲れの効用としてプラスに捉える考え方もあることを知った。
結局、この本を一言でまとめると「疲れたら休め」なのでないか?
疲れたら休め。我ながらこのまとめ方は、当たり前すぎる。当たり前でない人の話をして今日の記事を終える。
■疲れを知らない男から聞いたノウハウ3つ。
疲れを知らないといえば、私が最初に思い浮かべるのが何度もハードスケジュールで取材旅行したビデオジャーナリスト神田敏晶氏。長期間行動を共にした経験から、この人は24時間大ハッスル(死語)状態ということも確認した。精神的に落ち込むときを除いて、バイタリティの塊みたいな人である。今も一ヶ月ピースボートに乗ってインドに降りて、来週頃バグダッドを目指しているはずだ。
・KNN
http://www.knn.com/
神田さんから学んだこと。
ノウハウ1 寝る前に時計を見るな
「
橋本君、寝る前に時計を見ないことだよ。起きたときに時刻を見て睡眠時間を確認した時、短いとよく眠れなかった気がするじゃない?。寝る前に時刻をみないで、いつも「あーよくねた」といって起きればいいんだよ
」
無茶かもしれないが合理的かもしれない。
ノウハウ2 飛行機は乗ったら跳ぶ前に寝ろ
神田さんは米国との往復の飛行機に乗ると離陸前に寝てしまうことが多い。飛行中は寝ている。飛行中は耳が痛くなるからという理由もあるらしいのだが、これによって睡眠時間を調整し、時差ぼけを回避できている。
ノウハウ3 マラソンで最初に飛ばせ?(ノウハウでないかもしれない)
神田さんは琵琶湖マラソンやらホノルルマラソンに参加したことがある。トライアスロンもやっているはずである。テレビ中継されるマラソンに参加した際、スタートダッシュすることでしばらくの間、先頭ランナーとしてテレビに映像化されたことを自慢していた。彼の目的は参加することではなく、テレビに映ることだった。スタートダッシュを使うことで、完走できたかどうか聞かなかったけれど、目的を達成してしまった。
2003年11月27日
非言語(ノンバーバル)コミュニケーション
「二者間の対話では、ことばによって伝えられるメッセージ(コミュニケーションの内容)は、全体の35%にすぎず、残りの65%は、話しぶり、動作、ジェスチャー、相手との間のとり方など、ことば以外の手段によって伝えられる。」
私は大学時代に電話秘書代行センターの夜勤スタッフとして4年間働いていた。大小の企業や通信販売から、メーカー各種メンテナンス窓口、占い師事務所、葬儀屋、果てはSMクラブまで、夜間の電話受付を、顧客企業の社員のフリをして、代行する業務である。私たちは何十台も並んだ電話から聴こえる、顔の見えない相手と毎晩、声と声だけで格闘する日々を続けていた。
夜勤二人体制。だいたい一晩で100本程度の電話を1人のスタッフが応答することになる。新米アルバイトは、厳しいクレーム電話や緊急時対応に(夜間に企業にかかる電話なんてそんなものだ)、男でも本当に泣き出す。堅気でない方だとか酔っ払い、入退院を繰り返すノイローゼの患者、プロのクレーマー、いたずら電話の連続だ。回線の向こうから、怒声が当たり前のように聞こえてくる。ほとんどのアルバイトは一ヶ月の研修期間を終わらずに辞めていくが、私は適性があったのか、長く続き、ベテランスタッフとして社長に認められていた(と思う)。タイムカードの社員ナンバーは社長に次ぐ2番が少し誇らしかった。
1日100本として、勤務頻度は週2,3回。仮眠は3時間程度暇な夜は取れるものの、そのまま眠い頭で大学へ行き部室で寝るの繰り返し。年間120日程度。4年間だから、最低でも5万本以上の、電話対応をやったことになる。数年の経験のあるベテランスタッフなら、電話を受けた相手の第一声で、内容やその後の展開を読めた。電話の電流が壁の配線を流れるのを察知して、電話が鳴る前に受話器を取り上げ、隣の研修生を不思議がらせることもできた。秘書センターの電話が鳴る段階では、顧客の回線からの数コール分の転送時間が既にかかっているので、鳴ったらワンコールで取るのがプロなのだ。電話機との非言語コミュニケーションといったところか。
クレーム対応の現場の厳しさと接客技術をその道数十年の社長から躾けられた。会社にはまだCTIシステムによる支援などなかった。プロのオペレータになるべくマッチ棒を数えての何百回の復誦訓練。大変だったが楽しかった。激怒して怒鳴り込んできたお客に、何時間もつきあい、問題を解決し、朝方には「キミの名前は?会ってお礼を言いたい」との電話をもらったときの感動ドラマの体験は、その後もずっと覚えている。夜勤は二人体制。戦場のような職場で数年を共にした友人たちからは結婚式に招待される仲になった。長い月日が経った今もメールが時々届くのを楽しみにしている。
すこし話はそれたが、声には言葉以外のコミュニケーションが豊富に含まれていることを私はこの体験から知った。声の微妙な揺れや強弱、背景の雑音、電話の切り方、ウエイトメロディの種類や待機時間の長さ、沈黙、訛り。感情的になったお客のことばは、その内容よりも、周辺言語にこそ意味があった。冒頭のそういったことを、もっと知りたいと思って読んだのがこの本だ。
興味深い実験結果が続々と解説される。米コロンビア大学の実験では、8人の被験者に特定の感情を起こさせながら、アルファベットを読ませた。喋っている内容に意味がないわけだが、それを聴いた30人の判定者が、話し手の感情をどれだけ識別できるかを試験した。その結果は以下のようになったという。
感情 識別率
怒り 65%
不安 54%
悲しみ 49%
幸福 43%
同情 38%
満足 31%
愛情 25%
恐怖 25%
嫉妬 25%
誇り 21%
もしも判定者による判断がまぐれ当たりであったなら識別率は10%になるはずだ。判定者のうち最もよく当てた人の識別率は49%に及んだという。私たちは、話されている内容とは別に、声の抑揚や表情(周辺言語)から多くのことを読み取っている証拠だ。
非言語コミュニケーションは周辺言語だけではない。各種調査により、影響力の強い9種類の非言語コミュニケーションは次の9つであるとこの本では述べられ、各章が割り当てられている。世界中の心理学者や社会学者の実証例を根拠に、興味深い事例が続く。
1 人体(性別、年齢、体格、肌の色)
2 動作(姿勢や動き)
3 目
4 周辺言語(話しことばの音声上の特徴)
5 沈黙
6 身体接触
7 対人的空間
8 時間
9 色彩
意外な事実も多かった。例えば最後の色彩では、実験で映画に1000秒に一コマの割合でポップコーンとコーラの写真を混ぜて客に見せたら、意識では見えなかったはずなのに、ポップコーンの売り上げが57.7%、コカコーラの売り上げが18.1%伸びたという話。これは結構有名なサブリミナル効果実験の話だと思う。しかし、この実験が行われたのは1950年代のことだそうで、その後の調査では、この種の効果では人間に行動を起こさせる理由になるという裏づけがとれていないそうだ。よくプロモーションの会議などで、この話は持ち出されるのだが、マーケティングのツールとしては弱いものなのだな、と勉強になった。
対面して話すということは、きっとテラバイトクラスの回線で、目の前の相手と情報通信を行うことだと思っている。コミュニケーションに占める非言語メッセージの率は65%。私たちはメールや電話やバーチャルリアリティや、Webページを使って、意思疎通をしているけれど、デジタルコミュニケーションで失ってしまっている情報は多いのだ。届くのはきっと数パーセントのメッセージ。対面と比べると、糸電話並みのナローバンドかもしれない。
どこまで非言語のメッセージを、センサーが吸い上げてビット化できるか、ソフトウェアが分析し補完できるか、伝えられるか。今後のコミュニケーション技術の課題は多そうだ。
評価:★★★☆☆
最後に参考URL:
・Truster
http://www.truster.com/24progpack.htm
心理分析ソフト。マイクに向かってしゃべると音声の波形から、ソフトウェアが嘘を話しているかどうかの度合いを判定する。99ドル。
・日立スーパーSHフォーラムのプレゼン「ビジョン技術とフレンドリーボット」
http://www.renesas.com/jpn/products/mpumcu/32bit/sh/forum/archive/gifudai_yamamotosensei.pdf
人の表情を真似る、「ペンギン型人物表情自動認識システム」。そして写真は人間の真似をする「見よう見真似ロボットYAMATO」など。
・仮想世界におけるアバタの形状・様相・距離感に関する調査研究
http://www.dj.kit.ac.jp/seminar/1999/abstract/ja/98630030-ja.txt
短いアブストラクトだけれど面白い。仮想空間ゲームの中でも、親しさと立ち位置は相関するらしい。電車の横長い席が端から埋まって行くのと同じ原理。この本でも取り上げらた、いわゆるプロクセミックス(近接学)のバーチャル版。仮想世界でも親しくない異性にくっつくのは抵抗あるのだ。
2003年11月21日
それは「情報」ではない
・それは「情報」ではない。―無情報爆発時代を生き抜くためのコミュニケーション・デザイン
情報デザインの世界で著名なリチャード・S・ワーマンの代表作。独自の情報哲学を提唱し、あらゆる情報をデザインしては世界をアッと言わせてきた、Information Architect(情報建築家)の先端を走る人物。
ワーマンは情報を構造化する方法は5つしかないと定義している。5つは頭文字をとってLATCHと呼ぶ。位置、アルファベット、時間、カテゴリ、階層。あらゆる情報はこの5つとその派生形の構造化手法で説明、分類できるという。
LATCH | ||
Location | 位置 | 地図として表現 |
Alphabet | アルファベット | 順番、順序で表現 |
Time | 時間 | 時間軸で表現 |
Category | 分野 | カテゴリで表現 |
Hierarchy | 階層 | 程度で表現 |
確かにこの5つで表現できない情報は探すのが難しい。地図ならば位置だし、電話帳はアルファベットだし、スケジュール帳は時間、YAHOO!は分野、通知表なら階層である。それだけでは意味がないデータの集積を、5つの手法を駆使して、理解に結びつける形にする。データと情報は別次元であり、理解できないものは「それは情報ではない」のだ。
ワーマンはこの方法論で、カリフォルニア州のイエローページを再デザインした。2300以上ある職業別分類の見出し名を、より大きなレベルで少数の、利用者視点のカテゴリへ統合し、「目的検索ページ」を追加した。電話帳の形(データ)は変えずに、検索方法を整理するだけで、飛躍的に便利になった。その結果、ワーマンは世界中の電話帳のデザインを依頼されるようになり、次々に新しいアイデアを考えている。この本にも多数事例が紹介されている。
ところで、この本の目次や構成はさぞや整理されているのかと思いきや、まったく逆である。雑然としている。アジアの中華街みたいだ。うまい店がカオスでありながら最適化された配置で並んでいる感じがする。一章ごとに前章と連続しないテーマが、一見脈絡なく並べられ、すべてのページの下部には注釈として長い関連情報が大量に書かれていたりする。何ページおきかに挟まれるコラムやビジュアル資料も、本文を説明して収束させるのではなく、そこからつながる情報へと拡散させていくように仕向けられている。計算された雑然さが、心地よい。発想を刺激される。
私は最初から最後まで順番に読んだが、好きなところから読むほうが正解の本なのかもしれない。パラパラめくったページに書いてある参考文献やURLが、のぞいてみると深い底なし沼だったりする(経験者は語る)。骨の髄までしゃぶれる本なのだ。私は全部読了したけれどもまだ全部読めていない気がしている。
ワーマンはインターネットにも意欲的だ。彼の監修した代表的なWebサイトには、Understanding USAがある。オンラインと書籍が連動した作品。米国の政治や経済や社会の複雑な事象を一目瞭然で理解させるというコンセプトに結集した、一流の情報デザイナーが彼の指揮のもとで作り上げた情報ビジュアライズの見本市。このサイトは、書籍と同じ350ページすべてがダウンロードできる上に、著作権がない、そうだ。複製して配って構わないらしい。米国の統計情報を企画資料に使いたい場合などにも使えるわけだ。
・Understanding USA
http://www.understandingusa.com/
ワーマンは意図的に著作権フリーの戦略を取ったことも解説している。コピーが出回っても、350ページ印刷するよりは、25ドルの本を購入した方が安上がりだし、宣伝効果と高い評価につながるというわけだ。ネットでの情報伝播の特性やノウハウもこの本には重要なことが、書かれていて参考になる。
誰か意欲的な日本人デザイナーさん、同じライセンスで、「Understanding Japan」を作ってくださいませんか?。
この本に出てきたか関連する無数のURLのうち面白かったURLを5つ。
・テキストを三次元で表示するMITのベンジャミンフライ
http://acg.media.mit.edu/people/fry/valence/
・ライターのための情報リソース
http://www.writerswrite.com/
・斬新な工業デザインの会社FrogDesign 見るだけで楽しい(IDEOのようだ)
http://www.frogdesign.com/index.html
・ワーマンが主催するテクノロジー、エンタテイメント、デザイン会議
http://www.tedmed.com/
・ワーマン自身のオフィシャルサイト
http://www.wurman.com/
評価は高い。ワーマンは情報を押し付けるのではなく、読者の創造性を刺激して各自なりの情報哲学を持て、とメッセージを送っていると感じる。そういった意味では長い付き合いのできる、私の情報デザインのバイブルと言える。
評価:★★★★☆
2003年11月07日
情報デザイン入門―インターネット時代の表現術
この本の著者はセンソリウムのプロデューサの一人だ。と書いただけで興味を持ってくださる方もいらっしゃるはず、と思う。
Sensoriumは、日本を代表するインターネット上のメディアアートのひとつ。1996年のインターネット1996ワールドエクスポジション(IWE96)」の日本代表パビリオンとして制作された。制作チームは、「生きている世界をビビッドに感じ取ることができる情報の道具」をセンスウェアと定義し、そのデモンストレーションサイトをオンラインに公開した。国際的な章も受賞し、日本のネット草創期の伝説のひとつとなった。
・センソリウム
http://www.sensorium.org/all-j.html
世界で発生している地震のデータに合わせて、該当地域をデコボコと動かす地球のビジュアライゼーション「Breathing Earth」であるとか、パケットの流れを世界地図上に表現した「Web Hopper」、ネットワーク上を流れるデータを音楽として聴く「Net Sound」など、今見ても新しさを感じるメディアアートのオンパレード。当時の状況を考えると、技術的にも、かなり高度な実装が行われていた。
この本は情報デザインの知識の全体像をつかむのに最高の書である。リチャード・S・ワーマン、松岡正剛、ドナルド A.ノーマン、ヤコブニールセンら、情報デザインや編集業界の重鎮たちの仕事を、分かりやすく解説してくれる。自身がクリエイターなので理論だけでなく、実践の視点も忘れず記述されている。何より、図表も多く平易で、読みやすい。
この本で紹介される情報リソースをあたって、私は芋づる式にたくさんの情報デザインや編集関連の本を読んだ。大きな体系の全体像を整理し、何が面白いかを伝えてくれる入門ガイドとして、最初にこの新書を読んでよかったと思う。
著者は最終章「社会に開かれていく情報デザイン」の中で、最新の関心として地域コミュニティの情報デザインを取り上げている。主に大家の仕事を要約している他の章と違って著者の考えが最も前面に出ていて興味深い。
ここではEUの知的情報インタフェース研究の資金を使って大手家電のフィリップスが実施した地域情報プロジェクト「リビングメモリー」のケースが紹介されている。このプロジェクトは、
・LivingMemory
http://www.design.philips.com/smartconnections/lime/index.html
(1) 地域にとって、最も豊かな情報資源は、そこに住んでいる人々自身にある
(2) 地域には情報活動の核になる結節点がいくつか既に存在している
(3) 人が情報にアクセスするにはそれ相応の物語がある
という3つの基本原理の思想のもとに、学校、病院、ショッピングセンター、パブの4つを地域コミュニティの結節点と考え、家庭や公共施設にマルチメディア端末を設置して情報交換を行わせることをゴールとした試みだ。著者は住民に情報を与えてやる式の、日本のニューメディア構想と比較して、住民から情報を引き出す手法を高く評価している。住民は情報の消費者ではなく生産者だということだ。
この3つの基本原理は、地域コミュニティに限らず、ネットコミュニティとそのビジネスモデルにも参考にできそうだ、。例えば、この3つの原理に私が思うのは、
インターネットで世界に情報発信が出来るようになったからといって、本当に世界に情報を訴えたい人は何パーセントくらいいるだろう?多くの人は特定の場所(結節点)で、近しい知人や友人に、1日に発する大半の情報を発信、交換しているはずだ(1)。既に結節点は存在しているのに、無理に新しく作ろうとして失敗するコミュニティプロジェクトは多い(2)。便利や高機能を訴求するばかりで、生活のシーンのどこで使えるのか、満たすべき大きなウォンツやニーズは何なのか結局分からないITツールもよく見る(3)。
などということ。なぜ大手企業のコミュニティが失敗して2ちゃんねるが成功しているのか、という疑問にもヒントが得られそうに思えてくる。
情報デザインの本質はGUIの設計やディレクトリ構造の作り方といった小手先の話でなく、生きた使い手の場をどう捉えるか、という思想の重要性を、この本の後半は語ってくれている。コミュニティやエンドユーザ向けのITサービス設計者必携の入門書。
評価:★★★☆☆
2003年10月17日
MITコンピュータサイエンス・ラボ所長ダートウゾス教授のIT学講義
・MITコンピュータサイエンス・ラボ所長ダートウゾス教授のIT学講義
ダートウゾス教授は人間中心型コンピューティングを提唱している。人間がPCに隷属化されたり、過剰なストレスを受けたりすることなく、人間の能力を自然な形で発揮できるPC環境や、社会・経済システムのことだ。
その推進力を教授は5つ挙げた。
■人間中心型コンピューティング 5つの推進力
1 音声認識
2 自動化
3 個人化された情報アクセス
4 コラボレーション
5 カスタマイゼーション
各要素を、未来の生活シーンの中で描写しながら、コンピュータはかくあるべきと語る本だ。2001年の刊行の本と言うことで既に実現が進んでいる予見も混じるが、大半の記述は、まだまだ、新しい。むしろ、現実が追いついた分だけ、分かりやすく感じられるとも言える。
「セマンティックWebの陰謀」という興味深い章もある。通常のハイパーリンクを青いリンク、ユーザが作り出す意味のリンクを赤いリンクと呼び、ふたつのリンクがRDFメタデータの技術でセマンティックWebを織り成していくだろうという、今まさにネットで起きていることがずばり書かれていたりもする。
そして、教授らが推進している人間中心型コンピューティングの実現プロジェクト「オキシジェン」の解説で最後を締めくくる。オキシジェンとは、1999年に開始され、250人の世界の精鋭研究者と5千万ドルの研究予算を投じた、人間中心型コンピュータ環境のプロトタイプ制作プロジェクトだ。ネットワークプロトコル、ハードウェア、携帯デバイス、ソフトウェアなど研究は多岐にわたる。
オキシジェンは以下のURLで概要がある。
・MITオキシジェンプロジェクト
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/
以下のムービーとスクリーンキャプチャは最新のオキシジェンとその周辺の研究状況を伝えるサマリーとしてちょうど良いもの。順番にクリックすればオキシジェン概要のイメージがつかめるかなというものを集めてみた。
・携帯デバイスH21のデモムービー
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/guide.mpeg
・Cricket 位置認識による最適ネットワーク構築
http://oxygen.lcs.mit.edu/videos/cricket.mpeg
・Software Proxy いつでもどこでも自分の作業環境を実現
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/proxy.mpeg
・Metaglue インテリジェント空間におけるソフトエージェントによるユーザ支援
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/metaglue.mpeg
・HayStack RDFメタデータを活用した未来派PIM
http://haystack.lcs.mit.edu/
・Grid アドホックなユビキタスネットワークプロトコル
http://www.pdos.lcs.mit.edu/grid/
・Annotea Webに対するコメントを共有する仕組み
http://www.w3.org/2001/Annotea/
・START 自然言語での質問応答システム(試すことができる)
http://www.ai.mit.edu/projects/infolab/ailab
オキシジェンプロジェクトに関連する研究はこのほかにも多数あり、全貌を把握するのは難しいが、「セマンティックWeb」「ユビキタス」「エージェント」「分散コンピューティング」などの先端キーワードの複合体みたいなものだ。目指すところや展望はこの本の最後に教授が語っている。
この本は名著と思うし博士の知見に共感する部分が多いが、ひとつ意見を言わせてもらうとしたら、人間中心型を唱える博士はおじいちゃん発想だなと感じた。若い世代はPCに隷属しているとそもそも感じていないのではないか、と思うのだ。物心ついた頃からコンピューティングに親しんだ層というのは、使いにくいインタフェースには見向きもしないか、あるいは、機械に対する適応力という柔軟性も数倍持っていて難なく使いこなしてしまう。最初から人間中心というか「ワタシ中心」コンピューティングができているのだ。
このワタシ中心コンピューティングの担い手たちがコンピュータを設計するようになったとき、コンピュータのアーキテクチャやインタフェースはどう変わるだろうか。今の私たちが20年後にタイムトリップしたとして、その時代のPC環境は、私たちにとって、使いやすく理解しやすいものとは限らないような気がする。PC進化の向かっているのは、コンピュータと人間の共生環境であって、客体としてコンピュータを捉える古い思想とは根本的に異なるものなのじゃないか、私たちは進化しているのではなくて環境に最適化しているだけのはずだ、そんな風に思う。
と、批評チックに書いたけど、この本の私の評価は高い。
評価:★★★☆☆