2008年04月06日

ブッダ 全12巻 漫画文庫

・ブッダ全12巻漫画文庫
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(読んだのは昨年末でしたが。)

実に8年がかりで手塚のブッダを完読した。

個人的な話だが8年前に会社を作ったときに、オフィスで息抜き用にと思って全12巻を買った。ところが仕事が忙しくて2巻までしか読めずいたら、すぐオフィス引っ越しになり、ドタバタで本を紛失してしまったのである。だから、長いこと私の記憶の中では「ブッダ」はブッダがほとんど出てこない不思議な漫画であった。

と、書くと未読の人にはわけがわからないかもしれないが、このブッダの生涯を描いた漫画は主役が途中で何度も交代する。中盤以降はブッダが主人公として一応活躍するのだが、冒頭からしばらくは、やがてブッダの弟子(あるいは敵)となる人間の話だったりする。読者はそれぞれの人物の視点に一度は感情移入を経験させられるから、後半でいくつもの支流が合流する大河ドラマとしての厚みが生まれるのだ。

手塚治虫は「ブッダ」で本当に描きたかったことって何だっただろうか、読み終わってふと考えた。ブッダの教えを読者にわかりやすく伝えることが目的だったとは思えない。確かに仏教の教義を噛み砕いて説明する部分もあるのだが、実はあまりそういう部分は作者の力が入っていないように思える。悟りを開いた後のブッダの行動はきちんと描くと説教臭いからかもしれない。

むしろ「ブッダ」の面白さは、ブッダを取り巻くわき役たちの野心と冒険に満ちたドラマにあると感じる。これらのわき役たちは仏典に登場する人物もいるが、純粋に手塚の創作キャラもいる。それぞれが主役級の熱い生き方をしているのだが、山場を越えたところで、あっさり死んでしまったりする。そういう登場人物の活躍と死の連続の物語構造が、仏教の教えである諸行無常と重なっている。手塚はそれを意図して全体を設計したのではなかろうか。

「火の鳥」級に読み応えのある一大傑作である。各巻末に寄せられた大物ファンたちの解説も価値。

・シッダールタ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005269.html

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2008年04月03日

土間の四十八滝

・土間の四十八滝
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昨年、こんな芸能ニュースがあった。

・布袋、町田康さん殴る
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070726-OHT1T00101.htm
「布袋と町田さんは旧知の仲で、布袋の曲の作詞を町田さんが手がけたり、布袋が昨年発売したコラボレーション・アルバムにも町田さんは参加している。趣味でともにバンド活動を行ったりもしているが、音楽活動を巡り双方の意見に食い違いが生まれ、トラブルとなったようだ。」

表現者としてエッジがたちまくる二人は実生活でもちゃんと殴り殴られるような仲なのだなあと感心した。作家として権威のある文学賞を総なめにしている町田康だが、その危険なパンクっぷりは本物なのだなと納得した。

これは第九回萩原朔太郎賞を受賞した詩集だ。中身はポエムというよりむき出しのソウル。それぞれ独白から個性的で強烈なドラマが立ち上がる。印象に強く残った作品の出だしを拾うとこんな感じ。

「あいつにかかったら自分なんかもう犬ですよ あれ買ってこいこれ持ってこいって追いまくられて で もう嫌んなって朝から仕事しないで魯迅ばっかり読んでたんですよ そしたら半田鏝で肉あっちこっち焼かれて折檻って感じで しかもあいつホモだったんですよ」(「俺も小僧」より)

「お車代二万円 これをしねしね遣えば、まあ、悪いけどはっきりいって二週間くらいわたくしは安泰 ところがそんなせこいことをわたくしはせぬ オッソブーコの材料代 それに二万円を全部一気に爽快に遣っちゃったい」(「オッソブーコのおハイソ女郎」より)

「経営会議で如何に叱責されようと俺は重役 常務取締役だ 兼、営業本部長だ へへんだ 羨ましいでしょ」(「その俺は重役」より)

体言止めとオノパトペを多用した独特のリズムの文体。声に出して読むことが前提とされているように感じた。あるいはラップミュージックの歌詞のようでもある。日本語の使い方にはこういうかたちもありえるのかという衝撃を受けた傑作詩集。

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2008年03月20日

弥勒

・弥勒
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新聞社で美術展企画を担当する永岡は、独自の仏教美術の魅力にひき寄せられて、ヒマラヤ地方にある小国パスキム王国に単身で潜入する。そのときかつて平和だった王国には、王の側近による政治革命と徹底的な宗教弾圧の嵐が吹き荒れていた。僧侶は皆殺しにされ美術品は破壊された。革命政府に従わぬ村人たちには拷問や制裁による死が待っていた。
永岡は言葉も通じぬままに革命軍に逮捕され、村人たちとともに過酷な強制労働を強いられる。パスキムは架空の国家だが政治状況はカンボジアのポルポト政権による大虐殺、中国の文化大革命がモチーフになっていてリアリティが感じられる。やがて人とふれあい、恐怖政治の生活の中に小さな救いを見出すことができた永岡だったが、疫病や飢饉が村を襲い状況を絶望的なものに変えていく。

弥勒菩薩は56億7000万年後に人間を救いに現れるという未来仏。永岡は美術品としての弥勒菩薩を求めてこの国に入ったのだったが、過酷な経験を経て本当の救いを祈るようになる。

「そこまで言って、笑いが浮かんできた。なんというわかりやすく、目先のことだけしか考えない祈りなのだろう。しかし本来、祈りというのはそうしたわかりやすく日常的なことではないのか。哲学と宇宙と精神だけを語ってすませられる宗教があるとするなら、それもまた衣食足りた者の学問であり遊びに過ぎない。切羽詰ったときにすがれ、救いを与えてくれるからこそ、神であり仏であって、それがなぜ悪いのか。」

篠田節子作品の中でもとりわけ内容の重たさウルトラヘビー級の長編小説。ゴサインタンが良かった人におすすめ。こちらの方が闇が深い感じである。

・ゴサインタン―神の座
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005260.html

・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html

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2008年03月10日

物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室

・物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室
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現代の世界文学を代表する偉大な作家の一人ガルシア・マルケス(とその仲間たち)が、面白い物語の作り方の秘密を明かす。その秘密とは、意外なことに、みんなで議論しながら共同作品としての物語をうみだしていくという斬新な方法であった。小説についても触れられているが、どちらかというと脚本家養成講座である。

ガルシア・マルケスは、プロのシナリオライターの友人たちとハバナに集結し、30分のテレビドラマをつくるシナリオ教室を開いた。誰か一人が原案をつくって披露する。他の参加者たちが、それに突っ込みを入れながら改善していく。真実味がない箇所や、面白みのない箇所に対して容赦なく他のメンバーから指摘が入る。みんなで修正する内容を発案、提案して物語をよりよいものに変えていく。この本にはその議論が二段組で400ページ分も収録されている。

ガルシア・マルケスは随所で議論をリードする。

「こういうストーリーは、現実というのはどの程度までたわめ、歪めることができるのか、本当らしく見える限界というのはどのあたりにあるのかといったことを知ることができるので私は大好きなんだ。本当らしさの限界というのは、われわれが考えているよりも広がりがあるものなんだ。」

このシナリオ教室では本当らしさを複数の創作者の視点でチェックして完成度を高めていく。具体的な議論ばかりなので、本気で物語を作りたいと思う人にとって参考になりそうである。

これがガルシア・マルケスの才能の秘密かと思う記述もみつけた。

「真の創造には危険がつきものだし、だからこそ不安を抱くんだ。本ができあがるだろう、そうすると、不出来なところを見落としているんじゃないかと不安になるものだから、わたしは決して読み返さないんだ。本の売れ行きや批評家の賛辞に目が入ると、みんな、つまり批評家や読者は何か勘違いをしている、実を言うと自分の本はクソみたいなものだということが明らかになるんじゃないかと不安で仕方がないんだ。それに、妙に謙遜して言うわけじゃないが、ノーベル文学賞の受賞を告げられた時、「へぇー、うまく引っかかったんだな、あのお話を信じたんだ」と真っ先に考えたんだ。」

これだけ大家になっても決して緊張感を失っていない。ガルシア・マルケスは頭の中でも、自分の作品を客観的に評価する批評家がいて、この本の内容のような脳内議論が行われているのだろうなと思った。

・2週間で小説を書く!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004901.html

・人生の物語を書きたいあなたへ −回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html

・小説の読み書き
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004878.html

・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html

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2008年03月09日

ロボット

・ロボット
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「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです。」

「ロボット」という言葉は、チェコスロバキアの劇作家カレル・チャペックの作品「R.U.R ロッスムのユニバーサルロボット」ではじめて使われた。発表は1920年のことだった。20世紀後半になると、ロボットという言葉は日常生活でも使われるようになり、モノとしてのロボットの実用化も進んだ。

チャペックが描いた最初のロボットは、きっとブリキのオモチャみたいなものだろうと想像していた。ところが、この作品に登場するロボットは、外観は本当に人間と見分けがつかないし、知性も人間同様に備わっている。機械というよりは人造人間といったほうが近い。

人間の労働を肩代わりするためのロボットの生産工場が作品の舞台である。人間に奉仕するはずのロボットたちが、やがて団結し主人である人間に反乱を起こす。工場設備をのっとり、自ら生産によって増殖するロボットの群れは、人間を次々に抹殺していく。ロボットという存在は、人間の脅威になりうるものとして描かれていた。

生き残った工場首脳部はロボットにみつからぬように逃げ込んだ部屋で議論する。われわれのせいなのだろうか?と。「あんたって人は結構なお方さ!生産の主人公が社長だなんて考えているのかね?そんなことなんて、生産をつかさどっているのは需要です。世界中が自分のロボットを欲しがったのです。われわれはただその需要の雪崩に乗せられていたのです。」

企業が倫理感を持たず市場の要求にこたえるだけの存在になると、技術が暴走して世界が破綻してしまうかもしれないという未来予想と警告の作品である。

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2008年03月03日

ひかりごけ

・ひかりごけ
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普通の人間が、米国の陪審員制度のように、裁判に参加する裁判員制度がもうすぐ開始される。一生のうちに裁判員に選ばれる確率はだいたい67人に1人だそうだ。これ、自分が当たる確率として結構高い数字に思わないだろうか?。

・裁判員制度
http://www.saibanin.courts.go.jp/

この裁判員制度の対象となる事件は軽い犯罪ではなくて、主に殺人罪などの重罪に限定されている。そうなると複雑な事情が絡んだ事件も多いだろう。量刑も死刑にするとか無期懲役にするとかいう深刻なレベルの判断になる。プロの裁判官と協力するとはいえ、果たして一般市民が有罪無罪と量刑を決めて納得のいく結果になるのであろうか?。67分の1と聞いて私は自分が選ばれた場合を真剣に考えてしまった。

裁判員制度を考える材料としてこの問題小説が再発見されていいと思う。

この本の「ひかりごけ」は人間が人間を裁くということの不条理を描いた、武田泰淳の傑作短編小説である。北の海で遭難し飢餓状態に置かれた男たちが、仲間の死体を食べて生き延びたという戦時中の「ひかりごけ」事件を題材に、半分小説で半分戯曲という形式で極限の人間ドラマを描いている。こういうのは裁けない、と思う。

・「ひかりごけ」事件―難破船長食人犯罪の真相
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これは現実のひかりごけ事件のドキュメンタリ。「1943年、陸軍所属の徴用船が厳冬の北海道・知床岬で難破。生き残った船長と乗組員の少年の二人は、氷雪に閉ざされた飢餓地獄を体験するが、やがて少年は力尽きて餓死。極限状況のなか、船長はついに少年の屍を解体して「食人」する。遭難から二カ月、一人生還した船長は、「奇跡の神兵」と歓呼されるが、事件が発覚すると、世界で初めて「食人」の罪で投獄された―。名作『ひかりごけ』の実在する主人公から、十五年の歳月をかけて著者が徹底取材した衝撃の真実、そして事件の背後に蠢く謎とは?太平洋戦争下で起きた食人事件の全容に迫る。 」

・ひかりごけ
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三國連太郎、笠智衆、奥田瑛二、田中邦衛という実にシブいキャストで映像化もされている。(これはまだ見ていないが)。

他に、流人の子孫たちの島で宿命の二人の男が出会う「流人島にて」、修業中の僧侶がとらわれた心の闇がテーマの「異形のもの」、街から漁村へ嫁いだ女がはじめて漁船に乗る話「海肌の匂い」の全4編が収録されている。どれも武田泰淳らしく突き詰めて考えさせる作風でズズンとくる。

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2008年02月27日

シッダールタ

・シッダールタ
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「車輪の下」のヘルマン・ヘッセのもうひとつの代表作。アメリカ合衆国だけで500万部、全世界では43カ国で翻訳され、1000万部を超える大ベストセラーになった。和訳はいくつもあるが、これは2006年に草思社(がんばれ)から出た新訳版。現代人にわかりやすい文章。

仏陀ガウタマ・シッダールタと同じ時代、同じ場所に生きたという設定の別人「シッダールタ」の物語。もう一人のシッダールタも、仏陀と同じように「人は何のために生きるか」の答えを求めて修業に入る。そこで迷い誘惑され中年には世俗に生きる道を選ぶ。そして、老年にいたって再び道を求めて遂に悟りを得る。

この本は仏教の本であると同時に、知識や知恵についての哲学を説いた本として秀逸だと思った。何箇所か感銘した部分を引用してみる。

「「探り求めるとき」とシッダールタが言った。「こういうことが起こりがちです。その人の眼が自分の求めるものだけを見て、その人は何も見いだすことができず、何も心に受け入れることができないということです。その人はいつも求めているもののことしか考えないからです。その人は目標をもっていて、その目標にとりつかれているからです。求めるということは、すなわち目標をもつことです。見いだすということは、自由であること、開いていること、まったく目標をもたないことなのです。」

目標に向かって努力している人は視野が狭くなりがちだという指摘は鋭い。ビジネスのことばかりを考えていると環境や社会のことを忘れがちである。すべてがつながっているということを知る人が見いだす人なのだと、いう。現代のリーダーシップに一番求められていることだと思う。

「シッダールタの心の中で、本当の叡知とは何か、自分が長いあいだ探し求めてきたものは何であるかということについての認識が、自覚が、ゆっくりと成長して花開き、ゆっくりと実っていった。叡知とは、生きているあらゆる瞬間に「一如」の思想を考え、「一如」を知覚してそれと共に生きられるような心構え、心の能力、各個人がもつ技能以外の何ものでもなかった。」(一如=すべては一体で不可分)

しかし、同時に「叡知は人に伝えることができない」ということを悟る。

「それは、『あらゆる真理は、その正反対も同様に心理である』ということだ!つまりこういうことだよ。真理というものは、それが一面的である場合にのみ、表現することができ、言葉につつまれ得るのだ。思想で考えられ、言葉で表現できるものは、すべて一面的なのだ。すべて一面的で半分なのだ。すべて全体を欠き、完全を欠き、全一を欠いているのだ。」

この本は最終章で解脱の境地に至ったシッダールタが語る人生の総括にすべてがある。「愛」とは何か、「時間」とは何か、「人は何のために生きるか」に対して現代日本に生きる私にも説得力のある答えが書かれていた。90年近く前にドイツ人の作家がこれを書いたということに驚かされる。学生時代に「車輪の下」を読んでもスルーだったノーベル賞作家なのだが、こちらはズシンときた。

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2008年02月22日

ルサンチマン

・ルサンチマン 1
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表紙の絵柄がかなり恥ずかしいのだが、根底にはしっかり哲学を感じる内容で、おもしろかった。セカンドライフ的な仮想世界の未来に興味のある人におすすめ。解説本を読むよりもずっと仮想世界の本質を理解できる、かなあ、はず、たぶん。

「主な登場人物 / 坂本拓郎(ボーナス時のスーパーソープランドだけが生き甲斐の30歳。工場勤務。ゲーム中では高校時代のルックスを使用)、月子(拓郎が購入した美少女ゲームのキャラクター)、越後(拓郎の旧友。引きこもり。拓郎に美少女ゲームを教えた先輩格で、ゲーム中では美男子「ラインハルト」に変身)

●あらすじ/2015年。印刷工場に勤める坂本拓郎は、今までずっとパッとしない人生を送ってきた。そんなある日、旧友の越後からギャルゲー(美少女ゲーム)を勧められるが、「現実の女が大事」と言って一度は踏みとどまる。だが、その後も彼が女に相手にされることは全くなく、30歳の誕生日、ついに大金をはたいてギャルゲー道具一式を購入する(第1話)。●」という設定ではじまる漫画全4巻。

・ルサンチマン 2
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ある著名な映画評論家は現実で生きるよりも、映画を観ている時間の方が長かったという話を聞いたことがあるが、仮想世界セカンドライフの表現力が現実と変わらないような没入感を持つようになったら、人間は仮想世界で過ごす時間の方が長くなってしまうかもしれない。

主人公はつらい日常から逃避して、仮想世界の美少女との生活へひきこもる。しかし、ひきこもるというのは外からみた見方であって、本人は仮想世界の中で、まっとうに主体性をもっていきているのである。美少女キャラクターと純愛しているのである。心は本物なのだから、この愛も本物なのかもしれない。そもそも愛って本質的にバーチャルなのであるよ、なんてことをいろいろと考えさせられる。

・ルサンチマン 4
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仮想世界では美少年のアバターで華麗な生活を送る主人公の主観世界と、ゴミためのような部屋でヘッドセットディスプレイをかぶり、全身を覆う体感スーツ(性感用のデバイスも装着)を来た主人公がいる客観世界を交互に描く。最初は大きかった、ふたつの世界の隔たりは、やがて両側からその壁を突き破っていってひとつになる。そりゃどんな世界かというと、実際に漫画を読んでみてみてください。

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2008年02月18日

ゴサインタン―神の座

・ゴサインタン―神の座
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山本周五郎賞を受賞した篠田 節子の代表作。

地方の名士として代々続いてきた農家の後継ぎ結木輝和は40を過ぎて独身であった。農家に嫁いでくれる嫁を探して見合いを続けたが失敗続き。そこでアジアの花嫁仲介業者の世話になって、ネパールから若い妻を迎えることになる。彼女の名前はカルバナ・タミ。輝和は耳慣れない名前を嫌って自分のかつての意中の女の名前「淑子」と呼んだ。淑子は日本語も満足に話せぬまま結木家に入った。旧家の一族は彼女を日本の生活に馴染ませようとするのだが、やがてそのプレッシャーが淑子の秘めていた「生き神」としての能力を発動する。

文庫650ページの壮大な物語の冒頭はそんな風に始まる。農家へのアジアの花嫁お見合いの話はニュースなどで耳にするが、実態が生々しく書かれていて、週刊誌の特集的な好奇心で読み始めた。やがて淑子が不思議な力で家を滅ぼし、生き神教祖として変貌していく部分はホラー作品風でもあり緊張感あふれる展開である。後半の淑子を追ってのネパール行は魂の再生がテーマの精神世界の話になる。どれだけこの作家は知識のひきだしをもっているのだろうと感心する。

・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html


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2008年02月13日

祝福

・祝福
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芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久とカメラマン坂本真典のコラボレーション。

恋愛小説+蓮の写真集。

30を過ぎたライターの男と、日本で働く中国人の若い女性が、蓮の花が咲く上野の池で恋に落ちる。

ふたりが出会い、意識し、恋が芽生えて、熱愛に燃えるようになる様子が、蓮が芽吹いて育ち、蕾をつけて花開いていく写真に重ねられている。そして枯れて種を散らして次の春を静かに待つ蓮が、後半の波乱含みの展開では写しだされる。

バラでもタンポポでもなくて蓮の花。挿入された写真は1万7千枚も撮影した中から選ばれたという。蓮はその一生の中で時期によってまったく違った姿態をみせる。清純でありながらエロティックであり、儚いようでいながら力強いのである。それがふたりの恋愛や人生にうまく重なっている。

官能的な濡れ場の描写を読んでページをめくると、そこには咲き誇る花弁の写真がある。実にいやらしい。水滴に濡れた、薄紫の花弁の筋が、植物のようではなくて、息をしているようにみえてしまう。これが写真だけだったら違った感想だったろう。官能小説で秘所を花弁とか花芯とかいうけれど、まさにそのまま可視化してしまったわけである。エロい。

引用されていた錬金術師パラケルススの言葉が印象的だったのでメモ。「花々がどのように惑星たちの運行に従い、月の相に従い、太陽の循環や遠い星たちに感応して花弁を開くか、気づきなさい。」。

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2008年02月06日

空中スキップ

・空中スキップ
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文句なしで5つ星の短編集。漠然と面白い読み物を探しているなら、これがおすすめ。

自分を犬だと思い込んでキグルミを来た男に餌をやる家族の話だとか、ある日世界中で子供が生まれなくなってしまった騒動の話だとか、母親のために心臓の提供を迫られる息子の話だとか、普通の世界と少しずれた設定で始まる話が多い。その最初のなにかへんだなという亀裂がしだいに大きく広がって世界を覆いひっくり返す。

収録作品は341ページの本に23編だから、一話あたり15ページに満たないショートショート。奇想天外の世界観に幻惑される読書体験が23回。その短い枠の中で、どの作品にも読者の期待を裏切らない裏切り方が待っている。シュールでブラックな作風だが、同時にどことなくコミカルなので、気分が暗くならずに、次々に読み進めやすいのもいい。

23話中8割くらいの確率で個人的には大ヒットだった。1973年生まれの作家でまだ作品数は僅かだが、たいへんな大物に成長しそうな予感がする。基本は偏執妄想系だが、文体は湿度がとっても低くて、実にあっけらかんとしている。その食感がたまらない。

翻訳もよいのだと思う。

空中スキップの原題は「Flying Leap」。飛びながら跳躍する。まさにそんな読み心地の本だ。私って空を飛べるかもと思いついて跳んでみたら本当に空を飛べてしまってその先にあった物語という感じ。そういう夢のような跳躍を次々にリズミカルに読む短編集という意味でも、この空中スキップという訳語はすごく適切だなと思った。

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2008年01月22日

浅野 いにお 「おやすみプンプン」「素晴らしい世界 」「ひかりのまち」「ソラニン」

最近、はまっている漫画家のひとりが浅野 いにお。まだ20代らしいが将来の大物登場の予感。

おもに現代の若者たちの明るくない青春を描く。

多くの作品では、先行きが見えない日本の社会や、人間関係が希薄な都市生活、機能不全に陥っている学校などが舞台になっていて、格差やニートやいじめや自殺など、あらゆる日本の諸問題が背景にでてくる。社会のゆがみやひずみに翻弄されつつも懸命に生きる人たちが主役である。

多面的、多元的に世界を描くことで、陥りがちな「説教臭さ」を回避している。たとえば「ひかりのまち」「素晴らしい世界」はひとつの世界を舞台にした連作短編で、話ごとに主人公が変わる。前回のわき役が次回の主役になったりする。前回に主役を襲った通り魔やストーカーが、次の主役になったりするのだが、どちらの視点にもリアルな諸事情があって、いつのまにか対立する価値観の双方に感情移入してしまった。

物語を語る技法も凝っている。伏線張りまくりの群像劇が多いのだが、表現でも大胆な挑戦をして成功している。たとえば「おやすみプンプン」は主人公がぺらぺらの紙として描かれる。名前だって「プンプン」だから匿名みたいなものだ。第1話を読んだとき、こんなに主役の姿を記号化してしまったら厚みが出ずに長編は厳しいのでは?と思ったが、顔がないことで、いつのまにか昔の自分=プンプンという風な想いで読むようになっている。技巧派なのだけれども、技がいきていて、読者はすっと世界観に入りやすいのだ。

浅野 いにおが描く漫画の内容は、時に絶望的であったり猟奇的であったりするのだが、、バッドエンドでも救いを残す終わり方をする、というか、ぼんやりと明るい方向で終わるものが多い。だから安心して読めるのが、私がはまった理由でもあるなあ。

以下、代表的な作品をおすすめの順で並べてみた。

・おやすみプンプン 1
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実験的表現技法が成功した印象的な作品。小学生のプンプンが現代にありがちな家庭の不和や学校の事件に巻き込まれながら成長していく姿を描く。まだ連載中だが既刊の2巻で小学生編が一区切り終わる。

・素晴らしい世界  1
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浅野いにおの基本スタイルが一番典型的にでているのがこの連作短編かなあと思う。複眼的に現代社会に生きる人々を描いた群像劇。全2巻。

ひかりのまち
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新興住宅地で自殺したい人をネットで見つけてはその幇助をするのが趣味の子どもと、それを取り巻く不気味な大人たちの人間模様。

・ソラニン 1
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映画化決定。バンドの成功を目指して挫折した若者と、彼を応援して同棲中の彼女が、なんとか将来に希望を持って生きようとするのだけれど...。全2巻。

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2008年01月14日

臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ

・臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ
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「臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」

まずタイトルをどう読むんだという話である。

「臈たし」は「らふたし」で、意味は大辞林によると、

[1] (女性が)洗練されて美しくなる。優美である。
[2] その道の経験を積む。年功を積む。

という意味である。

わからない人は辞書をひけばいいし、辞書を引きたくない人は読まなければいいのである。そういうスタンスで書かれているのだから。

素直な感想として、これはノーベル賞作家大江健三郎の到達点とその限界を同時にあらわすような作品だなあと思った。この人は数十年間同じものを書いている。この作品も偉大なマンネリである。いつものパターンである。

例によって大作家としての自分と障害を持つ息子が登場する。ふたりの穏やかな生活のかく乱者として旧友が登場する。自分と旧友は過去に痛ましい暴力事件を経験して、強烈なルサンチマンをも共有している。自分らの出自である四国の森の、神話的な伝承と現実が二重写しになって、象徴的なイメージを結ぶ。そのイメージに喚起されてコトを起こしたり、癒されたりする。そして物語の通低音のように繰り返される欧米文学の引用がある。今回はそれが「臈たし」云々なのであった。

まるで新しい挑戦がないのは、ノーベル文学者として正しい戦略なのかもしれない。大江健三郎の文学とは水戸黄門なのだ。もはや読者は期待を裏切る新展開を求めてはいない。編曲、変奏のバリエーションをみて満足したいのである。読者は数十年間も大江健三郎の作品につきあううちに年齢を重ねている。対象はマンネリとはいえ感じ方が違ってくるし発見もある。そこで勝手に深みを発見して感慨深くなったりするのである。

そういう意味で、長年の読者としては水戸黄門的に結構面白かった。今回もひきこまれた、というのが素直な感想だが、日本を代表する大文学者なのだから、「治療塔」くらいまで戻って、新しい形式に挑戦してくれてもいいのではないか、と思ったりもする。

・さようなら、私の本よ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003990.html

・日本語と日本人の心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004782.html

・「伝える言葉」プラス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004794.html

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2008年01月10日

ちいさなちいさな王様

・ちいさなちいさな王様
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ドイツでベストセラーの大人のための絵本。

「しばらく前から、ほんの気まぐれに、あの小さな王様が僕の家にやってくるようになった。王様は、名前を十二月王二世といって僕の人差し指くらいの大きさしかないくせに、ひどく太っていた。白いテンの皮で縁取りされた、分厚い深紅のビロードをいつも着ているのだが、おなかのところははちきれそうだった。」

この小さいけれど立派な王様と、平凡な日々を暮らす「僕」が対話する。

王様の世界では、子ども時代が人生の終わりにある。王様の世界では、人はすべてができる大人として生まれ、日々少しずつ小さくなっていく。経験をつむたびにいろいろなことを忘れていく。最初はできたことが次第にできなくなっていく。でも王様の世界では小さければ小さいほど偉いとされるので、ちいさなちいさな王様はふんぞりかえっているのだ。

それをへんだという「僕」におまえたちと大して変わらないのだと返す。普通の人間は大人になるにつれて知識や経験が増える一方で、想像力や可能性はどんどん縮んで小さくなってしまうのだから、と。

そんな出だしで始まる王様と僕の物語は、各章が大人が忘れてしまうことを思い出させるレッスンになっている。途中に十数枚の象徴的な挿絵が用意されていて、王様の世界観に視覚的にひきこんでいく。作画は寓話の絵で定評のあるミヒャエル・ゾーヴァ。(私がこの本を買ったのは、ゾーヴァが気になっていたから。)

装丁もうつくしい本なので、大切な人や後輩へのプレゼントにもよさそう。

・ミヒャエル・ゾーヴァの世界
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「1枚の絵から立ち上がる不思議な物語。笑いに満ちた空間。可愛らしさの奥にちらりと漂う毒気。ただならぬ気配。こみあげる懐かしさ。出版・広告・舞台・映画へとその活躍の場をひろげるベルリンの画家ゾーヴァが日本の読者のために語りおろした、絵について、人生について。独特のオーラを放ち、絵の前に立つ者を立ち去りがたくする作品を発表し続けるミヒャエル・ゾーヴァが自作を語る。未発表作品も含めた代表作45点を掲載。

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2008年01月07日

ミノタウロス

・ミノタウロス
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20世紀初頭のロシアを舞台にした大河小説。田舎の地主の家に生まれた若者が、戦争と革命の波に飲まれてすべてを失い、悪党として獣のごとく生き抜いていくようになる様子を描いている。

ロシアの文豪の作品を一流の翻訳者が訳したかのような格調高い文体にまず驚かされる。佐藤亜紀という著者名を隠して、ロシア作家の遺稿の翻訳物として売り出したら、これが国産だと見破れる読者は少ない気がする。日本人が書いた外国文学といえる。

翻訳物を模倣した文体の技だけでなく、リアリティを持った登場人物の時代設定と描写、骨太で破たんなく展開していく歴史小説としての完成度も一級品である。特に後半の無政府状態の混沌とした状況の中で、前半で張られた伏線の収束効果で加速して、クライマックスへと向かっていくスピード感がよかった。

疾走感こそこの作品の本質だと思う。本物のロシアの大河小説というと、名前が覚えにくい登場人物が多数登場して、何本もの筋が錯綜しがちであるが、ミノタウロスは日本人が書いたせいか、その点がやけに読みやすくできているように思う。重厚なのだが、ページをめくりやすい。

「本の雑誌」で年間ベストに選ばれるなど、本好きや評論家にかなり高く評価されている一冊。

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2007年12月20日

閉鎖病棟

・閉鎖病棟
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最近、過去の傑作小説の発掘に凝っている。これは10年前発表の作品。「閉鎖病棟」とは重い症状の精神病患者のための病棟のこと。

「とある精神科病棟。重い過去を引きずり、家族や世間から疎まれ遠ざけられながらも、明るく生きようとする患者たち。その日常を破ったのは、ある殺人事件だった…。彼を犯行へと駆り立てたものは何か?その理由を知る者たちは―。現役精神科医の作者が、病院の内部を患者の視点から描く。淡々としつつ優しさに溢れる語り口、感涙を誘う結末が絶賛を浴びた。山本周五郎賞受賞作」

殺人や自殺未遂など、暗い過去を持つ登場人物たちが、閉鎖された空間の中で展開する人間再生ドラマ。心を病むに至った患者たちの苦悩の半生はそれぞれ印象深い物語であり、登場人物たちのキャラクターに感情移入しやすくなる。そして静かな病院生活の中で起きた小さな波紋が、次第に緊張感を高めて、大きなカタストロフへ向かっていく。

精神病院を舞台にしたドラマというと映画「カッコウの巣の上で」を思い出した。

・カッコーの巣の上で
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「刑務所の強制労働から逃れるために精神疾患を装って精神病院に入所させられた男の巻き起こす騒動と悲劇を描いた、ケン・キージーのベストセラーを映画化した作品。 」

この映画も最高だったが、カッコウが動だとすれば、閉鎖病棟は静の物語として素晴らしい。なおテイストが似ているので東野圭吾の「手紙」が好きな人に特にお勧め。

・手紙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004787.html

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2007年12月18日

高熱隧道

・高熱隧道
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昭和42年に出版された吉村昭の傑作。

昭和11年から15年にかけて行われた黒部ダム第三発電所の難工事を、綿密な取材と調査で再現したドキュメンタリ小説。建設予定地は地元民でも近づかない険しい山奥であることに加えて、温泉湧出地帯で岩盤温度は165度にも達する。その超高熱の地下にダイナマイトを持った人間が入っていってトンネルを掘る。過酷な作業環境に加えて、厳しい大自然の脅威が彼らを襲う。

当然、日常的に人が死ぬ。

つぎつぎに300人の犠牲者をだしながらも、国策の名のもとに大工事は強行されていく。そんな状況のなか、悲壮な覚悟で工事完遂を目指した技師たちの視点で物語は語られる。プロジェクトの前に立ちふさがる技術的な難問を創意工夫と協力で、幾度も乗り越えていく様子は男のロマン、プロジェクトXのよう。

その一方で技師たちの判断を信じて、悲惨な死に方をした労働者たち屍の山が積みあがっていく。それでも工事を進めなければならない技師の心の葛藤。記録文学として淡々と語る文体だが、数ページおきに一人死亡するような内容の過激さに、手に汗握る感じであっという間に読める小説だった。

吉村昭の代表作のひとつに数えらるだけあって、歴史的傑作と思った。ついでに感動するのがコストパフォーマンス。これだけのドラマを420円で買えるのだから文庫本ってえらいとおもう。

ちょうど本の雑誌が文庫特集号を発売している。買ってきた。面白そうな本を正月に読もうとリストアップ中。

・おすすめ文庫王国2007年度版
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「年末恒例の本の雑誌増刊「おすすめ文庫王国」。今年はとことんベストテンにこだわり、人気の桜庭一樹のオールタイム文庫ベストテンから、ブーム到来警察小説ベストテン、はたまた藤沢周平の作品からベストテンを決めちゃう大胆な展開。もちろん企画ものも健在で「文庫版元番付をつくる」や「都内2書店売上ベスト100比較」など。これ1冊で読みたい文庫本が10冊は絶対見つかるでしょう。 」

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2007年12月10日

円朝芝居噺 夫婦幽霊

・円朝芝居噺 夫婦幽霊
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著者の「辻原登」は作中で、明治の噺家 三遊亭円朝の幻の傑作「夫婦幽霊」口演の速記原稿を発見する。古い速記法の解読を進めるうちに、物語の内容だけでなく、その原稿に隠された秘密が明らかになっていく。その顛末の報告と「夫婦幽霊」現代語訳の公開がこの話の主な内容である。

フィクションであるから、著者が原稿を見つけたというのがまず嘘だし、幻の傑作も作者の偽作なのである。しかし、作中人物の多くは実在した本物であり(作中の著者自身もそうだが)、他の文学作品や史実の中に名を残している人もいる。どこからが真でどこからが偽なのかわからない宙ぶらりんの中での「夫婦幽霊」の語り。

語りの次元がいつのまにか変わっているような、地と思っていたら図であったというような、構成の妙という点では「アサッテの人」、さらに時代モノという点では「吉原手引草」などの最近の文学賞作品に共通する。

・アサッテの人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005112.html

・吉原手引草
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005110.html

こうした知的からくりの面白さと同時に、幻の作品「夫婦幽霊」の出来が本当に素晴らしいことが、この作品を傑作にしている。作中で芥川龍之介が言う「先生、およしなさい。論(セオリイ)はいけません。物語(ロマンス)をお書きなさい。円朝をやりなさるんならセオリイだけではいけません」。これはこの作品についてのメタ言説なのだろう。
たいへんな知識量と書き手としての技芸がないと、この作品は書き得ない。この小説は「これはすごい」である。

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2007年12月09日

死者の書・身毒丸

・死者の書・身毒丸
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「古墳の闇から復活した大津皇子の魂と藤原の郎女との交感。古代への憧憬を啓示して近代日本文学に最高の金字塔を樹立した「死者の書」、その創作契機を語る「山越しの阿弥陀像の画因」、さらに、高安長者伝説をもとに“伝説の表現形式として小説の形”で物語ったという「身毒丸」を加えた新編集版。 」

高名な民俗学者 折口信夫が書いた歴史小説のようなもの、である。本文は旧かなづかいで書かれていて、本格の学者が偽書を敢えてつくろうとしたようにも思えるが、研究の間の手すさびというには終わらない作品としての完成度を持っている。

併録された自身による小説の解題「山越しの阿弥陀像の画因」で、著者は執筆動機と意図についてこう書いている。

「渡来文化が、渡来当時の姿をさながら持ち伝へていると思はれながら、いつか内容は、我が国生得のものと入りかはっている。さうした例の一つとして、日本人の考へた山越しの阿弥陀像の由来と、之が書きたくなった、私一個の事情をここに書きつける。」

「まづ第一に私の心の上の重ね写真は、大した問題にするがものはない。もっともっと重大なのは、日本人の持って来た、いろいろな知識の映像の、重なって焼きつけられて来た民俗である。其から其間を縫うて、尤もらしい儀式・信仰にしあげる為に、民俗々々にはたらいた内存・外来の高等な学の智慧である」

「死者の書」というと古代エジプトのそれが連想される。実際、昔の単行本版の表紙絵はエジプトの壁画風なものだったようだ。この物語に出てくる霊のイメージは、最初は死者の魂なのだが。顕現するときには阿弥陀という仏教の姿で出てくる。死んだら仏。日本の死生観は神仏習合なであり、和・漢・洋の死生観の重ね焼きでもあり、多くの外来要素が詰め込まれている。しかし、それが全体として調和して、日本の霊性の世界を作り出している。

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2007年11月22日

神鳥―イビス

・神鳥―イビス
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「夭逝した明治の日本画家・河野珠枝の「朱鷺飛来図」。死の直前に描かれたこの幻想画の、妖しい魅力に魅せられた女性イラストレーターとバイオレンス作家の男女コンビ。画に隠された謎を探りだそうと珠枝の足跡を追って佐渡から奥多摩へ。そして、ふたりが山中で遭遇したのは時空を超えた異形の恐怖世界だった。異色のホラー長編小説。」

直木賞作家 篠田 節子の93年の作品。

登場人物のキャラクターが俗っぽいため、シリアスな民俗ホラーには向かないんじゃないかと思いきや、後半の臨場感は半端ではなくて、コミカル要素はほどよい中和剤として作用している。ホラーとして傑作である。

呪われた日本画をめぐる怪奇がテーマだ。強烈な映像を見ると焼き付いてしまい、しつこくイメージが記憶から立ちあがってくるという体験はだれしもあるのではないか。視覚を通して何かに取り憑かれる、見たものに捉われて狂っていく恐怖はそんな普通の体験の延長線上にあるように思えてリアリティを感じた。

ところで「神鳥」と書いて「イビス」と読ませる根拠を調べていたら、もともとはイビスは太陽神を導く朱鷺の頭をしたエジプトの神だということがわかった。朱鷺というと絶滅寸前の保護動物という印象があるが、実物の写真を見てみると、何を考えているのかわからない顔がかなり怖いことに気がついた。

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Wikipediaより画像引用

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2007年11月01日

カフカ短篇集

・カフカ短篇集
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カフカの「掟の門」は、ほんの数ページの作品なのに、強烈に印象に残り、何度も反芻しながら、意味を考えさせられる。読書会でも開いたら何時間でも討論できそうである。

「掟の門」。男がいる。彼は「掟の門」の前で、大男の番人に阻まれ入ることができずにいる。「いまはだめだ」と言われ続けて、男は長い年月、門番が入ることを許してくれるのを待ち続けた。そして年をとって命が尽きはてようとしている。

「「この永い年月のあいだ、どうして私以外の誰ひとり、中に入れてくれといって来なかったのです?」いのちの火が消えかけていた。うすれていく意識を呼びもどすかのように門番がどなった。「ほかの誰ひとり、ここには入れない。この門は、おまえひとりのためのものだった。さあ、もうおれは行く。ここを閉めるぞ」」

そこから人生の教訓のような普遍的なものを読み取ることができるし、カフカの時代の社会や政治背景と紐づけて何かを読むこともできる。フロイト流の精神分析論を展開することもできる。カフカは生前にほとんどの作品を公開することなく逝った作家なので、何が著者の意図だったのかは確定できない。この多義性と不確定性がカフカの不条理の面白さなのだなあと改めて思った。

この短編集の収録作品では「掟の門」「橋」がおそらく一般的な人気作品だと思うが、私が一番好きなのは「こま」だ。たった2ページ、1シーンだけの超短編だ。ある哲学者が子供たちの回すこまをじっとみている。回っているこまをつかもうとする。

「つまり彼は信じていたのだ。たとえば、回転しているこまのようなささやかなものを認識すれば、大いなるものを認識したのと同じである。彼は大問題とはかかわらなかった。不経済に思えたからである。ほんのちょっとしたささやかなものでも、それを確実に認識すれば、すべてを認識したにひとしい。」

ここを読んでいて、電車をひと駅乗り過ごしてしまった。

超短編が多いので、移動や休み時間に読みやすい。

「火夫」は珍しくドラマチックな展開をする。「万里の長城」は政治や経営の哲学考察として読める。

【収録作品】

掟の門
判決
田舎医者
雑種
流刑地にて
父の気がかり
狩人グラフス
火夫

バケツの騎士
夜に
中年のひとり者ブルームフェルト
こま

町の紋章
禿鷹
人魚の沈黙
プロメテウス
喩えについて
万里の長城

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2007年10月27日

よもつひらさか

・よもつひらさか
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短編ホラー集。怖いというより、不思議な話が多い。

ふたつの意味で粒ぞろい。まず尺の長さが粒ぞろい。本編は約370ページで12編だから、一作あたり約30ページである。1時間に2本か3本読めるこのボリュームは、通勤時間や休み時間にちょっと読むのに最適だった。そして、各作品の完成度も高レベルで粒ぞろい。一編を読むともう次も読みたくなる。はずれがなかった。

主題は幅広い。幽霊、ドッペルゲンガー、のろいなどのオーソドックスなオカルトものから、猟奇犯罪やネットストーカーまでバリエーションがある。個人的には最後に収録された表題作の「よもつひらさか」が好きである。現世と黄泉の国の境界にあると言われる坂に迷い込んだ男の話。諸星大二郎の漫画好きには特におすすめ。

黄泉比良坂は神話上の場所であるが、島根県東出雲町にある伊賦夜坂がそれであると比定されており、現地には石碑も建っているらしい。一度行ってみたい場所であるが、なかなか島根県に行く用事がないのであった。来年こそは出雲大社と一緒に見に行くぞ、と計画中。

・黄泉比良坂物語 
http://www.town.higashiizumo.shimane.jp/1497.html

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2007年10月24日

青い鳥

・青い鳥
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重松清、学校を舞台にした8本の短編連作集。傑作。

私は小学校も中学校も高校も、学校生活というものが嫌いで、毎朝、行きたくないなあ、と思っていた。登校時間は本当に憂鬱だった。教室に友達がまったくいないわけでもなかったけれど、同質な「みんな」の輪に入るのは苦手で、一人でいることが多かった。小中と長期の欠席が日常茶飯事で「義務」でなくなった高校は1年行かずに中退した。私の人生はどうなっちゃうんだろうと自分でも思ったが「みんな」には同化したくなかった。落ちこぼれでいいから、私はみんなと違う存在でいたかった。家や図書館でひとり、本ばかり読んでいた。ああ、なんと寂しく惨めな少年時代...。

学校が大好きだったという人も世の中には多い。ウチの妻などはそうなのだ。だから小学校や中学校のお互いの思い出を話したりすると、基調においてかみ合わない。私は学校というのは嫌なところだった、教師は敵、やれやれ大人になって良かったよ、という”恨みマイナー調”で話す。妻は大切な青春時代の一コマ、あの先生どうしているかな、できれば戻ってみたいなんて考えているのであろう、”幸福メジャー調”で話す。メジャーとマイナーが衝突し、この話題では常に平行線をたどる。最近はそれが我が家の子供の教育方針問題において、火種となりかねない不穏な様相をみせている、のであった。(まあ気にしませんがw)。

で、この本は私と同じように、学校が嫌いだった人に、おすすめである。

選択国語の臨時講師、村内先生の短期赴任先は、いじめや自殺、学級崩壊や児童虐待などの問題を抱えた問題クラスばかりである。吃音でうまくしゃべることができない先生は、最初の授業から好奇の眼で見られ、からかわれて、迷惑だとまで言われる。だが、村内先生は、多くをしゃべれない代わりに、生徒に寄り添い、たいせつなことだけを話す。孤独な先生だからこそ、孤独な生徒に語りかけることができる。

問題学級を渡り歩く、吃音でうまくしゃべれない臨時の国語講師。かなり寓話的な初期設定だが、8本の連作の中で、少しずつ、そのキャラの存在感が濃くなっていく。村内先生ならきっとこういうときには、こういうにちがいない、なんていう想像ができてしまう。重松清はまったく新しい教師の理想像を確立したと思う。これテレビドラマや映画にしたら、金八先生や夜回り先生を超える名キャラクターになりそうだが、学校好きのマジョリティには、あんまり受けないのかなあ?。

・送り火
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005057.html

・ビタミンF
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005084.html

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2007年10月11日

十牛図―自由訳

・十牛図―自由訳
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禅の悟りに至る道を、十枚の牛の絵を使って表したものが十牛図である。

この牛とは自分の心を象徴しており「心牛」である。人は失われた牛を探し求め、見つけ、手なずけ、連れ帰り、牛を忘れ、自分も忘れて、悟りの境地に至るのだ、という内容。詳しくは目次にあるとおり。

自由訳 十牛図(じゅうぎゅうず)のもくじ

第一図 尋牛(じんぎゅう) 牛を捜しにゆく
第二図 見跡(けんせき) 牛の足跡をみつける
第三図 見牛(けんぎゅう) 牛を見つける
第四図 得牛(とくぎゅう) 牛をつかまえる
第五図 牧牛(ぼくぎゅう) 牛を飼い馴らす
第六図 騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗って家に帰る
第七図 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん) 牛は消え私だけがいる
第八図 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう) 人も牛もいなくなる
第九図 返本還源(へんぼんかんげん) 生まれ変わる
第十図 入てん垂手(にってんすいしゅ) 俗に入り教化する

それぞれの絵には教えの漢文漢詩がつけられている。十牛図の自由訳、現代語訳は他にも複数出ているが、これは「千の風になって」の新井満による自由訳。原典のコンセプトを守りながら、できるかぎりわかりやすい日本語で訳すというコンセプトで貫かれている。イメージ写真や、章ごとの重要部分のまとめもあって、とっつきやすく、読みやすいのが特徴である。

「本書は悟るための手引書です。どうか本書を活用して一日も早く悟ってください」と著者は帯に書いている。やさしい日本語になっているが、当然、読めば誰でも悟れるわけはない。やはり第七図以降の理解が難しいと思う。全身全霊で分かった!という「大悟」段階の先は、頭でわかるという次元を超えてしまうからである。だからこそ昔の人は言葉ではなく絵にすることで、悟りのツールとしたのだろう。

悟れるかどうかはともかく、何らかの求道者であれば、共通の極意として受け取れる古典だなあと思った。30分で本文を読んで、そのあと2時間くらいその意味を考えてみる。そういう読み方で読む本だと思う。

・現代語訳 般若心経
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004792.html
・タオ―老子
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004803.html
・現代語訳 風姿花伝
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005081.html

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2007年10月10日

箱舟の航海日誌

・箱舟の航海日誌
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初版は1925年だから80年以上前だ。医師で神秘思想家のケネスウォーカーのロングセラー作品。イギリスでは児童文学の古典として読まれているが、日本ではほとんど知られていないという。旧約聖書のノアの箱舟をベースにした別バージョンを、子供向けにわかりやすく語る。

ノアが箱舟をつくり、あらゆる動物を乗せて漂流するという骨子は、旧約聖書の原作通りなのだが、動物たちが意思を持ち、しゃべっている点がまず違う。救われるべき動物たちは、無垢な存在で箱舟ではオートミールの食事を食べている。漂流中の不便に多少の不平はあっても、みんなで仲良く暮らしていけるはず、だった。

一頭の「スカブ」という、禁断の肉食動物が紛れ込んでいたことから、物語は妙な方向へ展開していく。はじめは根暗で陰気な存在に過ぎなかったスカブだが、しだいに箱舟の動物社会に不穏な空気を広め始める。動物社会の分裂。そして、聖書の中では語られなかったノアの方舟の大航海の真相がここに明かされる。

本来は児童文学なのだが、大人のための寓話として、随分と考えさせられる小説である。最初は良き意図を持って秩序正しく暮らしていた社会が、小さなきっかけから、次第に悪徳に魅せられるものが増えて、堕落していくという、人間社会の普遍的な様子を描いている。

もともとスカブは、根っからの悪魔的存在ではなく、ある偶然で、肉食という本能に目ざめることになった弱者である。生来の悪人ではなかったのだが、結果的には悪の扇動者になってしまう。悪の起源とは何か、なぜ人は悪徳に魅かれることがあるのか、なぜ社会は分裂していくのか、など、子供向けの文学であるが、背景で扱われているテーマはどれも大きくて深い。

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2007年10月02日

・凍
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東京ー名古屋の新幹線で読んだ。往路でも復路でも物語の中に心は引き込まれて、気づいたら目的地だった。沢木耕太郎の傑作。

登山家の山野井泰史・妙子夫妻が2002年に体験した、壮絶なヒマラヤ登山のドキュメンタリ小説である。このふたりはテレビや新聞で紹介されているのを見たことがあった。夫妻は手や足の指を、何度も凍傷で失っている。妙子夫人は両手両足で合計18本を切断しているそうだ。常人であればそれだけで大変な障害で、日常生活にも支障をきたすと思うのだが、彼らは困った風にさえ見えない。その後も難しい登山に積極的にチャレンジしているのだ。どうなってるの?と不思議に思った記憶がある。

この小説を読んで、その心理が少しわかった気がする。死と隣り合わせで心身の限界に挑戦しているときに、一番の生の充実を感じる人たちなのだ。夫妻がふたりとも、アドレナリン駆動の人生を選んでいるから勢いは倍増して、冒険は加速していく。

数年前にみた映画「運命を分けたザイル」を思い出した。ストーリーはかなり似ている。限界を超えて、超えて、超えて。人間の生きる力。「凍」に通じる感動がある。

・運命を分けたザイル
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「アンデス山脈にある前人未到のシウラ・グランデ峰登頂に挑んだジョーとサイモン。しかし天候の悪化によって、ジョーが片足を骨折する。サイモンは、2人とも命を落とすか、あるいは動ける自分だけが助かるべきかで悩み、ジョーとの命綱であるザイルを切る選択に迫られる。実話を基にしたノンフィクション文学のベストセラーを、ドキュメンタリーかと見紛うような映像で再現した一作。」

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2007年09月30日

アサッテの人

・アサッテの人
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第137回芥川賞受賞、第50回群像新人文学賞のW受賞作。整理されていない文章に首をかしげながら読み進めると、後半で、すべては計算済みの作者の作戦だったとわかるインテリ文学。

この物語の主人公である「叔父さん」はときどき、今日の世界とは断絶した「アサッテ」の世界に生きている。日常会話の中で唐突に「ポンパ」「チリパッパ」「ホエミャウ」と意味不明の、本人にしかわからない言葉を挿入して周りを驚かす。

叔父の残した日記にその経緯を読み解いていくのがこの小説の筋である。「世界から疎外されている」という意識と「世界に囚われている」という意識はだれしもが持つものだと思うが、その矛盾を突き詰めると逃げ場がなくなる。アサッテにとりつかれた叔父は、より純粋なアサッテを追い求めて、壊れていく。

現実と断絶したアサッテというのは狂気の入口であると同時にクリエイティビティの源泉でもあると思う。アサッテの人で連想したのが最近見た写真集「私は毎日、天使を見ている。」の奇妙な美であった。

・私は毎日、天使を見ている。
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エルサルバドルの精神病院の患者のポートレート中心の写真集である。タイトルは患者の言葉である。精神病院をテーマにする写真集は、写真史上はよくあるのだが、最近ではレアである。人権や肖像権の問題があって作るのが難しくなった。患者たちの純粋な、でもどこかアサッテな目が印象的である。無垢でも邪悪でもない、意味が読み取れない目なのである。

・渡邉 博史 I See Angels Every Day. 私は毎日、天使を見ている
http://www.hiroshiwatanabe.com/HW%20website%20Folder/Pages/Angels/Angels%20thumbnails.html
著者のサイトで写真を見ることができる。

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2007年09月26日

沈黙のフライバイ

・沈黙のフライバイ
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第38回星雲賞日本短編部門受賞作「大風呂敷と蜘蛛の糸」を含む5作品収録の短編集。

2001年の小惑星エロスへの、NASAのシューメーカー探査機着陸成功のニュースはまだ記憶に新しい。小惑星の地面の写真が地球に送信されてきたのが衝撃的だった。人類の異世界への接触。月面着陸のように、一般の新聞やテレビでそれほど大きな話題にならないのが不思議であった。

・Final NEAR Shoemaker Descent Images of Eros from 2001 Feb 12
http://near.jhuapl.edu/iod/20010214/index.html
写真が公開されている。

「轍の先にあるもの」はこの画像にインスピレーションを受けた作者が、ネット上で科学者たちとの議論をヒントに書いた未来科学小説である。このニュースを見た若手研究者がやがてその謎を解明するべく宇宙へ飛び出すまでを描いている。作品中には本物の画像も引用されており、現実と想像がシームレスにつながっていく。

野尻抱介の作品の登場人物は、日本のオタク型理系人間の良さが出ているなあと思う。地味で淡々と緻密。派手なアクションはせずに、知的に静かに興奮する。理性的判断を優先し、人間関係の距離を保つ。決して海外SFの主人公みたいに、情熱や正義感に駆られて、英雄的な行動に出たりはしない。主役としての、日本人の研究者の描き方がリアルに感じるのである。理系の研究者の20年後、30年後として、本当にありえそうな気がしてくるのである。

グレッグ・イーガンやテッド・チャンがどんなにSF作家として天才であっても、日本人が主役のリアリティというのは望めそうにない。この人にはこれからも日本人のSFを頑張って書いてほしいなあと思う。

宇宙エレベーターの建設手法や、凧をつかった大気圏脱出手法など、新しい考え方が示されていると同時に、わかりやすい点も素晴らしい。

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2007年09月25日

匂いをかがれる かぐや姫 ~日本昔話 Remix

・匂いをかがれる かぐや姫 ~日本昔話 Remix
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一寸法師、かぐや姫、桃太郎の3つの昔話テキストを、まず英語に自動翻訳してから、さらに何本かの翻訳ソフトを経由して、日本語に再翻訳する、という手順で、不思議な「新・昔話」ができあがった。

一寸法師の出だしはこんな風である。

【原文】
昔々のことです。ある村に、子宝に恵まれない仲のいい夫婦が暮らしていました。「神様、指先ほどの子供でもかまいません。どうぞ授けてください」」

【翻訳→再翻訳】
「古代です。チャイルド宝に恵まれなかった親しいカップルは、特定の村に生きていました。「神よ、指先のような子供さえ嫌だと思いません。すみませんが寄贈してください。」」

まっとうな原文と挿絵のバージョンと、翻訳文とそれに対応した摩訶不思議な挿絵のバージョンが交互に出てくる。英語対訳も掲載されているので、どの単語や言い回しが原因で、そんな妙な訳が出てくるのか、確認することができる。

桃太郎は言う。「怪物アイランドに怪物ハントであります。」。機械の自動生成なのに思わずニヤっとさせられてしまう表現が多くて楽しい作品になっている。まだ人間の編集、調整が随所に加えられているらしいが、これは、これから始まるかもしれないコンピュータ文学時代の、黎明期の作品と言えるだろう。

翻訳精度の低さが原因にせよ、ソフトウェアがネタを生みだしたことに変わりはない。究極的には、読者ひとりひとりのツボを検知して、ネタを創造し、物語をパーソナライズする自動最適化小説も現れるのではないだろうか。(実際、ゲームではそれに近いことができているわけで夢物語じゃないだろう)。

50年後のWikipediaに「コンピュータ文学の歴史の第一歩はソフトウェアの誤変換、誤訳、誤認識を笑い飛ばす作品から始まった」なんて書かれているかもしれない。

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2007年09月24日

吉原手引草

・吉原手引草
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第137回直木賞受賞作。

吉原で全盛を誇った花魁が突然、謎の失踪を遂げる。当時の状況を解明するため、主人公は引手茶屋、遣手、床廻し、幇間、女衒、女芸者など17人の関係者を一人ずつインタビューして回る。それぞれの身の上話にも話は及んで、吉原の人間模様の中に、失踪事件の真相が浮かび上がってくる。

時代劇ミステリなのだが、前半はタイトル通り「吉原手引書」として、当時の風俗文化や廓の組織構造が語られている部分が、大変面白い。花魁と遊びたければ、まずどうすればいいのか、粋な遊び方と無粋な遊び方、気になる料金体系など。遣手婆という言葉があるが、「遣手」とは職業だったのか、とか、本物の太鼓持ち(幇間)とはどんな役割だったのかなど、芸者以外の職業についても詳しい。そうした廓の手引きをされているうちに、数か月前まで、その社会の頂点にいた花魁の失踪事件の全貌が明らかになっていく。

花魁失踪の悲劇が物語の中心にあるが、話し手たちの語り口は、明るくてユーモラスなものばかり。おしゃべりの積み重ねで物語が進行していく。演劇的で軽快なテンポが気持ちがよい。それでいながら真相解明のミステリとしても、結構、緻密に設計されている。実に粋な娯楽小説だったなあという読後感。

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2007年09月19日

文盲 アゴタ・クリストフ自伝

・文盲 アゴタ・クリストフ自伝
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悪童日記の三部作で知られる作家アゴタ・クリストフによる100ページの短い自伝。作品内では抽象化、匿名化されていた出来事や登場人物の多くは、少女時代の具体的な体験に起因するものだったことが次々に明かされる。

アゴタ・クリストフは、母国ハンガリーから21歳の時に、難民としてスイスへ亡命して定住し、そこで出会ったフランス語で作品を発表してきた。叙情的な記述を徹底排除して、事実を淡々と客観的に書く彼女の文体は、母語ではない言語で書く作家だからだと言われているが、自身は以下のように語っている。

「わたしはフランス語を三十年以上前から話している。二十年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。そんな理由から、わたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。」

「もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんな人生になっていたのだろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。確かだと思うこと。それは、どこにいようと、どんな言語であろうと、わたしはものを書いただろうということだ。」

この本のタイトル「文盲」というのは、母語のようには決して使えない外国語で書くことを運命づけられた自身の姿を指している。微妙なニュアンスをうまく伝えることができなくても、感動の物語を書くことができるというのが驚きである。

あとがきで訳者がアゴタ・クリストフの近況を書いている。彼女は書くべき大きなテーマをすべて三部作に書いてしまったので、既に高齢であるし、もはや新しい大作は期待できないのではないかという。

・「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004896.html

・「昨日」「どちらでもいい」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004928.html

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2007年09月10日

神聖喜劇

・神聖喜劇 (第1巻)
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超弩級の絶対的な傑作。大西巨人の小説「神聖喜劇」の完全漫画化。こんな物凄い作品があるとこれまで知らなかったのが不覚であった。全6巻を夏休みに読破。読者を選ぶ作品だが、以下の概要で興味のある人にはおすすめである。

「一九四二年一月、対馬要塞の重砲兵聯隊に補充兵役入隊兵百余名が到着した。陸軍二等兵・東堂太郎もその中の一人。「世界は真剣に生きるに値しない」と思い定める虚無主義者である。厳寒の屯営内で、内務班長・大前田軍曹らによる過酷な“新兵教育”が始まる。そして、超人的な記憶力を駆使した東堂二等兵の壮大な闘いも開始された」(原作の紹介より)

東堂太郎は一度読んだら忘れない驚異的な記憶力の持ち主であった。軍隊の規則書を丸暗記している彼は、不条理な軍隊生活や上官たちの言動に疑問を持つ。そしてその矛盾を言葉で訴え始めることから生じる個人と組織の闘争が物語の主軸である。

序盤のテーマは「責任阻却の論理」。新兵たちは、上官から、軍隊では「知らない」とは言うな、「忘れた」と言えと教育される。東堂は軍隊の規則のどこにも書かれていない命令が、何に由来するものなのかを徹底的に考え抜く。見事な結論に至る。この部分を読んで感動した人は、この本の読者に向いている。第6巻まで読もう。さらに感動すること請け合いである。

漫画だが極めて文字が多いので、読むのはかなりの時間がかかる。むしろ小説だと思って読むと軽く読めると思う。全編を通して描きたかったことは、戦争批判、差別批判という見かけを超えて、組織のばかばかしさであると思う。軍隊、会社、組合、官僚機構など、組織というものがいかに人間を疎外しているか、そのすべての要素が丁寧に語られている抵抗の文学である。

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2007年08月29日

ビタミンF

・ビタミンF
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「38歳、いつの間にか「昔」や「若い頃」といった言葉に抵抗感がなくなった。40歳、中学一年生の息子としっくりいかない。妻の入院中、どう過ごせばいいのやら。36歳、「離婚してもいいけど」、妻が最近そう呟いた……。一時の輝きを失い、人生の“中途半端”な時期に差し掛かった人たちに贈るエール。「また、がんばってみるか」、心の内で、こっそり呟きたくなる短編七編。直木賞受賞作。 」

「送り火」がよかったので重松 清の直木賞受賞作を含む短編集も読んだ。

・送り火
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005057.html

ビタミンにA、B,CはあってもFはない。ビタミンFは作者が考えた心の栄養素の名前であり、Family,Father、Friend、Fightなどの頭文字であるそうだ。7つの短編からなる。中年の、父親の、家族のさまざまなやりきれなさと切なさが交互に出てくる。泣かせる作品主体の「送り火」に対して、こちらはマスオさんの悲哀が作風。私はマスオさんとはタイプが違うと思うのだが、不覚にもぐっときてしまうのであった。

それで、「重松 清いいよ、読んでみたら?」と妻に勧めてみたところ「あなたもこういう”中年小説”を読むようになったのねえ」と笑われてしまった。重松 清はまさに中年小説の名手だ。中年小説は青春小説とは違って、深い絶望もまぶしい希望もでてこない。中途半端な年齢を中年と呼ぶ、のか。

ちなみに、中年というのは何歳のことか。Wikipediaによると以下のような年齢の範囲を指すものである、とのこと。意外にも私よりひとまわり年配を呼ぶことば。私はまだ中年ではないのだ。ふう、と安堵しているの心の中の私が、中年なんだろうなあ。

・中年 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B4
「中年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
中年(ちゅうねん)とは成人として中くらいの年齢。すなわち青年期を過ぎた頃から初老の域に入るまでを指す。
・一般的には40代頃から50代頃を指す事が多い。30代については中年、壮年、青年、若年と様々に言われ、一定しない。
・平成10年度の国民生活白書「中年-その不安と希望」では中年世代を、おおむね40代〜50代と定義づけている。
・厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0~4歳、少年期5~14歳、青年期15~24歳、壮年期25~44歳、中年期45~64歳、高年期65歳~という区分をしたものもあり、壮年期の定義も一定しない。」

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2007年08月20日

夕凪の街 桜の国

・夕凪の街 桜の国
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現在公開中の映画の原作。

・映画『夕凪の街 桜の国』OFFICIAL SITE
http://www.yunagi-sakura.jp/

「夕凪の街」「桜の国」は時代の異なるふたりの女性の物語である。舞台はヒロシマ。合計でたった120ページの短い漫画で、絵柄も地味なのだが、重なり合う二話は緻密に構成されており、2時間の映画に匹敵する人間ドラマが描かれている。大傑作。

映画監督 黒木和雄の原爆三部作「Tommorrow」「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」と作風がよく似ているなあと思う。戦争や原爆の悲惨さを直接は描かず、残されたものの生活や心を静かに描く。

・父と暮らせば
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002020.html

・「アトミック・カフェ」と「美しい夏 キリシマ」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003460.html

作者は私と同世代で戦争を知らないこどもたちである。取材をベースにこの作品を作り上げたという。体験のないものでも戦争を語り継ぐことができることを証明したといえそうだ。平成16年度文化庁メディア芸術賞漫画部門大賞、第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した。

同時に、戦争体験世代が直接語る漫画として、対極的な水木しげるの戦争作品も読んだ。壮絶な戦争体験の、直接的な漫画化だった。この体験があるからこそ、生死の境を超越した妖怪モノがあったのだなと、なんだか納得する。

・総員玉砕せよ!
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「昭和20年3月3日、南太平洋・ニューブリテン島のバイエンを死守する、日本軍将兵に残された道は何か。アメリカ軍の上陸を迎えて、500人の運命は玉砕しかないのか。聖ジョージ岬の悲劇を、自らの戦争体験に重ねて活写する。戦争の無意味さ、悲惨さを迫真のタッチで、生々しく訴える感動の長篇コミック。」

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2007年08月18日

なまなりさん

・なまなりさん
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夏である、怪談である。

怪異蒐集家で「新耳袋」作者の一人、中山市朗の新境地。新耳袋が超短編集だったのに対して、本作では丸一冊の長編。なまなり=生霊に祟られた知人の体験を二日間にわたって聞き取るという形式が臨場感を高めている。著者はもともとラジオ放送作家なだけあって、語りとしての怪談にうまく落としこまれていて、怖い、怖い。真夏の夜に一息で読む怪談本としておすすめである。

・中山市朗−怪談の間−
http://sakugeki.com/kwaidan/top.html
著者のオフィシャルサイト

「『新耳袋』完結後、中山市朗が蒐集した壮大な長編怪異体験談。二日間にわたって語られた、“なまなりさん”を巡る怨念や祟り。目の前で起こる信じがたい事実……。祟りとは本当に存在するのだろうか? 全編を体験者が語る、怪談文芸の新境地。」

さて、紹介はもう1年前になるがPSPのゲームになった「新耳袋」は本当に名作だったと思う。二ノ章を首を長くして待っているのだが、なかなか発売されない。関係者の方、早く出してください。

・実話怪談「新耳袋」一ノ章
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003803.html

で、続編が出ないので、新耳袋みたいな漫画として「不安の種」を発見した。テイストがそっくりである。数ページの怪談を次々に漫画で読ませる。状況説明は最小にして、ゾッとするシーンをイメージでつないでいく。小説やゲームの「新耳袋」ファンなら楽しめる。

・不安の種
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2007年08月14日

悪霊

・悪霊
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久々に大ヒットな漫画を読んだ。(ぜんぜん新作じゃないけど。)

「この島では祭りの宵に出歩いてはいけない。濃密な「気」に満ち満ちたこの島では…。わだつみから来るもの、屋敷に住まうものが宵を占める。幻のホラー・コミックが、遂に蘇る。「リング0」脚本家、高橋洋特別解説収録。」

高寺彰彦は、大友克洋の元アシスタントだったということで、絵柄は似ている。天が落ちて地が揺らぐような、大友作品のダイナミックでスピーディな迫力は、この「悪霊」でも発揮された。

言い伝えのある島に人々が集まってくるという初期設定は、ゲーム「かまいたちの夜2」を連想させる。」。あれが良かった人はこれもよいはず、である。抑制されたホラーが少しずつ、壮大なスペクタクルへと発展していく。

古今東西のさまざまなホラー要素が各所で使われている。元ネタはあれかなと考えながら読むのも楽しかった。たとえば増築され続ける屋敷というモチーフは、米国の「ウィンチェスターハウス」日本の「二笑亭」あたりが元ネタであろうか。

・ウィンチェスターハウス Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA
「部開拓ではウィンチェスター銃が多用されたので犠牲者が特に多い西部へ引っ越し、怨霊を鎮めるためにその家を拡張し続け、霊魂の居場所を作ってやるしかない」と。夫人はすぐさまニューヘイブンの家を売却。現在のサンノゼはサウスウィンチェスター通り525番地に引っ越し、お告げの通り生涯に渡り実に38年もの間休むことなく増築を続けた。その結果、部屋数160、寝室40を有する4階建ての大豪邸と化した。豪邸内部は悪霊が侵入しにくく出て行きやすいよう、突き当たる階段や天窓が床にある部屋など奇怪な設計をし、さらには不吉とされる番号「13」を重視した階段や石畳などを多用したため、さながら迷宮を彷彿とさせる構造となった。」

・「二笑亭」wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%AC%91%E4%BA%AD
「二笑亭(にしょうてい)は、東京深川の地主渡辺金蔵(1877年?〜1942年6月20日)が自ら設計し大工を指揮して建築させた個人住宅(渡辺邸)である。

関東大震災後の1925-1926年、渡辺は世界一周旅行に出かけた。帰国後、(関東大震災後の)区画整理が終るとバラック建ての自邸を本建築に改築する工事を始めた。着工は1927年12月頃で、1931年8月に新築(竣工)届が出されたが、その後も工事が続けられた。この間、渡辺の奇行に耐え切れなくなった家族は別居し、渡辺1人と女中のみが残っていた。その後、「電話返却事件」(後述)をきっかけに1936年4月24日に渡辺が加命堂脳病院に入院させられ、2年後の1938年4月頃に取り壊された。

とても面白かったので同じ作者のこれも読んでみた。3作収録されているが、表題作はどちらかというとコメディ系のドタバタ。それ以外はハードボイルドな警察モノ。高寺彰彦の作風を知る上での研究に、よいかも。

・サルタン防衛隊
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「SF界きっての2大巨頭の原作を得た沈黙の鬼才・が、圧倒的な描写力で迫るスラップスティック作品の最高傑作、いよいよ復刊!雑誌掲載時のカラー扉を加筆のうえ完全収録!!」

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2007年08月05日

送り火

・送り火
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東京の私鉄沿線(たぶん京王線あたりがモデル)に住む人たちの人生の悲哀を描いた連作短編集。駅のホームで無念の死を遂げた男の幽霊と出会う話や、この世のものと思えない謎の住人たちに悩まされる引っ越しの話など、ちょっぴり「アーバンホラー」の味付けがされている。

親子、夫婦、家族がメインテーマで、読む者をほろっとさせたあとに、じわっとさせる。この、涙を誘った後に、希望を残し温かい気持ちにして終えるのが作者の得意である。パターンだよなあと思いつつも、毎話、新鮮な変化がつけられており、結局、ほろ、じわっときてしまって、やられたなあと思う。あざといボールかなと思っていると、ぎりぎりストライクに入ってくる感じで、絶妙だ。

作者のプロフィールを調べてみると、フリーライター出身の実力派で、オールマイティな作家なのだった。別の作品も読もうと思った。

・重松清 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%9D%BE%E6%B8%85
「重松 清(しげまつ きよし、1963年3月6日 - )は、日本の作家。岡山県久米郡久米町(現・津山市)の生まれ。中学、高校時代は山口県で過ごす。山口県立山口高等学校、早稲田大学教育学部卒業。角川書店の編集者として勤務(みうらじゅんなどの担当をしていた)後にフリーライターとして独立。ドラマ・映画のノベライズ、雑誌記者、ゴーストライターなどなんでも手がけた(その当時の名は田村章で、北野武監督の『キッズ・リターン』や『あしたいのちはもっと輝く!』などの小説版を執筆した)。二児の父。」

そして直木賞、山本周五郎賞、坪田譲治文学賞などを受賞している。

「また『ファイナルファンタジーシリーズ』で有名な坂口博信が手がけるXbox 360用のゲームソフト『ロストオデッセイ』においてサブシナリオを担当する。矢沢永吉の熱心なファンでもある。また岡本太郎のファンでもある彼は大阪万博の象徴である「太陽の塔」の内部に入り後世の人類の為、太郎のメッセージを代弁している。2007年年度の第74回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲の作詞を担当する。作曲は高嶋みどり」

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2007年07月29日

邂逅の森

・邂逅の森
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「秋田の貧しい小作農に生まれた富治は、伝統のマタギを生業とし、獣を狩る喜びを知るが、地主の一人娘と恋に落ち、村を追われる。鉱山で働くものの山と狩猟への思いは断ち切れず、再びマタギとして生きる。失われつつある日本の風土を克明に描いて、直木賞、山本周五郎賞を史上初めてダブル受賞した感動巨編。」

一言でいえばこれはレゾンデートル(存在理由)についての物語である。読者の90%は感動することうけあいの傑作である、と思う。だから、あまり内容についてこまかく説明したくないのだが...。

唐突であるが「アンパンマンのマーチ」って歌をご存じだろうか。これがよく聞いてみると、とてもじゃないが幼稚園生向けとは思えない深遠な人生哲学の歌である。歌詞の重さを意識するようになってからというもの、この歌がかかるのを聞くたびに、自分のレゾンデートルについて考えさせられてしまうのである。

たとえば1番の歌詞はこうである。

「「アンパンマンのマーチ」
         作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし 編曲:大谷和夫

そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも

なんのために生まれて、なにをして生きるのか?
答えられないなんて、そんなのはイヤだ

今を生きることで、熱い心燃える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ、うれしいんだ生きる喜び
たとえ胸のキズが痛んでも

ああアンパンマン
やさしい君は 行け みんなの夢守るため」


幼い子供にいきなり「生きる喜び」「胸のキズ」とは、作詞者やなせたかし恐るべしである。これ何百回も聞いて育つ子供は、そのときは意味がわからなくても、ある種の生き方、価値観について刷り込まれているに違いない。好き嫌いありそうだが、メッセージソングとして、アコースティックギターで静かに弾き語りをしたら、かなりかっこいいのではないかとさえ思える。

現実には「なんのために生まれて、なにをして生きるのか?」は、かなり生きてからでないと、わからない。しかし、人間はそれがまだわからない若い時期に、人生の重要な選択を迫られる。だからいろいろなことがうまくいかない。選択の幅が狭かった時代にはなおさらであった。

この小説の登場人物たちは、思うようにはならない人生を、それぞれに必死に生きながら、レゾンデートルを探している。それは職業にかける情熱であったり、愛や嫉妬であったり、友情であったり、山の信仰であったりする。ひとりのマタギの男の物語の上に、いくつものレゾンデートルが強烈に衝突して、次々に熱いドラマが生まれていく。

本物の人生の物語を読みたい人、おすすめ。

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2007年07月23日

赤朽葉家の伝説

・赤朽葉家の伝説
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これは傑作。素晴らしい。桜庭一樹という作家をベタ褒めしたい。

「“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。―千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。高度経済成長、バブル景気を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の姿を、比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。」

1953年から現在まで、それぞれの時代を生きた3人の女性の物語が、3部構成の回想形式で語られる。各世代の生きざまは、日本の時代状況を色濃く映し出す。

第一部 1953年〜1975年 赤朽葉万葉
第二部 1979年〜1998年 赤朽葉毛毬
第三部 2000年〜未来  赤朽葉瞳子

昔の話ほど強烈で面白い。

思い出話や昔話は時間の経過とともに、淘汰され、デフォルメされて、伝説や神話になるからだ。だから、この作品では、未来を透視する力を持つ祖母が主役の、第一部「最後の神話の時代」が最も印象的である。

現代に近づくにつれて次第に平凡な物語になっていくのだが、その物語性の時間に対する遠近感が、この作品の最大の魅力だと思う。時代のパースペクティブが開けていくにつれて、過去の意味が大きくなっていく。第二部のタイトルは「巨と虚の時代」とつけられているが、いつの時代も祖先の時代は、生きる意味に溢れた激動の時代だったようにに見えるものなのではないだろうか。

一方で、平凡に思える「わたし」の今の人生もきっと、やがて時の流れの中で、伝説や神話の一部になっていくのだ、とそんな風にも思えてくる。なにしろ、この小説の設定はよく考えればたった50年前なのである。まだ存命の、私の祖母の時代なのである。

ところでこの作品は、どういうわけか日本推理作家協会賞受賞を受賞しているが、推理小説でもミステリ小説でもないと思う。時代の流れと人間の生きざまを壮大に描いているので、大河小説と呼ぶのがふさわしいと思う。娯楽性と文学性の両方を満足させる傑作。おすすめ。

第60回日本推理作家協会賞受賞。第137回直木賞候補作。

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2007年07月12日

悪人

・悪人
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「なぜ、もっと早くに出会わなかったのだろう――携帯サイトで知り合った女性を殺害した一人の男。再び彼は別の女性と共に逃避行に及ぶ。二人は互いの姿に何を見たのか? 残された家族や友人たちの思い、そして、揺れ動く二人の純愛劇。一つの事件の背景にある、様々な関係者たちの感情を静謐な筆致で描いた渾身の傑作長編。」

ある殺人事件をめぐる加害者、被害者の群像劇。傑作長編。

まったく内容は違うのだが、町田康の傑作犯罪小説「告白」と読後感が似ている。「悪人」は朝日、「告白」は読売で、共に新聞連載小説だったからかもしれない。テンポが似ているのだ。数ページごとに拍子があるような。そのリズム感がちょっとずつ加速していく感じ。長編であることが読んでいて嬉しくなってしまう。

・告白
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004743.html

この作品には美男美女がでてこない。華麗な生き方をしている人がいない。舞台は地方都市の郊外で、ぱっとしない人生に、何かを諦めて生きているような人たちが登場人物である。そんな脇役のような人物たちが、読み進むうちに、ちゃんと思い入れできる主役キャラクターに見えてくるのが、この作品の読みどころ。

事件をめぐる関係者ひとりひとりに対して、ドキュメンタリ風に、強いスポットライトを当てていく。ストーリーもいいが、それ以上に、各章で人物が入れ替わる一人称による内面描写が魅力なのだ。人物デッサンの積み重ねによる厚みがすばらしい作品だと思う。そこにたちのぼる「人間の匂い」にむせかえる。

今年ここまでに読んだ新作長編小説でベスト、かな。

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2007年07月11日

宇宙のランデヴー4 〈上〉 〈下〉

・宇宙のランデヴー4 〈上〉
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・宇宙のランデヴー4 〈下〉
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「謎の知性体によって建造された巨大宇宙船ラーマ3が、火星軌道上で2000人の人類を収容し、太陽系を離脱してから、すでに3年の歳月が流れていた。このあいだに、独裁者ナカムラが権力を掌握し反対派を容赦なく弾圧―地域の良心として活動していたニコルは投獄され、死刑を宣告された。リチャードは2体の小ロボットをニュー・エデンに潜入させ、必死の救出作戦を開始したが…壮大なスケールの宇宙叙事詩ついに完結。」

宇宙のランデヴー 327p、2(上334p・下327p)、3(上346p・下367p)、4(上460p・下457p)と7冊、文庫で2600ページを超える長い物語がついに完結である。

さて、2600ページを読破しての正直な感想を書こう。

初作「宇宙のランデヴー」はSF史上に輝く大傑作である。続編の3作品は凡作である。続編は引っ張りすぎなのである。初作から15年後に書かれた続編の読者たちは、ラーマの正体を知りたくて読み始めたはずである。だが、そこにはチープな印象の人間ドラマが延々と展開されていた。ときどきラーマの本題がチラっと現れるため、読者はニコルとリチャードたちの物語につきあわざるをえない。当初はそれが不満であった。

ただ慣れというのがある。評論家にはそっぽを向かれた続編であるが、ファンの読者は結構いるようである。実は私もいつのまにか、この世界に慣れ親しみ、3の後半あたりでは、物語が終わってほしくないと思うようになっていた。初回を見てしまった連ドラを毎週見たいと思う感覚に近い。続編3作はそういうスペース・ソープ・オペラなのである。

長く登場人物たちとつきあうと、苦楽をともにしてきた感が醸成されてきて、4のあたりでは泣かせるシーンもある。本来、そういう作品ではなかったはずなのだが。スタートレックに近い。

人間ドラマ部分のアイデアはおそらく共著者のジェントリー・リーによるものだと言われている。文明批判や宗教色はアーサー・C クラークの要素であろう。当時、実現しなかったが、映画化、ドラマ化が予定されていたらしい。多分に映像化を意識した絵作りが感じられる。

それで結局、ラーマの秘密は明かされるのか?。答えはイエスである。最後の100ページはラーマの創造者たちについて真正面から語られている。はぐらかさない。極めてまともでオーソドックスな答えが用意されている。最後まで謎で終わりというわけではないので、安心して読んでいいと思う。

私にとって特別な作品であった「宇宙のランデヴー」。その続編をいつか読みたいと思っていたので、長い読書であったが大きな達成感があった。

さて、当時は実現しなかったと書いたが、現在もモーガン・フリーマンらRevelations Entertainmentがハリウッドで映画化の企画を進めているそうだ。資金集めに苦労しているそうだが、絶対に実現して欲しい。ちなみにこの会社は映画のP2P技術によるネットワーク配信に着手していることでも知られる。公開後はネットで観られるかもしれない。

数年後の映画公開の頃、このエントリは多くの人に参照されているといいなあ。

・Revelations Entertainment
http://www.revelationsent.com/flash/index.html

・Rendezvous with Rama - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rendezvous_with_Rama

・Sir Arthur C. Clarke
http://www.arthurcclarke.net/

・宇宙のランデヴー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

・宇宙のランデヴー2(上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004872.html

・宇宙のランデヴー3〈上〉〈下〉
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004873.html

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2007年07月07日

奴婢訓

・奴婢訓
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ガリバー旅行記で知られる18世紀の作家スウィフトが書いた風刺文学の古典。2006年にリクエスト復刊。岩波文庫。

召使、料理人、従僕、小間使い、女中など「使用人」のための処世訓。

「ご主人の呼んだ当人がその場に居ない時は誰も返事などせぬこと。お代りを勤めたりしていてはきりがない。呼ばれた当人が呼ばれた時に来ればそれで十分と御主人自身認めている。あやまちをしたら、仏頂面で横柄にかまえ、自分の方こそ被害者だという態度を見せてやる。怒ってる主人の方から、直きに、折れて来る。」

「買い出しの時は肉を出来るだけ安く値切って買う。勘定書を奥へ出す時には、主人の名誉を傷つけぬよう、最高値段を書いておく。」

「大きなお邸の奥方附だったら、その奥様の半分も美しくなくても、おそらく旦那様から可愛がってもらえる。この場合、気をつけて絞れるだけは絞り取ること。どんな一寸したいたずらでも、手を握るだけでも、先ずその手にギニイ金貨一枚入れてくれてからでなくては、許してはいけない。それから徐々に、向うが新しく手を出す毎に、こちらが許す譲歩の程度に比例して、せびり取る金額を倍増にして行く。そして、たとえ金は受取っても、必ず手向いをして、声を立てますとか、奥様にいいつけますとか、脅かしてやる。」

これは、いかに主人の見えないところで手を抜き、見えるところではごまをすり、悪事がばれたらどう切り抜けるか、といったバッドノウハウの集大成である。

これを読んでいて、大学時代に最初の授業で面白い処世訓を教えてくれた先生を思い出した。「君たちの年頃はいろいろあるだろう。たとえば私の授業の前日に、運命の彼女と出会ってしまい、翌日のラブラブデートの約束を取り付けることに成功したとする。その彼女は私の授業より君たちの人生にとって重要だと思ったなら、ためらわないで授業を休みなさい。しかし、私に「デートで休む」などと絶対に言ってはいけないよ。遠い親戚が亡くなったことにでもするように。そうしないとお互いの立場というものがなくなってしまうのだから。社会に出てからも同じようにするように。」と先生は教えていた。

奴婢訓のような、暗黙の言い訳や適当な手抜きのノウハウは、生きていく上で実はかなり重要な技術なのであって、これを部下がまったく知らないと、本人もつらいし、上司も困るのだと思う。そういう意味では、奴婢訓は逆説パロディであると同時に、本当に役立つマニュアルなのでもあるだろう。

スウィフトは当初は、真面目に召使の正しい心得を書くつもりでこの作品を書き始めたそうである。しかし、書いているうちに召使の側から、皮肉っぽく書く方が面白くなると気がついて、こういう作品になったらしい。結局は未完で終わるのだが、2世紀が経過してもなお、ここに書かれている風刺性は基本的に有効なままである。

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2007年06月25日

天涯の砦

・天涯の砦
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「地球と月を中継する軌道ステーション“望天”で起こった破滅的な大事故。虚空へと吹き飛ばされた残骸と月往還船“わかたけ”からなる構造体は、真空に晒された無数の死体とともに漂流を開始する。だが、隔離されたわずかな気密区画には数人の生存者がいた。空気ダクトによる声だけの接触を通して生存への道を探る彼らであったが、やがて構造体は大気圏内への突入軌道にあることが判明する…。真空という敵との絶望的な闘いの果てに、“天涯の砦”を待ち受けているものとは?期待の俊英が満を持して放つ極限の人間ドラマ。」

久々に手に汗握りながら読む作品に出会った。非常事態スペクタクルの傑作。「老ヴォールの惑星」の小川一水の長編。スピーディな展開と緊迫感。ユニークな設定の登場人物たちが、極限状況下で織りなす人間ドラマ。映像的でわかりやすい。そのままハリウッド映画にできそう。

沈没していく船からの脱出を描いた70年代のヒット映画「ポセイドン・アドベンチャー」と作風は似ている気がする。この映画も素晴らしかった。希望と絶望が交互にやってきて、葛藤する複雑な人間模様があって、パニック映画のお手本だなあと今でも思う。

・ポセイドン・アドベンチャー
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これを2006年にリメイクしたのが「ポセイドン」。最新のCG技術を使って、豪華客船の沈没シーンを迫力映像で描いている。最初の10分間は見物である。

・ポセイドン 特別版
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ポセイドン・アドベンチャーに興奮した人には間違いなく天涯の砦はおすすめである。海中以上に、宇宙における人間の無力感を感じさせて、ドキドキである。

・老ヴォールの惑星
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004637.html

・SF作家 小川一水のホームページ 小川遊水池
http://homepage1.nifty.com/issui/

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2007年06月13日

はじめての文学 川上弘美

・はじめての文学 川上弘美
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芥川賞選考会の委員にも就任して、現代文学の代表的作家になった川上弘美。この本は、はじめて文学と向き合う若い読者に向けた自選アンソロジー。漢字にはルビがふられており、中学生、高校生の読者を意識しているようだ。

作品の選び方は決してお子様向けではなくて、「はだかエプロン」の話もあるし、倦怠感漂う男女関係の話もある。得意とするもののけの話もある。はじめて読む大人にとっても、著者の多様な作風の作品を少しずついれているので、入門ガイドとしておすすめ。

「ためになる、とか、視野が広がる、とか、そういうことも多少はありましょうけれど、それよりもっと大きいのは、なんというかこの「隠微な快楽」の味なのです。」。あとがきのなかで著者は、想像力をめぐらせて自由に読むことこそ小説本来の楽しみ方だとすすめている。

このブログで何冊か川上弘美の作品は紹介していて、収録作品のいくつかは重なっている。二回目だった作品も、深く読むと別の味わいが感じられたりして、やはりこの作家は凄いなと再認識した。

特に書き出しがうまいことに気がついた。

「恋人が桜の木のうろに住みついてしまった」 運命の恋人
「くまにさそわれて散歩に出る。河原に行くのである」 神様
「一月一日 曇 もぐらと一緒に写真をとる」 椰子・椰子
「十四本のろうそくを、あたしは埋めた」 草の中で

いきなり短文で読者を異世界へ誘う。どういう話だろうとふらふら入っていくと、いつのまにか隠微な川上ワールドに閉じ込められて、終わるまで出られなくなる。

過去に書いた川上弘美作品の書評。

・ざらざら
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004886.html

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・真鶴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004871.html

特に真鶴がおすすめ。これを読んで以来、ずっと行きたかった真鶴へGWに行ってきました。真鶴岬は上空で風がぐるぐる回っている感じがして、不穏な空気を感じました。真鶴港の海は引き込まれそうな青緑色にひかれました。小説に感化されすぎかな。そういう雰囲気が写ったらいいなと思って、写真に撮ってきました。

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2007年06月02日

宇宙のランデヴー3〈上〉〈下〉

・宇宙のランデヴー3〈上〉
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・宇宙のランデヴー3〈下〉
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「最初の訪問から70年をへて再度太陽系を訪れた謎の飛行物体ラーマは、それを脅威とみなした人類の核攻撃を受け、破壊されたかに見えた。しかし―ラーマは生きていた!人類の調査隊員3人をその内部に閉じこめたまま、ラーマは太陽系を離れ、どことも知れぬ目的地をめざして虚空を飛びつづける。そして深宇宙の彼方でラーマが停止したとき、そこに待ち受けていたのは、人間の想像をはるかに超えた巨大な構造物だった。」

そして”3”である。”2”の数十年後に3回目のラーマの接近があるという始まり方をするものだと、私は予想していたので、冒頭から面食らった。これは、前作で太陽系を離脱していくラーマに取り残された、あの3人の物語だったのである。

3人はラーマの内部に生存可能な環境をみつけて長い孤独な生活を始める。事実上の主役となるニコルは、そこで子供を産み家族をつくる。そしてラーマは星間飛行を終えて停止する。それは長い旅の終わりではなく、壮大な宇宙叙事詩の幕開けであった。

ここから物語はまったく新しい展開を始める。人類のラーマへの大量移住と人類社会の腐敗。地球外生命体との接触。ニコルの一族の運命は予想もつかない方向へ転がっていく。
”2”は”3”と”4”の舞台を作るためのプロローグに過ぎなかったようだ。率直に言って続編群は作品としての完成度は初作に遠く及ばない。だが、アーサー・C・クラークらの想像力の果てを確認したい熱心なファンは読まざるを得ないだろう。謎の答えが少しずつ明かされる。随所に盛り込まれる文明批判の視点を説教臭く感じるかどうかが、好き嫌いの分かれ目になりそうである。

ところで第一作のときから私はラーマの構造を視覚化できずに困っていた。巨大な円筒体の内部に関する詳細な記述はあるのだが、イラストは一枚もないため、物理的な形状を想像するのが難しかった。

ラーマの構造を絵にした人がいないかとネットで調べていたところ、ラーマ世界の全体や物語のシーンにインスパイアされて3DCGを描く人たちのサイトを発見した。ラーマの神秘的で荘厳な印象を損なわずに立体的に描写している。壁紙にしたいほどの完成度。

・Welcome to RAMA3D
http://www.rama3d.com/

・宇宙のランデヴー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

・宇宙のランデヴー2(上)(下)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004872.html

・宇宙のランデヴー3〈上〉〈下〉
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004873.html

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2007年05月26日

宇宙のランデヴー2(上)(下)

・宇宙のランデヴー2(上)(下)
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宇宙のランデヴー 続編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

「西暦2130年、忽然と太陽系に現われた謎の飛行物体―ラーマと名づけられたこの物体は巨大な宇宙船と判明した。内部への侵入に成功した調査隊の必死の努力にもかかわらず、この異星人の構築物は人類の理解をはるかに超え、多くの謎を残したまま太陽系を去っていった。それから70年後、第2のラーマが太陽系に姿を現わしたが…名作『宇宙のランデヴー』で解明されぬまま残された謎に人類が再び挑む、ファン待望の続篇。」

アーサー・C・クラークが傑作「宇宙のランデヴー」を1973年に書いてから16年後の1989年に出版された、まさかの続編。しかも当時既にSFの権威であったクラークが、NASAジェット推進研究所主任研究員のジェントリー・リーとの共著として書いた。物語の舞台は前作から70年後、再び別のラーマが地球に接近する。今度は十分に準備を重ねた調査チームが組織され、2つめのラーマの謎に迫っていく。

ラーマを主役にして人間ドラマの要素が薄かった前作に対して、この続編では探査メンバー間の葛藤が物語の核となっている。映画を意識していたのだろうか、登場人物の性格や関係がわかりやすいのだが、深みがない。そのため、この続編の批評家たちの評価は決して高くないのだが、前作のラーマの世界観にヤられてしまった人は読まざるを得ないのである。

進化レベルがまったく異なる知的生命体が接触した場合、高次の存在は下位の存在をどうとらえるだろうか。もしかすると、人間がアリの巣をみかけても話しかけたりはしないように、高次な知的生命体も人類に敢えてコンタクトしたりはしないかもしれない。前作では人類の接触に反応せずに悠々と太陽系を通過していったラーマだったが、2回目の接触では何が起きるか、が読者の最大の関心であろう。その基本部分では満足できた。宇宙のランデヴー3も読もうと思った。

共著者ジェントリー・リーには22世紀までの未来を予想したこんな著作もある。

・22世紀から回顧する21世紀全史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000419.html

・宇宙のランデヴー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004864.html

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2007年05月16日

宇宙のランデヴー

・宇宙のランデヴー
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この作品の発表は1973年で、私が和訳を文庫で読んだのはもう20年前になる。当時は読み終わったあとしばらく絶句してしまうような衝撃的な体験だったことを覚えている。そしてこの本がきっかけでSF小説を読むようになった。私にとって特別な本である

この正月にはじめて読み返してみた。20年はこどもが生まれて成人する時間だから、結末を含めて物語の筋は忘れていた。だから、今回もまた感動してしまった。次は60歳になったら読み返そうと思う。

2130年、太陽系に直径40キロの円筒状の人工物が接近する。近くを航行する軍の宇宙船にその正体を調べる指令がくだされる。この人工物体は宇宙を100万年間もの長旅をした末に、太陽系を通過するのである。古代の神の名をとってそれはラーマと名づけられた。ラーマから人類には何のメッセージも送られてはこない。

ノートン中佐ら探査メンバーはラーマにドッキングして、未知の内部空間へと侵入していく。ラーマの軌道が太陽系を離脱するまでに残された時間はわずかである。ラーマとはいったい何なのか?、知的生命との遭遇はあるのか?、ラーマの太陽系接近の目的は?。ラーマが次々に見せる驚異は隊員たちの理解を遥かに超えて謎は一層深まっていく。

映画の原作「2001年宇宙の旅」が特に有名なアーサー・C・クラークだが、私はこの作品が一番好きだ。最高傑作だと思う。人間ドラマが描けていないという批判もあるようだが、ラーマを主役に宇宙の神秘が見事に描かれている。この作品では人間は物語の道具に過ぎないのだと思う。それでいいのだ。

「これは何なのだ」「いったいどうなってしまうんだ?」という読み手の好奇心をクラークは、ラーマの神秘を少しずつ開示することによって刺激し続ける。センス・オブ・ワンダー全開の物語。

人類が月面着陸を果たしたのは1969年である。1973年の段階で宇宙に対してここまでの想像力を発揮していた著者の頭脳も驚異である。ヒューゴー賞/ネビュラ賞ほか多数を受賞した古典。80年代になってから続編(2,3,4)も発表されている。今年の正月に再読の勢いで4まで2700ページ超を全部読んだので、近日、続編も書評をアップしたい。

The Arthur c. Clarke Foundation
http://www.clarkefoundation.org/

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2007年05月10日

すばらしい新世界

・すばらしい新世界
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「人工授精やフリーセックスによる家庭の否定、条件反射的教育で管理される階級社会---かくてバラ色の陶酔に包まれ、とどまるところを知らぬ機械文明の発達が行きついた”すばらしい新世界”!人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説」

オルダス・ハックスリーによる1932年発表の作品だが、その機械文明風刺の矛先は、科学が進んだ21世紀において一層、、鋭く時代に突き刺さっているように思える。作品中の”すばらしい”新世界では、人々は人工孵化で生まれて、与えられた階級の役割を果たすように条件付けされる。心が生まれながらに統制されているから、住人達は現在に不満も疑いも持つことがない。

「万人は万人のもの」という思想が徹底され、特定のだれかを愛することは恥ずかしいこと、結婚して子供を産むなんて野蛮なことと皆が信じている。社会構造の全般的理解は必要悪で最低限にとどめておくべきという倫理感が浸透しているから、階級間の闘争もなく、社会は安定している。たまに嫌なことがあったら薬物を使って即座に解消することが推奨される。こうして人々は完璧に設計された社会の一部になりきることで、幸福な人生を生きている。

新世界に紛れ込んでしまった「野蛮で未開の」男がトリックスターとして騒動を巻き起こし、この「逆ユートピア」の愚かさ、滑稽さが描き出されていく。しかし、新世界は、実は私たちの作っている現実世界の逆像なのであり、その笑いは読者の信じている価値観や道徳の基盤をも相対化していく。

この作品冒頭にこんな一文が掲げられている。

「ユートピアはかつて人が思ったよりもはるかに実現可能であるように思われる。そしてわれわれは、全く別な意味でわれわれを不安にさせる一つの問題の前に実際に立っている。「ユートピアの窮極的な実現をいかにして避くべきか」......ユートピアは実現可能である。生活はユートピアに向かって進んでいる。そしておそらく、知識人や教養ある階級がユートピアを避け、より完全ではないがより自由な、非ユートピア的社会へ還るためのさまざまの手段を夢想する、そういう新しい世紀が始るであろう。 ニコラ・ベルジャアエフ」


「より完全ではないがより自由な」。いい考え方ですね。

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2007年04月23日

紗央里ちゃんの家

・紗央里ちゃんの家
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第13回ホラー小説大賞 長編賞受賞作

「叔母からの突然の電話で、祖母が風邪をこじらせて死んだと知らされた。小学五年生の僕と父親を家に招き入れた叔母の腕もエプロンも真っ赤に染まり、変な臭いが充満していて、叔母夫婦に対する疑念は高まるけれど、急にいなくなったという従姉の紗央里ちゃんのことも、何を訊いてもはぐらかされるばかり。洗面所の床から、ひからびた指の欠片を見つけた僕は、こっそり捜索をはじめるが…。第13回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作。 」

お化けや猟奇殺人は怖いが、それよりも、確固としたものだと信じていた現実が壊れていくことが一番怖い。そういう壊れ感が絶妙な、完成度の高いホラー小説。分類としては「独白するユニバーサルメルカトル」「姉飼」と同じ方向性といえそう。猟奇趣味だが、それだけには終わらない。

映像が全盛の時代にあって難しいはずなのに、近年のホラー小説はかなり健闘していると思う。ホラー映画やテレビの映像が、読者の想像力のライブラリを充実させているからなのではないかと、ふと思った。小説を読んで、脳内映像化する際に、過去に実際に観た映像を参考にするからである。

好きな和製ホラー映画

・狗神 特別版
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・死国
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・奇談 プレミアム・エディション
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・仄暗い水の底から

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さて、この作品の舞台は、どこにでもありそうな地方の叔父さんの家だ。年に何度かしか会わない親戚というのは、内側と外側の境界領域みたいなもので、よく知っているようで知らないトワイライトゾーンである。この小説はそういう微妙な関係性をうまく素材として活かしている。嫌な話であるが、親族関係内での猟奇殺人事件が多い時代性をとらえた内容ともいえる。

ホラー小説長編賞受賞時に大賞は不在であった。これが受賞してもよかったのではないかという気がする秀作。

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2007年03月22日

「昨日」「どちらでもいい」

・昨日
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悪童日記3部作があまりに良かったため、すべて読むことにしたアゴタ・クリストフ。

「昨日」は3部作の直後に書かれた作品で、続編ではないが設定や雰囲気には似た部分が多い。アゴタ・クリストフはハンガリー出身の亡命者で、母語ではないフランス語を使って小説家になった。感情移入を許さない、淡々とした客観的な語り口は、そうした作家の背景からくるものらしい。故郷も母語も失って、居場所のなくなった永遠の異邦人としての自身の姿を、主人公に重ね合わせて描いている。

アゴタ・クリストフの作品は影絵みたいだなと思う。感情エネルギーの光の部分よりも、その光が届かない闇の部分が物語の形をはっきりと映し出している。亡命者でなくても、多くの人間が、何らかの喪失感を抱えて生きているものだと思う。だから、読む者の共感を引き出す。

感情的に暗い読後感にならないのもアゴタ・クリストフの人気の秘密だろう。喪失がテーマであっても、後味は悪くない気がする。著者が亡命者ではあっても人生を投げているわけではないからだろう。むしろ、すべてを失っても生きていかなければならないという力強い覚悟を感じる。孤独だからって「癒し」なんて求めている場合じゃないぞ、と言われている気がする。

続いて読んだのが超短編集の「どちらでもいい」

・どちらでもいい
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3ページとか5ページのショート作品が25編。これがまたとても面白い。3部作の大きな魅力が、どんでん返しにつぐどんでん返し的な構成の魔術であったが、このショート作品集は、そうしたアイデアが連発である。たった1ページで独特の雰囲気を作ってしまい、残り2ページで意外な展開をする(かとおもえば、しないものもある)。先が読めない。星新一のショートショートを、ヘビーにした感じで、次はどうくる?と楽しみながら読める。

・「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004896.html

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2007年03月09日

失踪日記

・失踪日記
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サブカル系漫画家 吾妻ひでおが、うつ病にかかり、何度か失踪していた時期を自ら漫画として描いたベストセラー。同氏は一部のマニアックなファンを持っているはずだが、漫画としてはこれが一番売れたのではないだろうか。たいへんおもしろい。

第34回日本漫画家協会賞〈大賞〉受賞
平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭マンガ部門〈大賞〉受賞
第10回手塚治虫文化賞〈マンガ大賞〉受賞

失踪のきっかけは連載のネタに困ったこと。仕事を投げ出して家族にも行く先を告げずに逃亡してしまう。自殺を考えるが思いきれず、ホームレスとして山(かな?)で生活する毎日。ゴミ捨て場から食べ物やお酒や毛布を漁って、のんびりと暮す。腐った食べ物でおなかを壊したり、寒さに凍えたりはするが、仕事のストレスの方が怖かったようだ。

ホームレスに飽きて水道管工事の会社に就職し、工事人として働く編もある。工事の仕事に面白さを感じて、ちょっとした昇進まで体験する。そこでの、ややこしい性格の同僚とややこしいトラブルも、結局恰好のネタになってしまった。

一般人が体験できない底辺生活をリアルに描いた秀作として、銃刀法違反で逮捕された際の獄中記を漫画で描いた刑務所の中(花輪和一著)も面白い。今調べたら文庫化されていた。本来は不気味な異界を描く漫画で知られる人だが、そのおどろおどろしいタッチは獄中記でも活かされている。

・刑務所の中
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「拳銃不法所持で懲役3年の獄中生活を送った異色漫画家が描く、おかしくも哀しい、知られざるムショの世界!!
映画化もされたあの話題の大ベストセラーが、増補改訂版としてついに待望の文庫化!!
新作描き下ろし21ページに加えて、単行本未収録作品も多数収録!!」

・刑務所の中 特別版
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こちらもベストセラーで映画化までされている。両氏ともに、失踪しても逮捕されても芸の肥やしになっているところがすごいな。

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2007年03月06日

ひとりっ子

・ひとりっ子
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現代SF最高の書き手グレッグ・イーガンの最新刊。順列都市、宇宙焼失、万物理論、ディアスポラ、などイーガンの大作は圧倒的である。読む側にもそれなりの読みとおす決意と読書時間の確保が必要である。邦訳はなかなか出ないので、出るともったいなくて、おいそれとは読めないというファン心理もあったりする。

この短編集はそういう意味では、大作の合間の小さな仕事をまとめたものという風で読みやすい。収録作品に目新しい設定というのは特にない。脳のソフトウェア化というイーガンお得意のテーマが繰り返し出てくる。

人間は機械なのか。現代科学の主流は人間機械論である。どんな機構かは諸説あるにせよ、人間の脳は精巧にできた機械であり、精神活動はその機械の電気化学反応のプロセスということになる。魂は肉体とは別に存在するとは科学者は言わない。脳という機械の複雑度が高いから現在のテクノロジーで同じものを作れないだけということになる。

チューリングテストという人工知能のテスト方法がある。被験者が人工知能と対話して、会話の相手が機械なのか人間なのかを当てさせる試験である。誰が話しても、人間としか思えない機械は今のところ現れていない。だが、もしも人工知能の技術が発達して、意志も感情も本物としか思えないソフトウェア(ゾンビ)を誰かが作ってしまった場合、そしてそれが人間そっくりやかわいらしいペットの姿のハードウェアに実装された場合、一般人の見方は変わってしまうのではなかろうか。

すでに電子ペットになにがしかの愛着を感じている人はいる。仮想のキャラクターに恋愛感情に似た感情を持つ人もいる。脳と同じであろうとなかろうと、それが人格だと信じられるくらいのロボットがでてきたら、そこに人格と同じものを認めようという社会的な動きもでてくるのではないだろうか。グレッグ・イーガンの小説は遠い未来のことを語っているようで、実は10年後くらいの時代に始まる問題を先取りしているように感じる。

イーガンは「ひとりっ子」を始めとする一連の作品で、人間のかけがえのなさとは何かを繰り返し問い続けている。複製が可能ならばひとりをふたりにすることも可能だ(注:ひとりっ子はそういう筋書きではない)。そろそろ精神の複製防止技術も真面目に考えておいていいのかもしれない。

・順列都市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004829.html

・ディアスポラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004111.html

・万物理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

・祈りの海
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003779.html

・宇宙消失
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003824.html

・しあわせの理由
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003869.html

・グレッグ・イーガン全小説
http://www.tsogen.co.jp/web_m/yamagishi0603.html

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2007年02月25日

沖で待つ

・沖で待つ
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第134回芥川賞受賞作。他1篇併録。 2作ともおもしろかった。

部屋の鍵を渡しておくから、もし自分が死んだらパソコンのハードディスクを破壊しにきてほしい。そんな約束を相互に交わした同期入社のふたりの男女の話である。そして男の方が死ぬ。女は壊しにいく。とても現代らしい設定だなと思う。

そうそう。いまどき隠したい秘密はパソコンの中にこそあるのだよなあ。もはや手紙のラブレターをやりとりする人は珍しいが、メールのラブレターは一般的になったはずだ。デジカメや携帯カメラの時代には、写真だって書棚にあるわけではなくて、電子化されてパソコンの中にある。もちろん、アダルトサイトの画像や動画だってパソコンの中である。
彼女とのベッドシーンを撮影した画像がパソコンから流出して、Webに公開されて大騒ぎになった会社員の事件も記憶に新しい。ハードディスクは個人の秘密の宝庫なのだ。そこが感情や思い入れでいっぱいになっている。そう考えると現代の小説はもっとハードディスクを重要なモノとして筋書きに取り入れるべきだと思うし、この作品が芥川賞を受賞したのもいいことだなと思う。

携帯やメールは小説の小道具としてすでに定着している。ハードディスク小説がこれだ。USBメモリ小説や無線LAN小説、レンタルサーバ小説、検索エンジン小説、Mixi小説なんかもそのうち登場するのかな。そういうのを自分で書いてみたい気もする。

それから「働く」ということも現代の小説らしいテーマなのだと改めて気がついた。昨年度に芥川賞を受賞した「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ)、昨年度の直木賞の「風に舞いあがるビニールシート」も、エリートキャリア、正社員、フリーターと設定の違いはあるが、労働は主人公たちの思考や生活の中心にあるように描かれている。

もしかすると有名文学賞受賞作品における場面描写を分析すると、年々職場の割合が高くなっていたりしないだろうか。漫画「働きマン」も大ヒット中である。主役が何を職業にしている人なのかわからない小説は受けなくなっているような気がする。

ところで、「沖で待つ」の恥ずかしいハードディスク問題を解決するフリーソフトをみつけた。隠し事があるひとにおすすめ。

・死後の世界
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se281094.html

「あなたの死後に機密書類を自動削除、遺言を自動表示

あなたは突然死んでしまった場合の事を考えた事があるでしょうか?
事故、病気、天変地異…死は突然あなたに訪れます。
本ソフトウェアは、あなたが突然死んでしまった場合の事後処理をするソフトウェアです。
死後残しておきたくない機密書類を自動で削除したり、あなたの大切な人にメッセージ(遺言)を残しておく事が出来ます。 」

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2007年02月14日

「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」

もはや古典扱いの作品ですが、全部読みました。

「悪童日記」で右からガツーンと殴られ、「ふたりの証拠」でさらに左からグワンときて眩暈がして、「第三の嘘」のアッパーカットでノックダウンされる。2作目、3作目と連携プレーが効く。ガンダムにたとえるとドムのジェットストリームアタックを喰らったようなインパクトである。これは必ず3作続けて読むべきである。

・悪童日記
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「戦争が激しさを増し、双子の「ぼくら」は、小さな町に住むおばあちゃんのもとへ疎開した。その日から、ぼくらの過酷な日々が始まった。人間の醜さや哀しさ、世の不条理―非情な現実を目にするたびに、ぼくらはそれを克明に日記にしるす。戦争が暗い影を落とすなか、ぼくらはしたたかに生き抜いていく。人間の真実をえぐる圧倒的筆力で読書界に感動の嵐を巻き起こした、ハンガリー生まれの女性亡命作家の衝撃の処女作。 」

著者は、主人公たちの心理描写を徹底的に排除し、事実だけを淡々と述べていく。客観的な記述にこだわった文体は、亡命者としての著者の心境を表しているとも評される。心を描かないことで、逆に心が気になる。読者は、主人公たちのしたたかな生き方には共感しつつも、どこか得体の知れない闇を感じている。その緊張感が「悪童日記」の面白さだなと思う。

そして、この作品がフィクションとしての本当の魅力を見せるのは「ふたりの証拠」からだと思う。

・ふたりの証拠
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「戦争は終わった。過酷な時代を生き延びた双子の兄弟の一人は国境を越えて向こうの国へ。一人はおばあちゃんの家がある故国に留まり、別れた兄弟のために手記を書き続ける。厳しい新体制が支配する国で、彼がなにを求め、どう生きたかを伝えるために―強烈な印象を残した『悪童日記』の待望の続篇。主人公と彼を取り巻く多彩な人物の物語を通して、愛と絶望の深さをどこまでも透明に描いて全世界の共感を呼んだ話題作。 」

アマゾンの説明では、(ある種のネタバレを避けるためなのか)「愛と絶望の深さをどこまでも透明に描いて全世界の共感を呼んだ」などと、トンチンカンな紹介がされているが、この本の面白さは愛や感動なんかではない。著者が築いたフィクションの迷宮との知的格闘である。冒頭からそのゲームは開始され、「第三の嘘」まで、ゲームのルールを変化させながら続いていく。

・第三の嘘
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「ベルリンの壁の崩壊後、初めて二人は再会した…。絶賛をあびた前二作の感動さめやらぬなか、時は流れ、三たび爆弾が仕掛けられた。日本翻訳大賞新人賞に輝く『悪童日記』三部作、ついに完結」

語り口は寓話的でシンプルな文体だが、それを積み上げていくとこんな構築ができるのか、圧倒的じゃないかと思った。

恋愛小説も純文学も苦手だけど面白い名作はないですか?と聞かれたら、これを薦める。

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2007年02月10日

ざらざら

・ざらざら
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「熱愛・不倫・失恋・片思い・男嫌い・処女、そしてくされ縁・友愛・レズビアン。さまざまな女性の揺れ動く心情を独特のタッチで描いた名品揃い。クウネル連載20篇に他誌発表作3篇を加えた、ファン注目の川上ワールド。 」

「桃サンド」という食べ物がでてくる。レズビアンの女性が恋人との同棲の最終日に、つくった手料理である。つくりかたは簡単で、「ほどよくふわふわになった食パンに、バターだのジャムだのはいっさいぬらないで、ただきりとった桃をのせる。ぎっしりのせたら、食パンを半分におる。はい、桃サンドのできあがり」。桃の水分がポタポタと落ちてくるから、彼女たちはこぼさないように苦労して食パンを食べるのである。

「桃サンド」なんて実際につくったことがないけれど、読んだだけでも、甘ったるくてぺしゃぺしゃな食感が想像できる。きっと手は、べたべたになってしまって、その手をどこへ持っていったらいいか困ってしまうだろう。でも、彼女にはそれしか作れる料理がないから、まだ愛している恋人との最後の朝に、それをつくってやるのである。心の中は桃サンドの食パンみたいにぺしゃぺしゃってことなのだろう。

この短編集には他にも、ざらざらな男女、べたべたな恋、どろどろの愛など、恋愛の質感に満ちた表現がでてくる。さらさらだったり、からっとしている気持ちの良い恋ももちろん出てくる。そして主人公の女性たちにとって、恋がすべてではないことも共通している。恋に溺れている風であっても、溺れている自分を客観的に自覚している。深追いはしない。だめなときはさっぱり諦める。ふらふらしているけど前向き。不倫はしても心中はしない感じだ。

「あいたいよ、あいたいよ。二回、言ってみる。それからもう一回。あいたいよ。」

主人公のつぶやきや会話で始まる作品が多い。口語が美しい小説だ。

「龍宮」や「真鶴」のときの川上弘美とは主題も作風も大きく違っている。同一人物の作品と思えないほどだ。得意とする女性の心理描写は恋愛小説である「ざらざら」の方があっさりしていて、異界モノの方がウェットである。男性の心理があまり描かれない点は共通している。どちらが本当の川上弘美なのだろうか。もう何冊か読んでみる。

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・真鶴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004871.html

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2007年02月04日

笹まくら

・笹まくら
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故・米原万里が書評集「打ちのめされるようなすごい本」で打ちのめされるようなすごい小説として絶賛していたので興味を持った。40年前(昭和40年頃)に丸谷才一によって書かれた河出文化賞受賞の傑作である。

舞台は終戦から20年後。私立大学の職員である主人公の浜田は一見穏やかな生活を送っている。浜田には戦時中に死罪に値する徴兵忌避をして、日本中を女と逃げ回った後ろめたい過去があった。平和な時代になって、それは法的にはもはや罪を問われることのない経歴であったが、世間の目は冷ややかであった。

笹まくらとは、落ち着かない、不安な状態のことである。浜田の戦時中の逃避行と現在の息苦しい職場生活の二つの時制の笹まくらが重ねあわされる。過去の回想と現在の思考を空行で区切ることなく、意識の流れのままに文章化した独特の文体が、思い切ることができない浜田の憂鬱な心情をそのまま表している。時制が途切れない文体と並んで、捻りの加えられた構成の工夫も見事で、終始、緊張感のある物語に仕上がっている。

私が高校時代に丸谷才一を知ったのは小説ではなく、名著「文章読本」の著者として、であった。この本はさらに10年後、ライターの駆け出しだった私に編集者が薦めてくれた本でもあり、今でも思い入れのある本で、何がしかの影響を受けた。だから丸谷才一は私にとっては文章術の先生のイメージであった。小説を読んだのは実はこれがはじめてなのであった(本末転倒)。

・文章読本
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翻訳者であり、ジェイムズ・ジョイスの研究者でもあった丸谷は、日本語を客観視して、技巧によって名文を創り上げる努力をする作家であると言われる。学者であると同時に芸術家であり、技を知り尽くした上で、無意識の発露としての創造性を、この作品に結実させている。

徴兵忌避というテーマは、執筆時点でも既にふた昔前の遺物であったが、さらに40年が経過した。主人公が感じているのは脱走兵と同じような後ろめたさなのだろうなと想像して読むしかないわけだが、現代の読者の私にも、逃避行のスリルはとても生々しく感じられた。時代性が産んだ小説であるが、時代を超えた普遍の面白さを秘めている。戦後の余韻の時期である発表当時の社会的インパクトは、さぞかし大きなものだったのだろうと思った。

面白い古典である。


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2007年02月03日

家守綺譚

・家守綺譚
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「これは、つい百年前の物語。庭・池・電燈つき二階屋と、文明の進歩とやらに棹さしかねてる「私」と、狐狸竹の花仔竜小鬼桜鬼人魚等等、四季折々の天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録」

貧乏暇有り書き物を生業とする「私」は、今は亡き幼馴染の実家の留守を預かる”家守”(いえもり)の仕事を引き受けた。家守はヤモリと同音である。ヤモリには家を守る呪力があるという迷信がある。家守の「私」もまた、庭のサルスベリの樹と交感したり、掛け軸の中に住む幼馴染の亡霊の訪問を受けたり、日々異界のものたちとの交わりを深めていく。

「私」の日常を綴る形式で、ひとつあたり数ページの短い不思議話が数十本、オムニバスとして収録されている。話はひとつひとつで完結しているのだけれど、すべてが少しずつつながって濃度の高い世界観を形作っている。

これは21世紀の作品だが、設定は百年前だから明治時代の話である。日本古来のアニミズムの世界観に西洋化・文明化の波が少しずつ浸食を始めた頃である。一応は理性のアタマを持つ「私」だけれども、ココロとカラダはまだまだ土着のカミさまたちと一緒に暮らしている。それを当たり前に描いている文体が綻びがなくて巧みである。

この本を読みながら見るといいサイトがある。

・家守綺譚の植物
http://mother-goose.moe-nifty.com/photos/bungaku/index.html
「梨木香歩著『家守綺譚』の中に出て来る植物の写真を集めてみました」

この小説には植物の名前がたくさんでてきて、物語の雰囲気づくりに重要な役割を果たしている。こうして写真で知っておくと想像の再現性が高くなって深く本を味わえると思う。植物をモノではなく精霊に見立てた表現がありありと立ち上がってくる。

文庫版が昨年出たが、この本の風雅を味わうには雰囲気のある装丁のハードカバー版が絶対におすすめである。


・梨木香歩情報部
http://www.yokikotokiku.com/nashikinews.htm

・雷の季節の終わりに
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html

・夜市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004796.html

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・真鶴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004871.html

・きつねのはなし
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004868.html

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2007年01月28日

キリンヤガ

・キリンヤガ
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「絶滅に瀕したアフリカの種族、キクユ族のために設立されたユートピア小惑星、キリンヤガ。楽園の純潔を護る使命をひとり背負う祈祷師、コリバは今日も孤独な闘いを強いられる…ヒューゴー賞受賞の表題作ほか、古き良き共同体で暮らすには聡明すぎた少女カマリの悲劇を描くSFマガジン読者賞受賞の名品「空にふれた少女」など、ヒューゴー賞・ローカス賞・SFクロニクル賞・SFマガジン読者賞・ホーマー賞など15賞受賞、SF史上最多数の栄誉を受け、21世紀の古典の座を約束された、感動のオムニバス長篇。 」

22世紀、アフリカのキクユ族の末裔たちは、民族の伝統的価値観を追い求め、ユートピアを築くために地球を離れ、惑星改造技術で作られた新天地キリンヤガへと移住した。人々は現代のあらゆる知識や技術を捨て、厳しい自然の中で、古の掟を守って暮らす。全能の祈祷師としてコミュニティに君臨するコリバは、理想の社会を維持するために苦悩する。

伝統と革新、個人と社会、人間と技術といった大きなテーマについて、小さなキリンヤガ社会で次々に発生する事件は、読者に問いかける。人類の進歩とは何か。それは本当にいいことなのか?。コリバが人々に話す寓話は近代、現代の人類の歩みに対して疑問を投げかけるものばかり。

伝統的価値観の中には残すべき良いものが含まれているはずだと漠然と感じるが、それが現代人にとってどのような価値を持つのか、すばりと言い当てるのは難しい。コリバは次第に現代文明に”汚染”されていく同胞の姿に愕然としながら、その難しい説得を続ける。

10話すべてが未来の神話時代の世界を織り成す縦糸、横糸として語られる。どの作品も個別に完成度が高く感動的である。M.ナイト シャマランあたりが映画化したらいいなと思う大変な名作。

関連書評:

・HPO:個人的な意見 ココログ版: [書評]キリンヤガ
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_5.html


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2007年01月24日

きつねのはなし

・きつねのはなし
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「京の骨董店を舞台に現代の「百物語」の幕が開く。注目の俊英が放つ驚愕の新作。細長く薄気味悪い座敷に棲む狐面の男。闇と夜の狭間のような仄暗い空間で囁かれた奇妙な取引。私が差し出したものは、そして失ったものは、あれは何だったのか。さらに次々起こる怪異の結末は―。端整な筆致で紡がれ、妖しくも美しい幻燈に彩られた奇譚集。 」

お稲荷のお使いがキツネの像で、狐憑きという霊的現象もあるからキツネは霊的な印象があるが、本来はこれは動物のキツネが神様というわけではなかったらしい。穀物の神である御饌津神(みけつかみ)の”ミケツ”という発音がキツネの古語である”ケツネ”に近かったため、キツネがお稲荷の使いになったという説がある。

この作品に登場するきつねも動物のキツネではない。それは長い胴体を持って、闇夜にすばしこく動く何かである。お稲荷の総本山である京都の伏見稲荷には数年前に一度行ったことがある。見るからになにかそういうものが棲んでいそうである。昼間なのにどきどきした思い出が、この本を読みながらよみがえってきた。

・伏見稲荷神社で撮った写真をFlashムービー化してみたもの
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/fushimiinari.html
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京都の古物商を主な舞台にして、少しずつ重なり合う4つの物語がひとつの世界を構成する。なお、ミステリー小説ではないのですべての謎が解けると思って読まないほうがよい。まさにキツネにつままれたような体験をしたい人におすすめである。この森見 登美彦は恒川 光太郎、川上 弘美などの民俗系のダークファンタジーに通じるものがある。

・雷の季節の終わりに
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html

・夜市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004796.html

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・真鶴
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004871.html

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2007年01月21日

タイムマシン

・タイムマシン
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1988年、15歳の僕たちは、ドイツ・ケルン市に巨大なタイムマシンを作り上げた。
世界初の時間旅行をめざして――
スイスにある厳粛な寄宿学校を退学になった13人の少年たちは、一度は世界中に散らばるが、ドイツに再び集結する。仲間とタイムマシンをつくるために。

「タイムマシンだと、ふざけるな」「君たちくらいの年頃は、そういうつまらないことに興味を持つものだよ」そんな理解のない大人たちも、しだいに少年たちの熱意に動かされていく。やがて、少年と父親たちの手によって組み立てられたタイムマシンは、みんなの“希望”を乗せて動き出すのだった。

果たしてタイムトラベルは成功するのか? 少年たちの未来は?
気鋭の科学者が、自身の体験をもとに記す青春ストーリー!

著者は自身の発明でもある「宇宙エレベーター」を書いたトルコ人初の宇宙飛行士アニリール・セルカン。ケンブリッジ大学物理賞、アメリカ名誉勲章などを受賞し、NASAで宇宙開発へ参加した天才。現在は来日して東京大学で研究活動をしているそうだ。

力を合わせて夢に向かうこどもたちを寓話的に描いた、大人のためのファンタジー小説。タイムマシンを作るなどという荒唐無稽な夢を、実現を信じて協力し合う子供たち。その熱意に動かされ、彼らの研究をサポートする周囲の大人たち。

学校をドロップアウトしたThink Differentな子供たちが未来を変えていく。自身の体験をもとにしたということは、一見、宇宙開発のエリートに見える著者も内面はドロップアウト組なのかもしれない。そう考えるとなおさら力強いメッセージを感じる。

まずは自分の力を信じること、仲間と手を取り合うこと、創意工夫を積み重ねること、そして何よりあきらめないこと。そうすれば、とてつもなく大きな夢でも、実現への道が開けていく。「宇宙へ行く」という夢を実現しつつある著者の人生観そのものなのだろう。
力をもえらえる小説。

・アニリール・セルカンのブログ
http://blog.anilir.net/

・宇宙エレベーター
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2007年01月16日

真鶴

・真鶴
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「歩いていると、ついてくるものがあった。
まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい。かまわず歩きつづけた。」

この最初の一行にぞくっとして、これはひきこまれてしまうぞと確信した。なかなか書けない見事な書き出しであって、トンネルを抜けるとそこは雪国だった、級である。ついてくるものは憑いてくるものであるという、そういう異界ものの話である。すうっと異界にひきこまれて2時間半で読み終わり、無事、こちらがわへ戻ってくることができた。

句読点で短文を区切り、会話も内面も続けてことばを置いていく実験的な文体は、主人公と本当はそこにいないものの間を地続きにする。ひら仮名の短いことばは、この世にやってきたばかりの、子供のことばであり、常世のことばに近いのかもしれない。

「真鶴、はじめて。百が笑う。わたしも、こないだが、はじめて。一緒に笑う。岬の突端で突然空が広くなり、遥か下に海をのぞんだおりの、頬を耳を風がなぶったときの感触をいちじに思い出した。」

なにげなく取り出した一節だが、短文も活きているし、岬の突端で、からの一文も名文だと思う。日本語の表現力を引き出している。そして川上 弘美の文章は、根っからの女の文体だなと思う。生理があって血を流し、男に抱かれて、子供を産み、浮気に嫉妬して、ヒステリーを起こす。愛しすぎて男の首を寝ている間に絞めるかもしれない。そういう、どうしようもなく女であるっていう状態の文体である。男性は読んでいて怖くなるかもしれない。女性はどう読むのだろうか。

題名の「真鶴」というのもすごいではないか。温泉地の熱海でもなく、湘南海岸の江の島でもなくて、小さな港町の真鶴である。私は子供の頃に一度だけ行ったことがあるが、やはりこれは真鶴でなくてはいけない。大磯でも二ノ宮でもだめである。他の東海道の駅ではイメージが違うのである。ついてくるものがあるとすれば曇りときどき雨の日の、真鶴だという気がする。真鶴(まなづる)という字も音も、なにかが憑いている。

さて、文体の技巧やタイトルばかり褒めているのは、この小説が本当に素晴らしいので、ちょっとでもネタバレをしたくないからである。絶賛の5つ星である。

概要だけ引用すると「失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか? 『文学界』連載を単行本化。 」というものである。

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・雷の季節の終わりに
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004801.html

・夜市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004796.html

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2006年12月19日

順列都市

・順列都市 <上>
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・ 順列都市<下>
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1994年に書かれてキャンベル記念賞、ディトマー賞を受賞した名作。

人間の記憶や人格といった精神活動のすべてが脳という物理的システムの上にある情報であるならば、そのコピーを作成することが可能なはずである。コピーを別のシステム上で走らせれば、それはもう一人の自分である。

肉体を持つオリジナルと違ってコピーは不老不死でいることができる。しかし、ソフトウェアである彼らは、それを走らせるハードウェアなしには存在し得ない。ハードウェアが停止されたり、破壊されれば終わりである。

物語の舞台は21世紀半ば、ソフトウェア化してスーパーコンピュータの中へ移相し、肉体の死を逃れた大富豪たちの前に、彼らの究極の願いである、未来永劫の生を約束する男が現れる。一方で男は人工生命のアマチュア研究者のマリアに接触し、謎の研究依頼をしていた。

人工知能や情報論の先端知識を駆使してハードSFの最高峰作家グレッグ・イーガンが書いた壮大な仮想世界の未来物語。物語の枝葉の部分でも深い考察をベースに書かれており、読み込み始めるとずぶずぶと深みにはまっていく感じがする。

上巻冒頭の奇妙な詩や各章題は、本書の英語の題名のアナグラムになっているそうで、イーガンの超人的な構想力には毎度のことながら圧倒される。

グレッグ・イーガンの邦訳作品(単著)をこれで全部書評したことになる。次がはやくでないかな。

追伸: 仮想世界といえばセカンドライフ。試してみました。レポートです。
それからコメント欄で最新邦訳がでたとの情報。感謝。買いました。

・セカンドライフ体験記 - PukiWiki
http://glink.jp/wiki/index.php?%A5%BB%A5%AB%A5%F3%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%D5%C2%CE%B8%B3%B5%AD

・ディアスポラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004111.html

・万物理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

・祈りの海
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003779.html

・宇宙消失
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003824.html

・しあわせの理由
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003869.html

・グレッグ・イーガン全小説
http://www.tsogen.co.jp/web_m/yamagishi0603.html

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2006年12月17日

姉飼

・姉飼
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こんな衝撃の出だしで始まる表題作は第十回ホラー大賞大賞受賞。他に短編3作を併録。


ずっと姉が欲しかった。姉を飼うのが夢だった。
脂祭りの夜、出店で串刺しにされてぎゃあぎゃあ泣き喚いていた姉ら。太い串に胴体のまんなかを貫かれているせいだったのだろう。たしかに、見るからに痛々しげだった。目には涙が溢れ、口のまわりは鼻水と涎でぐしょぐしょ、振り乱した真っ黒い髪の毛は粘液のように空中に溢れだし、うねうねと舞い踊っていた。近づきすぎる客がいれば容赦なくからみつき引き寄せる。からみつく力は相当なもので大の男でも、ずりずりと地面に靴先で溝を掘りながら引き寄せられていく。ついには肉厚の唇の内側に、みごとな乱杭歯が並ぶ口でがぶり。とやられそうになるのだが、その直前に的屋のおやじたちがスタンガンで姉の首筋をがつんッ。とやるので姉は白目を剥いてぎょええええッとこの世のものならぬ悲鳴をあげる。

猟奇的で、凄惨で、偏執的で、官能的で、救いようがない世界へと読者をずるずると引き込む。

姉は人生の何を象徴しているのか?なんて考える隙を一切与えない底なし沼のような文体が際立っている。ホラー映画には必ずといっていいほどセックスシーンがあったりするものだが、官能とホラーは相性がいいのかもしれない。この作品はスプラッターポルノ小説だともいえる。泣き叫ぶものを切り刻む。

・独白するユニバーサル横メルカトル
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004775.html

作風はこの本と似ている。

最初から最後まで残酷奇譚であるが、徹底しすぎていて、逆にコミカルさも感じられる不思議な作品。こういう作風は、一歩間違うとただの猟奇趣味になってしまうのだが、読ませる文体によって、一級のB級ホラー(”B級”はいまや階層ではなくジャンルだと思う)として完成している。

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2006年12月12日

博士の愛した数式

・博士の愛した数式
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元数学教授であった老博士は事故で短期的な記憶力を失った。「私の記憶は80分しかもたない」と書いたメモをいつも袖に貼り付けている。毎日きてくれるお手伝いさんの親子との関係も、毎回、玄関で初対面の挨拶から始まってしまう。博士は子供が好きでお手伝いさんの息子の少年に「ルート」となづけて可愛がる。奇妙な記憶喪失の博士との生活が静かに綴られる。

博士は親子二人に、素数、完全数、友愛数、フェルマーの最終定理、オイラーの法則など、数学の不思議を語る。数学の知識が博士と現実世界の間をつなぐ唯一の接点なのだ。博士は本物の野球は見ないのに、スコアの分析にはこだわる、おかしなタイガースファンだ。

この物語、これといって何が大事件が起きるわけでもないのだが、記憶障害の博士のコミカルな言動と優しさ、それに答えるお手伝いさん親子のコミュニケーションの暖かさが魅力である。お互いがわかりあえる能力的限界を知りつつも、あきらめずに分かり合おうとする人たち、築いた友情を80分間隔で更新していく人たちの話なのである。

数論と阪神タイガースが好きな人におすすめ。

映画になった。

映画「博士の愛した数式」公式サイト
http://hakase-movie.com/

・博士の愛した数式: DVD: 小川洋子,小泉堯史,寺尾聰,深津絵里,齋藤隆成,吉岡秀隆,浅丘ルリ子,加古隆,上田正治
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関連書籍:

・四色問題
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004223.html

・フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004192.html

・数学と論理をめぐる不思議な冒険
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004631.html

・なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003518.html

・数学的思考法―説明力を鍛えるヒント
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003395.html

・確率的発想法~数学を日常に活かす
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001290.html

・あたまのよくなる算数ゲーム「algo」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001072.html

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2006年11月24日

雷の季節の終わりに

・雷の季節の終わりに
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やってしまった。

電車乗り過ごしである。

終電だったので3つ先の駅からタクシーで帰るはめになった。

寝過ごしたわけではない。年に一回あるかどうかの本に熱中しての読み過ごし。

すべてはこの本のせいだ。

デビュー作「夜市」で見せた才能の片鱗が、この初長編でさらに開花している。恒川 光太郎の作品は今後全部買う作家リストに入れることにした。代替不可能な魅力がある。

「異世界の小さな町、穏(おん)で暮らす少年・賢也。「風わいわい」という物の怪に取り憑かれている彼は、ある秘密を知ってしまったために町を追われる羽目になる。風わいわいと共に穏を出た賢也を待ち受けていたものは-?」

Web2.0はWebのあちら側とこちら側の話だが、これは世界2.0、こちら側世界とあちら側の異界の話である。それは天上にあるわけでも、地の底にあるわけでもなく、隠れた出入り口を通じてこの世界と連続している。

異界モノはいろいろあるが、世界観への入りやすさがポイントだと思う。ミネラルウォーターの硬さみたいなもので、硬水は身体になじみにくい。軟水では物足りない。この作品は、最初の口当たりが軟水でごくごく飲んでいるうちに、いつのまにかどっぷり硬水に身体がなじんでしまっている自分に気がつく、そんな感じだ。

日本人の原風景をモチーフにした親しみやすい情景描写とともに、長編ならではの構成の工夫もあって、最後まで飽きさせない。今年書評した同系統では「安徳天皇漂海記」と並ぶクラスの傑作だと思う。

・夜市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004796.html

・龍宮
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004759.html

・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004720.html

・異国の迷路
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004529.html

・悪霊論―異界からのメッセージ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004773.html

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2006年11月17日

夜市

・夜市
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人がいない夜の神社って怪しくて好きだ。目を凝らすと鳥居や古木の陰に普通は見えないものが見えてきそうな気がする。気がするのだけれど、やはり見えない。見たいと思っているときには見えない。いや、大人になってからはまったく見えない。こどもの頃には何か見えた思い出がある。真っ暗な木々の隙間に違う世界がちらっと見えたことがあった。
今考えると目の錯覚である。昼間に洗濯物の影が動く人の影のように見えることがあるし、天井の木目が顔のように見えることがある。経験からすると、そういう錯覚を起こすのは、多くの場合、植物と湿気と暗がりが関係している。

植物の輪郭は人工物に比べて複雑で、目が勝手に意味を読み取りやすいのだと思う。湿気や暗がりはモノの輪郭をさらに曖昧にする。神社のように古いモノは輪郭も綻んでいる。風景の情報量が多くなって認知が混乱したとき、潜在意識が作動して意味を見出そうとするせいだと頭では考えている。

それと同時にやはり何かいるんじゃないかと思う自分もいる。植物や水には過去の場の記憶を蓄積する機能があって、生きた人間はそれを呼び出す触媒になるのじゃないか、なんて非科学的なことを考えたりする。そういう妄想をするのが楽しい。だから、この作品はとてもはまった。

夜市は子供の頃、異世界に紛れ込み、自分が助かるために弟を向こう側に置いてきてしまった兄をめぐる怪異譚。一緒に収録されている「風の古道」は異界の古道に迷い込んだ少年の話。表題作が絶賛されているが、「風の小道」が私は好きだ。それは戻れない道なのでもある。

戻れると思って歩いているうちに、いつのまにか戻れない道を歩いているって人生のメタファーである気もする。何かを選択するということは、無数のありえたかもしれない世界を置き去りにしていくということ。置き去られた世界のうらみつらみが、神社の暗がりみたいな異世界との境目に滲み出てくるのではなかろうか。子供の頃に何かが見えた、鳥居や古木の枝ぶり、風に揺れる洗濯物の影、天井の木目もまた滲みが作り出すメッセージだったりするのかもしれない。そんなわけないか。

この本は異界に2時間旅をすることができる傑作。

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2006年11月08日

手紙

・手紙
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東野圭吾は、今年第134回直木賞を「容疑者Xの献身」で受賞するまでに6回も同賞候補にノミネートされてきた。この「手紙」は129回候補作。当時、選に漏れたとはいえ傑作であり、この秋に映画化されて上映中である。

・映画 「手紙」公式サイト
http://www.tegami-movie.jp/

予告編ムービーがある。微妙に原作がアレンジされているらしい。

映画の「手紙」はまだ観ていないが、私が東野圭吾作品にはじめて触れたのは「レイクサイド」の映画版「レイクサイド・マーダー・ストーリー」であった。保護者同伴のお受験対策合宿で愛人殺人事件が起き、それをなかったことにしようとする親たちの隠蔽工作が意外な展開を見せるドラマだ。

・映画『レイクサイドマーダーケース』
http://www.lakeside-mc.com/index.html
「お受験合宿の夜、お父さんの愛人が殺されました。」。容疑者は妻(薬師丸ひろこ)。原作はベストセラー作家・東野圭吾が2002年に書き下ろしたミステリー小説「レイクサイド」。個性派俳優揃いで原作の面白さが万全に活きた。演劇的。


犯罪ドラマを舞台に、世間と人間の本性を生々しく暴きだす作風は、この「手紙」でも手ごたえのある物語をつくりだしている。主人公は強盗殺人犯の弟である。進学、就職、結婚、家庭生活。主人公は不幸な境遇の中から必死に人並みの幸せをつかもうとするが、もう少しのところで唯一の肉親の取り返しのつかない過去の罪が邪魔をする。隠しても暴かれてしまう「強盗殺人犯の弟」というレッテルがすべてを台無しにしてしまうのだ。この小説は、そんな主人公の苦悩も知らない獄中の兄から、弟に毎月届く手紙をめぐる話である。

ジョン・レノンのイマジンのように、愛や絆がすべてを許して差別のない世界を実現する、というわけにはいかない。現実には愛や絆が差別を作り出すことになる。強盗殺人犯の家族に同情はしても、好き好んで近づきたい人はいない。できることなら無関係でいたいとおもうのが普通の世間の感覚だ。人種差別や部落差別と違って、真正面から戦うのが難しい種類の差別感情である。

重いテーマだが、失っても失っても常に前向きに進もうとする主人公の性格が救いになっている。出口のない迷路の中に光明を見出そうとする主人公の生き方に心を揺さぶられる。

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2006年10月31日

巡礼者たち

・巡礼者たち
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アメリカの片隅に生きる名もなき人たちの、人生の一瞬の輝きを切り取った短編が12作。著者のエリザベス・ギルバートは、ニューヨーク大学卒業後、エクスワイア誌に小説を連載し、パリスレビュー新人賞、ブッシュカート賞を受賞した気鋭の新人小説家。受賞作は共にこの作品集に含まれている。

12作の中から好きな作品をピックアップ。

表題作「巡礼者たち」は、平穏な牧場生活にふらりと現れたカウガールと、牧場主の息子の少年の短い交流を描く。新天地を求めて旅するカウガールを米国開拓者のイメージと重ね合わせている。力強い。

「東へ向かうアリス」はトラックが故障して立ち往生した兄妹を田舎町の中年男が修理を助けてやる話。孤独な者同士が触れ合うやすらぎ、悲哀。

「トール・フォークス」の主人公は安酒場の女主人。かつては人気だった店も時代の移り変わりの中で、隣の店にお客が流れ始めている。何事にも潮時があるという話。

「デニー・ブラウン(十五歳)の知らなかったこと」は、主人公が知らなかったことからその人生を描くという手法がユニーク。

「最高の妻」は70歳でスクールバス運転手をしているおばあさんの寓話。最後にもってきただけあってすばらしい出来だ。

どの作品も風味が豊か。読後感は爽やか。くだものをたくさん並べて、次々にちがう味を楽しむような楽しさがある。翻訳も洗練されていると思う。季節柄、公園やカフェでの休日読書タイムにぴったり。

エリザベス・ギルバートは長編も書き始めているらしい。今後が期待できる作家。

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2006年10月29日

告白

・告白
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あまりに面白すぎて危険なため、盆暮れ正月連休中に読むことをおすすめします。

明治時代に起きた、実際の大量殺人事件「河内十人斬り」。幼子まで含めて10人を惨殺する残虐事件でありながら、熊太郎・弥五郎の復讐劇は、盆踊り「河内音頭」のテーマとして歌い継がれてきた。

この小説「告白」は、ひとづきあいが苦手で、性根が駄目人間の城戸熊太郎が、なぜ村人を恨み大殺戮に至ったのかを、生い立ちから綴った独白である。


安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられない乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。

父母の寵愛を一身に享けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。

あかんではないか。

こんな出だしで始まる700ページ近い長編。

凶悪犯の恨みつらみの話でありながら、あっけらかんと明るい調子の関西弁で、数十年間の転落人生が物語られる。根から悪い男ではなかった。こども時代の事件に端を発する、心のボタンのかけちがえみたいなことが、次第に世間との溝を拡大していき、破滅へと熊太郎をおいやっていく。

ま、ストーリーはそんなかんじで、ほかにもいろいろあるが、実はどうでもよかったりする。この作品の本当の面白さは文体にあるのだから。著者の芥川賞作家 町田康は、パンクロックアーティストの町田町蔵なのでもある。語りかけるノリが、パンクのシャウトであり、ロックのビートであり、読者をリズムに酔わせるのである。それは、読書を止められなくなるくらい強烈なドライブ感なのである。

驚いたことにこの長い小説、最初から最後まで章立てとか見出しが一切ない。段落ぐらいはあるが、ひたすら区切らないで、延々続いているのである。熊太郎が頭の中で考えたことをすべて語り口調で書き出している。

熊太郎はかなりの駄目人間だが、誰だって駄目駄目な部分は持っているから、読者はそのうち自分と似た駄目なところに共感してしまう。思考をうまく言葉に表現できないもどかしさ、面倒を嫌って流されてしまう怠惰な性格、大きく見せようと思う虚栄心。そういうものに同情しているうちに、自然と読者は、なぜ殺人鬼が生まれたか、不条理ではなく、道理で、理解する。

すると、ときどき、この殺人鬼にエールを送りたくもなる。

そんなどっぷりヘンでオモシロな作品である。

町田康は、本作品で谷崎潤一郎賞を受賞。

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2006年10月26日

独白するユニバーサル横メルカトル

・独白するユニバーサル横メルカトル
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この本にタグをつけるとしたら「これはひどい」と「これはすごい」。

日本推理作家協会賞を受賞した表題作含めて、最初から最後まで、人肉を喰らったり、切り刻んだり、拷問したり、洗脳したり、虐殺したりされたりの短編が8本。死体や血しぶきが飛ばない作品は収録されていないので、グロテスク、スプラッター大嫌いの人は手にとってはいけない。人間のあらゆる狂気の濃縮ジュースみたいな内容である。

どの作品も独特の世界観の中に読者を閉じ込めて、強迫観念的な悪夢を味あわせる。実話に味付けした「怖い話」シリーズの作家として活躍する著者のストーリーテリングの技法が見事に活きている。読者は、巧みな物語設計によって、怖いもの見たさや、結末の見えない落ち着かなさを植えつけられる。救いようのない話ばかりだけれども、先が読みたくなってしまうのである。

そして読後の後味は意外にも悪くない。残虐行為の記述は語りの道具であって、メインテーマではないからだ。妙な話をバリエーション豊かに、次々に聞く面白さがこの本の魅力といっていい。「独白するユニバーサル横メルカトル」の語り手は、タクシー運転手の使っている地図である。地図が喋っているだけでも相当妙な話だが、その運転手が連続猟奇殺人犯であったりする。グロテスクな描写もどこか異世界の話として受けとれる。

閉塞感を巧妙に操る作家だなと思った。虐待される子供、数に執着する男、狂気の集団に潜入してしまった親子など、逃げ場のない設定が、読者に瞼を閉じることを許さないのだ。そうした語り方は著者の原点である怪談の技法と同じといえそうだ。

奇怪な話ばかり読みたいと思ったら、この本は最近のおすすめ作である。

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2006年10月24日

スターメイカー

・スターメイカー
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肉体の束縛を離脱した主人公は、時空を超え、太陽系の彼方へと宇宙探索の旅に出る。棘皮人類、共棲人類、植物人類など、奇妙な知性体が棲息する惑星世界。銀河帝国と惑星間戦争、生命の進化と諸文明の興亡。そこでは星々もまた、独自の生を営む生命体であった。そして、銀河という銀河が死滅する終末の時がやって来る。星々の精神と共棲体を築いた主人公は、至高の創造主「スターメイカー」を求めて旅立つが…。宇宙の発生から滅亡までを、壮大なスケールと驚くべきイマジネーションで描いた幻想の宇宙誌。そのあまりに冷たく美しいヴィジョンゆえに「耐えがたいほど壮麗な作品」(B・W・オールディス)と評された名作。
」(アマゾンのデータベースから引用)

普通の人間の想像力では大風呂敷を広げるにも限度がある。思いつく限りのスケールの大きな話をしてみろと言われても、人類の歴史だとか、地球の成り立ちだとか、せいぜい150億年前のビッグバンくらいが限界だろう。

人間の想像の大きさを競う種目があったら、この作品はギネスブックに載っておかしくない。太陽系を超えて、銀河を超えて、5千億年の時空を超えて、あらゆる生命の営みを観察し、全宇宙の知生体と意識を統合し、やがて宇宙の終焉間近に、万物の創造主スターメイカーの意図を知るまでの、果てしなく壮大な物語である。数ページで数億年のスケールに圧倒される。

登場人物はほぼ「わたし」一人だ。「わたし」はテレパシーを通じて他の星の知的生命体の精神と共鳴し、統合されて「わたしたち」になる。統合によってその精神は覚醒レベルを高めていき、すべてを見渡す究極の集合知性へと発展していく。その高みから全宇宙を俯瞰する。

登場人物がいないためにそこに人間的ドラマはない。星々の多様な形態の生命の興亡史を歴史家として叙述しているのみだが、読み進むにつれ「わたし」のビジョンがどんどん大きく、普遍的なものになっていく加速感が読むものをひきつける。SFというより哲学書といったほうが正しいのかもしれない。

1930年代(70年前!)にオラフ ステープルドンによって書かれた伝説的なこの作品は、後世のSF作家や科学者に多大な影響を与えたと言われる。世界の階層性や、精神的な統合への意志、進歩の概念、唯一の創造主の存在など、キリスト教、西洋文化的な要素を強く感じる。普遍を描いているので古さは感じない。フリーマン・ダイソン、ボルヘス、クラーク、バクスターらの絶賛の言葉は今も活きている。

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2006年10月17日

イニシエーション・ラブ

・イニシエーション・ラブ
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大学四年の僕(たっくん)が彼女(マユ)に出会ったのは代打出場の合コンの席。やがてふたりはつき合うようになり、夏休み、クリスマス、学生時代最後の年をともに過ごした。マユのために東京の大企業を蹴って地元静岡の会社に就職したたっくん。ところがいきなり東京勤務を命じられてしまう。週末だけの長距離恋愛になってしまい、いつしかふたりに隙間が生じていって…。

なんというか、書評が書きたくないが、オススメしたい特殊な本に当たってしまった。

「評判通りの仰天作。必ず二回読みたくなる小説など、そうそうあるものじゃない。」(帯より)というのは、私にとっては本当であった。

結局、この本を2度読み返した。部分的には3度も4度も読んだ。

ある意味、大変よくできた、面白い作品である。

発表時はだいぶ話題になったらしい。

ただし、読み方によってはまるで面白くないという人もいるだろう。どこにでもある若い男女の恋愛話だから。

小説が好きな人は、これ以上の予備知識なしに、軽く読んでみてほしい。

読み終わったらネットでいろいろ調べてみると楽しみが増える。

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2006年10月16日

風に舞いあがるビニールシート

・風に舞いあがるビニールシート
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突然の手紙に驚いたけど嬉しかった
何より君が僕を恨んでいなかったということが
これからここで過ごす僕の毎日の大切な
よりどころになります ありがとう ありがとう

」風に立つライオン さだまさし作

さだまさしの「風に立つライオン」は、アフリカの難民のために使命感に燃えて働く男性医師の生き様を歌った作品。かつての恋人から送られた、他の男との結婚を告げる手紙を読みながらも、自分が選んだ道への強い思いを確認する内容である。

「風に舞いあがるビニールシート」は、国連の現地採用で東京で働く里佳と、夫であり上司でもあるエドの、厳しくも爽やかな生き方を描いた直木賞作品である。二つの作品は風という言葉だけなく、主題もどこか似ている。

お金よりも大事なもの、恋愛よりも大切なもの、家庭よりも大切なもの、をみつけてしまった人たちの6つの物語。アフガンで死んでいく難民たち、保健所で始末されるイヌたち、修復を待つ仏像たち、芸術作品としてのケーキ、会社の意地悪が原因で落第する社会人の苦学生たち、軽んじられる今時の若者たち。そうしたものを救うことに、他の大事を投げ出すことを選ぶ人たちの群像である。

自分だけの価値観を追っていけば、周囲との軋轢をうむ。主人公達は、葛藤し、決意し、行動し、そして挫折するものもいれば、充足する人生を拓いていくものもいる。結果はどうあれ、それぞれが、力強くて、まぶしい。しかし、使命感はバランスを許さない。普通の幸せ、普通の損得計算は吹き飛ばしてしまうし、後戻りができない選択を強いられる厳しさもある。

私は大学時代に国際交流のNPOで活動していたのだけれど、当時の友人達の中には、卒業後も、国際NGOや国連組織に入って活動している人たちが何人かいる。私は入学当初は外交官を志していたけれども、難しい試験にあると聞いて、あっさりと諦めてしまった。それが結局、良かったのか、悪かったのかは今となってはよくわからない。今の仕事も生活も、とても気に入っているから。

数年前に東京大学の学生サークルからベンチャーの面白さについての1時間の講演を依頼された。彼らはあるNPOを立ち上げたばかりだった。かものはしプロジェクトという名前のその団体は、カンボジアの貧しい少年少女にITやプログラミングを現地で教育する活動を計画していた。日本で開発案件を受注し、カンボジアのチームに発注する。利益を現地の少女売春撲滅活動に使う。

「卒業したらどうするの?」

依頼主の学部生に聞いたら「きっと、この活動を続けたいと思います」と答えが返ってきた。

私は内心、彼は今はそう言うけれど、他の東大生と同じように、きっと普通に官庁か大企業に就職するだろうと思っていた。

何年かが過ぎて、私の会社にNPO法人化した同じ組織の経営メンバーとして訪問を受けたときには、びっくりした。卒業後、そのまま活動に身を投じていた。彼の志は本物だった。「風に舞いあがるビニールシート」を放っておけない人って稀にいるのである。

・かものはしプロジェクト
http://www.kamonohashi-project.net/

凄いと思います。がんばってください。

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2006年10月08日

龍宮

・龍宮
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「小さな曾祖母。人間界になじめなかった蛸。男の家から海へと帰る海馬。台所の荒神さま。遠いカミの世から訪れたものとの交情を描く傑作短篇集。 」

怪しいものを題材にする別の女性作家として宮部みゆきもよく読む。基本はミステリ作家だけれども、「本所深川ふしぎ草紙」、「あやし」、「かまいたち 」のような時代物短編集で奇談怪談をあつかう。宮部作品の場合には、幽霊の正体見たり枯れ尾花といった体であって、不思議について、大抵は現実のからくりが明かされる。悪意や憎しみ。これら宮部作品では人の心に棲む鬼のようなものこそ怖いのである。

これに対してこの川上作品の魑魅魍魎には、タネも仕掛けもない。常世や黄泉の国から現し世にまぎれこんでしまった異形のものたちが、素のままうごめいている。それらは民話や伝承にモチーフを借りつつも、独自の奇想世界へ落とし込んでおり、古典ペダンチックな嫌らしさもない。するりするりと物語がすすみ、活き活きと妖しい。人間でないもの、ケモノ臭くて、はかなげで、物悲しい何かをしっかりとリアルに描いている。

8編の最後の「海馬」が特に出色の出来と思った。海からきたものは海へ帰る。いかにも日本的なカミさまのお話。

現在、巷で大不評の坂東真砂子(もともと作品が際どいから今回のペット殺し告白事件もあまり驚かなかった)原作の「狗神」「死国」、怪奇漫画の諸星大二郎原作の「奇談」みたいに、この小説も映画化されないかな。

・狗神 特別版
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・死国
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・奇談 プレミアム・エディション
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・私の好きな漫画家たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000741.html
諸星大二郎が好きな人におすすめ。

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2006年10月02日

投資銀行青春白書

・投資銀行青春白書
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■外資系投資銀行・新人OLの青春物語!

外資系投資銀行の新人OLミヤビが、入社してから大規模M&A案件に挑むまでを描いた青春小説。経済の知識ゼロで入社してしまったミヤビは、右も左もわからない状態から、先輩社員の指導の元、大手化粧品会社のM&Aに挑む。徹夜でプレゼン資料を作成したり、同僚のリストラ、クライアントの接待、海外出張など、多彩な経験をして成長していくミヤビと先輩社員との淡いラブストーリーも見所です。軽快でわかりやすい文章を通して、経済、株式、企業ファイナンスなどの知識が楽しみながら身につくのも特徴。本物の投資銀行マンだった著者が、経験をフルに生かして書いた一冊です。

さわやか!。

新入社員として投資銀行に入社した主人公の女性が、はじめてのことの連続に戸惑いながらも、最初のM&Aの大仕事をやり遂げるまでの奮闘記。著者の保田さん(男性だが)自身の投資銀行勤務の経験を活かして書かれている。外資系の投資銀行の仕事の概要や雰囲気を味わえる。

外資系の投資銀行は企業買収以外に何をしているのか、「デューデリ」「ビューティ・コンテスト」「レップス&ワランティ」など専門用語の意味、どんなムードの職場なのか、といった業界知識が小説に織り込まれていて自然に学べる。特に就職希望の学生におすすめ。

最近、経済評論家としてテレビ出演も多い保田さん。前作よりかなり小説書きとしても腕を上げられている。次は「ザ・ゴール」みたいなのを書いてください。あと、たまに遊んでください。

・ワクワク経済研究所LLP
http://wkwk.tv/
著者のサイト。

・ちょーちょーちょーいい感じ - ブログ|本日出版!「投資銀行青春白書」
http://wkwk.tv/chou/?action_xeblog_details=1&blog_id=1116
この本の出版に喜ぶ保田さんに書店で悲しい事件が(笑)。

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2006年09月24日

・桃
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長編「ツ・イ・ラ・ク」の対をなす短編集。

・ツ・イ・ラ・ク
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004722.html

前作の登場人物たちが、各々の視点で語る6つのサイドストーリー。「あの事件」と平行している時代の話もあれば、後日談もある。前作では脇役だった人物がここでは主人公になる。

人それぞれの6つの人生模様の中で、共通しているのは、何かに執着する心といえそうだ。幼い頃に芽生えた執着は年齢を重ねても本質はかわらない。それがやがて個性になり、それぞれの運命を呼び寄せている、ように思える。


学校---幼稚園でも大学でも---という空間が区切る時間があまりにも克明で密度が高いため、この空間からはなれて久しい人間は、おうおうにしてミステイクをおかすけれども、十四歳の女は、二十四歳の女とも三十四歳の女とも同じなのである。そのからだは。その情欲も。

「ちがう」

もしだれかがそう言うのなら、それは、わたしとその人の個性がちがうのであって、その人のうちでは、その人の原型は十四歳よりももっと以前、十歳くらいに成り立っていて、その原型が、衆人の前に現れ出るかたちが、わたしとはちがっただけのことを錯覚してしまうからだ。

その人のうちにおいてはその人の十四歳と二十四歳と三十四歳は同じはず。ちがうところは、わたしがそうであるようにふたつだけである。各々なりの知識の量とその知識量からくる語彙。体力とその体力差からくる執着の度合い。執着を詩人はときに、情熱やひたむきと換言するけれども。


どの話も「ツ・イ・ラ・ク」を読んでいなくても、単独作品として楽しめるように書かれているが、もちろん、前作を読んでからのほうが深く味わえる。

表題作「桃」は映画にもなっている。女性のエロスをテーマにした短編オムニバスの「female」。この第一話として長谷川京子が主演で映像化された。小説のファンなら一見の価値あり。ただし、このDVDでのおすすめは、断然、小説とは無関係な「玉虫」の石田えりの好演なのであるが。

・female
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5人の女性作家の原作を5人の監督が5人の女優で仕上げた5つのエロス。「桃」「太陽の見える場所まで」「夜の舌先」「女神のかかと」「玉虫」を収録。

「桃」―長谷川京子/池内博之/野村恵里
「太陽の見える場所まで」―大塚ちひろ/石井苗子/片桐はいり
「夜の舌先」―高岡早紀/近藤公園
「女神のかかと」―大塚寧々
「玉虫」―石田えり/小林薫/加瀬亮

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2006年09月20日

パイの物語

・パイの物語
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2002年度ブッカー賞受賞作。

「1977年7月2日。インドのマドラスからカナダのモントリオールへと出航した日本の貨物船ツシマ丸は太平洋上で嵐に巻き込まれ、あえなく沈没した。たった一艘しかない救命ボートに乗り助かったのは、動物たちをつれカナダへ移住する途中だったインドの動物園経営者の息子パイ・パテル16歳。ほかには後足を骨折したシマウマ、オラウータン、ハイエナ、そしてこの世で最も美しく危険な獣ベンガルトラのリチャード・パーカーが一緒だった。広大な海洋にぽつりと浮かぶ命の舟。残されたのはわずかな非常食と水。こうして1人と4頭の凄絶なサバイバル漂流が始まった…。生き残るのは誰か?そして待つ衝撃のラストシーン!!文学史上類を見ない出色の冒険小説。」

まさに世界文学と言えそうな傑作だった。

私達はなんらかの神や、なんらかの物語を信じる。少年は漂流する救命ボートの上で、人を喰うトラと向き合う。食糧も底をついた極限状態であるが、気を抜けばトラに自分が喰われてしまう。調教師のようにトラに対して優位を保つ努力をする一方で、喰われぬようにエサも与える。トラは少年にとって、敵であり友であり、そして神であり、人生でもある。トラと自分の物語を信じることで、また1日を生き延びる。

語りの見事さ、哲学の深さ、ともに見事な完成度。表紙のポップなデザインや動物モノ、冒険小説風の作品紹介に騙されてはいけない。物語は最初は、緩やかに少年の成長物語としてはじまるが、漂流する中盤以降で、人間の心の闇を暴き出すきわどさを見せ始める。加速感がたまらない。

この作品は当初、「シックスセンス」のM・ナイト・シャマラン監督が映画化をする予定だったが、シャマランが別の映画に専念するために降り、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のアルフォンソ・キュアロン監督が手がけることになったが、こちらも途中で降板し、結局「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネ監督に決まったらしい。

物語の構成からするとシャマランが適任だったように思われるが、幻想的な作風のジュネ監督にも期待できる。日本公開が楽しみ。

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2006年09月13日

わたしを離さないで

・わたしを離さないで
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出版社の紹介文を引用。


自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点

「施設」で暮らすキャシー、トミー、ルースの生活は、一見のんびりした普通の子ども時代のようで、なにか様子が違うのである。彼らには知らされていないことがあるのだ。施設は何のために作られ、なぜ彼らはそこで育てられるのか。

彼らも読者も同じように、知らされることを集めて、知らされないことを漠然と想像して自分なりの理解を得る。物語は少女キャシーの視点で語られるので、終盤までその想像が本当なのかどうかはわからない。

全てを知るものの目で見れば、そうした想像は他愛もない空想に過ぎないかもしれない。だが本人達にとっては、生きていく上で、それが精一杯の手にした真実だ。隠されている残酷な現実をはっきりとは知らされないまま、大人になる子供たち。それは、キャシーたちだけではなく、私達自身の人生の普遍を描いているような気がする。

日系の英国人作家カズオ・イシグロの名を世界的に知らしめた「日の名残り」(ブッカー賞受賞作)の深み、格調のある文体と緻密な構成力が、この作品でも活かされ、単なる奇談に終わらせない。多様な解釈の道を読者に開いている寓話、という読後感。

人は少しずつ世界を知る。そして十分に知ったつもりになる。本当は何も知らないのに。知ったからといって変えられない運命は使命として引き受ける潔さ。そういう人の生き方を問うのが、著者の意図かなとまず思ったが、まったく異なる読み方が何通りもできる小説でもある。違う読み方なら違うメッセージを読める。

読んだ人と語り合ってみたい小説である。

この作品は発表直後に雑誌「タイム」が選ぶ1923年から2005年の約80年分の作品を対象にしたオールタイムベスト100に選ばれた。ニューヨークタイムズ他で2005年度ベストブックに選ばれる。邦訳は2006年の春で、日本でもどこかで今年の年間ベストに入りそうな予感である。

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2006年09月07日

ツ・イ・ラ・ク

・ツ・イ・ラ・ク
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雑誌ダカーポの「眠れないほど面白い本」特集号で恋愛小説第一位で絶賛されていたので、姫野 カオルコ、はじめて読んでみた。いい。とても良かった。

「忘れられなかった。どんなに忘れようとしても、ずっと」

これはリアルで純粋な恋愛の話だ。14歳の少女が新任の若い教師と恋に落ちる。主人公はすこし大人びているけれど、中学生である。じゃあドラマ「高校教師」みたいかというと、違う。ひたすらに燃え上がって心中してしまうような綺麗なだけのファンタジーではない。

舞台は関西のどこか田舎の、これといって特徴のない場所。ストーリーは主人公の小学生時代から始まる。女子グループの初歩的な派閥形成と心理葛藤。好きな男子は誰かを白状させ告白するゲームと、秘密の交換日記。横浜からやってきた都会の香りの転入生。相合傘の落書き騒動。

原稿用紙950枚の長編小説だが、最初の3分の1はそんな具合で、肝心の二人の話は主人公が14歳になるまで、一向に始まらないので恋愛小説だと思って読み始めた読者はやきもきさせられるが、作者は、主人公の森本隼子が少女からオンナになるまでの形成過程をゼロから読ませたかったのだと思う。その仕掛けは成功している。

無垢ではないが、スレてもいない。細いけれど自分なりの芯を持って、現実的な捉え方をする女の子。主人公の生い立ちをなぞるうちに、自然に彼女の等身の姿に読者はなじんでいく。そんな頃合いに男性教師は赴任してくる。長い前戯としての前置き。そこから恋愛物語の本編が始まる。

エロチックで淫らな小説でもある。セックス描写そのものよりも、人目を忍んでまさぐりあうような抑制されたシーンの記述がなまめかしい。ツ・イ・ラ・クする男と女。それを取り巻く複雑な人間模様。敢えて前半を冗長に描いただけあって、登場人物に存在感があり、魅力的に感じられる小説だ。

これ以上は内容について書かない。

少年少女時代のの心理を少し突き放して、大人の視点からナナメに総括する作者の文体が、物語の進行にうまいアクセントを効かせている。所詮は若い頃の恋愛なんて、と構えて話すようでいて、帯にあるような「心とからだを揺さぶる一生に一度の恋」を書き上げているのが、うまいと思う。

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2006年09月05日

安徳天皇漂海記

・安徳天皇漂海記
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これは凄い小説だ。第19回(本年度)山本周五郎賞受賞作品。

「二位殿やがていだき奉り、「浪のしたにも都のさぶらふぞ」となぐさめたてまつって、千尋の底へぞ入給ふ」(平家物語)。1185年、壇ノ浦の戦いで敗北が確実になった平家軍の船の上から、祖母の平時子に抱かれて、8歳の安徳天皇は三種の神器とともに、海に身を投げて崩御した。

平家の滅亡から二十年の歳月が流れて、源頼朝の息子で12歳の少年、源実朝は鎌倉幕府の第三代征夷大将軍に就任していた。この物語は、安徳天皇と源実朝の二人の少年を軸にしてすすんでいく歴史ファンタジーである。第二部のマルコポーロ編では、物語は海を越え、元帝国クビライ・カーンをも巻き込んだ世界スケールへと発展していく。

諸星大二郎的な、日本神話ベースのおどろおどろしいイメージが好きな人にはたまらない作品である。歴史の波を漂う安徳天皇の魂が、同じく滅ぼされるものたちの魂と呼応して、幻想的なドラマを織り成す。

これは日本神話と平家物語と東方見聞録の壮大なリミックスといえる。深く味わうには、古事記と平家物語が予備知識としてあったほうがよいが、原典を読むのが面倒であれば、諸星大二郎の漫画「海竜祭の夜」がおすすめ。祟る神としての安徳天皇がでている。


・海竜祭の夜
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歴史系、SF系の小説が好きで、まだ読んでいないなら、強い自信を持っておすすめ。

・古事記講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003755.html


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2006年08月23日

タッチ

・タッチ
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結婚4年目の若い夫婦バーニーとカレンは不妊に悩んでいた。カウンセリングを受けるが成果はなく、二人の仲はぎくしゃくしたものになっていく。そんな時、バーニーの勤務先で放射能事故が発生する。会社の発表によれば、汚染は最小限にとどまり大惨事は防がれたというが、事故から数週間後、バーニーとカレンの体には吐き気やめまいなどの奇妙な異変が…。しかもこの最悪の時期に、カレンの妊娠が判明する。はたして、胎児に放射能の影響はあるのか?夫婦はこの子に生を与えるべきか?―突然の災厄に翻弄される夫婦が経験する、愛の崩壊と再生の軌跡を描きあげた衝撃作。

著者は「アルジャーノンに花束を」「24人のビリー・ミリガン」「眠り姫」などで知られるベストセラー作家 ダニエル・キイス。この邦訳の出版は2005年12月とつい最近だが、米国での初版は、37年前の1968年にでている。

その間には、巻末のまとめで紹介されているように、原発や産業施設での放射線事故が世界中で頻発した。一般の生活者が突然被爆する、キイスが描いた悲劇は現実のものになった。世界への注意喚起の意味を込めての再版ということらしい。

この本のテーマは放射能汚染の恐怖だけではない。絶望的な状況に追い込まれた人間の心理の葛藤が中盤以降のメインテーマになる。主人公の夫婦は、汚染の被害者なのに加害者扱いされる。世間と対立しながら、ギリギリの心身状況で、愛や宗教や芸術に救いをみつけようともがく。被爆の症状の悪化と妊娠の進行が物語を緊迫させる。

キイスのストーリーテリングのうまさ、人間心理の洞察の深さがこの本でも味わえる。テーマは重いが一気に読ませる。

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2006年08月14日

運命ではなく

・運命ではなく
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ノーベル文学賞作家ケルテース・イムレの自伝的な代表作。

第二次世界大戦下のハンガリーで、ユダヤ人の少年は突然に逮捕され、アウシュビッツへ送られる。強制収容所での劣悪な生活環境、死と暴力に隣り合わせの過酷な日々。そして終戦と解放。故郷では家族も家も失われていた。

そんな絶望的な状況であっても、希望を失わず、自らの人生を力強く生きる主人公。運命に従うのではなく、自由意思で選び取っていくことが、意味や価値のある人生なのだということを悟る。

戦争とホロコーストが題材だが、反戦のメッセージはほとんどない。強制収容所の大虐殺に対する批判もない。それがケルテース・イムのノーベル賞受賞がだいぶ遅れた一因ではないかと推測されているらしい。悲惨な場面も多々あるが、受身ではない主人公は淡々と前へ前へと歩いている。

これは小説の形をした人生論だと思った。アカデミー賞、カンヌ映画賞受賞の映画「ライフ・イズ・ビューティフル」と似た印象を持った。どんな状況でも、自分の人生を自由意志で選んで生きていると確信できる人は幸福だ。「強制収容所での幸せについて、僕は話す必要がある」という著者のことばは、豊かな国でも貧しい国でも、普遍的な意味を持つメッセージになる。それがノーベル賞受賞の理由なのだろうなと感じた。

・ライフ・イズ・ビューティフル
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「第2次世界大戦下、明日をも知れない極限状態に置かれながらも、決して人生の価値を見失わず、豊かな空想力を駆使して愛する家族を守り抜いた、勇敢な男の物語。」

終戦関連:

・「アトミック・カフェ」と「美しい夏 キリシマ」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003460.html

・父と暮らせば
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002020.html

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2006年08月09日

象られた力

・象られた力
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「惑星“百合洋”が謎の消失を遂げてから1年、近傍の惑星“シジック”のイコノグラファー、クドウ円は、百合洋の言語体系に秘められた“見えない図形”の解明を依頼される。だがそれは、世界認識を介した恐るべき災厄の先触れにすぎなかった…異星社会を舞台に“かたち”と“ちから”の相克を描いた表題作、双子の天才ピアニストをめぐる生と死の二重奏の物語「デュオ」ほか、初期中篇の完全改稿版全4篇を収めた傑作集。 」

2005年星雲賞 日本短篇部門を受賞した表題作を含む4つのSF作品集。

中学校の理科の時間に先生が「結晶は生物に似ています」という話をしていた。ある特定の形が集まると、自然に結合して、大きく複雑な構造をつくる。無生物が、形の力によって、まるで生きているかのように見える。形には力があるのだなと思った。

原子や分子だって形である。人間にとって致命的なウィルスや劇物は、その形が人体に作用するのだし、遺伝複製のDNAやRNAもそういう形をしているから、そういう働きをするのだ。

情報にも形があるかもしれない。情報の遺伝子と呼ばれる概念の「ミーム」もある種の形なのではないだろうかと思っている。人間社会の情報のやり取りの中で、強くて繁殖しやすい形のミームとそうでないミームがあり、形同士のせめぎあいの中で、強い形は生き残っていくものなのではないか。

表題作「象られた力」は、形と力がテーマのSF作品である。ある形のイメージがウィルスのように、人々の心を伝染していくことで、力を得る。遺伝子と同じように、形それ自体には意思も感情もないけれど、発現した力は人類に破滅的な影響を及ぼし始める。

「デュオ」は双子であるがひとつの身体を共有する奇形の天才ピアニストの物語。右腕と左腕を別人格が弾く。ユニークな着想と語り口。変奏される主題。最後まで飽きさせない。

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2006年07月19日

老ヴォールの惑星

・老ヴォールの惑星
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「偵察機の墜落により、おれは惑星パラーザの海に着水した。だが、救援要請は徒労に終わる。陸地を持たず、夜が訪れない表面積8億平方キロの海原で、自らの位置を特定する術はなかったのだ―通信機の対話だけを頼りに、無人の海を生き抜いた男の生涯「漂った男」、ホット・ジュピターに暮らす特異な知性体の生態を描き、SFマガジン読者賞を受賞した表題作ほか、環境と主体の相克を描破した4篇を収録。著者初の作品集。 」

表題作は「SFが読みたい!」誌の2006年版 年間ベストSF 国内編で、堂々第1位の作品。その他に3つの短編が収録されている。4作ともひたすら素晴らしいハードSF。SF好きでまだ読んでいなければ絶対のおすすめ。

読後感はテッド・チャンの短編集「あなたの人生の物語」と似ている。どちらも現代SF最高レベルの出来だが、あちらが「神の不在」がテーマだったとすると、こちらは「人間の絆」がテーマといえそう。だから、こちらの方が少し明るく希望がある印象。もともと日本語だから読みやすい。

4作を私の個人的な主観で順位付けしてみた。

1位 「ギャルナフカの迷宮」
2位 「老ヴォ-ルの惑星」
3位 「漂った男」
4位 「幸せになる箱庭」

といった感じ。

オリジナリティの豊かな作品だが「ギャルナフカの迷宮」「幸せになる箱庭」はそれぞれ
・CUBE
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・ソラリス
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あたりにインスパイアされたのかなと感じた。

小川 一水という作家、2004年度に星雲賞日本長編部門も受賞しているが、今後の作品がとても楽しみ。

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2006年07月02日

魔笛

さて、私の渋谷ではたらく生活は6年くらい。3年間ほど住んでいたこともある。この渋谷がテロリズムの舞台になるのが、この小説である。冒頭のスクランブル交差点の大爆破シーンでいきなり圧倒される。毎日通る場所が何度も登場するので、たいへんな臨場感を味わった。渋谷の人に特におすすめ。

・魔笛 (クリック先に注意 アマゾンの説明などは読まないほうが良いです。)
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白昼、渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ!2千個の鋼鉄球が一瞬のうちに多くの人生を奪った。新興宗教の教祖に死刑判決が下された直後だった。妻が獄中にいる複雑な事情を抱えた刑事鳴尾良輔(なるおりょうすけ)は実行犯の照屋礼子(てるやれいこ)を突きとめるが...。

発表当時、江戸川乱歩賞の候補に挙がるが、実在のカルト宗教集団にあまりに酷似しているとの理由で、受賞を見送られたといわれる。スピード感、迫力の描写、ミステリ、娯楽小説として完璧に近い仕上がり。

著者の故野沢尚氏は実力派の脚本家である。多数の有名作品のノベライズを手がけており、ビジュアライズがうまい。映画化された作品には「破線のマリス」(1997年に小説が第43回江戸川乱歩賞を受賞。)などがある。

・野沢尚 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%B2%A2%E5%B0%9A


渋谷を舞台ということではゲーム「街」がおすすめ。ちょうど私が住んでいた神泉駅周辺がよく登場しており、遊んだ当時、大変楽しめた記憶がある。PSPで特別編、PS、PS2用に復刻版がある。

・街 ~運命の交差点~ 特別篇
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・PS one Books 街~運命の交差点~ サウンドノベル・エボリューション3
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仕事関係のおつきあいのある皆様へ

役員をしておりますメタキャスト社(テレビブログ)が6月30日付でオフィスを新橋に移転いたしました。データセクション社は従来どおり渋谷で変更ありません。どちらでも連絡可能ですが、私は新橋にいることが多くなります。よろしくお願いいたします。

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2006年06月27日

聖水

・聖水
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2001年度芥川賞受賞作「聖水」、1995年度文學界新人賞「ジェロニモの十字架」を含む、4編の文庫本。アマゾンでオススメされ、今頃読んで感動する。青来有一、その後の作品も全部読もうと思った。

4編とも、信仰と救済がテーマとして共通している。著者は地元九州長崎の、隠れキリシタンや原爆、海(干潟)といった土地の記憶を物語に重ね合わせる。キリシタンは神、原爆は死者、海は彼岸という、異界との接点である。そうしたものと向き合った人間の変容を、情感豊かな文体で丁寧に描く。

信仰と救済がテーマといっても、曽野綾子、三浦綾子のような、キリスト教信者的な作風とはだいぶ異なっている(著者に信仰があるかは知らない)。信仰の意味を問うような厳しさではない。信じることで救われる人間を描くと同時に、信じるものを取り巻く危うさ、不気味さ、不思議も常に対置させている。

そういえば4編とも、出てくるのは正統なキリスト教や仏教ではなく、ある種、邪宗的な色合いの信仰だ。そうした登場人物は、少し狂っているともいえる。その狂気が、かけがえのない癒しを与える聖性に変わる瞬間が、「聖水」や「ジェロニモの十字架」の物語のクライマックスに据えられている。

狂ったもの、穢れたもの、祟るものの異界から、聖なるものが出てくる、再生する。日本の土俗宗教的、神道的な宗教意識を強く感じる。歴史的にも異界との接点であった長崎の海と土の匂いがする舞台設定、情景描写がその意識を自然に包み込んでリアリティを与えている。土の中から掘り起こされた十字架であり、歴史の古層から蘇ったオライショが生きている。

エロスの描き方もうまい。エロスとタナトスの媒介にマリア的な女性が効果的に登場する。初期設定の死や暴力だけではスタティックになりがちな物語が、その存在によって、主人公の男性を突き動かし、生と性と聖が3つつながっていく。死が再生に循環する深さを与えている。

・表現者の現場
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/hyogen/0508/hg_508_050801.htm

・書評:カテゴリ 神話・宗教
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/cat_booksreligion.html

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2006年06月25日

PILOTS初期画集成LEGEND ARCHIVES―COMICS

・PILOTS初期画集成LEGEND ARCHIVES―COMICS
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私が大ファンの漫画家 星野之宣の初期作品の”画集”。幻の作品も収録。飽くまでファン向け。

初期作品のイラスト、原画をセレクトしている。なんと高校時代の作品もある。セリフ部分は手書きである。絵は今の方が上手くなっているが、作風という点では出発点において、既に星野ワールド。星野作品には、大きくSFモノと歴史モノがあると思うが、SFモノの収録数が多い。

解説を読者から見ると永遠のライバルのように思える諸星大二郎が書いている。「星野さんの本の解説を書かされることになってしまった。他人の作品の解説なんて柄じゃないし、どうなるか分かりゃしないと思ったものだが、引き受けてしまったので仕方がない。無茶苦茶な文章になっても勘弁してくれと、本人には言ってある。こういうことのコツはまず無責任になることだ。」。こんな出だして、デビュー以来の、星野氏との出会い、漫画家としての軌跡と二人の交差、手塚治との鼎談の思い出などを語っているが、いつのまにか諸星大二郎自身の自分語りになっていて、あまり褒めない。やっぱり、こういうのがライバル関係の心理なんだろうなと可笑しくなった。

ここ数年、星野之宣作品は復刻全集化?が進んでおり、入手が容易になった。人にすすめやすいのが良いのだが、復刻版には未収録作品が入っていたりするため、全部買いなおさねばならないのがファンとしては忙しい。

(さらに宗像教授異考録 2,3が近刊として発売予定。)

・2001+5~星野之宣スペース・ファンタジア作品集
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「SF・伝奇漫画の第一人者である作者による、単行本未収録作を中心に集めた傑作集。名作の誉れ高い『2001夜物語』の、幻の番外編「夜の大海の中で」を筆頭に、宇宙SF漫画の逸品を集めた、粒ぞろいの短編集。」

・妖女伝説―初期型LEGEND ARCHIVES―
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「刻と空間の彼方から、女たちの「言霊」が聞こえる-。「宗像教授シリーズ」「ヤマタイカ」、そして「ヤマトの火」の原点である歴史と伝奇ロマンに誘う星野之宣の初期名作。初版をベースに初出順に再構成のうえ、ここに蘇る! 」

・MIDWAY 宇宙編
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「人類は新たなる大地を求め、果て無き星空に飛び立つ!! しかし、その無限なる可能性の裏にある過酷な現実とは!? SF漫画の名手である著者自らが選んだ8作品を収録!! 「星野之宣 自選短編集 MIDWAY 宇宙編」待望の文庫化!! 各作品解説・あとがき/星野之宣 」

・私の好きな漫画家たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000741.html

これから読む人は「宗像教授シリーズ」「2001夜物語」あたりがおすすめ。

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2006年06月22日

詩のこころを読む

・詩のこころを読む
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アマゾンのカスタマーレビューで5つ星連発。私も5つ星をつけたい名著。

詩人 茨木のり子が、主に日本の詩の名作を取り上げ、評論する。

じわっとくる、ぐっとくる、日本語がある。

谷川俊太郎、吉野弘など国語の教科書にでていた記憶のある、有名な詩も含まれているのだが、この年になって読み返して、違う解釈で感動できる詩が多いなと感じた。「空にすはれし15の心」なんて15歳の時にはまったく違う印象だった。

普段、ビジネス文書や研究論文ばかりを相手にしていると、アタマにでなく、ココロに響くことばの使い方があることを忘れてしまいがちである。ときどき言語感覚をリフレッシュするのに詩はいいなと思う。

「思索の淵にて」のときにも思ったのだが、詩は連続して読まないのがいい読み方かもしれないと思う。前の作品の強烈な印象が残っていると、次の作品鑑賞の邪魔になるし、余韻が味わえない。この本の場合は、途中に長文の解説が入るので、感受性を休ませながら、読むことができるのが良かった。

・思索の淵にて―詩と哲学のデュオ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004562.html

詩といえば、こんな面白いコラムをみつけた。新宿駅で「私の志集」を売る女性は何者か?。女性に話しかけたことから始まるドラマをフリーライター氏が書いている。私もこの詩集を売る女性を見たことがあって気になっていた。

・オンライン古書店の誘惑
http://www.vinet.or.jp/~toro/genko/syowa2.html
第2回「私の志集」の巻。彼女が17年間街頭に立ち続けたのは...。

なんだか、この女性の人生自体が詩になりそうだ。

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2006年06月18日

戦争を演じた神々たち(全)

・戦争を演じた神々たち(全)
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破壊する創造者、堕落した王妃、不死の恐竜伯爵、男から女への進化、完全なる神話学的生態系、等々。生命をめぐるグロテスクで寓意に満ちたイメージが、幻視者、大原まり子のゴージャスかつシンプルな文体で、見えざる逆説と循環の物語として紡ぎあげられた。現代SF史上もっとも美しくもっとも禍々しい創造と破壊の神話群。第15回日本SF大賞受賞作とその続篇を、著者自ら再編成しておくる、華麗で残酷な幻惑の輪舞。

「地域情報化 認識と設計」の書評を書いたら、小橋さんからお礼のメールをもらった。彼もSF好きなので、末尾にこの小説を薦めるコメントがあった。即購入してみた。大正解。これは面白かった。表紙がライトノベル風なので、薦めてもらわなかったら出会えなかったであろう名作を発掘できた。

独特な宇宙観、世界観の中で荒唐無稽な神々が暴れる。死と再生、創造と破壊、循環する神話の時間、女性的なるものなど、どの作品も激烈なイメージに魅了される。ここではファンタジックなストーリーは強烈なイメージを創りだすための道具として機能している。そのイメージは私たちの中の原体験や宿業と呼応して、著者の異世界の奥へと引きずり込もうとする。まさに神話的な物語。

各作品は独立しているが、共通した設定もあって、続けて読むことで、いっそう引き込まれやすくなっている。このブログで紹介しているグレッグイーガン系とは違って、難解な宇宙論や量子論はでてこないので、ハードSFは苦手という人にも物語系としておすすめできる。

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2006年06月11日

思索の淵にて―詩と哲学のデュオ

・思索の淵にて―詩と哲学のデュオ
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こんな日本語を書けるようになりたいと思う作家に詩人・茨木のり子がいる。

・茨木のり子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%A8%E6%9C%A8%E3%81%AE%E3%82%8A%E5%AD%90
「茨木 のり子(いばらぎ のりこ、1926年6月12日 - 2006年2月19日 本名・三浦のり子)は、同人誌「櫂」を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家である。戦中・戦後の社会を感情的側面から清新的に描いた叙情詩を多数創作した。主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』、『見えない配達夫』などがある。」
  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


今年の2月に他界された。凛として、寄りかからない、自律した個の表現を貫いた人であった。この本は、在野の哲学者 長谷川宏が、茨木の詩集から30編を選び、各作品に対してエッセイを綴っている。

詩人の詩と哲学者のエッセイが交互にあらわれる。長谷川のエッセイは単なる詩の解説にとどまらず、長谷川自身の人生や現代社会に対する考察に広がっていく。混ざり合わない。表題どおり、個と個の思索の淵をのぞきこむといった感じである。

茨木のり子は序文にこう書いた。


思索という言葉からは、なにやら深遠なものを想像しがちだが、たとえば女の人が、食卓に頬杖をついて、ぼんやり考えごとをしているなかにも、思索は含まれると思うほうである。

落ちこぼれ、という詩は、こんなふうに始まり、こんなふうに終わる。


落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ

<中略>

落ちこぼれ
  結果ではなく

落ちこぼれ
  華々しい意志であれ

なにげなくはじまって、なにかになって終わる、そんな作品が多い。

選者の長谷川氏は私塾の経営者であるため、教育についての思索エッセイも多い。義務教育の教室に対する疑いを綴った下記の節はとても共感した。


一つには、同年齢の子を一箇所に集め、その前に一人のおとなが立って教える、という場のありかたを、わたし自身が窮屈だと感じているためだ。子どもたちがわれから進んでこんな集団やこんな場を作ることは、絶対にない。おとなにしても、社会の現実と子どもの将来を考えた上で、こういう形の教育が必要だし効率的だとして作り出された人為的空間が教室という場なのだ。そして、そうした空間を維持するには、なにより、おとなの管理が必要とされるのはいうまでもない。

現実、おとな、効率的、管理、そうした人為的窮屈から、華々しく落ちこぼれた、ふたつの意志による思索の結晶の一冊。詩、エッセイ、詩、エッセイという並び方がテンポよく読めるのも良かった。

・科学者が見つけた「人を惹きつける」文章方程式
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003722.html

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2006年06月05日

異国の迷路

・異国の迷路
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直木賞作家 坂東 眞砂子が無名時代に旅行雑誌「るるぶ」に連載した短編を集めて構成。異国をテーマにしたショートホラーが12編。舞台はニューヨーク、パリ、東南アジア、ヨーロッパなどで、各国の都市の持つ雰囲気が、それぞれの物語に色濃く反映されているのが見事。

どの話も異国に旅する男女が情念の迷宮にはまり抜けられなくなる。なにかにとらわれて戻れなくなる。怖いのは亡霊でも妖怪でもなく、それを生み出している人間のこころなのだ。10数ページの短い物語だが、読者は毎回、深い深い迷宮の奥へひきずりこまれていく。

小品集だが傑作だと思う。

私が坂東 眞砂子を知ったのは、『死国』(1999年、東宝)、『狗神(INUGAMI)』(2001年、東宝)の原作者として、であった。人間の情念の怖さ、悲しさが描かれていて好きな2作品。特に狗神はおすすめ。

・狗神 特別版
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・死国
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2006年04月23日

トゥルーデおばさん眠れぬ夜の奇妙な話

・トゥルーデおばさん眠れぬ夜の奇妙な話
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諸星大二郎がグリム童話をおどろおどろしくリメイク。「赤ずきん」「ラプンツェル」「ブレーメンの楽隊」などのよく知られたお話が、初期設定は原作と同じなのに、いつのまにか、魑魅魍魎のうごめく諸星異界へ引きずりこまれていく。相変わらず諸星先生はすばらしい作品をつくる。

私は諸星大二郎の大ファンで思い入れは過去にこの記事で書いた。最近、映画(「奇談」)にもなった妖怪ハンターシリーズや暗黒神話シリーズがおすすめである。

・私の好きな漫画家たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000741.html

独特の世界観を持つ諸星作品、なかなか一般に受け入れてもらえないのだが、グリムというわかりやすいこの作品、新しいファンへの入り口になるかもしれないと思った。

ところで、絵本やアニメのグリム童話はこども向けにマイルドにアレンジされていることはよく知られている。原作は残酷で猟奇的な要素が含まれているのだ。そうした本当のグリム童話について解説した本も数多くあるので紹介。

■真実のグリム童話

・完訳 グリム童話集
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原作をそのまま読みたい人のために。

・大人のための残酷童話
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倉橋 由美子著。

「超現実的なおとぎ話こそ、同情も感傷もない完全に理屈にあったもので、空想ではありません。そこにあるのは、因果応報、勧善懲悪、自業自得の原理が支配する残酷さだけです。この本は、ギリシア神話やアンデルセン童話、グリム童話、日本昔話などの、世界の名作童話の背後にひそむ人間のむきだしの悪意、邪悪な心、淫猥な欲望を、著者一流の毒を含んだ文体でえぐりだす創作童話集です。 」

・昔話の深層―ユング心理学とグリム童話
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人間の魂、自分の心の奥には何があるのか。“こころの専門家”の目であのグリム童話を読むと……生と死が、親と子が、父と母が、男と女が、そしてもう1人の自分が、まったく新しい顔を心の内にのぞかせる。まだまだ未知に満ちた自分の心を知り、いかに自己実現するかをユング心理学でかみくだいた、人生の処方箋。


河合 隼雄著。


・本当は恐ろしいグリム童話
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実母を処刑した白雪姫、魔法の力を借りなかったシンデレラ、2つの禁断の鍵を開けてしまった青髭の妃…。封印された真実の物語が今、ここに開かれる。

・大人もぞっとする初版『グリム童話』―ずっと隠されてきた残酷、性愛、狂気、戦慄の世界
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これから寝かしつけようという幼い子どもに、手足を切断するような話など、とてもできない―。そんな批判を受けて改筆される以前の初版『グリム童話』では、残酷な刑罰、男女の性愛なども、あけっぴろげに語られていた。夢のように見えるおとぎ話の中に隠された残酷、狂気、不道徳の世界、そして、当時の人々のアクの強い知恵を、感じてほしい。 」

このほか、読んでいないので内容は保証できないが、こんなアダルト向きマンガもあるらしい。タイトルが気になる。なんなんだいったい。

・まんがグリム童話 (性の饗宴編)

・まんがグリム童話 (性の調教編)

・まんがグリム童話 (淫らな純愛編)

・まんがグリム童話 (禁断の性編)

・まんがグリム童話 (淫欲の闇編)

・まんがグリム童話 (性の奴隷編)

・まんがグリム童話 (虐待編)

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2006年04月20日

タウ・ゼロ

・タウ・ゼロ
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【星雲賞受賞作】
32光年彼方の乙女座ベータ星めざし、50人の男女を乗せて飛びたった恒星船〈レオノーラ・クリスティーネ号〉。だが不測の事態が勃発した。宇宙船は生れたばかりの小星雲と衝突し、バサード・エンジンが減速できなくなったのだ。亜光速の船を止めることもできず、彼らは大宇宙を飛び続けるしかないのか? ハードSFの金字塔。

SFはサイエンスとフィクションのバランスが肝だと思う。科学的であることにこだわりすぎて難解になると、物語性が失われる。物語性を追求すると、科学性がぼやけてしまう。ふたつの要素はトレードオフの関係にあるのだと思う。この作品は、両方を絶妙なバランスで均衡させた名作だと思った。

無限に広がる宇宙。永遠に続く時間。そして光速に近い宇宙船が遭遇する時間と空間の不思議。この作品は、宇宙の果てに思いをはせた子供時代の好奇心を呼び戻し、これでもかとばかりに満足させてくれる。気が遠くなりそうな、永遠のイメージを何度も喚起させられた。こういう感覚は普通の読書にはない。

そして、宇宙船に閉じ込められた50人の運命共同体が織り成す人間模様。ロマンスあり、組織論あり、人生論あり。このドラマがあるおかげで、物語がわかりやすく、読みやすくなっている。ハードSFである割にあっという間に読めた。

著者のポール・アンダースンは、名声を確立したSF界の巨匠であるが、多作であるため、その作品は珠玉混交といわれているようだ。だが、タウ・ゼロは間違いなく光り輝く玉であると思った。1970年ごろの作品だが、内容は古くない。

現在の巨匠グレッグ・イーガンは難解すぎる、なにか口あたりよくハードSFの極みを味わえるものはないかなと探している人におすすめ。

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2006年03月19日

Worlds of Tomorrow: The Amazing Universe of Science Fiction Art

・Worlds of Tomorrow: The Amazing Universe of Science Fiction Art
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1920年代から1960年代までの海外SFの本や雑誌の表紙を、カラー掲載した大型本。洋書。ちょっと値段は高め(私は東京、丸善の洋書フェアで購入)だが、その価値は充分にある。

このテーマが好きならページをめくりながら、2時間はウットリしていられる本だ。

ジュール・ベルヌ、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークなど、SFの創始者、大御所たちの作品も多く含まれている。

オレンジの肌、緑色の眼をした宇宙人が美女をさらうイラスト。流線型の宇宙戦闘機がレーザー光線らしい武器で戦闘するイラスト、昆虫のような形をした巨大ロボットの来襲、胸のパネルをはずすと機械が露出するアンドロイド美女。アメリカンな古典SFの美学が、これでもかとばかりに満載である。

当時、ジャンルとして確立されていなかったSFでは、表紙に多額の予算は組めなかった。それにも関わらず、小説の内容に感化された想像力あるデザイナーたちが、読者の好奇心を刺激する絵を提供してきた。

SF小説は著者の名前ばかりが有名だが、実はこの無名の表紙デザイナーの果たした役割は、とてつもなく大きいのではないか。頭でっかちでタコのような手足の火星人、流線型の光速ロケット、高層ビルの立ち並ぶ整然と区画された未来都市。今では誰もが古典的な未来イメージも、誰かが絵に描かなければ、小説の文字だけでは十分に伝わったとは思えない。表紙買いした読者も相当多いはずだ。

SF本の表紙の研究は、過去の人間が未来をどのように思い描いたかを知る貴重な未来学史の資料だといえる。

この本の作者は、SF研究とB級SFホラー映画の収集家、研究者として著名な人物で、アイザック・アシモフをして最も重要な読者と言わしめたForrest J. Ackerman。基本は200ページ以上の表紙イラストを、大判フルカラーで集めた画集だが、アッカーマンの豊富な知識が披露される解説文も読み応えがある。

日本では、SF小説の層が薄かった代わりに、手塚虫治が描いた未来都市やロボットが、同じように科学者の卵に、未来イメージをインストールする役割を果たしていたのだろうと思う。科学者だけが科学の未来を作っているわけではない。アーティストやクリエイターの想像力も、未来の行方に大きな指針を提供しているのだと確信する一冊であった。

・Collectors Press
http://www.collectorspress.com/
この本に紹介されているような古典SF本やアメコミ、往時の米国の雑誌が購入できるセレクトショップ。

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2006年02月27日

虚数

・虚数
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「ソラリス」の著者スタニスワフ・レムの短編集。この作家とミラン・クンデラはノーベル文学賞をいつ受賞しておかしくないだろう。なかなか実現しないけれど。

未来に出版されるはずの、架空の書物4冊への序文集と、超越的知性を実現したコンピュータ ゴーレムによる2027年の人類への講義集の2パートからなる。

架空の書物とは、

「ネクロピア」

人間の肉体を透過することで、その存在の意味を浮かび上がらせるレントゲン写真集。

「エルンティク」

知性を持つバクテリアを培養した生物学者の研究記録。

「ビット文学の歴史」

コンピュータが生み出す文学のめくるめく世界。

「ヴェストランド・エクステロペディア」

未来予測コンピュータがアップデートし続ける百科事典。

の4冊。

どれも本文はなく、序文だけがある。

存在しない書物と架空の序文を掛け合わせることで、ありえたかもしれない世界観が立ち上がる。まさに掛け合わせると-1になる虚数のような不思議な存在の世界をのぞくことができる。

そして、圧巻の

「GOLEM 14」

は、人類の脳を圧倒的に凌駕する人工知能ゴーレムが、人類に向けて行った何回かの講義録。SF作品と言うより哲学だ。肉体を持たない超純粋知性が語る存在論、人間論、未来展望。その洞察力に圧倒される。眩暈がする。序文集と同様に、スタニスワフ・レムは博覧強記の衒学的文体で虚数的な存在様式の宇宙を存立させている。

この本は1973年に書かれたもの(和書は翻訳の難易度が高かったからか1998年までなかった)だが、今でもその魅力はまったく色あせていない。この30余年の技術や科学の進歩とのズレがほとんどないように思われる。それはレムが未来を予測していたということもあるのだろうけれど、本質を見抜き数十年後も変わらぬことに言及していたということでもあるだろう。

スタニスワフ・レムを読む。それは哲学書を何十冊読むより考えることが多い経験である気がする。

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2006年01月26日

ベルカ、吠えないのか?

・ベルカ、吠えないのか?
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2005年度出版の一般小説ではベストだと思う。


1943年、第二次世界大戦下のアリューシャン列島。撤退する日本軍によって、4頭の軍用犬が置き去りにされた。数奇な運命によって海を渡り、世界へ散らばる血統は、人間の歴史に翻弄されながら、人間の歴史を逆に翻弄することにもなる。偉大なイヌの歴史を縦糸に、人間の歴史を横糸に、半世紀に渡る壮大な現代史のタペストリがそこに浮かび上がる。


世界史を総括する大河小説でありながら、テンポのよい筆致で、高い娯楽性もそなえた一大傑作である。鬼気迫る勢いの文体。執筆中、著者は何かに取り憑かれていたのではないか。見事なまでに魂のこもった語り、鬼気迫っているというのがふさわしい形容だろう。


古川日出男という作家の作品はこれが初めてだった。他の作品を知らないのだが、この一冊は世界的に通用する普遍の文学性を持った出来栄えであると思う。壮大な現代史を極めてユニークな手法で語ることに成功している。そこにあるのは、現代の日本人が失いつつある原初的な生命力であり、生きる意志で生きるものたちへの賛歌であると思う。その漲る生命力の前にはイデオロギーも善悪も霞んでしまう。


著者プロフィール:

古川 日出男
1966年福島県生まれ。早稲田大学第一文学部中退後、編集プロダクション勤務等を経て、98年『13』でデビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で、第五五回日本推理作家協会賞と第二三回日本SF大賞をダブル受賞


・はてなダイアリー - 古川日出男とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%C5%C0%EE%C6%FC%BD%D0%C3%CB?kid=1908

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2006年01月25日

SFベスト201

・SFベスト201
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SF小説は好きで学生時代から読んできたが、この本で書評されている201冊のうち、読んだことがあったのは50冊程度。この分野で有名な書評者らが、作家の位置づけや作品の魅力を的確にレビューしており、たくさんの発掘があった。グレッグ・イーガンと出会ってからは、イーガン一辺倒になってしまい、いかんなあと思っていたので、これから次々に読んで幅を広げてみようと思う。

さて、この201冊の中で、私が既に読んだ作品の中から、ベスト3を作成してみた。書評本を使って、メタ書評である。これらを読んだのは15年くらい前なので詳細は忘れているが、興奮と感動の大きさだけは覚えている。

・星を継ぐもの
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「月面調査員が真紅の宇宙服をまとった死体を発見した。綿密な調査の結果、この死体は何と死後五万年を経過していることがわかった。果たして現生人類とのつながりはいかなるものなのか。やがて木星の衛星ガニメデで地球のものではない宇宙船の残骸が発見された……。ハードSFの新星が一世を風靡した出世作。」

私とハードSFとの出会いは思えばこれだった。続編が何作もあるが、これが最高。

・宇宙のランデヴー
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「太陽系内に突如現れた謎の小惑星。だが、それは自然の天体ではなく、巨大な金属物体であった。ついに人類は、宇宙からの最初の訪問者を迎えることになるが……。巨匠クラークが<未知の存在>とのファースト・コンタクトを、該博な科学知識を駆使して見事に描きあげた超話題作。」

黙々と読んで気がついたら朝だった記憶がある。SFの魅力満載。

・銀河ヒッチハイク・ガイド
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「1952‐2001年。英国ケンブリッジ生まれ。1978年BBCラジオドラマ「銀河ヒッチハイク・ガイド」脚本を執筆。翌年、この脚本を小説化した本書がベストセラーとなり、小説は全5冊のシリーズとなった」

駄作になりやすいナンセンスギャグとSFの融合で、これだけ出来のいい作品を他に知らない。最近映画化されて話題にもなった。小説は私が読んだのは現在絶版の新潮文庫版であった。訳が重要なので入手可能ならば新潮文庫版を薦める。


なお、このSFベスト201は編者によるまえがきが、近年のSFの総括と展望となっていて、読み応えがある。映像SFにおされ気味だが活字SFもインターネットの普及により、新刊とロングセラー以外の作品にも注目がいくようになって、思わぬ活性化につながっているようだ。まさにロングテールによる発掘ということか。

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2005年12月30日

ディアスポラ

・ディアスポラ
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今年のベストSFも、やはり、イーガンの最新の邦訳。

めまいがするほど壮大な物語。現代SF作品の最高峰。グレッグ・イーガンと同時代に生きている幸運に心から感謝したくなる。こんな作品には一生で、あと何冊めぐりあえるだろうか。邂逅である。

正直、今回は圧倒的に難解だった。この本を読む行為は作家の創造力の極限と読者の想像力の極限の知的格闘とも思える。これは極端に読者を選ぶ本だ。最新の宇宙論や量子論、先端科学の概要を予備知識として把握しておく必要がある。できればイーガンの過去の主要作品も読んでから挑戦すべきだ。そうでないと序盤から物語の意味を理解できないかもしれない。

書評したイーガン作品:

・万物理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

・祈りの海
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003779.html

・宇宙消失
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003824.html

・しあわせの理由
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003869.html

イーガンの大ファンの私でも、この本だけは序盤で何度も放り投げそうになった。しかし、イーガンが意味のない作品を書くはずがないと信じて粘ってみた。中盤で世界観を理解した後は、いっきにひきこまれた。驚愕のストーリー。もう無我夢中で読みすすめた。読後は圧倒されて、しばらく何も手につかなかった。

西暦2795年。人類は肉体を捨てソフトウェアとして仮想空間に”移入”する道を選んでいた。あらゆる物理法則から自由な世界で、人類の存在様式は過去とはまったく様相の異なるものに進化している。この世界では人は永遠に生きることができる。他者の精神と融合することもできる。自らの複製をつくって偏在することや、時間の感じ方を制御して自分の時間軸で生きることもできた。

情報ネットワークの中で生成された人工生命も、人類と同じように生きている。情報化された存在は変幻自在である。外観は好きな形態をとることができるし(外観などなくてもいいのだが)、言語を超えた超越的なコミュニケーション方法が当たり前になっている。
不老不死とあらゆる束縛から逃れたかのように思えた人類を襲う宇宙規模の危機。外宇宙への大移住計画「ディアスポラ」が始動する。人類は自らの存在の意味を探して、銀河に散らばっていく。何千年にも及ぶ果てしない旅の果てに、人類が知るこの宇宙の真理とは?。

ウルトラスーパー・ハードSFという宣伝文句がついているこの大作。本当にウルトラでスーパーハードである。イーガンはいったいこの先どこまで想像力の跳躍を続けるのだろう。読者として次の作品もなんとかついていける範囲であることを祈ろう。

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2005年11月26日

しあわせの理由

・しあわせの理由
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例によってグレッグ・イーガン作品。


12歳の誕生日をすぎてまもなく、ぼくはいつもしあわせな気分でいるようになった…脳内の化学物質によって感情を左右されてしまうことの意味を探る表題作をはじめ、仮想ボールを使って量子サッカーに興ずる人々と未来社会を描く、ローカス賞受賞作「ボーダー・ガード」、事故に遭遇して脳だけが助かった夫を復活させようと妻が必死で努力する「適切な愛」など、本邦初訳三篇を含む九篇を収録する日本版オリジナル短篇集。

TRONの開発などで有名な坂村健東京大学教授があとがきでグレッグイーガンのすすめを熱烈に書いているのも付加価値。

この短編集の基底にあるテーマを探すとすれば「アイデンティティ」だろう。しあわせの理由の主人公は、異常な化学物質の分泌によって、しあわせな人生を生きているが、あるとき、その分泌が止まる。自分が本当は何が好きなのか、その理由は何なのか、を考える内容だ。実のところ、私たち自身、自分が何かを好きな本当の理由は不明だろう。何かが好きで何かが嫌いだという組み合わせこそ、アイデンティティの基本なのだと気がつかされる。

そしてグレッグイーガンは、あるときは脳の物質への還元によって、あるときは量子論的不可能性によって、あるときは個々の意識の還元不能性によって、幾重にもアイデンティティを崩壊させていく。「私」という問題の不可思議さを味わえるおすすめの一冊。

グレッグ・イーガンのサイトがとても充実していることに最近、気がついた。

・Greg Egan's Home Page
http://gregegan.customer.netspace.net.au/
作品に登場する科学理論の解説や、一部作品の全文公開。

・Quantum Soccer
http://gregegan.customer.netspace.net.au/BORDER/Soccer/Soccer.html
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短編「ボーダー・ガード」に登場する「量子サッカー」をプレイすることができる。


収録作品の個人的ベスト3は以下。

1位 しあわせの理由
2位 適切な愛
3位 闇の中へ

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2005年11月21日

宇宙消失

・宇宙消失
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グレッグ・イーガンをまた一冊書評。


2034年、地球の夜空から星々が消えた。正体不明の暗黒の球体が太陽系を包みこんだのだ。世界を恐慌が襲った。この球体について様々な仮説が乱れ飛ぶが、決着のつかないまま、33年が過ぎた…。ある日、元警察官ニックは、病院から消えた若い女性の捜索依頼を受ける。だがそれが、人類を震撼させる量子論的真実につながろうとは!ナノテクと量子論が織りなす、戦慄のハードSF。

「シュレディンガーの猫」という有名な思考実験がある。

要約すると

猫を実験箱に入れる。この箱には一粒の原子とその分裂崩壊を検出できるセンサーが入っている。センサーが原子の分裂を検出すると箱の内部は毒ガスで満たされて猫は死んでしまう。原子がいつ分裂するかはわからない。さて、実験は開始された。今、箱の中の猫は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか?。箱を開けないで猫の生死を予測せよ。
常識では、原子の分裂はいつ起きるかわからないのだから、猫は生きているか、死んでいるか、どちらかの状態にあると考えられる。しかし、原子のような小さな世界を扱う量子力学では、観察者が観察したとき(フタを明けた瞬間)に、結果が決まるとされる。観測されていなかった時間は、猫は生きた状態と死んだ状態が重ね合わさった奇妙な状態にあったと量子力学者は考える。

私たちの世界は、多数の可能性の波動が重ね合わさった”拡散”状態から、観察行為によって、ひとつの可能性に”収縮”した状態が選ばれるのだと考えられる。

というような実験である。

そしてこの実験が、この本のメインテーマでもある。

サブテーマとしてマインドコントロール技術がある。もしも人間が意識や思考を制御する技術開発に成功し、自由に使えるようになったら、どうなるのか。主人公は冒頭からこの技術を使っている。本来の自分だったらそうは考えないはずと知りつつ、異なる合理的選択をする人生の物語。

「万物理論」より少し前に書かれたグレッグ・イーガンの名作。

昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html
・祈りの海
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003779.html

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2005年11月17日

さようなら、私の本よ!

・さようなら、私の本よ!
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さようなら、私の本よ!

死すべき眼のように、想像した眼もいつか閉じられねばならない。

この本を大江健三郎は、長い作家生活の最後の小説と宣言してから発表した。過去にも断筆宣言や最後と言ったのに次を書いたことがあるセンセイであるから、本当にこれで最後になるのかは定かではないが、それなりの覚悟で書かれた作品であることは、読みながら感じ取れた。

ノーベル賞作家としての著者の分身である主人公、長江古義人と、奇縁で結ばれた幼馴染の著名な建築家椿繁の”おかしな二人組”が、老年になって過去のわだかまりを越えて再会するところから物語が始まる。繁は若い教え子とともに、大きな暴力に対する、小さな抵抗のためのテロの企みを持っている。繁が所有する”小さな老人の家”という名の別荘で、病後の静養に誘われた古義人。彼らとの共同生活の中で、その一部始終を見て書き残す役割に、作家としての意味を見出し始める。だが、企みは外部の世界の思惑も絡んで、思わぬ展開を見せ始めて......そんな内容である。

私は学生時代から読み始めて、大江健三郎の本は、エッセイ集も含めて9割は読んでいると思う。最後の読者サービスなのか、読み続けている熱心な読者にとっては、読みどころが特に多い。四国の谷間の森、障害者の息子アカリと音楽、エリオット、ダンテ、渡辺一夫(この本では故人の六隅さんとして登場)、樹木への執着などの、歴代作品に登場してきた一連のメタファーが、次々に説明なく登場する。ファンは各々の文脈を知っているのですぐに独特の世界観にひきこまれるが、逆に過去の作品を知らない読者には読みにくいかもしれない。

読みにくいといえば、そもそも大江作品は翻訳調の読みにくい文体が特徴である。序盤で主題がわかりにくい作品も多いように思う。とっつきの悪さを我慢して半分くらいまで読み進めると、ドラマが大きく激しく動き始めて、物語の大きなテーマが浮かび上がって、ずっしり読むものの心にのしかかってくる。それが私の大江作品の全体印象だった。


新進作家のぼくが、年末に出版社のやるパーティに出て、手持ちぶさたにしているところへ、あの記者がやって来たんです。そして、あなたの出発点の文章はスッキリして、書いていることがよくわかった。今はゴテゴテしている。それは批評家が褒めてるような、あなたに豊かな資質があるというようなことじゃなくて、いま何を書いたらいいかわからないから、形容詞の煙幕を張ってということじゃないのか?そういって、向こうへ行った......

その夜、ぼくは下宿へ帰って、インタヴューの時、もらった名刺を取り出して考えたのね。明日ここに電話をして、も一度話を聞かせてもらったら、自分の入り込んでいる迷路から出られるかもしれない......しかし、その勇気はなくて、そのままになりました。

読みにくさ、自覚していたらしい。このように自身を主人公にして客観視する作風が多い作家だったが、この本では長い作家生活全体をパースペクティブに、大きく振り返っている風である。題名も「さようなら、私の本よ!」であるから、しめくくりのはずなのである。

しかし、これ、本当に最後の小説なのだろうか。自らを老人で大きな仕事を終えてしまった大作家と認めているが、9.11に始まる世界の現実に積極的に言及しているし、なにがしかの仕事を成し遂げる意欲を持った老人二人が出てくる。そのシンパの若者も物語の中で壮絶な役割を果たす。ぜんぜん枯れきってはいない。

著者は単に高齢で、いつ”大きな音を聞く日”が来てもいいように、次を最後の遺作にすると宣言しているだけなのではないか。話の中で主人公が執筆に使ってきた万年筆をなくす段があるのだが、その後もワードプロセッサで現実から読み取る”徴候”を熱心に書き続ける姿がある。このくだりを読むと、まだ次の作品、あるような気がする。

「最後の小説」を力点に書評してしまったが、物語として面白かった。

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2005年09月13日

祈りの海

・祈りの海
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昨年からのマイブームのSF小説家グレッグ・イーガン。年初に書評した「万物理論」の作者である。

・ 昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html

まだ読んでいなかった短編集をじっくりと読んだ。。

11作収録されているが最初の作品の出だしからひきつけられた。


ありふれた夢を見た。わたしには名前がある、という夢を。ひとつの名前が、変わることなく、死ぬまで自分のものでありつづける。それがなんという名前かはわからないが、そんなことは問題ではない。名前があるとわかれば、それだけでじゅうぶんだ。
」(「貸金庫」の書き出し)

アイデンティティがない(決して精神病というわけでもない)主人公という設定で物語がすすんでいく。

イーガンの作品はどれもハイテンションだなあと感じる。いきなり彼の世界観が当たり前のように展開されるのだ。

イーガンは奇想天外な空想宇宙をつくりだし、その内部における妙にリアルな日常や、登場人物の心の葛藤を描く。前提となる異世界が当然のように提示されて読者はいきなり違和感と好奇心をかきたてられる。読み進めずにはいられない気分になる。

奇妙な世界の出来事や事件ばかりだが、実はどれも私たちの世界のテーマを別の見地から論じているのだと途中でわかってニヤリとする。メッセージ性もある。イーガンの作品は、意識論、量子論、宗教論、情報論、宇宙論あたりが主なテーマである。こうしたテーマに興味のある人ならハマる可能性大。逆に言えばこれらに興味がない人にはただの小難しい物語で終わってしまう気がする。読者を選ぶ作風だと思う。

短編集と言うこともあってか、物語性はあまりない。むしろ、着想の奇抜さに度肝を抜かれたい人向けの一冊。第40回日本SF大会にて星雲賞の海外短編部門を受賞と一般の評価も高い。表題作はヒューゴー賞、ローカス賞を受賞している。

私のおすすめは以下の3つ。

1位 ぼくになることを 
2位 祈りの海
3位 放浪者の軌道

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2005年08月10日

アミ 小さな宇宙人

・アミ 小さな宇宙人
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小学生でも読めるようにふりがなが振られている。

まえがきに、この本は子供向けのおとぎ話であると断りがあって、おとな向けの注意書きまでついている。

こんな風だ。

「読み続けないように!きっとおもしろくないでしょう。ここに書いてあるのは、すばらしいことばかりだから。」

作者エンリケ・バリオスはチリ人女性。友人の名もない小さな出版社から86年に出版され、またたくまにベストセラーになり11カ国語に翻訳され、続編を含めて世界中で売れている。

少年ペドゥリートとアミと名乗る宇宙人とのコンタクト体験。宇宙をめぐる旅の中でペドゥリートは、地球がいまだ野蛮な、愛の度数の低い未開の惑星であることを教わるという内容。

こうあらすじを書くと、安直な博愛主義と共産思想の啓蒙書みたいであるし、そうした要素の完全否定もできないが、よほど根性を入れて構えて読まない限り、感動してしまう。宇宙人のアミが教える理想の世界のあり方、新しいルールは、単純でいながら根が深いからだ。

理想世界を語るアミの言葉には最初のうち、そんなに物事は単純じゃないだろう、と反発したくなる。だが、よく考えてみるとシンプルに理解する方が、矛盾がなく、うまくいくようにも思えてくる。著者は現実のことも強く意識して、この理想郷の物語を綴っていることも感じられる。それが売れた理由だろう。

「モモ」や「星の王子様」が好きな人には特におすすめ。読後感は近い。


「わかったかい。ペドゥリート。遊びか、おとぎ話のようにしてほんとうのことをいうんだ」

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2005年07月21日

プリンストン高等研究所物語

・プリンストン高等研究所物語
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素晴らしい。科学史好きには絶対おすすめ。

原題は「The One True Platonic Heaven: A Scientific Fiction on The Limits of Knowledge」。真のプラトン的天国:知識の限界をめぐる科学小説。著者はサンタフェ研究所のメンバーでウィーン大学数学教授のジョン・L・カスティ。

実在の研究所を舞台に繰り広げられる天才科学者たちの研究議論や政治的駆け引きを、ドラマとして進行させていく。どこまでが実話で、どこからが空想なのかは不明だが、20世紀の科学革命の主要テーマが、プリンストン高等研究所の一時期の物語として見事に織り込まれている。

登場人物は多彩。ジョン・フォン・ノイマン、アルバート・アインシュタイン、クルト・ゲーデル、J・ロバート・オッペンハイマー、ルイス・L・ストラウスなど。登場人物にはそれぞれ”らしさ”がある。地位と名声を手にしつつも孤立するアインシュタイン、人嫌いで奇行に走るゲーデル、実務家としても有能なオッペンハイマー、コンピュータの実現に飽くなき情熱を燃やすフォン・ノイマン。(多くは原爆製造関係者でもあるが...)

全体を貫くテーマは人間の知識の限界。アインシュタインの特殊相対性理論と量子論の対立、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理、そしてフォン・ノイマン式コンピュータの誕生秘話などを軸にしながら、人間はどこまで世界を理解することが可能なのか、を天才たちに語らせていく。

20世紀の前半に発見されたこれらの理論の共通点は、科学には限界があることを科学的、数学的に証明しているということ。具体的には光は粒子であるが波でもあること。確率的な振る舞いでしかない量子論的世界観。位置と運動量を同時に知ることは原理的にできないこと。コンピュータは脳を超える存在になりえるのかどうか。そういった科学史では、お馴染みのアポリアが、登場人物の議論の中で、スリリングに議論されている。

クライマックスは教授昇進を賭けたゲーデルの討論集会での講義。


論理的枠組みの無矛盾性は不確定性原理が有効であるための不可欠な条件でしたから、私は採用される特定の体系がそれ自身の無矛盾性を何らかの方法で実際に証明できるのかどうかつねに関心を持っていました。これはまさに不可能なことをなし遂げるにも似た至難の業でした。しかし不完全性定理のときと本質的に同じ推論の筋道を採用することによって、私は、論理体系というものがそれ自身の無矛盾性を証明することが不可能である
ということを示すことができたのです

と有名な不完全性定理を要約したあと、フリーマン・ダイソンらの論客と熱い討論が始まる。数学も科学も世界を完璧に知る手段足りえないのならば、私たちにとって世界とは何なのか、知るとはどういうことなのか。螺旋状に積み重ねるように物語られてきた知識の限界をめぐる議論が読者の頭にも蘇る。

そして最後は人間の知の限界を超えるかもしれないコンピュータの誕生で締めくくられる。限界を打ち破る可能性としてのコンピュータ。私たちはその延長線上の未来にいるが、結局まだ20世紀前半の理論を本質的には乗り越えてはいない。知識の限界という命題を今は物理的実験で確認できるようになっただけだ。

この小説はフィクションだが主要登場人物がプリンストン高等研究所に所属し面識があったのは事実らしい。実際に彼らの間でどのような議論や人間関係があったのか、本当のところをもっと知りたくなってしまった。この小説にあるように、アインシュタインとゲーデルは仲良く散歩しながら知識の限界についての深遠なやりとりをしたのだろうか。ゲーデルを昇進させるためにフォン・ノイマンはこんな根回しを実際に行ったのだろうか。彼らが一堂に介したプリンストン高等研究所も一度訪問したくなってきた。本当にワクワクする小説だった。

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2005年04月20日

結晶世界

・結晶世界
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米国ラスベガスにきています。行きの飛行機で読んだ小説の書評。
面白かった。おかげで時差ぼけ。


アフリカの癩病院副院長であるサンダースは、一人の人妻を追ってマタール港に着いたが、そこからの道は何故か閉鎖されていた。翌日、港に奇妙な水死体があがる。死体の片腕は水晶のように結晶化していた。それは全世界が美しい結晶と化そうとする無気味な前兆だった。バラードを代表するオールタイムベスト作品。星雲賞受賞。

40年前に書かれた作品だが、SFとしての完成度はまったく色褪せていない。世界の結晶化というコンセプトは、宮崎アニメ「風の谷のナウシカ」の腐海に通じる神話的に美しいデカダンス。そこには生きると死ぬの間の究極のスローライフという、終末世界のあり方が提示される。ほとんど純文学のような味わい深さを感じる名作だと思う。

古い作品でハンセン病がモチーフとなっている。現地人の描写に植民地主義の名残りも感じられるなど、今読むと表面的には差別的ととられかねない微妙な表現もあるが、モチーフを深いレベルで、退廃的な究極美として昇華させることには成功しているように思える。

世界の終わりを描いた点が似ているので、年初に書評した「万物理論」が好きな人にもおすすめ。結晶世界の方が理屈が少なくて文学的。

・昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html


・J・G・バラードの千年王国ユーザーズガイド
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J・G・バラードは、既存のSFの概念にとらわれない前衛的、先鋭的な作風で、1960年代の「ニューウェーブ」運動の先駆者として知られる。本書は、1963年から95年にかけて発表された書評、エッセイなど90編あまりをまとめたもの。映画や現代アート、作家、科学といったテーマごとに分類されたそれらは、著者独自の味つけを施した映画論、作家論であり、ときには精神分析論、風景論、時空間論など多岐に及ぶ。20世紀文化を多角的な視点でとらえた刺激的な評論集でもある。

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2005年01月02日

昨年度マイベストSF 大作は「万物理論」、中短編は「あなたの人生の物語」

年末年始の特別企画ということで普段は書かない小説の書評。

大作と中短編を一冊ずつ。

・万物理論
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現代SF最高峰の呼び名高い、グレッグ・イーガンの最新邦訳。

年末に読んだのだが2004年度の最高SF小説作品だと思った。感動。

本の扉の紹介文。


すべての自然法則を包み込む単一の理論、“万物理論”が完成されようとしていた。ただし学説は3種類。3人の物理学者がそれぞれの“万物理論”を学会で発表するのだ。正しい理論はそのうちひとつだけ。映像ジャーナリストの主人公は3人のうち最も若い20代の女性学者を中心に番組を製作するが…学会周辺にはカルト集団が出没し、さらに世界には謎の疫病が。究極のハードSF。

現代の物理学の世界には、世界を構成する4つの力、すなわち電磁気力、弱い力、強い力、重力の4つの力を、ひとつの方程式で説明しようとする統一場理論がある。今のところ、最新の超ひも理論仮説では、この4次元宇宙(3次元空間+時間)は、本当は10次元である。隠れた6次元は”折りたたまれて”人間には見えないことになっている。そして、複雑怪奇な10次元折り紙の、皺が量子として観測可能となり、世界の最小構成単位として、質量のある物質を形作っていく。だが、まだ4つの力の成り立ちや量子の振る舞いについては謎が多い。

この小説の舞台は2050年。人類は統一場理論を超えて、ついに天才科学者によって、宇宙の成り立ちすべてを説明する万物理論が発表されようとしている。自然科学の頂点に立つ究極の理論。その内容は、実際に読んでいただくとして、万物理論の内容自体が小説のプロットと深く絡み合っているのが見事だ。情報理論と物理理論の統合のその先に人類を待ち受けているものは?。

この小説には、今後50年の人類の技術の進歩を予測する記述が無数にある。主人公は映像を視神経に接続したカメラで記録し、腹腔に内蔵した記録装置に蓄積する。情報を身体にインプラントしたエージェントソフトウェアから引き出す。バイオ、ナノ、ネットワーク技術がこれからの50年間でどう人類の社会に影響を与えていくのかが、筋とは無関係に詳しく語られるのも興味深い。グレッグ・イーガンの予言はどこまで当たるのだろうか。

コンピュータ産業の未来に関連する記述が見つかった。筋とは関係ない部分なので、長めに引用してみる。


シドニーち近郊の人口の中心は、少なくとも半世紀以上前からパラマッタ地区より西にあるし、たぶん現在はブラックタウンにまで移っているが、都心部の衰退が本格的にはじまったのは二〇三〇年台、オフィスや映画館、劇場、物理的実体をもつ美術館、公立博物館などがみな、ほぼ時を同じくして廃れたころのことだ。広帯域光ファイバーは一〇年代から大半の居住用建造物に接続されていたが、ネットワークが成熟するにはその後二〇年を要した。コンピュータと通信の世界における世紀末の遺物が堆積させた、互換性のない標準、非効率なハードウェア、原始的OSといった不安定な体系が、二〇年代に完膚なきまでに破壊され、そのときはじめて ─── 長年の時期尚早な誇大宣伝や、それが招いた反感から来る皮肉や嘲笑の末に ─── ネットワークを利用したエンターテイメントやテレコミュニケーションは、精神的拷問の一形態から、以前ならオフィスや映画館等々へ出かける必要があったケースの九割の、自然で便利な代用手段へと脱皮できたのだった。

なるほど。OSが退治されるのは2020年代か。

技術だけでなく、政治や宗教、環境、ジェンダー、医療といった分野でのイノベーションも多数登場し、未来史を読んでいる気分になる。

かつてSF小説といえば、古くは海底や地底、その後は宇宙や時間旅行が主なテーマだったと思う。最先端の作家グレッグ・イーガンはこの小説以外にも、情報理論や量子力学をテーマにした作品を幾つも発表している。人類の本当のフロンティアは宇宙から、内なる情報の地平へと動いてきているということなのかもしれない。

文庫本とはいえ600ページの大作で理論説明の記述も多いため、読了するまでかなりの時間を要するが、その価値は十分にあった。究極のハードSFの呼び名に恥じない大作。おすすめ。

#ところで読んだ方にしか分かりませんが、この小説には情報カルト?みたいな宗教がいくつか登場します。どうやら私は”AC主流派”です。


そして、もう一冊。こちらもヒューゴー賞、ネビュラ賞を何度も受賞したテッド・チャンの中短編集。

・あなたの人生の物語
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地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく…ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語―ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの塔」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集。
全8編だが、受賞作を3作抜き出して紹介すると以下のようなラインナップ。

・「バビロンの塔」
バビロンの塔の建造末期に働いた職人が見た宇宙の不思議。

・「あなたの人生の物語」
宇宙人とコンタクトした言語学者が綴った新しい世界理解の物語。

・「地獄とは神の不在なり」
天使の降臨を目撃した人たちが神を愛する意味を求める物語。


テッド・チャンは中短編の中に壮大な奇想を組み込んで提示してくる。中心となるのは理解の不可能性。神や異星人を私たちは理解しようとするが、高次の神や異星人は私たちを意識さえしていないのではないか?というようなテーマ。グレッグ・イーガンの万物理論がすべてを知ることがテーマだとすれば。テッド・チャンはすべてを知ることの不可能や無意味さで読者を突き放し、ゾクゾクさせる。こうした神の顕現は映画「プロフェシー」にも共通するものがあるなあ。

この二人の新世代の作家が今年はどんなものを書いていくのか期待。

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2003年11月04日

22世紀から回顧する21世紀全史

・22世紀から回顧する21世紀全史
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結構ページ数はあるのだが読むほどに目が冴えて、連休の一晩でいっきに読みきってしまった。

著者は二人。NASAの主任研究員で火星探査プロジェクト及び2005年の火星偵察オービタープロジェクトの中心人物Gentry leeと、ベストセラー「スティーブン・ホーキング 天才科学者の光と影」の著者Michael White。これからの100年の政治・経済、社会・文化、技術を大胆に、しかし詳細に描いた壮大な未来予測の書。22世紀の歴史家が100年を振り返る小説という形式をとっている。

物語は、バイオ革命の明暗、核の惨劇、混沌の時代、新世界秩序の構築、ネットワークワールドに暮らす、21世紀、宇宙への旅の順で、全6章から構成されている。時代を俯瞰するマクロの視点と、英雄と名もない一般生活者の個の視点が交錯しながら、未来の歴史書が丁寧に織り上げられていく。

ここに描かれているのは、タイムマシンやテレポーテーションが当たり前の世の中ではない。私たちの生きる時代から、連続した延長線上にある、現実感を持った未来である。バイオやIT技術の発展による、明るいだけの未来でもない。経済や社会の大きな停滞、戦争の惨禍、依然解決されない南北問題といった、我々の時代が抱えている病根の行く末もまたリアルに記されていく。

Gentry Leeはさすがは現役の宇宙科学者。彼にはアーサー・C・クラークとの共著「宇宙のランデブー」を持つという作家としての経歴もあるが、これはSF小説ではなく、技術予測、未来予測のレポートとして読み応えがある。実際、私はこの本を、東京の青山ブックセンターで購入したが、小説ではなく科学書のコーナーに置かれていた。この予測がどの程度当たるかはともかくとして、長いスパンでITや技術を考えてみたい人には、是非にもおすすめしたい。

なお、この本を原作に世界的に有名な映像制作会社ドリームワークスが長時間ドキュメンタリ番組として映像化することが決まっているらしい。Michael Whiteはディスカバリチャンネルのコンサルタントなので、日本語チャンネルで日本放映もされるのではないだろうか。

現実的な未来予測というとデルファイ法による予測調査がある。日本では文部科学省が実施しているものが知られている。

・第7回技術予測調査− 我が国における技術発展の方向性に関する調査 −
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/rep071j/idx071j.html
文部科学省科学技術政策研究所 科学技術動向研究センター。5年おきに行う。2001年7月発表の最新版。

4000人に及ぶ科学者、有識者に繰り返しアンケート回答を行った結果の未来予測である。長いので、情報通信のパートだけ読むのがおすすめ。日本の科学者たちが、今後の数十年でコンピュータやネットワークがどう進化していくか、どの技術はいつ頃普及するかといったことがびっしりと予測されている。

・「情報・通信」分野の調査結果
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/rep071j/3-02_IT.pdf

ホットワイアード誌も10年予測の記事を今年の初めに掲載していた。

・将来技術予測:10年以内に日常生活に浸透する新技術は?
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20030123301.html

ところで、呆れたことに2億年先も予測する会社がある。科学者と映像プロデューサが設立した、米Future is wild社は、人類が地球を捨て宇宙へ飛び立った後、地球の生態系がどのように進化し、数百万年後から数億年後までに、どのような生物が登場し、どのような自然淘汰を進めていくかを映像化している。国内では、スカパーやCATVのディスカバリチャンネルで今放送中だ。何度か私も見たが、CGがすばらしかった。

・フューチャーイズワイルド:日本のディスカバリチャンネル
http://japan.discovery.com/series/serintro.php?id=273
・Future is wild (なぜかMSIEで表示できない?)
http://www.thefutureiswild.com/flash/index.html


本当は明日のことだって誰も分からない。でも、想像力は創造力につながって実際に未来を変えていく力になるのではないだろうか?未来は予測するものではなく、ヒトの情熱が作り上げていくものなのだから。

Passion For The Futue

ということで、キレイキレイに話をまとめて、私は寝ます。ではっ。

評価:★★★☆☆

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