2008年02月28日
URLをエンコード、デコードするお手軽アプリ URLDecEnc
・URLをエンコード、デコードするお手軽アプリ URLDecEnc
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/net/se439946.html
ところで2008年2月現在、Googleにおいて以下の文字列を検索すると、
・「18歳未満」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%EF%BC%91%EF%BC%98%E6%AD%B3%E6%9C%AA%E6%BA%80&lr=
・「20歳未満」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%EF%BC%92%EF%BC%90%E6%AD%B3%E6%9C%AA%E6%BA%80&lr=
・「退出」で検索
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%80%80%E5%87%BA&lr=
・「出口」で検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%87%BA%E5%8F%A3&hl=ja&lr=
検索結果の1位はどれもYahoo! JAPAN である。
どうしてかYAHOO!JAPANなのか、ということはまた今度話すことにして、URLDecEncは、上の「%EF%BC%91%EF%BC%98%E6%AD%B3%E6%9C%AA%E6%BA%80」を「18歳未満」に変換したり、戻したりすることができるツールである。
プログラミングやアクセスログ解析の現場で、テスト用文字列を手元でちょっと変換してみるというときに便利なソフトである。文字コードは自動認識してくれる。
2008年02月27日
シッダールタ
「車輪の下」のヘルマン・ヘッセのもうひとつの代表作。アメリカ合衆国だけで500万部、全世界では43カ国で翻訳され、1000万部を超える大ベストセラーになった。和訳はいくつもあるが、これは2006年に草思社(がんばれ)から出た新訳版。現代人にわかりやすい文章。
仏陀ガウタマ・シッダールタと同じ時代、同じ場所に生きたという設定の別人「シッダールタ」の物語。もう一人のシッダールタも、仏陀と同じように「人は何のために生きるか」の答えを求めて修業に入る。そこで迷い誘惑され中年には世俗に生きる道を選ぶ。そして、老年にいたって再び道を求めて遂に悟りを得る。
この本は仏教の本であると同時に、知識や知恵についての哲学を説いた本として秀逸だと思った。何箇所か感銘した部分を引用してみる。
「「探り求めるとき」とシッダールタが言った。「こういうことが起こりがちです。その人の眼が自分の求めるものだけを見て、その人は何も見いだすことができず、何も心に受け入れることができないということです。その人はいつも求めているもののことしか考えないからです。その人は目標をもっていて、その目標にとりつかれているからです。求めるということは、すなわち目標をもつことです。見いだすということは、自由であること、開いていること、まったく目標をもたないことなのです。」
目標に向かって努力している人は視野が狭くなりがちだという指摘は鋭い。ビジネスのことばかりを考えていると環境や社会のことを忘れがちである。すべてがつながっているということを知る人が見いだす人なのだと、いう。現代のリーダーシップに一番求められていることだと思う。
「シッダールタの心の中で、本当の叡知とは何か、自分が長いあいだ探し求めてきたものは何であるかということについての認識が、自覚が、ゆっくりと成長して花開き、ゆっくりと実っていった。叡知とは、生きているあらゆる瞬間に「一如」の思想を考え、「一如」を知覚してそれと共に生きられるような心構え、心の能力、各個人がもつ技能以外の何ものでもなかった。」(一如=すべては一体で不可分)
しかし、同時に「叡知は人に伝えることができない」ということを悟る。
「それは、『あらゆる真理は、その正反対も同様に心理である』ということだ!つまりこういうことだよ。真理というものは、それが一面的である場合にのみ、表現することができ、言葉につつまれ得るのだ。思想で考えられ、言葉で表現できるものは、すべて一面的なのだ。すべて一面的で半分なのだ。すべて全体を欠き、完全を欠き、全一を欠いているのだ。」
この本は最終章で解脱の境地に至ったシッダールタが語る人生の総括にすべてがある。「愛」とは何か、「時間」とは何か、「人は何のために生きるか」に対して現代日本に生きる私にも説得力のある答えが書かれていた。90年近く前にドイツ人の作家がこれを書いたということに驚かされる。学生時代に「車輪の下」を読んでもスルーだったノーベル賞作家なのだが、こちらはズシンときた。
2008年02月26日
分割画面でリスト編集を確認できるファイル名置換ソフト bkrename
・bkrename
http://homepage2.nifty.com/bkclass/bkrename.html
GUIでわかりやすいファイル名一括編集ソフト。
大量のファイルの名前を変更したいときに、このソフトを使うと、左に現在のファイル名、右に新しいファイル名のリストが表示される。新しいファイル名は個別、または一括して変更が可能である。
ファイル名の一括変更には支援機能がいろいろと用意されている。設定したルールでの文字列変更や、連番づけ、拡張子変換など。
リストの編集が終わったら、「ファイル名が変更されています。書き込みますか?」という確認ダイアログがでる。OKをクリックすると実際のファイル名の変更が行われる。実際の変更前に仮想的にリストを編集できるので安心して作業が行えるのが凄くよいと思った。
デジタルカメラの写真や、CDリッピングで曲名取得に失敗したMP3音楽、GPSの日別ログなどに使っていて便利だ。
2008年02月25日
このへんでドロンします
正直、この本は30代から40代でないと純粋に笑えない、と思う。10代、20代ではこれらのフレーズを生活の中で聞いたことがないであろうし、50代以上はまだ使っていることを笑われたくないはずである。30代、40代の我々が慈愛の心で年配者の使うフレーズを鑑賞し、あれって昭和風だよねと同年代同士でこっそりと味わうのが、よいのだと思う。あ、一部40代には危険な人もいるかもしれない。線引きは微妙なのだが。
飲み会の途中で「それではこのへんでドロンします」というオヤジや、カップルに「俺っておじゃま虫?」とニヤニヤ聞くオヤジとか、「君たちエンジョイしてる?」と声をかけてしまうオヤジは、まだまだ生息している。「だっても、あさってもない!」「でももヘチマもない!」「しかしもかかしもあるか!」「このイカレポンチ!」なんかもまだ使いそうである。「とんでもはっぷん!」「バタンキュー」「グロッキー」もよく聞く。
そこはかとなく昭和を感じるへっぽこフレーズが1ページに1つ、イラスト付きで解説されている。セレクションが絶妙なので笑いを押し殺しながら電車で読んだ。それでも何度か噴き出してしまった。つぼにはまる読者には強烈なインパクトがある。
勉強したこともひとつあった。
私がこの本で数十年間の誤った理解を正すことになったのが「今日は半ドンです」ということば。意味は午前中だけ授業や仕事があることであるが、私は実に30年以上にわたって、土曜は昼に鐘がドンとなるから半ドンであると思っていた。いや、これは恐らく私の幼少期に私の両親か先生がそう教えたはずなのだ。絶対そうだ。誰か大人にそう聞いた記憶があるのである。
ところがこの本にはちゃんとした由来が掲載されていた。「オランダ語の日曜≪Zontag≫」が訛って「どんたく」、そこから土曜を「半分どんたく」それが「半ドン」に」と書いてある。結構有名な由来話らしい。よくよく考えてみれば、土曜の正午に鐘を鳴らすって、どこで誰が鳴らす鐘だったんだよ?私にそう教えてくれた誰か!。
2008年02月24日
WebサービスをFirefoxをベースにデスクトップアプリケーション化するPrism
・Prism
http://wiki.mozilla.org/WebRunner#Latest_version
PrismはSite Specific Browsersと呼ばれる特殊なブラウザー環境。SSBはひとつのWebサービスを動作させるように設計されたブラウザーをつくるプラットフォーム技術である。Prismを使うと、たとえばGmail専用ブラウザーとか、Mixi専用ブラウザー、ライブドアリーダー専用ブラウザー、情報考学ブログ専用ブラウザーなどを開発することができる。
Webブラウザとは独立したプロセスで動作し、最小限のユーザーインタフェース(ツールバーやアドレス入力欄などがない)、デスクトップのショートカットから直接起動できる、サイトごとに拡張が可能、外部リンクがクリックされたら別にWebブラウザを起動して開く、などの特徴がある。
デフォルトで下記のサイトが対応しており、そのほかにも多くのユーザーが開発した対応ファイルがある。
* Gmail: gmail.webapp
* Google Calendar: gcalendar.webapp
* Google Docs: gdocs.webapp
* Google Groups: groups.webapp
* Google Analytics: ganalytics.webapp
* Google Reader: greader.webapp
* Facebook: facebook.webapp
* Twitter: twitter.webapp
上のサンプル画面はGmailを表示した場合のスクリーンショット。
こういうのはよいぞとおもって昨年コラムを書いていたのでこちらもどうぞ。
・橋本大也の“帰ってきた”アクセス向上委員会 #007 〜サイトのアクセス向上に“専用アプリ”
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2007/10/16/1970
巷で“専用しょうゆ”がブームである。冷や奴専用、焼き魚専用、餅専用、卵かけごはん専用など、それぞれ最適化された専用しょうゆが次々に開発され、人気を呼んでいるのだ。カレー専用、アイスクリーム専用のしょうゆまであるという。「○○専用」というのは、成熟した市場をいま一度活性化させる可能性がありそうな、マーケティングの手法である。
ちょっと強引な前振りかもしれないが、今回はウェブサイトのアクセス向上にも、“専用アプリ”という考え方があるではないかという話だ。
2008年02月23日
FirefoxでIEとGeckoのレンダリングエンジンを切り替えるietab
・ietab
http://ietab.mozdev.org/
私はふだんはInternetExplolerを使っている。Firefoxは動作が軽いし拡張機能が充実している上にセキュリティも強い面があるなどよいところは知っている。だが、Webのサービスの提供側の人間としては、ユーザーの視点に立つために敢えてあまりカスタマイズしないでInternetExplolerを使っている。
ietabはFirefoxを使いながら任意のページを、Firefox内にIEのレンダリングコンポーネントを取り込む形で表示できるレンダリングエンジン切り替えソフトである。
大きく二つの使い方があって、ひとつは今、開いているページをIEのレンダリングエンジンに切り替えて表示することができる。今見ているページとは別の新しいタブに開くこともできるので、GeckoエンジンとIEエンジンを比較するのも容易である。
Webサービスの開発テストにも重宝している。ふたつのブラウザーでどう見えるかの確認もできる。それだけでなくログインが必要なサービスは、IEではログインユーザー、Geckoではゲストユーザーのようにしておくと、ふたつのモードをすぐに表示確認できる。(ログイン情報などはIEの保有情報を引き継ぐことができる。)
もうひとつの使い方はあらかじめ登録したサイトは自動的にIEで表示させるというやりかた。MSIEでなければきちんと表示できないサイトは結構あるので、あらかじめ自分が使うサイトを登録しておけば、いつでも不自由なく使えるようになる。
2008年02月22日
ルサンチマン
表紙の絵柄がかなり恥ずかしいのだが、根底にはしっかり哲学を感じる内容で、おもしろかった。セカンドライフ的な仮想世界の未来に興味のある人におすすめ。解説本を読むよりもずっと仮想世界の本質を理解できる、かなあ、はず、たぶん。
「主な登場人物 / 坂本拓郎(ボーナス時のスーパーソープランドだけが生き甲斐の30歳。工場勤務。ゲーム中では高校時代のルックスを使用)、月子(拓郎が購入した美少女ゲームのキャラクター)、越後(拓郎の旧友。引きこもり。拓郎に美少女ゲームを教えた先輩格で、ゲーム中では美男子「ラインハルト」に変身)
●あらすじ/2015年。印刷工場に勤める坂本拓郎は、今までずっとパッとしない人生を送ってきた。そんなある日、旧友の越後からギャルゲー(美少女ゲーム)を勧められるが、「現実の女が大事」と言って一度は踏みとどまる。だが、その後も彼が女に相手にされることは全くなく、30歳の誕生日、ついに大金をはたいてギャルゲー道具一式を購入する(第1話)。●」という設定ではじまる漫画全4巻。
ある著名な映画評論家は現実で生きるよりも、映画を観ている時間の方が長かったという話を聞いたことがあるが、仮想世界セカンドライフの表現力が現実と変わらないような没入感を持つようになったら、人間は仮想世界で過ごす時間の方が長くなってしまうかもしれない。
主人公はつらい日常から逃避して、仮想世界の美少女との生活へひきこもる。しかし、ひきこもるというのは外からみた見方であって、本人は仮想世界の中で、まっとうに主体性をもっていきているのである。美少女キャラクターと純愛しているのである。心は本物なのだから、この愛も本物なのかもしれない。そもそも愛って本質的にバーチャルなのであるよ、なんてことをいろいろと考えさせられる。
仮想世界では美少年のアバターで華麗な生活を送る主人公の主観世界と、ゴミためのような部屋でヘッドセットディスプレイをかぶり、全身を覆う体感スーツ(性感用のデバイスも装着)を来た主人公がいる客観世界を交互に描く。最初は大きかった、ふたつの世界の隔たりは、やがて両側からその壁を突き破っていってひとつになる。そりゃどんな世界かというと、実際に漫画を読んでみてみてください。
2008年02月21日
直感的にスクリーンショットを撮影するDtCut
・dtcut
http://www.roy.hi-ho.ne.jp/nyao/dtcut/index.htm
私のデスクトップ生活ではスクリーンショットって日常茶飯事である。ブログでソフトを紹介するときに使うし、プレゼンのファイルの中でもよく使う。画面を切り取って説明するとわかりやすいから好きなのだ。だからスクリーンショットはいろいろなツールを試しているが、操作の直観性という点ではこのdtcutはすばらしくよくできており、サブカメラ的に常用になりそうだ。
このソフトは「DtCut自体がのぞき窓になっており、のぞき窓に表示されているスクリーンを切り取り、保存、印刷できるキャプチャソフト」である。撮影したい部分にウィンドウを移動させサイズを調整する。窓の中に見えているままをキャプチャするのがシンプル。物理サイズがタイトルバー部分に表示されるのがありがたい。
ホットキーでクリップボードへコピー、印刷、保存が可能。さらに連続してキャプチャして保存するログモードも実装されている。コンポーネント単位やDirectX対応などプロ仕様のスクリーンショットなどは搭載されていないが、その分、わかりやすいし軽いのがよい。
なお、上のスクリーンショットはこのソフトを2つ起動させて、重ねて撮影したもの。
2008年02月20日
むしろ画面が焼きつく? 試験電波発信中スクリーンセーバー
・試験電波発信中スクリーンセーバー
http://www.vector.co.jp/soft/win95/amuse/se367743.html
試験電波発信中スクリーンセーバーはテレビで放送終了後や開始前に画面に出るカラーパターンを表示する。カラーパターンって基本的にずーっと変わらない画面であるけどいいのかなと思ったら説明書で、作者いわく「かえって焼き付きが促進されたらごめんなさい。」とのこと。
でも、デザインが本物そっくりで雰囲気がある。昼休みにこのスクリーンセーバーを実行して、同僚を笑わせるのに使えそうである。会議の途中休憩時にノートPCで表示させても、結構うけるかもしれない。
一応、実用的な時計と伝言板機能を備えている。
2008年02月19日
大量に開いてしまったウィンドウを効率よく閉じるCloseExp
・CloseExp
http://www.knonline.net/soft/clexp.shtml
なんて便利なんだ。
私はタブブラウザーを使わない派であると同時にウィンドウはすべて全画面表示にして使うのが好きなウィンドウズユーザーである。必然的に開くウィンドウの数が多くなる。長時間のデスクワークでは、何十個もウィンドウを同時に開いた状態になって、どこになにがあるかわからない状態になる。メモリ負荷も高いから動作も重たくなる。
ウィンドウを整理するアプリケーションとしてCloseExpは秀逸なフリーソフトだ。タスクトレイのアイコンをクリックすると下記のようなメニューが表示される。
エクスプローラだけ閉じる、MSIEだけ閉じる、一番上のウィンドウ以外を閉じるなどの選択が簡単にできるから、とても実用的なのである。
2008年02月18日
ゴサインタン―神の座
山本周五郎賞を受賞した篠田 節子の代表作。
地方の名士として代々続いてきた農家の後継ぎ結木輝和は40を過ぎて独身であった。農家に嫁いでくれる嫁を探して見合いを続けたが失敗続き。そこでアジアの花嫁仲介業者の世話になって、ネパールから若い妻を迎えることになる。彼女の名前はカルバナ・タミ。輝和は耳慣れない名前を嫌って自分のかつての意中の女の名前「淑子」と呼んだ。淑子は日本語も満足に話せぬまま結木家に入った。旧家の一族は彼女を日本の生活に馴染ませようとするのだが、やがてそのプレッシャーが淑子の秘めていた「生き神」としての能力を発動する。
文庫650ページの壮大な物語の冒頭はそんな風に始まる。農家へのアジアの花嫁お見合いの話はニュースなどで耳にするが、実態が生々しく書かれていて、週刊誌の特集的な好奇心で読み始めた。やがて淑子が不思議な力で家を滅ぼし、生き神教祖として変貌していく部分はホラー作品風でもあり緊張感あふれる展開である。後半の淑子を追ってのネパール行は魂の再生がテーマの精神世界の話になる。どれだけこの作家は知識のひきだしをもっているのだろうと感心する。
・神鳥―イビス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005177.html
2008年02月17日
日本映画のヒット力 なぜ日本映画は儲かるようになったか
日本映画が復活した。2006年に21年ぶりに邦画が洋画の興行収入シェアを上回り、2007年には興行収入10億円以上の作品が東方13本、松竹5本あって、それぞれ前年度を上回っている。ジブリのアニメ作品やテレビドラマとの連動作品などの大ヒットは往年の映画ブーム時の記録を次々に塗り替えている。この本は著名な映画ジャーナリストが、映画の内容には敢えて立ち入らず、興行成績でヒットをはかり、なぜ日本映画は近年、再び儲かるようになったのかを分析している。
テーマは、
・かつて日本映画がダメだった理由
・情報戦が日本映画を生き返らせた
・テレビ局は日本映画の救世主か
・東宝株式会社・映画調整部の力
・スター・プロダクションが映画ビジネスに参入・・・・
など。
映画の宣伝と言うとかつてはどれだけテレビスポットCMを打つかであったそうだが、現在はテレビスポットにたよる宣伝戦略が岐路に立たされているという指摘がある。テレビで広告しただけではだめで、人々が、多様な場面に多様なメディアを介して同時多発的に知るということが話題性につながるということなのである。クロスメディア戦略はボリュームで計ってはいけないということだろう。
「このように現代の情報戦とは、単純にその映画の情報の多さを競い合うのではない。情報は多岐にわたる。というより、情報はかなり捻じ曲がった流通の仕方をする。ここが非常に重要なのだ。」
後半で紹介された最近の映画の観客の動向調査も興味深かった。
1 映画は女性の方が好き。観客に10%多い。
2 単館系では20代、30代の若い人が多い
3 観客の過半数が会社員、次いで学生、主婦
4 テレビ、予告編、雑誌、ポスター、チラシ、新聞の順で認知する
5 ヘビー層は監督、主演者で選ぶ、ミドルライト層は話題性や他者の評価で選ぶ
6 複数で鑑賞が中心、ヘビー層ミドル層は異性中心
7 ヘビー層ほどシネコンを好む
8 6割以上が入場料低減を望む
などの結果がある。
日本映画というと年配者が中心、若物は洋画が中心という時代は終わっていて、本当に若い人たちの文化に定着しつつあるのだ。まさに復活という印象である。私はかなり映画を見る方だが、確かに日本映画率が増えている。
私の最近の邦画のおすすめはこれ。
久しぶりに故郷へ帰ったカメラマン(オダギリジョー)は、兄と一緒に幼ななじみの千恵子と峡谷へドライブする。兄と千恵子が二人で吊橋を渡ったときに千恵子が転落死してしまう。これは事故なのか殺人なのか?揺れる吊橋のようにゆれる関係者の心。手に汗握るサスペンスであり、心揺り動かされる人間ドラマ。西川美和監督のファンになった。
2008年02月16日
特殊フォルダへ簡単にアクセスできるOSPF
・OSPF
http://www2.osk.3web.ne.jp/~sm/ospf/ospf.html
地味だがすごく便利に思った。
次のようなWindowsの特殊フォルダをエクスプローラでワンタッチで開くことができる。
・送る
・マイドキュメント
・最近使ったファイル
・デスクトップ
・スタートアップ
・スタートメニュー
・プログラム
・お気に入り
・クイックランチャ
・デスクトップ(All Users)
・スタートアップ(All Users)
・スタートメニュー(All Users)、
・プログラム(All Users)
・お気に入り(All Users))を
たとえば「お気に入り」はWindows上に物理的にフォルダがあって、リンクのひとつひとつがショートカットとして保存されているわけだが、そのフォルダの位置ってどこだっけ?と忘れがちである。
こうした特殊フォルダの多くが、かなり深い階層のディレクトリの奥にあるので、手を出しにくいのである。OSPFはこうしたフォルダを簡単にのぞくことができる。
2008年02月15日
東海道新幹線歴史散歩
新幹線で京都へ行ってきた。この本のために窓際を確保して読んだ。
東海道新幹線の東京から新大阪までの間に、窓から見える景色を時系列で順番に写真付きで解説した本。線路沿いの史跡を中心に、主だったランドマーク105ヶ所以上の歴史的な解説がある。この本が片手にあると新幹線がハトバス観光状態になる。
それぞれの景色が見られるタイミングが、のぞみ乗車の場合の実測値で東京駅(新大阪駅も併記されている)から○○キロ、○○分後というように書いてある。東京を出る時に携帯電話の携帯のタイマー表示機能をセットしておけば、今どのへんを走っているか、すぐわかる。片側の車窓からのみ見える景色はA席側、E席側の表記もあって完ぺきである。
鑑賞する上でひとつ気をつけるべきは新幹線の速度である。本にある写真の様子が見えるのは、実際には一瞬のことなのでそれらの景色がくる数分前には心の準備をして目で探していないと、あっという間に通り過ぎてしまう。
新幹線に乗るたびに気になっていた「アレはなに?」問題が次々に氷解した。田んぼの真ん中にこんもりと残された小さな林がいくつもあって、きっとあれは地元の古い祠や因縁の神木があるんだろうなと想像していた場所の多くの正体が判明。やはり神社も多いが、古墳や貝塚であったりした。
ちなみに代表的な史跡の種類を集計すると、
天守閣×9
城跡×9
五重塔×2
古墳×4
貝塚×2
古戦場×6
もあるそうである。
ところで近い将来、新幹線には無線LANが整備されるらしい。これができると新幹線に乗りながら、グーグルマップでリアルタイムに走行中の場所の地図や、Flickrなどにアップされた近辺の最近の写真や、ブログのデータをなどを総合的に参照するサービスなんて大人気コンテンツになるかもしれない。
2008年02月14日
倍率を自由に設定できるデスクトップ拡大鏡 Lenz
・Lenz
http://homepage2.nifty.com/garand/
大きな物理サイズの写真の細部を拡大したい時に、Windowsフォトギャラリーの拡大機能を使うと、確かに細部を拡大してくれるのだが、拡大部分のみの表示になってしまう。また、これだと拡大した際に当然ながら表示する解像度も変わってしまうので、最初に見た大きさの写真の細部を、そのまま2倍、4倍にしたときの粗さを確認することができない。
単純にルーペのようなソフトはないかなあとシンプル、軽快なものを探してみた。Lenzは倍率を自分で設定できるソフトウェア。2倍、4倍など数値指定できる。アイコンなどのデザイン確認にも重宝する。Windowsフォトギャラリーの拡大縮小機能と併用すると、画像の細部チェックが楽になるのでおすすめ。
2008年02月13日
祝福
芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久とカメラマン坂本真典のコラボレーション。
恋愛小説+蓮の写真集。
30を過ぎたライターの男と、日本で働く中国人の若い女性が、蓮の花が咲く上野の池で恋に落ちる。
ふたりが出会い、意識し、恋が芽生えて、熱愛に燃えるようになる様子が、蓮が芽吹いて育ち、蕾をつけて花開いていく写真に重ねられている。そして枯れて種を散らして次の春を静かに待つ蓮が、後半の波乱含みの展開では写しだされる。
バラでもタンポポでもなくて蓮の花。挿入された写真は1万7千枚も撮影した中から選ばれたという。蓮はその一生の中で時期によってまったく違った姿態をみせる。清純でありながらエロティックであり、儚いようでいながら力強いのである。それがふたりの恋愛や人生にうまく重なっている。
官能的な濡れ場の描写を読んでページをめくると、そこには咲き誇る花弁の写真がある。実にいやらしい。水滴に濡れた、薄紫の花弁の筋が、植物のようではなくて、息をしているようにみえてしまう。これが写真だけだったら違った感想だったろう。官能小説で秘所を花弁とか花芯とかいうけれど、まさにそのまま可視化してしまったわけである。エロい。
引用されていた錬金術師パラケルススの言葉が印象的だったのでメモ。「花々がどのように惑星たちの運行に従い、月の相に従い、太陽の循環や遠い星たちに感応して花弁を開くか、気づきなさい。」。
2008年02月12日
タテ社会の人間関係 ― 単一社会の理論
1967年から版を重ねて110万部突破のロングセラー。日本のタテ社会とは何かを分析している。タテ社会というのは「伝統的に日本人は「働き者」とか「なまけ者」というように、個人の努力さには注目するが、「誰でもやればできるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在している。」というように、みんなが平等という前提で、できてきた社会だという。そして誰でも上へ行く道が開かれている。
「どんな社会でも、すべての人が上に行くということは不可能だ。そして社会には、大学を出た人が必要であると同様に、中学校卒の人も必要なのだ。しかし、日本の「タテ」の上向きの運動の激しい社会では「下積み」という言葉に含まれているように、下層にとどまるということは、非常に心理的な負担となる。なぜならば、上へのルートがあるだけに、下にいるということは、競争に負けた者、あるいは没落者であるという含みがはいってくるからである。」。
しかし、この日本の伝統的タテ社会は、能力評価による競争が行われているわけではない。必ずしも仕事ができるからといって認められて出世するわけではないのだ。「論理より感情が優先し、それが社会的機能をもっていること」が特徴であると著者は指摘する。
「他の国であったならば、その道の専門家としては一顧だにされないような、能力のない(あるいは能力の衰えた)年長者が、その道の権威と称され、肩書をもって脚光を浴びている姿は日本社会ならではの光景である。しかし、この老人天国は、決して日本人の敬老精神から出てくるものではない。それは、彼がその下にどれほどの子分をもっているか、そして、どのような有能な子分をもっているか、という組織の社会的実力(個人の能力ではない)からくるものである。」
なんと痛快なタテ社会批評!
・「おしゃべりな人」が得をする おべっか・お世辞の人間学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001413.html
・世間の目
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html
2008年02月11日
ロックされたファイルを次回起動時に移動、削除するGiPo@MoveOnBoot
・GiPo@MoveOnBoot
http://www.gibinsoft.net/gipoutils/fileutil/
これはそのうち使いそうなソフト。
Windowsを使っていると、たまにファイルがロックされてしまうことがある。システムや他のアプリケーションが同時にそのファイルを利用していることが原因だが、どうしたら解除できるのか、やり方がわからなくてイライラしてしまうことがある。
OSを再起動したら治るかなあと思ってやってみても、スタートアップ起動される一連のアプリが起動してしまったあとでは、すでにロックがかかっていたりする。
GiPo@MoveOnBootは、次回の起動時に一度だけ、あらかじめ指定したファイルを他の場所へ移動したり、ファイル名を変更したり、削除することができるソフト。動かせなくなってしまったファイルを動かすことができてすっきりする、はずである。
ファイルがロックされて困るという事態は過去に何度もあるのだが、このソフトを試そうと準備しているうちは、そういう状況に陥らない。最近マーフィーの法則の新刊を読んだのだが、こういうのは逆マーフィーの法則というものか。
2008年02月10日
HGUC 1/144 MSM-10 ゾックと機動戦士ガンダムTHE ORIGIN
少し前の話になるけれども、昨年の大みそかは紅白歌合戦をみながらゾックをつくった。2006年末がアッガイだったので、今年は水陸両用つながりということでゾックということになった。
つくってみてゾックは完全な左右対称、前後対称であることに改めて気がついた。同じ部品のパーツの板が2枚ずつパッケージには入っているのだ。だから、ほぼすべての部品がふたつずつある。モノアイなど一部の部品は一組しか使わないから完成時には結構部品があまってしまうのであった。その構造故に、組み立ては非常に繰り返しが多く、ツメなどは6つも作らされる。単純作業系のキットであったが、テレビを見ながら、ながらプラモには最適だったかもしれない。
できあがりはゾック特有のあのボリューム感、あのカラーリングが実体化していて、かなり満足。今回はガンダムマーカーを使ってスミ入れをしてみた。マーカーを使って、プラモデルの細部をなぞると陰影感がついてリアリティがますというもの。
・GUNDAM MARKER ガンダムマーカーベーシック6色セット
スミ入れ部分を拡大してみるとこんなかんじである。
そしてこれも昨年に続いて機動戦士ガンダムTHE ORIGIN IIIを読む。
・愛蔵版 機動戦士ガンダムTHE ORIGIN III ランバ・ラル編 (3)
愛蔵版は年に一冊ペースなので1年分追いかける。今回はランバ・ラル編だった。 予想通り、終盤で感涙モノのシーンに出会う。ランバラルがホワイトベースの若い兵士たちに包囲されて手榴弾で自爆するシーン。
「立派な戦い方だったぞ、諸君!。だが、よく見ておけ。兵士のさだめがどういうものか。戦いに敗れるとはこういうことだ!」
この捨てセリフのシーンはアニメでも印象的だったがORIGINではランバ・ラルのキャラクターや設定が細かく描写されている分、さらに深い感動を与える。思えばガンダムって捨てセリフに好きなものが多いのだ。
マ・クベが戦闘退却時に言った「考えても見ろ。我々がジオン本国に送り届けた鉱物資源の量を。ジオンはあと10年は戦える」も私は好きだ。この前、ある仕事のプロジェクトがイマイチな状態で終了した際に、このセリフを呟いてみたのだったが、誰もわかってくれなくて、スルーだった。わかってもらえる場所で仕事はしたいものだと思った。
・機動戦士ガンダム THE ORIGIN、MGアッガイ、ターゲット イン サイト
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004854.html
2006年末につくったアッガイ。
#上記、ガルマ→マクベの間違い訂正(猛烈な勢いで指摘してくださった読者の方々に感謝)
2008年02月09日
仏像のひみつ
東京国立博物館の同名の展示が一冊の本になった。
「人間の社会には組織というのがあります。会社だったら、会長さん、社長さん、専務さん、部長さんから、ヒラ社員まで。博物館にも館長がいて、副館長がいて、部長がいて、その他いろいろ......。仏像の世界も同じです。いくつかの段階のグループがあって、種類があって、それぞれの役割があります。そして仏像はそれが見た人にすぐわかるように、それぞれが決まった髪型や服装をしています。」
ということで最初に示されたのがこのピラミッド。
これがわかっただけで、これまで見てきた仏像の位置づけがかなりわかりやすくなった。もちろん如来、菩薩、明王、天とはなんなのかのやさしい説明がある。
「さとりをひらいた如来のからだには、いろいろな特徴がそなわることになりました。それは数えると三十二、あるんだそうです。」。具体的に如来の主な特徴が説明されている。
たとえば鎌倉の大仏を例にだすとすると、
上の○で囲んだ部分はすごく特徴的である。普通の人間にはなくて仏像だけにある。ボコボコした頭は、長い髪が勝手にパンチパーマ状になったもの、だそうで、おでこのボコは白い毛がくるくるっとまるまったもの、なのだそうだ。(それってどういうことというと深い意味があるわけだが。)
このほかにも仏像の姿勢や小物などの説明がいっぱいある。仏像の手の結ぶ印で、仏像の伝えたいメッセージが識別できるというのは、一緒に博物館にいった誰かについつい語ってしまいそうだ。
先手観音には千本の手があるわけじゃなくて四十二本の手があるなんていうのも初めて知った。「一本の手が二十五の世界の人々を救うんだそうです。だから四十本の手があれば、四十かける二十五でせ、千の世界の人を救えるんだって。それに、もとからある日本の手をいっしょに数えて四十二本の手になるらしいのです」
博物館に行く前にざっと読んでおくと、観賞力倍増間違いなしの強力なガイドブックだ。
2008年02月08日
蚊、ゴキブリの嫌がる音波をスピーカーから発振するCA-CONE
・蚊、ゴキブリの嫌がる音波をスピーカーから発振するCA-CONE
http://shoppers-jp.com/software/ca_cone.html
高周波や低周波をPCのスピーカーから出力して、周囲の蚊やゴキブリを駆除するソフトウェア。ソフトウェアであるにも関わらずアトムの世界へ直接的に影響する珍しいカテゴリのソフトだ。発想が素晴らしい、感動してインストール。
人間には聴こえない音を発振するんだよね、と思いこんでいたのだが、実際に起動してみるとキーンという音が微妙に聞こえるのである。静かな環境でボリュームを大きくすると駆除される虫の気分がなんとなく想像できた。
なお、ゴキブリ排除モード、蚊:高周波モード、蚊:低周波モード、マニュアルモードがある。マニュアルモードは周波数を指定できるので、何らかの超音波を出す必要がある実験(何?)などでも使える便利なソフトウェアである。
2008年02月07日
ファイルを完全に削除するデジタルシュレッダー
ウィンドウズのごみ箱はファイルを完全に消去してしまうわけではないので、復元ソフトを使えば、多くの場合、復活させることができる。だから、会社の個人情報などを扱っているPCは注意が必要である。ゴミ箱に捨てて消去したからといって油断できない。
悪意の第3者がPCを操作する、PCを廃棄した後にとりだされたHDDから復元される、PCが盗難にあう、などの不測の事態を考えると、ゴミ箱削除だけでは不十分である。
デジタルシュレッダーは復元できないようにファイルを完全消去するガジェット。ゴミ箱とおなじようにファイルをドラッグアンドドロップするだけで機能する。
2008年02月06日
空中スキップ
文句なしで5つ星の短編集。漠然と面白い読み物を探しているなら、これがおすすめ。
自分を犬だと思い込んでキグルミを来た男に餌をやる家族の話だとか、ある日世界中で子供が生まれなくなってしまった騒動の話だとか、母親のために心臓の提供を迫られる息子の話だとか、普通の世界と少しずれた設定で始まる話が多い。その最初のなにかへんだなという亀裂がしだいに大きく広がって世界を覆いひっくり返す。
収録作品は341ページの本に23編だから、一話あたり15ページに満たないショートショート。奇想天外の世界観に幻惑される読書体験が23回。その短い枠の中で、どの作品にも読者の期待を裏切らない裏切り方が待っている。シュールでブラックな作風だが、同時にどことなくコミカルなので、気分が暗くならずに、次々に読み進めやすいのもいい。
23話中8割くらいの確率で個人的には大ヒットだった。1973年生まれの作家でまだ作品数は僅かだが、たいへんな大物に成長しそうな予感がする。基本は偏執妄想系だが、文体は湿度がとっても低くて、実にあっけらかんとしている。その食感がたまらない。
翻訳もよいのだと思う。
空中スキップの原題は「Flying Leap」。飛びながら跳躍する。まさにそんな読み心地の本だ。私って空を飛べるかもと思いついて跳んでみたら本当に空を飛べてしまってその先にあった物語という感じ。そういう夢のような跳躍を次々にリズミカルに読む短編集という意味でも、この空中スキップという訳語はすごく適切だなと思った。
2008年02月05日
ヨブへの答え
ユングの傑作。宗教を心理学で解体する。宗教とは何かにひとつの答えを返しており衝撃的。
聖書に出てくるキリスト教の神ヤーヴェは全知全能であるにも関わらず間違いを犯す。最初につくった人間のアダムとイブからして、彼が課したルールを破り堕落していった失敗作だ。人間の心はお見通しのはずなのに、ひどく疑って試練を与える。そして意のままにならないと怒って罰を下す。そして自らを称賛する人間に極限的なまでの慈愛をみせることもある。
「彼の力が宇宙のすみずみまで大きく鳴り響いているわりには、彼の存在の基礎は心細い、つまり彼が実際に存在するためには意識に映されることが必要である。存在は、当然誰かに意識されてこそ意味がある。だからこそこの創造主は、人間が意識化するのを無意識のうちに妨げたいと思っていながら、なおかつ意識的な人間を必要としているのである。だからこそヤーヴェは怒り狂って盲目的な破壊に走り、そのあとで物凄い孤独と辛い虚無感に苛まれ、次いで自分を自分自身と感じさせてくれるものへの何とも言えぬ憧れが再び目覚めてくる。」
ヨブ記の中のヨブは神を敬う正しい人である。その行いや言動から良い人間だとわかりきっているのに、神はヨブにサディスティックなまでに厳しい試練与えて痛めつける。理不尽で不可解である。それでもヨブは神への従順をひたすらに誓い続ける。この二者の茶番劇みたいな行動は、いったい何なのか?ユングはこう分析する。
「彼(ヤーヴェ)は一人で両者、迫害者にして助け手であり、どちらも同じように真実である。ヤーヴェが分裂しているというよりは、むしろ一個の二律背反であり、全存在にかかわる内的対立であって、それが彼の恐るべき行動の・彼の全能と全知の・不可欠の前提なのである。このことを認識しているからこそ、ヨブは彼の前で「わが道を明らかにせん」ことに、つまり自らの立場を鮮明にすることに、固執するのである。なぜならヤーヴェは怒りの面をもつにもかかわらず、その反対に、訴えを起こした人間の弁護者でもあるからである。」
神はすべてであるが故に、善でも悪でもある全体性の性質を持っている。ヨブはそれを認識したうえで、普通に考えると理不尽に見える神にひれ伏しているのである。このヨブは神よりも知的で道徳的に高い位置にいる。だから追い越された神は人間をふたたび超越するために、神であり人であるキリストの姿に変身せねばならなかったのだという。
ユングはその全体性の神の正体は人間の無意識のはたらきであると指摘する。
「神と無意識とはどちらも超越的な内容を表すための極限概念である。しかし、無意識の中には全体性の元型が存在していて夢などの中に自発的に現われるし、また意識的な意志から独立したある傾向があって、それがこの元型を中心にして他のもろもろの元型を関係づける働きをしているということを、経験的には確かに確認することができる。」
無意識の中の元型がせめぎあって、ある程度は自発的に神を作りだしている。だからこそ、神の姿は時代状況を反映して、そこに生きた人々の無意識を反映する形で変化してきたとユングは指摘する。旧約聖書や新約聖書の時代から1950年代の法王宣言まで、歴史を追って、無意識と神の対応関係を見事に分析している。
ユングというと、例のシンクロニシティ研究の超越的な難解さが連想されるが、この本はまったくちがって、論理的でわかりやすく書かれている。伝統的な宗教における神という表象の正体を心理学を使って論理的に説明している。訳者の素晴らしい解説があるおかげで一層、内容を立体的に理解することができるのも高評価。
・グノーシスと古代宇宙論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004955.html
・グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004060.html
2008年02月04日
選択メニューをリング状に表示するRingMenu
・RingMenu
http://www.ringmenu.jp/
これは普通にWindowsのインタフェースとして採用したらいいのではないだろうか。
Ringmenuは「新しいスタイルのショートカットメニュー」。右クリックメニューのアイテムをアイコンを円周状に並べて表示する。マウスホイールで回転選択することもできて、文字列メニューよりも操作性に優れる部分がある。
文字列メニューでは文字を読まねばならなかったが、Ringmenuではアプリケーションの大きなアイコンで表示されるので、直感的に操作しやすい。そして、なにより通常の右クリックメニューよりも美しいのがいい。
操作画面をビデオで録画してみた。
2008年02月03日
読み替えられた日本神話
日本書紀は神話のスタンダードとしてその成立以降、宮廷や祭祀の人々に読み継がれてきた。中世において、その読まれ方は、読み継ぐというより読み替えというほうが正しかった。彼らは自由奔放にオリジナルを翻案改作して、別バージョンの神話を積極的に作り上げるようになった。
「中世日本紀の世界。そこには『記』『紀』神話に伝わっていない。イザナギ・イザナミの両親から棄てられたヒルコのその後の運命、あるいは源平合戦のさなかに失われた三種の神器のひとつ、草薙の剣のその後の行方、あるいは伊勢神宮でアマテラスの食事担当の神だったトヨウケ大神が、天地開闢の始原神、アメノミナカヌシへと変貌していく様子、さらには第六天魔王とか牛頭天王といった、古代神話には登場しない異国の神々でさえも活躍していく。もはや仏教とか神道とかいった区別さえも通用しないような世界が繰り広げられていくのだ。」
従来、研究者は、こうした神話の亜種を価値の低いトンデモ偽書としてまともに調べてこなかった。だが、神話の読まれ方を通史で眺めると、古い神話にインスピレーションを得て、新しい神話の創造するという行為はずいぶんと盛んでひとつの文化といえるものだったと著者は高く評価している。
日本書紀が成立直後より、朝廷では定期的(平安以降は30年おき)に、日本書紀の購読・注釈の催しが行われてきた。日本紀講と呼ばれるこの神話の読書会が、やがて神話創造の現場となった。
「こうした日本紀講の現場は、同時に新しい神話テキストを生み出す「創造」とも繋がっていた。『日本書紀』を注釈し、講義していく日本紀講の場は、なんと『日本書紀』を超えるスーパーテキストを作り出してしまうのだ。」
もちろん、その創造行為の動機には政治的なものを見る意見もある。「たとえば中世のアマテラスの本地垂迹は、在地の信仰を仏菩薩の垂迹として位置づけ、その頂点に大日如来の垂迹たるアマテラスが君臨することで、武士をはじめとした中世の人々を中世王権が精神的に再編成することが可能となったという説がある。」。そもそも同時期に成立したはずの古事記と日本書紀の記述の違いは主に天皇の権力を正当化するための意図的な改造であった。
だが、神話を創作の素材に用いるのは、千と千尋の神隠しやもののけ姫のような、現代のアニメ作品だって同じである。みんなが知っている話だからこそ、その続編を作ったり、同時代的要素を盛り込んだ別バージョンを作ったりすることが楽しいわけである。そうした楽しさに中世の人々は浸りながら、自由奔放にもうひとつの神話を作り続けた。そのクリエイティビティを、偽物だからなかったことにするというのでは、あまりにもったいないではないか、見なおそうというのがこの本の執筆の動機。
日本神話は日本人に本当はどう読まれてきたのか、実は今でいうCGMのネタとして親しまれてきたのじゃないか?という新しい視点を与えてくれる興味深い研究だった。
2008年02月02日
古文を現代文へ変換する 古文翻訳装置
・古文自動翻訳研究センター 古文翻訳装置
http://honnyaku.okunohosomichi.net/
古文を現代文に翻訳するソフトウェア。
これ本来は高校生向けらしいのだが、いやいや、大人でも便利である。本を読んでいると本文中に解説なしで古文が使われていることがある。だいたい意味がわかるが本当にそうか?というときは調べるのが面倒なものだ。
古文翻訳装置は原文を上に入れて、翻訳ボタンを押すだけで、現代語に変換してくれる。翻訳精度は万全というわけではないが、
三寸 → 9.09センチメートル
筑紫國 → 筑紫(福岡県)国
というように地名や度量衡も返還されるので読み解くヒントになる。
なお、開発元の古文自動翻訳研究センターはなんと個人。ひとりでこのソフトを開発しているらしい。すごい。
2008年02月01日
麗しき男性誌
斎藤美奈子が男性雑誌を斬る。かなり痛快。
取りあげられた雑誌は週刊ポスト、プレジデント、日経トレンディ、文芸春秋、週刊新潮、週刊東洋経済、ダカーポ、ナンバー、週刊ゴルフダイジェスト、サライ、日経おとなのOFF、ダンチュウ、ニュートン、メンズクラブ、エスクァイア、ブリオ、ナビ、ブルータス、レオン、ホットドッグプレス、東京ウォーカー、週刊プレイボーイ、週刊スパ、メンズノンノなど。さらに普通の男性雑誌に加えてヤンキー御用達の「ヤングオート」、ヘラ釣り専門の「月刊へら」、バス釣り雑誌の「バサー」、「山と渓谷」、軍事雑誌「丸」などの特殊な男性雑誌もレビューしているのが愉快。
論旨明快に男性雑誌のイタいところを突いてくる。当たり前といえば当たり前だが、男性雑誌というのは、その時代の男性の欲望やコンプレックスの反映なのだ。たとえば一件、対極にありそうなアエラとスパも、基本的にやってることは一緒だという指摘は鋭いとうなった。
「どちらも20代〜30代の「ちょっとハミ出たヤツ」に関心を持ち、その条件に合致する人を何人か取材し、あたかもそれが「日本の普遍的な大問題」であるかのうような分析を加える。関心領域といい切り口といい、この二誌は意外にも親戚同士だったのだ。ただし、両誌の間には決定的な差がある。自虐の「スパ」とは裏腹に、「アエラ」には上昇志向の強さがあることだ。この差は読者層の差を反映しているともいえる。「S」が偏差値低め、自虐度高しのサラリーマンを相手にしているとすれば、「A」が意識してるのは偏差値高め、プライドも高めのお姉さま方だ。」
この本の本文は2000年5月から2002年12月にアエラに連載された内容なので、変化の激しい雑誌の評論としては古くなった部分があるが(廃刊した雑誌も複数ある)、文庫版では2007年時点での追記があって、その間の誌面の変遷をフォローしてくれている。こうした雑誌の編集方針の比較や歴史については情報があまりないので、非常に参考になった。