2008年03月24日
植田正治 小さい伝記
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雑誌「カメラ毎日」に1974年から1985年までの間に13回発表された、植田の作品群(写真とエッセイ)が収録されている。先日紹介した「植田正治の世界」は関係者による360度評価のような本であったが、こちらでは本人の肉声がきける。
伝記というシリーズタイトルについては本人がこう語っている。「その「伝記」という言葉を使うのはちょっと気になったんですよ。なんか思い上がったような感じでちょっと気になったけども、切羽詰ってそういう題つけてね。それから言い訳になりますけど、伝記というのは私自身のたどった道、これからたどるであろう道であるし、それから撮ってる被写体、対象のそのときの記録ということは、撮られた人物なら人物のひとつの伝記の1ページになるであろうという気持ちなんですよ。」
断続的だがシリーズが8年間続いたことで、実際、植田正治のある時期の伝記的内容となった。植田が約50年前に撮影したが未現像のフィルムを新作として発表した回もある。カビに浸食されたネガから1930年代の日本の情景が現れる。驚くべきことに「植田流」はその頃から変わっていないことがわかる。
植田正治の作品の最大の魅力は構図の面白さなわけだが、一般に写真術で言われる構図のタブーをしばしば犯しているのが興味深い。メインの被写体をど真ん中に配置してしまう日の丸構図とか(ローライフレックスの正方形写真では一層それが目立つ)、人間の背景に電信柱がある串刺し構図などを堂々とやっている。それが印象を悪くするどころか、効果として活きているのが凄い。
日常をどう写せば非日常になるかを徹底的に考えつくした写真家なのだ。そしてそれは田舎暮らしから育まれた才能でもあったらしい。「それはとにかく外国行ったら、もの珍しい、右向いても左向いてもシャッター押しますね。それは写真になると思うわ。山陰におるとなかなか写真になる対象に恵まれん。」と話している。
植田は自分の作品について「非常に空間がとぼけてる写真かもしらんなァ」と述べている。これ以上ないほど的確な説明だと思った。植田作品はメインの被写体へのピントは常に完璧に合わせている。背景は砂丘や曇りの白い空であることが多いから、当然のことながら被写体だけが中央にぐぐっと浮き上がり、広がる余白との絶妙のバランスが「とぼけた空間」の一因になっているようだ。
カメラ雑誌などの月例コンテストで植田流を模倣した作品をよく見るが、本家の持つ、そのとぼけ具合がない。まじめに計算して作ってしまうととぼけたことにならないようだ。「五十年間つづいた道楽が我が写真家としての取り柄ならん。」と語り生涯「アマチュア」として生きた植田だったからこそ、究めることができた遊びのセンスだったのかもしれない。
・植田正治の世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005283.html
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Posted by daiya at 2008年03月24日 23:59