2008年03月11日
日本人と日本文化
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司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談。古典的名著。
キーンの日本文化についての知識の幅広さと深さに驚かされる。議論の中で何度も司馬遼太郎が防戦側に回っているように感じた。8本の対談が収録されている。議論はだいたい日本らしさ、日本人らしさとは何か、ということに収斂する。キーンに言わせると歴史的にみて「日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する」民族であったらしい。
原理というものに鈍感な日本人は、仏教と神道と儒教をごちゃまぜにして平気である。「日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、受容と抵抗の関係があるように思われます。」とキーンは指摘する。最初は軽蔑したり嫌々ながらに外来を取り入れていくが、やがて不可分なほど融合する。日本の文化史というのは、確固たる日本文化があるわけではなくて、外来文化が入ってくる、そうしたせめぎあいそのものなのだ。
それでも日本人は日本文化の絶対価値をアプリオリに認めている民族である。そこが日本人のおもしろいところでもあると思う。地政学的な安心感が土台にあるのだろう。
「もう一つは、中国には日本人にできないようないろいろ素晴らしいものがあるけれども、日本にも中国にはないような立派なものがある、と考えていた。それは何かというと、日本人の独得の「まこと」、あるいは「まことのこころ」でした。中国人に「まこと」がないという証拠はあまりないのですけれども、ともかく、どうしても日本には中国にないものがあるということを信じたかったようです。」とキーン。
真心、誠、大和魂。日本人の精神の芯にはなにか特別で正統なものがあると仮定して疑わない。それが何なのか言葉で説明したり、論理で証明はできないが、とにかく信じているわけである。その上で外来文化を取り入れているから平気なのである。
司馬はこういう。「日本という国は外にたいしてあまり影響を与える国じゃない。つまり世界史における地理的環境というものがあって、日本はいろんなものが溜まっていく国だと思うのです。中国になくなったものが日本のなかに溜まっている。文化のなかにも、言語のなかにも、むろん建築のなかにも、正倉院にも溜まっている。それではそれが中国に押し出していくか、思想として中国思想に影響を与えるべく出て行くかというと、それはありえない国のようですね。」
日本的な美とは伊万里や柿右衛門ではなくて、志野や織部だという話。日本の大きな合戦はここぞというときに裏切り者が出て勝敗が決まってしまうという話。日本人は政治を女性的にとらえてしまうという話。日本に来て成功した外人と失敗した外人論。多彩なテーマで日本人と日本文化の本質がわかりやすく語られている。
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Posted by daiya at 2008年03月11日 23:59