2008年01月13日

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・美の呪力
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代表作「太陽の塔」を発表した大阪万博の開催直前の時期に、雑誌「芸術新潮」に連載された岡本太郎の芸術論。「私は幼い時から「赤」が好きだった。血を思わせる激しい赤が...」。「聖なるもの」、「石」、「血」、「怒り」、「挑戦」、「仮面」、「聖火」、「夜」という、一連のキーワードの関係を構築しながら、古い芸術観を解体していく。

岡本太郎というと「芸術は爆発だ」というフレーズが有名だが、彼がこの本で語っているのはまさに、なぜ芸術は爆発なのか、爆発とはなんなのか、の話である。爆発とは原初的な生命エネルギーが人間の内側からふきだすことであるが、無論ふきだすだけでは芸術表現ではない。

岡本太郎はピカソの「ゲルニカ」を例に出してこういう。「いずれにしてもピカソの作品はあくまでも激しいと同時に冷たく、微妙な計算の上で炸裂している。そこに同時に遊びがあるのだ。怒りながら、瞬間に自分を見返している。常に見返していなければ本当の芸術家ではない。自分を見失い、我を忘れた狂奔は怒りではない。芸術ではない。」

「私は言いたい。全体をもって爆発し、己を捨てることだ。捨てるということは一番自分をつかまえることなのである。ああオレは怒ってるな、と腹の底でこっそり笑いながら、真剣に憤っている。それが人間的なのである。表現の側から言えば、目をつりあげて怒りながら、同時にそれが笑いである。またその逆であるというような表現こそ、人生そのものの表情であり、芸術である。」

真髄はメタなのだ。冷めていながら、ぶち切れることを遊ぶのが芸術なわけだ。これまで何冊か読んだが、岡本太郎の芸術論は常に人間の精神や文化の豊饒賛歌になっている。何かに還元できるような、つくりものじゃないのである。

この連載は太陽の塔の制作と重なる。こんな記述もあった。

「70年万博のテーマ館のために、私は世界の神像・仮面・生活用具などを集める計画をたてた。進歩を競い、未来を目ざすつくりもの、見世物ばかりで何か全体が浮き上がってしまいそうな会場の気配に対して、ぐんと重い、人間文化の深みをつきつけたかったのだ。」

日本中が注目した進歩史観の祝祭に対して、それとは反対の、ドロドロした人間のエネルギーを演出してみせた。当時、そのコンセプトやイメージが万博に合わないという意見もあったらしいが、岡本太郎は、実は確信犯的に遊んでいたのだということがわかる。体制に慣らされては芸術はできない。体制と戦うことを真剣に遊ぶことが真の芸術なのだなあと、その生き方をみて思った。

・岡本太郎 神秘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004986.html

・今日の芸術―時代を創造するものは誰か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005051.html

・岡本太郎の遊ぶ心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005077.html

・岡本太郎の東北
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005167.html


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Posted by daiya at 2008年01月13日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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