2007年10月30日

美についてこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサード リンク

・美について
41494MAD9SL__AA240_.jpg

美についての哲学的考察。

映画のエンドロールで「この物語は実話にもとづいています」という字幕を読む、とか、作者が死を覚悟して描いた遺作ですという説明を聞かされる、とか、作品の背景を知ると感動が増すということがある。美しさという感動は純粋な知覚体験というわけではなさそうだ。

まず美は理性による発見=解釈というプロセスを必要とするものだと著者は述べる。

「こう考えてみると、美はたんに直接的な知覚や感覚の実の問題ではなく、なんらか成長するにつれて発達する知性と関係があるように思われてくる。たしかに、複雑な構成の長篇小説や単色の墨絵の美など、知性の不足している頃には無縁の存在ではなかったか。そこで、背景に秘めている教養の高まるにつれて、われわれが美と感ずる対象、つまり、われわれに美しいという知覚を呼びさます事物が変化してくるという事実を認めねばならない。」

解釈とは作品との対話であり、背景知識による分析をベースとしている。だから「換言すれば、作品は体験の浅い人にはその深さを示さないということになる。体験の深浅は決して事実体験として自己が経験したか否かという直接性の問題ではなく、意識がとらえるものをわれわれがどれほど深く理解するか否かということにかかっている。」ということになる。

感受性という言葉はこの本に一度も使われなかった気がするが、美を深く味わうには、感覚と知性の総合的な感受性の高さが必要であるということになる。そして教養だけでは不足で「愛」も要るのだという考察がある。

「ということは、われわれは与えられた作品との美的経験において、想像力を理性的に働かせて、その作品が、元来置かれていた場所では、いかなる背景を持ち、いかなる条件に基づいて輝き出ていたのか、ということを補い考えてみなければならない。この配慮は、言わば、作品に対する愛情なのである。作品はしばしばこの愛に応えて自己を開示する」
そして美の体験とは「日常的意識の切断」という意識の位相だという。日常を忘れてうっとりしてしまう状態が美の体験なのである。「真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美はかくて、存在の恵みないし愛なのではなかろうか。」

美について各章で哲学的、歴史的、社会的、芸術的に多角的な分析が行われる。美の正体を考える入門書として名著だとおもう。


スポンサード リンク

Posted by daiya at 2007年10月30日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
Daiya Hashimoto. Get yours at bighugelabs.com/flickr
Comments