2007年10月25日
CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ
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・CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ
小寺信良と津田大介の二人がキーパースンとコンテンツの未来を探る対話集。
登場するのは以下の顔ぶれ。
土屋 敏男(第2日本テレビ エグゼクティブ・ディレクター)
草場 大輔(東京MXテレビ 報道制作局ディレクター)
椎名 和夫(音楽家、実演家著作隣接権センター運営委員)
遠藤 靖幸(価格.com マーケティング部)
江渡 浩一郎(産業技術総合研究所 研究員)
西谷 清(SONY ビデオ事業本部長)
長谷川 裕(TBSラジオ「Life」プロデューサー)
中村 伊知哉(国際IT財団 専務理事)
松岡 正剛(編集工学研究所)
松岡 正剛の「プロセスがコンテンツになる」というやりとりが、ふだんネットを使っていて感じていた私自身の問題意識と重なって、参考になった。
「松岡 PCの世界じゃないところでは、例えばゴールデンウィークに旅をする。するとどこか観光地に行くのはいいけど、その間はみんな疲れて車を運転しているわけですね。それを何とか忘れて「楽しかった」と言っている。ところがPCの世界ではそれがなくて、その手続き上で何があったか全部消えているわけです。そこを増やせば、情報社会というか、情報世界にもうちょっと何か実際に体験した身体的なものが蘇るはずです。」
小寺 そういう意味では、アマゾンで本を発注して、本が宅急便で届くていうのは、多少アフォーダンスがあるような気がしますね(笑)。買うときは、書店に行って買うのよりも便利は便利ですけど、本が届くまでのタイムラグがあるから(笑)。
松岡 その「行ったり来たり」をウェブにも入れて欲しいわけ。そういうプロセスにおいては梱包を解くとか、どーんと届いて、「え?こ、こんなに買ったっけ?」って驚いたりすることが残るんだけど、ウェブではそれがなくなってしまっている。だから、それを手がかりとして本来ならば編集が始まるものが、始まりにくいんですわ」
テクノロジーによって人間は高い山の頂上へいきなりヘリコプターでいける時代になったが、それでは登山者の心身の変化ってないと思うのである。あらかじめ準備をして、訓練をして身体を慣らし、緊張しながら仲間と助け合いながら上っていくプロセスがあるから、頂上で大きく感動すると思うのだ。人生観も変わるかもしれない。
先日、ニュースで取り上げられていた比叡山の千日回峰行、9日間断食不眠の修行者の話だって同じだと思う。千日回峰行はこの堂入りの前後に1000日間で地球一周分の約四万キロを歩く荒行。達成できない場合は自殺しなければならない掟がある(この現代に、驚きである)。その途中のクライマックスが「堂入り」であった。
・9日間断食不眠の難行達成 比叡山中の「堂入り」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200710210156.html
無事、この修行者は難関を達成した。悟りを開くこと、ある究極的な境地に達することを目的としているのだろう。長いプロセスが重要であって堂入りだけ達成しても無意味なのだ。そういえば、この発言者の松岡 正剛氏は、千日で千冊の書評(毎回4000字以上)をブログで公開する荒行の成就者である。プロセスが大切というのは自身の最近の経験もあっての発言なのかもしれない。
・千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/toc.html
情報やコンテンツとの見合い結婚が増えているってことだと思う。検索やSNSは強力な仲介サービスとして機能している。すぐに最適な属性の情報がみつかってしまう。「勇気を出して初めての告白」まで悶々とするってプロセスが失われているのである。コンテンツとしての醍醐味や人間的な価値は、本来はそういう最適化できないプロセスの中にこそ存在しているはずなのに。この本にでてくるキーパースンたちの多くは、デジタル化された現場で取りこぼされているアナログ的なプロセスの重要性を、再度見直すべきと訴えているように読めた。
他の論点では江渡 浩一郎氏の創作性と著作権法に関する考察も鋭い指摘と思った。
「ただ重要なこととして、創作性って謎な部分が多いくせに著作権法では明確に規定された概念だってことなんです。著作権法的に書かれていることによれば、著作物とは「思想を創作的に表現したもの」ですよね。<中略>でも実際には、これが著作権法を支える根本的な概念でもあるはずで、現実の世界では裁判官がそれを最終的にジャッジするということになっている。僕はそれが著作権法内に潜む矛盾だと思うし、現実的に一番処理に困る瞬間じゃないかなと思ってます。」
長い間、コンテンツとメディアそして流通方式は不可分で三位一体だったのだろう。だから、音楽業界が法律によって守ろうとしてきたのは、音楽とCDと流通網の利益分配システムだった。決して著作権者の権利でもなければ、作品の中の創作性でもなかっただろうと思う。それらが分離解体されて、純粋に創作性を評価しなければならなくなったが、既存の法律では記述があやふやなわけだ。
最小の創作性ってなんだろうか。
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Posted by daiya at 2007年10月25日 23:59