2007年07月22日

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・思考の整理学
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初版は1983年。日本に”マイコン”が登場したころだ。著者は既にコンピュータ普及の影響を見通していた。

「これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行ってきた。コンピュータがなかったからこそ、コンピュータ的人間が社会で有用であった。記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。コンピュータの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。」

人間らしい思考法を追求している。たとえば、まず寝かせるのである。

「思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。」

大作映画の宣伝などで「構想ウン十年」というフレーズがある。あれはたぶん原作者がウン十年前に思いついたには違いないが、ほとんどの間は放っていたもののはずである。それでも、長く寝かされたテーマは発酵して力を持つことがある。人間の記憶とコンピュータの記録の違いだ。

小説などでも子供のころをテーマにした作品に名作が多いのは、それが理由なのではないかと著者はこう述べている。「素材が充分、寝させてあるからだろう。結晶になっているからである。余計なものは時の流れに洗われて風化してしまっている。長い間、心の中であたためられていたものには不思議な力がある。寝させていたテーマは、目をさますと、たいへんな活動をする。人間には意思の力だけではどうにもならないことがある。それは時間が自然のうちに、意識を超えたところで、おちつくところへおちつかせてくれるのである。」

寝かせるということは完全には忘れないようにほどほどに忘れるということだ。それでも強化されていくテーマは本物のテーマなのだ。「これはその人の深部の興味、関心とつながっているからである。忘れてよいと思いながら、忘れられなかった知見によって、ひとりひとりの知的個性は形成される。」

忘れないようにしながら、いったん忘れるために、紙に書き出して記録するのがよいと著者はすすめている。手帳→ノート→メタ・ノートというユニークな著者のメモ術が紹介されている。日常のメモは手帳に、重要なことはノートに転記し、さらに重要に思うことはメタ・ノートへ転記せよ、という手法である。

転記がすすむにつれ、重要度とともに抽象度も上がっていくわけで、究極のメタ・ノートというのは、座右の銘やことわざのようなものになっていくのかもしれない。そうやってメタに上がってくるものを常に見直すことが、思考の整理術として最重要なのだろう。

考えるということについて、本質的な考察がエッセイとして楽しく読める古典。


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Posted by daiya at 2007年07月22日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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