2007年06月20日

映画館と観客の文化史このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・映画館と観客の文化史
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映画史ではなく、映画館と観客の歴史を語る本。

郊外のシネマコンプレックスでブロックバスター作品を観るという、現代の日米での、映画鑑賞の典型スタイルができるまでに、とてもたくさんの視聴スタイルがあったことに驚かされる。

映画が生まれたころの、覗きこみ式装置のキネトスコープの時期には、1台で1分ほどの映像が限界だった。そこで6台並べて、1分1ラウンドずつの、ボクシング試合の映像を続けてのぞくというのが流行ったそうだ。演劇やコントの合間に上映されていた時代もあったし、日本では長い間、男女が分かれて座っていたこともあったのである。米国の1950年代のドライブインシアターでは、観客は自由におしゃべりし、食事をし、走り回り、ときには愛の行為に及んだりした。

席に座ってみんなで静かにロードショーを見るというのは映画史110年のなかで最近の文化なのだ。さまざまな映画鑑賞スタイルの紹介が、細部まで描かれていて興味深い。現代日本のポルノ映画館は、実質ゲイの人のハッテン場になっているというのは驚きでもあった。

米国では、第二次世界大戦で若者たちが帰国し、安価な住宅地を求めて郊外へ移り住んだ。その結果、郊外にショッピングセンターが発達し、ドライブインシアターや映画館が併設された。それは、やがてショッピングモールとシネマコンプレックスとなって融合して、映画製作にも大きな影響を与えた。

「そもそもブロックバスター映画という概念が超高予算を組み、それに見合った超高収益を期待するものである以上、それはできるだけ多くの潜在顧客を掘り起こすような、万人受けする内容でなければならない。つまり、ブロックバスター映画はなにかしら目新しくて(とどまることを知らないコンピュータの技術革新とその映画的応用)、なにかしら圧倒的で、それでいて、おなじみの保守的スペクタクル(見世物)的要素をもつ映画でなければならない。それは映画学者トマス・シャッツの言葉を借りれば、「ハイコスト=ハイテック=ハイスピード」映画ということになる。そうした斬新かつ保守的なスペクタクルに全世界同時的に触手をそそられる多数の観客が存在しうるということは、おそるべき観客の均質化が達成されたということを意味する。」

映画館の均質化と同時に、異質なものは家の大画面液晶でDVDで観るとか、やインターネットで観る、という棲み分けも進んでいるのだろう。時代状況に応じて映画館と観客の文化というのは、10年や20年くらいでも、大きく変わってしまうことがわかった。そういえば、私が子供のころは2本立て上映が多かった気がする。最近はそういう映画館は少なくなった。

国によっても映画の見方は大きく違うようだ。米国で映画を見たら、画面に向かって観客が、拍手喝さいやブーイングをするので驚いたことがある。一体感があって楽しかったが、日本の観客は他人を気にして、静かに見るのが普通だ。インドだとか中国だとかアラビアでもきっと違うのだろう。日米以外も知りたくなった。

映画を作品ではなく、映画館と観客という視点で分析したことで面白い展開になっている。映画好きにおすすめ。


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Posted by daiya at 2007年06月20日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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