2007年05月14日
僕の叔父さん 網野善彦
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学者一族に生まれた中沢新一は、偉大な歴史学者の網野善彦の甥にあたる。幼少のころから仲が良かった中沢は、網野の死に際して追悼の記念にこの回想記を書いた。中沢の名文により、二人の背景がよく見える本だ。どちらかのファンなら必読である(私は中沢新一のファン)。
それにしても恐ろしくインテリな家系である。おじちゃんと甥っ子、お父さんと子供の会話の内容が、そのまま歴史学であり民俗学であり宗教学なのだ。冗談ではなくて、本当に学会みたいな家族である。
たとえば「私は高校生になった頃、英語に訳された「我国体の生物学的基礎」を読んでいて、奇妙なことに気がついた」と中沢の思い出が語られている。高校生がそんな本を読んで、英訳のニュアンスの違いを発見して、叔父にそれを指摘するのだが、活動家の父親も加わって天皇制と国体の議論へ展開して、ひとしきり盛り上がる。
そして
「このときの網野さんと父の会話は、私には忘れる事ができないものとなった。網野さんは日本の歴史の中に、自然と直接的にわたり合いながら活動する、野生あふれる非農業的な精神の存在を掘りあてようとしていたのである。そして、天皇はそうした人々を、神と人をつなぐ宗教的な回路を通じて支配していた。その人々の世界は農業的日本よりも、もっと深い人類的な地層にまでつながっており、しかもその人々の世界の中から日本型の資本主義もユニークな技術も生まれ出てきた。その世界のもつ潜在力の前では、農本主義も保守主義もほとんど無力であろう。どこかへひきかえすことなどは、不可能なのである。
私は自分がどんな場所に足をすえて、ものごとを考え抜いていかなければならないかを、その夏の夜に知った。私は網野さんの思考にうながされながら、「コミュニストの子供」らしく、思考はつねに前方に向かって楽天的に開かれていなければならないことを、悟ったのであった。」
と感慨を書いている。高校生が悟っている。
何十年間に渡る中沢と網野のやりとりは、後年の二人の学者としての仕事の内容に大きな影響を与えていることがよくわかる。「「トランセンデンタル」に憑かれた人々と形容しているが、人間の心の中の、超越的で先験的な領域の存在への情熱が、彼らの家系には共有されていた。集合することで一層その志向は強まっていったらしい。中沢新一の独特の神秘性の源は、こういう血縁の背景にあったのか、と納得した。
・アースダイバー
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003694.html
・対称性人類学 カイエ・ソバージュ<5>
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001148.html
・神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000314.html
・「精霊の王」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html
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Posted by daiya at 2007年05月14日 23:59