2007年05月10日
すばらしい新世界
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「人工授精やフリーセックスによる家庭の否定、条件反射的教育で管理される階級社会---かくてバラ色の陶酔に包まれ、とどまるところを知らぬ機械文明の発達が行きついた”すばらしい新世界”!人間が自らの尊厳を見失うその恐るべき逆ユートピアの姿を、諧謔と皮肉の文体でリアルに描いた文明論的SF小説」
オルダス・ハックスリーによる1932年発表の作品だが、その機械文明風刺の矛先は、科学が進んだ21世紀において一層、、鋭く時代に突き刺さっているように思える。作品中の”すばらしい”新世界では、人々は人工孵化で生まれて、与えられた階級の役割を果たすように条件付けされる。心が生まれながらに統制されているから、住人達は現在に不満も疑いも持つことがない。
「万人は万人のもの」という思想が徹底され、特定のだれかを愛することは恥ずかしいこと、結婚して子供を産むなんて野蛮なことと皆が信じている。社会構造の全般的理解は必要悪で最低限にとどめておくべきという倫理感が浸透しているから、階級間の闘争もなく、社会は安定している。たまに嫌なことがあったら薬物を使って即座に解消することが推奨される。こうして人々は完璧に設計された社会の一部になりきることで、幸福な人生を生きている。
新世界に紛れ込んでしまった「野蛮で未開の」男がトリックスターとして騒動を巻き起こし、この「逆ユートピア」の愚かさ、滑稽さが描き出されていく。しかし、新世界は、実は私たちの作っている現実世界の逆像なのであり、その笑いは読者の信じている価値観や道徳の基盤をも相対化していく。
この作品冒頭にこんな一文が掲げられている。
「ユートピアはかつて人が思ったよりもはるかに実現可能であるように思われる。そしてわれわれは、全く別な意味でわれわれを不安にさせる一つの問題の前に実際に立っている。「ユートピアの窮極的な実現をいかにして避くべきか」......ユートピアは実現可能である。生活はユートピアに向かって進んでいる。そしておそらく、知識人や教養ある階級がユートピアを避け、より完全ではないがより自由な、非ユートピア的社会へ還るためのさまざまの手段を夢想する、そういう新しい世紀が始るであろう。 ニコラ・ベルジャアエフ」
「より完全ではないがより自由な」。いい考え方ですね。
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Posted by daiya at 2007年05月10日 23:59