2007年04月03日
ちょっとピンぼけ
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最も有名な従軍写真家で、マグナムフォトの創設者、作家ロバート・キャパ。
キャパはハンガリー出身の敵国籍という不自由な身分にありながら、雑誌社の依頼状で、連合軍部隊に潜り込みヨーロッパ戦線へ向かう。これはコンタックスカメラで第二次世界大戦を撮影した決死の従軍ドキュメンタリである。
「翌朝、眼が覚めてみると、私の寝ていたテントは影も形もなかった。キャンプは夜のうちに爆撃されたのである。負傷したものは一人もいなかったが、爆風がテントを全部吹き払ったのである。にも拘わらず、私は眠り続けていたというので、私は羨望と感嘆の的となった。地雷原の私のエピソードはそれから帳消しとなり、いつしか忘れられていった。」
「一方、エディ将軍にも分捕品があった。シェールブールのドイツ軍司令官フォンシュリーベン将軍であった。彼は最高級の捕虜だったので、私は彼の写真がなんとしても欲しかった。しかし彼は背を向けてポーズするのを拒み、彼の副官にドイツ語で”私はアメリカ新聞の自由についての考え方がぜんぜん虫が好かない”と言っていた。私はドイツ語で、”敗けたドイツの大将などを写すことなんか、俺もぜんぜん虫が好かない”とやりかえした。激怒した彼は途端にふり返って私を睨みつけた。私はそれをカメラでキャッチした。この写真は最上のものとなった。」
キャパは最も危険といわれる落下傘部隊に参加して、自らパラシュート降下で最前線へ舞い降り、誰よりも早く戦闘の現場を写真で伝えた。ノルマンディー上陸作戦にも参加して、銃弾の雨の中で、血に染まる浜辺を撮影した唯ひとりのカメラマンであった。
しかし、決してただの無鉄砲な写真屋ではなかった。この自著にはロバート・キャパの人間的魅力があふれている。
ロバート・パーカーのハードボイルド小説の主人公のようなダンディーでスタイリッシュな生き方にまず魅了される。一流フォトグラファーとしてのプライドと愛する女性に会うために何度も戦地からイギリスへ戻る優しさ。震える手でピンぼけになったDデイの写真は世界の新聞読者に戦争の激しさを伝えた。
ロバート・キャパは二次大戦後、偉大な写真家の集団マグナムフォトを創設し会長の地位に就くが、インドシナの戦乱を取材中に地雷を踏んで死亡する。最後まで命懸けの写真家であった。この本は、その破天荒で情熱的な生き様が自らの手で記録されている一大傑作。しびれた。
・Henri Cartier-Bresson (Masters of Photography Series)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004931.html
・木村伊兵衛の眼―スナップショットはこう撮れ!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004923.html
・Yahoo!インターネット検定公式テキスト デジカメエキスパート認定試験 合格虎の巻
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004918.html
・メメント・モリ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004925.html
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Posted by daiya at 2007年04月03日 23:59