2007年03月06日
ひとりっ子
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現代SF最高の書き手グレッグ・イーガンの最新刊。順列都市、宇宙焼失、万物理論、ディアスポラ、などイーガンの大作は圧倒的である。読む側にもそれなりの読みとおす決意と読書時間の確保が必要である。邦訳はなかなか出ないので、出るともったいなくて、おいそれとは読めないというファン心理もあったりする。
この短編集はそういう意味では、大作の合間の小さな仕事をまとめたものという風で読みやすい。収録作品に目新しい設定というのは特にない。脳のソフトウェア化というイーガンお得意のテーマが繰り返し出てくる。
人間は機械なのか。現代科学の主流は人間機械論である。どんな機構かは諸説あるにせよ、人間の脳は精巧にできた機械であり、精神活動はその機械の電気化学反応のプロセスということになる。魂は肉体とは別に存在するとは科学者は言わない。脳という機械の複雑度が高いから現在のテクノロジーで同じものを作れないだけということになる。
チューリングテストという人工知能のテスト方法がある。被験者が人工知能と対話して、会話の相手が機械なのか人間なのかを当てさせる試験である。誰が話しても、人間としか思えない機械は今のところ現れていない。だが、もしも人工知能の技術が発達して、意志も感情も本物としか思えないソフトウェア(ゾンビ)を誰かが作ってしまった場合、そしてそれが人間そっくりやかわいらしいペットの姿のハードウェアに実装された場合、一般人の見方は変わってしまうのではなかろうか。
すでに電子ペットになにがしかの愛着を感じている人はいる。仮想のキャラクターに恋愛感情に似た感情を持つ人もいる。脳と同じであろうとなかろうと、それが人格だと信じられるくらいのロボットがでてきたら、そこに人格と同じものを認めようという社会的な動きもでてくるのではないだろうか。グレッグ・イーガンの小説は遠い未来のことを語っているようで、実は10年後くらいの時代に始まる問題を先取りしているように感じる。
イーガンは「ひとりっ子」を始めとする一連の作品で、人間のかけがえのなさとは何かを繰り返し問い続けている。複製が可能ならばひとりをふたりにすることも可能だ(注:ひとりっ子はそういう筋書きではない)。そろそろ精神の複製防止技術も真面目に考えておいていいのかもしれない。
・順列都市
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004829.html
・ディアスポラ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004111.html
・万物理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002774.html
・祈りの海
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003779.html
・宇宙消失
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003824.html
・しあわせの理由
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003869.html
・グレッグ・イーガン全小説
http://www.tsogen.co.jp/web_m/yamagishi0603.html
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Posted by daiya at 2007年03月06日 23:59