2006年10月04日
性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
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私が取材や旅行で訪問したアメリカというのは、観光客が見るアメリカでしかないのだろうなと、国際ニュースをみて思うことがある。中絶、児童虐待、同姓愛や同性結婚、銃規制など、性や暴力に関係する問題で、日本人の理解を超える激しい論争や暴動事件が起きる。それが本質的にどういうものなのか、実感がわかないのである。
中絶反対派が中絶手術を行う医師を殺してしまう、だとか、学校での銃乱射事件がある一方で、300万人の会員を誇る全米ライフル協会が政治に強大な影響力を持つこと、アメリカ男性の6人に1人、女性の4人に1人が子供時代に性的虐待を受けていることなど、事実は知っていても理解が難しい。
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本書の第一の目的は、アメリカにおける性や暴力をめぐる問題の歴史的、法的、政治的、社会的、文化的側面を総合的に検証しながら、性や暴力がアメリカという国が抱える根源的課題を如実に反映している様子を浮き彫りにすることにある。
」
この本は性や暴力の特異国としてのアメリカを徹底分析する。
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実は性をめぐる問題は、他者との関係をどう築くか、また暴力の問題は、紛争をどう解決するかという、ともに人為的な統合や理念先行の国家というアメリカが背負った宿命と深く関係している。言い換えれば、人為的な統合を宿命づけられた理念先行の実験国家であるアメリカは、性や暴力の問題が大きな社会的争点となるような構造をもともと内に抱えていると考えるべきなのだ。その意味では、性や暴力をめぐる問題は、アメリカという国家の本質に迫る重要な糸口であるだけでなく、この国の中枢に関わる現象としてとらえ直す必要がある。
」
アメリカの性と暴力は、ピューリタン入植にまで遡る。ピューリタンの禁欲的世界では姦通は死刑であり、性の誘惑に勝つことが美徳であった。婚姻外の性交渉や同性愛結婚は法律で厳しく規制されていた。20世紀にはいっても、特に黒人と白人の性交渉は極度なまでに警戒され、このルールを侵した黒人には凄惨なリンチが加えられた。
リンチとは開拓者コミュニティの自警行為に始まる超法規的暴力であった。リンチは人種隔離や死刑制度(現在も死刑囚の大半は黒人である)へと形を変えて連綿と続いていった。現代のベトナム戦争や湾岸戦争、アフガニスタン侵攻といった対外政策も、この脅威や異端の排除のための、リンチ暴力という見方ができると著者は述べている。
人為的な統合と理念先行の国家アメリカは、危険なほど性や暴力の問題と真正面から向き合う。とことんまで突き詰める。日本人はこうした問題を、個人レベルでもあからさまには語らないし、社会的な議題に設定することも少ない。激しく揉めるほど人々の価値観が違わないし、実際、なあなあで、なんとかなってきたではないかと思っている。なあなあでも、やはりまずいわけだが、この本に出てくるアメリカの危うさほどの大問題ではなさそうだ。
アメリカという歴史の浅い人工的な国家のいびつさが、性と暴力の問題に突出しているのだと思った。人種や階層間の格差の大きさもそれを激化させている。人間の営みは結局のところ、すべてシロクロつけられるものでもないし、無理に決めようとすれば暴力になってしまうということなのではないか。
「アメリカの保守」とともに、日本人にわかりにくい「アメリカの性と暴力」を理解するうえでよく書かれた本だと思う。
・ルート66をゆく アメリカの「保守を訪ねて」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004412.html
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Posted by daiya at 2006年10月04日 23:59