2006年05月07日
「みんなの意見」は案外正しい
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とても面白い本だ。
この本のテーマ「集団の知恵(原題:Wisdom Of Crowds)」はいまインターネットでホットな話題でもある。集団の知恵(リンク)で検索精度を向上させたGoogleや、有志の知恵によるオープンソースプロジェクト開発の話題も取り上げられている。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある一方で「烏合の衆」ということばもある。この本は前者の文殊の知恵に光を当てる。多数の成功事例をとりあげ、それが成立する条件を「認知」「調整」「協調」という3つの視点から分析していく。
集団の知恵がはたらく賢い集団の4要件として、以下の要素がまとめられている。
1 意見の多様性(各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている)
2 独立性(他者の考えに左右されない)
3 分散性(身近な情報に特化し、それを利用できる)
4 集約性(個々人の意見を集約して集団の一つの判断にするメカニズムの存在)
「
この4つの要件を満たした集団は、正確な判断が下しやすい。なぜか。多様で、自立した個人から構成される、ある程度の規模の集団に予測や推測をしてもらう。その集団の回答を均すと一人ひとりの個人が回答を出す過程で犯した間違いが相殺される。言ってみれば、個人の回答には情報と間違いという二つの要素がある。算数のようなもので、間違いを引き算したら情報が残るというわけだ。
」
多様性のある、自立した個人の意見を集約できる場所に、集団の知恵がうまれる。ネットビジネスのキーワードとして話題のロングテール現象が起きる市場は、そうした条件が揃いやすそうに思った。
もちろん、集団の議論や投票はうまくいくことばかりではない。障害となる要素が多数ある。情報不足な集団が誤った判断を積み重ねてしまう「情報カスケード」現象や、暗黙の調整現象である「シェリングポイント」現象、公共性の失敗としての「フリーライダー」現象など、社会学や心理学、意思決定の科学から、多数の興味深い関連理論が紹介される。
集団の知恵に対して専門家の知恵の価値については著者は次のように語っている。
「
情報通で、手法も洗練されたアナリストが正しい意思決定に役に立たないと言っているのではない。(それに素人が寄ってたかって手術したり、飛行機を操縦したりするような事態は到底歓迎できない)。ここで言おうとしているのは、専門家がどんなに情報を豊富に持っていて手法が洗練されていても、それ以外の人の多様な意見も合わせて考えないと、専門家のアドバイスや予想は活かしきれないということだ。これは組織の問題を一人で解決してくれる専門家を追い求めるのは時間の無駄だということでもある。
」
ネット時代は知識の流通スピードも速いから専門知の陳腐化も速くなる。集合知と専門知の両方を活かせる人が、次世代の専門家の姿なのかもしれない。成功例として、みんなの意見をうまく活かして経営している「はてな」のような会社が思い浮かぶ。
しかしながら、現実の世界では集合知が機能するシーンのほうが少ないように思われる。大抵の組織では、よりよい結論を求めて、ではなくて、合意を形成するために、会議や委員会を行うことが多いと思うし、議論となれば、専門家や声の大きい人の意見に流されてしまうのである。賢い集団の4要件を揃えるには、難関がいくつもある。
また、理想的な結論が出ても「それ誰がやるの?」ということもあるし、逆に次善(以下)の策であっても「それ私が責任を持ってやります」という人がいる案を選ぶこともある。意思決定と行動が分離できない組織では、正しい意思決定は難しい。そもそも民主主義や市場の解が必ず正しいとも限らない。
ただ、私がこの本を読んで思ったのは「集団の知恵」方式は、参加型であり、より多くの人が決定プロセスに関与することができて「楽しい」ということ。その楽しさに決定と行動を結びつけるヒントが隠されているのではないかと思った。
・第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004336.html
・会議が絶対うまくいく法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000203.html
・なぜ自然はシンクロしたがるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003279.html
・創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001285.html
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Posted by daiya at 2006年05月07日 23:59 | TrackBack
何を以って正しいとするか、というのは難しいんですが、その集団のモチベーションが保たれる、というのが最も正しい判断ではないかと思いますね。
論理的(どういう論理か、という話もあるが)に正しくても、誰も何も動かないなら、それはダメな判断なのではないか、ということですね。