2006年01月04日
歴史とは何か
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歴史学の古典。長い間読みたいリストに入れていて、今年の歴史の始まりである正月休みに読むことができた。名著だと思う。
純粋に客観的な歴史の記述などありえないという立場をカーは明言し、何度も繰り返す。
「
歴史家は必然的に選択的なものであります。歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顛倒の誤謬であります。
」
選択的であるがゆえにたとえば進歩史観といった見方がでてくる。意識的にせよ、無意識的にせよ、自由や平等や正義、民主化や自由市場といった現代的価値観で、異なる価値体系に生きた過去の人々の行為を測ってしまう。現代の価値に近づくことが良いこと、進歩と考えてしまう。古くはブルクハルトが「歴史とは、ある時代が他の時代のうちで注目に値いすると考えたものの記録」と書いている。
過去には無数の出来事がある。歴史家は、その中で少数の出来事を重要な歴史的事件として掬い上げ、重要な事件の間に意味を与えていく。原因と結果の連続としての物語を創造している。だが、自身が歴史の産物でもある歴史家が、現在の価値観に立って過去を裁いたものであって、絶対的真理とは程遠いものである。
たとえば中世の歴史は宗教の歴史として広く理解されている。だが、この時代の歴史を記述したのは主に宗教学者たちであり、宗教がすべてであった。一般の大衆が本当に宗教を日常生活で重視していたと考えるのは、誤りなのではないかとカーは疑いを持っている。戦争についての解釈も「勝てば官軍」の官軍側の解釈になりがちだ。客観性は怪しい。
そこで、歴史の客観性をカーは再定義する。
「
歴史上の事実は何しろ、歴史家がこれに認める意義次第で歴史上の事実になるのですから、完全に客観的であるというのは不可能であります。歴史における客観性ーーーまだこの便宜的な言葉を使うとしますとーーーというのは、事実の客観性ではなく、単に関係の客観性、つまり、事実と解釈との間の、過去と現在と未来との間の客観性なのです。
」
この表現はわかりやすくすると、
「
歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。
」
ということになる。
歴史の法則をいう観念にも警戒せよとカーは注意を促す。法則という観念は歴史学に科学の地位を与えたい社会科学者がよく使う手だ。経済学のグレシャムの法則やアダム・スミスの市場の法則、マルサスの人口の法則、マルクスの近代社会の経済的運動法則など数え上げればきりがないほどの古典的な歴史の法則がある。
しかし、個人と社会は過去の経験から学習し、自らの行為を修正している。盲目的に法則を繰り返す実験室の観察試料とは異なるものだ。循環的というよりは相互的ととらえられるべきものである。法則や仮説は、進んだ研究や新しい理解にいたる道を示すための道具に過ぎない。道具が「綱領」や「理想」に転化するとき、歴史は科学ではなくなる。
オクスフォード大学哲学科における講演「広がる地平線」でカーはマルクス、ヘーゲル、フロイトを、理性の広がりに影響を与えた大思想家として位置づけてみせた。我思うゆえに我ありとして絶対的な自己から始まるデカルト思想を乗り越えて、自身をも相対化する精神を、急速に変化する時代の歴史家は備えるべきだという。
「
私が一番心配なのは、英語使用世界のインテリや政治思想家の間で理性への信頼が薄らいで行くことではなく、不断に動く世界に対する行き届いた感覚が失われていることです。」
と当時(1960年代)の状況に問題提起をしている。「歴史とは何か」という問いへの思考停止を危ぶんでいる。
大学での講演をベースに編まれたこの本には、社会と個人、科学と道徳、歴史における因果関係、進歩としての歴史など、興味深いテーマに真正面から大学者が取り組み、率直な意見を述べている。”名演説”であるためか、逆にわかりにくくなった表現もあるのだが、別の講演で同じテーマを何度も繰り返すため、通読していくうちに理解できるようになっているのがいい。
現代のテロリズム、地域紛争、南北問題という大きな問題は、歴史の解釈の相違をめぐる憎悪の拡大という面も大きいと思う。カーは歴史を不断の対話と考えた。異なる価値観が隣接して生きる時代にこそ、歴史とは何かの問い直しが重要な役割を果たすのではないかと思った。
・人間は進歩してきたのか 「西欧近代」再考
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003148.html
・歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000778.html
・22世紀から回顧する21世紀全史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000419.html
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Posted by daiya at 2006年01月04日 23:59 | TrackBack
橋本大也 さま
全く偶然に、小生も正月休みにカーの「歴史とはなにか」を読み始めました。確かに名著ですが、手ごわくてまだ1/3を残しております。
中国政府や韓国政府の「正しい歴史認識」という傲慢な言い方に対して、何も反論しない我国の知識人にあきれて、「そもそも歴史とは」からはじめて、自分自身で「何故我国がこのような因循姑息な態度に終始している」のか、考えたいと思いましたもので・・・。
Posted by: ユリウス at 2006年01月07日 23:08