2005年12月27日
なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く
スポンサード リンク
お正月に人々は寺社で賽銭を投げる。神様に対して投げるという行為はかなり乱暴な動作であるし、願いをかなえてもらう対価として小銭というのも、よく考えると妙である。「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」という疑問につながる。
貨幣はケガレの吸引装置であり、神社はケガレの浄化装置であるというのがこの本の結論である。参拝者が賽銭を投げ込む行為は、ケガレがよりついた貨幣を投げ捨て、カミの浄化機能で清めてしまう意味があるのだそうだ。
そして、日本神話では黄泉の国から帰還したスサノオが海で禊をしたときに、幾柱もの神々が目や鼻から誕生したように、ケガレを祓え清める展開からは新たなカミが生まれる。だから寺社がケガレのゴミ捨て場になってしまうことはない。
贈与交換という人類学の経済観念からの考察もある。通常、贈与交換はモノで行われる。モノを贈られたら、贈った方の立場が上位になってしまって、落ち着かないのでお返しをする。この繰り返しによって上下関係がなくなり、平行で安定した人間関係、すなわち絆が強化されていく。贈与交換はモノを介した連続的なコミュニケーションなのである。
ところが貨幣が交換に使われると、単なる経済的な取引になってしまって、コミュニケーション機能は失われてしまう。手切れ金や退職金が現金であるように、貨幣の支払いは、関係を絶つことにつながる。お歳暮、お中元に同金額の現金を支払いあうようなものであり、人間的な絆の強化にはならないわけである。
だが、贈与には、脱社会的関係における贈与という特別なモードがある。賽銭を投げたり、厄年の人間がお金を撒いたりする儀式がそれにあたる。この場合のお金はケガレのよりついたものであり、それを投げ捨てている儀式だから、カミとの間に上下関係が生じるわけではない。社会関係や経済行為とはまったく次元の違う、儀式的行為だと解釈されている。
この本は著者が書いた民俗学についての論文やエッセイの寄せ集めで構成されている。このほかにも日本のさまざまな習俗の背後にある意味が解説されている。
・日本人の神
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003868.html
・日本人はなぜ無宗教なのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001937.html
・仏教が好き!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001708.html
・「精霊の王」、「古事記の原風景」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・禅的生活
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002275.html
・神の発見
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003728.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・神の発明 カイエ・ソバージュ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000314.html
・古代日本人・心の宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001432.html
・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000809.html
・宗教常識の嘘
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003966.html
・神道の逆襲
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003844.html
・古事記講義
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003755.html
・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003206.html
スポンサード リンク
Posted by daiya at 2005年12月27日 23:59 | TrackBack