2005年10月30日
誰がテレビをつまらなくしたのか
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制作現場では1分ごとの視聴率が計測される瞬間、秒針が12を指すときに、視聴率の下がるCMが入らないように映像を編集している、という現場の声が紹介されている。テレビは「笑い」や「感動」の押し売りで気を引きながら「続きはCMの後で」を見させようとする。
著者はテレビ番組名によく使われる言葉をリストアップし、登場回数を数えている。上位は、マル秘(記号)、特集、謎、密着、衝撃、爆笑、感動、涙、秘密といった扇情的キーワードが並ぶ。上位ワードは年間2000回以上も番組名に使われている。
テレビはもはや広告を見せるための低俗なコンテンツばかりになってしまった。視聴者もそれに慣らされてしまった。放送と通信の融合の中で、今一度、作り手も視聴者も、メディアの役割を見直し、志と哲学をもって再生すべきだ、というのがテレビ出身で大学で教える著者の意見である。
テレビのコンテンツの独自性とは何か、最低限、テレビでなければ果たし得ない役割とは何か、マスメディアとしての社会的責任、公共性をどう果たすべきか、といったテーマは、ライブドア・フジテレビの騒動や、NHKの不祥事の際にも、注目された話題である。
「
いま、メディアにとって必要なことは、これ以上、情報の過剰化に加担することではなく、人々が立ち止まって、自らの置かれている状況を確かめるための座標軸を提供することではないか
」
いまのテレビは慌しい。視聴者は考える時間がない。
鳥越俊太郎はこんなことを言っているらしい。
「
全体の趣旨では<これはAである>といっているのにもかかわらず、BとかCとかつなげて最終的に結論はAですと言うと、その途中経過のBとかCで理解してしまう。そういう怖さは常にありますね
」
CMの変わりに画面を静止させ「15秒間、今の問題についてあなた自身で考えてみてください」なんてテロップを出す情報番組があったら面白そうだ。年に10日ある新聞休刊日のようにテレビの休日を設けてはどうかという提案もある。
次世代メディアの視聴者は、「パーソナライズ新聞」や「カスタマイズテレビ」で自分の関心のあるものばかりを断片的につまみぐいするようになるだろう。じっくり、一人で考える時間、座標軸の確認タイムをいかに生活の中に作るかが、必要なメディアリテラシーのような気がしてくる。
ルパード・マードックがブログ文化を評して「新しい世代は、メディアに支配されるのではなく、メディアを支配することを望む」と述べたそうだ。テレビも変わるべきだが、視聴者も変わるべきだ、というのがこの本のメッセージでもあった。
というわけで、いろいろと著名人のテレビ評が引用されているわけですが、自分たちでもテレビを語ってみようじゃないかと言うイベントを11月4日に開催します!私も自分の意見をお話しようと思っています。
残席が少なくなってきました。おはやめにお申し込みください。
詳細は下記の画像をクリック。
■第2回 テレビとネットの近未来カンファレンス
http://www.tvblog.jp/event11/
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Posted by daiya at 2005年10月30日 23:59 | TrackBack