2005年10月06日
わかったつもり 読解力がつかない本当の原因
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わかりやすくて面白い本だ。
読解において問題なのは、「わからない」ことよりも「わかったつもり」という状態である、という問題提起がある。「わかったつもり」は「わかった」状態のひとつなので、それ以降の探索を妨害し、浅いわかりかたから抜け出すのを困難にする厄介な状態である。
わからない、わかる、よりわかるとは、この本の要約によれば、
「
1 文章や文において、その部分間に関連がつかないと、「わからない」という状態を生じます
2 部分間に関連がつくと「わかった」という状態を生じます
3 部分間の関連が、以前より、より緊密なものになると、「よりわかった」
「よりよく読めた」という状態になるのです。
4 部分間の関連をつけるために、必ずしも文中に記述のないことがらに関する知識を、また読み手が作り上げた想定・仮定を、私たちは持ちだしてきて使っているのです。
」
ということとされる。
簡単なようでいて、部分間の関連を読み取るのがいかに困難かは、この本の極めてわかりやすい文章事例で示される。どれも小中学生でもわかる平易な文章ばかりだ。しかし、読後になされる質問に答えようとすると、実は「わかったつもり」になっていた自分が露呈するしくみである。
特に読解において、文脈は大きな力を持つ。正しく読むガイドにもなるし、ミスリードの原因ともなる諸刃の剣だと著者はいう。
「
1 文脈がわからないとわからない
2 文脈がスキーマを発動し、文脈からの情報と共同して働く
3 文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す
4 文脈が異なれば、異なる意味が引き出される
5 文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで文がわかる
」
文脈とは読んでいるうちにわかるものではなく、ある種の先入観として存在していることが多いと著者は指摘する。
わかったつもりの分類が面白い。なるほどと思うケースばかりだ。
・「結果から」というわかったつもり
・「最初から」というわかったつもり
・「いろいろ」というわかったつもり
・「善きもの」というスキーマによるわかったつもり
・「無難」というスキーマによるわかったつもり
たとえば文中に事例がいっぱいあると、読者は「いろいろあるのだな」という読みになってしまう。細部が読まれない。書かれていなかったことまで書いてあったと勘違いしてしまう。「地球にやさしい」や「共に育つ」のような記述があると、人は「無難」のスキーマを発動して、細部を省略したり、誤読して、典型的な理解をしてしまう、など。
この本はこうした「わかったつもり」を説明する文章事例が適切で、たいへんわかりやすい本である。文章を書く上でもミスリードを避けるためのノウハウに満ちている実践的な内容だと感じる。私が「わかったつもり」でなければ、の話だが。
・「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000973.html
・「分かりやすい文章」の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html
・「分かりやすい表現」の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000451.html
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Posted by daiya at 2005年10月06日 23:59 | TrackBack
特にこういった本を読むときには、
あらかじめ期待される内容や効力のようなものが
プラシーボとしてインプットされているような気がしますよね。
わかった気になったことで、自分が先に満足したり。
自分の中にあるもやっとした仮説を検証してくれたりするんですよね。こういう本は。
で「わかったつもり」の錯覚だったりするわけで。
Posted by: 四家正紀 at 2005年10月07日 16:54