2005年08月15日
日本人の行動パターン
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終戦記念日。
50年間で100刷を超えて230万冊以上が売れたベストセラー「菊と刀」の著者ルース・ベネディクトは、それに先立つ1945年の終戦間際に原型となる一本の報告書を書いていた。米国国務省 戦時情報局 海外戦意分析課に提出された、その「レポート25 日本人の行動パターン」には、敵国の日本人の国民性を研究し、心理作戦の戦術を考える狙いがあったという。
この本はこのレポート及び後年のベネディクト研究者の解説が内容である。後に書かれた一般向けの本「菊と刀」と内容が当然似ているが、原型を読み、解説を読むことで、一層、当時のベネディクトの仕事の意味がよく分かってくる。ベネディクトは日本についに一度も訪問することがなかったらしい。文献や米国内での聞き取り調査だけで、ここまで深く正確な洞察を働かせたのは驚異だ。そして、日本を訪れたことがないにも関わらず、敵国の日本人も、米国人と同じように高度に理性的な人間であり、理解しあえる存在だという結論に達しているのも凄い。逆に言えば向こうに、こうした賢い人たちがいたから、日本は戦争に負けてしまったのだろう。
日本人の精神構造を恩や義理といった責務体系から分析している。
日本人の責務体系には、恩と恩の反対責務(義務即ち忠、孝、任務、そして別系統に義理)があるとされる。恩は人から受けたら返さないといけないのだが、頑張っても万分の一も返せない。親や教師の恩は返しきれない性質を持つ。義務は天皇の臣民として、家族の一員として生を受けたために自動的に負う務めだった。どの程度の義務を果たすかは個人の判断ではなく、強制される。これに対して、義理は受けた好意に等しい分だけ返せばよい。返せないのは「恥」であり、日本人はこれを最も不名誉な事態と感じ、時に命をかけて義理や義務を果たした。
こうした研究から、ベネディクトは、日本人を侮辱するな、天皇の責任を問うな。敗戦した日本に敗北の侮辱を与えると取り返しがつかないことになる。実態はどうあれ、天皇の責任を問うのではなく、「天皇の意に沿わなかった」軍部を裁け、という戦後復興の施策まで提言している。そして、この日本人の複雑な心理を理解し、逆に利用していく方が、戦後に両国にとって実りのある関係が築けるとベネディクトは考えたようだ。
ベネディクトのこうした提言がGHQの判断にも影響を与えた可能性があるようだ。ベネディクトはその後高度成長を遂げた日本にとって恩人といえるのかもしれない。
こうした責務体系の複雑さは、忠臣蔵のような複雑なドラマを生んだ。日本の大河ドラマの面白さはこうした古い責務体系にこそあるような気がしている。ただ個人の幸福を追求する現代ドラマにはない切なさが感じられる。忠を立てれば孝が立たず、孝を立てれば忠が立たず、義務はあったが義理を優先する、義理が恩と対立する、義理と人情が対立するなどの、西洋人にはあまり見られない複雑な状況が発生するからだ。
ベネディクトも当然のように忠臣蔵を例に挙げている。私がこうしたテーマで感動したのは山本周五郎の「樅の木は残った」。君主の命に反して逆臣として死ぬことで、君主に報いると言う、とてつもなく複雑怪奇な責務ドラマである。だが、主人公の心理に読者の日本人は今でも深く共感できるところがある。ベネディクトが60年前に見ていた日本人の精神構造は、近代化、西洋化が進んでも、いまだ奥底に生きている証なのだろう。
「仙台藩主・伊達綱宗、幕府から不作法の儀により逼塞を申しつけられる。明くる夜、藩士四名が「上意討ち」を口にする者たちによって斬殺される。いわゆる「伊達騒動」の始まりである。その背後に存在する幕府老中・酒井雅楽頭と仙台藩主一族・伊達兵部とのあいだの六十二万石分与の密約。この密約にこめられた幕府の意図を見抜いた宿老・原田甲斐は、ただひとり、いかに闘い抜いたのか。 」
戦後60年で日本人は古い恩や義理の追求から、個人の幸福の追求へと価値観を変えてきている。今だったら樅の木は...残らないだろう。
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Posted by daiya at 2005年08月15日 23:59 | TrackBack