2005年07月24日
決断力
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将棋界始まって以来の7冠達成者で現在最強の棋士、羽生 善治著。オールラウンドで幅広い戦法を繰り出し、終盤の妙手で勝利する棋風で知られる。
将棋という固有のゲームについての感覚的な記述が多いのに、科学的な情報論の知見として読むこともできる極めて面白い本。
■プロの棋士でも十手先の局面を想定することはできない
素人の考えでは、将棋は頭の中でシミュレーションを行って、何手先まで”読む”ことができるかが、勝負であるかのように思われる。しかし、高度に読みあうプロ同士の対戦では、勝負を決するのはそういう能力ではないようだ。
「
将棋は、どんなに机上で研究しても実践は別だ。必ず、こちらが考えていないことを相手にやられて、そこで、それに対応する。一手ごとに決断し、その場その場で決めていくのが実態だ。
」
その場の決断力においては経験の知恵を使って、いかに情報を捨てるかが重要になる。
「将棋には、一つの局面に八十通りぐらいの指し方の可能性がある。その八十手ある可能性の中から、まず、大部分を捨ててしまう。たとえば、八十個あるうちの七十七個とか七十八個は、これまでの経験からもう考える必要がないとわかる。そこで「これがよさそうだ」と候補手を二つ、三つに絞るのである。」
つまり何十手、何百手を読むのではなく、最初から直感した2,3の候補に絞り込んだ上で、考えている。
将棋はこの10年で大きく変わったそうだ。コンピュータとインターネットの普及で過去の棋譜データベースに誰もがアクセスできるようになり、若手の棋士たちは皆、膨大な数の棋譜を暗記してくる。すると、序盤で勝負が決するケースが多くなってきているそうだ。
そのような情報戦としての将棋の中で、敢えて羽生は、自分のやり方を次のように述べている。
「私は、早い段階で定跡や前例から離れて、相手も自分もまったくわからない世界で、自分の頭で考えて決断していく局面にしたい思いがある。」「意表をつかれることに驚いてはいけない」「データや前例に頼ると、自分の力で閃こうとしなくなる」
想定内で勝負しようとする世界では、”想定外”に対応する力が勝利の鍵になるということであり、羽生は勝つために自ら”想定外”状況を作り出していく。その決断力が強さの秘密であるようである。
■情報戦に求められる直感と集中力、仲間の信用
過去の経験を知識としてたくさん持つことだけでは不十分で、直感で次に一手の候補が浮かんでくるレベルの知恵に昇華させることが大切だと羽生は論じる。ごちゃごちゃ長く考えるようではダメらしい。選ぶことと迷うことは違う。
「
だが、長い時間、考えた手がうまくいくケースは非常に少ない。逆にいうと、一時間以上考えているときは、考えるというよりも、迷っている。
」
判断に必要な情報が多ければよいというわけではない。情報が多いだけでは逆に迷ってしまう。過去の知識を整理し、圧縮した知恵をすぐに取り出せるようにしておくことが羽生の強さにつながっている。
また直感を生み出す集中力について、その境地に至る過程を重視している。
「
一気に深い集中力には到達できない。海には水圧がある。潜るときにはゆっくりと、水圧に体を慣らしながら潜るように、集中力もだんだんと深めていかなければならない。そのステップを省略すると、深い集中の域に達することはできない。」「これ以上集中すると「もう元には戻れなくなってしまうのでは」とゾッとするような恐怖に襲われることもある」
狂気一歩手前まで集中を深めているときの顔が「羽生にらみ」として恐れられてさえいる。実はこの恐れられていることも勝負を決する重要要素だというから面白い。
大山名人の言葉「仲間に信用されることが大切だ」を引用して、これが必勝の秘訣だと書いている。信用とはアイツは強いと思われること。強いと思われれば勝つムードが場に醸成される。プロ棋士同士はほとんど実力伯仲なのに、勝ち負けが大きく偏るのは、仲間同士の格付けという意識が大きな影響を与ええているからだという。
■才能とは継続できる情熱
後半で感銘した一節。才能とは何か。
「
どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。
」
この文章を読んで、そうした継続できる情熱が育ちにくくなっているのが現代なのではないかと思った。情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。最初から上位になれる人は稀だ。大抵は何千位や何万位から始まる。それでは嫌になってしまう。
かつては統一ランキングが見えなかったので、各地域のトップ、地域の秀才がそれなりに満足して存在することができたように思う。地域のトップに到達すると、さらに上の広い世界のランキングが見えて、新たな挑戦が始まっていた。徐々に拓ける世界展望というモデルが、多くの才能を育てていたのではないか。
羽生は地域の将棋大会の広告を小学2年生のときに目にしたのがきっかけで、最初の勝負に負けたが、それから、
「十五級から道場に通うごとにクラスが上がった。今考えると、目標への達成感が、私を将棋の世界へ没頭させるきっかけの一つになったと思う」
「一つのことに打ち込んで続けるには、好きだということが根幹だが、そういう努力をしている人の側にいると、自然にいい影響を受けられるだろう」
などと述べている。
全国に対して、閉じつつ開く地域性というものが、教育において一定の役割を果たすのではないかと感じた。
・集中力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001205.html
・知的好奇心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003573.html
・上達の法則―効率のよい努力を科学する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000645.html
2005/07/28 追記
My Life Between Silicon Valley and Japan
「コンピュータが将棋を制する日」は来るか?
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050727
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Posted by daiya at 2005年07月24日 23:59 | TrackBack
将棋のプロの棋士の話は好きじゃない。
はったりが多く、いかにプロ棋士が天才かを自慢たらたらしゃべる人間ばかり。かと思うと、愛人宅に「突撃」するような神経の人間を平気で幹部においている。
しかし、この本は戦術を素直に語ったものだと思う。
従来テレビの将棋解説などでもプロの棋士は常に30手手先を読んでいるなどといっていたが、10手も読めないという羽生氏のことばは真実に響く。