2004年12月24日

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・脳のなかのワンダーランド
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科学ジャーナリストが、脳障害や特異な症状の事例から、脳の仕組みを解明しようと試みる。

世界の左右半分を認識しない男性、3+3が計算できないのに12桁の素数を見分ける双生児、自分の左手は別人のものだと思い込む女性、40年前から何も記憶できなくなった男性、幻肢、体外離脱、相貌失認、明晰夢...。障害欠陥や異常な能力は脳の仕組みに由来していた。

カナダ科学ライター図書賞受賞作。

■燃え上がる家を選ばない理由と解釈装置仮説

原題はThe Burning House「燃え上がる家」。

脳卒中の患者の一部に半側無視という症状が現れる。この症状の患者は眼で見る世界の右側か左側かを認識できない。一般に右目で見たものは左脳に、左目でみたものは右脳に感覚信号が入力され処理される。彼らの眼には異常はないので、患者たちは視野が欠けているわけではない。脳に入ってからの認識ができないだけである。

この半側無視の患者に、二種類の家の絵を見せる。家の左半分は火事で燃え煙が出ている。右側は何も起きていない。すると、左半分を無視する患者たちは、二つの絵は同じで異常なことは何もない(火事など起きていない)と答える。

だが、二つの家を見比べてどちらに住みたいと思いますか?と質問したところ、17回中、14回は火事が起きていない平穏な家を選んだという。二つの家を同じだと答えたにも関わらず、片方を選んだのには理由があった。同じ家に思えるのに、こちらの方がゆったりしているからだ、とか、屋根裏が広そうだから、というこじつけの理由がでてきた。

これは「解釈装置仮説」で説明できるという。右脳と左脳を結ぶ脳梁を手術切断した患者は、もう一方の脳と連絡が取れない分離脳になる。別の実験では、患者に片目ずつ異なる絵を見せた。

左脳(右目):ニワトリの脚
右脳(左目):雪景色

そして、次に右脳(左脳)、左脳(右脳)順に「今見たものに合った絵を選んでください」と音声で片耳ずつ、指示すると、右脳は雪景色との関連でスコップを、左脳はニワトリを選んだ(左手、右手で絵を指指した)。

左脳(右目):ニワトリの脚 → 左脳(右耳) ニワトリ
右脳(左目):雪景色    → 右脳(左耳) スコップ

ここで患者が選択したふたつの絵を見せる。すると、右脳は事前に雪景色を見ていないので、なぜ左耳(右脳)で指示を聞いたときにスコップを選んだかの理由が理解できないはずである。右脳が見たのはニワトリの脚とニワトリだけだ。だが、患者は確固とした選択理由を答えるケースが多いという。例えば、「ニワトリの脚はニワトリと関係があって、ニワトリ小屋を掃除するのにスコップが必要だと思ったから」という具合に。

この説明は完全に事後のでっちあげである。脳には情報が錯綜して世界の理解が混乱しそうになると、無理にでも解釈をでっちあげる作話機能があるのではないかという仮説が取り上げられている。脳卒中の患者には自分の腕を「これは私の腕ではないのよ、誰か他人のもの」と主張するケースがあるという。これは動かせなくなった腕の説明を解釈装置が辻褄を合わせるために作り出した幻想で、病気の治癒にしたがって自分の腕だと認めるようになっていく。だが、なぜそう思ったのかは治癒後も説明できない。

著者曰く「われわれには解釈装置による作り話は認識できても、そのきっかけを与えた事象のほうは認識できない。」。私たちは「なんとなく」選ぶときにはこの解釈装置が働いている可能性があるという。

勘だとか第六感の解明ヒントはここらへんにあるのかもしれない。健常者にも同様に、感覚しているが認識していない外界情報があって思考を左右する可能性がありそうに思った。

この本には他にも、脳の特異な事例が満載である。世界で数例、数十例しかない症例をどこまで一般化して良いのか、という問題はあるのだが、これらの貴重な症例研究から学べることは多そうだ。普通は私たちは一生こうした体験をすることができないからだ。

軽いレベルなら、眠気や酔いはときどき意識のはたらきをおかしくする。

私は毎日のように通勤電車で座って本を読んでいる。うとうとしながら本をめくっていると、眠りに落ちる寸前に、自分の手が自分のものではないかのような錯覚にとらわれることがある。この本に出てくる事例とはちょっと違うのかもしれないが、自分の身体を自分だと認識する機能が眠気で妨害されているということなのだろうか。

この本に出てくる特異な事例を読むと、正常な知覚と錯覚の間に違いがないのではないかと思えてくる。健常と呼ばれる人の脳も、現実の一部を何十ものフィルターと、脳の無数の情報処理モジュールの入出力を経て、意識へのぼらせている。世の中を生きていくうえで面倒がない程度に他者と一致する錯覚が正常な知覚なのだと言えるに過ぎないだろう。
脳の特異な障害はその複雑な機構を解明するデータになりえるのかもしれない。障害によって機能を失うだけでなく、特異な能力を手にした人もいる。もっと機構を解明していけば、後天的に脳の性能を飛躍的に向上させる天才化技術が誕生してもおかしくなさそうだ。

この本は他の脳科学の本に部分的に引用されるユニークな症例がかなり網羅されるので、飽きずに読み進めることができる。


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Posted by daiya at 2004年12月24日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

「健常者にも同様に、感覚しているが認識していない外界情報があって思考を左右する可能性がありそうに思った。」とありますが,性フェロモンなどは感覚しているが知覚も(認識も)していない情報ですね。
参考: http://www.nagaitosiya.com/lecture/0148.htm
知覚はしているが認識していない情報は多いと思うので,議論の的となるのは感覚しているが知覚できない情報だと思います。
(心理学の用語は詳しくないので僕の言葉の理解が間違っているかもしれません)

Posted by: deq at 2005年01月02日 18:05
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