2004年10月07日
内臓が生みだす心
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これは衝撃の一冊。人工臓器の開発で世界的に有名な医者の本。
著者は人間の心は脳の働きだという常識を覆す学説を提唱している口腔科医。心は脳ではなく腸とそこから分化した心臓や生殖器官や顔にあるというのだ。心肺同時移植を受けた患者がドナーの性格と入れ替わってしまった事例。ウズラの脳を持つヒヨコを誕生させた実験ではニワトリの鳴き方をする鳥に成長したという事例などが紹介される。つまり2種を合成したキメラを作ると、大脳より内臓を持った方が主たる性格を演じる。
大脳が心のすべてを生み出しているのではなく、かなり大きな部分を内臓器官が生み出しているのではないかというのが、この説の概要である。歴史上の長い間、ゲーテをはじめ識者の考えでは、心は心臓にあり、精神が脳にあるとするのが一般的であったらしい。これが現代になってすべてが脳の働きということになってしまった。だが、依然として心については内臓が生み出す部分が大きく、むしろ脳は副次的な機能を果たすに過ぎないというのである。
「
「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあります。高等生物のはじまりは、まず腸が発生し、それから徐々に複雑な体制が出来てきます。どうやら心や魂は腸を持った動物に宿るようです。脊椎動物の進化を解明すれば、心や魂や霊や精神の発生学も明らかとなるかもしれないと見当がつきます。
」
著者は高等な生命は腸なしには生きられないという事実を指摘する。高等生物は口と腸と肛門を結ぶ一本の管が基本形であり、この管が外部から栄養を取り入れて、細胞の再生産をするのが生物の生きる目的である。この一本の管を生かすためにその他の複雑な器官が発達してきたのであれば、一番最後に登場した大脳というのは、生物の器官としては副次的存在だということになる。
心肺同時移植を受けた患者がドナーの心と入れ替わってしまった事例については正直疑問が残る。引用される患者の手記を読むと、知らされていなかったドナーの名前まで把握していたことなどが書かれている。内臓を移植すれば体質、気質を提供者から引き継ぐことならありえる話だと医学素人でも納得する。だが、記憶まで受け継ぐのは解せない。トンデモ本か?と一瞬疑ったのだが、著者としてはこれを一般人にも分かりやすい一事例として取り上げたに過ぎなかったようだ。本論は別にある。
私たちの脳には、何らかの行動を意識する0.5秒前に、予兆となる準備電位が現れているという話が以前書評した本にあった。顕在意識に潜む潜在意識の影響は、他の認知心理学の実験でも証明されている。私たちの心は、目覚めた意識の下にあるものに依存しているのだ。著者が主張している内臓脳はそれに当たるのかもしれない。
例えば生物の生きる原動力である食欲、性欲は内臓なしには存在しない。感覚器官の入力を全面遮断してしまうと大脳は暴走してしまう。心は大脳単独では生み出しえないことになる。これは大脳一辺倒の現在の脳科学では心や意識を解明できないという行き詰まりを指摘する学説でもある。
確かに私たちの顕在意識は身体、特に内臓の調子に影響を受けていることは間違いない。心理学でも気質は体質に依存している部分が大きいとされている。高度な思考については大脳によるものであっても、その奥にある情動、あるいは無意識は内臓が駆動している可能性は十分ありそうだ。
著者の言い分にはちょっと飛躍しすぎではと感じる部分もある。心と精神の境界が若干あやふやにも感じた。だが、口腔科医という医学の支流に思える分野から、心の発生を生物進化論の定説を覆す大胆な理論として想像したのは偉大な人だと思った。この本は面白い。
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Posted by daiya at 2004年10月07日 23:59 | TrackBack
私的にはこの著者はさまざまな微妙な仮説を渡り歩く一種の文筆芸人さんだと思っています。かつてトンデモ本大賞にノミネートされる佳品もものしていますね。
Posted by: amas at 2004年10月08日 11:52なるほど。芸風を確認しないといけないということですね。それは感じました。
Posted by: daiya at 2004年10月08日 14:12神林長平の初期作品”狐と踊れ”を思い出しました。
Posted by: Anonymous Coward at 2004年10月08日 17:03