2004年09月29日
脳と仮想
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・脳と仮想
クオリア論で有名な茂木健一郎氏の最新刊。
■主観的体験とクオリアと仮想
小林秀雄の講演「信ずることと考えること」のことばが前半で主題となる。「この科学的経験というものと僕らの経験というものは、全然違うものなんですよ」。科学は計量化できるものだけを対象とする。文学者、小林秀雄が生涯をかけて追い求めたのは、科学が捨て去っている計量化できない主観的経験の方である。著者の提唱するクオリアも、まさに小林秀雄が追究していたものと同じである。
小林秀雄は母を亡くしたとき、暗闇に舞う蛍を見て、あれは姿を変えた母親だと直感したという。科学的には何の意味も持たない考えだが、本人が切実にそう思ったのであれば、それは人間にとって真実の経験である。主観的経験を省き、こころの働きを脳の随伴現象として、あってもなくても良い物として扱う科学は間違っていると著者は言う。
主観的体験は仮想の世界である。私たちのこころは世界の特定の場所に目を向ける。世界のすべてを見ようとはしないし、見ることもできない。意識は志向性を持っている。この志向性の束が、仮想の世界の時空を構成していく。有限の脳細胞の上に無限の仮想世界を作り出す。
私たちは現実そのものに直接触れることができないが、現実がなければ仮想することができない。現実は意識にとっての脳と同じように、仮想の無限の探求を行うための安全基地の役割を担っている。精神は現実世界と仮想世界の二つの国籍を持つとまとめられている。
・小林秀雄 カセット 信ずることと考えること 新潮カセット文庫 小林秀雄講演
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4108001028/daiya0b-22/
著者べた褒めなので聴いてみたくなった。
■生まれる前の記憶と思い出せない記憶
私たちの身体は長い生物進化の歴史の痕跡から成り立っている。個体として生まれる前からの系統発生的な記憶を人類は連綿と持ち続けてきた。また、長い人生の中で、思い出せない記憶も、実は仮想に大きな影響力を持っていることを指摘する。言語化できない潜在意識の記憶も、顕在意識上に仮想を生成するための基盤となっているということ。言語もまた、それを受け継いできた膨大な経験から構成されている。
時間の経過は仮想を陳腐化していく。多くの仮想は生成の瞬間は躍動感に満ちたものであっても、次第にそれはありふれて俗っぽさを増していく。生成の躍動の連続として、過去を再評価することができれば、歴史は退屈なものではなくなる。そうした態度によって、世界を意味に満ちたものとして捉えなおせるのでないかと著者は言いたいようだ。つまり、私たちが意識していることなど氷山の一角に過ぎないということ。
こうした無数のクオリアが世界を構成したものがこの本の言う仮想ということになるだろう。仮想はバーチャルと一般に訳されるが、著者の仮想はコンピュータ用語のバーチャルリアリティとはだいぶ違うものを指しているように思えた。
仮想は無数の見えないクオリアから影響を受けて立ち上がる世界であり、要素還元式に単純化されたコンピュータ上のシミュレーション世界とは対極にあるといってもいいだろう。西洋式の思考は、対象を環境から切り離して眺めることで成立する。だが、生き物や生体の器官は環境から切り出したら死んでしまう。著者が追い求めているクオリアや仮想の考え方は、切り出さずに世界全体を理解する、まったく新しい方法論なのだと思う。
では、そのまったく新しい方法とは何なのかというと著者も率直に言うように、科学的にはまったくわかっていない。ポストモダンの先へ進むブレークスルーは、自然科学以外の世界から何らかのメタファーを引き出す必要がある気がする。だから、文学や芸術や精神世界にそれをみつけようと必死になっている著者がいるのだと思った。その切実で、未踏の知的探求を、同時代的に読めるのが楽しい。思想史を塗り替える何百年に一度の金脈が掘り当てられる日もいつかやってくるのかもしれないと予感。
この本は著者の本の中ではかなり文系的な本である。引用される人物も、小林秀雄、樋口一葉、夏目漱石、ワグナー、柳田国男といった具合で、脳科学の先端の話はあまり出てこない。そうした主観的経験の追究者たちが考えていたことと、クオリアや仮想の思想が向かっているものは、ほとんど同じであるというのが基調。相変わらず面白い。
最近精力的に著述を続ける茂木氏。クオリアの次は仮想だった。次はなんだろうか。仮想を究極的に濃密にすると宗教になる気がする。たとえば「祈り」とかどうだろうか。
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Posted by daiya at 2004年09月29日 23:59 | TrackBack
小林の講演テープは、本当にお勧めです。
茂木さんがあそこまで書かれるのも納得できます。