2004年09月15日
木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか
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・木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか
■世界は名詞の集まりか、動詞の集まりか
「いないいないばあ」のDVDのエンディングロールがテレビに表示されると彼は「おわっちゃった」という。
1歳の息子は動詞をよく覚える。「あった」「終わっちゃった」「ないない(なくなった)」「いっちゃった」。私の予想は名詞を先に覚えてから動詞の順だと思っていたので、「コイツ天才か?」と親バカな勘違いをしそうだったが、この本によれば普通のことなのだそうだ。西洋人のこどもは名詞から覚え、東洋人のこどもは名詞と動詞を半々くらいずつ学習していく傾向があるという。
それは母親のことばの教え方と深い関係がある。典型的な東西の母子のおしゃべり例が紹介されている。
西洋の母親:
「これはクルマ。クルマを見てごらん。これ好きかな?かっこいい車輪がついているねえ」
東洋の母親:
「ほら、ブーブーよ。はい、どうぞ。今度はお母さんにどうぞして。はい、ありがとう」
西洋の母親は世界が名詞の集まりだということを教えるが、東洋の母親は世界が関係に満ちていることを教える。実際に育児を観察してみると、アメリカの母親は対象物の名前を言う回数が日本の母親の2倍も多く、逆に日本の母親は社会的な約束事(あいさつ、共感)を教える回数が2倍も多くなるという。動詞は関係を表現するものだから、東洋人では登場回数が多くなる。
これは、東洋の社会は個人の能力以上に、関係性が重んじられる社会であることに起因する。理屈を並べる人よりも、場を和やかにする人、協調性の高い人の方が大切にされる可能性が高い。
東洋人はゲマインシャフト(自然発生的人間関係と、共有されたアイデンティティ意識にもとづく共同社会)的社会に生きる。西洋人はゲゼルシャフト(道具的な目標を達成するために組織された社会、交渉と契約の社会)的社会に生きる、とも言い換えられる。ふたつの社会の違いは、集団主義的か個人主義的かの違いだとも言える。それが母親の教育態度と、こどもの言語学習の違いに現れていると著者は言う。
■関係性を大切にする東洋人
人間関係を重視する子育ては、西洋の基準ではマザコンのこどもを育てる。日米の成人が母親と一緒にいることをどの程度望んでいるかを調査する尺度設定の際、一方の極みを「私はいつも母親と一緒にいたい」という基準にしようと東洋人が真面目に提案したら、西洋人研究者はあきれた顔をしたと言う。独立心を大切にする西洋では赤ちゃんが一人で別の部屋のベッドに寝かされることも珍しくないらしい。東洋では同じ部屋で家族に見守られるケースが多いだろう。我が家ももちろん同じだし、土日には祖父母も現れる。
こどもが少し大きくなってくると、西洋人のこどもは「お母さんの選んだ問題」に興味を失い、自ら選んだ問題の回答に強い意欲を見せる。逆に東洋人のこどもは「お母さんの選んだ問題」の回答に熱心である。東洋人は何事も場に依存しているのである。
大人になってからも同じである。多国籍企業IBMの調査が紹介される。西洋人の社員は個人の独創性が奨励されそれを発揮できる仕事に強い意欲を感じるが、東洋人は全員で力を合わせる仕事を好んだという。これには労働市場の流動性も関係がありそうだ。米国では職業は一時的なものと考える社員が多く(90%)、日本では半永久的なものと考える(40%)社員が多い。
社会環境が異なるので、教育も価値観もまるで異なる内容になってしまう。世界の見え方が根本的に違ってしまう。
■世界を制御できると思う西洋人
世界の経済成長率やがん死亡率のグラフを被験者に見せて、未来を予測させる実験の話も興味深かった。東洋人と西洋人にはトレンドの上昇、下降と変化の大きさに対して、テーマや予備知識と無関係に、一定の予想傾向が現れた。中国人は変化が加速しているときには、それが鈍化、逆転することを予想する人が多く、逆にアメリカ人は加速はその方向への変化が続くと考える人が多かった。
中国人は世界は複雑でたくさんの要素が相互につながっていると考えているので、ある程度同じ状態が続いたことは、次の変化がおきる兆しと考えた。逆にアメリカ人は提示されるグラフの数字だけを見て演繹し、この変化はこれからも同じように続いていくと考えたのだと推測される。
東洋人は中庸を好む。前進よりも回帰を世界の一般法則と考えやすい。水戸黄門のテーマ曲「人生楽ありゃ苦もあるさ」である。人生塞翁が馬である。めぐりめぐって平衡状態に戻るのが世界の在り方だと感じている。
東洋人は世界は複雑に絡み合っているので、自分の力ではどうにもならないことがあることを知っている。西洋人は対象物を環境から切り離して考えるので、世界は自分が努力すれば制御できると考える。これは原因推測の思考の違いにもつながる。
同じ殺人事件を中国の新聞と米国の新聞がどのように報道してきたかの研究では、西洋では犯人の性格に問題があったとするケースが多かった。東洋では犯人を取り巻く環境が原因だとするケースが多かったという。映画羊たちの沈黙などで有名になった犯罪捜査のプロファイリング(心理分析)は欧米の産物である。「アイツはこういう風に異常だから殺人を犯したのだ」というのが西洋の原因推測。劣悪な家庭環境に育ち孤立していたから殺人犯になったというのが東洋的な原因推測。確かに、こうした事件報道はありがちではないか。
■分析的思考、包括的思考
西洋人は目立つ幾つかの対象物の属性に注意を向け、抽象化、単純化したうえで、因果関係を言い当てる「分析的思考」が主流である。これに対して東洋人は対象を取り巻く「場」全体に注意を払い、対象と場の要素との関係を重視する「包括的思考」が主流となる。東西の医学の考え方の違いと同じだ。
分類は西洋人が得意で東洋人が苦手とする思考の典型であるというデータが示されている。知能検査のひとつにキャッテル性格検査という、図形を特徴で分類させるテストがある。言語に依存しないのでどの文化に対しても公正であるはずのこのテストは、実際には西洋人が高い成績を修めるという。しかも非常に得点差が大きいそうだ。
もちろん、現実の世界ではふたつの世界は融合していて、西洋的思考を得意とする東洋人もいれば、逆の人もいる。同じ東洋時でも程度がある。純粋な分析的思考、包括的思考の人はほとんどいない。それでも、社会科学の実験は、背後にふたつの考え方の違いが存在していることを示している。相互理解を考える上では今後もその事実を知っておくことは相互理解のために重要だと著者は述べている。
近代化と西洋化はイコールではなく、近代化が進むにも関わらず、文化的多様性はむしろ多極化していくという予測がある。世界中にコーラを飲み、ジーンズをはくが、包括的思考傾向の強い東洋人はいる。表面が変わってもこころは変わっていない可能性がある。自然に、皆が西洋的思考に収束するわけではない。
人間だから話せば分かる、ではいけないのだ。基本認識が違うのだから、客観的な真実もひとつではないことになる。根源的な認知の違いを知った上でどう調和を取るかが、相互理解、融合の鍵になる。そして、このメタレベルでは全体と関係性を大切にする、包括的思考が活躍するような気がする。
この本はふたつの考え方の存在を文化論としてではなく、科学として説明した面白い本。
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Posted by daiya at 2004年09月15日 04:30 | TrackBack
西洋人の子供は独立心が強いという認識については、個人的に、同意できないところがあります。
私がアメリカの大学に留学していた際に感じたのは、20歳前後のアメリカ人の独立心の弱さでした。
寮で暮らしていても自分で洗濯ができずに、週末に親に汚れた衣類を取りにきてもらうような人が大勢いました。
彼らは親とのスキンシップが好きで、家族での行動を心地よいと思っています。
西洋人が独立心を重視するのは、ゲゼルシャフト的社会が親子の人間関係を個人的なものしてしまうからではないでしょうか。結果的に、独立心の育成を意識的い行わなければ社会人が誕生しない。
逆に東洋のゲマインシャフト的社会では、家族内であっても礼節を重んじるなど、親子関係は社会的であり、結果的に、独立心という価値観自体が意識されないのではないでしょうか。
遅れました。
mintarさん、こんにちは。
欧米人の学生は日本人と比べて年齢よりも老けて見えるから勘違いするってのもありそうですね。私もそのこどもっぽさについてはなんとなくわかります。
独立心があるのがいいか悪いかという判断も微妙なのかもと思いました。全体でどう調和するかですかねえ。
自分で行う必要性ができ、状況がそれを求めるので
無い限りは、洗濯や料理といった日常の仕事は誰も
やりはしないでしょう。
そこに西洋人とか独立心とかは全く関係が無いと思
います。実家から年に何度か米を送ってもらうのと
同様の感覚なのかもしれません。(親が週末ごとに
洗濯物を洗いに持っていってくれるのだから、持っ
て行ってもらおう)
赤子が親とは別の部屋で寝かされるか、一緒の場で
眠るかなどは東西うんぬんというよりも、住環境と
親の経済力や環境によるものが大きいと思います。
乳母でも雇えるくらいなら別だろうけど、自分で赤
子の面倒を見るならば、なるべく自分の手と目が届
く範囲に置きっぱなしにしたいだろうし。
子供が成長して大きくなった時点で、経済力や住居
の容量に余裕があれば個室だって与えようとするか
もしれない。
詰まる話が、とにかく金次第だと思うのです。
金、金、金!