2004年07月26日
ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊
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若者はマザコンで、サル化している、日本の未来はこのままじゃどうなっちまうんだと嘆く1954年生まれのサル学者の本。サルの行動学や人間を対象にした心理実験のデータを多数持ち出した、その嘆き方が凝っていてかなり面白い。この本では特に、ルーズソックスの若者世代を槍玉にあげる。ルーズソックスで靴の踵を踏み潰すスタイルは、家のスリッパ感覚であって「家の外への拒絶」の象徴なのだと著者は主張している。
■投資ゲームで暴かれる利己的な若者像
携帯をヘビーに使っているケータイ族25人、使っていない非ケータイ族を25人集める。参加者には実験の報酬としてまず5千円の現金を渡す。そして、次のルールで、ビジネスマン思考でその5千円を使った取引ゲームをして欲しいと説明する。
1 参加者は二人一組のペアになる(二人をA,Bとする)
2 参加者Aが相手に投資するか、しないかを選ぶ。
3 投資した側に見返りはないが、投資された側は出資額に上乗せされてさらに5千円が得られる。持ち金は1万5千円となる
4 参加者BはAの決定を聞いた後で、Aに投資するかどうかを選ぶ
つまり、二人が信頼しあってお互いに投資しあえば、全体にとって最大の利益になる。相手を信頼できず投資が選ばれなければ全体の利益は最低となる。どちらか一方が投資をするケースでは片方が得をして、片方が損をする。そういうゲームである。
非ケータイ族の8割はAの立場で投資を選んだが、ケータイ族は2割しか投資を選ばなかったという。また、ケータイ族には、自分はAから投資を受けたのに、自分はお返しの投資をしなかった”裏切り”プレイヤーが多かったそうだ。こうした実験結果から、ケータイ族は、相手を無条件に信頼することができず、利己的な人間が多いと結論している。
また、ケータイで交わされるメッセージも、断片的で記号的で、お互いの存在を確認しあうサル同士の鳴き声コミュニケーションレベルの内容しか含まれていないのではないかと著者は言う。
■カード実験で暴かれる思考力が落ちた40代像
こうした若者を育てた親にも問題があるとして40代以上の層の分析もある。ウェーソンの4枚カード問題という実験を行う。
被験者の前に4枚のカードを並べる。
1枚目のカード 「 M 」
2枚目のカード 「 E 」
3枚目のカード 「 7 」
4枚目のカード 「 4 」
「もし片面にアルファベットの母音が書いてあるならば、そのカードのもう一方の面には偶数が書いてある」という規則を確かめる際、どのカードの裏面をチェックする必要があるか?という質問をする。
少し考えれば分かるように正解は「 E 」と 「 7 」である。
この実験を20代と40代の男性に実施すると、20代の方が圧倒的に正答率が高いそうである。
さて、次はカードを入れ替えて、次の4枚を提示する。
1枚目のカード 「 ヒロシ18歳 」
2枚目のカード 「 タバコを吸わない 」
3枚目のカード 「 タカコ30歳 」
4枚目のカード 「 タバコを吸う 」
そして、
「
カードの一方の面には対象者の名前と年齢が書かれています。もう一方の面にはその人がタバコを吸うかどうかが記されています。さて、我が国では法律で喫煙は20歳を過ぎてからと定められています。その規則がここに呈示した四枚の身上カードの人物に関して、守られているかどうかを検証しようとすると想定します。さて、その検証に際し、四枚のカードのうち、裏面に何が書かれているかを必ずチェックしなければならないのはどれですか?
」
と質問を行う。
正解は、「ヒロシ18歳」「タバコを吸う」である。この問題の正答率は20代、40代ともに100%近いそうだ。
しかし、ふたつの問題を解くのに必要な推論の内容は、実はまったく同一である。難易度が違うように感じたのは問題が、社会的に慣れ親しんだ話題か、抽象的な記号かの違いによるものだ。
こうした実験から、40代の中年というのは社会的に親しんだ事柄の思考能力は落ちていないが、新しいルールが破られていないか、裏切り者を見抜く能力が落ちていると結論される。それゆえに、子どもの新しい世代が信頼できるかどうかを見極められず、モノを買い与えるだけのコミュニケーションしかもてなくなる。物質的に甘やかす。そうして、親に依存するパラサイトシングル、ひきこもり、ルーズソックス女子高生が生まれてしまうのだと断ずる。
と、まあ、学者だけあって、出てくるのは、どれも興味深い実験ばかりである。読んでいて大変面白く、勉強になるのだが、若者の行動心理と結びつける根拠は、少々強引で恣意的な気もする。若者の内側に入ろうとせず、外から観察して嘆く長老の典型である。
■「近頃の若者は...」を生み出す構造
新世代の堕落を嘆く旧世代による「近頃の若者」論は、いつの世も同じである。プラトン、アリストテレスの時代から長老は嘆いてきた。嘆きの構図が普遍的にできるのは、構造があるからだと私は考える。いつの世も2割の「デキル人」と8割の「ダメな人」から社会が成り立っているからである。いや、実際にはすべての人に多彩な能力と魅力がある。ここで言いたいのはカッコつきの「デキル人」「ダメな人」である。古い一面的な規範に照らして測るとき、デキル:ダメが2:8になるものなのだ。規範はそれくらいの比率設定になるとき、説得力を持つからだ。
比率が極端で「デキル人は1億人に1人です。日本人では私と○○さんくらいです」は受け入れられないだろう。逆に「世の中の99%の人はデキル人ですが、あの少数民族はダメダメです」も拒絶される極論になる。2割くらいの人が模範的で、8割はイカンですなあ、とする程度の規範の設定が社会的に有効なのだ。「デキル人」「ダメな人」はこうして生み出されるのではないか。
だが、世の中は2割のリーダーが大きな影響力を持っていたりもする。「デキル人」が社会を変えていく側面もある。またリーダーには「ダメ」だが「デキル」を志向するフォロワーが必要だ。だから、仮にその規範で、8割がダメ人間の兆候があるから、今の若者の未来は暗いと断じても意味はない。そもそもアナタの年代はそんなに「デキル人」だらけでしたか?と聞き返したくもなる。
長老の嘆きの命題が真だったら、人類の歴史は何百世代も「よりダメな世代」の連続だったことになるが、それでも歴史は進んでいる。今の若者はサル化しているかもしれないが、それは環境への適応の一側面かもしれないし、別の光の当て方をすれば美徳にさえなるかもしれない。
大切なのは、その世代が幸福を感じているかということのような気がする。嘆く長老の真意も大抵は次の世代に幸せであって欲しいと願う老婆心にあるはずだ。幸福の基準は相対的で個別的だから、外から測るのは難しい。内側から主観的に眺めてみないと本当のところは分からない。
幸福なサルの社会と不幸なヒトの社会、次世代として、どちらが望ましいだろうか?
サルだっていいじゃないか、ウッキー。
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Posted by daiya at 2004年07月26日 23:59 | TrackBack
私も少し前にこの本読みました。確かに一見科学的観測や実験を行っているのですが、実験の根っこに年寄りならではの「最近の若者は…」的感情論で都合の良いデータのえり好みや偏見バイアスのかかった調査方法があり、科学的方法論と感情論をごっちゃにしてる作者に腹立たしさを覚えました。つまりこれは似非科学じゃないか!と。
ですが読み物としては面白く「最近のバカっぽい若者は携帯等の文明によってサル化しているんだ」という仮説も、何かしら心当たりがある分、耳に心地よく響くのですがね。この本は私にとっても作者と若者の間にあるジェネレーションギャップというものを考えさられた本でした。電車内で携帯使用でバカ話するギャルも、科学の皮をかぶって若者をナナメに見るおじさんも、人のブログでのんきな批評書いてる私も、結局みんな自分勝手じゃねえの?っていうのが私の感想でした。
ですがそれらを「ある特定の価値感で見るとデキル2割/出来ない8割」と考え、時代の相対的なサンドウィッチ的見解で作者に疑問を呈する橋本さんの作者へのツッコミと話の落とし所はさすがだなと感じました。
長くてすみません、ウッキー。
彼を「サル学者」と称するのは少々抵抗がありますね。
ヒトのことを知らない学者のような表現になってしまう。
ヒトを含む霊長類発達研究の学者、かな。
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/ninchi/research/dev/intro.html
で、まぁ、こういう場では、
老人の繰り言として片づけハッピーピッグで行くか、それ以外を好むのか、
みたいな個人のお好み話で終わっても仕方ないんでしょうけどね。
http://am.tea-nifty.com/ep/2003/12/post_110.html
「サル学者」はトビラの内容紹介にそう書いてあるので、著者自身がそう名乗りたいのでは?
Posted by: daiya at 2004年07月27日 12:07「 E 」と 「 7 」ではなく「 E 」と 「 2 」では??
Posted by: nabi at 2004年07月27日 23:14Eと7だよ。
偶数の裏が必ずしもボインじゃなくてもいいのだから。
もし奇数の裏がボインだったら、ボインの裏は必ず偶数だというのは違うじゃないかとなるから、7の裏を確かめる必要がある。
片面にアルファベット、片面に数字という前提条件が必要ですよね。
でなければ、Mのチェックも必要。