2004年07月08日

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「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか
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小学6年生の夏休みに、2冊の本と出会った。ミヒャエル・エンデ「モモ」とユーリイ・イワノフ「九〇〇日の包囲の中で」。子供心に深い感動を覚えて、それ以来、読書が好きになった。どちらも、今読んでも考えさせられることが多そうな児童文学の最高峰だと思う。

「モモ」は時間とは何かについての深遠な物語である。一般には映画にもなった「果てしない物語」の方がエンデ作品としては有名かもしれないが、「モモ」の方が哲学者としてのエンデの思索の深さを示した作品だと思う。

・モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
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時間を大切にしましょう、節約しましょうと町の人々に説いては、時間の貯金をさせる、灰色の時間泥棒が跋扈する世界。時間泥棒のおかげで、人々はあくせくとせわしない生活を送る。直感的に嘘を見抜いた少女は時間の国へ旅立ち、「時間の花」を見て、時間の本当の意味を知る。

自分も大人になって、いつの間にか、町の人と同じような、せわしない生活を過ごすようになってしまった。定規のように均等な目盛りのついた時間軸の真ん中に「現在」を置いて、その左右に過去と未来を置く。時間は過去から未来へ直線的に、一定のスピードで進んでいくイメージにとらわれている。1時間は3600秒だが、1時間より長く感じる1秒もあることは皆、気がついているのに。

この「時間を哲学する」という本は、そうした広く信じられている空間的な時間の概念に対して異議申し立てを行う。フッサールやハイデガーやカントの時間の考え方は間違っているとはっきり言う。哲学だから正しい答えなどないわけだが、全編を通して著者の論旨が明確で、面白い本だ。

■少年老い易く、邯鄲の夢

少年期の脳は老年期の脳よりも可塑性が高く、多くの出来事が記憶に残りやすい。逆に老人は多くの出来事を経験しても、忘れてしまうという、大脳生理学の研究結果があるそうだ(ジャネーの法則)。子供時代の1年は長かったという、多くの大人の実感を裏付ける法則である。

だが、これだけでは時間が短く感じられることの証明にはならないと著者は言う。客観的時間の長さと時間印象の長さの比が本当の理由だとする。例えば旅行や夏休みの最初の数日は新しいことが多いが、同じ要素を繰り返すとパターン化され、時間印象は短くなる。2ヶ月の休みでも、最初の数日と最後の数日では、後者が短く感じられるものだ。

また、加齢とともに時間の遠近感が狂っていく。数十年前のことがありありと思い出せるが、前日のことは忘れてしまう老人の記憶の傾向がその例として挙げられる。こうして、子供時代は1年が長かっただとか、人生はあっという間だったという感覚が生じる。

■制作される過去と想起

著者は、知覚と想起を区別し、根本的に過去の記憶とは想起なのだと考えている。そして、学者ラッセルの次のレトリックを紹介する。世界は5分前に始まったとしてもおかしくないという話。

「世界は5分前に、正確にその時そうあったとおりに、まったく実在しない過去を「想起する」全住民と共に突然存在し始めたという仮説に、いかなる論理的な不可能性もない」

つまり「3年前に起きたこと」は、本当に3年前かどうかと無関係に、3年前に起きたこととして想起したことであるということだ。一見、屁理屈のようだが、考えてみれば、キリスト教では世界は数千年前に創造されたことになっている。信者は長い間そう信じてきた。そして、ここ数十年の現代科学は、宇宙は150億年前のビッグバンで始まったと説明する。誰かが魔法をかけて5分前に世界は生まれたと全住民が信じているようなものだ。

過去とは想起によって「制作」されるものであり、<今ここに>たち現れれているものであると著者は言う。それは可能的過去であり、過去の単純な再現ではない。言語も深く関わっている。「痛い」だとか「暑い」はそうではない状態、不在への態度があって初めて成立する。「今日は暑かった」と振り返って言語化した瞬間が、「暑い」が「暑かった」へ移行する現在と過去の境目になるのだ。

■「客観的時間を考案したことの不幸」

前出の「モモ」のクライマックスは、少女が無から次々に時間の美しい花が咲いては消える時間の源を見つめる幻想的なシーンだろう。そこには管理されない、豊穣な時間の輝き、永遠と刹那の持つ美しさが描写されていた。それは湧き上がる想起のイメージとも密接に重なる。私たちは時間を想起によって、無限に美しく味わうこともできるということなのだと思う。それを難しくしているのは、古典的な過去、現在、未来の三等分の考え方や、定規で測るような客観的時間概念という「時間泥棒」のせいなのかもしれない。

時間をどう使うか、管理するか、そんなことより、時間をどう感じるかこそ、人生にとって有益な態度と言えるのかも知れないなと読みながら考えた。他にもこの本には、時間というものを哲学的に見直すための、斬新な考え方が詰まっている。現実の生活は多忙で、時間はないが、ゆっくりと考えてみよう。モモを時間の国に導いたカメ、カシオペアがやったように、ゆっくりゆっくりが一番早くたどりつけるかもしれないから。


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Posted by daiya at 2004年07月08日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

モモいいですよね。
橋本さんに私がいいと思っているものを
言葉巧みに解説して欲しくなりました。
次は是非、星の王子様を宜しくお願いします。

Posted by: 尾関 at 2004年07月09日 08:11

空間に関心のある講演者が集まったあるワークショップの懇親会で,仮想空間を作れるのだから同じように仮想時間を作れるのではないかという話題がでました.仮想空間といっても実際に空間があるわけではなく日本の住宅事情を改善したりはできないわけで,それと同じくらいのレベルでの「仮想的」な時間ならきっと作れるのではないかと考えています.

Posted by: 中西英之 at 2004年07月09日 12:59

うーん、ネットを使っている時点で既に仮想時間が存在しているように感じます。リアルの時間とはなれた時間がそこにありませんか?

ちなみに、エンデの「宇宙全体の働きかけでぼくらは一時間一時間をあたえられている」という言葉がとても好きです。

Posted by: ひでき at 2004年07月09日 14:41

中西先生、こんにちは。

空間が作れるなら時間も作れるという発想は面白いですね!

米国の企業が考案した技術で、1秒間に30コマの映像から、動きの少ない1コマを抜くことで、30分番組なら1分間の時間を”作り出す”という発明がありました。空いた1分間にもうひとつCMを入れることができて商売につながるとのことでした。これなど、デジタル化、仮想化された時間だからこそ、できる離れ業かなとか思ったり。

仮想空間と時間ということでは、

・PCゲームグッズレビュー「ヴァナ・ディール クロック」
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20040707/vanaq.htm

こんな商品が出たようです。まだこれだとリアル時間とバーチャル時間の単純コンバーターに過ぎませんが、CM技術と同じように、リアル時間では多忙な人間を、仮想的にゆったりさせられる時間技術をぜひ専門の研究者の方々に発明していただきたいです。デジタルシティで余暇を過ごすと3倍安らげる、みたいな。

Posted by: daiya at 2004年07月09日 17:35

実は少し前に躁状態で一週間一睡もせず最後は意識障害で倒れるという事を経験したんですが、意識障害中は時間の概念というものを全く把握できませんでした。泥酔状態のもっとひどい奴です。物事の前後関係や思考自体が細分化され、視覚や聴覚の情報インプットはあっても総合的な思考や行動が全く起こせない状態といいましょうか。そのときに頭をよぎったのが世界は5分前に始まった、的な事です。有と無の狭間みたいなものから自分の存在そのものを把握して真理を理解した気になったりとかもしました。ああ、かなりの電波さんですね。いまは一応マトモですが…。

Posted by: さかまた at 2004年07月10日 04:46

それまたすごい体験報告ありがとうございます。
2日寝なかったというのはあるんですがその先はそうなると。。。

宗教の法悦体験や、臨死体験の報告と似ていますね。

人間の脳の深いレベルでは実は時間の概念がないのかもしれないですね。

Posted by: daiya at 2004年07月10日 18:13

橋本さん!
>1秒間に30コマの映像から、動きの少ない1コマを抜くことで、
>30分番組なら1分間の時間を”作り出す”
「24」が23時間ちょっとで終わっちゃいます!!

Posted by: zerobase at 2004年07月11日 21:21

はじめまして、ぱんだといいます☆
いつも、この超充実ブログ、楽しみに読ませてもらっています。
とても勉強になります。
ありがとうございます!

「時間をどう使うか、管理するか、そんなことより、時間をどう感じるかこそ、人生にとって有益な態度と言えるのかも知れない」
いやー名言ですね。
メモしときます☆
ジャネの法則「50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する」
も思い出しました。
じっくり時間をかみしめていきたいものです。
今後ともよろしくお願い致します♪

Posted by: ぱんだ at 2007年06月27日 12:42
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