2004年04月02日

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知の教科書 批評理論
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これで100冊目の書評になる。読んだ本について書くという作業を、100回も繰り返していると、書評とは何か?、批評とは何か、と考えてしまう。大辞林 第二版によると、批評とは「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。」と定義されている。分かったような分からないような気になる。

「この本は面白い」「面白くない」。そう書くだけなら感想に過ぎない。けれども、本について、それ以上の何かを書こうとすると、何が面白かったのか、何故面白かったのか、どのように面白かったのか、と続けることになる。これが批評行為が発生する瞬間であると思う。そして批評を書くプロセスの中で、本当の読解が始まり、書評が書けてはじめてその本を読んだ気になれる。

冒頭の章に「批評理論というのは、テクストの可能な読み方を創出していくものなのです。」という一文がある。読むためには観察しなければならないから、光を当てるということでもある。テクストに対しての様々な光の当て方が考えられる。この本では文学批評を題材に、近代〜現代の代表的な光の当て方が紹介される。題材は文学であるが、よく考えると、それ以外のテクストに対しても同様のアプローチができることに気がつく。

この本には7人の批評家が登場して、以下の7つの批評理論をまず解説する。

・読者反応論
・精神分析批評
・脱構築批評
・マルクス主義批評
・フェミニズム批評
・ポストコロニアル批評
・ニューヒストリズム批評

ユニークなのは、解説の後、それぞれの書き手がその理論を使って、実際に文学作品を批評してみせる実践の章がついているとことである。古典や現代の作品に批評理論を適用し、背後にある歴史・社会状況や、書き手の心理やイデオロギーがあぶりだされる。それぞれの理論は実践としてはどう書けば良いのかが明白になる。

例えば、脱構築批評では、デリダ、ソシュールらのロゴス中心主義や構造主義などのパーツを説明した上で、脱構築の批評が実践される。ここでは映画「地獄の黙示録」の原作である、ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」が題材になる。狂人カーツ大佐が支配するアフリカ奥地に向かう若者マーロウの引用符だらけの独白の小説。俎上に上げられた素材は、解説の通りの道具で解体されて、新しい意味が創出される。この本の本当のテーマは、文明/野蛮、西洋/非西洋という二項対立の脱構築であり、その構造に19世紀の小説技法の挑戦的取りくみがあるのだ、などということになる。

その意義は分からないが、新しい意味が立ち現れる場として批評の空間はおもしろい。

簡単な書評を書いているに過ぎない私でも、ときどき「テクストの可能な読み方を創出していく」ことにどんな意味があるのか?。という疑問に陥る。この本の監修者も前半では批評の必要性はわからないとしている。しかし、そのおもしろさは全面的に肯定し、まずは感じよと書いている。

国語教育、受験教育的な考え方の世界では、テクストには「正解」があってそれを正しく読むことが大切だとされているが、そこにおもしろさはないと思う。これは、テクストをもっと面白く読むために、批評の意味や意義を考えてみるための本。

未消化な部分もあるが、この本を読んで考えたことを101冊目以降の書評に活かしていけたらいいなと思った。


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Posted by daiya at 2004年04月02日 06:45 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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