2004年02月29日
かなり気がかりな日本語
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タイトルに反発感を感じたのが、この本を買った動機。ところが、共感して読み終わる。どういうことかを説明しながら書評。大学で日本語とフランス語を教える研究者の著。
■空虚なコミュニケーション
最近、神田敏晶さんが書いたデジクリのコラムの一節に、ファミリーレストランを訪れた際の、こんな分析があった。
「
無言な客に対してサービス産業は従業員のモチベーションアップと顧客満足度を高めるために「いらっしゃいませ こんにちは」を開発した。これだと客は無言のままでもコミニケーションが成立するからだ。「いらっしゃいませ こんにちは」は今日もまたサービス産業にひろがっていく。
」
この本では、この一方的な挨拶を「やまびこ挨拶」として紹介している。買わずに帰る客にも向けられるものだから、必ずしも好意的に受け取られるとは限らないと著者は言う。それでも、実施されるのは客への礼儀だけでなく、従業員の士気の高まりや連帯感を期待しての店側の論理にも背後にあるはずと分析する。
メディアや商品メッセージにも多数のリアクションを期待しないコミュニケーションが多いと著者は言う。タバコの「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」だとか、車内での「携帯電話をお切りください」など。確かに、挨拶の自動化、商業化が進んで、そこに従来の価値観ではおかしな日本語が量産されていることが分かる。
■「要するにとりあえず逆にある意味基本的に、日本語力だ」
著者が現代人の濫用として槍玉に挙げる言葉に、「やはり」「要するに」「とりあえず」「逆に」「ある意味」「基本的に」がある。これらの言葉が本来の意味を持たずに話されることが多いというのだ。正直、耳が痛い。私も該当者だから。なくても、意味が通るのに使ってしまうことが多い。
Googleで検索してみた。Web上の表現の人気としてはこんな順位になるらしい。
やはり 約5,600,000件
とりあえず 約4,850,000件
逆に 約2,510,000件
基本的に 約1,150,000件
要するに 約 701,000件
ある意味 約 620,000件
この数字が多いのか少ないのか、このうちどれだけが本来の意味を含まず、不必要な使用なのかは、分からない。が、「私は」で検索すると約5,390,000件だった。「私は」より「やはり」の方が多いのは、濫用気味なのかもしれない。
この指摘はなるほどなと思った。
著者は、はやり言葉や、敬語の間違った使い方、テレビで使われるおかしな日本語などを次々に挙げていく。
「これ、ふつうにおいしいですよ」「JR山手線は、翌16日からリフレッシュ工事を行います(車内アナウンス)」「このニュースについてA記者にお話をうかがいます(テレビ)」などなど。どれも、日本語としておかしな部分があるが、どこかで耳にしたような言葉ばかりで、ニヤニヤしながら読める。そして著者は、それらのおかしさの意味を丁寧に説明している。
■タイトルを変えるべきでは?
最初にこの本のタイトルを見たとき、反発を感じた。正しい、美しい日本語の規範が存在していて、それに合わせるべきだと主張する本に見えたからだ。だが、著者がこの本で言いたかったのは次のことだったようだ。
「
現実の口頭コミュニケーションにおける正しく美しい日本語の条件とは、相手に誤解を与えないことと、相手に不快感や不信感を抱かせないことに尽きるのではないかと思う。相手に誤解を与えないためには、現代の日本人が共通理解事項としているところの日本語の文法、語彙、音韻などの体系を無視するわけにはいかない。
」
つまり、TPOに応じて、使い分ける柔軟な日本語力が大切である、できないと損をするぞ、ということらしい。それならば納得できる意見だ。この本は「かなり気がかりな日本語」ではなく「かなり気がかりな日本語力」というタイトルの方が正しいのではないかと思った。
この本は、著者がフィールドワークで集めた日本語の最新事例が豊富で、ひとつひとつの事例に対する社会背景や、話し手の心理分析が丁寧になされている。日本語の使い手ならば楽しみながら読める。
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Posted by daiya at 2004年02月29日 23:59 | TrackBack