2004年02月17日
本を読む本、ぼくが読んだ面白い本......
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1940年に初版がでて以来、読書術の古典として世界的にベストセラーになった本。内容は書物をどう理解し、知識を自分のものとして獲得していくかの方法論を体系的に述べている。
読書には4つのレベルがあるという。
1 初級読書(Elementary Reading)
「その本は何を述べているか」を理解する読書
2 点検読書(Inspectional Reading)
系統立てて拾い読みする読書
3 分析読書(Analytical Reading)
系統立てて質問をする積極的読書。著者との対話型の読書。
4 シントピカル読書(Syntopical Reading)
ひとつの主題について何冊もの本を比較読書し、客観理解をすすめる。
書かれていない主題をも発見する究極の読書。
このレベルを上げていくことで深い理解に到達し、知識を活用できるようになるのだという。作者と対話し、そこに書かれていないテーマを発見せよ、行間を読むのではなく行間を書け、というメッセージになるほどと感銘。
古典的な本であるのに、意外にも速読、とばし読み勧める内容になっている。そして、どんな本も数行に要約してみよ、とし、アダムスミス「諸国民の富」、アリストテレス「倫理学」、ヘロドトス「歴史」などの古典の要約例があげられる。
最初に点検読書で全体のアウトラインを把握し、著者の言いたい事をつかみ、読むべき価値のある部分をじっくりと考えながら読む方が、最初からだらだら読むよりも、速いし理解も深まるということを言いたいようだ。
この本を読んでいて思い出したのが次の本である。(今日の記事はむしろこちらが紹介したい本)。まさに同じような読書論を展開している人がいる。
・ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術
立花隆による読書術と大量の書評集。素晴らしい。
立花隆の大量読書は有名だが、この本ではまず、その読書術が語られる。蔵書のために地上3階、地下2階のビルを建ててしまう作家であるから、本と読書に関するこだわりは熱い。当然のように速読をポリシーとしている。点検読書と同じ意味の速読を実践しているのだなとわかる。
「
この世界は、書物の存在量から見たとき、いかなる巨大美術館、巨大美術展よりも、作品が信じられないほど多量にあり、はじめから逐語読みをしていたら、一生かかっても絶対に読みきれないどころか、数百年かかっても読みきれないほどの量がある。しかもその中にクズが山のように入りまじっているのだから「全部はじめからじっくり読み」方式は絶対にしてはならない無謀な方式なのである。そんなことをしていたら、出会うべき本に出会えないうちに一生を終わってしまうこと必定である。
」
「音楽的読み」と「絵画的読み」という著者の言葉はうまい表現だと思った。順序通りに分析読書する方法であり、後者は数十分で一冊を読むような点検読書の方法のこと。著者曰く、基本は絵画的読みで把握し、読む価値がある部分を音楽的読みで読むべきだとのこと。
この本の大半を占める中盤は、著者が5年間に読んだ中から選んだ数百冊の書評。週刊文春の連載をまとめたもの。的確な引用と明確な評価。良い本はほめ、悪い本はけなす。ひとつのテーマに対して大量の類書を読む著者は、「本を読む本」でいうシントピック読書の実践者であると思った。
紹介されるのは、ジャンルを問わずあらゆる本だが、著者の好みで科学書や歴史書、ニューサイエンス(オカルトともいう)、奇書の類が目立つ。自分が読んだ本の批評が書かれているのも面白いし、気になっていた本の評価も参考になる。これを先に読んでおけば、買わなくても良い本を買わずにすむから、この本は書評部だけでも価値があると思った。
そして終章の「『捨てる技術』を一刀両断する」が凄まじい。何でも捨てることが大切という内容のベストセラー本を、完膚なきまでに叩きのめす。作者が気の毒になるほど徹底的である。
・「考え方が根本的に間違っている」
・「(この本こそ)「捨てる技術」を使うならまっ先に捨ててしかるべき」
・「私はこの本をまったく評価しない」
・「ほとんどカスみたいな本である」
といった罵倒が実に40ページも続く。この激しい批判書評の過程で、著者は自らの情報についての哲学や価値観を展開していく部分は、この本のクライマックスである。
「捨てる技術」は私は読んでいない。自論展開のために戦略的にこの本を選んで悪く言ったのか、本当に激昂するほどこの本が嫌いなのか、判断が難しいのだが、ここまで叩かれる本自体も読んでみたくなった。
お断りしておくと私は立花隆のファン。何の分野であっても、豊富な知識を根拠として挙げて、説得力のある評価をする人である。「知の巨人」と呼ばれる一方で、トンデモ系だという批判もあって、たくさん出版物まで出ている。
・立花隆先生、かなりヘンですよ―「教養のない東大生」からの挑戦状
・立花隆「嘘八百」の研究―ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実。
立花批判の多くは、彼の語る立ち位置を誤解したもののような気がしてならない。彼は「元」ジャーナリストの作家であって、今は単なるジャーナリストでも科学者でもない。呆れるほど博覧強記なのと、強い物言いのせいで、誤解されてしまっていると思う。専門家ではないが故に、多くの分野に通じ、最先端の知の面白さの世界をナビゲートすることが、この人のやりたい仕事なのだと思う。読者層も本好きばかりだろうから、多少の間違いにミスリードされるとしたら、される方が悪いんじゃないか、とファンとしては思う次第。
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Posted by daiya at 2004年02月17日 23:59 | TrackBack