集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ
感動した。やはり西垣通は凄い。バズワードともいえるくらい広まっているが、定義がなく諸説入り乱れる集合知を、日本の情報学の権威が整理してくれた。集合知がなぜ有益なのか、論理的な根拠が大切だとして、基本としての式が示されている。大勢が知恵を集めると誤差が減るのだ。
集団誤差=平均個人誤差 ー 分散値
だから「推測を行うメンバーのそれぞれの推測モデルの質がよいこと、しかも多様な推測モデルが用いられることが、集合知によって正解がえられる条件にほかならない」。文殊の知恵が起こる条件を示している。
人間は世界についての知識を外部から獲得するのではなく、世界のイメージを「内部でみずから構成していく」。心は本当は閉じている。私の赤とあなたの赤が同じ保証はない。生命はオートポイエーシス自己創出系だ。だから、一人称の視点から三人称の客観知をいかに導けばよいのだろうかという問題設定がでてくる。西川アサキ『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』がしばしば引き合いに出される。この本も読まなくては。
そして対話から生まれるリーダー論。これがネット選挙解禁の今、まさに注目すべき重要な考察が展開されている。
「もしある特定のメンバーが「物知り・情報通」で、多数のメンバーの質問に答える能力をもっていれば、対話を繰りかえすうちに、そのメンバーはやがて集団のリーダーと見なされるだろう。そしてリーダーの回答(意見)は単なる個人的な回答(意見)にとどまらず、いずれ三人称の客観知識に近い権威をもつようになっていく。要するにリーダーとは、他のメンバーから「信用」される偉い存在なのだ」
こうして、メンバー同士の対話が頻繁におこなわれるとき、あるメンバーが、他の多くのメンバーから借りた知識を、一時的にせよ集約してたくさん身につけ、いわば知の交流センターのような役割を集団のなかで果たす場合がある。このとき、そのメンバーは名実ともに集団の「リーダー」という存在になっているのだ。
インターネットコミュニティのようなフラットでオープンなネットワーク上でリーダーの選出が行われるとき、何が起きるのか?ここではシステム論的観点から、予想される政治状況が明らかにされる。
「大ざっぱにいうと、開放システムでは、各メンバーにとって世界があまりに「透明」に見えすぎるのだ。瞬間的にせよ、そこでは一元的で絶対的な価値観(世界観)がうまれる。したがって、従属閾値などわずかな周囲条件(外部環境)の変動にも敏感に反応し、グローバルな状況が急激に変わってしまう。つまり外部環境に他律的に依存して、「唯一のリーダー/複数のリーダー/リーダー無し」といった状態のあいだを不安定に揺れ動くのである。」
リアルタイムにフィードバックし合うようなシステムは不安定になりがちというのは直観的にもわかる。ほどほどの相対主義と価値観の共有が大切という結論が導き出される。そしてほどほどの不透明さや考える時間も人間社会には必要なのだ。
「フラットで透明な社会、つまり、情報が迅速に伝わりすぎる社会で、質疑応答による議論をしていると、かえって社会は安定しなくなり、適切な秩序ができなくなる。過度に均質化され中央集権化されてしまうか、逆にアナーキーな無秩序状態になりやすいのだ。 人間集団のなかに、ある種の不透明性や閉鎖性があるからこそ、われわれは生きていけるのである。情報の意味内容がそっくり他者に伝わらないというのは、本質的なことなのだ。」
著者はコンピュータの役割進化はAI(Artifical Intelligence) IA(Intelligence Amplifier)への転換すると予言している。人間の思考を代行してくれるのではなく、集合知の生成を支援するツールであり場として進化していくということらしい。
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