日本文化の論点
本書のいう日本文化最大の論点とは「AKB48」なのだが...。
能動態と受動態の中間としての「中動態」として人間をとらえることが現代社会を読み解く切り口だという論が光っている。それは自分が対象に働きかけていると同時に自分もまた対象になっているような状態のこと。
ビジネスマンは人間を、マーケティングの対象として、あるいは、マスメディアの受け手として、受動的な存在とみなす傾向がある。だが情報技術を使いこなす現代の人間は、自ら情報を発信してメディアになったり、さまざまな社会的活動に参加したり、半ば能動的な存在でもある。
中間的な存在としての人間の社会論、文化論を語るにあたって、「日本的想像力」や「情報技術」というキーワードを説明するのに、AKB48ブームをめぐる諸現象を研究するといいというのが著者の考え。「リトル・ピープルの時代」では仮面ライダーでありウルトラマンだった役割を今回はAKB48が担っている。今回も著者の思い入れが強すぎて、ついていけなくなるところがある、が、現代社会の分析の鋭さはやはりすごい。AKBのことはわかったようなわからないようだが、情報社会が日本の何を変えつつあるかはよくわかった。面白い本だ。
書き言葉をめぐる考察にブロガーとしては強く共感した。
「有史以来、人間がここまで日常的に書き言葉でコミュニケーションをとっている時代はない。たとえば僕たちは携帯のメールやライン(LINE)で連絡をとりあい、ブログやツイッターやフェイスブックに日々の雑感を記している。この一点をもってしても、現代における情報化の進行は人類の文化そのものを大きく変化させようとしているはずです。」
映像の世紀の後にきたのは活字の世紀なのだよね。ソーシャルメディアをよく使う人間は、新聞や書籍は読まなくなったかもしれないが、以前にもましてテキストをたくさん読んでいる。新しい文体ということになるかもしれないが、文章を書く能力は今後、見直されるべきだと思った。
「今まで書き言葉とは基本的に自分の外側にある特別なもので、それを本というパッケージングされたものを通して摂取してきた。そのため、それを積み上げることが教養を得ることであり、成長だと考えられてきたわけです。しかし今の僕たちはすでに、言葉や教養、知識体系などさまざまな情報ネットワークに接続されているため、個々の情報をどこで区切るかのほうが問題になっている。」
読解力という点でも、パッケージ的な書籍を著者の本意を読み取って正しく解読する能力よりも、検索で芋づる式に集めた断片的な情報を、どう立体的に再構成するかという構想能力が重要になりそうだ。
・リトル・ピープルの時代
http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/11/post-1550.html
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