色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
高校時代の親友4人に突然絶縁された過去をずっとひきずって大人になった主人公多崎つくる。4人の名字は赤松、青海、白根、黒埜。つくるにだけ名前が色彩をもたない。過去の自分と向き合う巡礼の旅のように、裏切られた旧友たちをひとりずつ訪問しにいく設定がさすがに巧みだと思った。それだけで緊張感ある見せ場が何度か担保される。再会するごとに謎が明らかになっていくミステリの面白さが基本。
少しずつ時間をかけて過去の傷から回復していく再生の物語でもあるが、村上春樹という天才をしても、最新テクノロジーと共存する人間的なドラマを描くのって、難しいんだなと思った。オフライン環境をつくって物語をスローダウンさせようとする工夫が目立って感じた。
ケータイがなかった昔、待ち合わせは今よりもずっとドラマチックだった。思い人と会えるかどうかわからない。約束を信じるしかない。待ち合わせに行かないというメッセージの伝え方もありえた。だから、会えなかったら一生会えないかもしれないみたいなロマンがあった。この作品はある意味ではまだ、ポケベル時代くらいの、古き良き時代設定を使っている。クライマックスも通信事情が悪そうな異国の辺境の地を選んでいる。
グーグルやフェイスブックはこの作品にちゃんと登場する。昔の仲間たちの現状を調べるツールとして重要な役割を果たしさえする。だが、主人公自身はネットを使わない。恋人に任せて調べてもらうばかりだ。スローライフ、スローニュース指向、メンタリティが古いのだ。絶縁の理由を16年間も知らずに過ごすなんてネットワーク社会の現代っ子ではありえないだろう。
そろそろ小説読者のITリテラシーがあがってきていて、村上春樹の読者たちも普通にスマホやフェイスブックを使っているわけだから、今回はうまく回避しているが、次回作あたりは、ノーベル賞候の文学者も真正面から取り組まざるをえなくなるのではないかと思う。
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