私のように黒い夜―肌を焼き塗り黒人社会へ深く入った白人の物語

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1959年。公民権運動が盛んになる前のアメリカ。黒人差別があからさまに行われる状況で、白人ジャーナリストJ.H.グリフィンは、薬剤と日焼けと塗料で肌を黒く塗り、南部の黒人社会に潜り込む。

「気狂いじみてる」「殺されちゃうぞ」と友たちは心配した。だが変装は巧妙で、当時のグリフィンの写真が掲載されているが、黒いサングラスをかけてしまえば、すっかり貫録のあるインテリ黒人にみえる。これにグリフィンの相手をした白人も黒人もみんなだまされた。

当時の米国では、黒人はレストランもトイレも別。白人と一緒に歩けば白い目で見られる。バスに乗るにも白人の後ろに並ばなければならない。白人の気を損ねると痛い目に合わされる。警察も黒人の扱いに厳しい。気に入らない態度をとれば不当に逮捕されてしまう。そういう社会へ白人だったグリフィンは肌の色を変えて飛び込んだ。

レストランでは、白い顔のときには丁寧に笑顔で応対してくれたウェイトレスが、黒い顔のときには横柄な態度で接してくる。町の白人たちは見知らぬ黒人を、犯罪者に近い人物とみなして危険視してくる。"この黒ン坊の禄でなしめ、こんな所をうろついて何してるんだ?"が白人の基本姿勢だ。

グリフィンが黒人として生活して精神的に最も傷ついたのは、白人たちが誰も自分を個人として扱ってくれないということだった。黒人は、異質な個人として差別されるのではなく、黒人というカテゴリで一律に差別されてしまうのだ。

白人たちの中にも黒人を差別しない紳士はいるが、それらの中にも根底に差別意識を強く持った偽善者がたくさんいるということにグリフィンは気がつく。表面上は差別はいけないと進歩的な顔をしながら、実は個人的に黒人とつながることを嫌悪している白人に、黒人モードのグリフィンは憤りを覚えている。

「絶えず、あらゆる所でといってもいいほど、黒人はこういった二重性に直面していた。白人は正しいことをいい、黒人に対する不当な行為に深い関心を示し、人種差別という問題を解決するために決意は表明するけれど、対等の人間として、黒人と話し合うことはしないのだ。アメリカという国がいったり、信じたりしていることと、黒人が日々体験していることの大きな違いは、私たちの激しい怒りを掻き立てた。」

潜入の数か月後、肌を白く戻してドキュメンタリを発表し、テレビにも出演して、この潜入体験を公にした。想定通り、グリフィンは怒った黒人たちからバッシングを受ける。グリフィンの人形が街頭で燃やされるなど身の危険も生じた。しかし黒人にも白人にもグリフィンのジャーナリストとしての活動を評価するものがいた。

現代米国においてはこんな露骨な差別は解消されたわけだが、差別問題全般を考えるにあたって、被差別者のくらしを体験したこの潜入調査は貴重な資料だと思う。弱者の権利を守る強者が忘れがちな、被差別者のデリケートで複雑な気持ちを、このルポはうまくとらえていたと思う。

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このページは、daiyaが2013年4月 7日 23:59に書いたブログ記事です。

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