穢れと神国の中世
中世において穢れの観念はどのように生まれて広まったのかの研究。
死や出産など「穢れ悪しき事」に触れた人間は、一定期間、行動を慎まねばならない。穢れを帯びた人間は、寝起きする場所や食事を別々にされたり、神社や山に出入りすることを禁じられた。そして穢れの観念は、穢れたものと清浄なもの、「われわれ」意識と排除される他者を生み出すことにもなった。
穢れの起源は古く「延喜式」にさかのぼる。人間や動物の死や出産について細かく何が穢れか、その性質が規定されている。穢れは穢の発生源と同じ空間に着座したことを以て成立し、穢れはその場にいた人間と同一の場に着座した人間に伝染する。しかし無制限に伝播することはなく基本的には伝染するのは一段階だけなのだ。これは人間の普遍的な感性というよりは、かなり恣意的な文化的な観念である。
高速移動の交通手段も、マスメディアもない時代に、どうやって穢れという人為的な観念を日本列島で人々は広く共有することができたのか。考えてみれば不思議なことだ。著者は穢れ観念の広がりの原因を、災いと、それを体系化する論理の一斉体験に見出す。干ばつや疫病、そして蒙古襲来という列島を襲った災厄があり、その解決の実践手段として列島各地の神社の神事の取り組みがあり、穢観念と行動規範が全国へ広まっていったという仮説だ。
穢れ意識はそれを共有する「われわれ」というナショナリズム意識が芽生えさせもした。さらに穢れを祓い秩序を維持していくには、不浄を処理する職業も必要となる。排除される他者を生み出す原因ともなったと著者はいう。中世の史料を紐解きながら、穢れ観念と国家意識の萌芽を関係づけていくストーリーが面白かった。
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