芸人の肖像
小沢昭一のライフワークだった昭和の芸能写真とエッセイ。
萬歳、神楽、説経節、浪花節、落語、講釈、寄席の色物、モノ売り、流し、相撲、幇間、踊り子、ストリッパー、見世物小屋、猿回し...テレビではなく町や村にあった大衆の芸能を記録に残している。
今となっては貴重な史料。芸人同士だったおかげか被写体が自然に画面に収まっている。吉原の幇間(ほうかん、いわゆる"太鼓持ち")の写真がある。お座敷で釜飯をよそっている。時代小説なんかにでてくる太鼓持ち役って、いかにもこんな顔の人だったのだろうなと思わせる愛嬌のある顔。
考察も深い。家々を回りご祝儀をもらう昭和の門付芸人たちの人懐こさと同居する凄み。その正体を小沢はこう考えている。
「門付芸は本来、村から町、町から村へと、神の代理人めかして祝祷して歩いた放浪遊行の芸能者によって行われ、その芸には呪術的要素が強かったという。その呪術はこの国の芸を担う人びとが、自分たちの上に重くのしかかった賤視をはねのけ、高飛車に世渡りしてゆく手だてともなったようだ。事実、人びとは流れの乞食芸人とさげずむ一方、むげに断ると呪われるような気がして、畏れもしたのであった。」
そして底辺社会で必死に生きる芸人たちが本気の芸をつくりだす。
「かつて、定着社会からはみ出た放浪芸人たちは、呪術まがいのたぶらかしを、舌先三寸にのせて人びとの上に投げかけて、その日を生きて行ったのである。それはまさしく命がけのわざであった。そういうしたたかな言葉の魔術をいまわれわれは失っている。からくも残った万歳や説教や琵琶法師やさらには行者打ちといわれる大道薬売りの口上など、野風にさらされたさまざまな節や喋べくりの中に私は、銭をふんだくれる腕前を発見したのである。」
この「銭をふんだくれる腕前」は今のテレビのお笑い芸人の技であり、ジャパネットたかたのビジネスに通じるものでもあり現代へと続く系譜なのだろう。
・私は河原乞食・考
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